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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.296 2009/12/6(第296号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆----------------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 952名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.自我が為していると見なしてしまう

2.写経ニサルガダッタ:
     【71 自己覚醒の中で、あなたは自分自身について学ぶ】の1回目

3.いただいたお手紙から:ハイアーセルフ33さん

4.編集後記:もう少し延命することになっていたようです。(^_-)
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■ 1.自我が為していると見なしてしまう
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ちょっと風邪を引きました。

夢のなかの個人は生意気なので少し“バチ”が当たったかもしれません。(^_-)

まあ、それくらいのことではメゲないことです。

単なる夢のなかの食料による夢のなかの合成物にそれ以上の何が期待できるで
しょうか、うん。(-_-;)(←っちゃってからにしてー。(^_-))

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

さて、マインドはマインドを破壊するための言葉を紡げるか?

これが、今日のテーマです。(*^_^*)

かっこいい? (^_^)v

ダメ? :-(

床のなかで寝ているあいだちょっと思うところがあって、ラマナ・マハルシの
『静寂の瞬間(とき)』を眺めていました。

はじめてジュンク堂で買って以来、ときどき思い出しては眺める本です。
https://www.ascensionkan.com/mm/vol272.html#1

こっちのマインドの都合に合わせて、今回、目についたのはこんな文章です。

----------------------------------------------------------------------
 「私が働いている」という感覚が邪魔者である。
 あなた自身に「誰が働いているのか」と尋ねなさい。
 
 起こるべく定められていることは、起こるだろう。
 
 あなたが仕事を離れるべく定められているのであれば、
 仕事はいくら探しても見つからないだろう。
 反対に、あなたが仕事を続けるべく定められてあれば、
 それを避けることはできないだろう。
 あなたはその仕事を続ける以外にはない。
 
 それゆえに、より高い力にそのことを任せなさい。
 あなたの思いのままに放棄したり続けたりすることはできない。
 
                          『静寂の瞬間』(p18)
                       http://tinyurl.com/m2wjhu
----------------------------------------------------------------------

(-_-;)

なぜこんな言葉のところで目が止まったのか?

単純です。

このメルマガを続けるべきか止めるべきかの判断基準を求めていたのです。

個人に関して言えば、まだ書き続けるエネルギーは枯れきっていません。

つまりいわゆるカルマは残っているようなのです。

しかし状況に関しては、どうも「やめなさい」と言っているらしい。(-_-)

つまり、書きたい欲望は完全に焼尽しきっていないのに、書き続ける大義名分
をマインド内で維持できないような感じがしはじめているということです。

これが、文頭に書いた今回のテーマの意味です。

「マインドはマインドを破壊するための言葉を紡げるか?」

マインドの世界の仮想の住人「個人」が“マインドを破壊するための言葉”な
ど紡げるはずはありません。

それは自明です。

“マインドを破壊するための言葉”を紡げるのは、もちろん自身マインドの外
にいる覚者しかいないわけでしょう。

そして覚者の言葉がマインドを破壊するための言葉であることは、それを自ら
読むタイプのマインド(個人)にとっては、まあ、自明のこと言ってもいい。

覚者の実体は個人などではないわけですから、つまり、マインドを破壊するた
めの言葉を紡ぐ覚者という個人もいないわけです。

そこでは言葉は単に起こっているだけです。

覚者は、かつて自分が自己同化していた個人の口からその場に必要な言葉が語
られるのを、ただ見ているだけです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 あなたは揺らぐことのない至福について語っていますが、それにつ
     いて語るとき、何をあなたは想っているのでしょうか?
 
 マハラジ
 私のマインドのなかには何もない。
 あなたが言葉を聞くように、私もそれらを聞くのだ。
 すべてを起こらせる力が、それをも起こらせるのだ。
 
 質問者 しかし、話しているのは、私ではなくあなたです。
 
 マハラジ
 それはあなたにとってそう見えるのだ。
 私が見るには、二つの「身体―精神」が象徴的な雑音を交換しているだけだ。
 実際には、何も起こっていない。
 
                          『私は在る』(p456)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

……。(-_-)

こういう言葉が喜ばしい言葉として聞こえるかどうかは、それを聞くマインド
(個人)しだい、ということでしょうか。

それはともかく、そいうわけなので、こういう特殊な状況にある身体の口から
は“マインドを破壊するための言葉”が出てくる可能性があるわけです。

いかなる形と名前に対する自己同化もないアイデンティティが何らかの発声管
につながっていれば、“マインドを破壊するための言葉”が出てくる……。

言ってみれば、舞い上がる微粒粉の背後にもつねに働いている引力が、微粒粉
の“発声管”を使って引力の思いを伝えるようなものでしょうか。

まあ、落ち着きなさい、と。(^_-)

