━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆ 『アセンション館通信』vol.282 2009/8/30(第282号)
☆☆ ☆ ☆☆
☆☆ ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))
マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;
内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 957名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.すべての定義づけは
2.写経ニサルガダッタ:
【43 無知は認識できるが、ジニャーナは認識できない】の3回目
3.いただいたお手紙から:M・Yさん
4.「ご投稿・情報提供」:ハイアーセルフ33さん
5.編集後記:今日はちょっと“シカ柵”の補強をしました。
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■ 1.すべての定義づけは
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ガラス戸を開けると風がいっぱいに入ってくる……。
今年は蝉時雨というようなのも聞かないけれど、それでも近くに、また遠くに
蝉の声が聞こえている。
そして気がつけば風景の底にある川の音……。
いい季節ですね。
何が見えていても、何が聞こえていても、それらは見ている者の存在を指し示
している。
その見ている者だけが実在の反映なのだという。
突然……明日の選挙に投票を呼びかける町の放送がはいってきて……終わる。
そして……また川の音。
すべての現れが……それを見ている者の存在を指し示している。
私は在る……。
(*-_-*)
というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/
みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?
「あるがままのあなたとして在ること、それ以外は何も必要ないのだ。(p339)」
と……そんな言葉が聞こえてきそうな気がする瞬間もあります。
じっさい、眼前のどんな現れもとどめておくことなどできないわけですし……。
またどんなことをしても、わたしを失うことなどできないわけで……。
だとすれば現状ですでに、わたしは何も獲得することはできないし、また自分
を失うこともできないわけです。
……となると、じっさいは、わたしはあるがままの自分であることしかできな
いのでしょう。
また……それ以上のことを誰に求められているわけでもない。(-_-;)
いずれにしろ、すべての現れがわたしの存在を指し示しているわけですから。
またたとえ、わたしには知覚も想像もできない何らかの現れが在ったとしても、
わたしにはそんなものの存在を察知する術すらない。
つまり、そんな現れは……わたしには存在していないわけです。
すべての知覚可能・想像可能な現れは、それを見ている者(知覚している者、
想像している者)の存在を指し示している。
わたしが興味を持てば、その現れはたちまちわたしの知覚の範囲内に、想像の
範囲内に入ってくる。
そしてわたしが興味を失えば、その現れはたちまちわたしの知覚の範囲内から、
想像の範囲内から消え失せる……。
これは比喩でも何でもなく、また高級な話でも何でもなく、単なる事実にすぎ
ないようです。
「あるがままのあなたとして在ること、それ以外は何も必要ないのだ。(p339)」
というニサルガダッタの言葉を信頼するなら、要求されていることはただいま
現在、誰にも可能なことのようです。
われわれが窮地に陥っているのは、現れの一部分である“自分の”身体に自己
同化して、その部分のみの選択的サバイバルゲームの夢に取り込まれたから。
> あなたが抱えているすべての問題は、あなたの身体の問題――食事、衣服、
> 家、友人、名前、名声、安全、生存だということがわからないだろうか?
(@_@)
……わかりますよ、それくらい。(=_=)
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これらの問題すべては、あなたが単なる身体ではないと悟った瞬間に消え去
るのだ。
『私は在る』(p23)
http://tinyurl.com/s747u
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言うてくださるなニサルガ殿……。(>_<)\ゴン (\_/)
……。(/_;)
落ちぶれ果ててもわしらも真我じゃ
エゴの散りぎわだけは知って居り申す
行かねばならぬ、そこをどいてくだされ
行かねばならぬのだぁ……。(*@_@*) (←アホ、誰も止めとらんて。)
すまんこってす……。(^^;)
ほしてからに……、“単なる身体ではない”自分とはこれいかに。(?_?)
> ひとたびあなたが、これが自分だと指し示すことができるものは何もなく、
> 「私は在る」ということ以外に自己を語ることができないと確信すれば、
> 「私は在る」という指針の役目は終わる。
あ、はい。(@_@)
そうだったんですか……。(-_-;)
> もはやあなたは、自己が何なのかを言葉の上に置き換えようなどとはしない
> だろう。
あ……、なるほど。
「自己が何なのかを言葉の上に置き換えようなどとはしな」くなる……。(-_-)
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必要なのは、自己を定義しようとする傾向を捨て去ることだけだ。
すべての定義づけは、身体とその表現にしか当てはまらない。
『私は在る』(p27)
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ガーン!? (*_*) ⌒★?
