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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.303 2010/1/24(第303号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 949名
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◇◇ もくじ ◇◇

1 今この瞬間にすべては完璧

2.写経ニサルガダッタ:【70 神はすべての欲望と知識の終焉だ】の4回目

3.いただいたお手紙から:いぬさん

4.「ご投稿・情報提供」:ドン・ガバチョさん

5.編集後記:「真実を考え」ていることになりそうですよね。(^_-)
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■ 1 今この瞬間にすべては完璧
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こういうのは……小春日和とは言わないんでしたっけ?

あぁ『ウィキペディア(Wikipedia)』で調べたら……やっぱり、「小春日和
(こはるびより)とは、晩秋から初冬にかけて……」と書いてありますね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%98%A5%E6%97%A5%E5%92%8C

じゃ、これは小春日和とは言わないんだ。

でも……今日もとても穏やかないい天気です。

中層の刷毛ではいたような雲は多いですけど……。

でもその薄い雲を通して太陽は光り輝いているしね。

冬枯れ……の光景の一種ではあるんだろうけど……暖かい感じなんですよね。

こういう光景も……それに連動してマインドに浮かぶ気分も……両方あわせて
映画なんだとわかれば……なんだかそれで当然のような気もしてきます。

マインドに浮かぶ気分を“自分”だと思う……。(-_-;)

そうするとたちまち……えっと、それをどうすればいいんだったっけ (?_?)、
という気分が湧いてくる……。

(何をどうすればいいのかもわからない癖に……とにかく“何とか”しなくち
 ゃいけないような気分が湧いてくる……。

 あ、そうだ……どうすればいいのか考えなくちゃならなかったんだ……。

 そうそう……生きる心配をすべきだったんだ (@_@)……なんて。(^_-) )

それが微妙な「苦」……ドゥッカの始まりですよね。

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 止まりなさい。
 そして見るのだ。
 「次は何か?」と心配する必要はないのだ。
 つねに次はやってくる。
 生命ははじまりも終わりもしない。
 不動でありながら、それは動き、一時的でありながら、それは継続していく
 のだ。
 数えきれないほどの画像が投影されたとしても、光が使い尽くされることは
 ない。
 生命もまたあらゆる形態をいっぱいに満たし、その形態が崩壊したとき、そ
 の源に戻っていくのだ。
                          『私は在る』(p500)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

うーむ……。(-_-)

ふ。

いつも覚者の物まねでもないだろう……ってんで、初っぱなから覚者にご登場
願ったりして……。(^_-)

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

思うに“わたし”は……たったいま……この瞬間に……すべての矛盾が解決さ
れていないことが……我慢ならなかったんですよね。

でも……どう考えても“自分”にとっては……たったいま……この瞬間に……
すべての矛盾が解決されてはいなかったから……それで、

         「何故にすべては始まってしまったのか?」

とかいう……知的に解けるはずもない疑問に取りつかれたわけでした……。

未来に天国が来る……というなら……なぜ今でないのか……なぜ途中のこんな
混乱と矛盾と惨めさが必要なのか……というわけでした。

そして、たとえ未来に天国が来たとしても……そのことがこの今の自分の……
いわば“取り返しのつかさな”を……どう補償できるというのか、と。

過去のある時点でお釈迦様が正覚に達して……山川草木悉皆成仏したというよ
うなこともあるのかもしれない。

しかし、たとえそうだとしても、いま自分はここで悟っていない……この自分
を過去のどんな事実が補償できるというのか……。

それどころころか、たとえ未来のいつかにこの自分が悟ったとしても……そん
な事実が今ここで悟っていない自分という事実をどう覆せるというのか、と。

まさに……“だだっ子”そのものだけど……。(*-_-*)

まあ、そんなことを思いました。

そこで粘り続けられれば良かったのかもしれないけれど……ご多分に漏れず…
…流されましたけどね。(*^_^*)

ま、それが必然だったのでしょう。(^_-)

