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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.279 2009/8/9(第279号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 957名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.実在は究極的に慎み深い

2.写経ニサルガダッタ:【39 それ自体で独立した存在はない】の2回目

3.「ご投稿・情報提供」:ドン・ガバチョさん

4.編集後記:それぐらいは、わたしも“知っている”

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■ 1.実在は究極的に慎み深い
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頭のなかをニサルガダッタの言葉が乱反射して、はかばかしく言葉も出なくな
って……。(^^;)

いえ、マインドは問題を創ろうとしてウズウズしてはいるんですが。

そのたんびに、マインドに溜めこんだニサルガ師匠の言葉が“モグラ叩き”み
たいに出てきてそれをねらい打ちするものだから……。

このところ、マインドさんもちょっと元気が出ないみたいです。

ふふ。

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

まあ、要するに、肉体を預かる身でいるうちは、必要最小限の仕事をこなしな
がら、あまり余計なお荷物を抱えないでいくことですよね。

結構、やらなければならないことが何やかやいつも出てくるもんだし。

最小限の応対をしているだけで手一杯です。

マインドの“根切り”をするということは、もうこれ以上マインドが存在でき
なくなるほどにマインドを無視しきるということでしょう。

どんなマインドもついには諦めて、わたしを鷲掴みにしていたグリップを手放
さざるをえないほどに。

ところがそういうことは、現代の日本社会に生きている者には……そしてそこ
で生存の夢を観ている者には……なかなか難しいです。(;_;)

ま、そんな弁解をしたところで、自分を誤魔化す以外のどんな役にも立たない
ことは明らかですが。(-_-;)

それに……別に弁解しようとも思っていませんし。

すべて……執着なんですよね。

でも……わたしがこれまで触れたことのある情報のなかで……これほど納得の
いく……これほど混ぜものなしの……純金無垢の情報はありません。

だから……もうこの道しかないことは……わかっているんです。

できるだけ……ただ「私は在る」ことだけを覚えていて……その他はマインド
のつくり出すあらゆる騒音をただ無視する……。

それしかないということを……何度も何度も再確認するだけです。

できるだけ……ですけど。

だって……マインドがわたしに対するグリップを手放すかどうかは……わたし
の希望的観測にはよらないわけですから。

ただただ……わたしが本当にそれを望んでいるかどうかしかないわけだから。

そこに偶然も……恣意も……依怙贔屓も……働く余地はありません。

ただ自分が本当に望んでいるかどうかだけ。

「実在」は究極的なまでに慎み深い。

絶対に出しゃばらない。

あらゆる騒音が死に絶えたのちにしか明らかになりえない実在だから。

----------------------------------------------------------------------
 誠実さとは、努力の結果を熱望することではない。
 それは偽り、非本質的、個人的なものから興味をそらし、内なる移行をする
 ことの表現なのだ。
                          『私は在る』(p474)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

そういうことなんですよね。

ところがマインドはややこしい。

> 私たちは複雑な存在で、内側でも外側でも争っている。
> 昨日の仕事を今日取り消し、つねに自分自身に矛盾している。

まったく、やっていることはと言えば……そればかりです。(*-_-*)

> 身動きがとれなくなるのも無理はない。

(/_;)

----------------------------------------------------------------------
 ほんのわずかな誠実さが大きな違いを生み出すのだ。
                          『私は在る』(p137)
----------------------------------------------------------------------

……だと思います。

まだ……こうして書くことが……役に立つと……思えるのか……。(-_-)

……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【39 それ自体で独立した存在はない】の2回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

結局、いまここの時点から……どこにも向かわないマインドの状態が必要条件
ということでしょうね。

無欲とか、無目的という言葉があるけれど……。

外界が問題なのではなく、それに連動して心のなかを“動くもの”を排除して
いく作業がサーダナとでもいうのか。

> 明晰(めいせき)性と無執着が支配すると、観照意識が現れる。

のだそうです。

> それは水が澄んで静かならば、月の影が映るような、あるいはダイヤモンド
> のなかで太陽の光線がきらめきを放つようなものだ。

まことに……美しい……。

では、【39 それ自体で独立した存在はない】の2回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 無条件なるものを体験することはできるのでしょうか?
 
