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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.298 2009/12/20(第298号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 952名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.無知にははじまりがない

2.写経ニサルガダッタ:
     【71 自己覚醒の中で、あなたは自分自身について学ぶ】の3回目

3.編集後記:書き継げるスタンスができつつあるような……
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■ 1.無知にははじまりがない
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今日もすばらしい天気……。

遠くの方に……冬雲かなぁ……まるで低めの積乱雲みたいな白い雲が……南の
低い稜線の向こう側に浮かんでいる。

上方は……ただただ広がる冬の青空……。

まったくの無風ではないけれど……ほとんど樹々の枝はゆれていない。

眼下の川はチロチロと日の光を照り返して……銀竜のように身をくねらせて南
に登っていく……。

見慣れた……夢のなかの……そして穏やかな光景です。

でもこんなに穏やかな小春日和は……夢のなかでも……この近辺だけなのかも
しれませんね。

今日は、けっこう、雪のところが多いそうですから……。

でも……たとえまわりの光景がどんなに寒かろうと……荒れていようと……見
ているわれわれ自身は……不動の平安そのものなんですよね。

そうでなければ……変化の絶えない光景を……映し出しようもないわけだから。

(^^;)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

初っぱなからですけど。(*^_^*)

いま、本をぱっと開いたら……こんなところがでてきました。

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 理解しようとしてはならない
 誤解しなければそれで充分だ。
 解放を得るためにマインドに頼ってはいけない。
 あなたを束縛へと追いやったのはマインドなのだ。
 それをすべて超えていきなさい。
 
 はじまりのないものに原因はありえない。
 あなたは、あなたが何であるかを知っていて、それから忘れてしまったわけ
 ではない。
 ひとたび知れば、あなたは忘れることはできない。
 無知にははじまりがない。
 しかし、終わりはある。
 
 誰が無知なのか、と探求しなさい。
 そうすれば、無知は夢のように溶け去る。
 世界は矛盾でいっぱいだ。
 それゆえ、あなたは調和と平和を探しているのだ。
 それらを世界のなかに見いだすことはできない。
 世界とは混沌(こんとん)の子供だからだ。
 秩序を見いだすためには、あなたは内面を探求しなければならない。
 あなたが身体の中に生まれて、はじめて世界は存在を表す。
 身体がなければ、世界はない。
 まずあなたが身体なのかどうか、探求しなさい。
 世界を理解することは、後にそれにしたがってやってくるだろう。
 
                          『私は在る』(p224)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

……。(-_-)

しかし、考えてみると……、

> 無知にははじまりがない。
> しかし、終わりはある。

って、珍しい表現ですよね。

通常は、“はじまりのあるものには、終わりがある”とか、“どこかで始まっ
たものなら、いつか終わるだろう”とか言うわけでしょ。

たとえば、

----------------------------------------------------------------------
 はじまりあるものは終わらなければならない。
 はじまりのないものだけが無窮(むきゅう)なのだ。
                          『私は在る』(p195)
----------------------------------------------------------------------

とか、

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 生まれたものは死なねばならない。
 生まれなかったものは死ぬことはできないのだ。
                          『私は在る』(p289)
----------------------------------------------------------------------

とかって……そういう感じです。

「はじまり」と「終わり」、「誕生」と「死」は、だいたい対になっているも
のですよね。

ところが、

> 無知にははじまりがない。
> しかし、終わりはある。

です……。(-_-)

これは唯一の例外ですよ。

「はじまり」がないのに……「終わり」がある……。

これって……意味深ですよねぇ。(-_-;)

ということは……「無知」は始まっていない……ということなのかしら。(?_?)

あるいは、とおの昔に終わってしまった“古いゲーム”……。(?_?) 

じつは……「無知」は存在していない……とか……。(@_@)

(^_-)

まあ、まあ、そう先走らないで、ゆっくり行きましょうか。

「はじまり」と「終わり」があるもののひとつの代表は……さしずめ「宇宙」
だけど……。

----------------------------------------------------------------------
 はじまり、そして終わるもの、それはただの現れにすぎない。
 世界は現れるとは言えても、存在するとは言えない。
 その現れは、ある時間の比率においては非常に長い間続くだろうが、ほかの
 比率では非常に短いかもしれない。
 だが、結局は同じことだ。
 何であれ時間の範囲内にあるものは、はかなく実在性がない。
 
                           『私は在る』(p37)
----------------------------------------------------------------------

そうか……。

> はじまり、そして終わるもの、それはただの現れにすぎない。

これが大原則なんだ……。(-_-)

だから、

> 世界は現れるとは言えても、存在するとは言えない。

ということになるわけか。

なるほどなぁ。

ところで、「世界」って、ニサルガ師匠的にはいったい何なんだろう? (?_?)