そしてついに……ニサルガダッタのこういう言葉に出会いましたから。

----------------------------------------------------------------------
 この残酷な世界が誰にとって現れるのかを見いだしなさい。
 そうすれば、なぜそのように残酷に現れるのかを知るだろう。
 あなたの質問は完全に正当なものだ。
 しかし、それが誰にとっての世界なのかをあなたが知るまでは、それに答え
 ることはできないのだ。
 あるものの意味を見いだしたいのなら、あなたはつくり出した人に尋ねなけ
 ればならない。
 だから言っているのだ。
 あなたが住んでいるこの世界をつくり出した人はあなたなのだ。
 あなただけがそれを変え、あるいはつくり変えることができるのだ。
 
                          『私は在る』(p398)
----------------------------------------------------------------------

こんな言葉の意味が……(たとえ表面的な文字の上の理解にすぎなかったとし
ても)……わかるようになったとはねぇ……。(-_-)

> あなたの質問は完全に正当なものだ。

“わたし”の質問は完全に正当なもの……なんですって。(^^;)

嬉しいですよね……そう言ってもらえれば……。

いま、たとえば、以前と同じことを問おうと思ったとしても……。(=_=)

「未来に天国が来るというなら、なぜ今でないのか、なぜ途中のこんな混乱と
矛盾と惨めさが必要なのか?」……と問おうと思っても……。

なにしろ……マハラジがどう答えるかを知っているからなぁ……。

----------------------------------------------------------------------
 あなたのマインドがつくり出した混乱以外に世界の混乱というものはない。
 それは自己がほかのものと異なり、分離してあるものだという誤った考えを
 中心に自己創造されるのだ。
 実際には、あなたはあるものではなく、分離もしていない。
 あなたは無限の潜在力、無尽蔵の可能性だ。
 あなたが在るから、すべてが在ることができるのだ。
 宇宙はあなたの成るという無限の能力の部分的な現れにすぎないのだ。
 
                          『私は在る』(p139)
----------------------------------------------------------------------

こんなことが理解できちゃって……ほんとにいいのかしら……。(@_@)

「なぜ“わたし”はたった今自由でないのか?」と主張しようにも……、

----------------------------------------------------------------------
 あなたはたった今でさえ、完全に自由だ。
                          『私は在る』(p139)
----------------------------------------------------------------------

と言われちゃうのがわかっているし……。

いや、自由じゃないよ (@_@)、と言おうと思っても……そうしたら、

----------------------------------------------------------------------
 おそらく、あなたはあなた自身を偽っているのだろう。
 たぶんあなたが容認する欲望は体裁を保つため表面にとどめておいて、本当
 の欲望には表現の機会を与えていないのだろう。
                          『私は在る』(p139)
----------------------------------------------------------------------

とかって……言われるかもしれないのがわかっているし……。(*-_-*)

うーむ……。(-_-;)

要するに……今この瞬間に……すべては完璧なんですよね。(-_-)

それは別に……いまこの部屋の窓テレビに映っている「里山の風景シリーズ:
2010年代初頭の日本の丹沢」なんて番組が完璧だからじゃ、ないんだ。(^_-)

その瞬間……実在の反射鏡面にどんな光景が映し出されているかなどとはまっ
く関係なく……今この瞬間に……すべては完璧なんですよねぇ。

もし完璧でないとしたら……“わたし”が邪魔をしているだけで……。

まるで……完璧になるには……何かが足りないかのように。

そして……あたかもそれが窓テレビに映し出される光景とも関係があるかのよ
うに……チャンネルをいじってみたりする……。

ふー。

要するに……本来しなきゃならないことは……何もないわけですよねぇ。(-_-)

いえ、もちろん、「わたし」にとっては……ってことですけどね。

じゃ、“わたし”にとっては……? (?_?)

あなた? (@_@)

そうねぇ……あなたは……消えたらいいんじゃない。

そんなー。(>_<) (←けっこう、傷ついている……。(^_-))

ごめんごめん。(^^;)

そうだなぁ……多分……“わたし”にとっては……。

“わたし”は……まあ……映画のなかで“自分”の責任範囲だと思うフィール
ドで……それなりにすべきことをするしかないかなぁ……。

そして……あ、少し真面目に“はまり”すぎてるな……と思ったら……スッと
……何もしなくていい「わたし」に戻るとか、ね。(^_-)

いつ戻っても……「わたし」のほうは……絶対にいなくなることはないし。

だいたい……“わたし”自体が……単に「わたし」の後援と許可のもとに演じ
ている……一瞬の“なりすまし詐欺”みたいなもんでしょ?