 マハラジ
 条件づけを条件づけとして知ること、それが無条件なるものについて言える
 ことのすべてだ。
 肯定的言語は単に示唆するだけであり、かえって迷わせるのだ。
 
 質問者 観照を実在として語ることはできるでしょうか?
 
 マハラジ
 それはできない。
 私たちに語ることができるのは、ただ非実在、幻想、一時的なもの、条件づ
 けされたものだけだ。
 その彼方へと行くには、私たちは独立した存在をもつとされるすべてを完全
 否定していかなければならない。
 すべてのものごとは依存しているのだ。
 
 質問者 それは何に依存するのでしょうか?
 
 マハラジ
 意識に依存する。
 そして意識は観賞者に依存するのだ。
 
 質問者 そして観照者は実存に依存するのでしょうか?
 
 マハラジ
 観照者は実在の純粋な反映だ。
 それはマインドの状態に依存する。
 明晰(めいせき)性と無執着が支配すると、観照意識が現れる。
 それは水が澄んで静かならば、月の影が映るような、あるいはダイヤモンド
 のなかで太陽の光線がきらめきを放つようなものだ。
 
 質問者 すべての体験が条件づけられているため、無条件なるものが体験で
     きないのだとしたら、なぜそれについて話すのでしょうか?
 
 マハラジ
 無条件なるものなしで、どうして条件づけされたものの知識がありうるだろ
 う?
 そこには、これらすべてが現れだす源、すべてが存在するための土台がなけ
 ればならない。
 自己の条件づけの知識、そして条件づけの無限の多様性は、私たちの条件づ
 けされることと多様性を起こさせる無限の能力に依存している。
 真我の実現とは、根本的にそれに気づくことなのだ。
 条件づけされたマインドには、無条件なるものは完全性として現れるか、あ
 るいはすべての不在性として現れるのだ。
 どちらも直接体験はありえない。
 しかし、それが非存在を意味しているわけではないのだ。
 
 質問者 それは感情ではないでしょうか?
 
 マハラジ
 感情もまたマインドの状態だ。
 健康な身体は注意を呼び起こさない。
 同様に体験から自由な無条件なるものもまたそうなのだ。
 死の体験をとってみなさい。
 普通の人は死を恐れる。
 なぜなら、彼は変化を恐れるからだ。
 ジニャーニは恐れない。
 なぜなら、彼のマインドはすでに死んでいるからだ。
 彼は「わたしは生きている」と考えない。
 彼は「そこに生命が在る」と知っている。
 そこには何の変化もなく、死もない。
 死は時間と空間のなかの変化として現れる。
 時間も空間もないところに、どうして死がありうるだろう?
 ジニャーニは名前と形に対してすでに死んでいる。
 時間と空間を失うことがどうして彼に影響を与えるだろうか?
 列車に乗った人は、ひとつところからつぎへと旅していく。
 だが、列車を降りた人はどこへも行かない。
 なぜなら、彼は目的地に縛られないからだ。
 彼はどこへも行くところはなく、何もすることはなく、何になることもない。
 計画を持つ人は、それを実行するために生まれてくるだろう。
 計画を持たない人は生まれてくる必要はない。
 
 質問者 苦痛と快楽の目的は何でしょうか?
 
 マハラジ
 それらはそれら自体で存在するだろうか?
 あるいはマインドのなかにだけ存在するのだろうか?
 
 質問者 それでも、それらは存在します。マインドはともかくも。
 
 マハラジ
 苦痛と快楽は、誤った知識と誤った感情の結果の単なる兆候にすぎない。
 結果がそれ自体の目的をもつことはできない。
 
 質問者 神の経済学では、すべてが目的をもっていなければなりません。
 
 マハラジ
 あなたは思うままに神について語っているが、彼を知っているのかね?
 あなたにとって神とは何かね?
 ひとつの音だろうか?
 紙面上のひとつの文字、あるいはマインドのなかのひとつの概念だろうか?
 
 質問者 彼の力によって私は生まれ、生き続けているのです。
 
 マハラジ
 そして苦しみ、死ぬのだ。
 あなたはそれが嬉しいかね?
 