> すべての定義づけは、身体とその表現にしか当てはまらない。
そうなのか……そうなのか……。
どんなに気取っても、「すべての定義づけは、身体とその表現にしか当てはま
らない」のか……。(-_-;)
定義づけというものはすべて、エゴの響きなんだ……。
定義づけとはすべて、たんなる無知ということか……。
ふーむ。
> この身体への固執が消えれば、あなたは自然なあるがままの姿に努力するこ
> となく帰り着くだろう。
……突きつめれば、それだけか。(-_-;)
それだけだなぁ……。
(-_-)
……。
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:
【43 無知は認識できるが、ジニャーナは認識できない】の3回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
いつもニサルガダッタの言葉を読むたびに思うこと……、それは“現象をあま
り重要視する必要はない”んだなぁ、ということです。
何度読んでも、いつもいつもそう思うんだから、自分がいかに現象に振り回さ
れているか、ということですよね。
現象に気を取られて、何が何やらわからなくなって、質問者たちはグルにいろ
んな質問をする。
すると、グルは応える、
> 内面を見なさい。
> すべての師たちが言えることはこれだけだ。
> すべての井戸のなかに同じ水があるのだ。
と。
今回は、それにちょっと辛口の提案が加わります。
> 他者に聞いてはならない。
> あなた自身に関して他者に言わせてはならない。
と。(@_@)
では、【43 無知は認識できるが、ジニャーナは認識できない】の3回目です。
(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
願っています。(-||-) )
最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。
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質問者 至高の状態はなぜ来ては去っていくのでしょうか?
マハラジ
それは去来するものではない。
それは在る。
質問者 あなたは自分の体験から話しているのでしょうか?
マハラジ
もちろんだ。
それは時間を超えた常在の状態なのだ。
質問者 私にとってそれは去来し、あなたにとってはそうではありません。
この違いはなぜでしょうか?
マハラジ
おそらく、私に欲望がないからだろう。
あるいは、あなたが至高なる者を充分強く求めてはいないからだ。
あなたのマインドが実在に気づかないとき、あなたは死にもの狂いでなけれ
ばならないのだ。
質問者 全人生において、私は努力してきました。そして何も達成しなかっ
たのです。私は読み、話を聞いてきましたが、すべては無駄でした。
マハラジ
読むことと聞くことがあなたにとって習慣になってしまったのだ。
質問者 それらもまた放棄しました。近頃は読むことさえもしません。
マハラジ
放棄したものはもはや重要ではない。
あなたが放棄していないものは何だろうか?
それを見つけ、放棄しなさい。
サーダナとは放棄するものを探すことだ。
あなた自身を完全に空っぽにしなさい。
質問者 どうして愚か者に智慧(ちえ)を望むことができるでしょうか?
人が強く望むためには、欲望の対象を知る必要があります。至高な
るものが知られていないのに、どうやって求めることができるでし
ょうか?
マハラジ
人は自然に成熟していくものだ。
そして真我の実現にふさわしくなるのだ。
質問者 しかし、成熟の要因は何でしょうか?
マハラジ
自己想起、「私は在る」という気づきがあなたを強力に迅速に成熟させる。
あなた自身に関するすべての観念を捨て去りなさい。
そして、ただ在るのだ。
質問者 私はすべての道や方法や技や計略に疲れました。それらはすべて精
神的なアクロバットです。実在を直接、即時に知覚する術(すべ)
はないのでしょうか?
マハラジ
あなたのマインドを使うことをやめ、何が起こるか見てみなさい。
これだけを徹底してやりなさい。
それだけだ。
質問者 私が若かったとき、短いけれども忘れがたい奇妙な体験をしました。
それは無としての存在、ただの無でありながら、しかも完全に意識
して在るというものです。しかし危険なのは、すでに過ぎ去った瞬
間の記憶からそれを再生しようとする欲望をもつことです。
マハラジ
それはすべて想像だ。
意識の光のなかで、ありとあらゆることが起こる。
人はそのどれにも特別な重要性を与える必要はない。
花の眺めは神のヴィジョンを見ることと同じように奇跡的なものだ。
それはそれとして放っておきなさい。
なぜ思い出し、その記憶を問題にしなければならないのか?
