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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.281 2009/8/23(第281号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 957名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.何を知ることができるのか?

2.写経ニサルガダッタ:
     【43 無知は認識できるが、ジニャーナは認識できない】の2回目

3.いただいたお手紙から:M・Yさん

4.編集後記:不幸になる理由を探すよりは、ただ幸せでいる方が……

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■ 1.何を知ることができるのか?
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われわれの弱みはついつい体験に色目を使ってしまうことですよね。

ついつい外界の対象に注意を奪われ、それに応じて内面に自動発生する機械的
反応にまた注意を奪われてしまう……。

そして……その状況が“自分”にとって“いい”のか“悪い”のかを判別しよ
うと……さらにうろうろしてしまう。

情けないです……。(;_;)

われわれって……まあ、正確には自分のことですけど。(=_=)

外的状況に反応して、その状況を何らかの意味で“好ましい”のか“好ましく
ない”のかを判断するのが癖になってしまっている。

赤ん坊のころには、まだそんな習慣は身につけていなかったんでしょうね。

ただ……まわりの様子を眺めていたんだと思うけど……。

だから記憶もないし……悠久の世界を生きていた。

それが「ただ在ることに満足している」という状態だったのかなぁ。

別に何も思わなくてもいいのだということを……思い出すだけのことが……、
どうしてこんなにも難しいのか……。(-_-;)

「ただ在ることに幸せでいなさい」って教わっているのに……。

エゴを見張るって、けっこう、至難事ですよね。

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

ただ在ることに幸せでいなさい。

たったこれだけのことを憶えているだけのことなのに……。

でも……それができるためには……絶えず動き出そうとするエゴを見張ってい
なくてはならない。

エゴは幸福と不幸の波風がなくては“生きられない”わけだから……まあ……
必死ですよね。

エゴは単調な幸せには耐えられない。

エゴは無事には耐えられない。

何が何でも問題を見つけなくてはならない。

見つからなければ……でっち上げなければならない。

知るかぎりの連想野を総動員して……欲望と恐怖の“種”を創造しなければな
らない……。

でも……考えてみたら……「知る」なんてことができるんでしょうか?

「知る」ためには“境界”が必要ですよね。

ある範囲内の情報を材料にして、“構造”とか“因果関係”を推測するわけで
しょうから……。

たとえば、“自分”に関係しそうなある時間内と空間内の気象を取り出して、
「台風」と名づけるようなものだと思います。

「台風」になる前は、熱帯性低気圧というものだったとか……。

熱帯性低気圧が発生する前は、ただの平穏な普通の気象だった、とか。(^_-)

われわれが言う「知る」というのは、おおよそそういう意味ですよね。

身近な事象(=「形」)にとりあえず、「名前」をつけてみるだけのことだと
思います。

いえ、別に地球の学問にケチをつけようというわけじゃありません。

すみません。

ただ……「知る」なんてことができるんだろうか?、と思って。

自分が興味を持った身近な事象(「形」)に、自分の連想野からとりあえずの
「名前」をつけてみるだけのことじゃないんでしょうかね。

そんなことを言うと、いや上位次元になれば違うさとか、根本創造主はすべて
知っているのさとか、そういうご意見の方もいらっしゃるかもしれません。

さて、根本創造主さんが、そんな死ぬほど退屈で過酷な労働に従事されている
とも思えないけど、まあ、いいです。(^_-)

多次元宇宙内の森羅万象すべてにわたって、十億年前のいかなる局所場の状況
も、十億年後のいかなる局所場の状況も、掌を指すようにすべて「知って」い
るようなご苦労な方もいらっしゃるのかもしれません。

ふふ。

でも、その方は何を「知って」いるんでしょう?

まさか役場の戸籍係じゃないんだから、「申請書に住所氏名と質問事項を記入
して提出するように」、と待っているわけじゃないですよね。(^_-)

いくらなんでも、全知全能の根本創造主ともあろう方が、そんな仕事がしたく
て宇宙を創造したりはしないでしょう。

何かを「知って」いらっしゃるとしたら、もう少しましなことを「知って」い
るはずだと思います。

“もう少しましなこと”って何でしょうねぇ……。

自分は完璧な宇宙を作ったのだから、どうやってもそれは完璧に調和がとれて
いる……、ということを知っているのでしょうか。

それとも、自分は完璧に空間を明け渡したのだから、個別の担当者たちがどの
ような宇宙を営むのかそんな細かいところまではタッチしない、とか。(^_-)

いやいや、もっと真面目にいきましょう。^^;

「私はすべてがありのままであることを知っている」とか……。

あるいは、単に「わたしは何も知らない」とか……。

(-_-)

そういうことは、やっぱり、ニサルガ師匠に聞くしかないですよね。

神とは、何でしょう?

----------------------------------------------------------------------
 神はすべてを為すものであり、ジニャーニは無為の人だ。
 神自身が「私がすべてを為す」と言いはしない。
 神にとっては、ものごとはそれ自体の本性にしたがって起こるのだ。
 ジニャーニにとっては、すべてが神によって為される。
 彼は神と自然との間に何の違いも見ない。
 神もジニャーニもともに、彼ら自身が変動の中の不動の中心であり、移り変
 わるものの永遠の観照者であることを知っている。
 その中心は空なる点であり、観照者は純粋な気づきの点だ。
 彼らは、彼ら自身が無であることを知っている。
 それゆえ、彼らに抵抗できるものは何ひとつないのだ。
 
                        『私は在る』(p105-106)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

うーむ。(-_-;)

なにやら、いわれを聞けばありがたや……ですね。(*-_-*)