個人とは、想像(舞い上がる埃)の世界を根城に発生したに想念の一塊りであ
り、それにわたしがリアリティを与えて実体化している現象です。

つまり「マインドはマインドを破壊するための言葉を紡げるか?」という問は、
「舞い上がる埃は引力の代弁者になれるか」と問うようなものでしょう。

これに似たような問は、ほかにもいくつでも挙げることができます。

たとえば、

「音は沈黙を表現できるか?」

「意識は至福を表現できるか?」

「色水は純水の色を表現できるか?」

といったふうに……。(=_=)

まあ、普通に理性が働いていれば、いやー、そんなものを表現しようと無理す
るより、あんたが引っ込んだほうが早いのじゃ、となるのは当然です。(^_-)

しかし、そうすると、このメルマガを書き続ける根拠は崩れます。

というのは、夢からの脱出に役立つと思えるかぎりにおいて書き続けよう、と
いうのが夢のなかの配達人個人の意図だったからです。

だから何度か、やっぱり、ここが潮時か……、と個人は思いました。

いわば、書きたい欲望が完全に焼尽しきっていなくても、書き続ける大義名分
が維持できなくなることは、ありうることだと思っていたということです。

しかし……ニサルガダッタにはこういう表現もあります。

----------------------------------------------------------------------
 過去において満たされなかった欲望がエネルギーをふさぎ止め、それが個人
 として現れる。
 その蓄積されたエネルギーが使い果たされたとき、個人は死ぬのだ。
 満たされなかった欲望は次の誕生のなかへと運ばれていく。
 身体との自己同一化は常に新しい欲望をつくりつづけ、その束縛の構造が明
 確に理解されるまで、それに終わりはないのだ。
 解放をもたらすのは明晰性だ。
 なぜなら、その原因と結果が明確に理解されるまで、欲望を放棄することは
 できないからだ。
 それは死ぬ。
 そして永遠に死ぬのだ。
 だが、その記憶は残る。
 そしてそれらの欲望と恐れも。
 それらが新しい個人にエネルギーを供給するのだ。
 実在は、それにはまったく関わらない。
 だが、それに光を与えることでそれを可能にするのだ。
 
                          『私は在る』(p399)
----------------------------------------------------------------------

……。(-_-)

ならば……書きたいエネルギーが思いを遂げて燃えつきるまで……丁寧に見取
ってやるべきではないだろうか……? (-_-;)

時期尚早に水をかけて……消してしまうべきではないのでは……?

> 身体との自己同一化は常に新しい欲望をつくりつづけ、その束縛の構造が明
> 確に理解されるまで、それに終わりはないのだ。

はい、わかります。

> 解放をもたらすのは明晰性だ。

それが足りないのです。(;_;)

> なぜなら、その原因と結果が明確に理解されるまで、欲望を放棄することは
> できないからだ。

その通りです……。

いま夢のなかの個人の欲望は“身体との自己同一化”を解除することです。

“身体との自己同一化”を解除する役に立つと思えるかぎりにおいて、メルマ
ガを書きつづけようと健気にも意図している……。

もしこうして書くことが“身体との自己同一化”の解除の邪魔になるのが自明
なら……もちろんメルマガが書きつがれることはありえません。

ところが、まだ書き続ける個人のエネルギーは枯れきったようには思えないの
に、状況はどうも「やめなさい」と言っているようにも思われるのです。

マハラジは「反抗の本質」について、こうも言っています。

----------------------------------------------------------------------
 普通、自己主張が誤りであり、自己否定が正しいのだ。
 
 ただ否定によってのみ、人は生きることができるのだ。
 自己主張は束縛だ。
 疑うことと否定することがなくてはならない。
 それは反抗の本質だ。
 そして反抗することなしに解放はありえないのだ。
                          『私は在る』(p536)
----------------------------------------------------------------------

ここでメルマガを書き続けることは、この「自己主張」に当たるのだろうか?

マインドのなかの住人である個人が、書くことを「自己否定」の手段とするこ
とはありえないのだろうか? (-_-)

これが、冒頭の「マインドはマインドを破壊するための言葉を紡げるか?」と
いう問に託された意味です……。

そう思って、布団のなかで『静寂の瞬間』を眺めていて遭遇したのが先の言葉
でした。

----------------------------------------------------------------------
 「私が働いている」という感覚が邪魔者である。
 あなた自身に「誰が働いているのか」と尋ねなさい。
 
 起こるべく定められていることは、起こるだろう。
 
 あなたが仕事を離れるべく定められているのであれば、
 仕事はいくら探しても見つからないだろう。
 反対に、あなたが仕事を続けるべく定められてあれば、
 それを避けることはできないだろう。
 あなたはその仕事を続ける以外にはない。
 