それを片寄りなく見ることだ。
高い低い、内側と外側、永遠と一過性を区別してはならない。
彼方へと超えていきなさい。
源に戻りなさい。
何が起ころうと変わらない自己へと向かいなさい。
あなたの弱点は、あなたが世界のなかに生まれたと確信していることだ。
実際には、世界はあなたによって、あなたのなかで、つねに再創造されてい
るのだ。
すべてをあなたの存在の源である光から出現したものとして見なさい。
その光のなかに、あなたは愛と無限のエネルギーを見いだすだろう。
質問者 もし私がその光ならば、なぜ私はそれを知らないのでしょうか?
マハラジ
知るためには知る能力のあるマインド、知るマインドが必要だ。
しかしあなたのマインドはつねに走りまわり、けっして静止せず、完全に反
映しない。
目の病で視界が曇っているとき、どうして月の壮麗な姿を見ることができる
だろう?
質問者 太陽が影をつくり出す原因であるかぎり、影のなかに太陽を見るこ
とはできない、と言えるでしょうか? 私は振り返らなければなら
ないのです。
マハラジ
またしても、あなたは太陽、身体、影という三位(さんみ)の概念をもち出
した。
実在のなかにそのような区別はないのだ。
私の話していることは、二元性や三位とは何の関わりもないことだ。
知的な理解や言語表現をしてはならない。
ただ見なさい。
そして在りなさい。
質問者 在るために、見なければならないのでしょうか?
マハラジ
あるがままのあなたを見なさい。
他者に聞いてはならない。
あなた自身に関して他者に言わせてはならない。
内面を見なさい。
すべての師たちが言えることはこれだけだ。
ひとりの師からほかへと渡り歩く必要はない。
すべての井戸のなかに同じ水があるのだ。
一番近い井戸から水を引くがいい。
私の場合、水は私のなかにあり、私が水なのだ。
『私は在る』(p214-216)
http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------
ふー。(-||-)
> 質問者 至高の状態はなぜ来ては去っていくのでしょうか?
ん?
> マハラジ
> それは去来するものではない。
ですよね。
> それは在る。
はい。
> 質問者 あなたは自分の体験から話しているのでしょうか?
>
> マハラジ
> もちろんだ。
もちろんだ。(^^;) \←……
> それは時間を超えた常在の状態なのだ。
はい。
> 質問者 私にとってそれは去来し、あなたにとってはそうではありません。
> この違いはなぜでしょうか?
うん。
> マハラジ
> おそらく、私に欲望がないからだろう。
はあ……。
> あるいは、あなたが至高なる者を充分強く求めてはいないからだ。
それもありかも。
> あなたのマインドが実在に気づかないとき、あなたは死にもの狂いでなけれ
> ばならないのだ。
ですよね。(;_;)
> 質問者 全人生において、私は努力してきました。そして何も達成しなかっ
> たのです。私は読み、話を聞いてきましたが、すべては無駄でした。
かなり言うなぁ、このしと……。
> マハラジ
> 読むことと聞くことがあなたにとって習慣になってしまったのだ。
ああ……、そういうこともありかも。
> 質問者 それらもまた放棄しました。近頃は読むことさえもしません。
ふふ。(^^;)
> マハラジ
> 放棄したものはもはや重要ではない。
はい。
> あなたが放棄していないものは何だろうか?
ああ、そうか……。
これが……たくさんあるんだ、けっこう……。
> それを見つけ、放棄しなさい。
わかりました。
> サーダナとは放棄するものを探すことだ。
(@_@)
そうなんだ。
「サーダナとは放棄するものを探すこと」……。
> あなた自身を完全に空っぽにしなさい。
ああ……、そういうことか。
> 質問者 どうして愚か者に智慧(ちえ)を望むことができるでしょうか?
> 人が強く望むためには、欲望の対象を知る必要があります。至高な
> るものが知られていないのに、どうやって求めることができるでし
> ょうか?
なるほど……、それも理屈だなぁ。(-_-)
> マハラジ
> 人は自然に成熟していくものだ。
ふーん。
> そして真我の実現にふさわしくなるのだ。
そうかぁ。
> 質問者 しかし、成熟の要因は何でしょうか?
うん。
> マハラジ
> 自己想起、「私は在る」という気づきがあなたを強力に迅速に成熟させる。
やっぱり。
> あなた自身に関するすべての観念を捨て去りなさい。
これが、メチャ難しい。
> そして、ただ在るのだ。
そうか。
> 質問者 私はすべての道や方法や技や計略に疲れました。それらはすべて精
> 神的なアクロバットです。実在を直接、即時に知覚する術(すべ)
> はないのでしょうか?
