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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.288 2009/10/11(第288号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 952名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.個人とは単なる誤解の結果

2.写経ニサルガダッタ:【20 至高なるものはすべてを超える】の3回目

3.いただいたお手紙から:或る私さん

4.「ご投稿・情報提供」:ドン・ガバチョさん、ハイアーセルフ33さん

5.編集後記:恐れるのは実在を僭称する非実在であるということ……
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■ 1.個人とは単なる誤解の結果
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台風が通りすぎても、まだやはり曇天の肌寒い日が続いていますね。

だからといって……どうということもないですが……。

寒ければ……温かくするだけのことですし。

この身体のある夢の世界のここいらでは曇天の肌寒い日が続いている……とい
うだけのことですね。(^_-)

身体の感覚……身体に入っているつもりの個人の感想……現れの世界に対応す
るそんなものは色々動くでしょうが……わたしとは何の関係もありません。

なんちゃって。(*^_^*)

これじゃ、まるで悟っているのと同じだ……ははは。(^^;)

いつもこうして覚者の言葉をなぞってこんなことを言っていたら……悟ったも
悟ってないもあんまり関係ないかもね。

じっさい、“現実とは、あながた現実と認めるもののことなのだ”なんて、い
かにもどこかのおじいちゃんが言いそうなことじゃないですか。

すべては、こうして動くマインドをまともに相手にすべき対象として扱うかど
うかの、こちらの態度にかかっているのかもしれません。

“こちらの態度”ってどちらの態度? (?_?)

まあまあ、堅いこと言いっこなし。^^;

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

ところで、「実在」ってどういう意味だとお考えになります?

「実在」と言うからには、少なくとも“実際に在るもの”“本当に在るもの”
という意味は含まれるでしょうね。

“目に見え”“耳に聞こえる”この世界、五感に訴えてくるこの世界を、われ
われは“実際に在る”と思っているわけですよね。

ところが、覚者たちは、そういう五感に訴えてくる現象世界は“在るように見
える”だけで、“実在しない”というわけです。

ここまでは、ここでの共通認識としてもいいですよね。

それで、この“在るように見える”だけで“実在しない”という言葉の意味は、
わかりますが……納得するのはなかなか難しいです。

ですよね?

だって、“在るように見える”わけですから……、ねぇ。(^^;)

だから……ついつい、それは“在る”という前提で、このいわゆる“外界”と
いうか“顕現世界”に応対することになります。

それで問題が起こらないのなら、別にそれでもかまわないわけです。

ところが、けっこうこれが厄介で、そういう態度(つまり、実際に“在る”と
いう態度)で現れの世界に応接していると、ややもするとわれわれは問題を抱
えることになります。

たとえ、問題を抱えていないというような方でも、けっこう、これで、幸福を
求めたり、成功を求めたりしているかもしれない。

いえ、他人事(ひとごと)じゃないですけどね。(^_-)

さしずめ、ニサルガダッタならこう言うところでしょう。

----------------------------------------------------------------------
 あなたが幸福でないから、幸福になりたいのだ。
 なぜ幸福ではないのかを見いだしなさい。
                          『私は在る』(p487)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(>_<)

こう言われてもねぇ……。(;_;)

なんでそんなイジワル言うの (?_?)、と訊けば、向こうはプロ中のプロですか
ら、すぐにこう答えるでしょう。

----------------------------------------------------------------------
 マインドが身体に仕えることに従事するとき、幸福は失われてしまう。
 幸福をふたたび得ようとして、快楽の中に探し求めるのだ。
 幸福になろうとする衝動は正しいものだ。
 だが、それを確保しようとする方法が惑わせ、当てにならず、真の幸福を破
 壊してしまうのだ。
                          『私は在る』(p487)
----------------------------------------------------------------------

けっこう、理詰めで攻めてくるわけですよ。

やっぱり向こうはプロですしね。

幸福を確保しようとする方法が間違っているらしいですけど、どう間違ってい
るんでしょう……?

> 身体やマインドを正しく使い、正しい状態に置くことは、非常に快いものだ。

ですよね。

> 間違いは快楽を追求することなのだ。

え、どうして? (?_?)

> 自分を幸福にしようと試みてはならない。

な、なんで? (@_@)

> むしろ、幸福の探求自体を疑いなさい。

へー。(?_?)

> あなたが幸福でないから、幸福になりたいのだ。

あ、そこで、そうくるわけか。

言われてみれば……そういう気もするけど……。

> なぜ幸福ではないのかを見いだしなさい。

うーん。(-_-;)

----------------------------------------------------------------------
 幸福ではないから、快楽のなかに幸福を探し求めるのだ。
 快楽は苦痛をもたらすため、あなたはそれを世俗的と呼ぶ。
 それから、あなたは苦痛をともなわない、何かほかの快楽を切望する。
 そして、それを神聖なものと呼ぶのだ。
 実際には、快楽とは苦痛からの一時的な休息にすぎない。
                          『私は在る』(p487)
----------------------------------------------------------------------

> 幸福ではないから、快楽のなかに幸福を探し求めるのだ。

じゃ、それは、いちおう……了解しておきましょう。(=_=)

> 快楽は苦痛をもたらすため、あなたはそれを世俗的と呼ぶ。

なるほど。

> それから、あなたは苦痛をともなわない、何かほかの快楽を切望する。
> そして、それを神聖なものと呼ぶのだ。

たしかに、そうかも。

> 実際には、快楽とは苦痛からの一時的な休息にすぎない。

え、ほんとですか?