“自分”で騙して……“自分”で騙される……。

“自分”以外に騙されている者なんか……いないのにねぇ。(=_=)

----------------------------------------------------------------------
 どこであれ、物質がそれ自体をひとつの堅固な有機体へと組織化するとき、
 意識は自発的に現れる。
                          『私は在る』(p284)
----------------------------------------------------------------------

有機体として物質と“対発生”した意識が、「わたし」である“気づきの光”
を「私は在る」という感覚として映し出す……。(-_-)

かくて誕生した“わたし”が空間属性のなかで“自分”の形を納得していく。

その形をもった“わたし”が……変化する“ありのまま”のなかで翻弄され続
けて……まわりの空間属性を世界として理解する……。

そして世界のなかの“自分”の恒常性を記憶のなかで保持しようとしたら……
過去と未来を……つまりは時間を捏造するわけだろうなぁ……。(-_-;)

----------------------------------------------------------------------
 あなたがもっているあなた自身のイメージは記憶によってつくられたまった
 く偶然の産物なのだ。
                          『私は在る』(p357)
----------------------------------------------------------------------

というのは……肯けますよね。

----------------------------------------------------------------------
 光線がほこりの微少片にさえぎられないかぎり目に見えないように、至高な
 るものもすべてを既知にしながら、それ自身は未知としてとどまるのだ。
 
                           『私は在る』(p85)
----------------------------------------------------------------------

そうか……。

じゃその……“それ自身は未知としてとどまる”という……“至高なるもの”
に……われわれはアクセスできないのか? (-_-)

----------------------------------------------------------------------
 いいや。
 至高なるものはもっとも到達しやすいものだ。
 なぜなら、それはあなたの存在そのものだからだ。
 考えることを止め、至高なるもの以外を求めないこと、それで充分だ。
 
                           『私は在る』(p85)
----------------------------------------------------------------------

(>_<)

そっかぁ……。

攻め込まれるなぁ……。

結局……そういうところに戻ってくるよなぁ……。(-_-;)

(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【70 神はすべての欲望と知識の終焉だ】4回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今回のこの章最後の部分で、質問者はニサルガダッタの口から思わぬ言葉を引
き出します。

> マインドとはそれが考えていることなのだ。

というのです。(@_@)

(ところで……覚者ニサルガダッタ自身も、質問者の問に応じて肉体の口から
 そういう言葉が出てくるのを聴いているだけなんですかねぇ。(-_-) )

それはともかく、「マインドとはそれが考えていることなのだ」から……、

> マインドを真実にするために、真実を考えなさい。

ということになるらしいですよ。(@_@)

何だか……すごいことを聴いちゃったという感じです。(^^;)

では、【70 神はすべての欲望と知識の終焉だ】の4回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 ここで、あなたは座り、私に話しています。あなたにそれを強いる
     のはカルマです。
 
 マハラジ
 何ひとつ、私に強いるものはない。
 私はする必要のあることをするだけだ。
 だが、あなたはたくさんの不必要なことをする。
 調べることを拒むことがカルマをつくり出すのだ。
 あなた自身の苦しみに無関心であることが、それを永続させるのだ。
 
 質問者 それは本当です。この無関心に終止符を打つことができるのは何で
     しょうか?
 
 マハラジ
 無執着、あるいは慈悲の波が内面から衝動として起こらなければならない。
 
 質問者 この衝動に私の方からであいに行くことができるでしょうか?
 
 マハラジ
 もちろんだ。
 あなた自身の状態を見てみなさい。
 世界の状態を見てみるがいい。
 
 質問者 私たちはカルマ、輪廻(りんね)、進化、ヨーガ、師と弟子につい
     ての話を聞いてきました。これらすべての知識をどうすればいいの
     でしょう?
 
 マハラジ
 すべてを捨て去っていくがいい。
 忘れるのだ。
 概念や信念の重荷を捨て去って、先へと進んでいきなさい。
 すべての言語的構造、すべての相対的真実、すべての実体的な対象物を放棄
 しなさい。
 絶対なるものは、絶対的な献身によってだけ到達できるのだ。
 半端な気持ちではいけない。
 
 質問者 私は何か絶対的な真実からはじめなければなりません。そのような
     何かがあるでしょうか?
 
