home > 通信 > 『アセンション館通信』第285号



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.285 2009/9/20(第285号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆----------------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 953名
----------------------------------------------------------------------
◇◇ もくじ ◇◇

1.「超えている」ということ

2.写経ニサルガダッタ:【32 生は至高のグルだ】の3回目

3.「ご投稿・情報提供」:ハイアーセルフ33さん、ドン・ガバチョさん

4.編集後記:外面のゴミ出しで誤魔化したりして。
----------------------------------------------------------------------

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 1.「超えている」ということ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今日は寂しげな秋の風が吹いていますね。

たしかに……悲しいような気分になることはあります……。

磁石が砂鉄を引き寄せるように……無防備に……教わるままに……これまでの
人生で……記憶のなかに溜めこんでしまった連想野……。

その連想野のなかに……情報という刺激が投げ込まれれば……そこから自然に
情報の“玉突き”は起こります。

その自動過程に任せていたら……どうしたって物語は生まれます……。

そしたら……その物語のなかで……ある種の気分が発生する……。

そうして発生する気分のなかには……悲しいような気分もあります……。

だから……悲しいような気分になることも……あるわけです……。

でも……わたしが……その悲しいような気分……であるわけじゃない。

わたしは……単に……その気分の……可能根拠であるだけです。

> 気分は自分ではない
> 自分は気分の外にある (『悦び』宏南)

だから……わたしが悲しいような気分になる……わけじゃなくて……悲しいよ
うな気分がそこにあるのを……わたしが見ているだけなのでしょう。

わたしは誰か?

決まり文句で答えるならば……わたしはあらゆる“現れ”の可能根拠です。

でも……じつは……わたしとはわたしが自認するものです。

それで言えば……いまのわたしは……マインド……だなぁ。(;_;)

ま、いっか。

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

ニサルガダッタの“超絶的”とも聞こえる言葉を……いつもいつも読み返して
いると……なんというか……やはり伝染性がありますね。

その語法に慣れてくると……どういう類のことを言っているのかがこちらにも
わかってきて……それが事実だと思われてきます。

なぜなら……それらの言葉が……ある意味で……とても首尾一貫していて……
論理的だからです。

もしかしたら……わたしの“論理的”という言葉は……一般的な用法とは違う
のかもしれません。

(といっても……“一般的な用法”というのがどういうのかを……知っている
 というわけでもありませんが。(^^;) )

自分が言う“論理的”の意味は……よくわかっています。

当たり前ですが……自分の用法なのだから。^^;

つまり……“感情的に”というか……“美的な感性が”とでもいうのか……、
そういうものが“納得する”という意味です。

ニサルガダッタの言葉を読んでいると……とても“感情的に”納得してしまう
のです。

とても……論理的だ……という気がする。

たとえば、こういう類(たぐい)の言葉があります。

----------------------------------------------------------------------
 意識と生命。
 その両方をあなたは神と呼ぶかもしれない。
 だがあなたはその両方を超えているのだ。
 神を超え、存在と非存在を超えている。
                          『私は在る』(p494)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

この……ある意味で……“超絶的”とも聞こえる言葉……。

> 意識と生命。

それは存在するすべてとさえ言えるかもしれません。

> その両方をあなたは神と呼ぶかもしれない。

そのとおりでしょう。

ところが、ニサルガダッタの宣言は……とてつもないものです。

> だがあなたはその両方を超えているのだ。

(*_*)

こんなことを言ってくれた方を……誰かほかに知っていますか? (;_;)

普通よくスピリチュアルマスターたちから聞く言葉というのは、

“あなたは純粋な意識なのです”というような言葉だと思います。

もちろん、それはある程度、同じような意味なのかもしれません。

“純粋な意識”を、コンテンツのない意識、純粋な光、あらゆる現象の背景に
ある沈黙そのものと考えるなら、それは同じ意味とも言えます。

ニサルガダッタも、そのような表現をすることもあるでしょう。

でも……、ほかのどんなスピリチュアルマスターも、

> 意識と生命。
> その両方をあなたは神と呼ぶかもしれない。
> だがあなたはその両方を超えているのだ。
> 神を超え、存在と非存在を超えている。

こういう言い方はしない……。(-_-)