そうなのかぁ……。(=_=)

> 苦痛と快楽は起こる。
> だが、苦痛は快楽の値段であり、快楽は苦痛の報酬なのだ。(p182)

え、ほんと?! (@_@)

> 人生のなかでも、しばしばあなたは傷つけることで喜び、喜ばすことによっ
> て傷ついている。(p182)

アイタ! (>_<)

あんた見てたのね……。

しっかし……、そりゃないっしょー。(;_;)

こんなとこで、バラすなんて……。(/_;)

> 苦痛と快楽がひとつだと知ることが平和なのだ。

イケズ……。(T_T)

> ひとつひとつの快楽が苦痛に包まれているのだ。(p473)

ほんまかいな。

> すぐにあなたは一方なしに他方を得ることはできないことを発見するだろう。

そんな……。

> 快楽の本性自体がかぎられた、はかないものなのだ。(p102)

またー。(>_<)

> 苦痛から欲望が生まれ、苦痛のなかで欲望を満たそうとする。

そんなん……メチャクチャや。(;_;)

それ……どうしようもないんか?

> そしてそれは欲求不満と絶望のなかで終わるのだ。

あちゃ。(>_<)

それじゃ、まるで生まれてこんかったほうがええみたいやないか。(;_;)

> あなたはけっして生まれなかったし、けっして死ぬこともないだろう。

えー。(@_@)

オガアジャ、コノシトガイジメルー。(>_<)

----------------------------------------------------------------------
 生まれて、そして死んでいくのは観念であり、あなたではないのだ。
 あなた自身を「私は生まれた」という想念と同一化することで、あなたは死
 をまぬがれない者となる。
                          『私は在る』(p410)
----------------------------------------------------------------------

ほんまかいなぁ。(;_;)

わいが死なへんもんやったら、なんで苦しみなんてもんがあるんや?

なんで気持ちがいいだけで、話がすまんのや? (?_?)

> 在ることとは苦しむことなのだ。(p531)

えー、メチャクチャやー! (>_<)

----------------------------------------------------------------------
 自己同一化の輪が狭いほど、欲望と恐れによって生じた苦しみはより激しい
 ものとなるのだ。
                          『私は在る』(p531)
----------------------------------------------------------------------

ほな、なんでそんな“狭い輪”で自己同一化たらいうもんをするんやー! (>_<)

> 私たちは多様性を、苦痛と快楽の劇を愛している。(p434)

ガーン! (*_*)  ⌒★?

ほんまか……。

----------------------------------------------------------------------
 私たちは対比によって魅せられているのだ。
 このために対立するものと、それらの表面上の分裂を必要としている。
 しばらくの間それらを楽しみ、それから退屈して、純粋な存在の平和と沈黙
 を切望するのだ。
 宇宙のハートは絶え間なく鼓動している。
 あなたはその観照者であり、そのハートでもあるのだ。
                          『私は在る』(p434)
----------------------------------------------------------------------

そんな……。(-_-)

……。

(-_-;)

……。

ほな、苦痛がのうては、目が醒めんのか……? (-_-)

----------------------------------------------------------------------
 快楽はあなたを眠らせ、苦痛は目覚めさせる。
 至福を通してだけではあなた自身を知ることはできない。
 あなたの本性そのものが至福だからだ。
 悟りを得るためには、あなたではないもの、対極と向き合わなければならな
 いのだ。
                          『私は在る』(p325)
----------------------------------------------------------------------

……。

ほな、苦痛や苦しみは避けられんのか……? (-_-)

> 苦痛は身体的なもの、苦しみは精神的なものだ。(p289)

うむ。

> マインドを超えたところに苦しみはない。

わかった……。

> 苦痛は身体が危険にあり、注意を要求しているという単なる信号なのだ。

うむ。

> 同様に、苦しみは個人と呼ばれる記憶と習慣の構造が、喪失、あるいは変化
> によって脅かされていると私たちに警告しているのだ。

なるほど。

> 苦痛は身体の存続のために欠くことのできないものだ。

了解……。

----------------------------------------------------------------------
 しかし、誰もあなたに苦しむよう強要してはいない。
 苦しみは完全に、執着すること、あるいは抵抗することを理由に起こる。
 それは私たちが人生とともに流れ、進んでいくことを自ら欲しないことの兆
 候なのだ。
 健全な人生が苦痛から自由であるように、聖人の人生は苦しみから自由なの
 だ。
                          『私は在る』(p289)
----------------------------------------------------------------------

そうか……。(-_-)

「苦しむよう強要」されていないことはわかった。

ほな、なんで執着みたいなもんがあるんや?

----------------------------------------------------------------------
 すべての執着は恐れを暗示している。
 なぜなら、すべてのものごとは、はかない、つかの間のものだからだ。
 そして、恐れは人を奴隷にしてしまう。
                          『私は在る』(p278)
----------------------------------------------------------------------

そうか……。(-_-)

ほな……恐れとはなんなんや?

どうすれば……恐れから解放されるんや……。

----------------------------------------------------------------------
 私たちが恐れを個人的存在の影と見て、それを受け入れることができないか
 ぎり、個人としての私たちは必ず恐れることになる。
 すべての個人的な要因を放棄しなさい。
 そうすればあなたは恐れから自由になるだろう。
                          『私は在る』(p473)
----------------------------------------------------------------------

……。

(-_-)

ほな……個人ちゅうのは……ほんまはあらへんのか? 

