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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.280 2009/8/16(第280号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆----------------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 957名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.神の目を通して見れば

2.写経ニサルガダッタ:
     【43 無知は認識できるが、ジニャーナは認識できない】の1回目

3.いただいたお手紙から:良太さん、或る私さん

4.編集後記:読んでくださっている方もいることが伝わったので……

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■ 1.神の目を通して見れば
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このごろ、天気予報って全然当たらないと思いません?

天気予報で「明日は晴れ……」と言えば実際は雨になるし、「明日は雨……」
と言えば実際は降らないし。

いったいどうなっているんでしょう……。(?_?)

それともわたしのところは天気予報の範囲に入らないのかしら。

ま、それならそれで、いっそ気が楽でいいけど。(^^;)

これで天気予報が当たるなんて、ずいぶん気詰まりなものかもしれないし。

“面白みがまったくない”……とかね。

バカなことを言っていれば、たいてい出来事はすぎさっていくものです。

過ぎ去るのが出来事の特質なのだ、とか言って……。(^_-)

なんかこう、ニサルガダッタと天才バカボンのお父さんって、言い方が似てい
ると思いません? (*@_@*)\ゴン!←……バカコケ (\_/) 

そう思うんだけど。(/_;)

ま、いっか。

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

身辺の出来事や身体の状態に感応して一喜一憂しているのは、ただこの身体に
自己同化した個人。

その個人が体験し、その個人が問題にしているだけ。

別にそれ以外に、何か実際に本当の問題というものがあるわけではない……。

と、そんなことが腑に落ちれば……、なんとなく問題などというものはあるよ
うなないような……。

----------------------------------------------------------------------
 あなたが抱えているすべての問題は、あなたの身体の問題――食事、衣服、
 家、友人、名前、名声、安全、生存だということがわからないだろうか?
 これらの問題すべては、あなたが単なる身体ではないと悟った瞬間に消え去
 るのだ。
                           『私は在る』(p23)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(@_@)

言うなぁ、このしと。

> あなたが抱えているすべての問題は、あなたの身体の問題――食事、衣服、
> 家、友人、名前、名声、安全、生存だということがわからないだろうか?

って、そりゃわかりますよ。

だって……まったくもって、本当のことですから。

> これらの問題すべては、あなたが単なる身体ではないと悟った瞬間に消え去
> るのだ。

そうだろうなぁ。(-_-;)

いや、本当にそうだろうと思う。

それ以外にありっこないさ……。

じゃ、客観的に言えば……このすったもんだのどこかに問題はあるのかないの
か……。

いったいニサルガ師匠ならこの有様についてなんと言うのか? (-_-;)

> 神の目を通して見、すべてはこれでいいということを見いだすのだ。

(*_*)

な、なんと……、そうなのか……。(-_-)

ニサルガダッタがわれわれの苦しみを知らないはずはないわけだし……。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 やはり、あなたは世界の途方もない苦しみに気づいているのでしょ
     うか?
 
 マハラジ
 もちろん、あなた以上に気づいている。
 
 質問者 それでは、あなたは何をするのでしょう?
 
 マハラジ
 神の目を通して見、すべてはこれでいいということを見いだすのだ。
 
                           『私は在る』(p45)
----------------------------------------------------------------------

……うん。(-_-)

この質問者はこれで引きさがったのか……。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 いったい、どうしてすべてがこれでいいなどと言えるのですか?
     戦争、搾取、国と民との悲惨な争いを見てごらんなさい。
 
 マハラジ
 それらの苦しみはすべて人間のつくり出したものであり、それらを終結させ
 るのは人間の力の内にある。
 人間を自らの行為の結果に直面させ、そのバランスを取らせるよう要求する
 ことで神は助けている。
 カルマ(因果応報)が公正さのために働く法則だ。
 それは神の癒しの手なのだ。
                           『私は在る』(p45)
----------------------------------------------------------------------

ふーむ。(-_-;)

船井幸雄さんなどがいつもおっしゃっている“起こることはすべて必然・必要
・最善”ということでしょうねぇ。

現象世界について言えることがあるとすれば、要するに、それだけ……。

そういうことだよなぁ。

マハラジが「神の目を通して見、すべてはこれでいいということを見いだす」
のだとすれば……。

その上にわたしなどが個人の目を通して見て、いや、ここにまずいところがあ
る、などと言ったところで……。

はなはだ恥ずかしいだけで……。

(*-_-*)

いやじっさい……本当は何も問題はないんだ……という気がしてきますよね。

問題があるような気がするとすれば……それは単なる誤解……というか。

本当は何も問題はないんだ……。

神の目を通して見れば。

そして本当は……「私は在る」だけなんだ……。

永遠の今として……。

……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:
     【43 無知は認識できるが、ジニャーナは認識できない】の1回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