> 神はすべてを為すものであり、ジニャーニは無為の人だ。

神は働き者で、ジニャーニは怠け者だと。(-_-;) \←……

> 神自身が「私がすべてを為す」と言いはしない。

なるほど。

働き者だけど、めちゃ謙虚なんだ。(-_-) \←……

> 神にとっては、ものごとはそれ自体の本性にしたがって起こるのだ。

なるほど、やっぱり、そういうことなんですか……。

神にとって、すべては「あるがまま」なんだ……。

(そういう言い方をしてもいい……ということかなぁ。(-_-) )

> ジニャーニにとっては、すべてが神によって為される。

はい。

ジニャーニが映画の登場人物になることはない。

> 彼は神と自然との間に何の違いも見ない。

そうか……。

ジニャーニにとっては自然の沈黙が荘厳なる神の姿……。

> 神もジニャーニもともに、彼ら自身が変動の中の不動の中心であり、移り変
> わるものの永遠の観照者であることを知っている。

うーむ……。

神もジニャーニも、あらゆる変化のなかで自分が不動の中心であり、その変化
の永遠の観照者であることを知っている……。

とすると、神とジニャーニで何が違うのか……。

> その中心は空なる点であり、観照者は純粋な気づきの点だ。
> 彼らは、彼ら自身が無であることを知っている。

なんと。(@_@)

神もジニャーニも、自分が何者でもないことを知っているんだ……。(-_-;)

> それゆえ、彼らに抵抗できるものは何ひとつないのだ。

そうか……。

神もジニャーニも、自分こそが森羅万象の不動の中心であること、自分がいな
ければすべてが存在しえないことを知っている。

そして森羅万象自体は……ただありのままなんだ……。

ある時点ある地域の地上の「台風」発生に、有限個の原因を特定することなど
できないように……。

とすると、局所場を占める特定の身体に対する依怙贔屓がなければ、森羅万象
とは、ただ単に「無」が「ありのまま」を観ている……というだけのこと。

いったい、何かを知ることなどできるのだろうか?

たとえば、ニサルガダッタは何を知っているのだろう?

----------------------------------------------------------------------
 私のグルに出会うまでは、私は非常に多くのことを知っていた。
 今、私は何ひとつ知らない。
 なぜなら、すべての知識は夢のなかだけにあり、根拠の確かなものではない
 からだ。
 私は自己を知っている。
 そして、私のなかには死も生もなく、ただ純粋な存在――これでもあれでも
 なく、ただ在ることだけがある。
 しかし、マインドが貯蔵庫から記憶を引き出し、想像しはじめると、それは
 空間を対象物で、時間を出来事で埋めつくしてしまう。
                          『私は在る』(p281)
----------------------------------------------------------------------

なるほど……そういうことか……。

----------------------------------------------------------------------
 知られるもの、知ること、知る者という三位のなかでは、知ることだけが事
 実だ。
 「私」と「これ」は疑わしいものだ。
 誰が知るというのだろう?
 何が知られるというのだろう?
 知ることがあるということを除いては、そこには何の確実性もないのだ。
 
                          『私は在る』(p422)
----------------------------------------------------------------------

なんだ?! 

> 誰が知るというのだろう?
> 何が知られるというのだろう?
> 知ることがあるということを除いては、そこには何の確実性もないのだ。

ほんとだ……なんだかこっちまでそんな気がしてきた。

すると、何かを知るなどということは不可能なのか?

----------------------------------------------------------------------
 あなたが何かを直接知る前に、言葉を通してではなく知る者を知らなければ
 ならないのだ。
 今まで、あなたはマインドを知る者と見なしてきた。
 だが、そうではないのだ。
 マインドはイメージと観念をあなたに詰め込んできた。
 それは記憶に傷跡を残すのだ。
 あなたは覚えていることを知識だと思いこんできた。
 真の知識とはつねに新鮮で、新しく、予期できないものだ。
 それはあなたの内面から沸き上がってくるのだ。
 あなたがあなたで在るものを知るとき、あなたはまたあなたが知る者でも在る。
 知ることと在ることの間にへだたりはないのだ。
                          『私は在る』(p539)
----------------------------------------------------------------------

なんと! (@_@)

> あなたがあなたで在るものを知るとき、あなたはまたあなたが知る者でも在る。
> 知ることと在ることの間にへだたりはないのだ。

「知る」ということと「在る」ということは究極的には同じことなんだ。

だとすれば、自分が「在る」ことを知っている以上、それ以外に「知る」必要が
あることなどないわけか……。

----------------------------------------------------------------------
 私にとって知りたいことは何もない。
 だが、知る必要のあることは知ることになるのだ。
                          『私は在る』(p411)
----------------------------------------------------------------------

そうか……。

そうだろうなぁ。

----------------------------------------------------------------------
 知る者が非顕現であり、知られるものが顕現だ。
 知られるものはつねに動いている。
 それは変化し、それ自体の形も、住処(すみか)ももたない。
 知る者はすべての知識の不変の支持者だ。
 どちらも互いを必要としている。
 だが、実在はその彼方に在るのだ。
                          『私は在る』(p378)
----------------------------------------------------------------------

(*_*)

> だが、実在はその彼方に在るのだ。

わたしはその「実在」なんだ……。

だって、実在しか、実際には存在しないのだから……。

そうか……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:
     【43 無知は認識できるが、ジニャーナは認識できない】の2回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

いつも同じことを言われていると、段々こちらもそんな気になってきます。

ある種の理解が起こってくる……とでも言うのか。

> ただ在りなさい。

要するに、これだけみたいで。(^^;)

ニサルガダッタの要求は最小限で、できない人はいないわけだけど……。

> 真実が在るためには、すべての欲望が放棄されなければならないのだ。

何の欲もなく、ただ在るだけでいいわけですよね。

> あなたは在る、ということを覚えていなさい。
> これがあなたの仕事の資本だ。
> その資本を回転させなさい。
> そうすれば多大な利益を生むだろう。

ありがとうございます。(-||-)

では、【43 無知は認識できるが、ジニャーナは認識できない】の2回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 しかし、グルは言葉なしで、信頼もなく、ただこのように何の準備
     もなく真我の実現を与えることができるのでしょうか?
 