----------------------------------------------------------------------
 個人とは単なる誤解の結果だ。
 実際には、そのようなものはないのだ。
 果てしない連続性のなかで、感情、思考、行為が脳のなかに痕跡を残し、継
 続性という幻想をつくりながら、見守る者の前を駆け抜けていく。
 マインドのなかで、見守る者の反映が「私」という感覚をつくり出し、個人
 は一見独立したように見える存在を獲得するのだ。
 実際には、個人というものは存在しない。
 ただ見守る者が「私」と「私のもの」に自己同一化するだけだ。
 
                          『私は在る』(p360)
----------------------------------------------------------------------

……。(-_-)

ほうか……。

「個人」ちゅうのは……映画のなかで“人が動く”ように見える錯覚みたいな
もんなんか……。

実在せんちゅうのはそういう意味か……。(=_=)

(@_@)

ほしたら……。

「個人」がただの錯覚や言うのやったら……ほな……ほんまもんの問題ちゅう
のは……ほんまはあらへんのか?

----------------------------------------------------------------------
 実際には、何の欠如も必要もない。
 すべての仕事はただ表面上のものだ。
 その深みには完全な平和がある。
 すべての問題が現れるのは、あなたが自分自身を定義し、それゆえ限定した
 からだ。
 あなたが自分自身をあれやこれやと考えないとき、すべての葛藤はやむ。
 問題に対処しようとするいかなる試みも、失敗せざるをえない。
 なぜなら、欲望によって起こったことは、欲望から自由になることによって
 のみ、取り消すことができるからだ。
 あなたは自分自身を時間と空間のなかに閉じこめ、一生という期間と、身体
 という容積のなかに自分を押し込めてしまった。
 それゆえ、生と死、快楽と苦痛、期待と恐れという無数の葛藤をつくり出し
 たのだ。
 幻想を放棄せずに、問題を追い払うことはできない。
                          『私は在る』(p221)
----------------------------------------------------------------------

……。(-_-)

ほうか……。

話の筋は……見えたわ。

ありがとさん。(-||-)

(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【20 至高なるものはすべてを超える】の3回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

この章の質問者は、「至高なるもの」にこだわっています。

お陰さまで、この章では「至高なるもの」についてトコトンこだわった談義を
聴くことができます。

でも、この質問者の気持ちもよくわかります。

なぜならこの質問者の疑問は、ニサルガダッタが「至高なるもの」という言葉
を多用することに起因するとも言えるからです。

そして、質問者は「それでは、なぜ至高の未知なるものという概念をもちこん
だのですか?」と問い、マハラジから
 
> 真我を説明するためだ。

という回答を引き出しています。

ニサルガダッタは、この「至高なるもの」という言葉でわれわれの“本体”を
表現しようとしたのでしょう。

では、【20 至高なるものはすべてを超える】の2回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 至高なるものはそれ自身を知っているのでしょうか? 非個人性は
     意識をもっているのでしょうか?
 
 マハラジ
 すべての源はすべてをもっている。
 源からあふれだすものは何であれ、すでにそこに種子の形として存在してい
 るのだ。
 そしてひとつの種子は無数の種子の究極的なものであり、それが経験を含み、
 数かぎりない森林を約束しているように、未知もそうであったこと、そうあ
 りえたこと、そうなるだろうこと、そうありうるだろうことのすべてを含ん
 でいる。
 何かに成るという可能性の全領域は完全に開かれ、到達可能であり、過去と
 未来が永遠の現在のなかに共存しているのだ。
 
 質問者 あなたは至高なる未知のなかに生きているのでしょうか?
 
 マハラジ
 それ以外、どこに住むことができるだろうか?
 
 質問者 何があなたにそう言わせるのでしょうか?
 
 マハラジ
 どんな欲望もわたしのマインドのなかに湧いてはこないのだ。
 
 質問者 それでは、あなたは無意識なのでしょうか?
 
 マハラジ
 もちろんそうではない。
 わたしは完全に意識している。
 だが、欲望も恐れもマインドのなかに入ってこないため、そこには完全な静
 寂が在る。
 
 質問者 誰がその静寂を知っているのでしょうか?
 
 マハラジ
 静寂がそれ自身を知っている。
 それは熱情や欲望が静まったときの、沈黙したマインドの静寂なのだ。
 
 質問者 あなたはときどき欲望を経験しますか?
 
 マハラジ
 欲望とはマインドのなかの波にすぎない。
 それを見たとき、あなたは波だと知る。
 欲望は数あるもののなかのひとつにすぎない。
 私にそれを満たそうという衝動は起きない。
 それに対して何もする必要はない。
 欲望からの自由とは、それを満たさなければという強迫観念が不在だという
 ことだ。
 
 質問者 そもそも、なぜ欲望は湧いてくるのでしょうか?
 
 マハラジ
 なぜなら、あなたは生まれてきて、もしあなたが身体の面倒を見なければ死
 んでしまうだろうと想像するからだ。
 身体をもつ存在の欲望が心配の根本原因だ。
 
 質問者 しかし、こんなにもたくさんの生命(ジーヴァ)が身体を得ている
     のです。間違いなく、それは判断の誤りではありえないでしょう。
     そこには目的があるはずです。いったい何でしょうか?
 
 マハラジ
 自己がそれ自身を知るためにはそれと反対のもの、非自己と直面しなければ
 ならない。
 欲望は体験へと導く。
 体験は識別、無執着、自己知識――解放へと導く。
 そして解放とはいったい何だろうか?
 それはあなたが生と死を超越したものだと知ることだ。
 あなたが誰なのかを忘れ、自分が死を免れることのできない創造物だと想像
 することで、あなたは悪夢から目覚めなければならないという困難を自分に
 負わせてきた。
 
 探求もまた、あなたの目を覚ます。
 苦しみを待つまでもない。
 幸福への探求のほうがずっといい。
 なぜなら、マインドが平和と調和のなかにあるからだ。
 
 質問者 究極の体験者とは誰なのでしょうか? 真我、あるいは未知なるも
     のでしょうか?
 
