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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.291 2009/11/1(第291号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 950名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.感じているのは誰か?

2.写経ニサルガダッタ:
 【87 マインドの沈黙を保ちなさい、そうすれば発見するだろう】の3回目

3.「ご投稿・情報提供」:ハイアーセルフ33さん、ドン・ガバチョさん

4.編集後記:わたしは、わたしが何かを知らない……。
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■ 1.感じているのは誰か?
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雲ひとつない……けれど霞んだような晴天ですね。

気温はとても穏やか……いい季節です。

この時期……まわりの風景には分厚く盛り上がった山の緑にところどころ赤や
橙色が混ざりはじめるんですよね。

しかも……庭先ではまだちろちろと紋黄蝶が飛んでいる。

こうして眼前の光景だけを見ていると……たしかに、天下太平ですよね。

ガラス戸を開けると小鳥の声に混ざって、遠くの飛行機の音や、列車の音(の
ようなもの)が聞こえてくる。

ほんとに……世界には何も問題がないんだと思います。

ただ、見ている者がかけている眼鏡の中に……記憶だの想像だの……いろいろ
余計なものが紛れ込んでいて……。

そして……なによりも……それが余計な判断を吸着させて……。

それが生きることに嫌悪と苦痛を忍び込ませるんですね。

どうして……ただ無心の平安の中にとどまっていられないのか……。

> 在ることのなかに平和を探すことが、成ることの本性そのものであるように、

(?_?)

> 成ることのなかに冒険を見いだすことが、在ることの本性そのものなのだ。

なんと……。

> この在ることと成ることの交替は不可避だ。

え、そうなの?! (@_@)

まいったなぁ……。

> だが、私の住処(すみか)はその彼方にあるのだ。(p435)

おお……。

“その彼方”というのがあるんだ……。

……。(-_-;)

うん、やっぱ、“その彼方”がいい。(@_@)

“その彼方”ひとつちょうだい……なんぼ? (?_?)

> 今ここで、あなたはそれなのだ。(p537)

(*_*)  ⌒★?

……。

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

今回じつは、ハイアーセルフ33さんから久しぶりの質問をいただきました。

お手紙のコーナーでご返事を……とも思いましたが、このところの自分の関心
とも重なっていたので、ここで取り上げさせていただくことにしました。

この機会に、自分でもしっかり再確認しておきたいとも思いましたし。

早速、はるさんからいただいた投稿メールをご紹介します。

【件名】:質問:マインドが感じている?
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 みなさん、こんにちは。ハイアーセルフ33です。
 
 pariさん、いつも私の投稿のメルマガへの掲載ありがとうございます。
 
 ひさしぶりに質問があります。メルマガ10月18日の中で、pariさんは
 次のように言われています。
 
 https://www.ascensionkan.com/mm/vol289.html#1-1
 
 (pariさん)*************************************
 
 わたしは……マインドでもって……こういうことをすべて感じているん
 だ……。
 
 あるいは……こういうことをすべて感じているマインドに……自己同化し
 て……それにつかの間の存在を与えている……とか。
 
 **************************************************
 
 これを読むと、pariさんのご理解としては、「マインドがすべてを感じてい
 る」というふうに解釈されるのですが、そうなんですか?
 
 つまり「感じている主体」は「マインド」というご理解ですか?
 
 それともご発言の真意は、単に「マインドの解釈・意味づけ・感情反応」と
 いう一連のことを指して、「マインドが感じている」という表現をしただけ
 なのでしょうか?
 
 そのへんのご説明をよろしくお願いします。
 
 
 AUMハイアーセルフ33
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はるさん、紙幅切れになってもいけないし、ここでご返事させていただきます。

これは自分はこう考えているとかそういうことではなくて、ニサルガダッタの
言葉をひたすらなぞって、いっしょに自分も再確認したいということです。

はるさんのご質問の意味、よくわかります。

わたしのこれまでの思考遍歴とも、とても重なります。

ニサルガダッタを読み続けているなかで、折に触れてこのことは考えました。

というのも、わたし自身、わりと早くから「主体と客体」について“真空”と
“素粒子のふるまい”というイメージを持つようになっていたからです。

そして、“真空”を<意識>として、“素粒子のふるまい”を物理現象の表現
媒体として理解してきました。

これまでも何度か書きましたが、<意識>という表記に“意識の可能根拠”、
つまりコンテンツを含まない“純粋な意識”の意味を担わせていました。

『21世紀への指導原理 OSHO』
https://www.ascensionkan.com/work/
の「痛みを感じるロボット」
https://www.ascensionkan.com/work/04comp_06robot-2.html
や、「「真空」、濃密な<意識>の海 」
https://www.ascensionkan.com/work/06eien_04shinku_umi.html
は、そういう理解の上に立って書いた文章です。

バシャールがどこかで“間もなく皆さんは、クォーク(素粒子)が意識である
ことを発見なさるでしょう”みたいなことを言っていましたよね。

『指導原理…』を書いていたときすでにそのメッセージは読んでいましたが、
あくまでも“意識のコンテンツ”の表現媒体としてそれを理解していました。

最終的にその“素粒子のふるまい”を「意識内実」として支えるのは、<意識>
(この場合「真空」の意味でしたが)だと思っていました。

さて……、そういう理解は……とても正しいようでしたが……。

でも、そういう理解に立って、何かがわかったような気になるとき、じつは、
そこで暗黙に付されて、逆に見えなくなってしまう問題があります。

それは、そういうふうに理解し、そういうふうに言っている、“その者”は、
いったい誰なのか、ということです。

そう理解し、そう議論をしている当人は、純粋な<意識>なんでしょうか?

