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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.276 2009/7/19(第276号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 954名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.幸福になろうとする必要はない

2.写経ニサルガダッタ:【45 去来するものは存在を持たない】の2

3.いただいたお手紙から:ドン・ガバチョさん

4.編集後記:それは去来する世界のなかにはありえないのですね。
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■ 1.幸福になろうとする必要はない
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世界よ、止まれ!

なんて思ってみても……、動いているものにフォーカスしているのが自分なの
だから……世界の方で勝手に止まるはずもありませんよね。(*^_^*)

(自分で動かしておいて……。(^_-) )

“「世界よ、止まれ!」などと、どうしてそんな特別のことを考えるのだろう
か?”(-_-)……なんてニサルガ師匠に言われそうです。

実在を覆い隠すマインドの雲はつねに動いている……。

でも、実在は動いていない。

「私は在る」……。

ただ……それだけ……。

動いている世界は、その「私は在る」のゆえに存在している。

別に……動く世界に合わせて……動揺しなくてもいいんですね。

いや……動揺してもいいのかもしれないけれど……自分が動揺しているわけじ
ゃない。

自分はその動揺を……見ているだけ……。(-_-;)

……。

ホントかなぁ。(*-_-*)

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

……。(=_=)

ところで……。

自分が……幸福でなければいけないような気がする……というのはどういうこ
となんでしょうねぇ。

そして……何となくキョロキョロしてしまう……というのは。

だって……いま特に幸福でない人なんて……現にこの地球上にも……それこそ
掃いて捨てるほどいるわけでしょ。

むしろ……不幸な人の方が多いかもしれない。

なのに……いま別に特に何の問題もないのに……なぜか……何か物足りないよ
うな……幸福でなければいけないような……気がしてしまう。(-_-;)

(@_@)

暇がありすぎなのかな? (^^;)   \←……

それとも単にわたしが欲張りなだけ……とか……。^^;

なんか……どっちも合っていそう。(^_-) \←……

でも根本的には……わたしがこの身体にまつわる気分に自己同化して……それ
にしてはあんまり居心地が良くないなぁ……と藻掻いているからじゃないのか
な、うん。(-_-;)

だって、ほら、

----------------------------------------------------------------------
 マインドが身体に仕えることに従事するとき、幸福は失われてしまう。
 幸福をふたたび得ようとして、快楽の中に探し求めるのだ。
 幸福になろうとする衝動は正しいものだ。
 だが、それを確保しようとする方法が惑わせ、当てにならず、真の幸福を破
 壊してしまうのだ。
                          『私は在る』(p487)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

というわけですから。

> マインドが身体に仕えることに従事するとき、幸福は失われてしまう。

そういうことみたいですよ。

(だとすると、一定の年齢以上の人間はあまり幸福ではないかもね。(^_-))

> 幸福をふたたび得ようとして、快楽の中に探し求めるのだ。

なるほど。(-_-;)

> 幸福になろうとする衝動は正しいものだ。

おお、そうなんだ。

> だが、それを確保しようとする方法が惑わせ、当てにならず、真の幸福を破
> 壊してしまうのだ。

そうかぁ……。(=_=)

じゃ、どうすればいいの? (@_@)

----------------------------------------------------------------------
 自分を幸福にしようと試みてはならない。
 むしろ、幸福の探求自体を疑いなさい。
 あなたが幸福でないから、幸福になりたいのだ。
 なぜ幸福ではないのかを見いだしなさい。
 幸福ではないから、快楽のなかに幸福を探し求めるのだ。
 快楽は苦痛をもたらすため、あなたはそれを世俗的と呼ぶ。
 それから、あなたは苦痛をともなわない、何かほかの快楽を切望する。
 そして、それを神聖なものと呼ぶのだ。
 実際には、快楽とは苦痛からの一時的な休息にすぎない。
 幸福は世俗的であるものと、ないものの両方だ。
 そのなかで、そしてその彼方で起こることのすべてなのだ。
 いかなる分別もしてはならない。
 分別できないものを分別してはならない。
 そしてあなた自身を人生から遠ざけてはならない。
                          『私は在る』(p487)
----------------------------------------------------------------------