 マハラジ
 ある。
 それが「私は在る」という感覚だ。
 それからはじめなさい。
 
 質問者 それ以外の何も真実ではないのでしょうか?
 
 マハラジ
 ほかのすべては真実でもなければ、偽りでもない。
 それが現れると真実のように見え、否定されるとそれは消え去るのだ。
 一時的なものは神秘的だ。
 
 質問者 私は実在は神秘的なのだと思っていました。
 
 マハラジ
 どうしてそうありうるだろう。
 実在はシンプルで、オープンで、明らかで、優しく、美しく、そして喜ばし
 いものだ。
 それは矛盾からの完全な自由なのだ。
 それはつねに新しく、つねに新鮮で、かぎりなく創造的だ。
 存在と非存在、生と死、すべての区別がそのなかで溶けあっている。
 
 質問者 すべてが偽りだということは認めます。しかし、それが私のマイン
     ドを消し去ることができるでしょうか?
 
 マハラジ
 マインドとはそれが考えていることなのだ。
 マインドを真実にするために、真実を考えなさい。
 
 質問者 もしものごとの形が単なる現れでしかないなら、実際には、それら
     は何なのでしょうか?
 
 マハラジ
 実際には、知覚だけがある。
 知覚する者と知覚されるものは観念であり、知覚しているという事実は現実
 のものだ。
 
 質問者 絶対なるものはどこから来るのでしょうか?
 
 マハラジ
 絶対なるものは知覚の誕生する場所だ。
 それが知覚を可能にするのだ。
 
 しかし、分析のしすぎはあなたをどこへ導きもしない。
 あなたのなかには分析もマインドも超えた存在の核心がある。
 あなたはそれを行為のなかでだけ知ることができる。
 日常生活のなかで、それを表現しなさい。
 そうすれば、その光はつねに明るく光り輝くだろう。
 
 マインドの真正な機能とは、あなたに何が存在しないのかを伝えることだ。
 だが、もしあなたが明確な知識を望むなら、マインドを超えた彼方へ行かな
 ければならない。
 
 質問者 すべての宇宙のなかには、ただひとつでも価値あるものがあるので
     しょうか?
 
 マハラジ
 ある。
 愛の力だ。
 
                        『私は在る』(p357-358)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 ここで、あなたは座り、私に話しています。あなたにそれを強いる
>     のはカルマです。

あはは、まだ言ってる、このひと。

> マハラジ
> 何ひとつ、私に強いるものはない。

はい、わかっています。

> 私はする必要のあることをするだけだ。

はい。

> だが、あなたはたくさんの不必要なことをする。

ですよね……。(*-_-*)

> 調べることを拒むことがカルマをつくり出すのだ。

なるほど。

> あなた自身の苦しみに無関心であることが、それを永続させるのだ。

そういうことかぁ。(-_-)

じゃ我が儘はやっぱりいいことなんだ。(^-^)   \←……

> 質問者 それは本当です。この無関心に終止符を打つことができるのは何で
>     しょうか?

うん。

> マハラジ
> 無執着、あるいは慈悲の波が内面から衝動として起こらなければならない。

カー、こうくるか……。(>_<)

> 質問者 この衝動に私の方からであいに行くことができるでしょうか?

おお、なかなかいいとこ突くね、あなた。(@_@)

> マハラジ
> もちろんだ。

(@_@)O

> あなた自身の状態を見てみなさい。
> 世界の状態を見てみるがいい。

あーあ、そういうことか。

> 質問者 私たちはカルマ、輪廻(りんね)、進化、ヨーガ、師と弟子につい
>     ての話を聞いてきました。これらすべての知識をどうすればいいの
>     でしょう?