 マハラジ
 できる。
 だが、どこに受け取る人がいるだろうか?
 私は本当にグルと心をひとつにしていた。
 まったく完全に彼を信頼し、彼への抵抗は無に等しかったため、すべてはや
 さしくすばやく起こったのだ。
 しかし、誰もがそのように幸運なわけではない。
 怠惰と落ち着きのなさはしばしば道を阻み、それらが取り除かれるまで進展
 は遅くなる。
 ただグルが触れ、見、思うだけで、その場で真我を実現した人たちは、すで
 に成熟していたのだ。
 しかし、そのような人は本当にまれだ。
 大多数は成熟するまでに、いくらかの時が必要だ。
 サーダナは成熟を加速するものだ。
 
 質問者 何が人を成熟させるのでしょうか? 何が成熟の要因でしょうか?
 
 マハラジ
 もちろん、真剣さだ。
 人は本当に熱望しなければならない。
 つまるところ、真我を実現した人はもっとも真剣な人だ。
 何であれ彼がすることは、限界も制限もなく完全だ。
 真剣さがあなたを実在へと連れていくのだ。
 
 質問者 あなたは世界を愛していますか?
 
 マハラジ
 傷つけられたとき、あなたは泣く。
 どうしてだろう?
 なぜなら、あなたはあなた自身を愛しているからだ。
 あなたの愛を身体に閉じこめてはならない。
 開いておきなさい。
 そうすれば、それはすべてへの愛となる。
 すべての偽りの自己同一化が捨て去られたとき、すべてを包容する愛が残る。
 あなたに関する考えをすべてぬぐい去りなさい。
 あなたが神だという考えさえも捨て去りなさい。
 いかなる自己定義も正当ではない。
 
 質問者 私は約束に疲れました。私はサーダナに疲れてしまいました。それ
     は私の時間とエネルギーを使い果たし、何の見返りもありません。
     私は実在が今ここで欲しいのです。それはできますか?
 
 マハラジ
 もちろん、できる。
 あなたが本当に、あなたのサーダナも含めたすべてに愛想をつかしたと言う
 のならば。
 あなたが世界から何も要求せず、神からも何も求めず、何も探さず、何も期
 待しないとき、至高の状態は招かずして、不意にあなたのもとへやってくる
 だろう。
 
 質問者 もし家族生活と世間の関心事に没頭している人が、聖典に記述され
     たとおりに厳しくサーダナをしたならば、彼は結果を得るでしょう
     か?
 
 マハラジ
 結果は得るだろうが、彼はそれらのなかに、さなぎのように包みこまれてし
 まうだろう。
 
 質問者 数え切れないほどの聖者たちが、あなたは成熟し用意ができたとき
     に真我を実現するだろうと言ってきました。彼らの言葉は真実かも
     しれません。しかし、それらは役に立ちません。時間を必要とする
     成熟に依存せず、努力が必要なサーダナにも依存しない道がかなら
     ずあるはずです。
 
 マハラジ
 それを道と呼んではならない。
 それはある種の技なのだ。
 それでさえもない。
 開いていて、静かで在りなさい。
 あなたの探しているものは本当にあなたの近くにある。
 だから、道と呼ぶにはふさわしくないのだ。
 
 質問者 世界には数え切れないほど無知な人々がいるのに、ジニャーニはほ
     んのひとにぎりです。何が原因なのでしょうか
 

 マハラジ
 他者にかまうよりも、自分自身の面倒を見なさい。
 あなたはあなたが存在することを知っている。
 あなた自身の上に名前という重荷を負わせてはならない。
 ただ在りなさい。
 いかなるものでも名前や形を自分自身に与えることで、あなたの真の本性は
 隠されてしまうのだ。
 
 質問者 なぜ真我の実現の前に探求は終わらなければならないのでしょうか?
 
 マハラジ
 真実への欲望は最高の欲望だ。
 だが、それはいまだに欲望であることに変わりはない。
 真実が在るためには、すべての欲望が放棄されなければならないのだ。
 あなたは在る、ということを覚えていなさい。
 これがあなたの仕事の資本だ。
 その資本を回転させなさい。
 そうすれば多大な利益を生むだろう。
 
 質問者 そもそも、なぜ探求があるのでしょうか?
 
 マハラジ
 人生とは探求なのだ。
 探求するほかないのだ。
 すべての探求が終焉したとき、それが至高の状態だ。
 
                        『私は在る』(p212-214)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

そうか……。

(-||-)

> 質問者 しかし、グルは言葉なしで、信頼もなく、ただこのように何の準備
>     もなく真我の実現を与えることができるのでしょうか?

うーむ。

(ちょっと意味が曖昧という感じがするけど。

 グルは沈黙のままで、信頼も準備もない弟子に真我の実現を与えることがで
 きるか?、という意味かしら。)

> マハラジ
> できる。

おお。(@_@)

そう言えば、プンジャジは最初ラマナ・マハルシを信頼していなかったみたい
だし、ヴィヴェーカナンダも最初ラーマクリシュナし信頼していなかったとか。

> だが、どこに受け取る人がいるだろうか?