 それゆえに、より高い力にそのことを任せなさい。
 あなたの思いのままに放棄したり続けたりすることはできない。
 
                          『静寂の瞬間』(p18)
----------------------------------------------------------------------

覚者たちのこういう言葉、“行為者”についての言葉ほど、マインドのなかの
住人である個人にとって理解できない言葉も他にあまりありません。

> あなた自身に「誰が働いているのか」と尋ねなさい。

マインドです。(*-_-*)

ここまでは……わかります。

しかし……、

> 起こるべく定められていることは、起こるだろう。

こここが……わからない。

ついつい、自分が何かをすれば、結果が変わるような気がしてしまう。

だから、メルマガを書くと書かないとでは、何かが異なるような気がする。

> それゆえに、より高い力にそのことを任せなさい。
> あなたの思いのままに放棄したり続けたりすることはできない。

ほんとにそうなのか……、と思ってしまう。(-_-;)

しかし、そう思ってもういちど眺めなおしてみると、

> 「私が働いている」という感覚が邪魔者である。

という最初の一行が目にとまる……。

……通常は、これは“「私が働いている」という感覚”が必要ない感覚なのだ
というふうに理解されます。

そうなると、やっぱり悟らないと無理か……(-_-;)、ということになります。

しかし、これを“「私が働いている」という観念”は間違いだ。それを無視し
なさい、という意味に理解してみるとどうなるでしょうか? (@_@)

こういうちょっと乱暴な解釈を思いついたのは、別のページで次のような言葉
を読んだからです。

----------------------------------------------------------------------
 無知な人は自分自身を自我と同一視し、
 真我の為すことを、
 自我が為していると見なしてしまう。
 
 ジュニャーニの自我は消え去っている。
 彼は自分をこの身体やあの身体、
 この出来事やあの出来事に限定しない。
 
 ジュニャーニはあらゆる行為が彼の
 まわりに起こり続けようとも、
 存在の真の状態が不動であることに
 完全に気づいている。
 
 彼の本性は変わることなく、
 その境地はまったく何の影響も受けない。
 すべてを超然と見守りながら、
 彼自身は至福のうちにとどまるのである。
 
                          『静寂の瞬間』(p71)
----------------------------------------------------------------------

うーむ……。

> 無知な人は自分自身を自我と同一視し、
> 真我の為すことを、
> 自我が為していると見なしてしまう。

“無知な人”って、たとえば、夢のなかのこの配達人個人のことだけど……。

その“無知な人”は「真我の為すことを、自我が為していると見なしてしまう」
というのです。

ということは、“無知な人”は自分のものでもない責任を勝手に背負い込んで、
勝手に悩んでいる……という理屈です。

それに対して……、

> ジュニャーニはあらゆる行為が彼の
> まわりに起こり続けようとも、
> 存在の真の状態が不動であることに
> 完全に気づいている

と……。

ふーむ。(-_-;)

かくて、ジュニャーニは、

> すべてを超然と見守りながら、
> 彼自身は至福のうちにとどまるのである。

というわけです……。(-_-)

うーむ。

しっかし、ジュニャーニっていいですよねぇ。

何があっても、一向に不幸にならないわけだから。

ジュニャーニの定義は“何があっても一向に不幸にならない”ことかしら。^^;

ところで新宿のジュンク堂で『静寂の瞬間』といっしょに買ったもう一冊の本
『アシュターヴァクラ・ギーター』にも、
http://tinyurl.com/mjarxc

---------------------------------
 努力をしようと休もうと
 
 得るものも失うものもない
---------------------------------

という一節がありました。

それなら、この“メルマガを書いている”などという“いわれのない思いこみ
と責任”も、いっそのこと放棄してしまってはどうなんだろう……? (@_@)

それは夢のなかの個人が定められたシナリオに沿ってやっていることで、わた
しは一切、関知しません、と。

それで、あとは夢のなかの個人のエネルギーが尽きるまで、メルマガを書くな
り、頭を掻くなり、好きなようにしたらいいのではないか……?