この章は「もう何年も何年もあなたの教えは同じままです。あなたの語ること
に進展は見られないようです」という面白い質問で始まります。^^;

マインドってそういうふうに動きますよね。

するとその質問から始まった問答は、

> 無知だけが認識できる。ジニャーナは認識できない。

というとても意味深な回答を引き出していきます。

まさに、認識できるものに価値を見いだそうとするわれらがマインドの境界を
はるかに無視しきった、隔絶した位相からの音色のようでもありますが……。

にもかかわらず、マハラジはどこまでも無限に忍耐強くかつ親切です。

飽くことなく、智慧とは、ジニャーナとは何かをわれわれに伝えようとします。

> しかしジニャーナは原因と結果に縛られるようなものではない。
> それは因果律を完全に超えたものなのだ。
> それは真我のなかにとどまることだ。

では、【43 無知は認識できるが、ジニャーナは認識できない】の1回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 もう何年も何年もあなたの教えは同じままです。あなたの語ること
     に進展は見られないようです。
 
 マハラジ
 病院では患者が治療され、回復していく。
 治療とは変化のほとんどない決まりきった仕事だ。
 だが、健康については何も単調ということはない。
 私の教えは決まりきったものかもしれない。
 しかし、その結果は人によって新たなものだ。
 
 質問者 真我の実現とは何でしょうか? 誰が実現した人なのでしょうか?
     ジニャーニ(賢者)は何によって認識できるのでしょうか?
 
 マハラジ
 ジニャーナ(真理の知識)特有の証拠というものはない。
 無知だけが認識できる。
 ジニャーナは認識できない。
 ジニャーニは自分が何か特別な存在だとは主張しない。
 自分自身の偉大さ、特別さを宣言する者はジニャーニではない。
 彼らは実現に向けての何か特別な発達を実現と考え違いをしたのだ。
 ジニャーニには、自分がジニャーニだと宣言しようとする意図はない。
 彼は彼自身を完全に普通と考え、彼の真の本性に忠実なのだ。
 自分自身を万能の、全知全能の神として宣言することは、明白なる無知のし
 るしだ。
 
 質問者 ジニャーニは彼の体験を無知な人に伝えることができますか? ジ
     ニャーナはひとりの人から別の人に伝達できるのでしょうか?
 
 マハラジ
 それはできる。
 ジニャーニの言葉は、マインドのなかの無知と暗闇を追い払う力を持ってい
 る。
 言葉ではなく、その背後にある力が重要なのだ。
 
 質問者 その力とは何でしょうか?
 
 マハラジ
 真我実現の直接的体験をもとにした確信の力だ。
 
 質問者 ある真我を実現した人が、知識は勝ち取るものであり、受け取るも
     のではないと言いました。ほかの人が教えることはできるが、学ぶ
     ことは自分自身によるものだと言っています。
 
 マハラジ
 それは同じことだ。
 
 質問者 ヨーガを何年も何年も修練し、何の結果も得られない人たちは大勢
     います。何が彼らの失敗だったのでしょうか?
 
 マハラジ
 何人かは意識を停止させた恍惚(こうこつ)状態に耽溺(たんでき)したた
 めだ。
 完全な意識なしにどんな進展がありうるだろうか?
 
 質問者 多くの人がサマーディ(三昧(ざんまい)状態)の修練を積んでい
     ます。サマーディでは、意識は強烈なはずです。しかしながら彼ら
     は何の結果も得ていません。
 
 マハラジ
 何の結果を期待するというのだろう?
 そしてなぜジニャーナが何かの結果であるべきなのだろうか?
 ひとつのことが別のことへと導いていく。
 しかしジニャーナは原因と結果に縛られるようなものではない。
 それは因果律を完全に超えたものなのだ。
 それは真我のなかにとどまることだ。
 ヨーギは多くの不思議にであうだろう。
 だが真我に関して彼は無知なままだ。
 ジニャーニが見、感じることは普通のことかもしれない。
 だが、彼は真我を知っているのだ。
 
 質問者 数多くの人びとが真我の実現のために真剣に努力をしています。し
     かし結果は乏しいものです。何がその原因なのでしょうか?
 
 マハラジ
 彼らは知識の源を充分調べなかったのだ。
 感覚、感情、思考を彼らは充分知らないのだ。
 これが遅れのひとつの原因かもしれない。
 ほかには、ある欲望がいまだに生き残っているかもしれないことだ。
 
 質問者 サーダナにおける浮き沈みは避けられないものです。誠実な探求者
     は、それでもこつこつと取り組みます。ジニャーニはこのような探
     求者のために何ができるでしょうか?
 