だだをこねてる。(^^;)
> マハラジ
> あなたのマインドを使うことをやめ、何が起こるか見てみなさい。
> これだけを徹底してやりなさい。
> それだけだ。
ああ……。
それができれば……たぶん、それだけでいいんだ。
> 質問者 私が若かったとき、短いけれども忘れがたい奇妙な体験をしました。
> それは無としての存在、ただの無でありながら、しかも完全に意識
> して在るというものです。しかし危険なのは、すでに過ぎ去った瞬
> 間の記憶からそれを再生しようとする欲望をもつことです。
うう……。
> マハラジ
> それはすべて想像だ。
キビシイ。
> 意識の光のなかで、ありとあらゆることが起こる。
はい。
> 人はそのどれにも特別な重要性を与える必要はない。
そうか……。
> 花の眺めは神のヴィジョンを見ることと同じように奇跡的なものだ。
はい。
> それはそれとして放っておきなさい。
わかりました。
> なぜ思い出し、その記憶を問題にしなければならないのか?
そうか。
> それを片寄りなく見ることだ。
というと?
> 高い低い、内側と外側、永遠と一過性を区別してはならない。
なんと!? (@_@)
“高い低い、内側と外側、永遠と一過性”さえ、区別しないのか……。
え、“永遠と一過性”も区別しないの? (@_@)
> 彼方へと超えていきなさい。
ふーむ。
半端じゃないわ……。(-_-)
> 源に戻りなさい。
> 何が起ころうと変わらない自己へと向かいなさい。
そうかぁ、“何が起ころうと変わらない自己へ”かぁ。
> あなたの弱点は、あなたが世界のなかに生まれたと確信していることだ。
たしかに。
> 実際には、世界はあなたによって、あなたのなかで、つねに再創造されてい
> るのだ。
はい。
> すべてをあなたの存在の源である光から出現したものとして見なさい。
はい。
> その光のなかに、あなたは愛と無限のエネルギーを見いだすだろう。
(-||-)
> 質問者 もし私がその光ならば、なぜ私はそれを知らないのでしょうか?
うん。
なぜ私はそれを知らないのでしょう?
> マハラジ
> 知るためには知る能力のあるマインド、知るマインドが必要だ。
“知る能力のあるマインド”、“知るマインド”……。(-_-;)
やっぱり、当面、この個人に自己同化した“わたし”はマインドなんだ。
少なくとも……わたしはマインドを通してしか知ることはできない。
> しかしあなたのマインドはつねに走りまわり、けっして静止せず、完全に反
> 映しない。
わかります。
> 目の病で視界が曇っているとき、どうして月の壮麗な姿を見ることができる
> だろう?
たしかに。
> 質問者 太陽が影をつくり出す原因であるかぎり、影のなかに太陽を見るこ
> とはできない、と言えるでしょうか? 私は振り返らなければなら
> ないのです。
お、お、理論派だなこのしと。
> マハラジ
> またしても、あなたは太陽、身体、影という三位(さんみ)の概念をもち出
> した。
ふーん、そうなのか。
> 実在のなかにそのような区別はないのだ。
はい。
> 私の話していることは、二元性や三位とは何の関わりもないことだ。
> 知的な理解や言語表現をしてはならない。
はい。
> ただ見なさい。
> そして在りなさい。
わかりました。
> 質問者 在るために、見なければならないのでしょうか?
>
> マハラジ
> あるがままのあなたを見なさい。
> 他者に聞いてはならない。
(@_@)
はじめてだなぁ、この言い方。(-_-)
> あなた自身に関して他者に言わせてはならない。
スゴイ……。
はじめてだけど、こういう言い方は好きだ。
> 内面を見なさい。
> すべての師たちが言えることはこれだけだ。
はい。
> ひとりの師からほかへと渡り歩く必要はない。
自分の内面を見はじめるまでの間ですね。
ひとりの師からほかへと渡り歩くのは。
> すべての井戸のなかに同じ水があるのだ。
わかります。
> 一番近い井戸から水を引くがいい。
はい。
> 私の場合、水は私のなかにあり、私が水なのだ。
はい、結局は、誰にとってもそのはずです。
(-_-)
……。
(-||-)
今日の写経は、ここまでです。
m(_ _)m
…………○…………○…………○…………
『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。
ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
…………○…………○…………○…………
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 3.いただいたお手紙から:M・Yさん
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▼『アセンション館通信』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単なるメールな
ど、ご自由にお書きいただければと思います。
…………○…………○…………○…………
前回に続いて、M・Yさんから個人メールでメルマガのテーマととても関連の
深いお便りをいただきました。
また掲載の可否を伺って、快く許していただいたのでご紹介いたします。
【件名】:M・Yです(^^)/
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こんにちは、pariさん(^^)/
暑さもここ数日かなり和らいですごしやすくなりました。
そろそろ秋の気配が・・・。
穏やかに時が流れていきそうで、いいですね〜。
ニサルガダッタがおっしゃる“気づき”、気づいている状態ということにつ
いてまたまた考えが浮かんできましたので、あつかましくもまたメールして
しまいました。
“気づき”とは、この三次元物質世界に現れているいわゆる私の肉体やマイ
ンドが、今このように思っている、感じている、こんな感情を抱いている、
と はなれたところから冷静に“実況中継”できている状態といえますか?
