━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
☆☆ ☆☆
☆☆ ☆☆ 『アセンション館通信』vol.290 2009/10/25(第290号)
☆☆ ☆ ☆☆
☆☆ ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))
マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;
内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 954名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.明確な理解を除いては……
2.写経ニサルガダッタ:
【87 マインドの沈黙を保ちなさい、そうすれば発見するだろう】の2回目
3.いただいたお手紙から:Y.N さん
4.「ご投稿・情報提供」:ハイアーセルフ33さん、ドン・ガバチョさん
5.編集後記:もし可能なら……それを見ているだけだと思います。
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■ 1.明確な理解を除いては……
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変化するものは永遠に変化しつづける。
不動であるものは永遠に不動でありつづける。
変化しつづけるものは不動であるものなしには存在できない。
変化しつづけるものはじつは不動の実在の実在性を一瞬借りて、仮現の変化の
相を非顕現である実在の前に誇示している。
変化しつづけるものは不動であるものを根拠に、不動であるものの前に、つか
の間の仮現の変化の相を誇示し、戯れ、そして消えていくだけ。
変化する顕現の相が不動の非顕現に移行することはありえない。
不動の非顕現が顕現の相として現れることはありえない。
非顕現はただ永遠に変化しつづける顕現を可能にしているだけ。
不動の実在に依拠して仮現の変化を誇示するもののなかに誤解が生まれる。
顕現する変化の相があたかも自前で存在しているかのように。
かくて顕現する変化の相のなかに“わたし”が現れる。
そしてその“わたし”が顕現する変化の相の一部に自己同化する。
永遠の変化である顕現の相のなかに“自分の運命”をもつ者が現れる。
永遠の変化である顕現の相のなかに“苦痛と快楽”が生まれる。
かくて永遠の変化である顕現の相は“悲の器”となる。(-_-;)
……。
ふ。
(*^_^*)
というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/
みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?
むかし『悲の器』という難しい小説を読んだことがありました。
いまになって内容は何ひとつ覚えていませんが、ただ『悲の器』というすてき
な言葉だけが印象に残っていてこんな瞬間に飛び出してきたようです。(^^;)
作者の高橋和巳さんがこの言葉に託したのはどういう意味だったのでしょう?
まったく覚えていません。
当時のわたしの精神年齢にはたぶん難しすぎる小説だったのでしょう。
自分に理解できないような難しいことまで吸収して、人生の矛盾をえぐり出そ
うとするような年齢や感情といったものがあるようです。
いまとなっては、自ら何の努力もしなくても、人生は『悲の器』だと思えるよ
うですが、でも、そうなってからではたいして自慢にもなりません。(^_-)
ははは。(^^;)
それはともかくとして……、ニサルガダッタという桁外れに懇切丁寧な表現力
のお陰で、できることなら、言葉は“正しく”“適切に”使う方がいいのだと
理解できるようになりました。
言葉は、どんなふうに組み合わせることもできるし、それによってどんな新た
な“センセーション”も生み出せるわけでしょうが……。
「子供の火遊び」「気違いに刃物」と言ったふうの、いたずらに不幸と恐怖を
拡大する想像力、創造性の使い方もあるのでしょうね。
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言葉は幻想を悪質なものにするかもしれないし、それを追い払う助けをする
かもしれない。
『私は在る』(p192)
http://tinyurl.com/s747u
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まったくですねぇ。(-_-)
われわれは自分の創造力の犠牲になっているとでも言うか……。
あるいは、自分勝手な想像で、この顕現世界に自分の居所があると思いこんで
しまったとでも言うか……。
マインドはとても創造力に富んだ媒体なので、どんな悲しみも喜びも、花火の
ように打ち上げられるでしょうが……ただそれは一瞬のことなんですよね。
わたしは、ニサルガダッタに出会うまでは、リアルに存在するものは「実在」
なんだと思っていました。
「実在」とは……そういう意味じゃなかったんですね。(-_-)
ニサルガダッタは真我実現の後に、
----------------------------------------------------------------------
私は意識であり、絶対的に幸福だと見いだしたのだ。
ただ、私は存在―意識―至福が身体と身体の世界に属すると考えていたのが
間違いだったのだ。
『私は在る』(p102)
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と知ったそうです。
(この「私は意識であり」は“私は純粋な意識であり”の意味でしょうね。)
お陰さまで、その言葉を聴けるわれわれは、“至福が身体と身体の世界に属す
る”と考える誤解に対して、最初から“免疫”をもつことができます。
これこそがまさに“グルの恩寵”というものなのだろうと思います。
この世での幸せを求める“桎梏”からは、まず解放されるわけですから。
自分の真の幸福は、この世での身体の条件とはまったく無関係だと“知って”
いるわけですからね。
もちろん、今のところ、それは単なる“耳学問”でしかないかもしれません。
でも、この世で幸せになろうとする努力が、真の解放と“まったく無関係”だ
と知っているということは……これは大変なことではないでしょうか。
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あなた自身を改善しようと試みてはならない。
ただすべての変化が無駄であることを見るのだ。
変化するものは変化しつづける。
その間、不変なるものは待ちつづけているのだ。
『私は在る』(p541)
----------------------------------------------------------------------
……。(-_-)
これほど単純で、反駁しようのない言葉をこれまで聞いたことがありますか?
