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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.295 2009/11/29(第295号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆----------------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 952名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.エゴの干物みたいに

2.写経ニサルガダッタ:【34 マインドは落ち着きのなさそのものだ】の4

3.いただいたお手紙から:INUさん、ハイアーセルフ33さん

4.「ご投稿・情報提供」:ハイアーセルフ33さん

5.編集後記:なんということもない脱力したことしか
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■ 1.エゴの干物みたいに
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また今日も新しい一日。

雲ひとつない秋晴れです。

何かの気分が漂っているかもしれないけれど……それはこの世界のなかの個人
が晒されている気分……わたしではありません。(^_-)

この個人のまわりにはさまざまな時空間上の構造があって……今日はこれから
お客さんがあったりします。^^;

でも、どんなことにもそれなりに対応できているようですよ。

映画のなかで要求されている役回りを演じるだけですから。

本当に、しなければならないことをするだけです……。

ほら、こんな感じ……。

----------------------------------------------------------------------
 マハラジ
 行為を避けることはできない。
 それはほかのすべてのように起こるのだ。
 
 質問者 もちろん、私の行為は私がコントロールできます。
 
 マハラジ
 試してみるがいい。
 しなければならないことをするのだということを、あなたはすぐに理解する
 だろう。
                          『私は在る』(p373)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

はは……てなわけです。(*^_^*)

考えてみるとまったくですよ。

個人ももう理解しちゃったみたいです。(^^;)  \←…………

映画のなかの個人は、しなければならないことをするだけでいいんですよね。

本来のわたしは特定のいかなるものとも完全に無関係ですが、ただ映画のなか
の個人はいろんな関係のなかで動かなければなりませんから……。

誰に頼まれたわけでもないのに……いまは映画のなかの個人を真面目にやって
いて……。(^^;)

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

こうしてこの日だけお喋りを解放して……あることないこと何を書いてもいい
ことにしているんですが……。

----------------------------------------------------------------------
 あるがままのあなたとして在ること、それ以外は何も必要ないのだ。
 あなたは獲得することによって、あなたの価値が増加すると想像している。
 それは金が銅を加えることで、それを改善するだろうと想像しているような
 ものだ。
 あなたの本質にとって異質なすべてのものを除去し、浄化し、放棄すること
 で充分だ。
 それ以外のすべては無駄なのだ。
                          『私は在る』(p339)
----------------------------------------------------------------------

こんな言葉が、そんなに違和感なく受け入れられるようになってくると……。

だんだん言葉を紡ぐエネルギーが終息してくるのでしょうか。(-_-;)

ニサルガダッタの言葉は欲望の根本(ねもと)に効いてくるような気がします。

肥料をもらえないものだから欲望がやられてくるんですよね。(=_=)

だんだん……欲望を紡ぐのが下手になってくる……。

やっぱり駆りたてられた状態というのは……この世で生きているという思いこ
みがなければ……だんだん継続が難しくなるもののようです。

「あ、そうだ、自分の持ち物は『私は在る』だけだったんだ (@_@)」……、と
しょっちゅう思い出すようになると……。

やっぱり……欲望も……ガス欠気味になってきますよ。

だって、どんなに頑張ったって、どんなに転生を続けたって、自分が自分以外
のものになれるはずもなし……なる必要もなし……。

それに……装いは変わったって……人格が変わったって……いつもこの自分が
いるわけですから。

というか……すべてはつねに自分に起こっているわけですから。

そういう言葉を毎日読んでいたら……いい加減……欲も萎えますよね。(;_;)

それにこんな言葉↓……どう思います?

----------------------------------------------------------------------
 何であれ、あなたが欲望と恐れとともに考えることは、現実となってあなた
 の前に現れる。
 それを欲望と恐れなしに見なさい。
 そうすればそれは実体を失う。
 快楽と苦痛はつかの間のものだ。
 そのために行動を起こすよりも、無視する方が単純でたやすいのだ。
 
                          『私は在る』(p361)
----------------------------------------------------------------------

ふーむ。(-_-)

> 快楽と苦痛はつかの間のものだ。
> そのために行動を起こすよりも、無視する方が単純でたやすいのだ。

だんだん、こっちまでそんな気になっちゃうんですよ。(@_@)

いえ、ほんと。^^;

これって、“とし”かしらねぇ。(=_=)

でも、“とし”って……この身体にしか関係ないわけでしょ。

だんだん……エゴの干物みたいになったりしちゃって。(*@_@*)

バカなことばかり言って……。(^^;)

(*-_-*)

……。(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.写経ニサルガダッタ:【34 マインドは落ち着きのなさそのものだ】4
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ここでも、ニサルガダッタはじつに明確に否定しがたい事実を表明します。

質問者の問いは、次のようなものです。

「しかし、すべての存在は苦痛に満ちているというのは本当でしょうか?」

まるで、ニサルガダッタや仏陀に対するわれわれの代表質問みたいな。(^_-)

この質問に対する、ニサルガダッタの回答は?