そうだったら、その当人は覚醒しているんでしょうか?

それとも、そう議論することで少しは覚醒に近づいているんでしょうか?

それを問題にしないと、想像上でとても正しいクリーンヒットを打ちながら、
手もなくマインドにしてやられる、ということになるかもしれません。

たとえば、「痛み」という単純な“意識内実”(意識のコンテンツ)を支えて
いるのは<意識>だ、「真空」だというのが、正しいとしましょう。

でも、たとえ、それが理屈として正しいとしても、何がどう解決するわけでも
ないですよね。

だって、現に“痛がっている人”がいるわけですから。^^;

「何も心配することはありません。
 本当に“痛み”を“痛み”として支えているのは「真空」ですから」

と言われたら、本当に“痛い人”は、別のお医者さんを捜すでしょう。(^_-)

冗談はともかく、肝心な問題は、じつは“痛がっているその人”は、いったい
誰なのか、ということだったのです。

それを問題にしないかぎり、いくら理屈として正しそうなことを言っても、そ
れこそ“屁の突っ張りにもならない”ということだと思います。

まあ、マインドの雲は、少しずつ晴らしていくしかないわけでしょうけど。

その意味では、“痛がっている自分”と“意識の可能根拠”を区別することも
必要な一歩だったのかもしれません。

で、いちおう「主体と客体」に関する“真空”と“素粒子のふるまい”のイメ
ージで満足していたわたしに、次の理解へのきっかけを与えてくれたのは、た
とえば、ニサルガダッタの次の言葉です。

----------------------------------------------------------------------
 あなたはマインドを超えている。
 だが、あなたはマインドで知るのだ。
 知識の範囲、深さ、性質は、あなたがどのような手段を使うかに依存すると
 いうことは明らかだ。
 あなたの手段を改善しなさい。
 そうすれば、あなたの知識も改善されるだろう。
                          『私は在る』(p330)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

いつもながら、ニサルガダッタの言葉には非常な確信の重みがあります。

いささかも揺るぐことなく、ニサルガダッタは、断定的・定言的に

> だが、あなたはマインドで知るのだ。

と、言っています……。(-_-;)

(わたしなどの)“と思います”、というのとはまったく違います。(^_-)

ここでは最初に、

> あなたはマインドを超えている。

と断っています。

だから、ここで語られている「あなた」は、マインドとしての「あなた」では
なく、実在としての「あなた」です。

つまり、

> だが、あなたはマインドで知るのだ。

とは、「(実在としての)あなたはマインドで知るのだ」の意味です。

つまり、“「知る」ということはマインドによって行われるのだ”と解釈して
も、そう大きな間違いではないでしょう。

ご存知のように、ニサルガダッタの用語法では、「知る」と「気づく」は別の
意味を表します。

「知る」は意識のなかで起こること、言い換えれば、意識作用です。

しかし、「気づく」は意識作用ではありません。

「気づき」はまさに意識の存在根拠であり、「意識」は「気づき」のなかにあ
ります。

ニサルガダッタにかぎらず、覚者たちはすべて“夢のない深い眠り”のなかで
も“醒めている”という言い方をします。

“夢のない深い眠り”を眠っていることに“気づいている”の意味ですよね。

つまり、「気づく」ことは必ずしも“意識する”ことではないわけです。

「気づき」のなかで、“意識状態”と“無意識状態”の差がなくなっているの
だと思います。

別の表現も、確認しておきましょうか。

「あなたはマインドで知るのだ」と同様の内容に触れて、少し別の角度から、
ニサルガダッタは次のように言います。

----------------------------------------------------------------------
 起こることすべてはマインドのなかで、マインドにとって起こり、「私は在
 る」の源に起こるのではない。
 ひとたびすべてはひとりでに起こると悟るなら――それを運命、神の意志、
 あるいは単なる偶然と呼ぶがいい――あなたはただ観照者としてとどまる。
 理解し、楽しみ、しかし心乱されることのないままに。
                          『私は在る』(p469)
----------------------------------------------------------------------

(ニサルガダッタの言葉に沿うかぎり)ここで事態はもっとはっきりします。

単にわれわれは「マインドで知る」というだけでなく、そもそも「起こること
すべてはマインドのなかで、マインドにとって起こ」るのだというのです。

つまり、森羅万象、全顕現世界、「起こることすべてはマインドのなかで、マ
インドにとって起こ」る……と。

これはもう……誰が感じているのか?、というような話ではありません。

しかも、それらすべての出来事(「起こること」)は、“「私は在る」の源”
には“起こらない”のだと……。(-_-)

その出来事が起こらない“「私は在る」の源”こそが……「実在」だというこ
とでしょう。

そして、じつは、それだけが「在る」のだ……と。(-_-;)

“現れ”はすべて、「マインドのなかで、マインドにとって起こる」のです。

言い換えれば、マインドが起こし、マインドが感じている……わけです。

全宇宙もその創造者たる神も、すべてはマインドのなかにあるのでしょう。

----------------------------------------------------------------------
 もちろん、宇宙の在るところには、その片割れである神もまた存在するだろ
 う。
 しかし、私はそのどちらも超えているのだ。
                          『私は在る』(p284)
----------------------------------------------------------------------

うーむ。(-_-;)

じゃ、それら(宇宙と神)とニサルガダッタの言う「私」(つまり「実在」)
はどう関係するのか? (?_?)