じっさいは、言葉の背後にある圧倒的な確信が、語っているのでしょう。
----------------------------------------------------------------------
変化するものが不変なるものへとあなたを連れていくと、期待してはならな
い。
それはけっして起こらない。
変化という観念自体が偽りとして見られ、放棄されたときにのみ、不変なる
ものがおのずと現れるのだ。
『私は在る』(p541)
----------------------------------------------------------------------
……。(-_-)
そういうことなんですねぇ。
----------------------------------------------------------------------
何をしようとあなたが変わることはないだろう。
なぜなら、あなたには変わる必要がないからだ。
あなたは身体やマインドを変えるかもしれない。
だが、それはつねにあなたではなく、何か外側が変わったのだ。
いったいどうして変わることを気にするのか?
身体もマインドも、また意識さえもあなた自身ではないと、きっぱりと自覚
しなさい。
そして意識も無意識も超えたあなたの真の本性のなかにひとり在りなさい。
明確な理解を除いては、いかなる努力もあなたをそこへ連れていかないだろ
う。
あなたの誤解を明らかにし、それを捨て去りなさい。
ただそれだけだ。
そこには探したり、見いだしたりするものは何もない。
なぜなら、何も失われてはいないからだ。
リラックスしなさい。
そして「私は在る」を見守りなさい。
実在はその背後にあるのだ。
静かにしなさい。
沈黙しなさい。
それは現れるだろう。
あるいはむしろ、それがあなたをそのなかへと連れていくだろう。
『私は在る』(p540)
----------------------------------------------------------------------
(-||-)
> そして意識も無意識も超えたあなたの真の本性のなかにひとり在りなさい。
> 明確な理解を除いては、いかなる努力もあなたをそこへ連れていかないだろ
> う。
ニサルガダッタは「明確な理解を除いては、いかなる努力もあなたをそこへ連
れていかないだろう」と言います。
それを信じます。
……。(-_-)
……今日はこれ以上、余計な言葉を紡ぐことができないようです。
(-_-)
……。
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:
【87 マインドの沈黙を保ちなさい、そうすれば発見するだろう】の2回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
何度も読んできたはずですが、今回初めて聞こえた感じの言葉があります。
それは、わたしの嫌いな「責任」に関する言葉でした。
> あなたに責任があるのは、あなたに変えられることだけだ。
> あなたに変えられることとは、あなたの態度だけだ。
> そこにあなたの責任があるのだ。
(*-_-*)
……これまで……まったく……聞こえていませんでした。
では、【87 マインドの沈黙を保ちなさい、そうすれば発見するだろう】の
2回目です。
(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
願っています。(-||-) )
最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。
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質問者 ひとたび質問をあきらめたら、私はどうすればいいのでしょうか?
マハラジ
ただ待ち、見守る以外何ができるだろうか?
質問者 何を待てばいいというのでしょうか?
マハラジ
あなたの存在の中心が意識のなかに現れるのを待つのだ。
眠り、夢見、目覚めの三つの状態はすべて意識のなかに現れる。
時が来れば、あなたが無意識と呼ぶ状態も現れるだろう。
意識全体を超えたところに非顕現がある。
そしてすべてを超え、すべてに遍在する存在のハートは顕現―非顕現、顕現
―非顕現(サグナ―ニルグナ)、と脈々と鼓動しているのだ。
質問者 言語レベルでは、すべて正しいように思われます。私には私自身が
存在の種子、意識のなかの点として「私は在る」とともに現れては
消え、現れては消え、と脈打っているのを思い浮かべることができ
ます。しかし、それを事実として認識し、不変で無言の実在の彼方
へ行くにはどうすればいいのでしょうか?
マハラジ
あなたにできることは何もない。
時間がもたらしたものは、時間が奪い去っていくだろう。
質問者 それではなぜ、ヨーガの修練や実在の探求を奨励するのでしょうか?
それらは私に力を与え責任をもたせるように感じさせながら、実際
には、時間によってすべてが為(な)されるのです。
マハラジ
独立を実現すること――それがヨーガの終焉(しゅうえん)なのだ。
起こることすべてはマインドのなかで、マインドにとって起こり、「私は在
る」の源に起こるのではない。
ひとたびすべてはひとりでに起こると悟るなら――それを運命、神の意志、
あるいは単なる偶然と呼ぶがいい――あなたはただ観照者としてとどまる。
理解し、楽しみ、しかし心乱されることのないままに。
質問者 もし私が完全に言葉を信頼することをやめるなら、私はどのような
状態になるのでしょうか?
マハラジ
そこには信頼する時期と疑う時期があるのだ。
なぜ心配するのか?
質問者 とにかく、私は私の周辺で起こることに責任があると感じるのです。
マハラジ
あなたに責任があるのは、あなたに変えられることだけだ。
あなたに変えられることとは、あなたの態度だけだ。
そこにあなたの責任があるのだ。
質問者 あなたは私に、他者の悲しみに無関心でいるように勧めるのですか!