> この世界的な快楽の探求の原因が、何かほかにあるだろうか?
> 幸せな人が幸せを探すだろうか?

(*_*)  ⌒★?

そ、そういうことなのか……。(-_-;)

では、【【34 マインドは落ち着きのなさそのものだ】4回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 そうです。私はつねにアヒンサー(非暴力)の考えに魅了されてき
     ました。
 
 マハラジ
 本来、アヒンサーは「傷つけてはならない」という意味だ。
 善を行うことがはじめに来るのではなく、傷つけるのをやめ、苦しみを加え
 ないということなのだ。
 他者を喜ばせることがアヒンサーなのではない。
 
 質問者 私は喜ばせることを話していたわけではありません。他者を助ける
     ことを思っているのです。
 
 マハラジ
 与える価値のある唯一の助けとは、さらなる助けの必要性からの自由にある。
 繰り返される援助は、まったく助けになっていない。
 他者が援助の必要性を超える地点にあなたが連れていくまでは、他者を助け
 る話はしない方がいい。
 
 質問者 どのようにして援助の必要性を超えるのでしょうか? そして人は
     他者がそうするのを助けることができるのでしょうか?
 
 マハラジ
 すべての存在は分離と限界のなかにあり、苦痛に満ちていると理解したとき、
 そして、あなたが純粋な存在として、すべての生命と「ひとつであること」
 のなかに完成されて生きようとする意志をもったとき、あなたはすべての助
 けの必要性を超えたのだ。
 あなたは規範と実例によって、とりわけあなたの存在によって、他者を助け
 ることができる。
 あなたがもっていないものを与えることはできないし、あなたは、あなたで
 ないものはもっていないのだ。
 あなたであるものしか与えることはできない。
 そしてそれは、あなたがかぎりなく与えられるものなのだ。
 
 質問者 しかし、すべての存在は苦痛に満ちているというのは本当でしょう
     か?
 
 マハラジ
 この世界的な快楽の探求の原因が、何かほかにあるだろうか?
 幸せな人が幸せを探すだろうか?
 なんと人びとは落ち着かないのだろう!
 なんとつねに動きまわっているのだろうか!
 彼らは苦痛のなかにいるから快楽のなかに解放を探しているのだ。
 彼らが想像できうる幸福のすべてとは、繰り返される快楽の保証なのだ。
 
 質問者 もし私が自分自身と見なしている個人が幸福になれないのなら、ど
     うすればいいのでしょうか?
 
 マハラジ
 現在のあなたとしての在り方をやめるだけだ。
 私の言うことは何も残酷なことではない。
 悪夢から人を目覚めさすことは慈悲だ。
 あなたは苦痛で苦しんでいるために、ここに来たのだ。
 そして、私が言えることは、「目覚めなさい。あなた自身を知りなさい。あ
 なた自身で在りなさい」ということだけだ。
 苦痛の終焉(しゅうえん)は、快楽のなかにはない。
 あなたが自分を苦痛も快楽も超えたものだと、超然として屈することなく気
 づくとき、幸福を追求することはやみ、結果として悲しみも消え去る。
 なぜなら、苦痛は快楽の後を追い、快楽は容赦なく苦痛に終わるからだ。
 
 質問者 究極の状態では、幸福もありえないのでしょうか?
 
 マハラジ
 不幸もまたありえない。
 ただ自由だけがある。
 幸福は何かに依存し、やがて消え去る。
 すべてからの自由は何にも依存せず、失われることはない。
 不幸からの自由には原因がなく、それゆえ破壊されない。
 その自由を実現しなさい。
 
 質問者 私は過去の結果として苦しむために生まれたのではないでしょうか?
     自由を得ることは本当に可能なのでしょうか? 私は自分の意志で
     生まれたのでしょうか? 私はただの創造物なのではないでしょう
     か?
 