 マハラジ
 もちろん、真我だ。
 
 質問者 それでは、なぜ至高の未知なるものという概念をもちこんだのです
     か?
 
 マハラジ
 真我を説明するためだ。
 
 質問者 しかし、至高なるものを超える何かが存在するのでしょうか?
 
 マハラジ
 真我以外に存在するものはない。
 すべてはひとつであり、すべては「私は在る」のなかに含まれる。
 目覚めと夢見の状態において、それは個人だ。
 深い眠りとトゥリーヤ(第四の状態)のなかで、それは真我だ。
 トゥリーヤの醒(さ)めた忘我の彼方に、至高の大いなる静寂の平和がある。
 だが、本質的にはすべてはひとつであり、現れと関わりをもっている。
 無知のなかで「見る者」は「見られるもの」となり、智慧(ちえ)のなかで
 は「見ること」になる。
 
 だが、なぜ至高なるものにこだわるのか?
 知る者を知りなさい。
 そうすればすべては知られるだろう。
 
                         『私は在る』(p86-87)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 至高なるものはそれ自身を知っているのでしょうか? 非個人性は
>     意識をもっているのでしょうか?

なるほど。

> マハラジ
> すべての源はすべてをもっている。

これ↑、どういう意味なんでしょう? (?_?)

とも↑言えますが、でも考えてみれば、「すべての源はすべてをもっている」
のは当たり前のような気もするし。(^^;)

この“すべての源”って日本語の意味ですね。

「all sources」なのか「the source of the all」なのか……。

もし後者の意味なら、「すべての源はすべてをもっている」は当然ですね。

> 源からあふれだすものは何であれ、すでにそこに種子の形として存在してい
> るのだ。

この様子からすると、たぶん、後者の意味ですね。

源から流れ出したものがどんなものであったにせよ、それらはすでに源に種子
の形で存在していたのだ、ということでしょうね。

ただ、ここで語られているのは時間のない<永遠の相>なので、過去時制をと
らなかったのだと思います。

> そしてひとつの種子は無数の種子の究極的なものであり、それが経験を含み、
> 数かぎりない森林を約束しているように、未知もそうであったこと、そうあ
> りえたこと、そうなるだろうこと、そうありうるだろうことのすべてを含ん
> でいる。

「未知」というのが「源」の別称らしいですね。

「ひとつの種子は無数の種子の究極的なもの」……。

たしかに、「ひとつの種子」からその後の「無数の種子」が生まれるわけです。

そのように、「未知」からすべての「既知」と、いわゆる未来の“可能性”が
誕生するわけでしょうね。

> 何かに成るという可能性の全領域は完全に開かれ、到達可能であり、過去と
> 未来が永遠の現在のなかに共存しているのだ。

なんと!? (*_*)

「何かに成るという可能性の全領域は完全に開かれ、到達可能であり、過去と
 未来が永遠の現在のなかに共存している」……。

「未知」のなかに居所がきまれば、「過去と未来が永遠の現在のなかに共存し
ている」ために、“可能性の全領域”が開かれ、到達可能になる、と。

> 質問者 あなたは至高なる未知のなかに生きているのでしょうか?

思わず、確認しちゃいますよね。(^_-)

> マハラジ
> それ以外、どこに住むことができるだろうか?

こう断言できるのが、サットグルですよね。

> 質問者 何があなたにそう言わせるのでしょうか?

そう訊きたくなる気持ち……わかる。

> マハラジ
> どんな欲望もわたしのマインドのなかに湧いてはこないのだ。

ははー……。(-_-)

肝心要は、このことなんだ。

> 質問者 それでは、あなたは無意識なのでしょうか?

わかる、わかる……そう訊きたくなるよ。

> マハラジ
> もちろんそうではない。

ですよね。

> わたしは完全に意識している。

おお(そうなのか……)。(@_@)

> だが、欲望も恐れもマインドのなかに入ってこないため、そこには完全な静
> 寂が在る。

おおお……。

> 質問者 誰がその静寂を知っているのでしょうか?

よっしゃ。

> マハラジ
> 静寂がそれ自身を知っている。

おおおお……。

> それは熱情や欲望が静まったときの、沈黙したマインドの静寂なのだ。

ふーむ。(-_-;) (←唸ってばかりで、バカみたい。(^_-))

> 質問者 あなたはときどき欲望を経験しますか?

まさかね。

> マハラジ
> 欲望とはマインドのなかの波にすぎない。

あ、なるほど。

> それを見たとき、あなたは波だと知る。

わかるような……(わからんような……)。

> 欲望は数あるもののなかのひとつにすぎない。

はい。

> 私にそれを満たそうという衝動は起きない。

あ、なるほど。

> それに対して何もする必要はない。

そういうことになりますね。

> 欲望からの自由とは、それを満たさなければという強迫観念が不在だという
> ことだ。

そういうことだったんだ……。

> 質問者 そもそも、なぜ欲望は湧いてくるのでしょうか?

うん(いいツッコミ)。

> マハラジ
> なぜなら、あなたは生まれてきて、もしあなたが身体の面倒を見なければ死
> んでしまうだろうと想像するからだ。

あ、これはまた端的な。(@_@)

そりゃ、たしかです。

> 身体をもつ存在の欲望が心配の根本原因だ。

納得です。

> 質問者 しかし、こんなにもたくさんの生命(ジーヴァ)が身体を得ている
>     のです。間違いなく、それは判断の誤りではありえないでしょう。
>     そこには目的があるはずです。いったい何でしょうか?