----------------------------------------------------------------------
 世界とはマインドの表面だ。
 そしてマインドは無限なのだ。
 私たちが想念と呼ぶものは、マインドのなかのさざ波にすぎない。
 マインドが静かなとき、それは実在を反映する。
 マインドが徹底的に不動であるとき、それは消え去り、ただ実在だけが残る
 のだ。
 この実在は非常に堅固であり、現実であり、マインドや物質よりも実質的な
 ものだ。
 それに比べればダイヤモンドさえもバターのように柔らかい。
 この圧倒的な実在の現実性が、世界を夢のように霧のかかった無意味なもの
 にするのだ。
                          『私は在る』(p503)
----------------------------------------------------------------------

おお……。(@_@)

> 世界とはマインドの表面だ。
> そしてマインドは無限なのだ。
> 私たちが想念と呼ぶものは、マインドのなかのさざ波にすぎない。

なるほど……。

「世界」が“見える”ためには“マインドの表面”が波立っていなければなら
ないわけか……。(-_-)

“生命の大海”という言い方があるけれど、それが目に見える世界として現れ
るためには、いわば“表面”が波立たなければならない……。

たしかに、「現象」を可能にするには「識別」が必要だし、「識別」を可能に
するには「変化」が不可欠なわけだけど……。(-_-;)

ということは……“生命の大海”の表面が“凪いだ”ら……。

> マインドが静かなとき、それは実在を反映する。

そこにサットヴァが勝った意識が映し出されるわけか……。

ということは……“生命の大海”が完璧に不動の透明の鏡のようだったら……。

そうか!、「世界」の存在は認識できなくなるんだ。(@_@)

> マインドが徹底的に不動であるとき、それは消え去り、ただ実在だけが残る
> のだ。

顕現は消えて……非顕現だけが残る……。

それが「蛇」と「ロープ」という喩えで表現されていたことか……。

「蛇」が見えているかぎり……「ロープ」は見えない……と。

むろん、個々の“波”は識別を可能にするためのたんなる一時的な“現れ”に
すぎない。

波の“頂点”と“底辺”とは、(識別に必要な)変化の振幅を定義するための
たんなる二極にすぎないわけだから……。(-_-;)

“頂点の波(たとえば、勝者)”と“底辺の波(たとえば、敗者)”というよ
うな個別の存在がいるわけじゃなし……。

一瞬前に押し上げられて“絶頂”となった水は、次の瞬間には“奈落の底”に
落ちなければならない……。

----------------------------------------------------------------------
 苦痛と快楽は起こる。
 だが、苦痛は快楽の値段であり、快楽は苦痛の報酬なのだ。
 
                          『私は在る』(p182)
----------------------------------------------------------------------

なんと……。(>_<)

でも……、そんなこと、“波”になって(自己同化して)いる間は、覚えてい
られないよなぁ。

だってもしそんなことを覚えていられたら、それじゃ子供の“シーソー遊び”
と同じになっちゃうもの。

自分が高くあがっているのは相手が低くなってくれているからで、それは次に
自分が低くなって相手を高く上げるためなんだって……。

……子供だって、いつまでも“シーソー遊び”なんてしてられないよ。

そんなもの卒業して、もっと“入れ込み”が可能な、もっと“本格的な遊び”
がしたくなる。

だから……自己同化かぁ……。

そしてそのための……“分離の幻想”というわけかぁ……。(*-_-*)

そうやった……挙げ句の果てに……。

----------------------------------------------------------------------
 人生のなかでも、しばしばあなたは傷つけることで喜び、喜ばすことによっ
 て傷ついている。
                          『私は在る』(p182)
----------------------------------------------------------------------

(*-_-*)

……。(/_;)

(@_@)

となると……。

----------------------------------------------------------------------
 苦痛と快楽がひとつだと知ることが平和なのだ。
                          『私は在る』(p182)
----------------------------------------------------------------------

……そういうわけかぁ。

そうそう、

> 無知にははじまりがない。
> しかし、終わりはある。

って、ところから話は始まったんだった。

> 誰が無知なのか、と探求しなさい。
> そうすれば、無知は夢のように溶け去る。

って。

「誰が無知なのか」って……。

“わたし”が無知なわけだけど……。(-_-;)

> 無知も幻想も、けっしてあなたには起こらなかったのだ。

なぬ! (*_*)  ⌒★?