 マハラジ
 誕生と死は、意識内の一連の出来事のはじまりと終わりにすぎない。
 分離と限界という観念のために、それらは苦痛となるのだ。
 苦痛からの一時的な解放を、私たちは快楽と呼ぶ。
 そして、いわゆる幸福と呼ばれる終わりなき快楽を期待して、私たちは空中
 に城を築くのだ。
 それはみな誤解であり、誤用だ。
 目を覚ましなさい。
 それらを超えていきなさい。
 真に生きはじめなさい。
 
 質問者 私の知識はかぎられ、力は取るに足らないのです。
 
 マハラジ
 自己は知識と力の両方の源であり、またそれらを超えている。
 観察可能なものはマインドのなかにある。
 自己の本性は純粋な気づき、純粋な観照であり、知識の存在や不在に影響さ
 れることはない。
 
 この身体の誕生と死の外に、あなたの存在を置きなさい。
 そうすれば、あなたの問題は解決するだろう。
 それらの問題が存在するのは、あなたは死ぬために生まれてきたと信じてい
 るからだ。
 迷いから覚め、自由になりなさい。
 あなたは個人ではないのだ。
 
                        『私は在る』(p163-165)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 そうです。私はつねにアヒンサー(非暴力)の考えに魅了されてき
>     ました。
> 
> マハラジ
> 本来、アヒンサーは「傷つけてはならない」という意味だ。

なるほど。

非暴力とは、「傷つけてはならない」という意味なんですね。

> 善を行うことがはじめに来るのではなく、傷つけるのをやめ、苦しみを加え
> ないということなのだ。

わかりました。

> 他者を喜ばせることがアヒンサーなのではない。

すると非暴力とは、どちらかというと“行動を差し控える”意味になるような。

> 質問者 私は喜ばせることを話していたわけではありません。他者を助ける
>     ことを思っているのです。

うーん。

> マハラジ
> 与える価値のある唯一の助けとは、さらなる助けの必要性からの自由にある。

「与える価値のある唯一の助け」とは「さらなる助けの必要性からの自由」

わかります……。

> 繰り返される援助は、まったく助けになっていない。

はい。

チャリティも貧窮院もまったく助けにならないということかぁ。(=_=)

> 他者が援助の必要性を超える地点にあなたが連れていくまでは、他者を助け
> る話はしない方がいい。

……。

> 質問者 どのようにして援助の必要性を超えるのでしょうか? そして人は
>     他者がそうするのを助けることができるのでしょうか?
> 
> マハラジ
> すべての存在は分離と限界のなかにあり、苦痛に満ちていると理解したとき、
> そして、あなたが純粋な存在として、すべての生命と「ひとつであること」
> のなかに完成されて生きようとする意志をもったとき、あなたはすべての助
> けの必要性を超えたのだ。

おーお……。

「すべての存在は分離と限界のなかにあり、苦痛に満ちている」……。

はい。

「純粋な存在として、すべての生命と『ひとつであること』のなかに完成され
 て生きようとする意志をもったとき」……。
 
そうか……。(*-_-*)

> あなたは規範と実例によって、とりわけあなたの存在によって、他者を助け
> ることができる。

それしかないわけですね。(-_-)

> あなたがもっていないものを与えることはできないし、あなたは、あなたで
> ないものはもっていないのだ。

わかりました。(*-_-*)

> あなたであるものしか与えることはできない。

はい。

> そしてそれは、あなたがかぎりなく与えられるものなのだ。

わかります。

> 質問者 しかし、すべての存在は苦痛に満ちているというのは本当でしょう
>     か?

おお……。

こういう質問……あるわけだよなぁ。

> マハラジ
> この世界的な快楽の探求の原因が、何かほかにあるだろうか?

ああ……。

「この世界的な快楽の探求の原因が、何かほかにあるだろうか?」

そういうことだったんだなぁ。(-_-)

> 幸せな人が幸せを探すだろうか?

たしかに。

> なんと人びとは落ち着かないのだろう!

はい。

> なんとつねに動きまわっているのだろうか!

はい。(;_;)

> 彼らは苦痛のなかにいるから快楽のなかに解放を探しているのだ。

わかります。

> 彼らが想像できうる幸福のすべてとは、繰り返される快楽の保証なのだ。

その通りです。(-_-)

> 質問者 もし私が自分自身と見なしている個人が幸福になれないのなら、ど
>     うすればいいのでしょうか?