 質問者 私が苦しみ死ぬのなら、それは私の過ちかも知れません。私は永遠
     の生として創造されたのです。
 
 マハラジ
 なぜ未来における永遠であって、過去への永遠ではないのだろうか?
 はじまりあるものは終わらなければならない。
 はじまりのないものだけが無窮(むきゅう)なのだ。
 
 質問者 神は単なる概念なのかも知れません。それでもとても有効な概念で
     す!
 
 マハラジ
 それならば、内なる矛盾から自由になるべきだ。
 だが、それは無理だろう。
 どうしてあなた自身があなたの創造者であり創造物だという理論を調べない
 のだろうか?
 少なくともそこには争うべき外側の神はいないだろう。
 
 質問者 世界はこんなにも豊かで複雑です。どうやって私にそれをつくり出
     せるというのでしょうか?
 
 マハラジ
 何ができ、何ができないのかを知るほど、あなたは充分あなた自身を知って
 いるだろうか?
 あなたは自分の力を知らないのだ。
 あなたは一度も調べたことがない。
 自分自身とともに、今はじめなさい。
 
 質問者 誰もが神を信じています。
 
 マハラジ
 私にとっては、あなたがあなた自身の神だ。
 だが、あなたが別の考え方をするならば、最後までそう考えるがいい。
 もし神がいるならば、すべてが神のものであり、すべては最上の目的のため
 にある。
 やってくるものは何であれ、喜びと感謝の心をもって歓迎しなさい。
 そしてすべての創造物を愛しなさい。
 これもまたあなたを真我へと導くだろう。
 
                        『私は在る』(p194-196)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

まことに……。(-||-)

> 質問者 無条件なるものを体験することはできるのでしょうか?

無条件は知覚することすらできないんじゃないでしょうか……。

> マハラジ
> 条件づけを条件づけとして知ること、それが無条件なるものについて言える
> ことのすべてだ。

条件づけを条件づけとして知れば、それ以上無条件に関してできることはなに
もない、ということですね。

> 肯定的言語は単に示唆するだけであり、かえって迷わせるのだ。

わかります。

> 質問者 観照を実在として語ることはできるでしょうか?

さあ、これも確認しておかなくっちゃ。

> マハラジ
> それはできない。

やっぱり。

> 私たちに語ることができるのは、ただ非実在、幻想、一時的なもの、条件づ
> けされたものだけだ。

わかります。

> その彼方へと行くには、私たちは独立した存在をもつとされるすべてを完全
> 否定していかなければならない。

そういうことなんだ……。(-_-;)

> すべてのものごとは依存しているのだ。

あらゆる有形物(=名前と形)は何らかの構造体(=全体)の一部でしかあり
えない、ということですね。

> 質問者 それは何に依存するのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> 意識に依存する。

そうか。

> そして意識は観賞者に依存するのだ。

なるほど。

> 質問者 そして観照者は実存に依存するのでしょうか?

このひと詰めた。偉い。

> マハラジ
> 観照者は実在の純粋な反映だ。

なるほど。(-_-;)

「観照者」というのは「実在の純粋な反映」なのか……。

> それはマインドの状態に依存する。

準備ができた“マインドの状態”がなければ「観照者」はありえないわけだ。

> 明晰(めいせき)性と無執着が支配すると、観照意識が現れる。

明晰で無執着な“マインドの状態”が調ったとき「観照意識」が現れるのか。

> それは水が澄んで静かならば、月の影が映るような、あるいはダイヤモンド
> のなかで太陽の光線がきらめきを放つようなものだ。

なんと見事な表現……。(-_-)

> 質問者 すべての体験が条件づけられているため、無条件なるものが体験で
>     きないのだとしたら、なぜそれについて話すのでしょうか?

そういう言い方もわかるけど……でもなぁ。

> マハラジ
> 無条件なるものなしで、どうして条件づけされたものの知識がありうるだろ
> う?