なになに、けっこう難しそう。

> 自分を幸福にしようと試みてはならない。

自分を幸福にしようと試みちゃいけないんだ。

> むしろ、幸福の探求自体を疑いなさい。

うう……。

> あなたが幸福でないから、幸福になりたいのだ。

ああ、そうか。

いや、それならわかるけど。

> なぜ幸福ではないのかを見いだしなさい。

お。(@_@)

> 幸福ではないから、快楽のなかに幸福を探し求めるのだ。

わかる。

> 快楽は苦痛をもたらすため、あなたはそれを世俗的と呼ぶ。

はい。

> それから、あなたは苦痛をともなわない、何かほかの快楽を切望する。

なるほど。

> そして、それを神聖なものと呼ぶのだ。

そっかぁ。(-_-)

> 実際には、快楽とは苦痛からの一時的な休息にすぎない。

おお……、なるほど。

「快楽とは苦痛からの一時的な休息にすぎない」のか……。

> 幸福は世俗的であるものと、ないものの両方だ。

あ、はい。

> そのなかで、そしてその彼方で起こることのすべてなのだ。

というと。(?_?)

世俗のなかで、そして世俗の彼方で起こることのすべてなのだ、かな。

わかるようなわからんような……。

> いかなる分別もしてはならない。

世俗的な幸福と、世俗の彼方で起こる幸福をいかなる意味でも分別もしてはな
らない……の意味かな。

世俗的な幸福と……いわゆる霊的な平安を……ということですか?

> 分別できないものを分別してはならない。

ふーむ。

えらく強い言い方だ……。

たしかに、どちらもマインドのなかの話ではあるけど……。

> そしてあなた自身を人生から遠ざけてはならない。

おお……これはまた。

人生のなかにいて……しかも幸福は求めない。(-_-;)

俗世の快楽も……霊的な平安も……。

(@_@)

え、でも、なんで幸福になろうとしちゃいけないんだっけ? (?_?)

----------------------------------------------------------------------
 幸福となるためにものが必要だと信じているかぎり、ものの不在によって不
 幸になるに違いないと信じることだろう。
 マインドはそれが信じることにしたがって形づくられるのだ。
 それゆえ人は、幸福になろうと駆りたてられる必要はないのだと確信するこ
 とが重要なのだ。
 その反対に、快楽は混乱と厄介者であり、幸福になるには何かをもち、何か
 をしなければならないという偽りの確信を、単に増長するだけなのだ。
 
                          『私は在る』(p505)
----------------------------------------------------------------------

> 幸福となるためにものが必要だと信じているかぎり、ものの不在によって不
> 幸になるに違いないと信じることだろう。

あ、そっかぁ。

> マインドはそれが信じることにしたがって形づくられるのだ。

わかります。

> それゆえ人は、幸福になろうと駆りたてられる必要はないのだと確信するこ
> とが重要なのだ。

おお……。(@_@)

「確信することが重要」なのか。(-_-;)

> その反対に、快楽は混乱と厄介者であり、幸福になるには何かをもち、何か
> をしなければならないという偽りの確信を、単に増長するだけなのだ。

なるほど。

快楽は、幸福には何かが必要だという偽りの確信を増長するわけかぁ。

わかった……。(-_-;)

え、でも、快楽が偽りの確信を増長することはわかったけど、なんで幸福にな
ろうとしちゃいけないんだったっけ? (?_?)

> しかし、なぜ幸福について話さなければならないのか?
> 不幸であるとき以外、幸福について話したりはしない。(p505)

そ、そりゃそうだけど。(*@_@*)

----------------------------------------------------------------------
 「私は今幸せです」と言う人は、過去と未来という二つの不幸の間にいるの
 だ。
 この幸福は苦痛から解放されたことによる単なる興奮にすぎない。
 
                          『私は在る』(p505)
----------------------------------------------------------------------

ガーン! (*_*)

> 「私は今幸せです」と言う人は、過去と未来という二つの不幸の間にいるの
> だ。

ホントだ! (@_@)

これは、ホントにホントだわ……。(-_-;)

時間のなかで変化と崩壊は不可避なのだから……。

で、でも……そうじゃない本当の幸福ってのもあるんでしょ?