まあ……簡単に言うと……そういう思いが通っていきましたね。^^;

というわけで、もう少し、このメルマガも続くかもしれません。

よろしければ、どうぞお付き合いください。m(_ _)m

というか……どうでもいいです。(^^;)

(*^_^*)

……。(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:
     【71 自己覚醒の中で、あなたは自分自身について学ぶ】の1回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今回の章では、最初の部分で「個人」という幻想がどのようにして現れるのか
についての非常に単純明快で美しい叙述があります。

> 個人とは単なる誤解の結果だ。
> 実際には、そのようなものはないのだ。
> 果てしない連続性のなかで、感情、思考、行為が脳のなかに痕跡(こんせき)
> を残し、継続性という幻想をつくりながら、見守る者の前を駆け抜けていく。
> マインドのなかで、見守る者の反映が「私」という感覚をつくり出し、個人
> は一見独立したように見える存在を獲得するのだ。
> 実際には、個人というものは存在しない。

……。(-||-)

これ以上どんな説明が必要でしょうか? (;_;)

では、【71 自己覚醒の中で、あなたは自分自身について学ぶ】の1回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 弟子がグルに多くの害を与えることは、私たちが繰り返し体験して
     きたことです。彼らは師の要望を考えることなく計画を立て、それ
     を実行に移します。最終的に、グルにとっては果てしのない心配が
     残り、彼の弟子には苦渋が残るだけです。
 
 マハラジ
 そうだ。
 それは起こる。
 
 質問者 誰がそういった屈辱をグルに感受させるよう強(し)いるのでしょ
     うか?
 
 マハラジ
 グルは基本的に欲望をもたない。
 彼は選択をせず、決定もしない。
 純粋な観照者として起こっていることを見守り、感化されないままなのだ。
 
 質問者 しかし、彼の仕事は損害をこうむるでしょう。
 
 マハラジ
 勝利はつねに彼のものだ――最終的には。
 グルは、もし弟子がグルの言葉から学ばなければ、自分たちの過ちから学ぶ
 だろうということを知っているのだ。
 内面的には、彼は静かに沈黙している。
 彼には分離した個人という感覚がない。
 彼の弟子と彼らの取るに足らない計画も含めた、宇宙全体が彼のものなのだ。
 何ひとつ特定のものが彼に影響を与えることはない。
 あるいは同じことで、宇宙全体が同じ度合いで彼に影響を与えるのだ。
 
 質問者 グルの恩寵(おんちょう)というものはないのでしょうか?
 
 マハラジ
 彼の恩寵は絶えることなく遍在している。
 それはひとりに与えられ、ほかを拒むようなものではないのだ。
 
 質問者 どのようにそれは、個人的に私に影響を与えるのでしょうか?
 
 マハラジ
 あなたのマインドが真理の探究に従事しているのも、グルの恩寵によるもの
 なのだ。
 そして、グルの恩寵によってあなたは真理を見いだすのだ。
 それはあなたの究極の目標に向かって意図することなく働いている。
 そして、それはすべての人にとってそうなのだ。
 
 質問者 ある弟子たちは用意ができ、成熟しています。そしてある弟子たち
     はそうではありません。グルは選択をし、決定をするのではないで
     しょうか?
 
 マハラジ
 グルは究極なるものを知っている。
 そして、それに向けて弟子を容赦なく駆りたてる。
 弟子は自分自身で超えなければならない障害物でいっぱいなのだ。
 グルは弟子の表面的な人生にはそれほど関心をもたない。
 それは重力のようなものだ。
 果実はもうこれ以上もちこたえられないとき、落ちなければならないのだ。
 
 質問者 もし弟子が目的地を知らなければ、どうやって彼に障害を見極める
 ことができるのでしょうか?
 
 マハラジ
 目的地はグルによって示される。
 障害は弟子によって発見されるのだ。
 グルに選り好みはない。
 だが、克服しなければならない障害をもつ者たちは、遅れをとるように見え
 るのだ。
 
 実際には、弟子はグルと異ならない。
 彼は行為における愛と知覚の、同じ無限の中心なのだ。
 彼の想像と想像したものとの自己同一化が、彼を包み込み、個人に変えてし
 まうだけだ。
 師は個人には関心がない。
 彼の注意は内面の見守る者に合わせられている。
 理解をし、それによって個人を消し去るのは見守る者の仕事なのだ。
 一方では恩寵があり、もう一方では修練への献身がなければならない。
 
 質問者 しかし、個人は除去されたくないのです。
 
 マハラジ
 個人とは単なる誤解の結果だ。
 実際には、そのようなものはないのだ。
 果てしない連続性のなかで、感情、思考、行為が脳のなかに痕跡(こんせき)
 を残し、継続性という幻想をつくりながら、見守る者の前を駆け抜けていく。
 マインドのなかで、見守る者の反映が「私」という感覚をつくり出し、個人
 は一見独立したように見える存在を獲得するのだ。
 実際には、個人というものは存在しない。
 ただ見守る者が「私」と「私のもの」に自己同一化するだけだ。
 師は見守る者に言う。
 「あなたはこれではない。このなかには、見守る者と彼の夢を橋渡しする
 『私は在る』という小さな点以外、あなたのものは何ひとつないのだ」と。
 「私はこれだ、私はあれだ」は夢なのだ。
 一方、純粋な「私は在る」には実在の特質がある。
 あなたは今まで本当にたくさんのことを味わってきた――だが、すべては無
 に帰したのだ。
 ただ、「私は在る」だけが変わることなく存続している。
 あなたが彼方へと超えていけるようになるまで、変化の絶えないもののなか
 で、不変なるものとともにとどまりなさい。
 