まったく。(*-_-*)

> 私は本当にグルと心をひとつにしていた。

はい。

> まったく完全に彼を信頼し、彼への抵抗は無に等しかったため、すべてはや
> さしくすばやく起こったのだ。

わかります。

そうでもなくて、わずか三年の後にどうして……。

> しかし、誰もがそのように幸運なわけではない。

おっしゃるとおりです。

> 怠惰と落ち着きのなさはしばしば道を阻み、それらが取り除かれるまで進展
> は遅くなる。

「それらが取り除かれるまで」……。(*-_-*)

> ただグルが触れ、見、思うだけで、その場で真我を実現した人たちは、すで
> に成熟していたのだ。

そんな方々もいるんですか。

> しかし、そのような人は本当にまれだ。

わかります。

> 大多数は成熟するまでに、いくらかの時が必要だ。

当然です。

> サーダナは成熟を加速するものだ。

はい。

> 質問者 何が人を成熟させるのでしょうか? 何が成熟の要因でしょうか?

うん。

> マハラジ
> もちろん、真剣さだ。

はい。

> 人は本当に熱望しなければならない。

わかります。(*-_-*)

> つまるところ、真我を実現した人はもっとも真剣な人だ。

はい。

そうだと思います。

> 何であれ彼がすることは、限界も制限もなく完全だ。
> 真剣さがあなたを実在へと連れていくのだ。

「真剣さが実在へと連れていく」……。

> 質問者 あなたは世界を愛していますか?

ぷ。(>_<)

> マハラジ
> 傷つけられたとき、あなたは泣く。

(?_?)

> どうしてだろう?

はあ……。

> なぜなら、あなたはあなた自身を愛しているからだ。

はい。

> あなたの愛を身体に閉じこめてはならない。
> 開いておきなさい。

ああ、なるほど。

> そうすれば、それはすべてへの愛となる。

そうなんですか。

そういうことができるのならば……。

> すべての偽りの自己同一化が捨て去られたとき、すべてを包容する愛が残る。

そうか。

> あなたに関する考えをすべてぬぐい去りなさい。
> あなたが神だという考えさえも捨て去りなさい。
> いかなる自己定義も正当ではない。

ふーむ。(-_-;)

> 質問者 私は約束に疲れました。私はサーダナに疲れてしまいました。それ
>     は私の時間とエネルギーを使い果たし、何の見返りもありません。
>     私は実在が今ここで欲しいのです。それはできますか?

このひと……。

> マハラジ
> もちろん、できる。

できるんですか。

> あなたが本当に、あなたのサーダナも含めたすべてに愛想をつかしたと言う
> のならば。

ああ、なるほど。

> あなたが世界から何も要求せず、神からも何も求めず、何も探さず、何も期
> 待しないとき、至高の状態は招かずして、不意にあなたのもとへやってくる
> だろう。

そうなんだ。

> 質問者 もし家族生活と世間の関心事に没頭している人が、聖典に記述され
>     たとおりに厳しくサーダナをしたならば、彼は結果を得るでしょう
>     か?

ふーん。不思議な質問……。

> マハラジ
> 結果は得るだろうが、彼はそれらのなかに、さなぎのように包みこまれてし
> まうだろう。

へー。

そういうこともあるんだ。

> 質問者 数え切れないほどの聖者たちが、あなたは成熟し用意ができたとき
>     に真我を実現するだろうと言ってきました。彼らの言葉は真実かも
>     しれません。しかし、それらは役に立ちません。時間を必要とする
>     成熟に依存せず、努力が必要なサーダナにも依存しない道がかなら
>     ずあるはずです。

うん、かなりエネルギーが入っているんだ。

思い詰めて、マハラジの前に来たとか……。

> マハラジ
> それを道と呼んではならない。
> それはある種の技なのだ。

へー、そういう道筋もありうるんだ。

> それでさえもない。

はい。

> 開いていて、静かで在りなさい。

はい。

> あなたの探しているものは本当にあなたの近くにある。

はい。

> だから、道と呼ぶにはふさわしくないのだ。

わかります(……のような気がします)。

> 質問者 世界には数え切れないほど無知な人々がいるのに、ジニャーニはほ
>     んのひとにぎりです。何が原因なのでしょうか

そりゃ、枯れる木ばかりなら森とは言えないし。

> マハラジ
> 他者にかまうよりも、自分自身の面倒を見なさい。

ふふ。

> あなたはあなたが存在することを知っている。

はい。

> あなた自身の上に名前という重荷を負わせてはならない。

はい。

> ただ在りなさい。

わかりました。

> いかなるものでも名前や形を自分自身に与えることで、あなたの真の本性は
> 隠されてしまうのだ。

はい。

> 質問者 なぜ真我の実現の前に探求は終わらなければならないのでしょうか?

なぜすべてを諦める前に、無欲は起こらないのでしょうか?……みたいな。

> マハラジ
> 真実への欲望は最高の欲望だ。

はい。

> だが、それはいまだに欲望であることに変わりはない。

わかります。

> 真実が在るためには、すべての欲望が放棄されなければならないのだ。

了解しています。

> あなたは在る、ということを覚えていなさい。

はい。

> これがあなたの仕事の資本だ。

(@_@)

> その資本を回転させなさい。

おお。

> そうすれば多大な利益を生むだろう。

(-||-)

> 質問者 そもそも、なぜ探求があるのでしょうか?

ふふ、開き直った。(^^;)

> マハラジ
> 人生とは探求なのだ。

なんと。(@_@)

> 探求するほかないのだ。

そうなんですか。(@_@)

> すべての探求が終焉したとき、それが至高の状態だ。

そうか……。

信じます……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


        …………○…………○…………○…………



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■ 3.いただいたお手紙から:M・Yさん
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▼『アセンション館通信』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単なるメールな
ど、ご自由にお書きいただければと思います。


        …………○…………○…………○…………


今回、M・Yさんから個人メールでこのメルマガのテーマととても関連の深い
お便りをいただきました。

もちろん、投稿ではありませんから私信です。

私信ですが、別の意味では、まさにこのメルマガの内容そのものに連動するよ
うな私信でもあるわけです。

ご返事をしたのですが、ついでにメルマガでの掲載の可否を伺ってみました。

快く掲載を許していただいたので、早速ご紹介いたします。

【件名】:『アセンション館通信』 を読んで。
----------------------------------------------------------------------
 こんにちは!パリさん(^^)/
 