マハラジ
あなたが無関心でないということではない。
人類全体の苦しみはあなたが次の食事を楽しむことを妨げはしない。
観照者は無関心ではない。
彼は理解と慈悲に満ちている。
ただ観照者としてのみ、あなたは他の人びとを助けられるのだ。
質問者 全人生において、私は言葉によって養われてきました。私が聞き、
読んできた言葉の数は何十億にのぼるでしょう。それは私のために
なったのでしょうか? まったくそうではありません!
マハラジ
マインドは言語を形づくり、言語がマインドを形づくる。
どちらも道具なのだ。
それを使うがいい。
だが、誤用してはいけない。
言葉はそれらの限界まであなたを連れていくことができる。
それを超えるには、言葉は放棄されなければならない。
沈黙の観照者としてのみとどまりなさい。
『私は在る』(p468-469)
http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------
(-||-)
> 質問者 ひとたび質問をあきらめたら、私はどうすればいいのでしょうか?
まったくです。
どうすればいいのでしょうか?
> マハラジ
> ただ待ち、見守る以外何ができるだろうか?
(>_<)
つれない……。
> 質問者 何を待てばいいというのでしょうか?
そのとおり。
> マハラジ
> あなたの存在の中心が意識のなかに現れるのを待つのだ。
ふーん。
「存在の中心が意識のなかに現れるのを待つ」……。
> 眠り、夢見、目覚めの三つの状態はすべて意識のなかに現れる。
はい、わかります。
> 時が来れば、あなたが無意識と呼ぶ状態も現れるだろう。
ああ、なるほど。
> 意識全体を超えたところに非顕現がある。
ふーん。
> そしてすべてを超え、すべてに遍在する存在のハートは顕現―非顕現、顕現
> ―非顕現(サグナ―ニルグナ)、と脈々と鼓動しているのだ。
“存在のハート”……。(=_=)
言葉にはできない領域の話か……。
> 質問者 言語レベルでは、すべて正しいように思われます。私には私自身が
> 存在の種子、意識のなかの点として「私は在る」とともに現れては
> 消え、現れては消え、と脈打っているのを思い浮かべることができ
> ます。しかし、それを事実として認識し、不変で無言の実在の彼方
> へ行くにはどうすればいいのでしょうか?
へー、言うなぁ、このひと。
でも、そう言ってもなぁ……。
> マハラジ
> あなたにできることは何もない。
はい。
> 時間がもたらしたものは、時間が奪い去っていくだろう。
はあ? (?_?)
どういう意味だろう?
……ああ、そういう意味か。
「あなたにできることは何もない」って言っているわけだから……。
> 質問者 それではなぜ、ヨーガの修練や実在の探求を奨励するのでしょうか?
> それらは私に力を与え責任をもたせるように感じさせながら、実際
> には、時間によってすべてが為(な)されるのです。
うん。
まあ……そういうことになるか。
> マハラジ
> 独立を実現すること――それがヨーガの終焉(しゅうえん)なのだ。
「独立を実現すること」って……、何からの? (?_?)
ああ、マインドからの、か。
> 起こることすべてはマインドのなかで、マインドにとって起こり、「私は在
> る」の源に起こるのではない。
なるほど。
いつもこの言い方をするなぁ。(-_-)
> ひとたびすべてはひとりでに起こると悟るなら――それを運命、神の意志、
> あるいは単なる偶然と呼ぶがいい――あなたはただ観照者としてとどまる。
はい。
なにやら……少し聞こえ始めてきたような。
> 理解し、楽しみ、しかし心乱されることのないままに。
「理解し、楽しみ」……がはいるんだな。
そして、もちろん、「しかし心乱されることのないままに」……、と。
> 質問者 もし私が完全に言葉を信頼することをやめるなら、私はどのような
> 状態になるのでしょうか?
え (?_?)、でも、ニサルガダッタの言葉を信頼するわけでしょ?
> マハラジ
> そこには信頼する時期と疑う時期があるのだ。
へー。
あ、なんとなく、わかるような。
> なぜ心配するのか?
(^^;)
> 質問者 とにかく、私は私の周辺で起こることに責任があると感じるのです。
なるほど。
それも理解できますけど。
> マハラジ
> あなたに責任があるのは、あなたに変えられることだけだ。
わかります。
> あなたに変えられることとは、あなたの態度だけだ。
あ……。(*_*)
> そこにあなたの責任があるのだ。
そういう意味だったのか……。(*-_-*)
はじめて知った……。(-_-)
> 質問者 あなたは私に、他者の悲しみに無関心でいるように勧めるのですか!
うーん。:-O
> マハラジ
> あなたが無関心でないということではない。
他者の悲しみに無関心なのはあなたなのだ。
> 人類全体の苦しみはあなたが次の食事を楽しむことを妨げはしない。
ぷ。(>_<)
(いえ、他人(ひと)事だという意味ではありません。^^;; )
> 観照者は無関心ではない。
はあ。
> 彼は理解と慈悲に満ちている。
そうかぁ。
> ただ観照者としてのみ、あなたは他の人びとを助けられるのだ。
え!? (@_@)
そうなの……?