----------------------------------------------------------------------
 真の幸福とは、まったく自己意識のない状態だ。
 それがもっとも良く表されるのは否定によって、「何も私には間違ったとこ
 ろはない。私には何も心配することがない」と言うことだ。
 結局、すべてのサーダナの最終的な目的は、この確信が言葉上のものでなく、
 実際の常在の体験を根底にした地点に到達することなのだ。
 
                          『私は在る』(p505)
----------------------------------------------------------------------

(*_*)

> 真の幸福とは、まったく自己意識のない状態だ。

そうか……そういうことなのか……。(-_-)

それ以外に真の幸福はありえないわけだ……。

> それがもっとも良く表されるのは否定によって、「何も私には間違ったとこ
> ろはない。私には何も心配することがない」と言うことだ。

“地味”だなぁ……いや、渋いなぁ……。(-_-;)

> 結局、すべてのサーダナの最終的な目的は、この確信が言葉上のものでなく、
> 実際の常在の体験を根底にした地点に到達することなのだ。

そういうことだったんだ……。

(@_@)

じゃ……そのためにはどうしたらいいんだっけ? 

----------------------------------------------------------------------
 自分の存在に完全に気づいていなさい。
 そうすれば、あなたは意識的に至福のなかにある。
 あなたがマインドを自己から引き離し、あなたではないものにマインドをと
 どめるために幸福の感覚を失うのだ。
                          『私は在る』(p114)
----------------------------------------------------------------------

> 自分の存在に完全に気づいていなさい。

それでいいの? (@_@)

> そうすれば、あなたは意識的に至福のなかにある。

ホント!? (@_@)

> あなたがマインドを自己から引き離し、あなたではないものにマインドをと
> どめるために幸福の感覚を失うのだ。

そういうことなんだ。(@_@)

わたしは幸福になろうとする必要はないんだ。

ただ自分の存在に完全に気づいていさえすれば……。

すべてはわたしのなかにあるのだから……。

その状態に戻るために「私は在る」にフォーカスするのか……。

……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【45 去来するものは存在を持たない】の2回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

どうも途方もなく重要なことが語られているようなのですが……。

> 家を一歩も出たことがないのに、あなたは家への帰り道を尋ねている。

たぶん、ここでの「あなた」↑は実在(気づき)ですね。

あなたはマインドではないのに、マインドからの出方を尋ねている、というよ
うな意味か……。

> 誤った考えを捨て去りなさい。
> それだけだ、
> 正しい考えを寄せ集めることも助けにはならない。
> ただ、想像することをやめなさい。

マインドのなかで画策することはじつは一切役に立たない、ということか。

> はじまりのないものに原因はありえない。
> あなたは、あなたが何であるかを知っていて、それから忘れてしまったわけ
> ではない。

この“あなた”↑はマインドだ……。

マインドは最初から知らないんだ、じつは自分が存在しないことを。

> 無知にははじまりがない。
> しかし、終わりはある。

マインドの旅には終わりがあるんだ。

> あなたが身体の中に生まれて、はじめて世界は存在を表す。
> 身体がなければ、世界はない。
> まずあなたが身体なのかどうか、探求しなさい。

ははー……。(-_-)

では、【45 去来するものは存在を持たない】の2回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 こんなにも多くの指導や援助にもかかわらず、私たちが進歩をとげ
     ないのはなぜでしょうか?
 
 マハラジ
 私たちが自分たちを他者からまったく離れた、分離した人物だと想像するか
 ぎり、本質的に非人格である実在を理解することはできない。
 まず私たちが次元も時間も超えた観察の中心である観照者としての私たち自
 身を知らなければならない。
 そしてそのとき、マインドと物質の両方であり、そのどちらをも超えた広大
 無辺で純粋な覚醒の大洋を悟るのだ。
 
 質問者 実在において私が何であろうと、私は小さな分離した数多くのなか
     のひとりの個人だと感じます。
 
 マハラジ
 あなたが個人として在るのは、時間と空間という幻想のためだ。
 あなたが自分をある容積を占有する、ある点だと想像しているからだ。
 あなたの人格は身体との同一視によるものだ。
 あなたの思考と感情は時間の連鎖のなかに存在し、記憶があなた自身をある
 期間、存在しつづけていると想像させるのだ。
 実際には、時間と空間があなたのなかに存在する。
 あなたが時間と空間のなかに存在するのではない。
 それらは知覚の様式だ。
 だが、それらがすべてなのではない。
 時間と空間は紙の上に書かれた文字のようなものだ。
 紙は現実だが、言葉は表現のための約束事にすぎない。
 あなたは何歳だろうか?
 