----------------------------------------------------------------------
 至高なるものはすべてを可能にする。
 それだけだ。
                           『私は在る』(p85)
----------------------------------------------------------------------

ま……、というわけでしょうねぇ。(-_-)

とはいえ、もう少し「実在」の在り方をイメージできるような言葉がほしい、
という思いをもつのはわたしだけじゃないと思います。

そんなときに出会ったのが、次のイメージ豊かな表現でした……。

----------------------------------------------------------------------
 光線がほこりの微少片にさえぎられないかぎり目に見えないように、至高な
 るものもすべてを既知にしながら、それ自身は未知としてとどまるのだ。
 
                           『私は在る』(p85)
----------------------------------------------------------------------

何という美しい表現でしょう……。

暗黒の宇宙空間に差し込む一条の光線……。

その光線のなかに浮かび上がる“ほこりの微少片”……。

その“ほこりの微少片”によって、そこに光線が「在る」ことがわかります。

浮遊している“ほこりの微少片”が光を遮らないかぎり、光がそこに「在る」
ことが知られることはなかったでしょう、

でも、直接“知られる”のは、浮かび上がっている“ほこりの微少片”です。

つまり、知られるものはある意味ですべて“ほこりの微少片”なのでしょう。

なにしろ、ニサルガダッタによるかぎり、あらゆる知覚の対象、想像の対象、
森羅万象は……すべて“汚れ”なのですから。

----------------------------------------------------------------------
 完全な鏡の本性とは、あなたには見ることはできないということだ。
 何であれあなたが見ることができるものは、汚れであらざるをえない。
 それに背を向け、捨て去りなさい。
                          『私は在る』(p144)
----------------------------------------------------------------------

というわけですから……。(-_-)

“主観と客観”に関して言うなら、ニサルガダッタは、

----------------------------------------------------------------------
 主観も客観もともに変化し、はかないものなのだ。
 それらには何の実在性もない。
                          『私は在る』(p142)
----------------------------------------------------------------------

と言います。

つまり、何を感じようと、何を思おうと、感じている主観も、感じられる対象
も、ともに「何の実在性もない」「はかないもの」だというわけです。

滅茶苦茶だ……とも思えますが、しかし実際、考えてみればそうですよね。

たとえば、小学生のころの夏休みの宿題の日記帳が出てきたとしましょうか。

なかに書かれている事象、そのころそれを書いていた当人、その思い……、す
べて……いまはもうないですよね。

そのころの肉体を作っていた細胞といまの細胞とでは、共通する部分もほとん
どないのかもしれません。

もしかすると、脳細胞と心筋細胞くらいが共通しているのでしょうか。

それですら、素粒子レベルでは、たぶん同じものなどまったくないでしょう。

ただ、肉体の外形と脳細胞のなかの記憶によって、“同じ個人”だという幻想
が維持されているだけだと思います。

それも、その記憶に“気づきの光(=注意)”が向けられた今の瞬間にだけ。

足立育朗さんが伝えるプレアデスからのメッセージによれば、原子のなかの
「中性子」は「意識=調和」なのだそうですね。

そして、「陽子」は「意志=愛」なのだとか。

これなら、クラーゲスが言う“形象心情”論、「形象するのは心情である」と
いう「物質」と「意識」の“対発生”も了解できますよね。

でも、それらすべての“現れ”、その“現れ”の(知覚とか想像という)体験
は、変化の体験であり、それ自体で存在できるわけではない。

すべてそれらの体験は、沈黙の「気づき」という不動の根拠を基にして現れて
いるのでしょう。

----------------------------------------------------------------------
 実在は体験の根底(アーダール)そのものなのだ。
 実在は体験の本質のなかにではなく、体験の事実のなかにある。
 体験は、つまりマインドの状態なのだ。
 一方、在ることは明らかにマインドの状態ではない。
                          『私は在る』(p124)
----------------------------------------------------------------------

はるさん、わたしは何度も何度もニサルガダッタのこれらの言葉を読んでいる
うちに、その明晰性と論理的整合性に納得するようになりました……。

たぶん、まだ心底確信できていないから……こうしてよしなしごとを書いてい
るわけでしょうが。

つまり、こういうことを問題にし、こういう議論をしているわれわれ、それら
の「意識内実」を支えているわれわれは……、マインドなのです……。(@_@)

移ろいゆくものが……移ろいゆく内容を……欲望し……創造し……感受し……
知覚して……また新たな欲望を紡ぎだしているのです。

これらの議論を支えているのは、「実在」ではありません。

「実在」とは汚れが存在できないところです。

だから……(認識の道具である)マインドという鏡を磨けば磨くほど……汚れ
を映し出せなくなり……マインドは消えていくわけです。

そして……ついには……じつはマインドが存在しないことを……知るに至るの
だと思います。

これらの議論、いや、それにかぎらず、あらゆる知覚可能、想像可能な対象、
またそれらを知覚し、支えている主体……それらはすべてマインドです。

わたしは……そのことを納得しました……。

> 光線がほこりの微少片にさえぎられないかぎり目に見えないように、至高な
> るものもすべてを既知にしながら、それ自身は未知としてとどまるのだ。

つまり、われわれマインドにとっては、「わたし」は“未知としてとどまる”
ということです。

マインドにとって“未知としてとどまる”ものに、<意識>というレッテルを
貼ったからと言って、マインドが解体するわけではないのは自明です。

マインドはただ……知識という資産を記憶の貯蔵庫に追加するだけです。

だから、“痛みを痛みとして“感受する者”はこの身体ではなく<意識>だ”
というような議論がいくらできても、何ひとつ変わらなかったわけです。

そうではなく、まずわれわれマインドにとっては、「実在」は“未知としてと
どまる”と知ることから、話ははじまるのだと教わりました。

そうすれば、少しはまともなサーダナが始まりうる素地ができます。

----------------------------------------------------------------------
 あなたにはあなた自身に関して正当な質問をすることはできないということ
 を理解しなさい。
 なぜなら、あなたは尋ねているその人を知らないからだ。
 「私は誰か?」という質問のなかの「私」が知られていない。
 そしてその質問は「私は『私』が何を意味するのか知らない」と言い表すこ
 とができるのだ。
                          『私は在る』(p470)
----------------------------------------------------------------------