このひと、すばらしい理解力。(@_@)

> マハラジ
> 現在のあなたとしての在り方をやめるだけだ。

おお……。

> 私の言うことは何も残酷なことではない。

はい、わかります。

> 悪夢から人を目覚めさすことは慈悲だ。

はい。

> あなたは苦痛で苦しんでいるために、ここに来たのだ。

わたしもそうです。

> そして、私が言えることは、「目覚めなさい。あなた自身を知りなさい。あ
> なた自身で在りなさい」ということだけだ。

(-||-)

> 苦痛の終焉(しゅうえん)は、快楽のなかにはない。

理解しはじめています。

> あなたが自分を苦痛も快楽も超えたものだと、超然として屈することなく気
> づくとき、幸福を追求することはやみ、結果として悲しみも消え去る。

そうなんですね。

> なぜなら、苦痛は快楽の後を追い、快楽は容赦なく苦痛に終わるからだ。

わかります。(/_;)

> 質問者 究極の状態では、幸福もありえないのでしょうか?
> 
> マハラジ
> 不幸もまたありえない。

はい。

> ただ自由だけがある。

おお。

> 幸福は何かに依存し、やがて消え去る。

わかります。

> すべてからの自由は何にも依存せず、失われることはない。

「すべてからの自由は何にも依存せず、失われることはない」

> 不幸からの自由には原因がなく、それゆえ破壊されない。

「不幸からの自由には原因がなく、それゆえ破壊されない」

> その自由を実現しなさい。

はい。

> 質問者 私は過去の結果として苦しむために生まれたのではないでしょうか?
>     自由を得ることは本当に可能なのでしょうか? 私は自分の意志で
>     生まれたのでしょうか? 私はただの創造物なのではないでしょう
>     か?

うう……誰かから聞かされた話……。(=_=)

> マハラジ
> 誕生と死は、意識内の一連の出来事のはじまりと終わりにすぎない。

はい、わかります。

> 分離と限界という観念のために、それらは苦痛となるのだ。

なるほど。

> 苦痛からの一時的な解放を、私たちは快楽と呼ぶ。

そうか……。(-_-)

> そして、いわゆる幸福と呼ばれる終わりなき快楽を期待して、私たちは空中
> に城を築くのだ。

そうかぁ……。

> それはみな誤解であり、誤用だ。

はい。

> 目を覚ましなさい。

(;_;)

> それらを超えていきなさい。
> 真に生きはじめなさい。

確信……確信……まだまだ確信。

> 質問者 私の知識はかぎられ、力は取るに足らないのです。

うん、わかるけど……。

でも、たぶん、足りないのは……知識や力ではなく……確信だと思う。

> マハラジ
> 自己は知識と力の両方の源であり、またそれらを超えている。

はい。

> 観察可能なものはマインドのなかにある。

わかります。

> 自己の本性は純粋な気づき、純粋な観照であり、知識の存在や不在に影響さ
> れることはない。

おお……そうか……。

> この身体の誕生と死の外に、あなたの存在を置きなさい。

はい、それが肝心要ですよね。

> そうすれば、あなたの問題は解決するだろう。

はい。

> それらの問題が存在するのは、あなたは死ぬために生まれてきたと信じてい
> るからだ。

なるほど。

> 迷いから覚め、自由になりなさい。

なりたいです。

> あなたは個人ではないのだ。

信じます……。

(-||-)

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


        …………○…………○…………○…………



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■ 3.いただいたお手紙から:INUさん、ハイアーセルフ33さん
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▼『アセンション館通信』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単なるメールな
ど、ご自由にお書きいただければと思います。


        …………○…………○…………○…………


今回、ひさしぶりにINUさんからありがたい応援メールをいただきました。

早速、ご紹介します。

【件名】:
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 > こういうものを書くこと自体、いいことなのか、それともあまり良くない
 > ことなのか、じつは、よくわかりません。
 > 
 > ただ、どんなこともそのためにしていることならその役に立つ……、とい
 > うようなことをぼんやり信じています。
 
 パーリさん お久しぶりです 書くこと自体いいことです
 少なくとも私の楽しみです。 酒豪の私が酒より好きです
 やめないでくださいね
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> パーリさん お久しぶりです 書くこと自体いいことです

