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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.302 2010/1/17(第302号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 949名
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◇◇ もくじ ◇◇

1 この物質世界の成り立ち

2.写経ニサルガダッタ:【70 神はすべての欲望と知識の終焉だ】の3回目

3.編集後記:ここに解放のための魔法も秘められて……
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■ 1.この物質世界の成り立ち
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今こうして暖かい冬の一日を味わっているのが……実在ではなくマインドだと
理解しているのは……それなりに風通しのいい感覚ですね。

いまここに……ある種の理解とある種の感覚がある……それは事実です。

でも……別にそれを“自分”と思う必要もないわけです。

というか……ある意味で……どんなものにせよそれを“自分”と思う必要はな
さそうですね。

さらに言うなら……“自分”と思うこと自体が……もともと不要なことなので
しょう。

“自分”と見なされたものが……自分であることなどありえないわけだから。

もしすべてが“自分”であるなら……ことさら“自分”と断言することに……
どんな意味があるというのか……。

しかしまた同時に、“自分”と見なされたものこそが自分だ……という理屈も
あるわけですが……。

つまり“自分”とは……“自分”以外がある……という思いこみを……表現す
る言葉にほかならない……ということでしょうか。

俺の分と……そうではない分がある……という思いこみを……。

そういう感覚と思いこみが……すべてマインドであることは……どうやら……
間違いなさそうですね……。

いまここに……ある種の理解とある種の感覚がある……。(-_-)

それは事実です……。

でも……ただそれだけです。

別にそれが……わたしではない。

なぜなら……「私は在る」……だけだから……。

「わたしは存在しない」……とは言えない。

これは……明らかな虚偽です。

「わたしは存在しない」……と言うこと自体が……「私は在る」ことを証明し
ているから……。

「私は在る」だけが……世界のなかにあってなおかつ世界を超えている……と
いうのはそういうことなんでしょうね……。

ふ。

相変わらず覚者の物まねが好きで……。(*-_-*)

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

ここで……マインドをとっちめる“よしなしごと”を綴り続けてもいいのです
が……じつは今回……とても真摯なご質問をいただきました。

で……わがマインドにも……ニサルガダッタから聞きかじった言葉で……その
ご質問に沿って連想を紡いでみたい……という思いが湧きました。(*-_-*)

なので……今回は……投げかけていただいたテーマで……知ったかぶりのよし
なしごとを紡がせていただくことにします。

まず、テーマをくださったいぬさんのご投稿を紹介します。

【件名】:今年もよろしくお願いします
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 パリさん、遅ればせながら明けましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いします。
 今年も日曜の10時が何よりも楽しみです。
 以前あった投稿フォームが見当たらないのでこちらに書かせてもらいますね。
 
 さて
 
 > 「わたし」は注意(気づきの光)を向けることで……それを現象させてい
 > る。
 
 > われわれは自分の“注意”を振り向けることで、想念を実体化(現実化)
 > しています。
 > “注意”を振り向けるのをやめれば、あるいは単に“注意”を振り向け
 > るのを忘れれば……それだけでわれわれの世界は……消えます。
 
 上記はパリさんの以前の解説ですが、これらの言葉は何を意味しているので
 しょう?
 想念の現実化とはどういう意味なのでしょうか?
 注意(気づきの光)とは何を指すのでしょう?
 この物質世界が、我々が想念に注意を向けることで成立しているという意味
 でしょうか?
 もしそうならば、想念は個人によって異なるでしょうから、互いのコミニュ
 ケーションはおろか共通する世界すらないでしょう。
 私はこの投稿を誰と話しているのでしょうか?
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ふーむ……。(-_-;)

まずは、いぬさん、ご質問ありがとうございました。m(_ _)m

じつに、的を射ているというか……“わたし”というマインドの核心を射抜い
たご質問だと思いました。

こういうふうに誘い水を差されると……“わたし”のマインドはいそいそと…
…あることないこと……知ったかぶりを紡ぎだすだろうと思います。(^^;)

> パリさん、遅ればせながら明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。

> 今年もよろしくお願いします。

こちらこそ。

> 今年も日曜の10時が何よりも楽しみです。

嬉しいです。(^||^)

いえ……嬉しいというマインドが浮上するだけで……わたしが嬉しいわけでも
ないのかもしれませんが。(^_-)

> 以前あった投稿フォームが見当たらないのでこちらに書かせてもらいますね。

あ、

▼『アセンション館通信』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702

これ↑のことですね。

そうですね……ご投稿がないときにも、この URL は毎回掲載しておいたほうが
よさそうですね。これからは、そうします。

> さて
> 
> > 「わたし」は注意(気づきの光)を向けることで……それを現象させてい
> > る。
> 
> > われわれは自分の“注意”を振り向けることで、想念を実体化(現実化)
> > しています。
> > “注意”を振り向けるのをやめれば、あるいは単に“注意”を振り向け
> > るのを忘れれば……それだけでわれわれの世界は……消えます。
> 
> 上記はパリさんの以前の解説ですが、これらの言葉は何を意味しているので
> しょう?