「私は『私』が何を意味するのか知らない」という所からなら、「私は誰か?」
も意味があるでしょう。

われわれマインドが納得できる「わたし」についての話は、まったくもって、
「私は在る」しかないのだと思います。

はるさん、質問していただいたお陰で、わたしもいろいろはっきりさせること
ができました。

ありがとうございました。<(_ _)>

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.写経ニサルガダッタ:
 【87 マインドの沈黙を保ちなさい、そうすれば発見するだろう】の3回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

これは言葉で表現されたひとつの圧巻です。

これほど凝縮された表現のなかにこれほどの秘密を封じ込められるとは……。

しかも何ひとつ神秘的なところはありません。

解放への最短路を指し示すただただ単純で直截な言明があるだけです。

> あなたは世界に属するのではない。
> あなたは世界のなかにいるのでさえない。
> 世界は存在しない。
> あなただけが在るのだ。
> あなたは想像のなかで世界を夢のように創造している。

> 独立しているのは、世界ではなくあなただ。

> すべての欲望を放棄しなさい。
> マインドの沈黙を保ちなさい。
> そうすればあなたは発見するだろう。

(-||-)

結局、自分はこういう言葉を求めていたのだ……ということがわかりました。

では、【87 マインドの沈黙を保ちなさい、そうすれば発見するだろう】の
3回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

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 質問者 どうすればそれが私にできるでしょうか? 世界があまりにも私を
     邪魔するのです。
 
 マハラジ
 それは、世界に影響されるのに充分なほど、あなたが大きいと考えているか
 らだ。
 そうではない。
 何ものもピンで留めることができないほど、あなたは小さいのだ。
 捕らわれてしまうのはあなたのマインドであって、あなたではない。
 次元と時間を超えた意識内の単なる点としての、あるがままのあなたを知り
 なさい。
 あなたは鉛筆の先の点のようなものだ。
 あなたと接触するだけで、マインドは世界の絵を描き出す。
 あなたは単一で単純だ。
 絵は複雑で大規模なものだ。
 絵に惑わされてはならない。
 小さな点に気づきつづけなさい。
 その点は絵のなかのどこにでもあるのだ。
 
 在るものが在ることをやめることはできる。
 ないものは存在のなかに現れることができる。
 しかし、在ることもないこともなく、存在と非存在がともに依存するそれは、
 否定することのできないものだ。
 あなた自身を、欲望と恐れの原因であり、しかもその両方から自由であるも
 のだと知りなさい。
 
 質問者 どうして私が恐れの原因だというのでしょうか?
 
 マハラジ
 すべてはあなたにかかっている。
 世界はあなたの承諾によって存在しているのだ。
 世界の実在性に対するあなたの確信を取り消しなさい。
 そうすればそれは夢のように消え去るだろう。
 時間は山でさえも崩し去る。
 時間を超えた時間の源であるあなたなら、なおさらのことだ。
 なぜなら、記憶と期待なしに時間はありえないからだ。
 
 質問者 「私は在る」は究極のものなのでしょうか?
 
 マハラジ
 あなたが「私は在る」と言う前に、それを言うあなたがいなければならない。
 存在が自意識である必要はない。
 在るために知る必要はない。
 だが、知るためにはあなたが存在しなければならないのだ。
 
 質問者 私は言葉の海に溺(おぼ)れそうです。どのように言葉を組み合わ
     せるかにすべてがかかっていることが私には理解できます。しかし、
     そこにはそれらを注意深くまとめる誰かがいなければなりません。
     言葉をでたらめに集めるだけでは、『ラーマーヤナ』『マハーバー
     ラタ』『バーガヴァタ』はけっして生まれなかったでしょう。突然
     変異の論理は、ここでは理にかないません。意味あるものの源は、
     それを超えたものでなければならないのです。混沌から秩序を創造
     する力は何なのでしょうか? 生きることは存在すること以上のも
     のです。そして意識は生きること以上のものです。誰が意識的に生
     きる存在なのでしょうか?
 