少なくともわたしは……ニサルガダッタを通して初めて……こういう超絶的な
言葉を聞きました。

そして……正直言って……生まれてはじめて……本当の意味で……

           「それならわかる……」(-_-)

と思いました。

感情的に納得しました。

審美的な論理性が得心しました。

……。(-_-)

しかし……“感情的に納得”したからと言って、また“審美的な論理性が得心”
したからと言って……それだけで、

「意識と生命。その両方をあなたは神と呼ぶかもしれない。
 だがあなたはその両方を超えているのだ。」

という真実を、ただちに自分の事実にできるわけではない。

自分が“感情的に納得”しても、また“審美的な論理性が得心”しても、その
自分は……別の感情も……別のお荷物も持っているからです。

というよりむしろ……その別の感情、別のお荷物(記憶)をこそ、自分と認識
しているわけですから。

だからこそ、ニサルガダッタもこう続けているわけでしょう。

----------------------------------------------------------------------
 ……
 神を超え、存在と非存在を超えている。
 あなた自身がすべてであり、すべてを超えていると知ることを妨げているの
 は、記憶に基づいたマインドなのだ。
 あなたがマインドを信頼するかぎり、それはあなたを支配しつづけるだろう。
 それと闘ってはいけない。
 ただ無視しなさい。
 注目を奪われて、それは速度を落とし、その働きの機構を露わにする。
 ひとたびその本性と目的を知れば、マインドが想像上の問題をつくり出すこ
 とをあなたは許さないだろう。
                          『私は在る』(p494)
----------------------------------------------------------------------

そうか……。

> あなたがマインドを信頼するかぎり、それはあなたを支配しつづけるだろう。

そういうことなんですねぇ。(-_-)

マインドを信頼しないための許可を……マインドに求める……わけにもいかな
いですよ。(^_-)

にもかかわらず……われわれ(マインド)は……マインドを信頼しないための
許可を……マインドに求めなくてはならない。

マインドに背を向けるための理屈を……マインドが納得しなくてはならない。

なぜ? (?_?)

納得したいから?

でも、なぜそんなことを納得したいの? (?_?)

なぜなら……それこそがマインドに見えてきた自由への道筋だから。

それこそがマインドに浸透している真我からの呼び声だから。

解体しなさい……そうすれば……あなたはいないことがわかるだろう、と。

解体したそのとき……わたしがいないことがわかるわたしとは誰か?

いやいや……おそらくそうではありますまい。

解体したそのとき……すべては明瞭で……しかも何か余計なものが消えている
ことに気づくことすらない……ということかもしれません。

もともとそれは……夢のなかでしか存在していなかったわけですから。

そこまでの架空の旅こそが……マインドのサーダナなのかもしれません。

> 意識と生命。
> その両方をあなたは神と呼ぶかもしれない。
> だがあなたはその両方を超えているのだ。
> 神を超え、存在と非存在を超えている。

……。(-_-)

……わたしは(意識と生命の)その両方を“超えている”そうです。

超えている……? (?_?)

そういえば、今さらですが、ニサルガダッタは「超えている」という表現をよ
く使いますよね。

でもそういうときの用法は……つねに“事実として「超えている」”といった
状況やニュアンスで使われているようです。

けっして……意識と生命の“その彼方へ超えていく”というような……動きや
努力感をともなった響きの用法ではなかったような……。

「超えている」……とはいったいどういう意味なのか?

ところがこれは……用例が多すぎてとても網羅はできません。

まあ……いくつが挙げておくと……おおよそこんな感じです。


        …………○…………○…………○…………

> 彼(=至高の真我)はマインドが考えることのできるすべてを超えている。
> 彼は存在と非存在をも超えている。(p105)

        …………○…………○…………○…………

> あなたはつねに不死不生であり、体験者を超えているということを覚えてお
> きなさい。(p208)

        …………○…………○…………○…………

> 気づきはすべての体験を含んでいる。
> しかし、気づいているその人はあらゆる体験を超えているのだ。
> 彼は気づき自体をも超えている。(p284)

        …………○…………○…………○…………

> 絶対なるものはすべての根底にありながら、すべてを超えているのだ。(p275)