うん。

初っぱなから、ぐさっと来ますね。(^^;)

なるほど……“これらの言葉は何を意味しているの”か……。

> 想念の現実化とはどういう意味なのでしょうか?

そうか……。

> 注意(気づきの光)とは何を指すのでしょう?

うーん。(-_-;)

> この物質世界が、我々が想念に注意を向けることで成立しているという意味
> でしょうか?

まさに……核心そのものですね。

> もしそうならば、想念は個人によって異なるでしょうから、互いのコミニュ
> ケーションはおろか共通する世界すらないでしょう。

まさしくねぇ。

大当たり……なのかもしれませんね……。

ただ……まだわれわれには……それを言う資格はないのかも……。

なにしろ顕現世界に……蛇を見ているわけですから。

> 私はこの投稿を誰と話しているのでしょうか?

ははは……。(^^)/

いやー、じつに、痛快です。\(^O^)/

ものごとはこういうふうに……単刀直入に行かないといけませんね。(^-^)

いぬさん、このご質問、まことにもって感謝です。(-||-)

こんな本質的なことを聞いてくださる方というのは滅多にいません。

しかも……悟ってもいないことがわかっている相手にですからねぇ。(-_-)

そのご信任に応えるためにも、ここはどうしても実力以上の力も出さなければ
ならないかもしれません。^^;

今回のご投稿で、いぬさんが疑問に思われたことは、じつは“わたし”自身が
ああだこうだと長く考え続けてきたことでもありました。

だからこうして……そういう“知ったかぶりのマインドの解釈”も手放しなさ
いと……そういう機会が訪れているのかもしれません。

ここでいぬさんが言及されていることには……たぶん……いくつかの側面があ
ると思います。

ひとつは……今回のご投稿のなかの、

> この物質世界が、我々が想念に注意を向けることで成立しているという意味
> でしょうか?

という言葉に代表される側面です。

もしかしたら……ここにはわれわれが何となく刷り込まれている……純物理的
な“宇宙誕生”のイメージが関係しているかもしれません。

間違っているかもしれませんが……。

つまり……地球の現人類の歴史的経緯による“地方の事情”とも言うべき……
かなり特殊な“純物質科学”的世界観の反映です。

渦状星雲の成り立ちとか……地球46億年の進化のなかでの生物の発生……、
そしてそのなかからの意識の発生……というような。

あたかも……まず物質世界が誕生して……その進化の歴史の中から意識的生物
が発生してきたかのように……。

こういう類のことについては……以前よく思考を巡らせたことがあります。

そして……【「海辺の家」】とか、
https://www.ascensionkan.com/work/04comp_08umibe.html
【「ガイア仮説」と<意識>】
https://www.ascensionkan.com/work/04comp_10gaia.html
とかいった文章で、そのまだ混沌とした思いを綴ったものでした。

たとえば、こんな感じです。

----------------------------------------------------------------------
 この広大な宇宙がもし<意識>で満たされていないなら、全宇宙の中で、た
 ったひとつの島宇宙のたったひとつの星の惑星上ですら、無生命の機械過程
 の中での偶発的な“生命の誕生”の可能性など絶対にありえないことを知る
 べきだ。
 何億万回の竜巻きが起ころうとも、それがジェット機を吹き寄せることがあ
 りえないように……。
 
 そしてもし、何億万回目かの竜巻がついにジェット機を吹き寄せたのだとす
 れば、その背後に竜巻の吹き寄せ方をそのように工夫している「意図」を、
 その「意図」を可能にしている<意識>を前提しなければならない。
 そしてその<意識>は、いかなる物質次元の単位にもあるいは構造体にも還
 元することはできない。 
              『21世紀への指導原理 OSHO』(p156-159)
           https://www.ascensionkan.com/work/04comp_10gaia.html
----------------------------------------------------------------------

なかなか意気盛んですが……まあ……言いたいことはわかります。(*^_^*)

そうした思考過程のひとつの結論が、

          「<意識>は、誕生できない」

ということでした。

----------------------------------------------------------------------
 コンピュータの発展の背後には、それをビジョンし、具体的にイメージし、
 構築し、展開した人間の「意図」があり、その「意図」を可能にした<意識>
 がある。
 だとすればこの二重螺旋構造の背後にも、それをイメージし、展開した<意
 識>があると考えなければならない。
 
 コンピュータの発展を、シリコンチップの自律的な発展と考えることができ
 ないのと同じように、人間の自省的<意識>に到るまでの地球上の生命の展
 開を、DNA二重螺旋のような、いわばある種の部品の自律的発展と考える
 ことはできない。
 自省的<意識>に到るまでの生命の発展を、物質次元での無意識的な、偶然
 の自律運動に還元することなどできないということだ。
 
 自省的<意識>に到るまでの全生命の“発展”の背後には、どうしても最初
 から<意識>の存在が前提されなければならない。
 <意識>は、誕生できないのだ。
 
              『21世紀への指導原理 OSHO』(p163-166)
         https://www.ascensionkan.com/work/04comp_13m-process.html
----------------------------------------------------------------------