イーヌさん お久しぶりです ほんとですか? (*^_^*)

> 少なくとも私の楽しみです。 酒豪の私が酒より好きです

酒豪の方が“酒より好き”と言うのは相当褒めていただいたんですよね。(^^;)

> やめないでくださいね

ありがとうございます。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


今回も、ハイアーセルフ33さんからメールをいただきました。

こちらで紹介させていただきます。

【件名】:「対極の真実」の対等性について
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 みなさん、こんにちは。ハイアーセルフ33です。
 
 今回は前回パリさんからいただいたご批判の釈明とその他の説明です。
 
 (パリさん)
 > はるさんが、この“「感じる主体(認識主体)」論”から抜け出せない理
 > 由のひとつは、主体と客体という二元論を疑ったことがないからだと思い
 > ます。
 > 
 > わたしもまさにそういう二元論的発想に絡め取られていたので、そのこと
 > 自体はよくわかります。
 
 
 でも私は、二元論的発想に絡めとられていませんよ。前回述べたことは「視
 点のちがい」と「真実の対等性」についてでした。
 
 そのことは主体、客体という二元論からの視点も真実であり、また「一者の
 み存在する」という一元論も真実であるということを意味します。
 
 二サルガさんの言葉でも、「究極の体験者が真我(私)であり、認識される
 ものは私ではない」という二元論からの真実を語る一方、「私(真我)がす
 べてであり、それ以外は存在しない」という矛盾した一元論の真実も語って
 います。
 
 この両方の「対極の真実の対等性」を、私は前回、視点の対等性から説明し
 ています。前提には「認識」というものの意識状態としての対等性がありま
 す。
 
 二サルガさんやラムサも、それゆえに次のように語っています。
 
 ○「(実在は)完全に首尾一貫し、絶対的に矛盾したものだ」(P225下)
 
 ○「彼(真我・実在)はすべてに対して、イエスでありノーである」
                              (P105下)
 ○「マスターよ、真実とはひとつの制限のことなのだ。何かが真実だと言う
 とき、それは真実ではないものもあるということを暗示している。だが、さ
 らに偉大な理解においては、真実なるものはなく、真実でないものもない」
                      (ラムサホワイトブックP164)
 
 つまり「一元論も二元論」もある視点からの真実ということです。
 
 どちらが正しい真実ということはありません。視点に対応した真実があるだ
 けです。
 
 
 ●またパリさんはこう言われています。
 
 > 「認識のための二元論は、現象世界の実在を疑えない立場なのです。」
 
 そうでしょうか。仮に二元論の視点で現象世界を見た場合でも、それは夢と
 してのもの、たんなる意識状態であるという見方をしていれば、「実在であ
 る」という誤認はないでしょう。
 
 
 ●さらにまたこのようにも言われています。
 
 > 「ラマナもニサルガダッタも、また神の使者が伝えるJ(イエス)も二元性
 > を存在原理とするこの現象世界の存在を否定します」
 
 
 たしかに彼らは現象世界の「実在性を否定」します。でも当然ですが、
 「夢・幻想としても存在していない」とはいっていませんね。
 
 むしろ「夢・幻として、意識状態として存在している」ということは認めて
 います。
 
 彼らが現象世界の実在性を否定する理由は、認識の視点を「自己に留意」し
 たとき、認識される客体が抜け落ち、「私しか存在しない」という意識状態
 を体験するからです。そこにおいて、それが絶対的な真実になります。
 
 実在である「私」に視点(気づき)が置かれたときには、見られるものは消え
 失せますから、「認識対象は実在しない」になり、現象世界の実在性は否定
 されます。
 
 この状態(認識)をして、「現象世界は実在しない。これこそが本当の真実
 だ」といったりします。
 
 ですがそれもまた「そのことを知った」ということであり、「意識状態とし
 てのもの」です。
 
 なぜなら「知る」ことは「意識状態」を通じてなされることだからです。
 ですからそれは「その視点における真実」であり、無条件の真実ではありま
 せん。
 
 
 ●彼らが「そのような視点からの真実」を伝えるのは、その真実を伝えるこ
 とが私たちの真我顕現に「役立つ」からに他ならないでしょう。
 
 だからといって「対極の真実」を彼らが否定しているわけでもありません。
 もしそうならば、上記した二サルガさんやラムサの言葉との整合解釈を得る
 ことはできません。
 