 質問者 四十八です。
 
 マハラジ
 何があなたを四十八歳と言わせるのだろう?
 何があなたを「私はここにいます」と言わせるのだろう?
 憶測から生まれた言葉の習慣だ。
 マインドは時間と空間をつくり出し、自らの創造を実在と見なすのだ。
 すべては今ここに在る。
 だが、私たちはそれを見ない。
 本当は私のなかに、私によってすべてが在る。
 ほかには何もない。
 「ほか」という考えそのものが災いなのだ。
 
 質問者 人格化の原因、時間と空間のなかでの自己限定の原因は何なのでし
     ょうか?
 
 マハラジ
 存在しないものが原因をもつことはできない。
 分離した個人というようなものは存在しないのだ。
 経験的見地から言っても、すべてがすべての原因であることは明らかだ。
 すべてはあるがままだ。
 なぜなら、宇宙全体があるがままだからだ。
 
 質問者 それでも、人格に原因はあるはずです。
 
 マハラジ
 人格はどのようにして存在を持つのだろうか?
 記憶によってだ。
 現在を過去と同一視し、未来へと投影することによってだ。
 あなた自身を過去も未来もない、一時的なものとして考えてみなさい。
 あなたの人格は消え去るだろう。
 
 質問者 「私は在る」は残らないのでしょうか?
 
 マハラジ
 「残る」という言葉は当てはまらない。
 「私は在る」はつねに新鮮なものなのだ。
 あなたが在るために、覚えている必要はない。
 実際問題として、あなたが何かを体験する前に、そこには存在の感覚がなけ
 ればならないからだ。
 現在、あなたの存在は体験することと混同している。
 あなたに必要なことは、体験のもつれから存在を解きほどくことだけだ。
 ひとたびあなたがあれやこれとして在ることのない純粋な存在を知ったなら
 ば、もはやそれを体験のなかから認識することも、名前や形によって迷わさ
 れることもないだろう。
 
 自己限定は人格の主要な本質なのだ。
 
 質問者 どのようにして私は普遍的になれるのでしょうか?
 
 マハラジ
 だが、あなたは普遍なのだ。
 あなたはすでにそうであるものになることはできないし、またなる必要もな
 い。
 ただ、あなた自身が特定の存在だと想像するのをやめなさい。
 去来するものは存在をもたない。
 それはその現れそのものが実在のおかげをこうむっている。
 あなたは世界が在ることを知っているが、世界はあなたのことを知っている
 だろうか?
 すべての知識は、すべての存在とすべての喜びとしてあなたから生じる。
 あなたが永遠の源であり、すべてはあなた自身のものなのだと悟りなさい。
 そのような受容が真の愛なのだ。
 
 質問者 あなたの言われることはどれもすばらしい話です。しかし、どのよ
     うにしてそれをひとつの生き方にすればよいのでしょうか。
 
 マハラジ
 家を一歩も出たことがないのに、あなたは家への帰り道を尋ねている。
 誤った考えを捨て去りなさい。
 それだけだ、
 正しい考えを寄せ集めることも助けにはならない。
 ただ、想像することをやめなさい。
 
 質問者 それは達成という問題ではなく、理解の問題なのですね。
 
 マハラジ
 理解しようとしてはならない
 誤解しなければそれで充分だ。
 解放を得るためにマインドに頼ってはいけない。
 あなたを束縛へと追いやったのはマインドなのだ。
 それをすべて超えていきなさい。
 
 はじまりのないものに原因はありえない。
 あなたは、あなたが何であるかを知っていて、それから忘れてしまったわけ
 ではない。
 ひとたび知れば、あなたは忘れることはできない。
 無知にははじまりがない。
 しかし、終わりはある。
 