ここには……未熟ではありますが……ある種の論理性が貫徹しています。

もし、「<意識>は、誕生できない」のだとすれば、“無意識的自然過程”な
どという……なんとなくイメージしがちな過程はありえないわけです。

いわゆる地上的に言う無機的過程であろうと有機的過程であろうと……存在す
るすべては……意識過程です。

精神的過程……と言ってもいいです。

森羅万象すべて……顕現世界のすべては……何らかの“意識体”の“意図”の
(つまりは“欲望”の)結果として起こっている……。(-_-)

“無意識的自然過程”を暗示するような……いわゆる“偶然”などというもの
は……じつは存在(=顕現)しないわけです。

“偶然”に……あるいは“自然”に……地球の海にゴミが溜まった……などと
いうことがありえないように……。

もちろん……不注意によって起こる(という意味での)“無意識過程”という
ものはあるでしょうが……。

“ゴミが溜まる”ことですらそうなのですから……ましてや“この物質世界の
成立”といった類のことが無意識過程の結果などであるはずがありません。

それらはすべて……意識過程です……あるいは精神過程と言ってもいいです。

さて……もしこのことが論理的に納得がいけばですが……、

> この物質世界が、我々が想念に注意を向けることで成立しているという意味
> でしょうか?

という……いぬさんの疑問(の少なくとも半分以上)は……答えられたような
ものではないでしょうか。

顕現するすべてが意識過程であるなら……あとは単に……その意識過程の発生
の仕方の描写(あるいは記述)の問題にすぎないわけですから。

“わたし”の場合は……ニサルガダッタの言葉に耳を傾けることで……それま
で曖昧だった多くの疑問が氷解しました。

つまり……マインドとして……知りたいことは知ったという感じです。

だから……大袈裟かもしれませんが……もう大疑問というのはありません。

なぜなら……“わたし”にとっての疑問というのが、

        「何故にすべては始まってしまったのか?」

ということだったからです……。(*-_-*)

そしてニサルガダッタは……その疑問を、

----------------------------------------------------------------------
 私たちは生きている。
 なぜなら感覚的存在を切望しているからだ。
                          『私は在る』(p149)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

と……まさに一刀両断でたち割ってくれました。

“わたし”は……心底……納得しました……。

だから……習慣的な“不満”や“不服”は……まだまだいくらでもありますが
……疑問というのはもうありません。(*^_^*)

脱線しました……。(^^;)

で、いぬさんの

> この物質世界が、我々が想念に注意を向けることで成立しているという意味
> でしょうか?

というご質問でしたね。

こういうことについて……“自分”なりにはっきり詰めておきたかったです。

ありがたい機会をいただきました。

ご質問に沿って……これまで読みかじったニサルガダッタの言葉を頼りに……
連想を働かせてみますね。

上でも言及したように……物質世界と言っても……“無意識の純物質過程”な
るものは……虚偽の“言葉遊び”としてしかありえない……と思います。

物質世界というのは……事実はいわば“精神・物質過程”……だと思います。

“精神・物質過程”……すなわち“マインド”そのもののことです。

物理学的な用語を使うなら……いつも言う“素粒子のふるまい”です。

ドイツの詩人哲学者クラーゲスは「形象心情」という言葉を使いました。

“心情は形象する”というのがクラーゲスのテーゼです。

意識と物質の“対発生”とでも言ったらいいでしょうか。

足立育朗さんが『波動の法則』で伝えるプレアデスの科学によれば、いわゆる
“原子の構造”のなかにその仕組みがあるのだそうですね。

原子核のなかの

「中性子」が「意識」「調和」であり、
「陽子」が、「意志」「愛」

なのだそうです。

これが……ニサルガダッタの言葉でいう「マインド」です。

では……こういう顕現形態そのものが<生命>なのか……と言えば……。

どうも……ニサルガダッタによれば……そうではないらしい。(-_-)

これらは……単なる“顕現のための媒体”みたいなものにすぎないらしい。

いわば……“死物”です。

覚者たちは……これを指すのに……よく「画像」とか「映画」とかいう言葉を
使いますよね。

映画館のスクリーンの上で踊る「画像」に……何の固有の意味も実体もないこ
とは……誰でも知っています。

映画に意味を与えるのは……制作者集団でありまた観客であるわれわれです。

なぜなら……<生きている>のはわれわれだからです……。

そこまでは……地上の常識でよく理解できるわけです……。(-_-;)

なぜなら……そこでは<生きている>の意味が……“感動”とか“情緒”とか
いった意識内容を指しているからです。

ところが覚者たちの言葉は……これらの“感動”とか“情緒”という意識内容
そのものを「画像」に含めてしまう。(-_-)

それらを……単に顕現世界の多様性を表現するための……いわば“媒体”とし
てしまうわけです。

つまり……そこでは……これらの“感動”とか“情緒”といった意識内容自体
が……いわば“死物”になるわけです。(>_<)