 マハラジ
 もし探求者が誠実ならば、光は与えられるだろう。
 光はすべてにとって、つねにそこにある。
 だが、探求者がまれなのだ。
 探求者のなかでも用意のできた者はたいへんまれだ。
 成熟したハートとマインドが不可欠なのだ。
 
 質問者 あなた自身の真我実現は、努力を通して得たのでしょうか? それ
     とも、グルの恩寵(おんちょう)によってでしょうか?
 
 マハラジ
 教えが彼の恩寵で、信頼が私の努力だった。
 彼への信頼が、私に彼の言葉を真実として受け入れさせ、その中に深く入っ
 ていき、それを生きるようにさせたのだ。
 そしてこれが、私が私で在るということを実現させたのだ。
 グルの人格と言葉が、私に彼を信頼させ、そして私の信頼が実を結ばせたの
 だ。
                        『私は在る』(p211-212)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 もう何年も何年もあなたの教えは同じままです。あなたの語ること
>     に進展は見られないようです。

進展(=変化)するようなものを求める価値があるだろうか?(-_-;)……など
といった科白が思わず出てきそうですが。(^^;)

> マハラジ
> 病院では患者が治療され、回復していく。

あ、はい。(@_@)

> 治療とは変化のほとんどない決まりきった仕事だ。

たしかに。

> だが、健康については何も単調ということはない。

そうか。(-_-)

> 私の教えは決まりきったものかもしれない。
> しかし、その結果は人によって新たなものだ。

そうか……。

> 質問者 真我の実現とは何でしょうか? 誰が実現した人なのでしょうか?
>     ジニャーニ(賢者)は何によって認識できるのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> ジニャーナ(真理の知識)特有の証拠というものはない。

そうなんだ……。

> 無知だけが認識できる。

なんと。(@_@)

認識できるものはすべて無知なのか。

……。

そうか……認識できるものはすべて夢なんだから。

> ジニャーナは認識できない。

真理の知識は認識できないのか……。

でも“真理の知識は認識できない”って、どういう意味なんだろう? (-_-)

> ジニャーニは自分が何か特別な存在だとは主張しない。

はい、それはわかります。

“特別な存在だと主張”できるようであれば……それは顕現世界の一部であり
……それは認識できるでしょうから。

(@_@)

「ジニャーナは認識できない」って……そういう意味か……。(-_-)

> 自分自身の偉大さ、特別さを宣言する者はジニャーニではない。

はい……。

“自分自身の偉大さ、特別さを宣言する者は”……自分が知覚可能な世界に属
していると……宣言しているわけですから……。

> 彼らは実現に向けての何か特別な発達を実現と考え違いをしたのだ。

わかります。

> ジニャーニには、自分がジニャーニだと宣言しようとする意図はない。

ジニャーニは、単に実情(=実在)を知っているだけ……。

> 彼は彼自身を完全に普通と考え、彼の真の本性に忠実なのだ。

わかるような気がします。

ジニャーニは、実在しか存在しないことを知っているのですから……。

> 自分自身を万能の、全知全能の神として宣言することは、明白なる無知のし
> るしだ。

自分が知覚可能、比較可能な顕現の世界(幻影=無知の側)に所属していると
自白しているのだから。

> 質問者 ジニャーニは彼の体験を無知な人に伝えることができますか? ジ
>     ニャーナはひとりの人から別の人に伝達できるのでしょうか?

ジニャーナ(真理の知識)は人から人へと伝達可能なものでしょうか、と。

> マハラジ
> それはできる。

真理の知識は人が人にと伝えることができるものなんだ……。(-_-)

> ジニャーニの言葉は、マインドのなかの無知と暗闇を追い払う力を持ってい
> る。

賢者の言葉は、マインドのなかの無知と暗闇を追い払って、聴き手のマインド
を純化する力をもっている、と。

> 言葉ではなく、その背後にある力が重要なのだ。

(@_@)

賢者の「言葉ではなく、その(言葉の)背後にある力が重要」なのか……。

> 質問者 その力とは何でしょうか?

うん。

> マハラジ
> 真我実現の直接的体験をもとにした確信の力だ。

そうだ。(-_-)

そうにきまっているさ。

> 質問者 ある真我を実現した人が、知識は勝ち取るものであり、受け取るも
>     のではないと言いました。ほかの人が教えることはできるが、学ぶ
>     ことは自分自身によるものだと言っています。

なんか……。

> マハラジ
> それは同じことだ。

やっぱり。

> 質問者 ヨーガを何年も何年も修練し、何の結果も得られない人たちは大勢
>     います。何が彼らの失敗だったのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> 何人かは意識を停止させた恍惚(こうこつ)状態に耽溺(たんでき)したた
> めだ。

ああ……インドにはそういう人たちもいるんだろうなぁ。

> 完全な意識なしにどんな進展がありうるだろうか?