ふふ。

> マハラジ
> 自己がそれ自身を知るためにはそれと反対のもの、非自己と直面しなければ
> ならない。

はい、それはわかります。

> 欲望は体験へと導く。

はい。

> 体験は識別、無執着、自己知識――解放へと導く。

なるほど。

> そして解放とはいったい何だろうか?

(?_?)

> それはあなたが生と死を超越したものだと知ることだ。

あああ……そういうことか。(-_-)

わたしは死ぬことができるようなものではないんだ……。

> あなたが誰なのかを忘れ、自分が死を免れることのできない創造物だと想像
> することで、あなたは悪夢から目覚めなければならないという困難を自分に
> 負わせてきた。

なんとまた……。

> 探求もまた、あなたの目を覚ます。

はい。(-_-)

> 苦しみを待つまでもない。

はい? (?_?)

> 幸福への探求のほうがずっといい。

そうですか。

> なぜなら、マインドが平和と調和のなかにあるからだ。

これは端的な事実のことですか?

それとも、“幸福への探求”のなかでは“マインドが平和と調和のなかにある”
という意味かしら……?

> 質問者 究極の体験者とは誰なのでしょうか? 真我、あるいは未知なるも
>     のでしょうか?

これ……確認しておきたいですよね。

> マハラジ
> もちろん、真我だ。

でた。

> 質問者 それでは、なぜ至高の未知なるものという概念をもちこんだのです
>     か?

わかる、わかる、その気持ち。

> マハラジ
> 真我を説明するためだ。

うーむ。(-_-;)

> 質問者 しかし、至高なるものを超える何かが存在するのでしょうか?

“至高なるものを超える何かが存在する”ようなら、それを「至高なるもの」
とは言わないんじゃないかしら……。(*-_-*)

> マハラジ
> 真我以外に存在するものはない。

ああ……。

要するに……端的に言うなら……「真我以外に存在するものはない」んだ……。

> すべてはひとつであり、すべては「私は在る」のなかに含まれる。

はい。

> 目覚めと夢見の状態において、それは個人だ。

わかります。

> 深い眠りとトゥリーヤ(第四の状態)のなかで、それは真我だ。

そうなんですね。

「深い眠りとトゥリーヤ(第四の状態)のなかで、それは真我」なんだ……。

> トゥリーヤの醒(さ)めた忘我の彼方に、至高の大いなる静寂の平和がある。

「醒めた忘我の彼方に、至高の大いなる静寂の平和がある」……。

> だが、本質的にはすべてはひとつであり、現れと関わりをもっている。

ああ……。(@_@)

なるほど……。

「本質的にはすべてはひとつ」なら、非顕現は顕現と「関わりをもっている」
はずだ……。

「実在」は「マインド」と「関わりをもっている」わけだ……。(-_-)

> 無知のなかで「見る者」は「見られるもの」となり、智慧(ちえ)のなかで
> は「見ること」になる。

無知のなかで実在の反映「観照者」は「個人」となり、智慧のなかでは「観照」
になるのか……。(-_-)

> だが、なぜ至高なるものにこだわるのか?

(*-_-*)

(↑「至高なるもの」って何だか格好よくて、エゴをくすぐるんだよね。(^_-))

> 知る者を知りなさい。

はい。

> そうすればすべては知られるだろう。

わかりました……。(*-_-*)

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


        …………○…………○…………○…………


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■ 3.いただいたお手紙から:或る私さん
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「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単なるメールな
ど、ご自由にお書きいただければと思います。


今回は、或る私さんからありがたいサポートメールをいただきました。(^^)/

早速、ご紹介いたします。

【件名】:
----------------------------------------------------------------------
 pariさん、こんにちは。
 あっと思えば10月ですね。
 二桁数字の月と言うだけで寒さをマインドが描いて
 なんとなく肌寒いです^^;
 
 前回のメルマガでもいい刺激をいただきました。
 ニサルガダッタの描く何もない世界に関心を持ち近づいてくれる人が
 増えることは何とも言えなく喜ばしいことに感じます。
 
 何と言いますかね。一つのいい夢ですかね。
 崖の下に無限に落ちる夢の反対のような安心感の夢ですかね。
 どうせ夢ですが、どうせならいい夢に甘えたいものですね。
 
 マインドって仏教では子牛にたとえられますよね。
 暴れまくる牛ですが、だんだんいい草を餌にして穏やかに主人を乗せていく
 んですよね。
 結局、マインドは甘えていくんですよね。
 主人が行きたいところに一緒に穏やかについてくれれば甘えていいものだと
 思います。
 
 その辺の例えですと、ニサルガダッタは一番のいい餌を
 暴れまくる私たちのマインドに与えてくれたのかなと思います。
 最強の破壊者、なんと魅力的な餌でしょう^^;
 
 ちょっと論理が働けばすぐに理解できることですからね。
 まさに彼の言葉は最強の破壊者ですよ。
 欲張りで論理好きの左脳がその自らの力で自らを無能にしてしまう感じです。
 
 残るのは原因と結果を超えた右脳の無限大のポジティブさですかね。^^;
 一緒に仕事するにあったっては本当に迷惑そうな感じですけど、
 それでも左脳は仕事はするし、右脳も原因と結果にはまったマインドの苦痛
 を癒してくれるので
 自動的に物は進んでいくんだと思うんです。
 
 その辺で言えばpariさんの言葉は本当に客観的で論理的です。
 本当に素晴らしい左脳の持ち主だと思います。^^;
 しかし、ときどき左脳って自分否定にはしってしまうんですよね。
 