 マハラジ
 あなたの質問自体がその回答を孕(はら)んでいる。
 意識的に生きる存在は意識的に生きる存在だ。
 言葉はもっとも適切なものだ。
 だが、あなたはその完全な重要性を把握していないのだ。
 存在すること、生きること、意識、それらの言葉の意味のなかへ深く入って
 いきなさい。
 そうすればあなたは、質問をしながら答えを取り逃がすという輪のなかを走
 りつづけることをやめるだろう。
 あなたにはあなた自身に関しての正当な質問をすることはできないというこ
 とを理解しなさい。
 なぜなら、あなたは尋ねているその人を知らないからだ。
 「私は誰か?」という質問のなかの「私」が知られていない。
 そしてその質問は「私は『私』が何を意味するのか知らない」と言い表すこ
 とができるのだ。
 
 あなたであるものを、あなたは見いださなければならない。
 私にはあなたが何ではないかを言うことができるだけだ。
 あなたは世界に属するのではない。
 あなたは世界のなかにいるのでさえない。
 世界は存在しない。
 あなただけが在るのだ。
 あなたは想像のなかで世界を夢のように創造している。
 あなたがあなた自身を夢から分離できないように、あなた自身から独立した
 外側の世界を持つこともできないのだ。
 独立しているのは、世界ではなくあなただ。
 あなた自身が創造した世界を恐れてはならない。
 幸福と実在を夢のなかに探そうとするのはやめなさい。
 そうすればあなたは目覚めるだろう。
 すべての「なぜ」や「どうして」を知る必要はない。
 質問には終わりがないのだ。
 すべての欲望を放棄しなさい。
 マインドの沈黙を保ちなさい。
 そうすればあなたは発見するだろう。
 
 * 訳注 『ラーマーヤナ』『マハーバーラタ』『バーガヴァタ』
 (一)『ラーマーヤナ』 Ramayna インドの最も偉大な国家的叙事詩、ラー
  マ神の物語を綴った聖典。原本はヴァールミーキによって、紀元前五〇〇
  年頃、サンスクリット語で記され、後にヒンドゥ語で帰依派のトゥルシダ
  ースによって帰依を強調した形で編集された『ラーム・チャリット・マー
  ナス』が有名である。現代においてもっとも国民的に愛されている古代叙
  事詩の一つ。
 (二)『マハーバーラタ』 Mahabharata 聖ヴィヤーサ著と言われるが、作
  者はひとりではない。紀元前の遥か昔の物語が語り継がれ、修正、増補さ
  れて、四世紀頃現在の形をとったと考えられる。北インド、バーラタの支
  配権を巡って、バーンダヴァ王家とカウラヴァ王家に起こった同族間戦争
  を描いた世界最大の叙事詩。
 (三)『バーガヴァタ』 Bhagavata 『バーガヴァタ・プーラナム』、ある
  いは『シュリーマッド・バーガヴァタム』としても知られる。紀元前七五
  〇年頃に聖ヴィヤーサによって記されたクリシュナ神の初期の伝記。
 
                        『私は在る』(p469-471)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 どうすればそれが私にできるでしょうか? 世界があまりにも私を
>     邪魔するのです。

質問者のこの言葉は、前回の最後の部分、ニサルガダッタの

「言葉はそれらの限界まであなたを連れていくことができる。
 それを超えるには、言葉は放棄されなければならない。
 沈黙の観照者としてのみとどまりなさい」

という言葉に対する応答です。

> マハラジ
> それは、世界に影響されるのに充分なほど、あなたが大きいと考えているか
> らだ。

(?_?)

これはとても珍しい表現ですね。

> そうではない。
> 何ものもピンで留めることができないほど、あなたは小さいのだ。

なるほど。

この本のなかで、こういう表現が出てくるのはここだけだと思います。

> 捕らわれてしまうのはあなたのマインドであって、あなたではない。

ああ……、そういう意味ですか。

「何ものもピンで留めることができないほど」小さいのは、わたしのなかにあ
る“気づきの光の源”のようなもののことなんでしょうね。

> 次元と時間を超えた意識内の単なる点としての、あるがままのあなたを知り
> なさい。

はい。(*-_-*)

> あなたは鉛筆の先の点のようなものだ。

わかりました。

> あなたと接触するだけで、マインドは世界の絵を描き出す。

ああ……そういうことなんだ。

わたしが注意を向けるだけで、マインドは世界の絵を描き出す……。

> あなたは単一で単純だ。

“気づきの光”は単一で単純だ。

> 絵は複雑で大規模なものだ。

多次元宇宙は大伽藍だ。

> 絵に惑わされてはならない。

大伽藍に惑わされてはならない。

> 小さな点に気づきつづけなさい。

存在するすべての源である「小さな点に気づきつづけなさい」。

> その点は絵のなかのどこにでもあるのだ。

へー、そうなのか。(@_@)

> 在るものが在ることをやめることはできる。

ん? (?_?)

現れとして存在しているものが消滅することはありうる、の意味かな?

> ないものは存在のなかに現れることができる。

これまで現れていなかったものが現象世界に出現することはある。

> しかし、在ることもないこともなく、存在と非存在がともに依存するそれは、
> 否定することのできないものだ。

「私は在る」を否定することはできない。

> あなた自身を、欲望と恐れの原因であり、しかもその両方から自由であるも
> のだと知りなさい。

ああ、やっぱり、その意味だったらしい。

「私は在る」は、「欲望と恐れの原因であり、しかもその両方から自由である
もの」だろうから。

“個人”としての「私は在る」は欲望と恐れの原因であり、「実在」としての
「私は在る」はその両方から自由であるものだろうから。

> 質問者 どうして私が恐れの原因だというのでしょうか?

気持ちはわかる。

> マハラジ
> すべてはあなたにかかっている。

(?_?)

> 世界はあなたの承諾によって存在しているのだ。

ああ、その意味ですね。

わかります。

> 世界の実在性に対するあなたの確信を取り消しなさい。

はい。

> そうすればそれは夢のように消え去るだろう。

はい、ちょっと理解できるような気もします。(*-_-*)

> 時間は山でさえも崩し去る。

はい、それは確かです。

> 時間を超えた時間の源であるあなたなら、なおさらのことだ。

なるほど。

> なぜなら、記憶と期待なしに時間はありえないからだ。

そうか……。

> 質問者 「私は在る」は究極のものなのでしょうか?