                        『私は在る』(p359-360)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 弟子がグルに多くの害を与えることは、私たちが繰り返し体験して
>     きたことです。彼らは師の要望を考えることなく計画を立て、それ
>     を実行に移します。最終的に、グルにとっては果てしのない心配が
>     残り、彼の弟子には苦渋が残るだけです。

へー、いろんな心配をする人がいるもんですねぇ。

> マハラジ
> そうだ。
> それは起こる。
> 
> 質問者 誰がそういった屈辱をグルに感受させるよう強(し)いるのでしょ
>     うか?

ま、よくわからない質問ではありますが、インド人マインドなのかしら?

> マハラジ
> グルは基本的に欲望をもたない。
> 彼は選択をせず、決定もしない。
> 純粋な観照者として起こっていることを見守り、感化されないままなのだ。

はい、理解できます。

> 質問者 しかし、彼の仕事は損害をこうむるでしょう。

うう……。

> マハラジ
> 勝利はつねに彼のものだ――最終的には。

なるほど。

引力の勝利……みたいなものかな。

> グルは、もし弟子がグルの言葉から学ばなければ、自分たちの過ちから学ぶ
> だろうということを知っているのだ。

わかります。

> 内面的には、彼は静かに沈黙している。
> 彼には分離した個人という感覚がない。

はい。

> 彼の弟子と彼らの取るに足らない計画も含めた、宇宙全体が彼のものなのだ。

なるほど。(-_-)

> 何ひとつ特定のものが彼に影響を与えることはない。

そうかぁ。

> あるいは同じことで、宇宙全体が同じ度合いで彼に影響を与えるのだ。

「全体責任は無責任」みたいな感じ? (*@_@*)\ゴン(←何を言うか(\_/) )

すまんです。(^^;)

> 質問者 グルの恩寵(おんちょう)というものはないのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> 彼の恩寵は絶えることなく遍在している。

グルの恩寵は、引力の恩寵。(*-_-*)(←くどいっつうの……。(=_=))

> それはひとりに与えられ、ほかを拒むようなものではないのだ。

はい。

> 質問者 どのようにそれは、個人的に私に影響を与えるのでしょうか?

いちおう、細かく念を押すね、このひと。

> マハラジ
> あなたのマインドが真理の探究に従事しているのも、グルの恩寵によるもの
> なのだ。

わかります。

エゴの桎梏が苦しいわけですよね。

> そして、グルの恩寵によってあなたは真理を見いだすのだ。

はい……、こんなはずはない……、こんなはずはない……、と。

> それはあなたの究極の目標に向かって意図することなく働いている。
> そして、それはすべての人にとってそうなのだ。

わかります。

> 質問者 ある弟子たちは用意ができ、成熟しています。そしてある弟子たち
>     はそうではありません。グルは選択をし、決定をするのではないで
>     しょうか?

うう……。

> マハラジ
> グルは究極なるものを知っている。
> そして、それに向けて弟子を容赦なく駆りたてる。

はい。

> 弟子は自分自身で超えなければならない障害物でいっぱいなのだ。

わかります。

弟子の条件づけによるどんな思いこみ(監獄)も、真我にとっては苦しい。

> グルは弟子の表面的な人生にはそれほど関心をもたない。

はい。

> それは重力のようなものだ。

(@_@)

> 果実はもうこれ以上もちこたえられないとき、落ちなければならないのだ。

なーんだ、ここから来ていた連想だったんだ……。(*-_-*)

> 質問者 もし弟子が目的地を知らなければ、どうやって彼に障害を見極める
> ことができるのでしょうか?

ほう、うまいこと言う。

> マハラジ
> 目的地はグルによって示される。

はい。(-_-)

> 障害は弟子によって発見されるのだ。

そうか……。

> グルに選り好みはない。

たしかに。

> だが、克服しなければならない障害をもつ者たちは、遅れをとるように見え
> るのだ。

わかります。(*-_-*)

> 実際には、弟子はグルと異ならない。

はい、それもわかります。(-_-)  \←……

> 彼は行為における愛と知覚の、同じ無限の中心なのだ。

そうか……。

> 彼の想像と想像したものとの自己同一化が、彼を包み込み、個人に変えてし
> まうだけだ。

(-_-)