このひとインド人だ……。

たしかに、そうだとしたら、その気持ちわかりますよ。

> マハラジ
> すべてを捨て去っていくがいい。
> 忘れるのだ。

ここは、容赦ない。

> 概念や信念の重荷を捨て去って、先へと進んでいきなさい。

ここにどれだけの手間暇をかける必要があるかが……人によって異なるのかも。

> すべての言語的構造、すべての相対的真実、すべての実体的な対象物を放棄
> しなさい。

「すべての言語的構造」……「すべての相対的真実」……。

「すべての実体的な対象物」……を放棄しなさい……か。

知覚可能……想像可能な……すべての具体的対象物……。

何と言い換えても……同じことだな……。

顕現世界すべてをあとにしなさい……ということだよなぁ。

> 絶対なるものは、絶対的な献身によってだけ到達できるのだ。

はい。

> 半端な気持ちではいけない。

わかりました。(;_;)  (←(^_-))

> 質問者 私は何か絶対的な真実からはじめなければなりません。そのような
>     何かがあるでしょうか?

うん。

> マハラジ
> ある。

おお。(@_@)O

> それが「私は在る」という感覚だ。

あー……やっぱり。

> それからはじめなさい。

はい。

> 質問者 それ以外の何も真実ではないのでしょうか?

いちおう、確認しておくのはエライね。(^_-)

> マハラジ
> ほかのすべては真実でもなければ、偽りでもない。

あ、はい。

> それが現れると真実のように見え、否定されるとそれは消え去るのだ。

なるほど。

> 一時的なものは神秘的だ。

そうかぁ。

> 質問者 私は実在は神秘的なのだと思っていました。

そんなふうにも思いますよね。

> マハラジ
> どうしてそうありうるだろう。
> 実在はシンプルで、オープンで、明らかで、優しく、美しく、そして喜ばし
> いものだ。

そうなんですね。

> それは矛盾からの完全な自由なのだ。

それは、わかります。

そうでなくっちゃ。

> それはつねに新しく、つねに新鮮で、かぎりなく創造的だ。

「つねに新しく、つねに新鮮で、かぎりなく創造的」……。

> 存在と非存在、生と死、すべての区別がそのなかで溶けあっている。

そうかぁ……。

非存在……死……存在以前の完全な空無……そういうものが望ましいような気
もしていたけれど……。

実在はそういうマインドの想像を完全に包含し……なおかつ……それをはるか
に超えたものなんだろうなぁ……。

ラマナ・マハルシはこう言っています。

----------------------------------------------------------------------
 われわれは実在を
 サット(存在)
 チット(意識)
 アーナンダ(至福)
 として語るが、それでさえ正しい描写とは言えない。
 
 実際、それは描写できないものなのである。
 
 この描写でわれわれが
 明らかにしようとしていることは、
 それがアサット(非存在)ではないこと、
 それがジャダ(無感覚)ではないこと、
 そしてそれがすべての苦しみから自由だということである。
 
                         静寂の瞬間』(p96-07)
                       http://tinyurl.com/m2wjhu
----------------------------------------------------------------------

実在とは……そういうものなんですねぇ。

いいなぁ。

> 質問者 すべてが偽りだということは認めます。しかし、それが私のマイン
>     ドを消し去ることができるでしょうか?

顕現がすべて偽りだと知的に認めたとしても、それで自分のマインドは消え去
りません、と訴えているわけですよね。

まったくです。

ところが……この感想がとんでもない言葉を覚者の口から引き出します。

> マハラジ
> マインドとはそれが考えていることなのだ。

なぬ!? (*_*)  ⌒★?

「マインド」とは「それが考えていること」……。

なんと……。(-_-;)

とすると……。

> マインドを真実にするために、真実を考えなさい。

そうか……。

そういうことになるんだ。

「マインドを真実にするために」は……「真実を考え」ればいいんだ。

これは、大変な知見だと思いませんか? (@_@)

「マインドを真実にするために、真実を考え」ればいい……。

「真実を考え」れば……マインドは真実になる。

なぜなら……「マインドとはそれが考えていること」だから……。

これが……ニサルヨーガなんじゃないかしら……。

> 質問者 もしものごとの形が単なる現れでしかないなら、実際には、それら
>     は何なのでしょうか?

このひと、いいこと訊くよねぇ。(-||-)

> マハラジ
> 実際には、知覚だけがある。

ん?

> 知覚する者と知覚されるものは観念であり、知覚しているという事実は現実
> のものだ。

おーお、そういうことですか。

「知覚する者」と「知覚されるもの」は観念。

「知覚しているという事実」は現実のもの……。

うーむ。(-_-;)

> 質問者 絶対なるものはどこから来るのでしょうか?