 >文字の上では、随分なことでも言えるようになってきた気がします。 
 >
 >でもそれは、まさに“文字の上”だけのこと。
 >
 >実力とまったく関係ないことはよくわかっています。
 
 こんな感じで、です。
 実力ありますよ。それが実在しないことはマインドには考えられない領域で
 す。
 
 マインドに考えられない領域で言えば、すべての存在の実力は同じではない
 ですかね。
 何かマインドに考えられない領域のものをマインドに考えられるものに
 無意識にとらえているのかも知りませんね。そこで恐れが生まれている……
 のかも。
 
 
 >たぶん、わたしは自らの欲に唆されて、道化を演じているのでしょう。
 >
 >(「演じさせられている」という責任転嫁の言い方はしたくありません。)
 >
 >どういうわけか……成長とか成熟といった言葉は嫌いです。
 
 また左脳の仕業ですね。その自分否定そのものが自分ではないと
 無意識に考えている或るものを得たいという欲の現れですからね。
 一瞬の隙もありゃしない左脳の技です。^^;
 
 
 >ただ、夢のなかとは言え、こういう分不相応な文字を書き連ね続けていると、
 >マインドが呼び寄せる微少な衝撃をかなり体験するのも事実です。
 >
 >そういうなかで……明らかになってくることもあります。
 >
 >すると……どうも……「定義」とは「分離」を暗示しているらしいのです。
 >
 >「定義」に長ければ長けるほど……じつは「分離」を洗練しているらしい。
 >
 >つまり……どういうことか?
 >
 >わたしは一見“マインドでありたくない”と主張しているようで、じつはま
 >さにそうすることで、“マインドでありたい”と主張しつづけているらしい。
 
 それはそうでしょうね。
 ただ、子牛は甘えで動くものです。
 主人はただ子牛を見ているだけです。
 定義と分離を洗練するのも私、
 何もせずにただ見ているだけの主人も私、
 そのどちらが真の私か定義付けしようとするのも私、
 そんな定義付けが無用であると知っているのも私、
 だと思います。
 
 ただ、欲を否定しないと精神が持たないので
 現れの方の私には「間違える」ことがあり得るのではないでしょうか。
 欲を否定できない時点ですでにその身体との自己同一化は起こっていますし
 ね。
 結局どれだけ自分に厳しく気づいているかが
 精神力になり、正しさになるのだと思います。
 
 
 >これはもう……端的な事実で……どう誤魔化しようもありません。
 >
 >つまり……この道は……そういう道だ……ということのようです。
 >
 >そういう経路で……マインドの全否定に向かう道なのですね……。
 >
 >そういう道しかたどれない「私は在る」もあるのでしょう。
 
 一瞬の隙間もなく現れの本性を見抜かない限り、
 それがマインドが描いている世界であり、自分とは関係ないと言い切れない
 でしょうね。
 マインドを全否定するのは正しいが
 自分をほんの一部でも否定するのは大きな間違いですよ。
 
 マインドも存在の同伴者ですから。
 甘えさせていい夢みて生きるのもいいじゃありませんか。^^;
----------------------------------------------------------------------

或る私さん、ご投稿ありがとうございました。<(_ _)>

今回のメール、何か……これまでにも増してヒットしたものがあります。

> pariさん、こんにちは。

メール、ありがとうございます。

> あっと思えば10月ですね。
> 二桁数字の月と言うだけで寒さをマインドが描いて
> なんとなく肌寒いです^^;

ほんと、早いものですねぇ。

> 前回のメルマガでもいい刺激をいただきました。

いつも、目を通していただいて……。

> ニサルガダッタの描く何もない世界に関心を持ち近づいてくれる人が
> 増えることは何とも言えなく喜ばしいことに感じます。

ニサルガダッタの言葉は伝染性がありますよね。

論理的ですから。

> 何と言いますかね。一つのいい夢ですかね。

まあ……言葉で提供されたものですから。

> 崖の下に無限に落ちる夢の反対のような安心感の夢ですかね。
> どうせ夢ですが、どうせならいい夢に甘えたいものですね。

なるほど。

> マインドって仏教では子牛にたとえられますよね。

ええ、十牛図ですね。

> 暴れまくる牛ですが、だんだんいい草を餌にして穏やかに主人を乗せていく
> んですよね。

たしかに……牛からするとそういうことですね。^^;

> 結局、マインドは甘えていくんですよね。

なるほどねぇ。(-_-)

> 主人が行きたいところに一緒に穏やかについてくれれば甘えていいものだと
> 思います。

そういうことになりますか。

> その辺の例えですと、ニサルガダッタは一番のいい餌を
> 暴れまくる私たちのマインドに与えてくれたのかなと思います。

そうかぁ。

たしかに、そういう言い方をするなら、じつにすばらしい餌ですね。

> 最強の破壊者、なんと魅力的な餌でしょう^^;

おお、なるほど。(@_@)

> ちょっと論理が働けばすぐに理解できることですからね。

いえ、なかなかすぐにも理解できなくて。(^^;)

懸命に“なぞって”います。^^;

> まさに彼の言葉は最強の破壊者ですよ。

ええ、それは確かかも。

> 欲張りで論理好きの左脳がその自らの力で自らを無能にしてしまう感じです。

まったくです。

わたしなどはそれしか可能性がありませんから。

> 残るのは原因と結果を超えた右脳の無限大のポジティブさですかね。^^;

なるほど……“右脳の無限大のポジティブさ”が残るわけですか。

> 一緒に仕事するにあったっては本当に迷惑そうな感じですけど、
> それでも左脳は仕事はするし、右脳も原因と結果にはまったマインドの苦痛
> を癒してくれるので
> 自動的に物は進んでいくんだと思うんです。

