━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆ 『アセンション館通信』vol.300 2010/1/3(第300号)
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☆☆ ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))
マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;
内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 950名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.マインドは放っておきなさい
2.写経ニサルガダッタ:【70 神はすべての欲望と知識の終焉だ】の1回目
3.「ご投稿・情報提供」:ドン・ガバチョさん
4.編集後記:一回一回……手探りで行くしかないと思っています。
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■ 1.マインドは放っておきなさい
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マインドは単純なことを複雑にしたい。
複雑にすればするほど、マインドは五里霧中の世界に入っていけます。
そうすれば、マインドはすぐに何が何やらわからなくなって、とりあえず悩み
続けることができる。
それで元の木阿弥です。
でも……事実はとても単純です。
事実は“マインドへの中毒症状”があるだけです。
この“マインド中毒”から醒めるための指針を……マインドのなかで模索する
ということ自体……もともととても欺瞞に満ちた営為です。
「“わたし”は静かになりたい」という言葉は……じつは誤魔化しでしかない。
本音を言えば……誰が考えても「“わたし”は静かにはなりたくない」……。
静かになったら……マインドは終わるわけですから。
だからマインドは……必死で“静かになるための口実”をマインドのなかで探
す振りをする。
「“わたし”は静かになりたい」……と。
事実は……情報飢餓に陥りかけたマインドは……“溺れる者、藁をも掴む”思
いで……手当たり次第に新規な情報を求めているだけです。
そしてどんな情報にでも食らいついて……ひとまず窒息をまぬかれる。
「“わたし”は静かになりたい」……は嘘ですね。(=_=)
マインドが放つ……目眩まし。
騙されるのは“自分”しかいない……。(-_-;)
静かになりたければ……静かになるしかない……。
見も蓋もない話です。(;_;)
かくて、自己矛盾を露呈しつつ……いましばらく“人畜無害”“自分に有害”
(かもしれない)お喋りを続けて参りましょう。(^_-)
(*^_^*)
というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/
みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?
夢のなかで年が変わったからと言って、いかなる状況も変わったわけではなさ
そうです。
顕現世界(=マインド)のなかで変化は絶えざるものであり、またマインド内
のどんな変化もわれわれを不動に導くことはないわけですから。
マインドから自由になるには、いったいどれくらいの時間がかかるのか?
ニサルガダッタの答えはシンプルです。
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それには千年の時がかかるかもしれない。
だが、本当は時間は必要としないのだ。
あなたに必要なのは、絶対的に真剣になることだ。
ここでは意志が実行だ。
もし真剣ならば、それはあなたのものだ。
結局、それは態度の問題なのだ。
『私は在る』(p366)
http://tinyurl.com/s747u
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ウーム。(-_-;)
> だが、本当は時間は必要としないのだ。
> あなたに必要なのは、絶対的に真剣になることだ。
(>_<)
しっかし、マインドの修正とか、変更、消去といった問題はないのかしら?
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絶対にない。
マインドは放っておきなさい。
それだけだ。
それについていってはならない。
結局、あなたの法則ではなく、それ自体の法則に従って去来する想念を離れ
て、マインドというものは存在しないのだ。
ただあなたが興味を持つために、マインドに支配されてしまうのだ。
『私は在る』(p366)
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……。(-_-;)
そうか……。
マインドを消去する……というようなことはないんだ。
マインドはマインドの勝手な法則性にしたがって、永遠に、点滅、去来してい
るだけなのか……。
> ただあなたが興味を持つために、マインドに支配されてしまうのだ。
そうか……。
静かになるために理屈はいらない……。
そんなものは無用なんだ。(-_-)
去来するマインドに関係なく、ただ静かにしていればいいだけなんだ……。
それにしても……、静かであることの価値をマインドが認める必要はあるのじ
ゃないかしら……。
あ……そうか……、それが“沈黙の価値をマインドに保証してもらおう”とす
ることなのか……。(*-_-*)
そうすると、マインドは元気になって、“沈黙の価値を説得する”理屈をごま
んと吐き出しながら……沈黙だけは避けることができるわけか……。
それにしても……いかなる思考にもシンクロしないというような状態が……い
ったい自然な状態なのかどうか……。(=_=)