> 師は個人には関心がない。

はい。

> 彼の注意は内面の見守る者に合わせられている。

はい。

> 理解をし、それによって個人を消し去るのは見守る者の仕事なのだ。

見守る者の仕事……。

“見守る者”とは……観照者のことか……。

> 一方では恩寵があり、もう一方では修練への献身がなければならない。

はい。

苦しさを訴えている内圧があっても、まず顕在意識がそれに気づかなければな
らない。

気づいた上で、その苦しさからの脱出を求めなくてはならない。

その探求の途上で出会うグルたちの教えにしたがい、最後には永遠のサットグ
ルである自分の内面に向かわなくてはならない。

> 質問者 しかし、個人は除去されたくないのです。

除去されたいような……。(*-_-*)

> マハラジ
> 個人とは単なる誤解の結果だ。
> 実際には、そのようなものはないのだ。

はい、理解できます。

> 果てしない連続性のなかで、感情、思考、行為が脳のなかに痕跡(こんせき)
> を残し、継続性という幻想をつくりながら、見守る者の前を駆け抜けていく。
> マインドのなかで、見守る者の反映が「私」という感覚をつくり出し、個人
> は一見独立したように見える存在を獲得するのだ。

おおー。(@_@)

> 実際には、個人というものは存在しない。

はい。

> ただ見守る者が「私」と「私のもの」に自己同一化するだけだ。

わかりました。(-||-)

> 師は見守る者に言う。
> 「あなたはこれではない。このなかには、見守る者と彼の夢を橋渡しする
> 『私は在る』という小さな点以外、あなたのものは何ひとつないのだ」と。

_(_^_)_

> 「私はこれだ、私はあれだ」は夢なのだ。

はい。

> 一方、純粋な「私は在る」には実在の特質がある。
> あなたは今まで本当にたくさんのことを味わってきた――だが、すべては無
> に帰したのだ。

はい、それでこそ……。(-_-)

> ただ、「私は在る」だけが変わることなく存続している。

はい。

> あなたが彼方へと超えていけるようになるまで、変化の絶えないもののなか
> で、不変なるものとともにとどまりなさい。

(-||-)

……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


        …………○…………○…………○…………



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■ 3.いただいたお手紙から:ハイアーセルフ33さん
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http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
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ど、ご自由にお書きいただければと思います。


        …………○…………○…………○…………


今回も、ハイアーセルフ33さんからメールをいただいたようです。

こちらで紹介させていただきます。

【件名】:視点が認識を創る
----------------------------------------------------------------------
 みなさん、こんにちは。ハイアーセルフ33です。
 
 前回はパリさんから、ありがたくも「はるさんの言うことは十分伝わりまし
 た」というお返事をいただきました。ただここでは、パリさんにばかり語っ
 ているわけでもなく、基礎となる情報は提示しておきたいと思っています。
 
 今回は様々な高次意識体や悟った存在の発言を理解するために、特に重要な
 「基礎となるべき概念」です。
 
 それは「視点が認識を創る」という原理です。これはもろもろの対立するス
 ピリチュアルな情報・意見を統合する理解の礎となるものです。
 
 それがなければ、対立する見解に統合をもった解釈をすることができませ
 ん。
 
 するとマインドは、情報解釈においてしばしば出会う「対立意見の矛盾」に
 さいなまれ、心穏やかではなくなり、マインド自体を超えていくことができ
 なくなってしまう可能性が大きいのです。
 
 私自身、長い期間そうした経験があります。17歳のとき「ヒマラヤ聖者の
 生活探求」という本に出会い感動し、21歳のとき和尚ラジニーシの「存在
 の詩(うた)」に感動し、深くその方面の書を読み始めました。
 
 そこで長く頭を悩めてきたのは、自分にとって信頼できる存在たちが語る
 「矛盾した言葉」に対してでした。
 
 みなさんに遠回りをして欲しくはありません。明日53歳になる私ですが、
 そんな心情が後押しして書いています。
   
 ご承知かもしれませんが、スピリチュアルな情報はすべて、自分の内なる真
 我(ゼロポイント意識)に波長を合わせていくためのものです。
 そこから自分のすべて(言葉、思考、判断、行動、態度)が出てくるように
 なっていくためのものです。
 
 ですから私たちは、できるだけ早く「非・真我マインド」をこえて、ニサル
 ガさんのいうように「あなたの身体とマインドに実在(真我)を表現させな
 さい」が実現していくのが理想です。
 
 そのためには、平和で穏やかな心境、楽しい気分で生きていくのが一番いい
 と皆さんも思われていることでしょう。
 
 前回、前々回と私は「視点と認識」について述べました。スピリチュアルな
 話題ではとくに「何が真実であるか」についてしばしば意見が対立するもの
 です。
 
 そうならないためには、‘真実'とはどのように確定されているのかという、
 「真実確定のメカニズム」について押さえておくことが重要なのです。
 
 
 ●「真実」を確定するメカニズムについて、最初に知るべきことは「視点が
 認識を創る」ということです。
 
 これについての情報源として、神との対話シリーズ最後の著書「神へ帰る」
 を引用します。〜ニール・ドナルド・ウォルシュ著〜  
 http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/31936967
 