ふーん。

「完全な意識」って……どういう意味だろう……。

「完全な意識」って“純粋な意識”(想念のない意識)の意味かな?

この言葉の包含をしっかり考えてみなくては。(-_-)

> 質問者 多くの人がサマーディ(三昧(ざんまい)状態)の修練を積んでい
>     ます。サマーディでは、意識は強烈なはずです。しかしながら彼ら
>     は何の結果も得ていません。

ふーん。

このひと、そういう人をたくさん知っているのかしら。

> マハラジ
> 何の結果を期待するというのだろう?

(^^)

> そしてなぜジニャーナが何かの結果であるべきなのだろうか?

あるべきなのだろうか? (^_^;) \←……

> ひとつのことが別のことへと導いていく。

はい……夢のなかでは……。

> しかしジニャーナは原因と結果に縛られるようなものではない。

まったく。

実在が非実在の夢のなかの経緯に拘束されるはずもありません。

> それは因果律を完全に超えたものなのだ。

わかります。

……ような気がします。(*-_-*)

> それは真我のなかにとどまることだ。

おお……。(@_@)

> ヨーギは多くの不思議にであうだろう。

はい。

> だが真我に関して彼は無知なままだ。

そうか。

> ジニャーニが見、感じることは普通のことかもしれない。

はい。

> だが、彼は真我を知っているのだ。

はい。(-||-)

> 質問者 数多くの人びとが真我の実現のために真剣に努力をしています。し
>     かし結果は乏しいものです。何がその原因なのでしょうか?

このひと、“数多くの人びと”の話ばかりしている。(^^;)

> マハラジ
> 彼らは知識の源を充分調べなかったのだ。

へー。

「知識の源」……、何のことだろう?

> 感覚、感情、思考を彼らは充分知らないのだ。

あーあ、そういうこと……。

> これが遅れのひとつの原因かもしれない。

なるほど。

> ほかには、ある欲望がいまだに生き残っているかもしれないことだ。

いかにも……ありそうな。(*-_-*)

> 質問者 サーダナにおける浮き沈みは避けられないものです。誠実な探求者
>     は、それでもこつこつと取り組みます。ジニャーニはこのような探
>     求者のために何ができるでしょうか?

このひとは、そういう質問が担当の方なのかな?

> マハラジ
> もし探求者が誠実ならば、光は与えられるだろう。

信じます。

> 光はすべてにとって、つねにそこにある。

はい……きっと。

> だが、探求者がまれなのだ。

わかります。(-_-)

> 探求者のなかでも用意のできた者はたいへんまれだ。

いかにも。

> 成熟したハートとマインドが不可欠なのだ。

……。

そういうことか。

「成熟したハートとマインド」……。

> 質問者 あなた自身の真我実現は、努力を通して得たのでしょうか? それ
>     とも、グルの恩寵(おんちょう)によってでしょうか?

^^;

> マハラジ
> 教えが彼の恩寵で、信頼が私の努力だった。

わかります。

> 彼への信頼が、私に彼の言葉を真実として受け入れさせ、その中に深く入っ
> ていき、それを生きるようにさせたのだ。

はい。(-_-;)

> そしてこれが、私が私で在るということを実現させたのだ。

(;_;)

> グルの人格と言葉が、私に彼を信頼させ、そして私の信頼が実を結ばせたの
> だ。

信じます……。(;_;)

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


        …………○…………○…………○…………



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■ 3.いただいたお手紙から:良太さん、或る私さん
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▼『アセンション館通信』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単なるメールな
ど、ご自由にお書きいただければと思います。


        …………○…………○…………○…………


今回、しばらくぶりで良太さんから嬉しい投稿メールをいただきました。(^^)/

早速ご紹介いたします。

【件名】:
----------------------------------------------------------------------
 パリさん、シャーラさんこんにちは。
 お元気ですか。
 
 いつものことながら、
 なにか気の利いたお便りをなどと思っているうちに、
 もう夏真っ盛りでございます。
 このところ台風やら、
 今、これを書いている時にも地震がありましたが、
 時間の、というか出来事の流れって、
 なにをどう思おうと現象しては去っていくんですね。
 
 相も変わらず自分にとって一番しっくりくる言葉をと、
 あれこれ覗きまわっている毎日ですが、
 最近ふと気付くとこんなこと思うようになってました。
 
 「ニサルガダッタならどう言うだろう」
 「こういうことはニサルガダッタならこう言うだろうな」
 
 まだまだ読んでも理解できないところは山ほどあるんですが、
 それでももしかしたらぼくにとって本当にしっくりくる言葉って、
 この本に書かれている言葉なのかもしれない、
 って思うようになりました。
 