        …………○…………○…………○…………

> どのようにして人が意識でもなく、無意識でもなく、ただ彼方に在ることが
> できるのかを説明することは容易でないが、私は彼方にあるのだ。
> 私は神のなかにいる、あるいは私は神だ、とは言えない。
> 神は普遍的な光と愛、普遍的な観照者だ。
> 私は普遍的なものさえ超えているのだ。(p338-339)

        …………○…………○…………○…………


とにかくニサルガダッタは「超えている」という表現が好きなようです。

こういう表現を眺めていて感じる「超えている」の意味ですが……。

・“包含関係”でいうなら「上位」

・“依存関係”でいうなら「根拠」

を表すとも言えそうですが……。(-_-)

いや……聞こえてくるのは……むしろ別の響きですねぇ……。

むしろ……“包含関係”の拒否……“依存関係”の拒否……。

つまり……あらゆる“関係”の拒否……いわば……定義の拒絶です。

“意識の網の目”に絡め取ろうと試みるいっさいのマインドの意図の拒絶……
それからの「自由の宣言」とでも言ったらいいのか……。

こういう美しい表現がありました。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 至高なるものはどのような影響を受けるのでしょうか?
 
 マハラジ
 何が、どうやってそれに影響を与えられるというのだろう?
 水源が川の気まぐれな流れの影響を受けることはない。
 また金属が宝飾品の形によって影響を受けることもない。
 光源がスクリーン上の画像によって影響を受けるだろうか?
 至高なるものはすべてを可能にする。
 それだけだ。
                         『私は在る』(p84-85)
----------------------------------------------------------------------

……。(-_-)

> 水源が川の気まぐれな流れの影響を受けることはない。

見事ですねぇ……。

> 光源がスクリーン上の画像によって影響を受けるだろうか?

まったくです……。

> 至高なるものはすべてを可能にする。
> それだけだ。

(-||-)

それが……わたし……なんですね。

わたしは……すべての現れを超えている。

マインドがこのことに本当に納得するまでがサーダナですね。

「あなたの存在を証明できるものは何もないのだ。
 なぜなら、他者の存在もあなたによって確認されなければならないからだ。
 あなたは完全に、あなた自身によって在るのだということを覚えておきなさ
 い。」(p541)

ということが疑う余地もない以上……ニサルガダッタが語っていることは……
すべて否定できない事実です。

ただ……それを自分の事実にする必要があるだけです。

なにしろ……われわれのパワーはあまりにも強大で、

「すべてはあなたが自己を何と見なすかにかかってくる。
 あなた自身を正しく知りなさい。
 自己認識に代わるものはないのだ」(p562-563)

というわけなのですから……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【32 生は至高のグルだ】の3回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

外在のサットグルというのはこういうものなのだと思います。

こちらのキャパシティには関係なく、容赦なく事実だけが述べられます。

いや……そうではなく……聴き手にそれが聞こえることがわかっているから、
こういう言葉が出てくるわけでしょう。

> 必要というものはない。
> 欲望だけだ。

無茶苦茶だといって否定するなら、それはそれでよし。

では、「食べ、飲み、自分の身体を保護すること、生きること」さえも欲望な
のかと問えば……、

> 生きようと望むことは基本的な欲望だ。
> 他のすべてはそれに依存している。

と答えが返ってくる。

しかし、われわれが生きているのは、そうしなければならないからではないか、
と反問すれば、

私たちが生きているのは「感覚的存在を切望しているからだ」と答えが返って
くる……。(-_-;)

> 感覚的必要性、知的体験を主張することによって、あなたは真理の探究を安
> 楽の追求へと狭めてしまうのだ。

と。(;_;)

まったくもって事実には逆らえない……という感じです。

では、【32 生は至高のグルだ】の3回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 他者のことは彼ら自身にまかせておきましょう。
 
 マハラジ
 あなたは孤立していないのだ。
 あなたが分かち合うことができない幸福は偽物だ。
 分かち合うことができることだけが、真に望むべきことなのだ。
 
 質問者 おっしゃるとおりです。しかし、私にはグルが必要でしょうか? 
     あなたの言われることはシンプルで納得のいくものです。私はそれ
     を覚えているでしょう。でも、これがあなたを私のグルにするわけ
     ではありません。
 