このあたり、或る私さんの回転が速いのか、連想野が独特なのか……。(^^;)

でも、おっしゃること、わかります。

“本当に迷惑そう”……かもしれないのは右脳なんですね。

でも、マインドの両輪として“左脳”もちゃんと“仕事はするし”“右脳も”
(原因と結果にはまった)“マインドの苦痛を癒”す、と。

だから“自動的に物は進んでいくんだ”というわけですね。

> その辺で言えばpariさんの言葉は本当に客観的で論理的です。

褒めていただいたのか。(^^;)

> 本当に素晴らしい左脳の持ち主だと思います。^^;

ええ、機能しているのが左脳であることは、自分でも自覚しています。

これまで、あなたはあまりにも感受性が高くて、幼い頃どこかの時点でハート
を閉じられたんでしょうね、とお二人の方に、期せずして同じようなことを言
われたことがあります。

いえ、別に自慢というようなつもりは、まったくありませんが。^^;

> しかし、ときどき左脳って自分否定にはしってしまうんですよね。

あ、やっぱり。

> >文字の上では、随分なことでも言えるようになってきた気がします。
> >
> >でもそれは、まさに“文字の上”だけのこと。
> >
> >実力とまったく関係ないことはよくわかっています。
> 
> こんな感じで、です。
> 実力ありますよ。それが実在しないことはマインドには考えられない領域で
> す。

いやー、おっしゃる意味はわかります。

ありがとうございます。

でも、言葉だけが、素晴らしく働いてしまうことがあるのも確かで。^^;

できあがった表現が、実力じゃないなぁと思うことがあるのも事実なんです。

> マインドに考えられない領域で言えば、すべての存在の実力は同じではない
> ですかね。

おお……それはいいですね。(@_@)

たしかに、おっしゃるとおりなような。

> 何かマインドに考えられない領域のものをマインドに考えられるものに
> 無意識にとらえているのかも知りませんね。

ここが……ちょっと意味が取りにくいですが。(-_-)

“何かマインドに考えられない領域のもの”を、無意識のうちに“マインドに
考えられるもの”として捕らえてしまっていて、その結果、

> そこで恐れが生まれている……のかも。

というような意味でしょうか。(-_-;)

> >たぶん、わたしは自らの欲に唆されて、道化を演じているのでしょう。
> >
> >(「演じさせられている」という責任転嫁の言い方はしたくありません。)
> >
> >どういうわけか……成長とか成熟といった言葉は嫌いです。
> 
> また左脳の仕業ですね。その自分否定そのものが自分ではないと
> 無意識に考えている或るものを得たいという欲の現れですからね。

おおお……。(@_@)

自分で分離して、自分で欲をかく……。(*-_-*)

> 一瞬の隙もありゃしない左脳の技です。^^;

なるほどねぇ。(-_-;)

> >ただ、夢のなかとは言え、こういう分不相応な文字を書き連ね続けていると、
> >マインドが呼び寄せる微少な衝撃をかなり体験するのも事実です。
> >
> >そういうなかで……明らかになってくることもあります。
> >
> >すると……どうも……「定義」とは「分離」を暗示しているらしいのです。
> >
> >「定義」に長ければ長けるほど……じつは「分離」を洗練しているらしい。
> >
> >つまり……どういうことか?
> >
> >わたしは一見“マインドでありたくない”と主張しているようで、じつはま
> >さにそうすることで、“マインドでありたい”と主張しつづけているらしい。
> 
> それはそうでしょうね。
> ただ、子牛は甘えで動くものです。

(?_?)

> 主人はただ子牛を見ているだけです。

これはすばらしい。(*_*)

> 定義と分離を洗練するのも私、

はい。

> 何もせずにただ見ているだけの主人も私、

はい。

> そのどちらが真の私か定義付けしようとするのも私、

はい。

> そんな定義付けが無用であると知っているのも私、
> だと思います。

たしかに。(-||-)

> ただ、欲を否定しないと精神が持たないので
> 現れの方の私には「間違える」ことがあり得るのではないでしょうか。

分離しないことには、マインドの立つ瀬がないので、現れの方のわたしは、
自ら分離して、欲をかくことがあるのだ……、と。

> 欲を否定できない時点ですでにその身体との自己同一化は起こっていますし
> ね。

“欲を否定できない時点”で、“すでにその身体との自己同一化は起こって”
いる……。(-_-;)

そうかぁ。

(-||-)

> 結局どれだけ自分に厳しく気づいているかが
> 精神力になり、正しさになるのだと思います。

そういうことですねぇ。(-_-)

> ……
> 一瞬の隙間もなく現れの本性を見抜かない限り、
> それがマインドが描いている世界であり、自分とは関係ないと言い切れない
> でしょうね。

なるほど……そういうことですか。

> マインドを全否定するのは正しいが
> 自分をほんの一部でも否定するのは大きな間違いですよ。

なるほど。(-||-)

> マインドも存在の同伴者ですから。
> 甘えさせていい夢みて生きるのもいいじゃありませんか。^^;

元々ひとつであるものを、分離した瞬間に、窮地に陥るわけですねぇ。(-_-;)

或る私さん、じつは、今回のお手紙を読んでいて、他にも重大な気づきをいた
だきました。

とても、ありがたかったです。(-||-)

サポートメール、ありがとうございました。

<(_ _)>


        …………○…………○…………○…………



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■ 4.「ご投稿・情報提供」:ドン・ガバチョさん、ハイアーセルフ33さん
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『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
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        …………○…………○…………○…………


今回、ドン・ガバチョさんから、“現実(リアリティ)の本質”についての
ご意見をご投稿いただきました。

早速、ご紹介します。

【件名】: 現実(リアリティ)の本質
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 いつもの独り言です。どうぞ気になさらずに・・・・
 
 現実(リアリティ)とは何でしょうか?
 「出来事」(事象・物象)でしょうか?
 