 **********************************
 
 ○「すべては視点に左右される。視点が認識を創る」(P68)
 
 ○「あなたの信念の基礎とはあなたの認識で、あなたの認識の基礎はあなた
   の視点にある」(P130)
 
 ○「客観的現実として存在する‘真実'などないのだから。視点が認識を創 
   り、認識が経験を創る。認識があなたのために創った経験、それがあな
   たのいう‘真実'だよ。
 
   あなたの真実とは、実はあなたの経験だ。そのほかはすべて誰かがあな
   たに語ったにすぎない。それはあなたとは何の関係もないのだ」
 
  (客観的現実というものはないんですか?・・・ニールの質問)
  
  「ない。‘客観的現実'というのは言葉として矛盾している」
 
   (それじゃ、何事も見えている通りではないとおっしゃるんですか?)
 
  「その反対だよ。すべては見えているとおりだ。そして、どう見えるかは
   認識によって決まる。認識は視点によって決まるし、視点は客観的では
   ない。主観だよ。それはあなたが経験する何かではなく、あなた選び取
   る何かだ」(P119)
 
 **********************************
 
 いかがでしょうか。‘真実'とは‘認識される内容'のことですから、それが
 「何によって決まるのか」を知っていなければならないのです。
 
 それが「視点」だということです。そしてその「主観である視点」によって
 認識内容がどのようにも変わってしまう。
 
 
 ●視点により認識内容が変わることについての実例としては、前々回の私の
 投稿(11月22日)に書いておきましたので分かっていただけたかと思い
 ます。https://www.ascensionkan.com/mm/vol294.html
 
 二サルガさんの本「私は在る」の中では、「注意の焦点を移行」という言い
 方で、視点による認識の変化を説明しているところがあります。(P287下段
 〜P288上段)
 
 (質問者)「あなたが主体でも客体でもないと言われることで、正確には何
       を意味しているのか私には理解できません。・・・」
 
 に対する二サルガさんの応答がそれです。親指と人差し指が触れている例を
 あげ解説したあと、最後に「いかなる時間と空間の点においても、私はその
 両方であり、どちらでもなく、またその両方を超えていると表現するのだ」
 と締めています。
 
 
 ●「バシャール」の本の中では、このような視点関連の情報があります。
 
 ○「覚えておいてください。より高いレベルで見たとき、『これか、あれ』
 ではなく、常に『これと、あれ』なのです。つまり別の視点から見ると、ど
 ちらも真実なのです」(バシャール×スドウゲンキ P127)
 
 ○「<時間という経験>はリアルなものであり、皆さんは<時間という視点
 >からくる『つくりだす』という言葉を使うことができます。しかし、より
 高い視点から見ると<すべてが存在している>という概念になります。
 両方の概念を行ったり来たりして混乱を招いていることをおわびします。
 
 しかし私たちが二つの異なった視点の間を行ったり来たりしていること、そ
 して、ときにひとつの言葉が<時間のある経験>を表し、別の言葉が<時間
 のない経験>を表していることを理解してください」
                      (バシャール×坂本政道 P195ー196)  
            http://www.voice-inc.co.jp/content/book/352
 
 ニサルガさんも質問(者)に対応して、「対極の視点」からいろいろと発言
 しています。それが読者にとっては、ややこしさ、複雑さ、混乱を生んでし
 まっています。
 
 「人間と宇宙に関しての多くの理論について何が本物か?」という質問に対
 して二サルガさんは、
 
 ○「すべてが本物で、すべてが偽物だ。どれでもあなたの好きなものを選ぶ
 がいい」(P136下)
 
 といっています。これは「視点の対等性」と、認識事象の「意識状態として
 の対等性」という理解にもとづいて、「真実の対等性」を洞察しているから
 にちがいないでしょう。
 
 
 ●最後にリチャード・ラビンというアメリカ人が、「エクトン」という高次
 意識体をチャネルしているのですが、その情報についてすこし。
 
 スピリチュアマガジン「アネモネ」09.6月号に、アセンション特集で
 「エクトン」の長いメッセージが掲載されていました。その最後の方の部分
 を引用させてもらいます。http://www.anemone.net/product/1222
 
 ○「私の唯一の提案は、どんな概念であれ、あまり強くこだわりを持たない
 ようになさるといいでしょう。もし自分の見出したものこそ、絶対的な真実
 だと思い込んでしまうと、その時、振り出しに戻る可能性があります」
 