> 質問者 全人生において、私は言葉によって養われてきました。私が聞き、
> 読んできた言葉の数は何十億にのぼるでしょう。それは私のために
> なったのでしょうか? まったくそうではありません!
そんな……、誰のせいにもでけへんて……。
> マハラジ
> マインドは言語を形づくり、言語がマインドを形づくる。
やっぱり。
> どちらも道具なのだ。
はい。
どちらも主人ではない。
> それを使うがいい。
はい。
> だが、誤用してはいけない。
というと……?
> 言葉はそれらの限界まであなたを連れていくことができる。
はい。
> それを超えるには、言葉は放棄されなければならない。
理解できます。
> 沈黙の観照者としてのみとどまりなさい。
わかりました……。
(-_-)
……。
(-||-)
今日の写経は、ここまでです。
m(_ _)m
…………○…………○…………○…………
『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。
ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
…………○…………○…………○…………
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■ 3.いただいたお手紙から:Y.N さん
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▼『アセンション館通信』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単なるメールな
ど、ご自由にお書きいただければと思います。
…………○…………○…………○…………
今回は、このメルマガの出発当初何度かお便りをいただいた Y.N さんから、
ずいぶん久しぶりに近況メールをいただきました。
お近くの方など、おついでがありましたらお立ち寄りになってみては。
【件名】:
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こんにちは、お久しぶりですpari様
岐阜県の cafe HIZUKIです。
とってもとってもお気楽に暮しています。
自分のエゴの支配もだいぶ融けて、自分を在るがまま大好きで生きはじめて
いますよぉ。
私はずっと自分の守護神の癖である「すべての繰り返しは自分に責任がある」
という想いをやっと手放すところまでやってきました。
しっかりと守ってきた想いの塊に相当なエネルギーを使っていたのか?
手放したと同時に、頭上の光の柱が今までの倍くらい響き渡るようになりま
した。
周りの人々の輝きが日に日に増していく姿がうれしい毎日です。
いろいろと思考は巡らしたくなるのですが、欲というものの中で知りたいと
いう欲は一番深いと言われているように、
私も知らずにいても、すべてが素晴らしく進んでいるけれど
その進捗状況を知りたくなったりしますね、あはははは。
欲というものは、何度も繰り返し芽を出してきますが、
自分自身に「ありがとう、いつも最善をつくせているよ、どんな私も愛して
いる」というような言葉を自分にかけているだけで、
人というものは自然に在るがままへと戻って行く......
そう確信しています。
自分の言葉というか、自分の魂の想いこそが自分にとっての答えだから....
..かなぁ
そうそう、私も自分の得意技であるエネルギー調和を生かして、アロマオイ
ルを独自にブレンドしてヒーリングして調整し、販売しています。
下のURLで販売しています。よかったらのぞいてみてください。
近況報告と自己PRのメールでした。
読んでいただけて感謝です。
お元気で活動続けてくださいね。
Cafe HIZUKI Y.N
TEL&FAX 050-1298-7690 月曜定休
kabo2772@ybb.ne.jp
<アロマオイル>http://cafehizuki.cart.fc2.com/
<ブログ>http://plaza.rakuten.co.jp/cafehizuki/
----------------------------------------------------------------------
Y.N さん、掲載させていただきましたよ。(^_-)
> こんにちは、お久しぶりですpari様
>
> 岐阜県の cafe HIZUKIです。
お久しぶりです。(^^)/
お元気そうですね。
まだ読んでいただいていたんですか。(^^;)
あまり合わないと思いますけど……。
> とってもとってもお気楽に暮しています。
それはそれは。^^;
> 自分のエゴの支配もだいぶ融けて、自分を在るがまま大好きで生きはじめて
> いますよぉ。
そうなんですか。
> 私はずっと自分の守護神の癖である「すべての繰り返しは自分に責任がある」
> という想いをやっと手放すところまでやってきました。
>
> しっかりと守ってきた想いの塊に相当なエネルギーを使っていたのか?
> 手放したと同時に、頭上の光の柱が今までの倍くらい響き渡るようになりま
> した。
なんか、すごいですねぇ。(@_@)
> 周りの人々の輝きが日に日に増していく姿がうれしい毎日です。
>
> いろいろと思考は巡らしたくなるのですが、欲というものの中で知りたいと
> いう欲は一番深いと言われているように、
> 私も知らずにいても、すべてが素晴らしく進んでいるけれど
> その進捗状況を知りたくなったりしますね、あはははは。
>
> 欲というものは、何度も繰り返し芽を出してきますが、
>
> 自分自身に「ありがとう、いつも最善をつくせているよ、どんな私も愛して
> いる」というような言葉を自分にかけているだけで、
> 人というものは自然に在るがままへと戻って行く......
>
> そう確信しています。
なるほどねぇ。
> 自分の言葉というか、自分の魂の想いこそが自分にとっての答えだから....