それらは……じつはそれ自体で存在できるわけではない……らしい。

それ自体で<生きている>わけではない……らしい。

原子核の中性子(意識、調和)や陽子(意志、愛)が表現する形象と心情は、
じつはそれ自体でそのように顕現できるのでは……ないらしい。

たとえば、それらの顕現の“媒体”が……それ自身で<生きている>と考える
とどういうことになるか……。

また、ちょっと昔の文章から引用します。

----------------------------------------------------------------------
 物質界はさまざまな原子で構成され、いくつかの原子が組み合わさって物質
 のタイプである分子が構成されるという。
 しかもその原子も、昔考えられていたような単一の塊ではなく、原子核を中
 心にその外側に確率の雲として定義される位置に電子が分布するというよう
 な代物だという。
 この目の前に見えている緑色の泰山木の葉も幹も、大部分が「真空」によっ
 て満たされ、そのごくごく微少な部分を、極微の物理的ともいえる存在が、
 ある限定された範囲の中で不確定の振る舞いをしているというような不思議
 なものであるらしい。
 この泰山木はたくさんの原子からなっているわけだが、例えばその原子の大
 きさのイメージは、その原子を野球のボール位の大きさとすると、野球のボ
 ールは地球位の大きさになってしまうというようなものらしい。
 つまり、針の先ほどの空間に何百万もの原子が乗るといった大きさだという。
 
 そしてその原子を構成している素粒子の世界たるや、『踊る物理学者たち』
 の著者ゲイリー・ズーカフ氏の比喩を借りれば、十四階建てのビルほどの直
 径があるサンピエトロ大聖堂のドームの真ん中に塩を一粒置いたような原子
 核を中心にして、ドームの外周をその原子核の数千分の一の質量であるほこ
 りの粒のような電子が回っている、といったような案配のものであるらしい。

 いくら物質が生きていると考えたくても、その広大なサンピエトロ大聖堂の
 ドームの外周を、まさかその在るか無きかのほこりの粒が自らの意志で飛び
 回っていると思う者はいないはずだ。
 しかも、素粒子はほこりの粒というような「もの」ですらなく、もともと物
 体としてイメージすることすらできないものだという。……
 
              『21世紀への指導原理 OSHO』(p247-252)
           https://www.ascensionkan.com/work/06eien_05dome.html
----------------------------------------------------------------------

……。(-_-;)

“サンピエトロ大聖堂のドームの真ん中に”置かれた“一粒の塩”……。

そして“ドームの外周”を回る“その原子核の数千分の一の質量”の“電子”
……。

……もし、そういうことだとしたら。(-_-;)

もし、そういうことだとしたら……<生きている>のは……。

その“一粒の塩”と……さらにその“数千分の一の質量”の“ほこりの粒”で
はなくて……ドーム全体を満たしている空間の方でしょうね……。

つまり……顕現宇宙全体が……暗黒の大空間のなかに……ぼんやりと浮かび上
がる……一瞬の夢の花火のようなもの……ではないのでしょうか……。

そして……それは……その花火に興味を持って“見る者”がいて……はじめて
存在できる……といったようなものではないのでしょうか……。

        …………○…………○…………○…………

> 想念の現実化とはどういう意味なのでしょうか?

地球という自然界が……“無機的物質過程”から“自然”に立ち上がってきた
ものだ……というような神話は……もう問題にしなくていいですか?

もしそうなら……物質界を含むすべての顕現世界が……想念の……つまりは何
らかの“欲望”の反映として顕現している……ということは了解ですよね。

なぜそういう顕現世界があるのかを……“言葉として”答える覚者は……あま
りいらっしゃらないようです。

たとえば、ラマナ・マハルシは次のように言います。

----------------------------------------------------------------------
 「心」と呼ばれているものは、
 真我に内在するおどろくべき力である。
 
 心はすべての想いが起こってくる源である。
 
 想いを離れて心はない。
 それゆえ、想いが心の本性である。
 
 真我の中から心が現れるときに、
 世界が現れる。
 
 それゆえに、世界が(実在として)現れているときには、
 真我は隠されている。
                          『静寂の瞬間』(p22)
                       http://tinyurl.com/m2wjhu
----------------------------------------------------------------------

大見者(マハルシ)でさえ、

> 「心」と呼ばれているものは、
> 真我に内在するおどろくべき力である。

としか語らないのです。

マインドとは……顕現と戯れるための……“真我に内在する驚くべき力”とい
うことでしょうか。

大王(マハラジ)はこう言います。

----------------------------------------------------------------------
 宇宙を創造した欲望はあなたのものだ。
 世界はあなた自身の創造だと知り、自由になりなさい。
 
                          『私は在る』(p398)
----------------------------------------------------------------------

われわれは自らの欲望によって自らの世界を創造するらしいです。

ただし、

----------------------------------------------------------------------
 あなたのものとは映画のスクリーン、光、そして見る力だ。
 だが、映像はあなたではない。
                          『私は在る』(p463)
----------------------------------------------------------------------

そういうことらしい……。

“映像”と呼ばれているものは……真我に内在するおどろくべき力……なので
しょうか。

> 想念の現実化とはどういう意味なのでしょうか?