 
 以上です。ご参考になれば幸いです。ありがとうございました。
 
                                  AUM ハイアーセルフ33(KIN33)
                                  ご意見・ご質問 haurhi33@nifty.com
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ありがとうございました。

……まあ、夢のなかの個人としてはちょっと残念なんですが。

夢のなかですから、最近の言い方でいうKYならぬHWな方というのはどうし
てもいるわけですよね。

このメルマガは、タイトル副題に“「私は在る」に導かれ♪”とあるように、
「私は在る」を顕現世界からの唯一の出口の指標として標榜しています。

ニューエイジのエンティティたちとの比較・考量、ましてやそのお墨付きなど、
じつは最初からまったく問題にしていないのです。

前日まで毎日柏手を打ってお参りしていた神棚を、ある日突然、叩きつぶして
焼却炉で燃やしてしまうような個人が、はじめからそれなりのつもりも覚悟も
あってやっていることです。

ニサルガダッタの言葉に対するご質問には、この個人にわかる範囲で誠心誠意、
お答えしたつもりです。

ひたすら静かにお引き取りいただくことだけを願っていました。

個人なりにそのための時間も礼節も尽くしたと思っています。

しかし、HWな方に“様々な高次意識体や悟った存在の発言を理解するために、
特に重要な「基礎となるべき概念」”を講釈したいと言われたらどうするか?

黙って、講釈を掲載させていただくか?

もちろん、次々と講釈が続くことになるでしょう。

その方は「苦諦(くたい)」すら理解されていない方です。

なので「サットグル」と“ニューエイジのマスターたち”の識別もできないよ
うな善意の方です。

いや、黙って掲載させていただくことはできない、かといって修正もできませ
ん。それは経験ずみです。

その場合、夢のなかの個人としてはメルマガに引導を渡すか、どうしても引き
際がわからない方に引導を渡すか、どちらにするか決めるしかありません。

夢のなかの個人の今のなかでは、バシャールやラムサは単なる宇宙のどこかの
管理人にすぎません。

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 宇宙は行為であふれている。
 だが、そこに行為する者はいないのだ。
 そこには自己同一化によって行為していると想像している無数の小さな、そ
 して大きな、そしてとても大きな個人たちがいる。
                          『私は在る』(p418)
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さしずめEOさんなら、彼らのことを宇宙を維持する“医者たち”と呼んだこ
とでしょう。

いずれにしろ「(宇宙の仕組みを理解して)いい夢を見よう」というのが彼ら
の基本メッセージです。

もちろん、それぞれ有能で立派な方々であることに何の異存もありませんが、
宇宙からの出方を教えてくださる方々だとは思いません。

またこの方たちに教わっていい夢を見られるようになっても、だからといって
この幻想宇宙の苦悩ともだえが消失するわけでもありません。

すべての過去と未来は現在のなかにあるとは、まさに彼らの教えでもあるわけ
ですから。

この苦しみがじつは最初から存在しなかったことがわかるのは、夢から覚めて
からでしかありえません。

なので、この個人の今の基準では、覚者のメッセージに「夢から覚めなさい」
以外のものはありえないのです。

というわけですので、“宇宙の外も宇宙内部のどこかの位置と完全に対等”と
いうような理解と妥協する余地など最初からありえないわけです。

夢のなかの個人の今における結論を言います。

できればハイアーセルフ33さん自身にやめていただきたかったですが、無理
なようなので、こちらできめさせていただきました。

ハイアーセルフ33さんのこの手のご投稿がこのメルマガに掲載されることは
これからはありません。

ただし、それではあまりにもアンフェアだとお考えになるだろうこともわかっ
ているので、あと一回、どうぞお好きなことをお書きください。

どんなことをお書きになっても、これまでと同様、掲載いたします。

この個人がそれを論評することはありません。

ですから最後はハイアーセルフ33さんの発言で終わります。

そしてそれがこの手のご投稿がこのメルマガに掲載される最後です。

もちろん、その他の情報投稿はいつでもご自由に。

思うに……ハイアーセルフ33さんは生徒が必要な方なのだと思います。

以前にも言いましたが、是非ご自分のメルマガで思う存分その論旨を展開され
ることをお勧めします。

その節は、お知らせいただければここでもご紹介します。

お気に召さない言葉もあったと思いますが、どうぞご容赦ください。<(_ _)>

ありがとうございました。

m(_ _)m

        …………○…………○…………○…………


『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

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http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518

        …………○…………○…………○…………



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■ 4.編集後記:もう少し延命することになっていたようです。(^_-)
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このメルマガはもう少し延命することになっていたようです。(^_-)

まあ、それもいいでしょう。

『アシュターヴァクラ・ギーター』でも、

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 努力をしようと休もうと
 
 得るものも失うものもない
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ということだそうですから……何より安心ですよね。

では、おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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