ああ、そうか。

“(知覚可能な)条件づけされたもの”の知識の可能根拠について語っている
わけか。

> そこには、これらすべてが現れだす源、すべてが存在するための土台がなけ
> ればならない。

それ自体を直接知ることは不可能で、その反映(=影)によってしか知りえな
いものもある……ということか。

> 自己の条件づけの知識、そして条件づけの無限の多様性は、私たちの条件づ
> けされることと多様性を起こさせる無限の能力に依存している。

なるほど。

それはわかりますよね。

多次元宇宙の何者にでもなったと思える“無限の(思いこみ)の能力”がある
からこそ、多次元宇宙の何者にも成れるわけですから。

> 真我の実現とは、根本的にそれに気づくことなのだ。

そういう言い方もできるわけけか……。(-_-;)

“無限の思いこみ能力”と「万能」とは、夢の構造体のなかでは、じつは、ま
ったく“同じもの”なんだ。

そして「知覚可能、想像可能なもの」は、すべて幻影、すべて非存在、すべて
夢だということなら、“無限の思いこみ能力”こそが万能の定義だ……。

> 条件づけされたマインドには、無条件なるものは完全性として現れるか、あ
> るいはすべての不在性として現れるのだ。

(*_*)

そ、そういうことか……。

> どちらも直接体験はありえない。

わかりました。

「完全性」も「すべての不在性」も、どちらも直接体験することはできない。

> しかし、それが非存在を意味しているわけではないのだ。

直接体験ができないからと言って、それが存在しないというわけではない。

それが「私は在る」のもうひとつの意味か……。(-_-)

> 質問者 それは感情ではないでしょうか?

それは感情ではないでしょう。(^^;)

> マハラジ
> 感情もまたマインドの状態だ。

はい。(*-_-*)

> 健康な身体は注意を呼び起こさない。
> 同様に体験から自由な無条件なるものもまたそうなのだ。

へー。(@_@)

無条件なるものは注意を呼び起こさないんだ。

なるほどなぁ。

> 死の体験をとってみなさい。
> 普通の人は死を恐れる。

はい。

> なぜなら、彼は変化を恐れるからだ。

その通りです。

> ジニャーニは恐れない。

はい、そうだと思います。

> なぜなら、彼のマインドはすでに死んでいるからだ。

うーむ。(-_-;)

> 彼は「わたしは生きている」と考えない。

あ、なるほど。

> 彼は「そこに生命が在る」と知っている。

はい。

> そこには何の変化もなく、死もない。

ああ……そういうわけですね。

いま「そこに生命が在る」……。

そしていま「そこに死が在る」……。

しかし、「そこ」には何の変化もない……。

たしかに。

> 死は時間と空間のなかの変化として現れる。

はい。

> 時間も空間もないところに、どうして死がありうるだろう?

わかるような。(^_-)

> ジニャーニは名前と形に対してすでに死んでいる。

はい。

> 時間と空間を失うことがどうして彼に影響を与えるだろうか?

まったくです。

> 列車に乗った人は、ひとつところからつぎへと旅していく。

あ、はい。

> だが、列車を降りた人はどこへも行かない。

それはそうですね。

> なぜなら、彼は目的地に縛られないからだ。

自由なわけですね。

> 彼はどこへも行くところはなく、何もすることはなく、何になることもない。

いいなぁ。(-_-)

> 計画を持つ人は、それを実行するために生まれてくるだろう。

なるほど。

> 計画を持たない人は生まれてくる必要はない。

そういうわけだ。

> 質問者 苦痛と快楽の目的は何でしょうか?

ううーむ。

この方の気持ちもわかるような。

> マハラジ
> それらはそれら自体で存在するだろうか?

(?_?)

> あるいはマインドのなかにだけ存在するのだろうか?

ああ、苦痛や快楽がですね。

> 質問者 それでも、それらは存在します。マインドはともかくも。

ははは。(^^;)

> マハラジ
> 苦痛と快楽は、誤った知識と誤った感情の結果の単なる兆候にすぎない。

おおお……。(@_@)

> 結果がそれ自体の目的をもつことはできない。

なるほど。(@_@)

そうか。

ところがマインドは、“結果がそれ自体の目的をもつ”かのような、混乱した
“辻褄合わせ”が大好きなんだ……。

> 質問者 神の経済学では、すべてが目的をもっていなければなりません。

ほらほら……。

すべてには目的があるはずだって。

> マハラジ
> あなたは思うままに神について語っているが、彼を知っているのかね?