ニサルガダッタはこんなふうにも言っています。

----------------------------------------------------------------------
 どこであれ、物質がそれ自体をひとつの堅固な有機体へと組織化するとき、
 意識は自発的に現れる。
                          『私は在る』(p284)
----------------------------------------------------------------------

“想念の現実化”とは……その有機体と意識に注意を向けて……それを現実と
することなんでしょうね。

誰が? (-_-;)

わたしが……。

興味を持たず……注意を向けなければ……「わたし」なのでしょうが……、

興味を持って……物語のなかに入れば……“わたし”になるのでしょう。

        …………○…………○…………○…………

> 注意(気づきの光)とは何を指すのでしょう?

ニサルガダッタの言葉に頼りますね。

----------------------------------------------------------------------
 注意を過小評価してはならない。
 それは関心であり、愛なのだ。
 知るため、行うため、発見するため、あるいは創造するためには、それにハ
 ートを捧げなければならない。
 それが注意力を意味する。
 あらゆる祝福はそこから流れだすのだ。
 
 分割されない注意を、あなたの人生のなかのもっとも重要なもの、あなた自
 身に与えなさい。
 あなたの個人的な宇宙の中心があなたなのだ。
 中心を知らずに何を知ることができるだろう?
                        『私は在る』(p143-144)
----------------------------------------------------------------------

気づきの光とは……、

> それは関心であり、愛なのだ。

われわれの創造力そのものとも言えるようです……。

いろんな言い方をしていますから……また別の表現も見てみましょうか。

----------------------------------------------------------------------
 私の存在の根底には気づきが、強烈な光の点が在る。
 この点がその本性によって輝き、空間のなかには画像を、時間のなかには出
 来事を、努力することなく自発的につくり出す。
 それを単に気づいているだけならば、問題はない。
 しかし、分別心が存在の中に現れ、区別をつくり出すと、苦痛と快楽が立ち
 現れる。
 眠りの間、マインドは停止しているため、苦痛や快楽も停止している。
 創造の過程は継続するが、注目はされない。
 マインドは意識のひとつの形であり、意識は生命のひとつの相だ。
 生命がすべてをつくり出す。
 しかし、至高なるものはすべてを超えた彼方にあるのだ。
 
                          『私は在る』(p196)
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

        …………○…………○…………○…………

> この物質世界が、我々が想念に注意を向けることで成立しているという意味
> でしょうか?

まさに……そういうことになりますよね。

> もしそうならば、想念は個人によって異なるでしょうから、互いのコミニュ
> ケーションはおろか共通する世界すらないでしょう。

たしかに、個人的世界は(現れていても)存在はしないらしいですね。

ニサルガダッタは、

----------------------------------------------------------------------
 あなたの個人的宇宙は、それ自体では存在しないのだ。
 それはただ単に実在のかぎられた歪(ゆが)んだ見方だ。
 改善が必要なのは宇宙ではなく、あなたの見方なのだ。
                          『私は在る』(p113)
----------------------------------------------------------------------

と言っていますから。

“共通する世界”についても……ニサルガダッタの言葉を聴いてみましょう。

----------------------------------------------------------------------
 仮に物体と力の共通世界が在るとしても、それは私たちの住む世界ではない。
 私たちの世界は感情と観念の、好感と反感の、価値の尺度の、動機と刺激の、
 概して精神的世界なのだ。
 生物学的には、私たちの必要はわずかばかりだ。
 私たちの問題は異なったレベルのものだ。
 欲望と恐れ、そして誤った観念から生じた問題は、マインドのレベルでしか
 解決できない。
 あなたは自分のマインドを克服しなければならない。
 そしてそのために、あなたはそれを超えていかなければならないのだ。
 
                          『私は在る』(p147)
----------------------------------------------------------------------

うーむ。(-_-;)

しかしこれ……、

> 私たちの世界は感情と観念の、好感と反感の、価値の尺度の、動機と刺激の、
> 概して精神的世界なのだ。

ということ……そしてまた、
 
> 私たちの問題は異なったレベルのものだ。
> 欲望と恐れ、そして誤った観念から生じた問題は、マインドのレベルでしか
> 解決できない。

ということ……これは……本当だと思いませんか?

        …………○…………○…………○…………

> 私はこの投稿を誰と話しているのでしょうか?

あ、“わたし”に関するかぎり……これはマインド(精神・物質過程)ですか
ら……何の問題もなく……いぬさんは“わたし”と話しています。(^^;)

ご安心ください。(言うまでもないか……。^^; )

ただ……この(ドームのなかの塩粒が演じる)“わたし”というマインド過程
を可能にしているのは……宇宙空間を満たすたったひとつの「わたし」です。

いぬさんも「わたし」と言い……“わたし”も「わたし」と言いますが……そ
れが指し示すものは……まったく同じものなんでしょうね。

“わたし”がとても好きな喩えでは、

----------------------------------------------------------------------
 光線がほこりの微少片にさえぎられないかぎり目に見えないように、至高な
 るものもすべてを既知にしながら、それ自身は未知としてとどまるのだ。
 
                           『私は在る』(p85)
----------------------------------------------------------------------