 『アセンション館通信』毎週楽しみに読ませていただいています。
 
 ほかのいろんな方からの掲載メールも刺激になります。
 
 ニサルガさんの言おうとしていることはいつも一貫していて、
 
 いろんな角度でその時々の言葉として表現されているのかなっと、
 
 最近になってようやく気づくことができました(遅)。
 
 ある程度読み深めていかないと気付かないことってあるものですね。
 
 『アセンション館通信』、これまでわたしなりに読んできて、
 
 そしてそこからリンクさせてもらって様々な情報を知っていくうちに、
 
 最近自分の中でぼんやりみえてくるものがあります。
 
 しかし、その方向の解釈ではたして良いのかどうか、
 
 とんでもないとらえ方をしていないかどうか、第三者的な目が必要だと感じ
 ています。
 
 このような内容の話を真剣に語り合える仲間が身近にいたら、
 
 お互いに意見交流していくうちに何か方向的に見えてくるものがあるのかも
 しれません。
 
 が、実際には 普段の何気ない会話の中で気軽に話題に出せる内容ではない
 だけに、相手に引かれてしまったらさみしいし。
 
 主人はいわゆる超現実主義なので何をあほなこと、たわごと言ってるのって
 感じで真剣に聞いてくれなさそうだし。
 
 ニサルガさん的には、これらも単なる幻想世界の現象にすぎない、現れては
 消えてゆく実態のないものだ。
 
 何も恐れる必要はないと言われそうですが(わたしの理解が正しければ)。
 
 でもやっぱりまだ、このちっちゃい自分を手放すことができないんです。
 
 
 ニサルガさんのいわんとする事を“理屈では”少し理解ができるようになっ
 てきたかなっと手ごたえが感じられるこの頃。
 
 誰かに自分の考えを聞いてもらい、軌道修正なぞしていただけたらと思いま
 す。
 
 Pariさんに読んでいただいて第三者の冷静な目で感じ取ったことを教えても
 らえたら嬉しいです。
 
 押しつけがましくするつもりはありませんので、もし教えてもらえたらラッ
 キーという感じです。
 
 気が向いたら、メールください。一つ一つのコメントは不要です。全体像か
 らの感想でいいです。
 
 
 では、私なりのフィルターを通した最近思うことを綴らせてもらいます。
 
 わたしは pariさんを通してニサルガさんの言葉を聞くまでは、
 
 自分とはなんて“無力で弱くて頼りない、価値のないつまらない存在なのだ
 ろう”といつも否定的思考回路に毒され振り回されてきた様に思います。
 
 しかし、それは三次元のマインドに何の疑いもなく無意識に同化していたか
 らだ、ということを知ることができました。
 
 マインドは、この三次元、不完全な幻想世界の住人である。
 
 この三次元とは、波動が荒く意味もなく様々な現象が現れては消えていく幻
 想の世界、不完全な世界、それゆえ不快を感じることも多い世界だ。
 
 しかし、それがあるがままのこの世界のすがたであり、自然なのである。
 
 三次元の世界に罪はないのだろう。
 
 
 問題はそのような世界のマインドとすっかり同化し、
 
 マインドがわたし自身だと信じて疑わないことなのかな。
 
 やることなすこと不完全さを体験するたび、あたかもそれ自体がわたしであ
 るかのように信じて疑わなかった。
 
 しかし、どうやらそれは本来のわたしとは全く関係のないものであるらしい。
 
 マインドが知覚する思い・不安・悲しみ・恐れといったこれらの知覚される
 感覚も、わたし自身のものではない。
 
 喜び、楽しさ、快楽さえもマインド、三次元世界のものである。
 
 
 善か悪か、損か得か、幸か不幸か、優れているか劣っているかといった、
 
 両極端 二元性を現わすことを得意とするこの三次元世界。
 
 “喜び楽しさ心地よさ”といった感覚が感じられない時 “不安悲しみ恐れ
 不愉快”といったその対極性のものが、
 
 待ってましたとばかりに立ち現れマインドを占領しようとする。
 
 一か所にとどまっていることはできない世界。
 
 常に両極の狭間を揺れ動いているのがこの三次元世界。不安定な世界。
 
 そのような世界に同化する“能力”が“わたし”にはあり、あたかもそれが
 “わたし”にとって真実のように感じることができるので、錯覚してしまい、
 気が付いたら振り回されているのである。
 