ある意味では……。

> マハラジ
> あなたが「私は在る」と言う前に、それを言うあなたがいなければならない。

はい、それは確かです。

> 存在が自意識である必要はない。

理解できるような……気がします。

というか……信じます。

> 在るために知る必要はない。

はい。

「実在」ではないでしょうが、たとえば、“石ころ”だって、存在の自覚はな
いかもしれないけれど、存在していますよね。

> だが、知るためにはあなたが存在しなければならないのだ。

それは、確信します。

自明だと思います。

> 質問者 私は言葉の海に溺(おぼ)れそうです。どのように言葉を組み合わ
>     せるかにすべてがかかっていることが私には理解できます。しかし、
>     そこにはそれらを注意深くまとめる誰かがいなければなりません。
>     言葉をでたらめに集めるだけでは、『ラーマーヤナ』『マハーバー
>     ラタ』『バーガヴァタ』はけっして生まれなかったでしょう。突然
>     変異の論理は、ここでは理にかないません。意味あるものの源は、
>     それを超えたものでなければならないのです。混沌から秩序を創造
>     する力は何なのでしょうか? 生きることは存在すること以上のも
>     のです。そして意識は生きること以上のものです。誰が意識的に生
>     きる存在なのでしょうか?

うーむ。(-_-;)

> マハラジ
> あなたの質問自体がその回答を孕(はら)んでいる。

そうなんですか……。

> 意識的に生きる存在は意識的に生きる存在だ。

うん。

> 言葉はもっとも適切なものだ。

どういう意味かな?

> だが、あなたはその完全な重要性を把握していないのだ。

ふーん。

> 存在すること、生きること、意識、それらの言葉の意味のなかへ深く入って
> いきなさい。

「言葉の意味のなかへ深く入っていきなさい」……。

> そうすればあなたは、質問をしながら答えを取り逃がすという輪のなかを走
> りつづけることをやめるだろう。

そうかぁ。

> あなたにはあなた自身に関しての正当な質問をすることはできないというこ
> とを理解しなさい。

あ、この言葉はここにあったのか……。

> なぜなら、あなたは尋ねているその人を知らないからだ。

はい。

> 「私は誰か?」という質問のなかの「私」が知られていない。

やっと、この言葉に注意が向くようになってきました。

> そしてその質問は「私は『私』が何を意味するのか知らない」と言い表すこ
> とができるのだ。

間違いありません。

わたしは、『私』が何を意味するのか知りません。

> あなたであるものを、あなたは見いださなければならない。

はい、わかります。

> 私にはあなたが何ではないかを言うことができるだけだ。

そうか……。(-_-)

> あなたは世界に属するのではない。

はい。

> あなたは世界のなかにいるのでさえない。

はい。

> 世界は存在しない。

ああ……。

> あなただけが在るのだ。

はい。

> あなたは想像のなかで世界を夢のように創造している。

はい、理解できます。

> あなたがあなた自身を夢から分離できないように、あなた自身から独立した
> 外側の世界を持つこともできないのだ。

あ、それは、わかります。(@_@)

わたし自身から独立した世界があったところで、わたしがその世界の存在を知
らないのなら、そんなものわたしには何の関係もありません。

> 独立しているのは、世界ではなくあなただ。

はい。

> あなた自身が創造した世界を恐れてはならない。

そうかぁ。(>_<)

ここんとこが……まだ納得できていないよなぁ。

> 幸福と実在を夢のなかに探そうとするのはやめなさい。

はい、だんだんその気がなくなりつつあります。

> そうすればあなたは目覚めるだろう。

はい、信じます。

> すべての「なぜ」や「どうして」を知る必要はない。

そうなんですね。

> 質問には終わりがないのだ。

あ、それはわかります。

“質問”は、新聞を見たり、本屋に行ったり、TSUTAYAに行けば、いく
らでも新しく創造され、追加されてますよね。

われわれは発見しているのではなく、創造しているわけですから。

> すべての欲望を放棄しなさい。

わかります。

> マインドの沈黙を保ちなさい。

難しいですけど……。(*-_-*)

> そうすればあなたは発見するだろう。

わかりました……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


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▼『アセンション館通信』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単なるメールな
ど、ご自由にお書きいただければと思います。


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■ 3.「ご投稿・情報提供」:ハイアーセルフ33さん、ドン・ガバチョさん
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『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518

        …………○…………○…………○…………


今回、ハイアーセルフ33さんから、マシュー君のメッセージに関するお知ら
せをご投稿いただきました。

早速、ご紹介します。

【件名】: マシュー君のメッセージ(26)
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 みなさん、こんにちは。ハイアーセルフ33です。
 
 「玄のリモ」ブログに、マシュー君のメッセージが翻訳掲載されましたので
 お知らせします。http://moritagen.blogspot.com/2009/10/blog-post.html
 
 *******************************
 
 2009年10月19日 マシュー君のメッセージ(26)
 
 近い他の文明人たちの存在の公表、後で明らかになる他の真理、アセンショ
 ンのための”開いた窓”、来るべき変化、光を拒否する者たちの肉体死、黄
 金時代の政府、温暖な気候、高い密度内の感情と肉体、魂と胎児との関係
 