うにゃ。(>_<)

> あなたにとって神とは何かね?

え?

> ひとつの音だろうか?

(?_?)

> 紙面上のひとつの文字、あるいはマインドのなかのひとつの概念だろうか?

あじゃ。(>_<)

> 質問者 彼の力によって私は生まれ、生き続けているのです。

いやいや、たしかに、この方はそう教わったのかも。

> マハラジ
> そして苦しみ、死ぬのだ。

はい。

> あなたはそれが嬉しいかね?

そんな。(-_-)

> 質問者 私が苦しみ死ぬのなら、それは私の過ちかも知れません。私は永遠
>     の生として創造されたのです。

そうか……。

この陳述がほんとうにその通りなのかどうかを、調べる必要があるんだ。

> マハラジ
> なぜ未来における永遠であって、過去への永遠ではないのだろうか?

おお……。(@_@)

この言葉の包含を、じっくり考えてみなくては。

> はじまりあるものは終わらなければならない。

わかります。

> はじまりのないものだけが無窮(むきゅう)なのだ。

そのとおりです……。(-_-)

この言葉の意味するところも、じっくり考えてみなくては。

> 質問者 神は単なる概念なのかも知れません。それでもとても有効な概念で
>     す!

ふーむ。

> マハラジ
> それならば、内なる矛盾から自由になるべきだ。

もしそれができるなら……。

> だが、それは無理だろう。

はい。

神がこの多次元宇宙を創造したとする想像のなかで、内的矛盾から解放される
道があるとしたら、“完全な明け渡し”以外の道はないでしょうが……。

> どうしてあなた自身があなたの創造者であり創造物だという理論を調べない
> のだろうか?

はい、わたしはその方が可能性を感じられます。

> 少なくともそこには争うべき外側の神はいないだろう。

というわけです。

> 質問者 世界はこんなにも豊かで複雑です。どうやって私にそれをつくり出
>     せるというのでしょうか?

気持ちはわかる。

でも……。

> マハラジ
> 何ができ、何ができないのかを知るほど、あなたは充分あなた自身を知って
> いるだろうか?

はい。

> あなたは自分の力を知らないのだ。

信じます。

> あなたは一度も調べたことがない。
> 自分自身とともに、今はじめなさい。

(;_;)

> 質問者 誰もが神を信じています。

ふふ。

でも……こういうところで……多数決を持ち出しても……。

せいぜい……自分の運命を多数決にゆだねる結果になるくらいが“落ち”だ。

> マハラジ
> 私にとっては、あなたがあなた自身の神だ。

はい。

> だが、あなたが別の考え方をするならば、最後までそう考えるがいい。

あ、まったく。(@_@)

> もし神がいるならば、すべてが神のものであり、すべては最上の目的のため
> にある。

ということですよね。

> やってくるものは何であれ、喜びと感謝の心をもって歓迎しなさい。

これができれば……それはそれで“一巻の終わり”だなぁ。

妙好人(みょうこうにん)の世界か……。

> そしてすべての創造物を愛しなさい。

そうかぁ。

> これもまたあなたを真我へと導くだろう。

わかります。

でも……これはわたしには手の届かない世界だ……。

……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


        …………○…………○…………○…………


▼『アセンション館通信』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単なるメールな
ど、ご自由にお書きいただければと思います。


        …………○…………○…………○…………


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【新型インフルエンザ:この秋から冬の感染拡大は不可避】

今回も仲間内からの情報を受け売りさせていただきます。m(_ _)m

        …………○…………○…………○…………

WHOの発表では、7月末での新型インフルエンザの死者は1154人。

アメリカのCDC(疾病対策センター)は7月29日、新型インフルエンザの
流行がさらに拡大した場合に備え、ワクチンを優先して接種するべき
人の「順番」を発表し、まず「妊娠中の女性」続いて「生後6カ月以下
の幼児がいる世帯」「緊急医療の従事者」「生後6カ月の赤ちゃんから
24歳の若年層」そして「持病のある成人」となっています。