 「 I AM THAT 」
 
 考えてみればそりゃそうですよ。
 毎週日曜日には必ず目にしているんですもん。
 敬虔なクリスチャンなみですよね。
 ああ、ぼく、相当パリさんの影響を受けているなあ、と感じます。
 
 この頃、まわりのスピリチュアルな人たちと意見が合わなくなってきました。
 もともと全否定的な物の言い方をする癖があるみたいで、
 それが余計に相手の反感を買うのだと自覚しているのですが、この間も
 「いつまでも自己実現なんか追い求めていると、しっぺ返しを食らうぞ」
 なんて思いやりのないことを書いてメールを送ったら、
 すっかり嫌われてしまいました。
 そりゃそうですよね。言葉が悪いですもんね。
 でもみんながあまりにも「自己実現は素晴らしいもの」と、
 強く思いこんでいるものだから、
 ついへそ曲がり小僧を演じたくなってしまうんです。
 
 みんな幸せな夢を見ようと必死なんですね。
 いやいやいや、ぼくだってもちろんそうです。
 幸せな夢がいいに決まってます。
 でも幸せになれない最大の原因が
 その「ぼく」という自我にあるのだ、と理解したならば、
 もう夢を幸せにすることにエネルギーを注ぎ込みたいとは思えなくなる。
 ただこの意識が、完全な静けさを取り戻したマインドの中に、
 実在のきらめきを見出すことだけが願いだ、って思うようになる。
 これはもう明らかにニサルガ菌に毒されたとしか言いようがないですよね。
 
 で、こういう視点でものを言うと本当に一般受けが悪いです。
 ぼくももう貝になりたいですっ。
 ひとり静かにニサルガ菌に毒され続けていたい。
 
 そうそう、先週の、
 
 > なぜ未来における永遠であって、過去への永遠ではないのだろうか?
 > はじまりあるものは終わらなければならない。
 > はじまりのないものだけが無窮(むきゅう)なのだ。
 
 という言葉も本当に素晴らしかったですね。
 こんなこと考えてもみなかったですよ。
 神に創造されたという考えを覆すための言葉としては最高ですね。
 騒がしくしていた心がはたと静まり返る思いがしました。
 ま、一瞬ですけど・・・
 
 ボディを離れるより先に
 心底「これでいいのだ」と言ってみたいです。
 いや「これはこれでいいのだ」かな?
 「あれもこれもそれでいいのだ」
 なぜなら私はあれでもこれでもそれでもないのだから。
 
 すべての努力を手放して幸せでありたいですね。
----------------------------------------------------------------------

良太さん、ご投稿いただいて、とても嬉しかったです。

> パリさん、シャーラさんこんにちは。
> お元気ですか。

お久しぶりです。(^^)/

> いつものことながら、
> なにか気の利いたお便りをなどと思っているうちに、
> もう夏真っ盛りでございます。

早いものですよね。

> このところ台風やら、
> 今、これを書いている時にも地震がありましたが、
> 時間の、というか出来事の流れって、
> なにをどう思おうと現象しては去っていくんですね。

そういうことですよねぇ。

> 相も変わらず自分にとって一番しっくりくる言葉をと、
> あれこれ覗きまわっている毎日ですが、
> 最近ふと気付くとこんなこと思うようになってました。

はて、どんな?

> 「ニサルガダッタならどう言うだろう」
> 「こういうことはニサルガダッタならこう言うだろうな」

(@_@)

> まだまだ読んでも理解できないところは山ほどあるんですが、
> それでももしかしたらぼくにとって本当にしっくりくる言葉って、
> この本に書かれている言葉なのかもしれない、
> って思うようになりました。

なんと……。

> 「 I AM THAT 」
> 
> 考えてみればそりゃそうですよ。

(?_?)

> 毎週日曜日には必ず目にしているんですもん。
> 敬虔なクリスチャンなみですよね。
> ああ、ぼく、相当パリさんの影響を受けているなあ、と感じます。

あ、そこに落としますか。(*^_^*)

> この頃、まわりのスピリチュアルな人たちと意見が合わなくなってきました。

なるほど。

> もともと全否定的な物の言い方をする癖があるみたいで、
> それが余計に相手の反感を買うのだと自覚しているのですが、この間も
> 「いつまでも自己実現なんか追い求めていると、しっぺ返しを食らうぞ」
> なんて思いやりのないことを書いてメールを送ったら、
> すっかり嫌われてしまいました。

そんなこと言えばねぇ。(^^;)

> そりゃそうですよね。言葉が悪いですもんね。

良くないですよ。^^;