詰める……あなたはエライ。

> マハラジ
> 絶対なるものは知覚の誕生する場所だ。

「絶対なるもの」は「知覚の誕生する場所」で……それが知覚を可能にする。

ふーむ……。

> しかし、分析のしすぎはあなたをどこへ導きもしない。

あ。(*@_@*)

見透かされた。(^^;)

> あなたのなかには分析もマインドも超えた存在の核心がある。

はい。

> あなたはそれを行為のなかでだけ知ることができる。

ほー。

> 日常生活のなかで、それを表現しなさい。

はい。(*-_-*)  (←ちゃってからにしてぇ。(^_-))

> そうすれば、その光はつねに明るく光り輝くだろう。

わかりました。

> マインドの真正な機能とは、あなたに何が存在しないのかを伝えることだ。

なるほど、そういうことなんですか。(@_@)

マハラジが言葉で伝えることができるのは……そこまでなんだ。

> だが、もしあなたが明確な知識を望むなら、マインドを超えた彼方へ行かな
> ければならない。

わかっています。(;_;)

> 質問者 すべての宇宙のなかには、ただひとつでも価値あるものがあるので
>     しょうか?

うーむ、すばらしい根性。

チャンスを無駄にしない。

> マハラジ
> ある。

(@_@)O

> 愛の力だ。

愛の力だ。(^-^)   \←……

(*-_-*)

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


        …………○…………○…………○…………



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■ 3.いただいたお手紙から:いぬさん
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        …………○…………○…………○…………


今回、いぬさんから前回書いたことに対する応答をいただきました。

早速、ご紹介します。

【件名】:
----------------------------------------------------------------------
 パリさん、前回は私の投稿を取り上げていただき有難うございました。
 
 さて、実のところパリさんのお返事をいまだ整理ないし咀嚼し切れていま
 せん。
 自分自身がパリさんのお返事の、どこが理解できていないかということに
 ついて分析し切れていないのです。
 
 重複しますが、ちょっと角度を変えて私の疑問を述べさせていただきま
 す。重複の煩瑣をご容赦ください。
 
 > この物質世界が、我々が想念に注意を向けることで成立しているという
 > 意味でしょうか?
 
 このことに関しては、私もパリさんと同様、意識というものが物質や宇宙
 の進化過程によって出現したものとは考えてはおりません。
 上記の文章で私は以下のようなことを考えておりました。
 
 
 私が窓の外を見ますとビル群が見えます。
 これらビルは誰かが建てることを意図し、設計し、職人が建設し、そして
 その結果を私が見ています。
 このことに関して疑いも不思議もありません。
 普通であればなんら疑問の湧く風景でもないでしょう
 ところが「想念の現実化」という言葉を聞いて、
 私が見るというこの特定の風景、この特定さが、私のビル群があるぞとい
 う想念に、注意を向けることで成り立っている(結果現実世界で特定のビ
 ル群という風景を見る)という意味なのかと。
 早い話が宗教などでいう唯心論です。
 目の前の風景は職人さんが建てたものではなく、私の特定のビルがあると
 いう想念に、私が注意を向けることで作り上げ見ているのかと。
 そのように考えていたのです。
 もしそうであるのならば、私は想念の選択に関し、今まで以上に慎重にな
 らなければいけません。
 なぜなら想念は私の現実世界を作ってしまうからです。
 パリさんの仰られる「想念の現実化」とはそういう意味ではないというこ
 とでしょうか?
 
 > 宇宙を創造した欲望はあなたのものだ。
 > 世界はあなた自身の創造だと知り、自由になりなさい。
 
 この文章もそのような文脈で捉えておりました。
 パリさん自身はどういう意味で捉えられておりますか?
 