 誰が無知なのか、と探求しなさい。
 そうすれば、無知は夢のように溶け去る。
 世界は矛盾でいっぱいだ。
 それゆえ、あなたは調和と平和を探しているのだ。
 それらを世界のなかに見いだすことはできない。
 世界とは混沌(こんとん)の子供だからだ。
 秩序を見いだすためには、あなたは内面を探求しなければならない。
 あなたが身体の中に生まれて、はじめて世界は存在を表す。
 身体がなければ、世界はない。
 まずあなたが身体なのかどうか、探求しなさい。
 世界を理解することは、後にそれにしたがってやってくるだろう。
 
                        『私は在る』(p222-224)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

そうかぁ……。

(-||-)

> 質問者 こんなにも多くの指導や援助にもかかわらず、私たちが進歩をとげ
>     ないのはなぜでしょうか?

言えてる。

> マハラジ
> 私たちが自分たちを他者からまったく離れた、分離した人物だと想像するか
> ぎり、本質的に非人格である実在を理解することはできない。

わかるような気がします。

> まず私たちが次元も時間も超えた観察の中心である観照者としての私たち自
> 身を知らなければならない。

「次元も時間も超えた観察の中心である観照者」……。

気のせいか……だんだん……そんな気分になってきた。(^^;)

> そしてそのとき、マインドと物質の両方であり、そのどちらをも超えた広大
> 無辺で純粋な覚醒の大洋を悟るのだ。

そうか……。

> 質問者 実在において私が何であろうと、私は小さな分離した数多くのなか
>     のひとりの個人だと感じます。

ま、そういう言い方をすれば……そうなっちゃうけど。

> マハラジ
> あなたが個人として在るのは、時間と空間という幻想のためだ。
> あなたが自分をある容積を占有する、ある点だと想像しているからだ。

ああ、なるほど。

> あなたの人格は身体との同一視によるものだ。

まったくです。(*-_-*)

> あなたの思考と感情は時間の連鎖のなかに存在し、記憶があなた自身をある
> 期間、存在しつづけていると想像させるのだ。

「思考と感情は時間の連鎖のなかに存在」しているのか……。

そして「記憶が」自分を「ある期間、存在しつづけていると想像させる」のか。

> 実際には、時間と空間があなたのなかに存在する。

時間と空間は意識のなかにあって、意識は気づきのなかにあるから。

そして気づいているのはわたしだから。

> あなたが時間と空間のなかに存在するのではない。

わかりました。

> それらは知覚の様式だ。

時間と空間は「知覚の様式」か。

たしかに。

> だが、それらがすべてなのではない。

だが、時間と空間がすべてなのではない。

> 時間と空間は紙の上に書かれた文字のようなものだ。

実在するものの上に載っている意味のシンボルのようなもの。

> 紙は現実だが、言葉は表現のための約束事にすぎない。

「気づき」はリアルだが、時間と空間は表現のための約束事にすぎない。

> あなたは何歳だろうか?
> 
> 質問者 四十八です。
> 
> マハラジ
> 何があなたを四十八歳と言わせるのだろう?

う……。

> 何があなたを「私はここにいます」と言わせるのだろう?

だって、実際にここにいるし……ねえ。(^_-)

> 憶測から生まれた言葉の習慣だ。

“言葉の習慣”かぁ……ま、そう言やそうだけど。

> マインドは時間と空間をつくり出し、自らの創造を実在と見なすのだ。

おお! (*_*)

(これは……わたしらには言えん。(-_-;))

> すべては今ここに在る。

そうなんだ。

> だが、私たちはそれを見ない。

はい。

> 本当は私のなかに、私によってすべてが在る。

そうか……。

> ほかには何もない。

じつは、ほかには何もない。

わかるような。

> 「ほか」という考えそのものが災いなのだ。

そうなんだ。

> 質問者 人格化の原因、時間と空間のなかでの自己限定の原因は何なのでし
>     ょうか?