> ..かなぁ
>
> そうそう、私も自分の得意技であるエネルギー調和を生かして、アロマオイ
> ルを独自にブレンドしてヒーリングして調整し、販売しています。
>
> 下のURLで販売しています。よかったらのぞいてみてください。
>
> 近況報告と自己PRのメールでした。
> 読んでいただけて感謝です。
PR させていただきましたあ。(^^;)
> お元気で活動続けてくださいね。
ありがとうございます。
Love pari
…………○…………○…………○…………
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■ 4.「ご投稿・情報提供」:ハイアーセルフ33さん、ドン・ガバチョさん
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『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。
▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518
…………○…………○…………○…………
今回、ハイアーセルフ33さんから、銀河連邦情報関連で、2つのお知らせを
ご投稿いただきました。
早速、ご紹介します。
【件名】: シェルダン・ナイドルの銀河連邦情報(8月分)
& オバマが11月にETの実在を発表か?
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みなさん、こんにちは。ハイアーセルフ33です。
シェルダン・ナイドルからの銀河連邦情報8月分が、ONENESSサイト
にアップされましたのでお知らせいたします。翻訳のLotusさんにはいつも感
謝です。 http://oneness-net.jp/pao-updates/index.htm
また「ふるやの森」では、こんな情報も10月18日にアップされていま
す。銀河連邦のメンバーのひとり、「サ・ルー・サ」からの情報を裏付ける
真実の情報ならほんとにうれしいですね。
「11月27日にオバマ大統領がET(地球外生命体)の実在を発表!」
http://blog.goo.ne.jp/flatheat/e/5ab1d983ccedf0bef0e5e201454099c0
●プロジェクト・キャメロットのビル・リャンは2009年7月12日のチューリッ
ヒ・カンファランスでピ−ト・ピーターソン博士が伝えた情報を公開した。
「11月27日にオバマ大統領が、地球外生命体の実在を公式発表する。6種類
の友好的なETが紹介されるだろう。この発表は前もってテレビ放送で世界に
通知されることになる。」さらにリャンはUFOアブダクティーによる次の情報
を伝えた。「オバマ大統領の公式発表に先立って、11月21日ー22日にETコン
タクトの信ぴょう性を実証する"力強い暴露"(スペースシップのデモンスト
レーション?)が行われる。」
以下は サ・ルー・サ 09.10.14 今年中に行なわれる重大発表1より抜粋
http://blog.goo.ne.jp/flatheat/d/20091015
●今から年末にかけて私たち地球外生命体が実在するという公式発表が行わ
れます。オバマ大統領が発表のテーブルにつくことになります。長い年月に
わたって私たちはより公式なコンタクトの実現を期待してきました。皆さん
との友好的な関係を維持するためにもコンタクトは正式なアプローチで実現
することに決定したのです。
メッセージが直接皆さんに届けられるかオバマ大統領を通して届けられる
か、どちらにしても、それに続いて一連の発表が行われることになります。
この発表は私たち自身と皆さんとの長い関係に関する事実を明らかにして、
間違った情報や歪められた情報を一掃します。
AUMハイアーセルフ33
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はるさん、この情報が本当になれば、いろいろな状況が加速するでしょうね。
ご投稿、ありがとうございました。
m(_ _)m
…………○…………○…………○…………
今回、ドン・ガバチョさんから、『リビング・デリバレイトリー』(ハリー・
パルマー著)の内容をご紹介いただきました。
【件名】: リビング・デリバレイトリー(ハリー・パルマー) メモ
----------------------------------------------------------------------
リビング・デリバレイトリー(ハリー・パルマー) メモ
・・・・・で御座います。
―――――
過去はあなたに影響する、あなたがそれを許す限りは。
じっと見ているあの超然とした部分からは、それは完全に明白なことだった。
私が今この時に、過去の記憶やイメージを創りだそうと意図的に(あるいは何
らかの自動的な設定=観念によって)決断しない限りは、過去も未来も存在し
ない。
「過去」が現在の源なのではない、「現在」が過去の源であり、未来の源なの
だ!
全てはたった今、ここにある!
現在が時の始まりなのだ!
人生を直接探究する。経験としての根本原則を求める。
知るのでは無く、経験をする。
他人は人生について何を言っているのか、そんなことはどうでも良い。
決定し経験するという自分の(良き友人としての)能力を直接探究するのだ。
これが本当の探求だ!
どのように感じ、どのように機能すべきかという、これまで教え込まれてきた
思い込みがなくなり始めた。
本当の意味で自分に責任をもつことに目覚めた。
10年間もスピリチュアルな分野を研究した後で、私が学んでいたのは他人が信
じていたことに過ぎなかったと気づいたのだった。
私の頭は他人が出した結論や他人が想像したことで一杯だったのだ。
そうした考えのお化けたちが、私を自分自身の聖なる中心から遠ざけていた。
私は自分で想像し、自分で信じる勇気を持ち始めた。
私は古いやり方を見直して、ゼロから始めた。
他人から賛同を得るために身につけてきたあらゆる考えを捨てた。
情報を集めれば集めるほど経験から離れてしまうのだという自分の直感の声に
従った。
正しいという理由を集めれば集めるほど、経験としては現実味がなくなる。
自分が知らないと気づくことには解放感があった!