> でもみんながあまりにも「自己実現は素晴らしいもの」と、
> 強く思いこんでいるものだから、
> ついへそ曲がり小僧を演じたくなってしまうんです。

まあねぇ。(-_-)

> みんな幸せな夢を見ようと必死なんですね。

まあ、そうですけど。

> いやいやいや、ぼくだってもちろんそうです。
> 幸せな夢がいいに決まってます。

ですよねぇ。

> でも幸せになれない最大の原因が
> その「ぼく」という自我にあるのだ、と理解したならば、
> もう夢を幸せにすることにエネルギーを注ぎ込みたいとは思えなくなる。

おお……。

いや、でも、事実、そうなっちゃうんですよね。(@_@)

「もう夢を幸せにすることにエネルギーを注ぎ込みたいとは思えなくなる」っ
て、良太さん、とってもうまいこと言ったけど、ホントにそうなんですよ。

とてもそうは「思えなく」なっちゃうんですよね。

わかります。

> ただこの意識が、完全な静けさを取り戻したマインドの中に、
> 実在のきらめきを見出すことだけが願いだ、って思うようになる。

なんか……スゴイですね。

でも、わかるなぁ。(-_-;)

> これはもう明らかにニサルガ菌に毒されたとしか言いようがないですよね。

どうも……そうみたいですね。(@_@)

> で、こういう視点でものを言うと本当に一般受けが悪いです。

本当に一般受けが悪いです。(*^_^*)

皆さんが盛り上がっているところに、こういう言葉を言うのを「水を差す」っ
て言うんですよ。(^_-)

> ぼくももう貝になりたいですっ。
> ひとり静かにニサルガ菌に毒され続けていたい。

あはは。(^^;)

> そうそう、先週の、
> 
> > なぜ未来における永遠であって、過去への永遠ではないのだろうか?
> > はじまりあるものは終わらなければならない。
> > はじまりのないものだけが無窮(むきゅう)なのだ。
> 
> という言葉も本当に素晴らしかったですね。

おお……。

> こんなこと考えてもみなかったですよ。
> 神に創造されたという考えを覆すための言葉としては最高ですね。

(@_@)

> 騒がしくしていた心がはたと静まり返る思いがしました。
> ま、一瞬ですけど・・・

なるほど……。(-_-)

……うん。

> > なぜ未来における永遠であって、過去への永遠ではないのだろうか?

というマハラジの言葉は、質問者の「私は永遠の生として創造されたのです」
という言葉に対する応答でしたね。
https://www.ascensionkan.com/mm/vol279.html#2-1

わたしは、「なぜ未来における永遠であって、過去への永遠ではないのだろう
か?」という、この一行の意味がよくわからなかったのです。

そうか……これはそういう意味だったんですね。

そして、いま、なぜ自分にこの言葉の意味がピンと来なかったのか、その理由
もわかりました。

わたしは自分が「永遠の生として創造された」と、あまり本気で思ったことが
なかったようです。

本気でその想念に共振したことがないものだから、「なぜ未来における永遠で
あって、過去への永遠ではないのだろうか?」と言われても、その意味が伝わ
らなかったんですね……。

良太さんは、キリスト教の教義に、かなり本気で共振なさったことがあるんで
すねぇ。

過去のある一時点に神が自分を創造した、と本気で思っていれば、たしかに、

> なぜ未来における永遠であって、過去への永遠ではないのだろうか?
> はじまりあるものは終わらなければならない。
> はじまりのないものだけが無窮(むきゅう)なのだ。

と聞けば、過去のある一時点に始まったという創造なら、いつかは崩壊する夢
に違いない、という意味がどうしたって聞こえてくるわけですものねぇ。

なるほどなぁ。(-_-)

……いや、しかし良太さん、芸が深いですねぇ。(^_-)

ぜんぜん教えるそぶりなんかなしに、秘かに教えてくれるんだものなぁ。^^;

> ボディを離れるより先に
> 心底「これでいいのだ」と言ってみたいです。

ホントですねぇ。

> いや「これはこれでいいのだ」かな?
> 「あれもこれもそれでいいのだ」
> なぜなら私はあれでもこれでもそれでもないのだから。

うん。

> すべての努力を手放して幸せでありたいですね。

そう……。

“これ”が夢だと思い出すのは……できることもあります。

でも……ただ在ることに幸せでいるのは……難しいです。(;_;)

要するに……愚かで……欲が深い……ということか。(*-_-*)