「無知も幻想も、けっしてわたしには起こらなかった」……。

「無知も幻想も」、けっして実在するわたしには起こっていない……。

> あなたが無知と幻想をもつと見なす、その自己を見いだしなさい。

“その自己”を見いだしなさい……。

> そうすればあなたの質問は答えられるだろう。

はい。

> あなたはあたかも自己を知っているかのように話し、それが無知と幻想に揺
> り動かされているかのように見ている。

はい。(*-_-*)

> だが実際には、あなたは自己を知らず、己の無知にも気づいていないのだ。

はい。

> 気づきなさい。

(-_-)

> これがあなたを自己へと連れていくだろう。

はい。

> そうすればあなたは無知も妄想もなかったことを認識するだろう。

“わたし”は“生命の海”のひとつの“波”(身体)に自己同化した観照者。

いわゆる“個人”と呼ばれるもの。

行為する“個人”として現象の海に現れるかぎり非在であり、

「観照者」としてただ「見る者」で在るかぎり……実在を反映する……。(-_-)

> それは、「光あるところ、いかにして闇あらん」という格言のようなものだ。

マインド゙の雲に覆われたがために……途方に暮れ……懸命にマインドの雲のな
かに自らを探し求めている……。

マインド゙の雲が晴れるまで……ジタバタせずに……じっと待つしかない。

----------------------------------------------------------------------
 どんなに日の光が強くとも、石の下には影ができるように、「私は身体だ」
 という意識の影のなかには、無知と幻想がかならず現れるのだ。
 
                        『私は在る』(p361-362)
----------------------------------------------------------------------

“「私は身体だ」という意識の影のなかには”……。

……。(-_-)

わかりました。(-||-)

----------------------------------------------------------------------
 あなたはけっして生まれなかったし、けっして死ぬこともないだろう。
 生まれて、そして死んでいくのは観念であり、あなたではないのだ。
 あなた自身を「私は生まれた」という想念と同一化することで、あなたは死
 をまぬがれない者となる。
 映画のなかではすべてが光であるように、意識が広大な世界となるのだ。
 よく見てみなさい。
 すべての名前と形は、意識の大海のはかない波にすぎず、ただ意識だけが存
 在するのだ。
                          『私は在る』(p410)
----------------------------------------------------------------------

……。(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.写経ニサルガダッタ:
     【71 自己覚醒の中で、あなたは自分自身について学ぶ】の3回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今回も、ニサルガ師匠ならではの辛口の言葉が続きます。

たとえば、質問者の「なぜ、私の信頼は弱いのでしょうか?」という問には、
 
> 欲望や恐れがあなたのマインドを鈍くしてしまったのだ。
> それには洗い落としが必要だ。

“身も蓋もない”適切さです。(;_;)

また「どうすればマインドをきれいにできるのでしょうか?」という問には、
 
> 容赦なく、それを見守ることによってだ。
> 不注意が鈍くさせ、注意が明晰にさせるのだ。

という……じつに簡潔きわまりない処方が提示されます。

われわれ……“自分”に都合のいいことにも……“自分”に都合の悪いことに
も……目をつぶるもんですよね。(*-_-*)

やだ……もう。(;_;) (←アホか、遅いって。(^_-) )

では、【71 自己覚醒の中で、あなたは自分自身について学ぶ】の3回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 しかし、どうして身体意識は存在のなかに現れたのでしょうか?
 
 マハラジ
 「なぜ」や「どうして」を尋ねてはならない。
 それ自身を創造と同一化することは、創造的想像の本性なのだ。
 あなたは注意をそらすことで、あるいは究明することによって、いつでもそ
 れを止めることができる。
 
 質問者 創造は究明する前に現れるのでしょうか?
 
 マハラジ
 はじめに、あなたが世界をつくり出すのだ。
 それから、「私は在る」が個人となる。
 彼はさまざまな理由から幸福ではないのだ。
 彼は幸福を探し求めて外へと出ていき、ひとりのグルに出会う。
 そしてグルは彼に言うのだ。
 「あなたは個人ではない。あなたとは誰なのかを見いだしなさい」と。
 彼はそれを為(な)し、彼方へと超えていくのだ。
 
 質問者 なぜ彼は最初からそうしなかったのでしょうか?
 
 マハラジ
 それは彼には起こらなかった。
 彼にはそれを言ってくれる誰かが必要だったのだ。
 
 質問者 それで充分だったのですか?
 
 マハラジ
 それは充分だった。
 
 質問者 なぜ、それはわたしの場合そう起こらないのでしょう?
 
 マハラジ
 あなたが私を信頼しないからだ。
 
 質問者 なぜ、私の信頼は弱いのでしょうか?
 