見せかけることもなく、改宗することもなく、演技をすることもない。
私は知らなかった!でも生きていた!
私は感じること、決断すること、行うことを始めた。
私の哲学と私の経験が一致し始めた。
(テレビ人間に用は無い)
農場での生活は、本当に生きることと、ただ生きている状態とは違うことを教
えてくれた。
内面的にならないで、自分が今やっていることに没頭すること。
木を切り、水を運ぶ。それは田舎流の禅だった。
禅では知らないという事実を喜ぶ。
頭が考えることをやめると、当然の結果として、人生の経験だけが残った。
木を切り、さらに水を運ぶ。こころをさまよわせないように・・・禅がどれぐ
らい退屈なものとなれるかご存知だろうか?
「私は自分が信じていることに基づいて経験を創りだす」という深遠な概念へ
の入り口が開いた。
それまでは誰もが「人は経験に基づいて自分の信念を創りだす」とみなしてい
た。
全ての可能性を秘めた宇宙のプラズマが、あなたの信念によって形作られ、
フィルターにかけられる。
あなたの信念の一つ一つがラジオ受信機の中の同調フィルターとして機能し、
ある特定の周波数を持った状況や出来事だけを通過させる。
そしてラジオのチューナーと同様、信念はその周波数の枠より高いものも低い
ものも除外してしまう。
あなたの信念が、無限の可能性の中から特定の要素に焦点を合わせて、あなた
はそれを経験する。
フィルターとして機能する信念が一度意識に組み込まれると、自分の経験が自
分の信じることを裏付ける証拠を提供する。
もしも「そうではない」と信じている場合にはそうならないが、これはつまり
「そうではない」と自分が信じていることを実体験したということだ。
感覚喪失タンク
私はほとんどの時間をタンクの中で過ごした。
感覚を奪われて、まず最初に明らかになったことの1つは、感覚的刺激が何も
入ってこないと、こころはそれを補うためなら何でもしようとすることだっ
た。
感覚的な刺激はこころの焦点を絞り、制御をする役割も果たしている。
身体的感覚の刺激が遮断されると、こころはそれを補おうとして、蒸気パイプ
オルガンと高校の鼓笛隊、そしてオークションの競売を合わせたように、けた
たましく動きまわる。
こころの向こうにある静けさにたどり着くには、その混沌とした経験を何とか
通り抜けなければならなかった。
何日も経ってから、考えるこころの向こうにある、かすかな知覚が作動し始め
た。
それはまるでロック・バンドが大音響で演奏している部屋の片隅で、携帯ラジ
オからとても小さな音量でクラシック音楽が流れているようなものだった。
バンドが休憩に入るまで、クラシック音楽が流れていたことにさえ全く気づか
なかった。
これはまさにそういうことだった。
遂にこころのロック・バンドが疲れ果て、休憩をとったのだ!
私は本当の自分に目覚め始めた。
そうわかるのではなく、経験をした。
それはあの昔なじみの超然とした私のハイヤーセルフの部分で、価値判断せず
に興味をもってじっと見ていた。
「いかがお過ごしかな?」と私は自分に聞いた。
いつも通り答えは「大丈夫」だった。
この新しい視点を受け入れると、私は考えるこころを取り囲んでいるかすかな
背景イメージを探究し始めた。
抵抗のあった経験、受胎、誕生、トラウマ、死。
私が自分だと思っていた存在の全記録が、言葉で表現不可能な「気づき」
(awareness、knowing)の海にシャボン玉のように浮かんでいた。
私自身が表現不可能な「気づき」の海だった。
私は「物質」と「分離」という幻想が展開されるのを見た。
何世にもわたって繰り返される人生。
数々の人生の中にある、さまざまな人生。
パラレル・ライフの数々が学びを分かち合っていた。
そして常にそこに存在する「気づき」も、空間を超えた存在として黙って見て
いた。
創造の数々がシャボン玉のように浮かんでいた。
そしてシャボン玉の一つ一つに、「気づき」が個別の割合で含まれ、限定され
ていた。
未発達の自己の数々!
そしてシャボン玉はこわれたり、互いに合体したりを繰り返しながら、最後に
は、消えてなくなってしまうか、意識が始まるあの注目すべき量に達して「私
がいる」と宣言するのだった。
意識が自らを「無」から限定し、「気づき」という無空間の海の中で、台頭し
たり衰退したりを繰り返していた。
「気づき」の視点からは、「考え」の形を知覚したり、感じることができる。
「考え」とは形のある何かなのだ!
「意識」は無からできたのだ!