でも、マハラジは言ってますね。

----------------------------------------------------------------------
 満足だけがあなたを幸せにすることができるのだ。
 満たされた欲望は、より多くの欲望を生みだす。
 すべての欲望に近づかず、自然にやってくるものに満足していることは、非
 常に実りある、満ち足りた状態への前提となる、必須の状態なのだ。
 一見空虚で不毛に見えることに、不信をもってはならない。
 私を信じてほしい。
 欲望を満たすことが惨めさを生みだし、欲望から自由になることが至福なの
 だ。
                          『私は在る』(p267)
----------------------------------------------------------------------

って……。

良太さん、ご投稿いただいて、とっても嬉しかったです。

間違いなく、読んでくださっている方がいる感じがして……。(*-_-*)

ありがとうございました。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


今回もうお一方、或る私さんからも久しぶりの投稿メールをいただきました。

早速ご紹介いたします。

【件名】:無駄なはなし
----------------------------------------------------------------------
 パリさん こんばんわ。
 
 お元気ですか。
 そんなに元気ではないなわたくしが言うのもなんですが、
 元気であってほしいです。
 
 突然ですが、考えてみました。
 
 なにか夢のようだったといえるにはその背景にある
 実在のような感じがなければならないように
 実在を感じるには宇宙の中の地球のような
 全然知られていないすごく大きいものにかこまれた
 たった一つの点のような一瞬のものが意識だと感じることではないかと
 思うのです。
 
 そう思うとなんとなく安定感と共に意識全体が本当の夢のような
 切ない感じがするのですが、
 夢と自分を同一化した状態では想像のできない
 ある一つの具体的な“元気”がその中に
 ずっと居続けていた気がするのです。
 
 その元気が表の問題を勝手に解決してくれます。
 内なる私はただあるがままの元気をもらいつづければいいわけです。
 すべての問題は元気がないから嵌るわけで、
 元気さえあればただ過去るものだと思うのです。
 
 名前とともに体は結局、元気がなくなります。
 しかし、その体の栄養で未生物が元気になれます。
 過去る体は変わりますが元気は変わりません。
 立ち止まりさえしなければいい。
 流れる水のように生きればいい。
 体は元気なしには何もできないただの問題。
 元気が体に依存するのではなく体が元気に依存する気がします。
 
 そもそも、道を間違えることはできない気がします。
 快楽と苦痛はただの道しるべであると思います。
 苦しいのなら、自分で元気が必要だと自覚しますし、
 元気であれば、その元気で快楽と達成を求めて走り、
 元気を使い果たします。
 すべての快楽、欲望をかなえても、なんか足りない感じがするのは
 そもそも、その繰り返しが無駄に感じるからだと思います。
 だけど、その無駄感の苦痛もまた、道に戻させる立派な作用をするのです。
 
 何かの解決策を探し続ける自分の苦痛もまたそれ自体、立派に役目を果たして
 いると思います。
 結局、その自分があるがままの元気を遮断しているから苦しいのですから。
 肝心なことはそのこと自体に気づいているだけだと思うんです。
 気づき続けていていたら繰り返しの苦痛がまたやってきます。
 自分はだめだと思う苦痛もやってきます。
 しかし、すべて役にたっています。
 道を間違えたくても間違えることはできません。
 
 このような話、面白くもなんともありませんね〜
 だが、その無駄感もまた無駄ではないと私は思いますので。(^^)
----------------------------------------------------------------------

或る私さん、てっきり「無駄なはなし」かと思っていたら、「無駄はなし」な
んですね。(^_-)

> パリさん こんばんわ。

ご投稿いただいて嬉しかったです。(^^)/

> お元気ですか。
> そんなに元気ではないなわたくしが言うのもなんですが、

或る私さんにも、そんなことがあるんですか? (?_?)

> 元気であってほしいです。

ありがとうございます。

わたしの方は……どうなんだろう? (-_-)

まあ……、そういうことは気にしなくてもいいのだ、と覚えていようとしてい
るとでもいうのか……。^^;

> 突然ですが、考えてみました。

はい。

> なにか夢のようだったといえるにはその背景にある
> 実在のような感じがなければならないように
> 実在を感じるには宇宙の中の地球のような
> 全然知られていないすごく大きいものにかこまれた
> たった一つの点のような一瞬のものが意識だと感じることではないかと
> 思うのです。

ホー。(@_@)

今日の或る私さんは、とても文学的な雰囲気ですねぇ。

どちらかというと……わたし好みなんですが。(^^;)