 マハラジ
 重大なのは個人を礼拝することではなく、あなたのすべきことへの帰依の深
 さと確固たる姿勢なのだ。
 生そのものが至高のグルだ。
 その教えに注意を注ぎ、その命令に従順でありなさい。
 その源を人格化するなら、あなたは外側にグルをもつ。
 あなたがそれを生から直接得るならば、グルは内側にある。
 内面の外面であるあなたのグルの言葉を覚えていなさい。
 自問し、熟考し、それとともに生きなさい。
 それを愛しなさい。
 それに合うように成長し、それとともに成長しなさい。
 それを自分のものにしなさい。
 それをすべて果たすならば、あなたはすべてを得るだろう。
 私はそうしてきた。
 グルと、彼が私に言ったことに、すべての時を捧げたのだ。
 
 質問者 私の職業は作家です。何か私に特別な助言をいただけますか?
 
 マハラジ
 執筆は才能と技術の両方だ。
 才能を成長させ、技術を発展させなさい。
 望む価値あることを、正しく望みなさい。
 人びとの間を行くとき、群衆のなかでも自分の道を見いだすように、自分の
 方向を失わずに多くの出来事からあなたの道を見いだすのだ。
 もしあなたが真剣ならば、やさしいことだ。
 
 質問者 何度となくあなたは真剣であることの必要性を話されました。しか
     し、私たちは単一の意志をもつ者ではありません。私たちは欲望と
     必要、本能と衝動の集積です。それらは互いに混ざり合い、ときに
     はあるものが、あるときは別のものが支配し、しかも長続きしませ
     ん。
 
 マハラジ
 必要というものはない。
 欲望だけだ。
 
 質問者 食べ、飲み、自分の身体を保護すること、生きることは?
 
 マハラジ
 生きようと望むことは基本的な欲望だ。
 他のすべてはそれに依存している。
 
 質問者 私たちは生きています。なぜならば、そうしなければならないから
     です。
 
 マハラジ
 私たちは生きている。
 なぜなら感覚的存在を切望しているからだ。
 
 質問者 普遍的なことがらは、間違いのはずがありません。
 
 マハラジ
 もちろん間違いではない。
 その時と場所においては間違ったことなど何もない。
 しかし真実に関心を持ち、実在に関心を持つならば、あなたはすべてを、あ
 なたの人生そのものを疑わなければならない。
 感覚的必要性、知的体験を主張することによって、あなたは真理の探究を安
 楽の追求へと狭めてしまうのだ。
 
 質問者 私は安楽ではなく、幸福を探しているのです。
 
 マハラジ
 マインドと身体の安楽を超えて、あなたはどんな幸福を知っているというの
 だろう。
 
 質問者 何かほかにあるでしょうか?
 
 マハラジ
 自分で見いだしなさい。
 あらゆる衝動を疑いなさい。
 どんな欲望も正当化してはならない。
 身体的、精神的所有物を解き放ち、私利私欲を離れ、発見に対してオープン
 でありなさい。
 
 質問者 ただ聖者や賢者のそばで生活することだけで解放へ導き、ほかに何
     の手段も必要ないというのが、インドの霊的な伝統の一部です。な
     ぜあなたは、人びとがあなたのそばで生活できるようにアーシュラ
     ムを組織しないのでしょうか?
 
 マハラジ
 ある組織を設立したとたん、私はその囚人となる。
 実際問題として、私はすべての人に開かれている。
 共有の屋根や食事が人びとをより歓迎するわけではない。
 「近くに生きること」とは、同じ空気を呼吸するという意味ではない。
 それは信頼し、したがい、師の善意を無駄にしないことだ。
 グルをつねにあなたのハートのなかに保ち、彼の教えを覚えていることが、
 本当に真実とともに生きることだ。
 身体的距離の近さが重要なのではない。
 あなたの全人生を、師への信頼と愛の表現にするがいい。
 これが真にグルとともに生きることだ。
 
                        『私は在る』(p149-150)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

……。(;_;)

(-||-)