マインドを子どものように扱って、いちいち反応して一体化し、
不安がったり、恐れたり、悲しんだり、喜んだり…、
どうしよう、なんとかしなくちゃ…と、
三次元世界にどっぷりはまりこむのではなく、
ああ、マインド君いまキミはそう感じたんだねっとか、
そう思ったんだねっと… それはそれとして、
素直に認めてあげつつ、
「でもわたしは君と同一化する気はないよ」っと、執着せずに受け流す。
ちょっと非情に感じられるかもしれないけど、
わたしにとってここが一番重要な部分ではなかったかと。
マインド君のいうことを無視できず、いわゆるマインドの情に流されっぱな
し???
ここが運命の分かれ道。ここをあやふやにしてきたがために
わたしはマインドに振り回されっぱなしであったのかもしれない。
マインドは寝ている時以外、様々な思いを抱き、感じ取り、
揺れ動いたりして 活動しているから、
これらのマインドくんの動きに一瞬一瞬対応し、
先ほどのように、マインドの“ありのままの状況”を実況中継していけば、
いつかマインドくんと自己同化どっぷりの世界から、
だんだん自己同化することが少なくなり、
ついには、マインドくんとわたしが完全に別個のものになる事ができるので
はないかと。
> 質問者 そもそも、なぜ探求があるのでしょうか?
>
> マハラジ
> 人生とは探求なのだ。
> 探求するほかないのだ。
> すべての探求が終焉したとき、それが至高の状態だ。
ここに出てくる“人生”とは、
物質的に立ち現れている肉体に“自己同一化”していることを
さしているのですか?
自己同一化している限り、探求は続くということで?
ならば、いついかなる時も全く自己同一化しなくなった時、
この人生を生きていても、また生きながらにして、
すべての探求が終焉し至高の状態になる、
という理解でいいのでしょうか?
無意識的自己同一化=人生を生きている
まずは意識的自己同一化を目指せば脱却の道は開ける???
このような考えが浮かんでくるのですが…。
なんせ私もマインドを使って考えているようなものですから
(でも少しは直感的な考えもはいっているかな…)
私のいうことに一貫性はあるのかどうなのか・・・。
pariさんはこのような考えをどう思われますか?うまくいくと思われますか?
M・Y
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M・Yさん、掲載許可、ありがとうございました。
> こんにちは、pariさん(^^)/
メール、ありがとうございます。
> 暑さもここ数日かなり和らいですごしやすくなりました。
> そろそろ秋の気配が・・・。
> 穏やかに時が流れていきそうで、いいですね〜。
だいぶ涼しくなってきましたね。
> ニサルガダッタがおっしゃる“気づき”、気づいている状態ということにつ
> いてまたまた考えが浮かんできましたので、あつかましくもまたメールして
> しまいました。
ありがとうございます。
> “気づき”とは、この三次元物質世界に現れているいわゆる私の肉体やマイ
> ンドが、今このように思っている、感じている、こんな感情を抱いている、
> と はなれたところから冷静に“実況中継”できている状態といえますか?
はい、「観照」という言葉が、おおむねそういうことを表すようです。
ニサルガダッタの「気づき」の用法については、後でちょっとご説明しますね。
> マインドを子どものように扱って、いちいち反応して一体化し、
> 不安がったり、恐れたり、悲しんだり、喜んだり…、
> どうしよう、なんとかしなくちゃ…と、
> 三次元世界にどっぷりはまりこむのではなく、
> ああ、マインド君いまキミはそう感じたんだねっとか、
> そう思ったんだねっと… それはそれとして、
> 素直に認めてあげつつ、
>
> 「でもわたしは君と同一化する気はないよ」っと、執着せずに受け流す。
まあ、そういうことですね。
そういう感じでことが進むかどうかは、ひとまず措いておくとして。
> ちょっと非情に感じられるかもしれないけど、
> わたしにとってここが一番重要な部分ではなかったかと。
というと?