 
 それと「想念」「注意」という言葉ですが、
 
 > 欲望とは単にある想念にマインドを固定させることだ。
 > それに注意を払わないことで、その常道にはまる習慣を捨て去りなさい。
 
 ここでの文脈で使用される「想念」「注意」もパリさんが前回レスで使用
 された「想念」「注意」と同じ意味でしょうか?
 私には違う階層で試用されているように思われるのです。
 
 >“想念の現実化”とは……その有機体と意識に注意を向けて……それを
 現実とすることなんでしょうね。
 
 上記はパリさんの前回のお返事ですが、ここでのレスでは、想念とは現象
 世界の構成要素で、注意とは現象を顕現させる力そのものというようなニ
 ュアンスを感じます。
 ところがマハラジの上記の会話の方は、「想念」とは我々の心に浮かぶ思
 いであり、「注意」とは通常の注意力というニュアンスを感じます。
 私は私自身が、この辺りでこんがらがっているように思うのです。
 
 それとこれも上記の疑問と絡むのですが
 > “注意”を振り向けるのをやめれば、あるいは単に“注意”を振り向け
 > るのを忘れれば……それだけでわれわれの世界は……消えます。
 
 ここの文章では、文字通り世界が消えてなくなるという意味でしょうか?
 その場合の「注意」とはどういうレベルの階層の「注意」でしょうか?
 
 理解力がないためにまたまた似たような質問をしてすいません。
 パリさんがゲンナリされなければよいのですが・・・
----------------------------------------------------------------------

いぬさん、ご投稿ありがとうございました。

それで、内容に立ち入る前に、今回のいぬさんのご投稿を読んで、まず浮かん
できた思いを最初にちょっと書かせていただきますね。^^;

それは、“わたし”は別に何かがわかっていて……それで書いているわけでは
ないということでした。(^^;)

ほんと、ただその瞬間浮かんだ連想を綴っているだけなんです。

そういうわけなので……どうもすみません。(*^_^*)

> パリさん、前回は私の投稿を取り上げていただき有難うございました。

こちらこそ。

いろいろ真摯に質問していただいて、嬉しかったです。

> さて、実のところパリさんのお返事をいまだ整理ないし咀嚼し切れていま
> せん。

そんな……咀嚼だなんて。(^^;)

> 自分自身がパリさんのお返事の、どこが理解できていないかということに
> ついて分析し切れていないのです。

ちょっと、調子に乗って長く書きすぎたと思います。

> 重複しますが、ちょっと角度を変えて私の疑問を述べさせていただきま
> す。重複の煩瑣をご容赦ください。

わかりました。

> > この物質世界が、我々が想念に注意を向けることで成立しているという
> > 意味でしょうか?
> 
> このことに関しては、私もパリさんと同様、意識というものが物質や宇宙
> の進化過程によって出現したものとは考えてはおりません。

了解です。

> 上記の文章で私は以下のようなことを考えておりました。

はい。

> 私が窓の外を見ますとビル群が見えます。
> これらビルは誰かが建てることを意図し、設計し、職人が建設し、そして
> その結果を私が見ています。
> このことに関して疑いも不思議もありません。

はい。

> 普通であればなんら疑問の湧く風景でもないでしょう
> ところが「想念の現実化」という言葉を聞いて、
> 私が見るというこの特定の風景、この特定さが、私のビル群があるぞとい
> う想念に、注意を向けることで成り立っている(結果現実世界で特定のビ
> ル群という風景を見る)という意味なのかと。

“見る者”がいなければ、“見られるもの”はありえない……という意味では
「注意を向けることで成り立っている」というのはその通りですよね。

それとも……おっしゃっているのは“魔法”のようなニュアンスですか?

> 早い話が宗教などでいう唯心論です。

“唯心論”という言葉にどういう意味を持たせるかにもよるでしょうが……。

でも……おっしゃる雰囲気は何となくわかります。

> 目の前の風景は職人さんが建てたものではなく、私の特定のビルがあると
> いう想念に、私が注意を向けることで作り上げ見ているのかと。
> そのように考えていたのです。

うーむ。(-_-;)

もし、そういうイメージで……いぬさんが心底納得できれば……それでもいい
わけなんでしょうけどね……。

ナザレのイエスも……顕現世界が幻影であることを完璧に知っていたからこそ
……死人を蘇らせたり……磔刑の後に復活したりできたのかもしれませんし。

> もしそうであるのならば、私は想念の選択に関し、今まで以上に慎重にな
> らなければいけません。
> なぜなら想念は私の現実世界を作ってしまうからです。

それについては……間違いなくその通りだと思います。

ニューエイジのスピリチュアルマスターたちも……ニサルガダッタも……その
点では同意すると思います。

> パリさんの仰られる「想念の現実化」とはそういう意味ではないというこ
> とでしょうか?