> いかなる特定の思考もマインドの自然な状態ではない。
(*@_@*)
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ただ、沈黙だけが自然な状態だ。
沈黙という概念ではなく、沈黙そのものだ。
マインドが自然な状態にあるとき、すべての体験の後に、自発的にそれは沈
黙へと立ち返る。
あるいはむしろ、沈黙の背景に対してすべての体験が起こるのだ。
『私は在る』(p260)
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> ただ、沈黙だけが自然な状態だ。
「沈黙だけが自然な状態」……。
> 沈黙という概念ではなく、沈黙そのものだ。
「沈黙という概念ではなく、沈黙そのもの」……だけど。(*-_-*)
(;_;)
そんなこと言ったって……またすぐ想念が起こってくるけど……。(;_;)
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放っておきなさい。
闘ってはいけない。
それについて何もしないことだ。
それが何であれ、あるがままにしておきなさい。
抗うこと自体がそれに生命を与えるのだ。
ただ無視しなさい。
見過ごすのだ。
「何であれ、私が在るゆえに起こるのだ」ということを思い出すことを覚え
ていなさい。
すべてはあなたが在るということを思い起こさせる。
体験するにはあなたがいなければならないということを充分利用するがいい。
関心をもたないことが自由をもたらすのだ。
しがみつかないこと、それだけだ。
世界は無数の輪(リング)でできている。
それに引っかける鉤(フック)はみなあなたのものだ。
あなたの鉤をまっすぐにしなさい。
そうすれば何もあなたを捕らえることはできないだろう。
あなたの耽溺を放棄しなさい。
ほかに何も放棄するものはない。
常習的な利欲心、結果を探し求める習慣を止めなさい。
そうすれば自由の世界はあなたのものだ。
努力せずに在りなさい。
『私は在る』(259-260)
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> 「何であれ、私が在るゆえに起こるのだ」ということを思い出すことを覚え
> ていなさい。
わかりました。
> 常習的な利欲心、結果を探し求める習慣を止めなさい。
難しいです……。(/_;)
……。
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【70 神はすべての欲望と知識の終焉だ】1回目
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この章のタイトルは、とても端的な感じもします。
「神はすべての欲望と知識の終焉」……。
それは……“知られるもの”を知り尽くそうとする果てしない努力の末に……
たどり着くところなのか……。
ところが……ニサルガダッタは不思議なことを言います。
> 完成を知ることはできない。
> あなたは未完成だけを知ることができるのだ。
と。
結局……自分自身を“知る”ことはできない。
自分自身としては……「在る」ことができるだけ。
> そのアプローチ全体が理解を通してのものだ。
> それは偽りを偽りとして見るというものだ。
“偽りを偽りとして”見るなら……“知られるもの”がすべて非在であること
を理解するなら……できることはすべてやったということのようです。
では、【70 神はすべての欲望と知識の終焉だ】の1回目です。
(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
願っています。(-||-) )
最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。
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マハラジ
あなたはどこから、何のために来たのかね?
質問者 私はアメリカから来ました。そして、私の友人はアイルランドから
来ました。私は6カ月前に来て、アーシュラムからアーシュラムへ
と旅してきました。私の友人はひとりで来たのです。
マハラジ
あなたは何を見てきたのだろうか?
質問者 私はシュリー・ラマナアシュラムにいました。またリシケーシも訪
れました。シュリー・ラマナ・マハルシについてのあなたの意見を
うかがえるでしょうか?
マハラジ
私たちはともに、同じ原初の状態のなかにいる。
しかし、あなたはマハルシの何を知っているのかね?
あなたはあなた自身を名前と身体だと見なしている。
だから、あなたの知覚するものすべては名前と身体なのだ。
質問者 もしあなたがマハルシに出会うならば、何が起こるでしょうか?
マハラジ
おそらく、私たちはまったく幸せに感じるだろう。
二、三の言葉を交わしさえするかもしれない。
質問者 しかし、彼はあなたを解脱した人として認識するでしょうか?
マハラジ
もちろんだ。
人が人を認識するように、ジニャーニはジニャーニを認識するのだ。
あなたはあなたが体験したことのないものを賞賛することはできない。
あなたはあなた自身であると考えているものだ。
だが、あなたはあなたが体験していないものをあなた自身として考えること
はできないのだ。
質問者 技師になるためには工学を学ばなければなりません。神となるため
には何を学ばなければならないのでしょうか?
マハラジ
あなたはすべてを忘れなければならない。
神はすべての欲望と知識の終焉なのだ。
質問者 あなたは、単に神になろうとする欲望を放棄することで、私が神に
なると言われるのでしょうか?
マハラジ
すべての欲望が放棄されなければならない。
なぜなら欲望を持つことで、あなたはあなたの欲望の形を取るからだ。
何の欲望も残っていないとき、あなたは自然な状態へと戻るのだ。
質問者 私が完成に到達したということを、どうやって知るのでしょうか?