> マインド君のいうことを無視できず、いわゆるマインドの情に流されっぱな
> し???
> ここが運命の分かれ道。ここをあやふやにしてきたがために
> わたしはマインドに振り回されっぱなしであったのかもしれない。
なるほど。
> マインドは寝ている時以外、様々な思いを抱き、感じ取り、
> 揺れ動いたりして 活動しているから、
> これらのマインドくんの動きに一瞬一瞬対応し、
> 先ほどのように、マインドの“ありのままの状況”を実況中継していけば、
> いつかマインドくんと自己同化どっぷりの世界から、
> だんだん自己同化することが少なくなり、
> ついには、マインドくんとわたしが完全に別個のものになる事ができるので
> はないかと。
はい、事態がそういう感じで進むかどうかは一応別にして、おっしゃる意味は
よくわかりますし、「観照」とはそういうことだと思います。
ニサルガ師匠も、「自分の意識の流れに興味を抱くこと自体が、あなたを気づ
きへと導く。(p50)」という言い方をしています。
> > 質問者 そもそも、なぜ探求があるのでしょうか?
> >
> > マハラジ
> > 人生とは探求なのだ。
> > 探求するほかないのだ。
> > すべての探求が終焉したとき、それが至高の状態だ。
>
> ここに出てくる“人生”とは、
> 物質的に立ち現れている肉体に“自己同一化”していることを
> さしているのですか?
いえ、それだけの意味ではないようですね。
前の方に、「いかなるものでも名前や形を自分自身に与えることで、
あなたの真の本性は隠されてしまうのだ」
https://www.ascensionkan.com/mm/vol281.html#2-1
という一節があることを考えると……。
> 自己同一化している限り、探求は続くということで?
そういうことだと思います。
> ならば、いついかなる時も全く自己同一化しなくなった時、
> この人生を生きていても、また生きながらにして、
> すべての探求が終焉し至高の状態になる、
> という理解でいいのでしょうか?
はい、大筋で、おっしゃるとおりだと思います。
“いついかなる時も全く自己同一化しなくなった時”というのは、夢のなかの
状況に対して完全に無欲になっていなければ不可能でしょうから。
> 無意識的自己同一化=人生を生きている
> まずは意識的自己同一化を目指せば脱却の道は開ける???
> このような考えが浮かんでくるのですが…。
“意識的自己同一化”ですか……。
さて、その言葉でどういうことを意味していらっしゃるかですが……。
自分の自己同化を意識しながら、むしろ自覚的に自己同化する、というような
意味ですか?
もしそうだとして、“むしろ自覚的に自己同化する”というようなことを狙っ
て、はたしてそれが可能かどうか……。
それは、“脱却”という言葉でどういうことを意味していらっしゃるのかにも
関係するかもしれませんが……。
> なんせ私もマインドを使って考えているようなものですから
> (でも少しは直感的な考えもはいっているかな…)
まあ、直感的にしろ論理的にしろ、意識しているものはすべてマインドだとは
思いますが。^^;
> 私のいうことに一貫性はあるのかどうなのか・・・。
はい、おっしゃる意味はよくわかります。
> pariさんはこのような考えをどう思われますか?うまくいくと思われますか?
うまくいくかどうかですか……? (^^;)
というより、何のために何から“脱却”したいんでしょう?
“脱却”という言葉でどういうことをイメージしていらっしゃるのか。
前回いただいたメールで、たしか、
> そして自分に問うてみると、そのような世界にたどり着く前に存在する無数
> の世界、(架空の幻想世界なのかもしれませんが)ニューエイジ系の世界と
> いうことになるのかな?にまだまだ興味津津といった感じです。
> まだまだいろんな世界を体験したいという欲、好奇心があるようです。
> この三次元世界はそろそろ卒業したいけど。
と、おっしゃってましたよね。
もし、それがおっしゃるとおりなら、“脱却”など要らないのでは?
無数の世界に“まだまだ興味津津”だけど、そういう世界から“脱却”したい
ということでしょうか?
もし、そういう意味なら、すでにお察しがついたと思いますが、その“脱却”
は不要なので、たぶん、そのやり方はうまくはいかないのでは……。^^;
それとも、“脱却”という言葉を「この三次元世界はそろそろ卒業したい」の
“卒業”のようなニュアンスで使っていらっしゃいますか?