> 質問者 他者のことは彼ら自身にまかせておきましょう。

これは“世界の救済”についての質問を手放した質問者の最初の言葉です。

> マハラジ
> あなたは孤立していないのだ。

はい、一応わかったようなつもりではいるのですが……。

> あなたが分かち合うことができない幸福は偽物だ。

そうか……。

> 分かち合うことができることだけが、真に望むべきことなのだ。

そうのかもしれませんが……まだまだ自分には分不相応なような気がして。

> 質問者 おっしゃるとおりです。しかし、私にはグルが必要でしょうか? 
>     あなたの言われることはシンプルで納得のいくものです。私はそれ
>     を覚えているでしょう。でも、これがあなたを私のグルにするわけ
>     ではありません。

ふーん。

> マハラジ
> 重大なのは個人を礼拝することではなく、あなたのすべきことへの帰依の深
> さと確固たる姿勢なのだ。

はい、重大なのは“個人を礼拝すること”でないのは、よくわかります。

> 生そのものが至高のグルだ。
> その教えに注意を注ぎ、その命令に従順でありなさい。

はい。

> その源を人格化するなら、あなたは外側にグルをもつ。

わかります。

> あなたがそれを生から直接得るならば、グルは内側にある。

はい。

> 内面の外面であるあなたのグルの言葉を覚えていなさい。

そのつもりです。

> 自問し、熟考し、それとともに生きなさい。

はい。

> それを愛しなさい。

「超えている」という言葉はとても好きです。

> それに合うように成長し、それとともに成長しなさい。

そうか……。

> それを自分のものにしなさい。

はい。

> それをすべて果たすならば、あなたはすべてを得るだろう。

(@_@)

> 私はそうしてきた。

はい。

> グルと、彼が私に言ったことに、すべての時を捧げたのだ。

(*-_-*)

> 質問者 私の職業は作家です。何か私に特別な助言をいただけますか?

この方……作家なんだ。

> マハラジ
> 執筆は才能と技術の両方だ。
> 才能を成長させ、技術を発展させなさい。
> 望む価値あることを、正しく望みなさい。

「望む価値あることを、正しく望みなさい」……。

> 人びとの間を行くとき、群衆のなかでも自分の道を見いだすように、自分の
> 方向を失わずに多くの出来事からあなたの道を見いだすのだ。

はい。

> もしあなたが真剣ならば、やさしいことだ。

たしかに。

> 質問者 何度となくあなたは真剣であることの必要性を話されました。しか
>     し、私たちは単一の意志をもつ者ではありません。私たちは欲望と
>     必要、本能と衝動の集積です。それらは互いに混ざり合い、ときに
>     はあるものが、あるときは別のものが支配し、しかも長続きしませ
>     ん。

まったくです。

> マハラジ
> 必要というものはない。

(@_@)

> 欲望だけだ。

(*_*)  ⌒★?

……そうか、必要というものはないのか、あるのは欲望だけなのか。

(でも、これを自分の事実にするには、自分というものをなくす以外に方法は
 ないんだろうなぁ。)

> 質問者 食べ、飲み、自分の身体を保護すること、生きることは?

いちおう、そう言いますよね。

> マハラジ
> 生きようと望むことは基本的な欲望だ。

そしたら……こう言われるわけか……。

> 他のすべてはそれに依存している。

なるほどなぁ。

> 質問者 私たちは生きています。なぜならば、そうしなければならないから
>     です。

うん……(もごもご)。(=_=)

> マハラジ
> 私たちは生きている。
> なぜなら感覚的存在を切望しているからだ。

あ……。(*@_@*) ⌒★?

そういうことだ……間違いないわ……。

だから……こんなにブレ続けるんだ……。(*-_-*)

> 質問者 普遍的なことがらは、間違いのはずがありません。

わかるけど……事実には逆らえない……。

何を望むかだよなぁ。

> マハラジ
> もちろん間違いではない。

そう……(だけど)。

> その時と場所においては間違ったことなど何もない。

やっぱり。

> しかし真実に関心を持ち、実在に関心を持つならば、あなたはすべてを、あ
> なたの人生そのものを疑わなければならない。

そういうことだ……。

何と的確なことを……。(;_;)