マハラジ
完成を知ることはできない。
あなたは未完成だけを知ることができるのだ。
知識が存在するには、そこに分離と調和がなければならない。
あなたはあなたではないものを知ることができる。
だが、あなたの真の存在を知ることはできないのだ。
あなたはあなたであるものとしてだけ在ることができる。
そのアプローチ全体が理解を通してのものだ。
それは偽りを偽りとして見るというものだ。
しかし理解するために、あなたは外側から観察しなければならない。
質問者 ヴェーダーンタのマーヤー、幻想の概念は、顕現にあてはめられま
す。それゆえ、私たちの顕現の知識は信頼できません。しかし、非
顕現の知識は信頼できるはずです。
マハラジ
非顕現の知識といったものはない。
それは不可知だ。
知ることができるのは現実のものだけなのだ。
質問者 どうして、知る者が知られないまま残るのでしょう?
マハラジ
知る者は知られるものを知っている。
あなたは知る者を知っているだろうか?
誰が知る者を知る者なのだろうか?
あなたは非顕現を知りたいと言う。
あなたは顕現を知っていると言えるだろうか?
質問者 私はものごとと概念を、そしてそれらの関係を知っています。それ
らの総計が私のすべての経験なのです。
マハラジ
すべて?
質問者 ええ、すべての現実の体験です。現実に起こらなかったことを知る
ことができないのは認めます。
マハラジ
もし顕現がすべての現実体験と体験者の総計であるなら、その合計のどれほ
どをあなたが知っていると言うのだろう?
質問者 私自身に関係する感覚的な体験のいくらかです。
マハラジ
それでさえもない。
あなたはあなたが反応することだけを知っている。
誰が何に反応するかを知ってはいない。
あなたは、「私は在る」に接触することであなたの存在を知るのだ。
「私はこれだ」「私はあれだ」は想像なのだ。
『私は在る』(p353-354)
http://tinyurl.com/s747u
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(-||-)
> マハラジ
> あなたはどこから、何のために来たのかね?
>
> 質問者 私はアメリカから来ました。そして、私の友人はアイルランドから
> 来ました。私は6カ月前に来て、アーシュラムからアーシュラムへ
> と旅してきました。私の友人はひとりで来たのです。
>
> マハラジ
> あなたは何を見てきたのだろうか?
ここまで質問者に対する打診でしょうね。
> 質問者 私はシュリー・ラマナアシュラムにいました。またリシケーシも訪
> れました。シュリー・ラマナ・マハルシについてのあなたの意見を
> うかがえるでしょうか?
うん。
> マハラジ
> 私たちはともに、同じ原初の状態のなかにいる。
「原初の状態」……という言い方をするんですね。
> しかし、あなたはマハルシの何を知っているのかね?
ふふ。
> あなたはあなた自身を名前と身体だと見なしている。
> だから、あなたの知覚するものすべては名前と身体なのだ。
まあ、言葉を聞かなくても、ここまでは自明にわかるわけですよね。
“自分”「自身を名前と身体だと見なしている」かぎり、その個人が「知覚す
るものすべては名前と身体」ということになるらしいですね。
> 質問者 もしあなたがマハルシに出会うならば、何が起こるでしょうか?
よくある質問のひとつです。
> マハラジ
> おそらく、私たちはまったく幸せに感じるだろう。
> 二、三の言葉を交わしさえするかもしれない。
覚者たちは、だいたいこういうことを答えるようです。
> 質問者 しかし、彼はあなたを解脱した人として認識するでしょうか?
はは。(^^;)
ラマナ・マハルシに関しては完全に信頼しているけれど、マハラジについては
いまいちどうなのか……(-_-;)、と思っているのかもしれませんね。
> マハラジ
> もちろんだ。
> 人が人を認識するように、ジニャーニはジニャーニを認識するのだ。
はい。
> あなたはあなたが体験したことのないものを賞賛することはできない。
わかります。
> あなたはあなた自身であると考えているものだ。
これがいわゆる“想像の力”なんでしょうね。
> だが、あなたはあなたが体験していないものをあなた自身として考えること
> はできないのだ。
はい、わかります。
> 質問者 技師になるためには工学を学ばなければなりません。神となるため
> には何を学ばなければならないのでしょうか?
ちょっと、質問を切り替えました。
> マハラジ
> あなたはすべてを忘れなければならない。
すべての“思いこみ”(=想像)を手放さなければならない。
> 神はすべての欲望と知識の終焉なのだ。
そうか……。(-_-)
「神」とは「すべての欲望と知識」が不可逆的に終わった状態のことか……。
> 質問者 あなたは、単に神になろうとする欲望を放棄することで、私が神に
> なると言われるのでしょうか?