おそらく、そういうことは、ご心配なさらなくても、流行に合わせていれば誰
にも起こることだろうと思います。^^;
ひとつの夢から、次の夢に移っていくだけですから。
なので、もし“脱却”ということで夢の終焉を意味していらっしゃるなら、
> まずは意識的自己同一化を目指せば脱却の道は開ける???
というような具合にはサーダナは進まないのではないかと思います。
ニサルガダッタは端的にこう言っています。
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解放への道には何も立ちはだかっていない。
そしてそれは今ここで起こることができる。
だが、あなたはほかのことにもっと興味がある。
そしてあなたはその興味と闘うことはできないのだ。
あなたはそれとともに行き、それを見抜き、それが単に判断と賞賛の誤りで
あることを、それ自体が自ら暴くのを見守らなければならないのだ。(p475)
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じつに、懇切丁寧ですね。(-_-)
> そしてあなたはその興味と闘うことはできないのだ。
と明確に指摘してくださっています。
われわれは、自分の興味と闘うことはできないようです。
なぜなら、われわれは自分の興味に導かれているからです。
興味が自分の司令塔なのに、自分がその興味と闘うことはできない理屈です。
> あなたはそれとともに行き、それを見抜き、それが単に判断と賞賛の誤りで
> あることを、それ自体が自ら暴くのを見守らなければならないのだ。
これ以上はないという単純明快な表現だと思います。
ご質問に関しては、そんなことを思いました。
それから……。
掲載許可をお願いしたとき、「少し、ニサルガダッタの『気づき』という言葉
について、自分なりに理解したことをご説明したい」と申し上げました。
「気づき」(たぶん、英語の「awareness」)という言葉は、人によっていろ
いろな使われ方をすると思います。
たとえば、「気づきを深める」というような表現は、いわゆる精神世界ではご
く一般的ですよね。
でも、ニサルガダッタの語法ではそれはありえません。
なぜなら、
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意識のなかに段階はあるが、気づきのなかにはない。
それは均質なひと塊(かたまり)なのだ。
『私は在る』(p421)
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というわけだからです。
そういうわけで、ニサルガダッタが使う「気づき」という言葉は、一般的な使
い方とちょっと違って、とても厳密な意味合いを持っているようなんです。
ニサルガダッタの語法での「気づき」を、まず“働き”の方向で見ると、
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マインドは起こっていることに関心を持つが、気づきはマインド自体に関心
をもつのだ。
子どもはおもちゃを追い求めるが、母親はおもちゃではなく子どもを見てい
る。
『私は在る』(p239)
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ということになります。
ここではマインドという言葉を使っていますが、意識という言い方を使う場合
もあるようです。
つまり、「起こっていること」(または対象)に向かう注意を「意識」(また
はマインド)と言い、「意識」総体に向かう注意を「気づき」と言う、と。
図式的に表現するなら、
[おもちゃ] ← [子ども] ← [母親]
起こっていること ← 意識(またはマインド)
意識(またはマインド) ← 気づき
というわけです。
つまり、「意識」は人間誰しもが使う精神的“働き”ですが、「気づき」は、
必ずしも誰もが使っている“働き”ではないわけです。
だから、先にも引用したように、
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自分の意識の流れに興味を抱くこと自体が、あなたを気づきへと導く。(p50)
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ということになるわけです。
じゃ、それは、「意識」を深めていけば、それが「気づき」になる、というよ
うな意味なのか、となると……。
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意識から気づきへの変化はありえないのだ。
なぜなら、気づきとは意識の一形態ではないからだ。
意識をより繊細に、より洗練させることはできる。
そしてそれが死後に起こることなのだ。
人の多様な媒介物が死に絶えると、それらによって生じた意識の様式もまた
姿を消す。(p282)
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ということになります。
では、ニサルガダッタの語法では、「意識」と「気づき」そして「マインド」
の関係はどういうことになるのか?