うん。

> マハラジ
> 存在しないものが原因をもつことはできない。

ああ、これはイエスが言う“天国の神はわれわれの世界を知らない”と通底す
るところがあるような。

> 分離した個人というようなものは存在しないのだ。

そういうことだよなぁ。

こういう言葉を聞く瞬間には……それしかありようがないと思うんだけど。

> 経験的見地から言っても、すべてがすべての原因であることは明らかだ。

たしかに。

この“わたし”の身体すら地球がなければ存在できないし、地球だって太陽が
なければ存在できないわけですから。

> すべてはあるがままだ。

わかります。

> なぜなら、宇宙全体があるがままだからだ。

了解です。

すべてがすべてに関わりあっていて、どんな特定の原因を取り出して叙述する
こともできない在り方を、“あるがまま”と言うんですよね。

> 質問者 それでも、人格に原因はあるはずです。

このひと粘った。(^_-)

> マハラジ
> 人格はどのようにして存在を持つのだろうか?

どのようにして?

> 記憶によってだ。

おお……、たしかに。

> 現在を過去と同一視し、未来へと投影することによってだ。

そのとおりです。

> あなた自身を過去も未来もない、一時的なものとして考えてみなさい。

そうか。(-_-;)

> あなたの人格は消え去るだろう。

わかります。

> 質問者 「私は在る」は残らないのでしょうか?

実在する唯一の“アイデンティティ”のことね。

> マハラジ
> 「残る」という言葉は当てはまらない。

はあ……。

> 「私は在る」はつねに新鮮なものなのだ。

なるほど。

> あなたが在るために、覚えている必要はない。

それは……わかります。

> 実際問題として、あなたが何かを体験する前に、そこには存在の感覚がなけ
> ればならないからだ。

でた。

> 現在、あなたの存在は体験することと混同している。

英文を見なくちゃわからないけど、なんか舌足らずなような……。

“あなたは存在することを体験することと混同している”の意味か、それとも

“あなたの存在は存在することと体験することを混同している”の意味か。

“あなたの存在は、体験することと混同されている”のような意味か……。

> あなたに必要なことは、体験のもつれから存在を解きほどくことだけだ。

存在するために体験する必要はない……ということを理解すること?

要するに、ただ在ればいい……ということを理解すること?

あなたに必要なことは、体験を手放して、ただ在ることだけだ……の意味?

> ひとたびあなたがあれやこれとして在ることのない純粋な存在を知ったなら
> ば、もはやそれを体験のなかから認識することも、名前や形によって迷わさ
> れることもないだろう。

ああ……今度ははっきり意味がわかります。

いったん自分が何であるかを知ったら、その何か(あなた)が体験を求めたり、
名前や形が自分と関わりがあるなどという幻想を抱くことはないだろう。

> 自己限定は人格の主要な本質なのだ。

「人格」とは、単に自己限定によって発生した幻想にすぎない。

> 質問者 どのようにして私は普遍的になれるのでしょうか?

うう……。

> マハラジ
> だが、あなたは普遍なのだ。

うん。

> あなたはすでにそうであるものになることはできないし、またなる必要もな
> い。

わかります。

> ただ、あなた自身が特定の存在だと想像するのをやめなさい。

これが、われわれにはメチャ難しい。(-_-;)

> 去来するものは存在をもたない。

「去来するものは存在をもたない」

非常にわかりやすい目印です。(-||-)

> それはその現れそのものが実在のおかげをこうむっている。

「実在」在るがゆえに、去来するものは“現れる”ことができる。

> あなたは世界が在ることを知っているが、世界はあなたのことを知っている
> だろうか?

おお……ここだ。

「あなた」在るがゆえに、世界は“現れる”ことができているのだ、と。

> すべての知識は、すべての存在とすべての喜びとしてあなたから生じる。

おお……。

すべての知識は、森羅万象とすべての喜びとしてわたしから生じている。

(和田先生は「悦び」という文字を使っていたっけ。)

> あなたが永遠の源であり、すべてはあなた自身のものなのだと悟りなさい。

ああ……。(-||-)

> そのような受容が真の愛なのだ。

「そのような受容」……。(-_-;)

そうか……すべてを自分自身として受容することが真の愛なのか……。

言葉としては……わかります。

> 質問者 あなたの言われることはどれもすばらしい話です。しかし、どのよ
>     うにしてそれをひとつの生き方にすればよいのでしょうか。

まったく。(*-_-*)