 だからひとは絶対的な幸せ、完全なる安らぎ、不動の真実を求めてさまよう、
 この幻想世界の中で… 。
 
 でもこの三次元幻想世界のどこを探してもそれらのものはみつからない。
 
 求めるだけエネルギーの徒労に終わりそうだ。
 
 だって、それらは幻想世界の向こうにあるものであるらしいから。
 
 この三次元において知覚されるものはすべて、わたしのものではなく、
 
 三次元世界の住人 マインドちゃんとボディちゃんのもの。
 
 
 わたしは元々この三次元世界の住人ではなく、
 
 “有限世界の肉体とマインド”に期限付き契約で入らせてもらっているよう
 なもの。
 
 三次元幻想世界に立ち現われた、
 
 縁あって自己同化することが許されたこの肉体はやがて老朽化し朽ち果てる
 ものだから、
 
 いつかは出ていかなくてはならない。それが、死という名のお引っ越し。
 
 この三次元幻想世界には、
 
 不安やら悲しみやら恐れやねたみなど様々なネガティブと感じられるものが
 現れるが、
 
 より高次元の世界になるとこれらのネガティブと感じられる現象は立ち起こ
 らない。
 
 立ち起こる事が出来ないらしい。そんな世界にあこがれる。
 
 
 ニサルガさんは、この幻想世界の向こうへ行きなさい、そうすればすべての
 問題は解決すると言っているのだろう。
 
 理屈ではわかるのだけど、その言葉の背後にあるパワーをじかに感じること
 は今の自分にはたやすくない。
 
 “ちっちゃなニセモノ三次元世界の自分”を手放せない自分がもどかしい。
 
 けれども、もし実際手放したら、この世界のあらゆるものに対して興味関心
 がなくなり、
 
 冷めた目ですべてをみてしまいそうで生きている実感が持てないのではない
 かという不安にも駆られる。
 
 ニサルガさんのような境地になってみたいとあこがれつつも、
 
 まだ、この複雑な三次元世界を体験したがっている私なのかもしれない。
 
 
 気がつけばいつも磁石のようにこの三次元世界のちっちゃい自分に引き付け
 られている。
 
 でもやっぱりそんな世界にどっぷりつかっていると、つくづく嫌気がさして
 くる。
 
 このような揺れる考えをしていること自体が三次元世界のマインドに同化し
 ているっていうことなのでしょうが。
 
 こんな調子で、一瞬先にはまた懲りもせず三次元世界の住人さんになりきっ
 ている私がいる。
 
 ニサルガさんの教えには、とても共感できたり、納得できることが多い。
 
 少しでもその世界にいられるように私を再編成していきたい。
 
 
 わたしたちはもともと完全・完璧な存在なのであって、この三次元世界を
 一時体験しに来ただけである…らしい。
 
 もともと“わたし”が存在している“真実の世界”が、どれほどすばらしい
 世界であるかを再認識するためには、
 
 正反対のものを知らなければわからない、ということであるらしい。
 
 
 とりあえず、何かを感じたり思ったりしている時は、
 
 三次元世界のボディ&マインドに同化していると“自覚できる時間”を
 
 できるだけ長く持てるように意識することからはじめてみよう。
 
 
 以上です。所々、支離滅裂な文章になっているかとは思いますが、
 
 読んでいただいてありがとうございます。
----------------------------------------------------------------------

M・Yさん、掲載許可、ありがとうございました。

> こんにちは!パリさん(^^)/
> 
> 『アセンション館通信』毎週楽しみに読ませていただいています。

ありがとうございます。

> ほかのいろんな方からの掲載メールも刺激になります。

はい。

> ある程度読み深めていかないと気付かないことってあるものですね。

そういうものですよね。

特にマハラジの言葉は辛口なので、最初っから共振するひとの
方が、むしろ変わっていると思います。

> 『アセンション館通信』、これまでわたしなりに読んできて、
> 
> そしてそこからリンクさせてもらって様々な情報を知っていくうちに、
> 
> 最近自分の中でぼんやりみえてくるものがあります。

はい。

> しかし、その方向の解釈ではたして良いのかどうか、
> 
> とんでもないとらえ方をしていないかどうか、第三者的な目が必要だと感じ
> ています。

なるほど。

> このような内容の話を真剣に語り合える仲間が身近にいたら、
> 
> お互いに意見交流していくうちに何か方向的に見えてくるものがあるのかも
> しれません。
> 
> が、実際には 普段の何気ない会話の中で気軽に話題に出せる内容ではない
> だけに、相手に引かれてしまったらさみしいし。

というか、むしろいっしょに話せる方の方が例外的かもしれません。(^^;)

> 主人はいわゆる超現実主義なので何をあほなこと、たわごと言ってるのって
> 感じで真剣に聞いてくれなさそうだし。

それが“正常”かも。(*^_^*)

> ニサルガさん的には、これらも単なる幻想世界の現象にすぎない、現れては
> 消えてゆく実態のないものだ。
> 
> 何も恐れる必要はないと言われそうですが(わたしの理解が正しければ)。
> 
> でもやっぱりまだ、このちっちゃい自分を手放すことができないんです。

ご同様です。

> ニサルガさんのいわんとする事を“理屈では”少し理解ができるようになっ
> てきたかなっと手ごたえが感じられるこの頃。
> 
> 誰かに自分の考えを聞いてもらい、軌道修正なぞしていただけたらと思いま
> す。

なるほど。

> Pariさんに読んでいただいて第三者の冷静な目で感じ取ったことを教えても
> らえたら嬉しいです。

“冷静な目”かどうかはわかりませんが。^^;

> 押しつけがましくするつもりはありませんので、もし教えてもらえたらラッ
> キーという感じです。
> 
> 気が向いたら、メールください。一つ一つのコメントは不要です。全体像か
> らの感想でいいです。

わかりました。

(では、内容部分の再掲は省略させていただきますね。)

> 以上です。所々、支離滅裂な文章になっているかとは思いますが、
>
> 読んでいただいてありがとうございます。

ありがとうございました。

……そうですねぇ。

おっしゃるとおりだと思います……。

すべてその通りだと思うのですが……もしもここで言わずもがなの贅言を弄す
るならですが……。(*-_-*)

M・Yさんのご感想は、多くのニューエイジのマスターたちのメッセージにも
そのまま適用できるご意見ですよね。

つまり、われわれはこの肉体を負った人間ではなく、つかの間そこに宿った魂
なのだ、と。

その通りとも言えます……。

ただ、ニサルガダッタのメッセージにはそれとちょっと違うところもあります。

ニサルガダッタも夢の中での多次元宇宙を認めますし、上位次元も認めるでし
ょうが……そういうものすべてが要するに「夢」だと言うわけです。(*^_^*)

つまり、ニューエイジが説く多次元宇宙内での「魂」の旅も、その多次元宇宙
も、その多次元宇宙の根本創造主も含めて、すべてを含めて、知覚可能・想像
可能なものは、すべて「夢」だというわけです。