この“ほこりの微少片”が“われわれ”であり……それとの接触面が……いわ
ゆる「観照者」と呼ばれる……光の反映なんでしょうね。

----------------------------------------------------------------------
 水面に踊る月は、水のなかに見られる。
 だが、それは水によってではなく、空の月によって生じたのだ。
 
                          『私は在る』(p217)
----------------------------------------------------------------------

というわけですから。

だから……暗闇のなかに浮かび上がる“ほこりの微少片”の彼方に目を向けれ
ば……そこに……輝く太陽が在るのかもしれません。

そして……ひとたびその輝く太陽を見た者は……もう二度とふたたび“ほこり
の微少片”を……見ることはできなくなるのかもしれません。

マハルシはこう言っています。

----------------------------------------------------------------------
 「見られているもの」である世界が
 ぬぐい去られたとき、
 「見る者」である
 真我の実現がやってくるだろう。
 
 見る者と、見られている対象物とは、
 ロープと蛇のようなものである。
 蛇という間違った知識が消えないかぎり、
 実体であるロープという知識はやってこない。
 
 同じように、実在するものとしての真我の実現は、
 世界が実在するという信念が消えてしまわないかぎりは、
 得られないだろう。
                          『静寂の瞬間』(p21)
----------------------------------------------------------------------

と……。

----------------------------------------------------------------------
 結局、幻想をつくり出すのはマインドであり、それから自由になるのもマイ
 ンドなのだ。
                          『私は在る』(p192)
----------------------------------------------------------------------

……。(-||-)

いやー、いぬさんの誘い水に誘われてずいぶん喋りました。

実力相応なのでしょう……楽しかったです。

いぬさん、ありがとうございました。_(_^_)_

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.写経ニサルガダッタ:【70 神はすべての欲望と知識の終焉だ】3回目
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今回の部分には“わたし”なりにその真実性を体験した言葉があります。

それは、マハラジが欲望に対処する方法として語っている、

> ただ、あなたのマインドをそらしなさい。
> それだけだ。

という指示です。

これは……本当ですね。

われわれの思考は……それほど終始一貫したものでもなければ……理路整然と
したものでもないようです。

ただ……その一瞬をやり過ごすだけで……多くの欲望を片づけることができる
と思います。

> 欲望とは単にある想念にマインドを固定させることだ。

という言葉には……本当に驚きました。

欲望が……ただそれだけのことだったとは……。

だからこそ……、

> それに注意を払わないことで、その常道にはまる習慣を捨て去りなさい。

という指示が可能なんですね。

では、【70 神はすべての欲望と知識の終焉だ】の3回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

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 質問者 どのようにして無欲を訓練すればいいのでしょう?
 
 マハラジ
 訓練の必要はない。
 放棄という行為さえ必要ない。
 ただ、あなたのマインドをそらしなさい。
 それだけだ。
 欲望とは単にある想念にマインドを固定させることだ。
 それに注意を払わないことで、その常道にはまる習慣を捨て去りなさい。
 
 質問者 それだけですか?
 
 マハラジ
 そうだ。
 それだけだ。
 欲望や恐れが何であれ、それにとどまっていてはならない。
 自分で試みてみなさい。
 ときおり、あなたは忘れてしまうかもしれない。
 だが、それは問題ではない。
 すべての欲望と恐れを追い払うまで、すべての反応が自動的になるまで試み
 ることだ。
 
 質問者 人はどのようにして感情なしに生きていくことができるのでしょう
     か?
 
 マハラジ
 あなたは欲しいだけすべての感情をもつことができる。
 だが、引き起こされた感情の反応に注意しなさい。
 完全に自己決定し、外面からではなく、内面から導かれなさい。
 
 より良いものを確保するために、ひとつのものをあきらめるのは本当の放棄
 ではない。
 あきらめなさい。
 なぜなら、あなたはそれが無価値であることを理解するからだ。
 放棄していくにしたがって、あなたは自然に知性と、力と、無尽蔵の愛と、
 喜びのなかに成長していく自分を見いだすだろう。
 
 質問者 なぜ、それほどまでにすべての欲望と恐れを放棄することが強調さ
     れるのでしょうか? それらは自然なものではないのでしょうか?
 
 マハラジ
 それらは自然なものではない。
 完全にマインドによって作られたものだ。
 あなたに必要なものは何もないということを知るために、すべてを放棄しな
 ければならないのだ。
 あなたが必要とするものは非実在であり、あなたの努力は無意味だ。
 あなたは所有物があなたを守ると想像している。
 実際は、それらがあなたを傷つきやすくするのだ。
 あなた自身が「あれ」や「これ」として指し示すことができるすべてから離
 れたものであることを自覚しなさい。
 あなたは感覚的体験や言語的解釈によって到達することのできないものだ。
 それから立ち去りなさい。
 人格化を拒否しなさい。
 
 質問者 あなたの話を聞いた後、私は何をすればよいのでしょうか?
 