CDCは、新型インフルに感染した妊娠中の女性が重症化する危険性は、
通常のおよそ4倍にのぼり、感染した場合、早期に治療を受けることが
必要だと警告しています。

アメリカでは、これまでに4万3,771人の感染が確認されていて、
死者は302人にのぼっていますが、実際には100万人以上の感染者がいる
ことが想定されるとのことで、全数検査の意味がないと、7月25日に
米国CDCは、新型インフルの感染確認の全数検査を取り止めるとの
発表もありました。

日本では、まだ感染確認者数が5000名(といっても、4000名が確認
されて1週間以内に5000名に到達)ですが、米国の状況に照らして
考えるならば、感染者数が12万5千人以上、死亡者数が37名といった
状況と同じと考えられるそうです。

先日のNHKの番組「今日の出来事」でも、この秋から冬の感染拡大は
避けられないと東北大学の先生が明言してましたし、WHOの関係者も
もはや収束は不可能との見解です。

抗インフルエンザ薬「タミフル」に対する耐性を持つウイルスが
6症例で確認され、このうち3症例は日本で、残りは、デンマークと
香港、カナダが各1症例です。

        …………○…………○…………○…………


この“奇跡のハーブ”の抽出液は、体外から入ってくるウイルスを多糖体で包
んでクラスターを大きくし、細胞に入るのを防いで体外に排出します。

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■ 3.「ご投稿・情報提供」:ドン・ガバチョさん
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『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』へのご意見・情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


        …………○…………○…………○…………


今回は、ドン・ガバチョさんからご意見のご投稿をいただきました。

早速、ご紹介します。

【件名】: 「豊かさ」とは
----------------------------------------------------------------------
 しばらく中座しておりました・・・・
 
 人は個としても集合としても、些事にも大事にも、常に豊かさを求めて生き
 て来たし、今後も生きていくのでしょうね。
 
 さて、人が求めて止まない「豊かさ」とは何でしょうか?
 相対的かつ多様な関係性の「優」の側――高、正、真、勝、得、上、ポジ
 ティブ、好、美、広、多・・・の側――に立つことが、社会通念上の豊かさ
 です。
 しかし、この関係性はそもそも、社会(人間)が画一的に枠組んだ多様な属
 性に乗っかるコントラスト・差分でしかありません。
 社会(人間)が画一的に枠組んだ多様な属性を「観念」と申します。
 その観念は100%、社会(人間)の恣意性に拠るものです。
 人は明に暗に、多かれ少なかれ、このチンケな観念の些末(さまつ)なコン
 トラストの「優」側に自己同一化を図りながら生きているという訳です。
 あるいは、生きるとは、他者と同意した観念において「優」側への自己同一
 化の企てと言っても良いかと。
 「優」側への自己同一化――これが、人が求めて止まない「豊かさ」の正体
 です。
 現代日本では、「豊かさ」の代名詞は「お金」です。
 「健康」もかなり志向性が高いかと。「容姿」、「家族」、「友人」、「知
 力」、「体力」、「武力」、「面白さ」・・・人それぞれで「豊かさ」を計
 る属性の重みは違うでしょうが、相対的な関係性の「優」側に立たなければ
 ならない=豊かにならなければならない、というベクトル志向の構図は同じ
 です。
 そして、社会はこの「『獲得した』、『認知された』豊かさ」の中だけに
 「幸福」があると信じ込ませます。
 幸福は犠牲を払って=努力をして、掴み取らなければならない、
 他人に幸福そうだと思わせるフリをしなければならない・・・・
 
 現代社会の本質は、観念が生みだす二元の相対関係というシーソー、その
 アップダウンゲームだったのです。
 
 ―――――
 
 さて、人は「出来事」を判断し思考して感情を湧き立たせます。
 判断・思考・感情をここでは「思念」と呼ぶことにします。
 フツフツと途切れることなく湧き立つ「思念」――その「思念」を生起させ
 ているものは・・・・
 「観念」です。
 「観念」が「思念」を産み出しているのです。
 