うん。
> マハラジ
> すべての欲望が放棄されなければならない。
はい。
> なぜなら欲望を持つことで、あなたはあなたの欲望の形を取るからだ。
おお……。
欲望のマインドに気づきの光が当たれば、そのマインドは物質化するわけか。
そう言えば、いったん創造された欲望はエレメンタルと言って、それが物質化
(いわば“自己実現”)するまで解体しないと聞いたことがあるけど……。
> 何の欲望も残っていないとき、あなたは自然な状態へと戻るのだ。
いかなるエレメンタルも抱えていないとき、個人は解体するわけか……。
> 質問者 私が完成に到達したということを、どうやって知るのでしょうか?
うん。
> マハラジ
> 完成を知ることはできない。
(@_@)
そ、そうなんだ……。
> あなたは未完成だけを知ることができるのだ。
なんと! (@_@)
知ることができるものは、すべて未完成の姿なのか……。
> 知識が存在するには、そこに分離と調和がなければならない。
はい、わかります。
> あなたはあなたではないものを知ることができる。
なるほどなぁ。
> だが、あなたの真の存在を知ることはできないのだ。
そうかぁ。
> あなたはあなたであるものとしてだけ在ることができる。
ちょっとわかりにくいような……。
もしかして……、
“あなた自身としては、あなたはただ在ることができるだけだ”
の意味かな……。(=_=)
それとも、
“あなたが在ることができるのは、ただあなた自身としてだけだ”
の意味とか……。(=_=)
ま、わからないけど。
> そのアプローチ全体が理解を通してのものだ。
そうなんだ……。
「そのアプローチ全体が理解を通してのもの」なのか……。
じゃ、感覚的な何かに確証を求めても無理なんだ……。(-_-)
> それは偽りを偽りとして見るというものだ。
「偽りを偽りとして見る」ことが……真の自分(真我)としてある……という
ことなのか……。
> しかし理解するために、あなたは外側から観察しなければならない。
さて、“外側”とは……。
> 質問者 ヴェーダーンタのマーヤー、幻想の概念は、顕現にあてはめられま
> す。それゆえ、私たちの顕現の知識は信頼できません。しかし、非
> 顕現の知識は信頼できるはずです。
うう……。
> マハラジ
> 非顕現の知識といったものはない。
はい。
「非顕現」は既知ではないから、それについての「知識といったものはない」。
> それは不可知だ。
「非顕現」は不可知……。
> 知ることができるのは現実のものだけなのだ。
知ることができるのは“知られるもの”(顕現)だけ。
> 質問者 どうして、知る者が知られないまま残るのでしょう?
>
> マハラジ
> 知る者は知られるものを知っている。
はい。
> あなたは知る者を知っているだろうか?
> 誰が知る者を知る者なのだろうか?
……。(-_-)
> あなたは非顕現を知りたいと言う。
> あなたは顕現を知っていると言えるだろうか?
うーむ……。
> 質問者 私はものごとと概念を、そしてそれらの関係を知っています。それ
> らの総計が私のすべての経験なのです。
>
> マハラジ
> すべて?
なんかこわぁ……。
> 質問者 ええ、すべての現実の体験です。現実に起こらなかったことを知る
> ことができないのは認めます。
うう……。
> マハラジ
> もし顕現がすべての現実体験と体験者の総計であるなら、その合計のどれほ
> どをあなたが知っていると言うのだろう?