 マハラジ
 欲望や恐れがあなたのマインドを鈍くしてしまったのだ。
 それには洗い落としが必要だ。
 
 質問者 どうすればマインドをきれいにすることができるのでしょう?
 
 マハラジ
 容赦なく、それを見守ることによってだ。
 不注意が鈍くさせ、注意が明晰にさせるのだ。
 
 質問者 どうして、インドの師たちは無為を唱道するのでしょうか?
 
 マハラジ
 ほとんどの人びとの行為は、あからさまに破壊的でないにしても、無価値な
 のだ。
 欲望と恐れに支配され、彼らは何も適切なことができない。
 悪を為さないことが善をはじめることに先立つ。
 それゆえ、すべての活動をひとまず止める必要があるのだ。
 人の衝動とその動機を調べ、人生のなかでそれらはみな偽りであることを見
 て、あらゆる悪のマインドを清浄にし、その上でようやく自分の明白な義務
 から仕事を再開するのだ。
 もちろん、もしあなたが誰かを助ける機会があるなら、ぜひそうしなさい。
 それも敏速にしなさい。
 あなたが完全になるまで彼を待たせる必要はない。
 だが、善行を職業にしてはいけない。
 
 質問者 弟子たちの間にそれほど多くの善行をする人たちがいるようには見
     受けられません。私の出会ったほとんどが、自分の取るに足りない
     葛藤(かっとう)に没頭しています。彼らには他者を想う気持ちが
     ないのです。
 
 マハラジ
 そのような利己主義は一時的なものだ。
 そのような人びとに対して忍耐強くありなさい。
 長年、彼らは彼ら自身以外のすべてに注意を払ってきたのだ。
 ときには、彼らの注意を彼ら自身に向けさせようではないか。
 
 質問者 自己覚醒の成果とは何でしょうか?
 
 マハラジ
 あなたはより知的に成長するのだ。
 気づきのなかであなたは学ぶ。
 自己覚醒のなかで、あなたは自分自身について学ぶのだ。
 もちろん、あなたはあなたではないものだけを学ぶことができる。
 あなたが何であるのかを知るには、マインドを超えた彼方へ行かなければな
 らない。
 
 質問者 気づきはマインドの彼方にあるのではないでしょうか?
 
 マハラジ
 気づきとはマインドがそれ自身の彼方にある実在のなかへ届こうとする点な
 のだ。
 気づきのなかで、あなたはあなたを喜ばすものを探すのではなく、真実なる
 ものを探すのだ。
 
                        『私は在る』(p362-363)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 しかし、どうして身体意識は存在のなかに現れたのでしょうか?

この質問者の問は、ニサルガダッタの前回最後の言葉、

「どんなに日の光が強くとも、石の下には影ができるように、『私は身体だ』
 という意識の影のなかには、無知と幻想がかならず現れるのだ」

に応じて出されたものです。

> マハラジ
> 「なぜ」や「どうして」を尋ねてはならない。

もしかしたら、「なぜ」や「どうして」は、マインドのなかのトリックだから
かもしれませんね。

マインドのなかのトリックを使って、マインドの外に出ることを期待すること
はできない。

> それ自身を創造と同一化することは、創造的想像の本性なのだ。

そうか……。

創造力に富んだ想像力というのは、自分で想像しておいてその創造物に成りき
る能力をもっているんだ。

> あなたは注意をそらすことで、あるいは究明することによって、いつでもそ
> れを止めることができる。

たしかに……。

でも、“注意をそらすこと”が本当に有効だというメッセージは、マインドの
なかからは生まれてこない。(-_-)

サットグルの言葉のなかからしか……。

> 質問者 創造は究明する前に現れるのでしょうか?

うーむ。

> マハラジ
> はじめに、あなたが世界をつくり出すのだ。

なるほど。

> それから、「私は在る」が個人となる。

そうか……。

> 彼はさまざまな理由から幸福ではないのだ。

たしかに。

> 彼は幸福を探し求めて外へと出ていき、ひとりのグルに出会う。

はい。(@_@)

> そしてグルは彼に言うのだ。
> 「あなたは個人ではない。あなたとは誰なのかを見いだしなさい」と。

なるほど。

> 彼はそれを為(な)し、彼方へと超えていくのだ。

ずいぶん、簡単そうに言うなぁ。(*^_^*)

> 質問者 なぜ彼は最初からそうしなかったのでしょうか?