無から有が生まれる―これが最初の創造だ。
「意識」の活動サイクルにはいくつかのレベルがある―限定と「気づき」
(awareness、knowing)のさまざまな度合いである。
「意識」の一つのレベルでは、「時間」というものは次のように見える。
「私は現在という瞬間にいる。そして過去があり、未来がある」
別のレベルに移動すると、そこには「現在」という瞬間しかない。
そしてこの現在という瞬間の中で私は、「過去」と呼ばれる概念と、「現在」
と呼ばれる概念と、「未来」と呼ばれる概念を創りだす。
「今」は「過去」と「未来」の間にある瞬間というよりはむしろ、これらの時
間に関する概念を含む、時間を超越した『今』となる。
このレベルでは、私が「過去」を創りだすことを選んだり、「過去」を創りだ
す必要を感じたりしなければ、「過去」が存在することも私に影響することも
ない。
さらにもう一つ上のレベルでは、「時間」という概念が完全になくなってしま
う。
存在する全てのもの、存在した全てのもの、そしてこれから存在するであろう
全てのものが一つに溶け合い、無限の「気づき」(awareness、knowing)の上
のただ一つの静止した痕跡となる。
「時間」とはものごとが考えられる順序性でしかない。
全ての可能性は無時間の中で同時に起きているのだ。
統合された存在は、時空の順序性(この宇宙の方便)の中に「自己」として出
現する。
過去とは私たちが下す価値判断を弁明するために、今この時に創りだされてい
る考え
真実とはものの見方によって左右される相対的なものだ。
どの立場で、どの視点から見るかによって、何を真実と感じるかが決まる。
誰もがその人なりの真実を見ている。
「どの観点、どのように限定された意識からすると、この発言は真実なので
しょう?
どの観点、どのように限定された意識からすると、この発言は誤りなのでしょ
う?」
そうした慈しみの態度が調和のとれた文明を築く。
意識とは「気づき」(awareness、knowing)の限定。その限定された世界の
フォーム
こころとは、意識とは・・・
それは自己限定することによって、「気づき」が小分けにされたもの。
ものから限定を外せば、実体も内容も持たない、次元や時間を超超した「気づ
き」がある。
世界と意識とは「気づき」からできている。
「気づいている意志」の計画的な意図の下で宇宙が形を成す。
小分けされた「こころ」が私たちの物理的宇宙に焦点を合わせる。
思い込みの全集積の「こころ」が一つの層(一つのシャボン玉の中・次元)と
なる。
カップの中に次々と収まるカップのように、思い込みの中に思い込みが次々と
収まる。
人生の舵取りを自分でしないと、思い込み(欲求と抵抗)が動機となって人生
を動かしてしまう。
そしてまた更にさまざまな思い込みを創りだす。
これは良くて、あれはダメ。思い込みが「信念」となる。
そして「信念」から考えが生まれる。
「信念」とは「考え」の種が入っている「さや」。
「信念」は熟し、つつかれると「考え」を放つ。
意識のシャボン玉の中で「信念」によって限定された「考え」は、いつか消え
る時が来るまで「気づき」(awareness、knowing)の上に漂う。
「私」とは「信じる」という行為を行う1つの信念。
それは万物の創造主の中で創造されたものであり、創造されたものの中にいる
一人の創造主。
「気づき」(awareness、knowing)と創造の間の架け橋。
人は「気づき」を限定の小包み中に詰め込み、今度はそれをスーツのように着
込んでいる。
「私がいる!」―意識の産声。限定を加えられた「気づき」。空間の始まりの
存在。
「私がいない!」―限定から解放された「気づき」。
「私がいない」という限定―自己の限界を超えての存在。
生と死は、万物の源の中のちょっとした振れ。
知性は意識の産物で、意識が決め込んでいる限界を超えて知ることはできな
い。
知性の限界を超えるには、評価を加えることなく直接経験しなければならな
い。
経験とは、限定したり、期待したり、価値判断したりせずに、知覚してそこに
いることである。
創生のサイクルは、想像、意図、創造、知覚、経験・・・この繰り返しであ
る。
これらの全ては、慈しみ深く気づいている無空間の背景、超然としたハイヤー
セルフ、純粋な「気づき」(awareness、knowing)を背景として起こる。
「気づき」(awareness、knowing)は自らを限定して意識を創りだす。
意識の内容の中に入って、それを分析することは、解明のプロセスとして知ら
れている。
それが行き着く先はいつでも「あのシャボン玉は、このシャボン玉から見る
と、こういう意味だ」ということだ。
つまりは相対性である。
「気づき」は背景にあって、待っている。
完全に慈しみにあふれ、味わい愛(め)でながら見守っている。
注意(フォーカス)が創造に実体をもたせ、それを自分の人生に引き寄せる。
創造に対する価値判断が、創造に対する欲求、または抵抗を生み出す。
抵抗しても欲求しても、その注意(フォーカス)が向く創造を自分に引き寄せ
る。
創造の源に戻ることは可能である。
ひとたびそこに戻れば、リラックスして努力のない状態になることで、ある創
造を創造し続けるのをやめることが可能である。(非創造)
意識には内容、時間・空間における広がり、そして形がある。
「気づき」(awareness、knowing)にはそれが無い。
意識とは、物体としての確かさが少ない物質的宇宙である。
そして物質的宇宙の成長や衰退と同様に、意識は宇宙の力と整合する形で(た
だし異なるパターンによるが)、拡大や収縮をする。
「自分はこういうものだ」というあらゆる考えは誤りである。
自分はこうだと主張をしたり、こうではないと抵抗をするあらゆる限定は、本
当の私たちではない。
それは私たちが創りだしたものにすぎない。
その中で活動をするために私たちが創りだしたシャボン玉だ。
それは着込んでいる限定であり、それによって他のシャボン玉をどう経験する
かが決まる。
エゴとは自分のシャボン玉を守ろうとする努力のことである。
自己とは、他の特定の考えを経験するという目的のために「気づき」が一時的
に利用している考えのこと。
自己とは一つのパラダイムに参加するための手段。
シャボン玉のサイズは自分が担う責任の大きさによって決まる。
このサイズによってあるものが自分の中にあるか外にあるかが決まる。
さまざまな限定は最後には統合される。
もし大変小さい、無限に小さい存在レベルを担った場合には、全てが自分の外
にあるように見える。
これが「気づき」から最大限に離れた状態である。
あなたは1つの物理的な粒子になってしまった!