 ―――
 
 観念・情緒・態度の無条件反応
 1.「出来事」を「観念」(分離のイロメガネ)がとらえる
 2.「観念」に付随する思念が出来事を判断・思考して「感情」を現出させる
 3.「感情」が「態度」として表明され「観念」を裏付ける
 
 この反応は、私たちの生きる「現象界」では恰(あたか)も時系列に従った
 ビリヤードの玉付きの如くに順々と生起する様に感得されますが、「実在
 界」では「同時」に発生します。
 ここで云う「同時」という概念は、私たちの「現象界」で捉えられる「瞬
 時」というものとは違います。
 時間枠が無い「実在界」におけるところの「同時」です。
 
 つまり、上の「観念・情緒・態度の無条件反応」には実の所、順序性はあり
 ません。
 
 ということで、上の反応は「現象界」的には次の様に著わすことも出来ま
 す。
 1.あなたのハートに「情緒」が湧き上がる(フィーリングが直感される)
 2.湧き上がった「情緒」が「観念」フィルターを通り、それ(観念)に従っ
 た「出来事」が投影される
 3.「出来事」に対して、「態度」を生起させて「情緒」を裏付ける
 
 順序は如何様に代えることも可能です。
 「実在界」では全てが同時に生起しているのですから。
 
 ―――
 
 さて、再び問います。
 真の現実(リアリティ)とは何でしょうか?
 
 どうも娑婆は、生起してくる「出来事」であると信じさせ様としている様で
 す。
 あなた様も大人しく騙されて、そうお考えでしょうか?
 
 ?????
 
 ―――
 
 真の現実(リアリティ)とは「情緒」です。
 (人によっては、真の現実は「感情」です。)
 
 ・情緒とは、体験を通してハートが感じるフィーリング、気付きがもたらす
 風
 ・感情とは、観念(テレビ)に紐づけられた思考が生み出すマインドのさざ
 波(観念はテレビと全く同義語です)
 
 ―――
 
 「実在界」には、私たちには全く未知の「情緒」が無限に在ります。
 
 例えば・・・・
 道行く見知らぬ子どもたちの一団が、実は「私」の息子や娘であると悟った
 時
 売り上げ未達の私に罵詈雑言を浴びせてくる上司が、実は「私」自身である
 と気付いた時
 公園で乳飲み子を慈しむ母親が、実は「私」の母親でもあると識(し)った
 時
 野に咲く菜の花に潔さをフィーリングした時
 道端にうずくまるホームレスの方が、「私」であると直感した時・・・・
 (どうして私が彼では無いと言えるのですか?どうして彼が私では無いと言
 えるのですか?)
 
 こうした契機・・・・
 
 今はまだ私たちには「未知」である「情緒」が感得された時、
 そして「情緒体験」こそが真のリアリティであると悟った時に、
 その「情緒」に相応しい「出来事」が「現象界」に生起してきます。
 (出来事は、現象界では時間のフレームに従って顕現されます。)
 その「出来事」は私たちにとって「未知」の事象・物象です。
 
 「情緒」という現実(リアリティ)、その「未知」の扉を開くとき、「未
 知」なる事象・物象が生起します。
 
 ラムサの至上命題「未知を既知にせよ」の真意は、
 「未知の情緒を体験せと」ということなのです。
 
 私たちはこうして新たな天界の扉を開き続けていきます。
 その未知なる天界の扉は無限に続いているのです。
 
 ラムサ
 ――私は至福の天界の色々なことをあなたに伝えた。
 しかし実は、そうしたことはあなたには必要も無いことなのだ。
 何故なら至福の天界は、あなたの想像を遥かに超えた場所なのだ。
 あなたには到底、想像することは出来ない。
 あなたの想像を絶する天界が有るということ、そして、あなたはいずれそこ
 へ行く、そのことだけは知っておくべきだ。
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ドン・ガバチョさん、“真の現実(リアリティ)”についてのユニークな解説
をご投稿いただき、ありがとうございました。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


今回、ハイアーセルフ33さんからシェルダン・ナイドル関連情報のお知らせ
をいただきました。

早速、ご紹介します。

【件名】: シェルダン・ナイドル 銀河連邦情報  09.10.6(ふるやの森)
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 みなさん、こんにちは。ハイアーセルフ33です。
 
 「ふるやの森」で、今回もいち早くシェルダン・ナイドルの銀河連邦情報の翻
 訳を発信していただいていますので、お知らせします。
 
 http://blog.goo.ne.jp/flatheat/e/766a75c24664cdf0f5c9a6d2ec7dba94

 
 シェルダン・ナイドル09.10/6:プロト・銀河社会への移行に向かう世界
 
 ……
 
 AUMLOVE ハイアーセルフ33 (KIN 33)
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はるさん、今回はまぐまぐの掲載制限をはるかに超えてしまいました。

ご興味のある方は、以下のURLでご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/flatheat/e/766a75c24664cdf0f5c9a6d2ec7dba94

はるさん、ご投稿ありがとうございました。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………



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■ 5.編集後記:恐れるのは実在を僭称する非実在であるということ……
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今回の或る私さんからのサポートメール、とてもヒットしました。

いろいろなショックと発見がありました。

実在は恐れを知らないということ、恐れるのは実在を僭称する非実在であると
いうことに関する気づきをいただいたように思います。

ありがたいことです。

では、おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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