おお、なかなかウィットに富んだ質問だなぁ。

> マハラジ
> それは彼には起こらなかった。

あ、ご自分のことをおっしゃっているのかな。

> 彼にはそれを言ってくれる誰かが必要だったのだ。

はい。

いや、じっさい、“わたし”にもそれを言ってくれる誰かが必要でした。

> 質問者 それで充分だったのですか?

うん、そうしなきゃね。

> マハラジ
> それは充分だった。

はい。

> 質問者 なぜ、それはわたしの場合そう起こらないのでしょう?

ふ。(*-_-*)

> マハラジ
> あなたが私を信頼しないからだ。

まったく。(-_-)

> 質問者 なぜ、私の信頼は弱いのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> 欲望や恐れがあなたのマインドを鈍くしてしまったのだ。

そうかぁ。(*-_-*)

> それには洗い落としが必要だ。

はい。

たしかに……、おっしゃるとおりです。(*-_-*)

> 質問者 どうすればマインドをきれいにすることができるのでしょう?

そうそう。(@_@)O

> マハラジ
> 容赦なく、それを見守ることによってだ。

難しい……。(-_-;)

> 不注意が鈍くさせ、注意が明晰にさせるのだ。

あああ……、そういうことなんですか。

> 質問者 どうして、インドの師たちは無為を唱道するのでしょうか?

うん。

この方、ウェスタンかな。

> マハラジ
> ほとんどの人びとの行為は、あからさまに破壊的でないにしても、無価値な
> のだ。

お。(@_@)  ⌒★?

> 欲望と恐れに支配され、彼らは何も適切なことができない。

なるほど。(*-_-*)

> 悪を為さないことが善をはじめることに先立つ。

そういうわけなんだ……。

> それゆえ、すべての活動をひとまず止める必要があるのだ。

わかりました。(-_-;) (←ホントに? (^_-) )

> 人の衝動とその動機を調べ、人生のなかでそれらはみな偽りであることを見
> て、あらゆる悪のマインドを清浄にし、その上でようやく自分の明白な義務
> から仕事を再開するのだ。

なるほど。(*-_-*)

そうなのか……。

> もちろん、もしあなたが誰かを助ける機会があるなら、ぜひそうしなさい。

いや……、そんな。(*-_-*)

> それも敏速にしなさい。

ああ……。

> あなたが完全になるまで彼を待たせる必要はない。

なるほど。

> だが、善行を職業にしてはいけない。

……。(-_-;)

(-||-)

> 質問者 弟子たちの間にそれほど多くの善行をする人たちがいるようには見
>     受けられません。私の出会ったほとんどが、自分の取るに足りない
>     葛藤(かっとう)に没頭しています。彼らには他者を想う気持ちが
>     ないのです。

ま、“他人(ひと)”のことは、結構、キツイことも言えるわけだけど。

> マハラジ
> そのような利己主義は一時的なものだ。
> そのような人びとに対して忍耐強くありなさい。

はい。

> 長年、彼らは彼ら自身以外のすべてに注意を払ってきたのだ。
> ときには、彼らの注意を彼ら自身に向けさせようではないか。

わかります。

「なんなら、あなたもそうしてみてはどうかね?」とか。(*@_@*)\ゴン(\/U)

> 質問者 自己覚醒の成果とは何でしょうか?

うん?

> マハラジ
> あなたはより知的に成長するのだ。

はあ。(=_=)

> 気づきのなかであなたは学ぶ。

はい。

> 自己覚醒のなかで、あなたは自分自身について学ぶのだ。

はい。

> もちろん、あなたはあなたではないものだけを学ぶことができる。

あ、はい。(@_@)

> あなたが何であるのかを知るには、マインドを超えた彼方へ行かなければな
> らない。

わかりました……、そういうことですね。

> 質問者 気づきはマインドの彼方にあるのではないでしょうか?

たしかに。

> マハラジ
> 気づきとはマインドがそれ自身の彼方にある実在のなかへ届こうとする点な
> のだ。

おお。(@_@)

> 気づきのなかで、あなたはあなたを喜ばすものを探すのではなく、真実なる
> ものを探すのだ。

(*_*)  ⌒★?

しっかし……そういうことか。(-_-;)

……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
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もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

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        …………○…………○…………○…………


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■ 3.編集後記:書き継げるスタンスができつつあるような……
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なんか自分なりに書き継げるスタンスができつつあるような気もします。

誰が書いているのかは知りませんが……そんなことを決めつける必要もなし。

別に世間的に言って……悪いことをしているわけでもなし……。

まあ……試行錯誤しながら……やっていきましょう。

今日も、遠い山の端に暮れ残る赤い光のなかで終えました。

では、おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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