でも、比喩は文学的でも、意味するところはとても哲学的ですねぇ。

「全然知られていないすごく大きいものにかこまれた
 たった一つの点のような一瞬のもの」……、それが意識ですか……。

> そう思うとなんとなく安定感と共に意識全体が本当の夢のような
> 切ない感じがするのですが、

なるほど……。

わかる気もしますねぇ。

> 夢と自分を同一化した状態では想像のできない
> ある一つの具体的な“元気”がその中に
> ずっと居続けていた気がするのです。

ホー、それはまた……。

それが一種の“元気のもと”みたいな感じなんですね。

> その元気が表の問題を勝手に解決してくれます。

その内奥に常在する“元気”が、現象世界にある(かのような)問題を勝手に
解決してくれる、と。

> 内なる私はただあるがままの元気をもらいつづければいいわけです。

なるほど。

なんとなく……わかるような気もしますね。

> すべての問題は元気がないから嵌るわけで、
> 元気さえあればただ過去るものだと思うのです。

問題にはまるのはすべて、その内奥の元気がないからなんですか。

常在するその元気につながってさえいれば、自分が何もしなくても問題は(そ
の元気が処理してくれて)ただ過ぎ去っていく、と。

> 名前とともに体は結局、元気がなくなります。

名前と形の制限を負った身体は、結局、元気を失っていく、と。

> しかし、その体の栄養で未生物が元気になれます。

ホー、身体から出ていった元気は、今度は新たな宿主に移って、その生き物を
元気にするわけですか……。

> 過去る体は変わりますが元気は変わりません。

宿る身体を変えながらも、常在する元気は変わらない、と。

なんだか“元気”を与え続ける<今>の前で、宿主の身体だけが過ぎ去ってい
く感じですねぇ。(-_-)

> 立ち止まりさえしなければいい。

うん。

自分が<今>の前を過ぎ去っていく身体なら、立ち止まりさえしなければいい
わけですね。

> 流れる水のように生きればいい。

映画のなかのひとこまとしてただ過ぎ去っていけばいい。

> 体は元気なしには何もできないただの問題。

身体は元気なしには何もできないただの臭皮袋(=糞袋)というわけですか。

まったくですねぇ。

> 元気が体に依存するのではなく体が元気に依存する気がします。

はい、わかります。

だから、元気が次の宿主に移ったら、身体は崩壊するしかないわけですね。

> そもそも、道を間違えることはできない気がします。

ホー、ここで急に転調しますね。

> 快楽と苦痛はただの道しるべであると思います。

はい……、どういう意味でしょう。(?_?)

> 苦しいのなら、自分で元気が必要だと自覚しますし、
> 元気であれば、その元気で快楽と達成を求めて走り、
> 元気を使い果たします。

なるほど。(^^;)

元気が失せて苦しくなると、元気を求めてジタバタし、
元気に満ちれば、その元気を持て余してまたジタバタしては、
その元気を使い果たす、と。(^^;)

辛辣ですけど、そのとおりですよね。

> すべての快楽、欲望をかなえても、なんか足りない感じがするのは
> そもそも、その繰り返しが無駄に感じるからだと思います。

なるほどねぇ。(-_-)

なんか同じことをしてきたような感じが、あるのかもしれませんね。

> だけど、その無駄感の苦痛もまた、道に戻させる立派な作用をするのです。

そうですか。

まあ、そうなっているわけでしょうねぇ。

> 何かの解決策を探し続ける自分の苦痛もまたそれ自体、立派に役目を果たして
> いると思います。

誤解による脱臼が元に戻るまでは、どこまでもその誤解を解消するための違和感
が残るわけですよね。

> 結局、その自分があるがままの元気を遮断しているから苦しいのですから。

なるほど、勝手な誤解によって、われわれは自ら元気を遮断しているわけだ。

> 肝心なことはそのこと自体に気づいているだけだと思うんです。

すべての違和感、すべての不調、すべての苦痛に気づいていることが肝心なの
ですね。

とすれば、誰もがその要件を満たしているわけだ……。

> 気づき続けていていたら繰り返しの苦痛がまたやってきます。

はい。

> 自分はだめだと思う苦痛もやってきます。

まったく。(*^_^*)

> しかし、すべて役にたっています。

おお。

> 道を間違えたくても間違えることはできません。

なるほど。

> このような話、面白くもなんともありませんね〜

いえいえ、道を外しようがないという話は、それこそ元気をいただきます。

> だが、その無駄感もまた無駄ではないと私は思いますので。(^^)

はい。

わたしにもその感じは伝わってきました。

或る私さん、もしかしたら、お身体の具合が悪いのかもしれないのに、ご投稿
いただいて、ありがたかったです。(-||-)

お大事に、なさってください。

ありがとうございました。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


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■ 4.編集後記:読んでくださっている方もいることが伝わったので……
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今日は生業の仕事もしました。

別に自慢するほどのことでもないですね。^^;

今回は、久しぶりに良太さん、或る私さんからご投稿をいただきました。

読んでくださっている方もいることが伝わったので、またけっこう元気になっ
て、分不相応な話題を書き続けちゃったりして。(^^;)

では、おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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