 1. こんにちは、マシューです。このステーション(宇宙領域)にいるすべ
 ての魂たちに代わってこころからのご挨拶をします。あなたたちは非常に長
 い間・・自分たちで思っているよりもはるかに長く・・今間近に迫っている
 極めて重要な歴史的出来事を待って来ました。この数年間、さまざまな光の
 メッセンジャーたちが、スピリチュアル(霊的)に、知的に、テクノロジー
 的に進化している宇宙文明人たちがあなたたちのまわりにいることを告げて
 きました・・まもなく、あなたたちの世界で信頼され尊敬された人たちから
 この真実を聴くことになるでしょう。
 
 2. 地球の黄金時代のマスタープランをデザインした宇宙最高評議会のメン
 バーたちは、集合意識の中の絶え間ない変化を観察してきました。そして、
 あなたたちの宇宙の兄弟たちの存在を広く知らせなくてはならない時がいよ
 いよ近くなったことに同意したのです。普遍的に言って、意識とスピリチュ
 アルな明晰性の飛躍をもたらす”開かれた窓”があります。それによって、
 ある文明社会がより高いエネルギー密度に上昇することが可能になります。
 これらの窓は地球の人々のために以前開かれていました。でも、惑星地球に
 侵入した闇が、人々が星々を見上げる代わりに自らの弱みである”粘土の
 足”を見下げるようにしたため、閉じてしまったのです。今はまた別の窓が
 開いている時です。この宇宙の崇高なる存在によって決められた運命に従っ
 て、地球はその暮らしが愛と平和と調和に基ずくより高い密度の世界を目指
 して飛んで行くでしょう。彼女(地球)の住人であるあらゆる魂たちへの愛
 から、彼女は彼らも一緒に行くことを望んでいます。
 
 3. どの開いた窓にもそのエネルギーのスケジュールに沿った一定の進歩が
 必要です。あなたたちのカレンダーの2012年末ごろに、これが閉じる前
 に多くのことが成し遂げられなければなりません。もう一度言いますが、地
 球が第五密度の最終目的地に向かって飛翔することは確定していることで
 す。・・・以下つづく
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はるさん、いつも情報投稿ありがとうございます。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


今回、ドン・ガバチョさんから、ふたつの情報投稿をいただきました。

まず、ラムサ関連からご紹介します。

【件名】: 進化に関するラムサ語録
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 進化に関するラムサ語録でございます。
 
 ――
 空(くう)があなたに与えた使命はただひとつであった。
 「未知を既知にせよ」だ。
 空(くう)は
 「私を使って、あなたの望むどんなものでも創りなさい。創造者になりなさ
 い。
 私はあなたの望むどんなものでも与えます。
 善悪など存在しない。
 『進化』だけが存在する。
 創造だけが存在する。」
 と言ったのだ。
 あなたの親は「あなたの望むどんなものでも与える」と言ったのだ。
 だから、『進化』しなさい。創造しなさい。
 
 ――
 あなたは、神と呼ばれる『進化』し続けるシステムの共同体のメンバーであ
 る。
 この共同体には全ての生命が参加している。
 
 ――
 あなたがその肉体から去ると、意識は光の体に入りレビュー(回顧)を行う。
 畳み込まれていた生命という意識のエネルギーが解かれ、生きたスクリーンの
 上に映し出される。
 何をしたのか?
 誰であったのか?
 どう『進化』したのか?
 約束の何を『進化』させなかったのか?
 それはライトレビュー(光の回顧)と呼ばれる。
 
 ――
 あなたはこの人生で、自分を霊的に『進化』させることを選択した。
 霊的な自己の開発を、人生に選択した。
 人生の意味、人生という旅の目的、目指すべき運命、特に人生の真の運命は、
 達成することでは無く、成っていくことに有ることを理解するならば、それは
 あなたに力を与える。
 これこそがこの人生で大切なことなのだ。
 
 ――
 『進化』が停滞している存在たちがいる。
 未完了の仕事をたくさん抱えているために、『進化』が遅れている存在たちで
 ある。
 彼らは、あなた方の遅い時間率で振動する物質の天界で機能する肉体を持たな
 ければ、その仕事を完了させることが出来ない。
 至福の天界の思索の部屋で、彼らは肉体を持つタイミングを待ち続けていた。
 あなたのことである。
 
 ――
 あなたには、どうしても「ごめんなさい」と言えない存在がいるだろうか?
 一般的には「ごめんなさい」と言うことは難しいことでは無い。
 しかし、どうしても「ごめんなさい」と言うことが出来ない存在がいる。
 その存在を注視しなさい。
 目をそらせてはいけない。
 その存在こそが、あなたがこの物質の天界で超えなければならない課題を提示
 してくれるランナーなのだ。
 その課題を乗り越えて、『進化』しなさい。
 
 ――
 本当に『進化』し続ける存在たちは、次々に新たな存在に出会っていく。
 古い友人は過ぎ去っていくばかりである。
 新たな友人とは、以前は全く共有した転生を持たなかった。
 しかし、同じ収束点(ゼロポイント)に向かうという普遍的、最終的な目的を
 共有している。
 このため、未来の約束に基づいて、お互いをランナーとして出会っていく。
 
 ――
 『進化』の第一歩とは何か?
 自己を定義することだ。
 
 ――
 あなたはここへ、霊的に『進化』するためにやって来た。
 あなたは、それを選択した。誰かに命じられた訳ではない。
 あなたは霊的な学びを得て、『進化』したいのだ。
 あなたは、『進化』への一歩を踏み出したのだ。
 その選択は、自身に大きな力を与えている。
 