> マハラジ
> 家を一歩も出たことがないのに、あなたは家への帰り道を尋ねている。

ギョ。(*@_@*)

> 誤った考えを捨て去りなさい。
> それだけだ。

そうか……。

誤った考えを獲得する以前に戻らなければならないのか。

「幼子の如くならずば、天国に入ること能わず」

> 正しい考えを寄せ集めることも助けにはならない。

はい。

よくわかります。

そればかりやってきましたから。(;_;)

> ただ、想像することをやめなさい。

……。

それが「私は在る」にフォーカスし続けることなのか……。

> 質問者 それは達成という問題ではなく、理解の問題なのですね。

なんですよね。

> マハラジ
> 理解しようとしてはならない

アチャ。(>_<)

> 誤解しなければそれで充分だ。

そんな。(;_;)

> 解放を得るためにマインドに頼ってはいけない。

ああ……。

ここだ。

> あなたを束縛へと追いやったのはマインドなのだ。

たしかに。

> それをすべて超えていきなさい。

そうか……。

> はじまりのないものに原因はありえない。

え。(?_?)

ああ……、マインドのなかで原因を求めては(理解しようとしては)いけない
ということか。

> あなたは、あなたが何であるかを知っていて、それから忘れてしまったわけ
> ではない。

へー。

> ひとたび知れば、あなたは忘れることはできない。

そうなんだ。

その意味では、知らない状態から知っている状態への一方通行か……。

> 無知にははじまりがない。
> しかし、終わりはある。

おお……。

> 誰が無知なのか、と探求しなさい。
> そうすれば、無知は夢のように溶け去る。

なんと! (@_@)

> 世界は矛盾でいっぱいだ。

はい。

> それゆえ、あなたは調和と平和を探しているのだ。

そのとおりです。

> それらを世界のなかに見いだすことはできない。

わかります。

> 世界とは混沌(こんとん)の子供だからだ。

ああ……。

> 秩序を見いだすためには、あなたは内面を探求しなければならない。

そうだ……。

それ以外にありっこない。

> あなたが身体の中に生まれて、はじめて世界は存在を表す。

はい。

> 身体がなければ、世界はない。

わかります。

> まずあなたが身体なのかどうか、探求しなさい。

はい。

> 世界を理解することは、後にそれにしたがってやってくるだろう。

わかりました。

ありがとうございました。(-||-)

……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
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もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
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おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


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■ 3.いただいたお手紙から:ドン・ガバチョさん
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▼『アセンション館通信』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単なるメールな
ど、ご自由にお書きいただければと思います。


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今回、ドン・ガバチョさんから2通のご意見をご投稿いただきました。

早速、ひとつ目からご紹介します。

【件名】:二元の関係性
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 さて、中座した所は二元の関係性でしたね。
 
 この世においては、万物は二元の関係性(コントラスト)として湧き出ます。
 実際、私たちがこの世で授かっている五感というセンサーは、二元の関係性
 (コントラスト)だけを感知しています。
 
 私たちの全ての知覚は、五感センサーが感知する二元の関係性の重畳(ちょ
 うじょう)です。
 
 この世におけるその感知された関係性こそが、「存在」のひとつの断片です。
 
 そして、「存在」の断片である「関係性そのもの」には、善も悪も、好きも
 嫌いも、明も暗も在りません。
 
 本来は無垢である関係性に、善悪、好悪、明暗というラベル貼りゲームを持
 ち込むのは、人間の造り出した宗教・観念です。
 
 無垢なる関係性へ、宗教・観念が着色する色調は「分離」です。
 分離――つまり、敵対、versus、離反、裁きです。
 
 
 非宗教・非観念は、関係性というコントラスト(差分)に、ただ「統合」を
 識(し)るばかりです。
 コントラスト(差分)が在るからこそ、融和・統合を認めるのです。
 統合――つまり、融合、with、合一、思い遣りです。
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ふたつ目のご投稿です。

【件名】:意味を求める無意味な遊戯
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 意味を求める無意味な遊戯
 