> 感覚的必要性、知的体験を主張することによって、あなたは真理の探究を安
> 楽の追求へと狭めてしまうのだ。

そういうことなんだ……。

だから、

「ただ否定によってのみ、人は生きることができるのだ。
 自己主張は束縛だ。
 疑うことと否定することがなくてはならない。
 それは反抗の本質だ。
 そして反抗することなしに解放はありえないのだ。(p536)」

という表現があるわけだなぁ。

> 質問者 私は安楽ではなく、幸福を探しているのです。

うん、いちおう、そう言うだろうけど……。

でも、事実には逆らえないよなぁ。

> マハラジ
> マインドと身体の安楽を超えて、あなたはどんな幸福を知っているというの
> だろう。

まったく。(*-_-*)

> 質問者 何かほかにあるでしょうか?

お! (@_@)

このひと……、何と正直なひと……。

> マハラジ
> 自分で見いだしなさい。
> あらゆる衝動を疑いなさい。

「あらゆる衝動を疑いなさい」か……。

(*-_-*)

> どんな欲望も正当化してはならない。

(>_<)

> 身体的、精神的所有物を解き放ち、私利私欲を離れ、発見に対してオープン
> でありなさい。

そんな。(/_;)

> 質問者 ただ聖者や賢者のそばで生活することだけで解放へ導き、ほかに何
>     の手段も必要ないというのが、インドの霊的な伝統の一部です。な
>     ぜあなたは、人びとがあなたのそばで生活できるようにアーシュラ
>     ムを組織しないのでしょうか?

あ、路線変更した。(*^_^*)

> マハラジ
> ある組織を設立したとたん、私はその囚人となる。

言えてますね。

> 実際問題として、私はすべての人に開かれている。

はい。

福間巌さんのお陰で、ここまで届いていますから……。(-||-)

> 共有の屋根や食事が人びとをより歓迎するわけではない。

わかります。

> 「近くに生きること」とは、同じ空気を呼吸するという意味ではない。

はい。

> それは信頼し、したがい、師の善意を無駄にしないことだ。

(;_;)

> グルをつねにあなたのハートのなかに保ち、彼の教えを覚えていることが、
> 本当に真実とともに生きることだ。

(-_-)

> 身体的距離の近さが重要なのではない。

はい……。

わかっています。

> あなたの全人生を、師への信頼と愛の表現にするがいい。

(-_-)

> これが真にグルとともに生きることだ。

ありがとうございました。<(_ _)>

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


        …………○…………○…………○…………


▼『アセンション館通信』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単なるメールな
ど、ご自由にお書きいただければと思います。


        …………○…………○…………○…………


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 3.「ご投稿・情報提供」:ハイアーセルフ33さん、ドン・ガバチョさん
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518

        …………○…………○…………○…………

今回は、ハイアーセルフ33さんから和尚の質疑応答集:
『マイウェイ〜流れ行く白雲の道〜』を推薦するご投稿をいただきました。

【件名】: (お奨め本)和尚『マイウェイ』〜流れ行く白雲の道〜質疑応答集
----------------------------------------------------------------------
 みなさん、こんにちは。ハイアーセルフ33です。
 
 ゼロポイントの「空なる心境」に導くための、和尚ラジニーシ講話のお奨め
 本の紹介です。
 
 瞑想、手放し、受容、サンニャシンの在り方について、基本的なものが一冊
 にまとまった最も濃縮した書籍は、
 
 *和尚「マイウェイ」〜流れ行く白雲の道〜 質疑応答集
 
 
 だと思います。私はここから、自分のノートにポイントを書き写して、
 しばしば見返しています。
 
 アマゾンで中古本ですが販売しています。
 
 原本は絶版になってしまったようです。
 
 買ってけっして損のない、和尚の書籍の中で断然一番の私からのお奨めで
 す。
 
 今、この時期「本当の自分」にセンタリングしてゆくために役立つ知識
 の濃縮版といえます。
 
 ニサルガさんの境地に「橋渡し」をしてくれる実用的・段階的情報源とし
 て、和尚のこのような講話内容は、ほとんどすべての方には必須と思いま
 す。
 
 読んだら感想聞かせていただければうれしいです。 haruhi33@nifty.com
 
 
 AUMLOVE ハイアーセルフ33 (KIN 33)
----------------------------------------------------------------------

『マイウェイ』……懐かしい書名ですね……。

じつは、わたしにとっても……とても思い出のある本なんです。

当時はまだ翻訳書がなくて、西荻窪のプラサード書店に初入荷した英書を買っ
たときの興奮を思い出します。

青い装丁のかなり大きめの本で、ハードカバーの表紙裏に大きな雲を浮かべた
大空の写真が載っていました……。

この本の「九日目の朝」にこんな記述があります。

 If you are surrendered right this moment 
 you will see this chair is empty.