 マハラジ
 聞くことだけでは本当の助けにならないだろう。
 それを心にとどめ、熟考し、私が語っていることを私に語らせようとするマ
 インドの状態を理解しようとしてみなさい。
 私は真理から話している。
 両手を開き、受け取りなさい。
 あなたはあなたが考えているものではないのだ。
 私が保証しよう。
 あなたがもっているあなた自身のイメージは記憶によってつくられたまった
 く偶然の産物なのだ。
 
 質問者 私は私のカルマの結果です。
 
 マハラジ
 一見、あなたであるように見えるもの、それはあなたではない。
 カルマは、あなたが繰り返し学んできたひとつの言葉にすぎない。
 あなたはけっして今まで、そしてこれからもひとりの個人ではないのだ。
 あなた自身を個人だと考えることを拒絶しなさい。
 自分が誰それだということを疑わないかぎり、希望はもてない。
 あなたが目を開くことを拒むとき、何を見せられるというのだろう?
 
 質問者 カルマとは、私を完成へと衝(つ)き動かす神秘の力だと私は思っ
     ています。
 
 マハラジ
 それは人びとがあなたに言ったことだ。
 あなたはすでに今ここで完成している。
 完成することができるようなものはあなたではない。
 あなたはあなた自身ではないものをあなただと想像しているのだ。
 やめなさい。
 重要なのは停止そのものであって、あなたが何をやめようとするかではない
 のだ。
 
 質問者 カルマが私に、私であるものに成るよう駆りたてたのではありませ
     んか?
 
 マハラジ
 何も駆りたててはいない。
 あなたはあなただと信じるものだ。
 信じるのを止めなさい。
 
                        『私は在る』(p356-357)
                       http://tinyurl.com/s747u
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(-||-)

> 質問者 どのようにして無欲を訓練すればいいのでしょう?

前回は、いずれにせよ“毒を避けるかのように欲望を避け”ることになる、み
たいなマハラジの言葉で終わったんでしたね。

だから、じゃ、どのようにして無欲を訓練すればいいの……というわけです。

> マハラジ
> 訓練の必要はない。

お。

> 放棄という行為さえ必要ない。

なんと。(@_@)

> ただ、あなたのマインドをそらしなさい。

これ↑……一見、じつに単純ですよね。

でも……“個人的”体験からですけど……本当だと思います。(*-_-*)

> それだけだ。

はい。

> 欲望とは単にある想念にマインドを固定させることだ。

(*_*)  ⌒★?

なんと……そういうことだったのか……。(-_-;)

「欲望とは単にある想念にマインドを固定させること」……。

これを知っているのと知らないのとでは……大変な違いが生まれるかも……。

> それに注意を払わないことで、その常道にはまる習慣を捨て去りなさい。

そうなんだよ……そうなんだよ……。

これに勝る方法は……おそらく……ないと思います。(-_-)

> 質問者 それだけですか?

ぷ。^^;

> マハラジ
> そうだ。
> それだけだ。

「それだけだ」。(^-^)    \←……

> 欲望や恐れが何であれ、それにとどまっていてはならない。

はい。

> 自分で試みてみなさい。

わかりました。

> ときおり、あなたは忘れてしまうかもしれない。

はい。

> だが、それは問題ではない。

わかりました。

> すべての欲望と恐れを追い払うまで、すべての反応が自動的になるまで試み
> ることだ。

そうかぁ……。

持続が弱いんだよなぁ……“わたし”って……。(*-_-*)

> 質問者 人はどのようにして感情なしに生きていくことができるのでしょう
>     か?

うん。(?_?)

どういう連想かな……?

ああ……欲望と恐れを追い払ったら……感情がなくなると心配したわけか。

> マハラジ
> あなたは欲しいだけすべての感情をもつことができる。

はい。

> だが、引き起こされた感情の反応に注意しなさい。

うん? (@_@)O

> 完全に自己決定し、外面からではなく、内面から導かれなさい。

なるほど……そういう意味か……。

引き起こされた恐怖から反応していないか……欲望から反応していないか……
とういうことか……。

> より良いものを確保するために、ひとつのものをあきらめるのは本当の放棄
> ではない。

それくらいなら“わたし”にもわかります。(^^;)

夏子ちゃんの方がいいから、冬子ちゃんはあきらめるというのは、本当の放棄
ではない。(*@_@*)\ゴン (\/U)

(/_;)

> あきらめなさい。
> なぜなら、あなたはそれが無価値であることを理解するからだ。

“あなたはそれが無価値であることを理解するがゆえにあきらめるのだ”……
ぐらいのほうがわかりやすいかも。

> 放棄していくにしたがって、あなたは自然に知性と、力と、無尽蔵の愛と、
> 喜びのなかに成長していく自分を見いだすだろう。

そうかぁ……。

これは……実際にやってみなければ……わからないことだろうなぁ。

> 質問者 なぜ、それほどまでにすべての欲望と恐れを放棄することが強調さ
>     れるのでしょうか? それらは自然なものではないのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> それらは自然なものではない。

え。(@_@)

欲望と恐れは自然なものではない。(?_?)