まず「マインド」というのは、その一端が「意識」で、もう一端が「物質」と
いうような感じの概念らしいです。
意識と物質を合わせて「マインド」と言うのなら、「気づき」というのはその
「マインド」という雲を浮かべた大空のこと、と喩えてもいいらしい。
もし「マインド」を“素粒子のふるまい”と呼ぶなら、「気づき」は“真空”
ということになるでしょうか。
わたしは以前、(雲という)意識のコンテンツを除いた大空を表現するために
勝手に<意識>という表記を使っていました。
「意識」の可能根拠みたいなニュアンスでした。
ニサルガダッタの語法での「気づき」は、その<意識>を思い出させます。
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気づきは根本的なものだ。
それは根元的状態であり、はじまりがなく、終わりもない。
原因がなく、支えがなく、部分も、変化もない。
意識は表層の反映と関連しており、二元的な状態だ。
気づきなしに意識は在りえない。
しかし深い眠りのように、意識がなくても気づきは存在しうる。
気づきは絶対的だ。
意識はつねに何かに属し、その内容との相関関係にある。
意識は部分的であり、変化するもの。
気づきは完全で、不変であり、静かで沈黙の内にある。
そして、それはあらゆる経験の共通の母体なのだ。(p49-50)
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というわけです。
なので、われわれが普通使う「気づいている」という言葉は、そういうニサル
ガダッタの語法に翻訳すれば、次のような表現になるようです。
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もしあなたが「私は気づいている」というなら、それは「私は気づいている
ことについて考えていることを意識している」という意味だ。
気づきの中に「私は在る」はない。(p507)
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と。
また、意識と気づきの在り方としては、こういうことになるようです。
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人は意識していることに気づくことができる。
だが、気づきを意識することはできないのだ。
神は意識の全体性だ。
だが、気づきは存在も非存在をも、すべて超えている。(p282)
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つまり、意識のなかに気づきは浸透している(気づきは意識の可能根拠だ)け
れど、気づきには意識は浸透しない(気づきは意識に依存しない)わけです。
「気づき」とは“働き”から見た「真我」を表す言葉ではないかと思います。
また「実在」と「気づき」について言及した言葉に出会ってはいませんが、こ
んな表現はあるようです。
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実在を見るという状態はない。
誰が何を見るというのだろう?
あなたは実在として在ることができるだけだ。
いづれにせよ、あなたは実在なのだ。
問題はただ精神的なものだ。
偽りの概念を放棄しなさい。
それだけだ。
真の概念など必要ない。
そんなものはないのだ。(p377)
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……。(-_-)
M・Yさん、頼まれもしないのに長々と勝手な説明をさせていただきました。
お陰さまで、頭を整理できました。
メールをいただいて嬉しかったです。
ありがとうございました。
m(_ _)m
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■ 4.「ご投稿・情報提供」:ハイアーセルフ33さん
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『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。
▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518
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今回、ハイアーセルフ33さんから宇宙関連情報をお知らせいただきました。
早速、ご紹介します。
【件名】: 銀河連邦情報 & 中国UFO報道
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みなさん、こんにちは。ハイアーセルフ33です。
●シェルダン・ナイドルからの最新情報である、銀河連邦情報の5月分〜7
月分がONENESSのHPにアップされましたのでお知らせします。
http://oneness-net.jp/pao-updates/index.htm
●中国・重慶で5色に輝くUFO出現、数百人の目撃で話題
http://news.nifty.com/cs/world/chinadetail/rcdc-20090827011/1.htm
2009年8月23日夜10時ごろ、重慶市浜江路で未確認飛行物体(UFO)の写真が撮
影された。撮影者以外にも数百人が不思議な光球を目撃しており注目を集め
ている。25日、重慶晩報が伝えた。
突如出没したUFOは赤、青、緑、黄色、白の5色の光球がV字の形に並んだも
の。一定時間ごとにその色を変えていたという。浜江路にいた市民数百人が
この不思議な物体を目撃した。
飛行機を見間違えたのではとも疑われるが、目撃者は飛行機の音はまったく
聞こえず見た限りでは一般の航空機より高度が上のようだったと話してい
る。UFOは30分ほど市上空で確認されていたが、出没と同様、忽然と消えたと
いう。(翻訳・編集/KT)
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はるさん、いつも独自のセンサーでの情報投稿、ありがとうございました。
m(_ _)m
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■ 5.編集後記:今日はちょっと“シカ柵”の補強をしました。
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最近の“シカ柵”になってから、しばらくぶりに猪に破られました。(>_<)
気がついたのは昼近くになってからです。
デッキの下の目の前の庭が掘り返されているというのに。
ミミズが多いらしく、よくドクダミの密生箇所で土が掘り返されます。
なので、今日はちょっと“シカ柵”の補強をしました。
炎天下でやっているうちにくたびれてきて、いちど休んでから、夕方になって
最後の仕上げをしました。
後で惚れ惚れと補強部分を眺めたりして。
まあ、今度は大丈夫でしょう。(^_^)v
毎回、こんなことを言っていますが。(^^;)
では、おやすみなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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