 したがって、それらの言葉との整合を得る解釈をするためには、常に「視点
 の対等性」と、認識の「意識状態としての対等性」という理解にもとづい
 て、「対極の見解(真実)の対等性」を受容する視点に立つより他にないわ
 けです。
 
 「○○は○○である」という様々な表明も、すべて認識主体の意識状態を通
 じてのものであり、それ以外のものではありません。
 
 「私は在る」という基本的な表明でさえ、そのことを「知る」ためには、意
 識状態を通じて「知る」より他ありません。
 
 だからこそ「すべては意識のなかに在る」といわれる由縁です。
 
 ○「真実とは、ある種のフィーリングであり‘知っている状態'のことだから
 だ。つまりそれは知的なものではない。自分にとって‘何が真実か'を知るこ
 とは、‘何が真実と感じるか'を知ることなのだ」
                      (ラムサホワイトブックP161)
 
 したがってすべての真実は「意識状態として対等な真実」になるわけです。
 ですからこうもいえます。
 
 ○「どのような究極的な真実も、あるひとつの現実の中に存在する個人的な
 真実すべての産物なのです。(ニューメタフィジックスP51 〜バシャールと
 宇宙連合〜)
 
 
 いずれにしても、特定の視点からの真実を「絶対の真実」としていては、二
 サルガさんの言葉のなかだけでさえも整合解釈を得ることはできないでしょ
 う。
 
 以上です。みなさんからのご意見をお待ちしています。ありがとうございま
 す。
 
                      AUM ハイアーセルフ33
                  ご意見・ご質問 haruhi33@nifty.com
----------------------------------------------------------------------

はるさん、ありがとうございました。

うーむ。(-_-)

なんだか……はるさんの悲しみが伝わってきましたよ。

これまで、はるさんの“質問”を取り違えていて、申し訳なかったです。

わたしがニサルガダッタの言葉からはじめて脱出の可能性を望見したように、
はるさんはラムサの言葉から自由への翼を得ていたんですよね。

だから……そのふたりが語る言葉にはそれなりの整合性があるはずだ、と。

> だからといって「対極の真実」を彼らが否定しているわけでもありません。
> もしそうならば、上記した二サルガさんやラムサの言葉との整合解釈を得る
> ことはできません。
> 
> したがって、それらの言葉との整合を得る解釈をするためには、……

はるさんは「それらの言葉との整合を得る解釈」を求めていたんですねぇ。

気づくのが遅すぎましたが、これでは言葉が行き違うのは当然でした。

それから、宇宙内のどの意識生命体の思いもそれぞれ“正しい”ということに
まったく異存ありません。

その“正しさ”がそれぞれ完璧に対等だとおっしゃりたいのなら、それも了解
できます。

はるさんの思い、充分に伝わりましたよ。

ありがとうございました。

m(_ _)m

        …………○…………○…………○…………


『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518

        …………○…………○…………○…………



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■ 4.「ご投稿・情報提供」:ハイアーセルフ33さん
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        …………○…………○…………○…………


今回、ハイアーセルフ33さんから、マシュー君のメッセージ関連の情報を
ご投稿をいただきましたので、早速ご紹介します。

【件名】: マシュー君のメッセージ(27)
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 みなさん、こんにちは。ハイアーセルフ33です。
 
 「玄のリモ」ブログに、マシュー君のメッセージ(27)が25日に掲載さ
 れましたのでお知らせします。 http://moritagen.blogspot.com/
 
 ********************************
 
 2009年11月19日
 
 期待のエネルギー、テレビ番組による宇宙人発表とその背景、テレビ番
 組"V"と"2012年と恐れの陰謀、ウクライナの疫病、愛のパワー、神/女神の
 魂の本質、第三密度から第四密度へ変化する子どもたちの肉体、直感と思
 考、双対性の課題、魂の合意と生前の合意
 
                       AUMハイアーセルフ33
----------------------------------------------------------------------

はるさん、いつもありがとうございます。

m(_ _)m

        …………○…………○…………○…………



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■ 5.編集後記:なんということもない脱力したことしか
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赤ん坊を連れたお客さまが、みんなで成長の森というのに出かけています。

なんということもない脱力したことしか書けなくなって。

でもまた、いつかエネルギーが戻ってきたりしてね。(^_-)

今日は明るいうちに終われそうです。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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