……。(-_-;)
> 質問者 私自身に関係する感覚的な体験のいくらかです。
うん。
> マハラジ
> それでさえもない。
おお。(@_@)
> あなたはあなたが反応することだけを知っている。
われわれは自分が反応することしか知らないんだ……。
なるほどなぁ。
> 誰が何に反応するかを知ってはいない。
それは間違いない。
> あなたは、「私は在る」に接触することであなたの存在を知るのだ。
ここでマハラジが「あなた」と言っているのはマインドのことだ。
マインドは「私は在る」(気づきの光の最末端)に接触することで、“自分”
という存在の何たるかを“知る”わけだ。
> 「私はこれだ」「私はあれだ」は想像なのだ。
「私はこれだ」「私はあれだ」は、われわれ(=マインド)の想像なのか。
“自分”についての定義を持つものは……マインドなんだ……。
真の自分(真我)は、あらゆる定義を超えて「在る」……。
……。
(-_-)
……。
(-||-)
今日の写経は、ここまでです。
m(_ _)m
…………○…………○…………○…………
『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。
ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
…………○…………○…………○…………
▼『アセンション館通信』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単なるメールな
ど、ご自由にお書きいただければと思います。
…………○…………○…………○…………
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■ 3.「ご投稿・情報提供」:ドン・ガバチョさん
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『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。
▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518
…………○…………○…………○…………
今年最初の今回、ドン・ガバチョさんから初夢のようなとても論理的な物語を
ご投稿をいただきました。
早速、ご紹介します。
【件名】: スター・トレック カーク船長
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暫(しば)し御無沙汰しておりました。
私が夢でみた物語で御座います。どうぞお気になさらずに。
――――
(宇宙、それは人類に残された最後の開拓地である。
そこには人類の想像を絶する新しい文明、新しい生命が待ち受けているに違い
ない。
これは人類最初の試みとして、5年間の調査旅行に飛び立った宇宙船USSエン
タープライズ号の驚異に満ちた物語である。)
感情、それは人類に残された最後の開拓地である。
そこには想像を絶する新しい情緒体験が待ち受けているに違いない。
これは人類最初の試みとして、80年間の調査旅行に飛び立った私の驚異に満ち
た物語である。
――――
◎リアリティの本質は感情・情緒である。事象・物象そのものに意味は無い。
◎肉体は3次元物質宇宙の受信機であり、5つのセンサー(五感)で物質界を探
索する。
◎肉体はまた、感情・情緒のアンプ(増幅器・amplifier)である。人間は感
極まると涙を流すが、泣くことで感情・情緒が増幅される。
◎私たちは(3次元物質宇宙において)肉体をまとうことで、強烈この上無い
感情・情緒を体験する恩恵に預かっている。
◎加齢に伴う肉体の変化によって、感得される感情・情緒は変化して行く。そ
れも恩恵である。
◎創造とは、未体験の感情・情緒を感得することである。
◎未体験の感情・情緒の感得は「気付き(awareness)」としてもたらされ
る。
◎時間は幻である。過去も未来も無い。更に凡夫の考える「現在」も無い。
◎「衝動」が3次元物質宇宙では「時間」として投影される。
◎「衝動」とは、情熱、熱意、熱中、情動、パッションというエネルギーであ
る。
◎「衝動」のエネルギーは神話の中で、スサノオノミコトとして表現されてい
る。スサノオの存在そのものが人間の衝動である。
◎感情・情緒は「体験すべきもの」であって、自己に同一化すべきものでは無
い。
◎感情・情緒はそれを体験したなら、それがどのような体験であっても微笑ん
で手放し、新たな体験に向かうべきである。
◎執着の本質は、事象・物象への自己同一化では無く、感情・情緒への自己同
一化である。自己同一化という執着は無知な自身の霊(れい)が行う。
◎「叡智」とは蓄積された感情・情緒の深みである。この「叡智」は魂(こ
ん)に記録される。
◎現代人は「損か得か」という論理でものごとを判断するが、論理から応えを
導くことは出来ない。「善か悪か」も同じである。
◎「損か得か」「善か悪か」という論理・思考の罠は人間を分裂症にする。全
ての文明人は分裂症である。そのツケは、純粋な(弱い)人間の自殺として現
象する。
◎「小さな親切・大きなお世話」も然り。この論理に陥ると、人は他者に何も
行為出来なくなる。
――――
君は誰よりも識(し)っている筈(はず)だ。
船長は死をズル出来ない。
君はテストの目的を見抜けなかった。
(――その目的とは?)
恐怖を体験することだ。
免(まぬが)れない死と対面し、その恐怖を受け入れ、最後まで自身とクルー
を律する。
それが船長に求められる資質だ。
スター・トレック11 より
――――
私たちは皆、ジェームズ・タイベリアス・カーク船長という情緒探索船・USS
エンタープライズ号の船長だったのです。
お年玉になったになったでしょうか・・・・?
----------------------------------------------------------------------
ドン・ガバチョさん、初夢のような論考のご投稿、ありがとうございました。
m(_ _)m
…………○…………○…………○…………
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 4.編集後記:一回一回……手探りで行くしかないと思っています。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
マインドが静かになっていく……これはとても矛盾に満ちた過程ですね。
マインドは自らの存在を証明するために……手当たり次第に“参照”したい。
そのマインドの本能とも言える“参照努力”を手放す過程が……いわゆる“静
かになる”過程だと思います。
いわば……マインドの本能に逆らう過程です。
この過程で何らかの“支え”を得ることはできない。
どんな“支え”もマインドのなかにしかありえないでしょうから。
誰からの支援も得ることなく……ただ黙って静かになっていくしかない。
一回一回……手探りで行くしかないと思っています。
では、おやすみなさい。
<(_ _)>
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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