 宗教・観念は、「関係性」という琴の弦(げん、つる)の一方の端点に自己
 を同一化させようと試みます。
 その自己同一化の試みとは、自己を取り巻く「出来事(関係性)」に自己に
 都合のいい「意味」を求める試みです。
 善人、優等生、エリート、被害者、犠牲者、滅私奉公・・・・
 
 宗教・観念という泥に汚れた視界不良の底なし沼で、
 遮眼帯(しゃがんたい)を装着した馬車馬が、
 この上さらに、自ら目隠しをしてグルグル回ってスイカ割りごっこ・・・
 
 スイカはどこ?
 美味しいスイカはどににある?
 ここかな? ここだな?
 間違いないぞ。よーし。
 エイ、ヤッ! ・・・・
 
 スイカ割りごっこの本質は、外れる(外す)ことにあります。
 外れる(外す)からこそ面白い。
 当ててしまえばゲームはジ・エンド。
 当たらないことを全てのゲーマーが暗黙の裡(うち)に期待し、またルール
 としています。
 
 やった、また外れたぞ!
 楽しい、面白い!
 次は僕の番だ!
 よーし、やったるでー・・・(でも、外さなきゃ)
 
 ―――――――――
 
 人気ブログ「伊勢ー白山道」のブログ主・伊勢白山道さんは、「過去と未来
 よりも今」(2009-07-10)の中で、
 
 現代社会で生きる人々の中には、自分の身の回りで起こった事の意味を知り
 たがる人がとても多いです。
 ・・・・・・・(中略)
 生きていれば色々と起こるものです。
 意味などありません。
 何故なら、それを「経験」しに来たのが本当の目的だからです。
 
 と述べています。
 
 ―――――――――
 
 「存在」の顕れである「関係性」という琴の弦(げん、つる)には端点は無
 かったのでした。
 何故なら、森羅万象、この世に顕現するあらゆるものは、「二元の『相対』
 の関係性」の重畳(ちょうじょう)なのですから。
 
 非宗教・非観念は、「関係性」という琴の弦の端点に自己を同一化しような
 どという無意味な「意味探求」の足掻(あが)きを放下(ほうげ)させるの
 でした。
 
 一方、宗教・観念は、「関係性」という琴の弦の一方の端点にワタシを同一
 化させようと仕掛けます。
 その自己同一化の試みとは、自己を取り巻く「出来事(関係性)」に、自己
 に都合のいい「意味」を求める試みです。
 宗教・観念は、この琴の弦にあたかも固定された端点があるかの様に見せて
 くれるので御座います。
 
 ―――――――――
 
 スイカ割りごっこの本質は、外れる(外す)ことにあります。
 そのゲームの本質を誰もが了解していながら皆が皆、当てることに一所懸命
 のフリをする・・・
 実は、一所懸命のフリをするのが、このゲームの裏本質(本質の本質)なの
 でした。
 
 「関係性」という琴の弦にありもしない端点を浮かび上がらせ、その端点に
 自己を帰着させ、都合のいい自己存在の「意味」を被(かぶ)せるという際
 限の無い幻想ゲームの基盤が宗教・観念です。
 
 未だにこの幻想ゲームが楽しくて仕方が無い方もいらっしゃる様で御座いま
 す。
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ドン・ガバチョさん、ご投稿ありがとうございました。

m(_ _)m


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■ 4.編集後記:それは去来する世界のなかにはありえないのですね。
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喜怒哀楽はマインドのなかにしかないということが、だんだん自明になってく
るようです。

そういうものは去来するものとして意識のなかにしかない。

意識のなかでの幸福の探求にほとほと疲れて平和を求めたわけですが……。

> 世界は矛盾でいっぱいだ。
> それゆえ、あなたは調和と平和を探しているのだ。
> それらを世界のなかに見いだすことはできない。
> 世界とは混沌(こんとん)の子供だからだ。

それは去来する世界のなかにはありえないのですね。

> 秩序を見いだすためには、あなたは内面を探求しなければならない。

たしかに、そういうわけです。

> あなたが身体の中に生まれて、はじめて世界は存在を表す。
> 身体がなければ、世界はない。
> まずあなたが身体なのかどうか、探求しなさい。

やっと、そういうことが腑に落ちてきました。

それではおやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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