 もしあなたがこの今の瞬間降伏して明け渡したら
 あなたはこの椅子が空っぽなのが分かるだろう。(『マイウェイ』(p250))

そう書いてあった見開きページには、前に座る弟子たちに向かって置かれた…
…空っぽの椅子の写真が載っていました。

そしてこの本はノンサニヤシンのわたしが読んだ最後の和尚の本でした……。

思わずノスタルジーに耽ってしまいました。(*^_^*)

はるさん、ありがとうございました。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


今回は、ドン・ガバチョさんからもラムサ関連のご投稿をいただきました。

早速、ご紹介します。

【件名】: 
----------------------------------------------------------------------
 独り言です。どうぞ気になさらずに・・・・
 
 ――ところで、何故(なにゆえ)に私は覚醒を目指すのでしょうか?
 それが私という存在の本質だからです。
 覚醒の先には新たな覚醒の扉が控えています。
 この覚醒の扉は無限に続いています。
 
 ――では何故に私は「ここ」で覚醒を目指すのでしょうか?
 この物質の天界でのみ、私は観察者というアヴァター(超人)となることが
 出来るからです。
 存在の多様な側面の坩堝(るつぼ)であるこの物質の天界こそが、観察者と
 しての気付きを得る大きな機会となります。
 観察者―それは自身の想像を超えた現実を観ることが出来る者です。
 
 「類友の法則」が顕著に働く夢の天界、至福の天界においては、自身の想像
 を超えた現実を観ることが極めて困難です。
 観察者としての気付きを得ることが出来ないのです。
 
 つまりこの物質の天界は、凡夫にとっても覚者にとっても自身の想像を超え
 た現実を観ることが出来る機会を与えてくれる天界なのです。
 
 
 ―――あなたは、たとえ死んだとしても覚醒することは無い。
 霊的にはなるが、覚醒することは無い。
 何故なら、死によって受け取るものは、あなたがこの生で受容してきたもの
 だけだからだ。
 覚醒は生あるうちに成し遂げなければならない。―――
       ラムサ
----------------------------------------------------------------------

ドン・ガバチョさん、なにやら追いつめられる感じですね。(*-_-*)

ありがとうございました。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 4.編集後記:外面のゴミ出しで誤魔化したりして。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

最近、ゴミの収集日には毎回ビデオやカセットを少しずつ出しています。

ここの分別ではビデオやカセットは少しずつ“燃えるゴミ”で出せます。

内面のゴミ出しが進まないものだから、外面のゴミ出しで誤魔化したりして。

マインドがいかに手放さないかが……よくわかったりします。(*-_-*)

ビデオ、カセット、CD、DVD、本……ゴミ出しは切りがなさそうです。

どこまで続く泥濘ぞ……。

では、おやすみなさい。

<(_ _)>


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
----------------------------------------------------------------------
『アセンション館通信』の既刊号を毎日連続で配信いたします。
連続配信をご希望の方は“『アセンション館通信』連続配信依頼フォーム”
https://www.ascensionkan.com/mm/deliver.html
↑より、空メールをお送りください。翌日より毎日配信されます。
ただし、これからの号の購読にはメルマガ登録が必要です。(無料)
----------------------------------------------------------------------
このメールマガジンは二つの配信スタンド
『まぐまぐ!』http://www.mag2.com/ と『melma』 http://www.melma.com/
を利用させていただいて発行しています。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
Copyleft(C)2009 paritosho
コピーレフト↑の概念についてはこちら↓をご覧ください。
http://now.ohah.net/commune/?license/copyleft.html
----------------------------------------------------------------------