そういうものはすべて、われわれがが許可して、われわれの前に上映されてい
るだけなのだ、と。

じつは、われわれが興味を失えば、そういうものはすべて存在していないのだ、
というわけですよね。

もちろん、また興味を持てば、現れるわけでしょうが……。

でも、正直なところ、単にマインドでそういう情報をキャッチしているわたし
などがそんなことを言っても……とも思います。(-_-;)

M・Yさん、メールをいただいて嬉しかったです。


        …………○…………○…………○…………


とご返事して、ついでにメルマガへの掲載の可否をお訊きしたのでした。

すると早速ご返事いただいて、そのご返信もまた掲載許可をお願いしました。

許可いただいたので、早速、それも掲載させていただきます。


【件名】:こんにちは、M・Yです。
----------------------------------------------------------------------
 こんにちは、pariさん。
 
 今日も○○市内は朝から暑いです。
 でも、暑さとセットのような蝉の声は
 もうあまり聞こえてこなくなりました。この幻想世界では…。
 〜移り変わりを感じます。〜
 Pariさんからのメールありがとうございます。
 このようなたわごとにつきあっていただいてすみません。
 どうでもいいっちゃどうでもいい話なのかもしれないのに・・・。
 
 私の考え方はニューエイジ系の影響を強く受けているようなんですね。やは
 り・・・。
 思い起こせば、中学高校の頃からそのような本を読むのが大好きで良く読ん
 でいました。
 ありふれた日常で小さな考えに閉じ込もりがちな窮屈な自分を広い世界へ
 解放してくれるそのような類のはなしが大好きなんですね〜(*^_^*)
 いまだにですが。
 
 Pariさんのおっしゃるニサルガダッタの考えは
 自分的にわかったつもりでいたものと、やはり少しずれがありました。
 ニューエイジ系よりもっと広大であらゆるものを超えた深遠で究極の世界と
 いった感じでしょうか。
 もうそこまで行くと、私の想像できる範疇にはとても入りそうにないです。
 ニサルガダッタの世界はあらゆる世界を超越したほとんど“無”の世界とい
 えますか?
 もしそうだとしたら_
 例えるならニサルガダッタの世界は隠居生活でニューエイジ系の世界はまだ
 活発に活動している
 躍動世界といったイメージが出てくるのですが…。
 そして自分に問うてみると、そのような世界にたどり着く前に存在する無数
 の世界、(架空の幻想世界なのかもしれませんが)ニューエイジ系の世界と
 いうことになるのかな?にまだまだ興味津津といった感じです。
 まだまだいろんな世界を体験したいという欲、好奇心があるようです。
 この三次元世界はそろそろ卒業したいけど。
 
 ニサルガダッタがおっしゃるように、すべてが夢ならば、
 わたしという存在は、結局夢の中でそこにある存在に自己同化しながら
 いろいろやってみたい、遊びたいだけということになるのでしょうか?
 単なる夢の中の体験、遊びなんだから、あらゆることはそんなに重要ではな
 いということにも…。
 とてもそんな風にはみえないこの世界ですが。そんなあっけない世界なんで
 しょうかね〜。
 一生懸命働くことや、よりよく生きようと努力することは皆無意味なんでし
 ょうか?
 私達は何のためにここにいるのか存在するのかの答えが、ただ無意味に遊ん
 でいるだけ???
 そんなシンプルな理由でここにいるのだとしたら、全身の力が抜けてしまい
 ます。
 自分にのしかかってるように感じる常識やら束縛やら足かせやら、あらゆる
 ものから本当に自由になっていいのかな〜。 夢だから…。
 何もしないほうが楽チンだし、自分のやりたいことだけやればいいというこ
 となのでしょうか? 夢だから…。
 あるいは、そこには意味があるのだとしたらどんな意味があるのでしょう?
 この夢の世界を通して成長・進化みたいなものが得られるということなので
 しょうか?
 ああ、また混乱して考えがまとまらなくなってきました。
 とにもかくにも、今の状態の私では例え幻想世界であろうとも
 この三次元世界に住んでいる気になっているのだから、
 この世界を楽しまないとっ、ということにして
 この辺で失礼いたします。
 
 pariさんはどのように考えられますか?
 もしメールを頂けるのでしたら、すぐでなくても全然かまいません。
 気が向いた時いつでも結構です。
 それから、私のたわごとのような滑稽なはなしで良ければアセンション館通
 信にどうぞ載せてください。かなり恥ずかしいものがありますが、
 顔がみえるわけじゃありませんので気にしないことにします。
 
 それでは、失礼いたします。(*^_^*)
----------------------------------------------------------------------

M・Yさん、掲載許可、ありがとうございました。m(_ _)m

> こんにちは、pariさん。
> 
> 今日も○○市内は朝から暑いです。
> でも、暑さとセットのような蝉の声は
> もうあまり聞こえてこなくなりました。この幻想世界では…。
> 〜移り変わりを感じます。〜

最近は、蝉の声が少なくなったような気がしますね。

わたしのところは山里なので、蝉の声があることはあるのですが……。

> Pariさんからのメールありがとうございます。
> このようなたわごとにつきあっていただいてすみません。
> どうでもいいっちゃどうでもいい話なのかもしれないのに・・・。

たしかに。(^^;)

> 私の考え方はニューエイジ系の影響を強く受けているようなんですね。やは
> り・・・。
> 思い起こせば、中学高校の頃からそのような本を読むのが大好きで良く読ん
> でいました。
> ありふれた日常で小さな考えに閉じ込もりがちな窮屈な自分を広い世界へ
> 解放してくれるそのような類のはなしが大好きなんですね〜(*^_^*)いま
> だにですが。

はい、ご同様です。

> Pariさんのおっしゃるニサルガダッタの考えは
> 自分的にわかったつもりでいたものと、やはり少しずれがありました。
> ニューエイジ系よりもっと広大であらゆるものを超えた深遠で究極の世界と
> いった感じでしょうか。

まあ、そういう言い方もできますが、逆にわれわれ(つまり、マインドの意味
ですが)の創造力がどれほど強力であるか、ということにもなりますよね。

> もうそこまで行くと、私の想像できる範疇にはとても入りそうにないです。
> ニサルガダッタの世界はあらゆる世界を超越したほとんど“無”の世界とい
> えますか?