一方、宇宙を含めるほど拡大した存在レベルを担った場合には、宇宙はあなた
の中に存在する。
その境地からは、どんな存在も奥深いものとして経験された。
今や私はこころのことを、調整したり、合わせたり、変えたりすることのでき
る普遍的な道具として見ていた。
それはもはや牢獄でも罠でもなかった。
私はうれしい気持ちで、虚空の中で目覚めていた。
私はどんな気分だっただろうか?
自分で決めたとおりの気分だった。
思い描くことのできるどんな存在の状態も、創りたいと望むどんな状態も、私
には経験することが出来た。
だから当然のこととして、私はあふれるほどの幸せを感じることを選んだ。
そして私が幸せを創造すると、全宇宙が私の期待した内容を反映して見せてく
れた。
私は自分が創ったとおりの場所と時間にいた。
私は最も単純な真理を知った。
私がいたのは、私がいると自分で言ったからだ。
真理とは、私や他の誰かが創りだした何かのことではないことを、私は知っ
た。
私たちが創りだす、ということこそが真理なのだ。
意識による夢の劇場の向こうに、そして時間や形や出来事という創造の向こう
に、私は生命に対するとても慈しみ深い気持ちと、無条件の愛を経験した。
私にはそこに留まることも、戻ることも可能だった。
それはまさに菩薩の選択だった。
隣人に感じる苛立ち―
あなたが感じる苛立ちは、隣人に対してあなたが持っている印象に対する苛立
ちです。
あなたの持つ印象は隣人によって決まるわけではなく、あなたが信じているこ
とによって決まります。あなたはそれを変えられます。
途方もない量の複雑さと混乱が、単純さの中へと消えていった。
そして今私は、はかりごとをたくらむ恋人のようにささやく
なぜなら最良の存在としての私はあなたを愛しているから。
あなたは私にも犯すことができないような過ちを犯したことはなく、
また犯すこともできない。
いかなるものも私のあなたへの愛を変えることはできない。
調和の中、ここで創られた考えの数々が
あなたがずっと知っていたことを思い出させますように。
人間の規範集に、この一行を付け加える。
「真実とはあなたがどのようにでも創れるものである」
文明とは、影響力を持つ人物によって創られたり取り入れられたりした様々な
信念の物語である。
あらゆる政治運動、宗教、そして哲学は、最初はある一つの信念を誰かが自信
をもって表明することから始まる。
この最初の信念は、おそらく自然に口をついて出た意見である。
その信念に注意が集まれば集まるほど、繰り返し言われる回数が増える。
「トラには近づかないように、さもないと食べられてしまうかもしれないよ」
信念が繰り返されると、それは広まり、知識としての地位を獲得する。
知識となった信念は、また別の信念を立証するために使われる。
「ジャングルの中は危険だよ。なぜかって?そこにはトラが生息しているから
さ」
このようにして信念の体系(一連の知識)が生まれる。
形態形成場(モルフォジェネティク・フィールド)ルパート・シェルドレイク
―――――
斎藤一人さん流には・・・
『無敵の人生』とは〔誰よりも強い〕という意味ではなく、〔敵がいない〕と
いうこと。敵がいないから『無敵』なの。
でしょうか。
以上、単なるメモです。どうぞ気になさらずに。
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ドン・ガバチョさん、掲載させていただきました。
いろいろな方が、いろいろな道を歩んでいるものですね。
ありがとうございました。
m(_ _)m
…………○…………○…………○…………
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■ 5.編集後記:もし可能なら……それを見ているだけだと思います。
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マインドを使わなくてすめば特に不幸にならなくてもいいのだ、ということは
わかるような気がします。
きっと、マインドが現象世界のなかの在り方をそのまま受け容れられなくて、
どちらか“自分”の望む方向に持っていきたいという働きだからなのでしょう。
すべては、この身体を守るため、この身体に自己同化して、顕現の世界のなか
に守るべき“自分”があると思いこんだ誤解によることなのでしょう。
でもその誤解は……“自分”を嫌悪することでも、世界を嫌悪することでも、
解体しない。
受け容れ……応対せず……ただ見ているより仕方ないのだと思います。
マインドは映画のなかのシナリオに沿って身体のサバイバルを続けるだけ。
わたしは……もし可能なら……それを見ているだけだと思います。
もし可能なら……。
では、おやすみなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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