> 完全にマインドによって作られたものだ。

あ、そうか……。(@_@)

いや、言われてみればそうだわ。

欲望と恐れが……「天の王国」にあるはずないもんなぁ。

> あなたに必要なものは何もないということを知るために、すべてを放棄しな
> ければならないのだ。

そうかぁ。

「わたしに必要なものは何もないということを知るために、“わたし”はすべ
 てを放棄しなければならない」わけだ……。

> あなたが必要とするものは非実在であり、あなたの努力は無意味だ。

これ……すごいよなぁ。(*-_-*)

「あなたが必要とするものは非実在であり、あなたの努力は無意味だ」

この科白の……かっこよさ……。

> あなたは所有物があなたを守ると想像している。

あ、はい、たしかに。(*@_@*)

> 実際は、それらがあなたを傷つきやすくするのだ。

そっかぁ。

> あなた自身が「あれ」や「これ」として指し示すことができるすべてから離
> れたものであることを自覚しなさい。

理屈ではわかるんだけど……。(;_;)

> あなたは感覚的体験や言語的解釈によって到達することのできないものだ。

知覚の対象であれ……思考の対象であれ……いっさい何ごとも全然問題にしな
くていいってことですよね。

> それから立ち去りなさい。

はい。

> 人格化を拒否しなさい。

わかりました。(;_;) (←(^_-))

> 質問者 あなたの話を聞いた後、私は何をすればよいのでしょうか?

いや、まったく。

わかりますよ……その気持ち。

> マハラジ
> 聞くことだけでは本当の助けにならないだろう。

はい。

> それを心にとどめ、熟考し、私が語っていることを私に語らせようとするマ
> インドの状態を理解しようとしてみなさい。

「私が語っていることを私に語らせようとするマインドの状態を理解しようと
 してみなさい」……。

“わたし”がしているのは……それだけ……だよなぁ。

> 私は真理から話している。

はい……信じています。

> 両手を開き、受け取りなさい。

はい。

> あなたはあなたが考えているものではないのだ。

はい。

> 私が保証しよう。

ありがとうございます。(-||-)

> あなたがもっているあなた自身のイメージは記憶によってつくられたまった
> く偶然の産物なのだ。

“わたし”がもっている“わたし”のイメージは記憶によってつくられたまった
く偶然の産物……。

たしかに、偶然の産物だわ……。

> 質問者 私は私のカルマの結果です。

うう……。

あなた……インド人?

> マハラジ
> 一見、あなたであるように見えるもの、それはあなたではない。

はい、わかります。

> カルマは、あなたが繰り返し学んできたひとつの言葉にすぎない。

まったくです。

> あなたはけっして今まで、そしてこれからもひとりの個人ではないのだ。

はい……、事実はその通りだと思います。

ひとりの個人だと思いこんでいるマインドに実在性を与えているだけです。

> あなた自身を個人だと考えることを拒絶しなさい。

はい。(;_;)

> 自分が誰それだということを疑わないかぎり、希望はもてない。

わかります。

> あなたが目を開くことを拒むとき、何を見せられるというのだろう?

まったく。

> 質問者 カルマとは、私を完成へと衝(つ)き動かす神秘の力だと私は思っ
>     ています。

うーん。

> マハラジ
> それは人びとがあなたに言ったことだ。

その通りです。

> あなたはすでに今ここで完成している。

そうなんですよね。

> 完成することができるようなものはあなたではない。

わかります。

「完成することができるようなものはわたしではない」……。

> あなたはあなた自身ではないものをあなただと想像しているのだ。

はい。

> やめなさい。

(-_-)

> 重要なのは停止そのものであって、あなたが何をやめようとするかではない
> のだ。

そうだ……。(-_-;)

動き続けてきたマインドにとって……停止するのが難しいだけだ……。

> 質問者 カルマが私に、私であるものに成るよう駆りたてたのではありませ
>     んか?

まだ言ってる……このひと。^^;

> マハラジ
> 何も駆りたててはいない。

あ……そうか……。(@_@)

そうだ……。(-_-)

> あなたはあなただと信じるものだ。

(*_*)  ⌒★?

“わたし”とは……“わたし”が“わたし”だと信じるもの……。

> 信じるのを止めなさい。

だから……“わたし”が“わたし”だと信じるのを止めれば……。

そういうことだったんですねぇ……。

驚きです。

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


        …………○…………○…………○…………


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ど、ご自由にご投稿ください。

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        …………○…………○…………○…………


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■ 3.編集後記:ここに解放のための魔法も秘められて……
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理屈を展開するきっかけを与えてもらうと……マインドがすっかり元気になっ
て……まったく困りものです。(^^;)

とはいえ……何かありましたら……どうぞご遠慮なくご投稿ください。(^||^)

> あなたはあなただと信じるものだ。

まったく……端的ですねぇ。

ここに解放のための魔法も秘められているわけですよね。

> 信じるのを止めなさい。

さて……眠りさえすれば……それができるのか?

自分を何かだとも思わずに生きている瞬間もあるのだろうけど……。

いっさいの思考を持たずに生きられるようになるために……まずは現在持って
いる思考(の気まぐれ)に気づかなければならない。

そのためにも……「私は在る」……か。

では、おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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