 ――
 我々は、自分に似ているものを引き寄せ、また引き寄せられる。
 我々が『進化』すると、自分に似合わないものは削ぎ落とし、『進化』した似
 合うものに寄り添うようになる。
 あなたが完了させるべき問題の舞台を必要としているのであれば、同じ問題を
 完了させようとしている、例えば、六次元の存在との間で、完了の為のタイム
 ラインの合意を取り交わすのである。
 これが、至福の天界で行なわれる約束である。
 それは、天国で交わされた本当のパートナーシップである。
 至福の天界で取り交わされた、あなたの未来に起こる、このタイムラインの合
 意は表現する天界へ降下して行き、あなたの今の現実として現れる。
 あなたの解決すべき課題は、このようにして現れたのだ。
 さて、パートナーと取り交わしたタイムラインの合意が、見事に完了される
 と、あなたとパートナーは、『進化』することになる。
 これこそが、あなたとパートナーの望みであったのだ。
 
 ――
 我々は、あなた方のために、未来にアストラル・トラベルの潜在的な可能性を
 用意した。
 何故なら、それがあなた方の次なる開拓地だからだ。
 その地は、地上では困難な執着からの解放や、未完了の仕事の完遂を約束して
 くれる。
 また、あなた方は他の存在との邂逅(かいこう)を通して、自分達が孤独な存
 在であるとの混乱から抜け出すことが可能となる。
 あなた方は、『進化』した存在たちとの触れ合いの機会を持とうとしている。
 その機会を通して、全てが神と一体であることを体験するのだ。
 
 ――――――
 
 さて・・・・進化――
 それはユニオン、ユニティ(統合)の実体験=情緒体験=現実化なのでござい
 ます。
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        …………○…………○…………○…………


【件名】: 書籍『禊 神秘の法』(水波一郎)より二題 
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 神界―霊界ラインの真理かと存じます。
   ・・・あぁ、いつものようにどうぞ気になさらずに。
 
 ====
 
 神伝の法の頂上は、神霊や最高神をも裁く。
 それは超上級のレベルの話である。
 この裁きとは、端的に言えば、結論を出すことである。
 
 双方一歩も譲らず議論していては、いつまでたっても先へ進めない。
 ところが現実は先へ進んでいってしまう。
 民事裁判で半年以内に結論を出さないと意味がない問題であっても、日本の法
 律ではどんどん結論が伸びてしまい、何年もたってからようやく答えが出たり
 する。
 しかし、それでは、当事者には役に立たないことも多い。
 事態が変わってしまっているからである。
 
 霊的分野の裁きは非常に早い。
 『進化』と『退化』で、すぐに答えが出てしまう。
 上へ登る魂と下へ落ちて焼かれる魂はすぐに決まってしまう。
 それは、善悪とは違うからである。
 
 もしも、この善悪で上下を決めるとしたら大変である。
 一人一人の行為は、見ようによっては善であるし、考えようによっては悪であ
 る。
 一人一人の善悪を論じていたら、一人一人に検事と弁護士をつけて、十年も百
 年も審議しなければならない。
 一つの事件に十年もかかるような裁判を、一人の人間の一生の間、すべての行
 為について全部行なわないと、先へ進めないのである。
 
 仮に赤ちゃんを捨てた母親がいたとしたら、その捨てるまでに至った悲しい物
 語を延々聞かされ、その後、その赤ちゃんがどうなったかを延々調査し、そし
 て、それが善であったか悪であったかを探らねばならない。
 もしも、そこでこの女性が、別の家の玄関の前に赤ちゃんを置いていれば、悪
 ではなく善なる行為だったとか、いや、いずれにせよ悪は悪だとか、または、
 その悪の度合はどのクラスであるとか、すべてに基準を設け、コンピューター
 にインプットして、計算しなければならなくなってしまう。
 一生の間に何度嘘をついたかを、フイルムで再現し、一つ一つについて弁護側
 と検察側で議論していたら、結論が出るまでに何千年もかかってしまう。
 
 善悪は人々の観念である。
 もしも、良かれと思ってなした行為が悪い結果を生じさせた場合、それは罪に
 ならないのか。
 ある西洋の霊界通信では、行為の動機こそが大切だと言っている。
 もちろん、動機は大切である。
 しかし、その動機がいかに正しくても、間違いは間違いである。
 もしも誰かが、このビルはない方が周辺の人たちのために良いことだと単純に
 考えて、勝手にビルを壊してしまったり、火をつけてしまったらどうであろ
 う。
 それで何人かの人が死んでも、動機が正しければ罪にならないのだろうか。
 もちろん否である。
 それによって奪われた生命は、もう決して元には戻らないからである。
 死体がたくさんほうり投げてある場所に偶然通りかかり、その匂いにいや気が
 さして、勝手に持ち運んだら日本では罪を問われる。
 ただし、彼を裁く人たちは、人間たちが勝手に作った法律で、善と悪を分け、
 それによって裁いている。
 
 ……
 ====
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ドン・ガバチョさん、今回もまぐまぐの配信制限に引っかかって、全部を掲載
することはできませんでした。

ご投稿、ありがとうございました。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………



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■ 4.編集後記:わたしは、わたしが何かを知らない……。
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今日は、はるさんのお陰で、マインド全開、たっぷり書けました。(*-_-*)

自分にも少しは引導を渡せたか……という思いもあります。

今これを書いているわたしは、言うまでもなく、身体も思いもマインドです。

わたしは、わたしが何かを知らない。

いい響きですね。

わたしは、わたしが何かを知らない……。

では、おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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