 歓び、哀しみ、楽しみ、絶望、恐れ、怒り、希望、憧れ、赦し、嫉妬、後
 悔、恥、痛み、恨み、孤独、諦め、感謝、誉れ・・・・
 「出来事」に対する私たちの「思念」は「観念」フィルターを通して顕現さ
 れます。
 
 ということは、ステキな「思念」を体現するには、ステキな「思念」を生起
 させる「観念」を通せば良いことになります。
 「出来事」そのものに意味など有りません。
 (意味を探すとしたなら、自身の「観念」の方でしょう。)
 「出来事」を解釈するフィルター(観念)を変えれば、「思念」が変わりま
 す。
 
 「観念」とは世界観・宇宙観です。
 私たちのモノの見方である「視点・視座」を乗っけているモノの「見え
 方」、それが「観念」です。
 
 私たちは意図を持って「視点・視座」の立ち位置・角度を変える――つまり
 「見方を変える」ことは出来ます。
 しかし「観念」は意図を持ってして変えることは極めて困難です。
 「観念」は、モノゴコロが付くまでに親によって植え付けられ、心身と一体
 化してしまったイロメガネです。
 私たちにとって、自己とほとんど一体化してしまっているイロメガネの存在
 には、気付くことすら難しい・・・
 
 では、私たちは結局は湧き出でるワンパの「思念」を描き代えることは出来
 ないのでしょうか?
 
 ―――――
 
 判断・思考・感情を、私は「思念」と呼びました。
 その「思念」の最終形態は「情緒」です。
 「感情」の奥に潜むフィーリングが「情緒」です。
 実はこの潜んでいるフィーリングにも深さがあって、私たちの意識が感得で
 きる「情緒」の程度には、個人によってかなりのバラツキがあります。
 
 湧き上がった「感情」・「情緒」を私たちは「態度」として表明します。
 「態度」とは、行為・言葉・表情です。
 この表明された「態度」(行為・言葉・表情)が、「観念」にフィードバッ
 クされ、その「観念」強化します。
 
 まとめますと、
 1.「観念」フィルターというイロメガネが出来事がとらえる
 2.「観念」に付随する思念が出来事を判断し、思考を経て「感情・情緒」を
 現出させる
 3.感情・情緒が「態度」として表明・フィードバックされ、「観念」を強化
 する
 というサイクルを造っています。
 
 と言うことは、3 の過程で「態度」を
 ステキな思念を生起させる「観念」用のものに代えれば、
 ステキな「感情・情緒」を体験でき、
 更にその「観念」を成長させることが出来ることになります。
 
 さて、あなたの採る「態度」は、二元の相対関係のシーソーゲームにおける
 「優」の側のものでしょうか?(ヤレヤレ・・・・)
 
 ―――――
 
 昔の人がこう言いました。
 わが身から出るものはいずれ我が身に戻り来る、と。
 お金に執着することなく、喜んで働きましょう。
 かつて一度も傷ついたことがないかのごとく、人を愛しましょう。
 誰もみていないかのごとく自由に踊りましょう。
 誰も聞いていないかのごとくのびやかに歌いましょう。
 あたかもここが地上の天国であるかのように生きていきましょう。
 
        (世界がもし100人の村だったら)
 
 ―――――
 
 悩みなどとは無縁の腹ぺこの子供のようになって食事をしてほしい。
 あなたが飲み込む一口ごとに、幸せでありなさい。
 態度がすべてだ。
 
        (ラムサ)
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ドン・ガバチョさん、ありがとうございました。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


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■ 4.編集後記:それぐらいは、わたしも“知っている”
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「世界のなかで働くことは難しい。
 すべての不必要な仕事をやめることは、さらに難しい。」

まさに自分のことを言われているというか……。(^^;)

なんともはや……。

ほかの誰のせいにもできません。

社会のせいにもするつもりもありません。

そもそも“ほかの誰”とか“社会”などというものがあるのかどうか……。

ニサルガダッタもラマナ・マハルシも、そんなものはないと保証してるけど。

夢を観ながら、しかもそれが夢であると“知っている”……。

それしかないわけです。

わたしも……夢を観ながら、しかもそれが現れにすぎないと“知っている”。

現象世界は、つかの間の現れにすぎない。

それぐらいは、わたしも“知っている”。

では、おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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