まあ、ニサルガダッタだけでもないんですよね。

ラマナ・マハルシが言っていることも、また、『神の使者』で
紹介されている“J”(歴史上のイエス)も、言葉遣いは違い
ますが、まったく同等の内容について語っていると思います。

つまり、その“無”がわれわれだということです。

その“無”がなければ、われわれの今の体験もありえないわけ
ですから、とても論理的ですよね。

> もしそうだとしたら_
> 例えるならニサルガダッタの世界は隠居生活でニューエイジ系の世界はまだ
> 活発に活動している躍動世界といったイメージが出てくるのですが…。

はは。^^;

まあ、そういう言い方もできますよね。

> そして自分に問うてみると、そのような世界にたどり着く前に存在する無数
> の世界、(架空の幻想世界なのかもしれませんが)ニューエイジ系の世界と
> いうことになるのかな?にまだまだ興味津津といった感じです。
> まだまだいろんな世界を体験したいという欲、好奇心があるようです。
> この三次元世界はそろそろ卒業したいけど。

はい、わたしも似たようなところです。(^^;)

> ニサルガダッタがおっしゃるように、すべてが夢ならば、
> わたしという存在は、結局夢の中でそこにある存在に自己同化しながら
> いろいろやってみたい、遊びたいだけということになるのでしょうか?

はい、それは確かだと思います。

もちろん、自分も含めての話ですが……。

> 単なる夢の中の体験、遊びなんだから、あらゆることはそんなに重要ではな
> いということにも…。

基本的に、そういうことですよねぇ。

もし、そう思えるのでしたら、それは是非……。

> とてもそんな風にはみえないこの世界ですが。そんなあっけない世界なんで
> しょうかね〜。

はい、わたしはそう思います。

この世界を一見堅固なものにしているのは、われわれの執着
だけだと思います。

> 一生懸命働くことや、よりよく生きようと努力することは皆無意味なんでし
> ょうか?

もし、そう思えるのでしたら……“皆無意味なんでしょう”。

ニサルガダッタ風の言い方では、

「言葉を重視するかぎり、あなたは子供なのだ。(p192)」

ということになるようです。

> 私達は何のためにここにいるのか存在するのかの答えが、ただ無意味に遊ん
> でいるだけ???

もしそう思えるのであれば……。

こういうことは結局、どういう意識に対して言っているのかで、
ジニャーニの言葉は変わってくると思うんですよね。

究極的な真実(実状)を問いつめると、マハルシもマハラジも、
ジニャーニたちはすべて、あなたが自分だと思っている個人は、
じつは存在しない、という言い方をするだろうと、思います。

そしてそういう回答は、じっさい、論理的にそれ以外は考えら
れない、とても納得のいく話だと思います。

> そんなシンプルな理由でここにいるのだとしたら、全身の力が抜けてしまい
> ます。

もし本当に“全身の力が抜けて”しまうのなら、それはそれで
とても自然でいいことだと思います。

> 自分にのしかかってるように感じる常識やら束縛やら足かせやら、あらゆる
> ものから本当に自由になっていいのかな〜。 夢だから…。

“常識やら束縛やら足かせ”に拘束されるよりは、よほど正常な
状態ではないでしょうか。

> 何もしないほうが楽チンだし、自分のやりたいことだけやればいいというこ
> となのでしょうか? 夢だから…。

そう思います。

もし、そうできるなら……。

でも、それが本当にできるようになるためにこそ、「サーダナ」が
必要なのだと思います。

本当に、底の底からの確信がなければ、「自分のやりたいことだけ」
をすることなどできませんから。

“知覚可能・想像可能”なものはすべて自分ではなく、単なる幻影
にすぎないという……。

その確信に至るための「私は在る」だと思います……。

> あるいは、そこには意味があるのだとしたらどんな意味があるのでしょう?

ニサルガダッタは、“夢から覚めたときにそれがわかる”と
言っていますね。

> この夢の世界を通して成長・進化みたいなものが得られるということなので
> しょうか?

もし、“成長・進化”というようなものをお望みなら。

> ああ、また混乱して考えがまとまらなくなってきました。

(^^;)

> とにもかくにも、今の状態の私では例え幻想世界であろうとも
> この三次元世界に住んでいる気になっているのだから、
> この世界を楽しまないとっ、ということにして
> この辺で失礼いたします。

了解です。(^^)/

> pariさんはどのように考えられますか?

わたしは、ニサルガダッタの言葉を信じています。

ニサルガダッタが嘘を言ってわれわれを騙す必要などまったく
ないと思うので。

> もしメールを頂けるのでしたら、すぐでなくても全然かまいません。
> 気が向いた時いつでも結構です。

はい、こんな感じです。^^;

M・Yさん、行きがかり上、分不相応な言葉を書くことになって
しまいました。(-_-;)

メールいただいて、とても嬉しかったです。

ありがとうございました。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 4.編集後記:不幸になる理由を探すよりは、ただ幸せでいる方が……
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

できることなら、なるべく、「ただ在ることに幸せでいる」という言葉を思い
だしたいものだと思っています。

誰の迷惑になることでもなし……。

不幸になる理由を探すよりは、ただ幸せでいる方が、なんとなく賢いような気
もするし。

何もわからずただ幸せでいられたら、それでいいのかも、という気もするし。

では、おやすみなさい。

<(_ _)>


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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