“わたし”がイメージしていた「想念の現実化」は……いぬさんがおっしゃっ
ているニュアンスに比べると……ごく普通に言う意味でしたけどね。^^;

ごく穏やかな……今の時代なら誰もが納得できる程度の……“自分”の世界の
創造……くらいのニュアンスでした。

> > 宇宙を創造した欲望はあなたのものだ。
> > 世界はあなた自身の創造だと知り、自由になりなさい。
> 
> この文章もそのような文脈で捉えておりました。

なるほど。

これも……ある意味でその通りですとも言えるし……少し違うような感じもす
るし……。

> パリさん自身はどういう意味で捉えられておりますか?

上にも書いたように……“自分”の注意をどの想念にフォーカスするかで……
われわれは“自分”の現実を創造している……という意味でした。

“わたし”にとっては……それで充分です。^^;

> それと「想念」「注意」という言葉ですが、

はい。

> > 欲望とは単にある想念にマインドを固定させることだ。
> > それに注意を払わないことで、その常道にはまる習慣を捨て去りなさい。
> 
> ここでの文脈で使用される「想念」「注意」もパリさんが前回レスで使用
> された「想念」「注意」と同じ意味でしょうか?

はい、“わたし”は同じ意味で使っているつもりですが……。

> 私には違う階層で試用されているように思われるのです。

そうですか……。

> > “想念の現実化”とは……その有機体と意識に注意を向けて……それを
> > 現実とすることなんでしょうね。
> 
> 上記はパリさんの前回のお返事ですが、ここでのレスでは、想念とは現象
> 世界の構成要素で、注意とは現象を顕現させる力そのものというようなニ
> ュアンスを感じます。

はい、その通りです……。

その通りですが、いぬさんがイメージする「現象を顕現させる力そのもの」
が……どういう意味なのか……。

> ところがマハラジの上記の会話の方は、「想念」とは我々の心に浮かぶ思
> いであり、「注意」とは通常の注意力というニュアンスを感じます。

はい、その通りだと思います。

> 私は私自身が、この辺りでこんがらがっているように思うのです。

ああ、なるほど。(@_@)

やっと……いぬさんがおっしゃる意味がわかったような気がします。

いぬさんには……「現象を顕現させる力そのもの」と“通常の注意力”が…
…同じものとは思えない……ということですね。

“わたし”はこれは同じものだと思います。(^^;)

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 “想念の現実化”とは……その有機体と意識に注意を向けて……それを現実
 とすることなんでしょうね。
----------------------------------------------------------------------

と書いたときの「注意」も、たしかに、いぬさんがおっしゃるように、

「想念とは現象世界の構成要素で、注意とは現象を顕現させる力そのもの」…
…の意味で書いています。

ただそれは、現象世界を創造する“幻力”とは言えても、別に珍奇な“魔法”
とか“奇術”のような意味ではありません。

いや、言葉はややこしいですよね。(*^_^*)

要するに……われわれがごく日常的に知っている「注意」のことです。

マハラジにも「注意を過小評価してはならない」と……章タイトルにまで採用
された言葉があります……。

----------------------------------------------------------------------
 注意を過小評価してはならない。
 それは関心であり、愛なのだ。
 知るため、行うため、発見するため、あるいは創造するためには、それにハ
 ートを捧げなければならない。
 それが注意力を意味する。
 あらゆる祝福はそこから流れだすのだ。
                          『私は在る』(p143)
----------------------------------------------------------------------

これこそが……“わたし”が“現実”創造のために「わたし」から拝借してい
る力だと思います。

その力を正しく使うことによって……マインドは自ら“自分”の非在を納得し
……実在に溶け入ることができるのだと思います。

> それとこれも上記の疑問と絡むのですが

はい。

> > “注意”を振り向けるのをやめれば、あるいは単に“注意”を振り向け
> > るのを忘れれば……それだけでわれわれの世界は……消えます。
> 
> ここの文章では、文字通り世界が消えてなくなるという意味でしょうか?

はい、“文字通り世界が消えてなくなるという意味”です。(^^;)

“わたし”にとっては。

ただ、在ると……“思いこんで”いるだけなのです。

だから……目を開けたら……やっぱり在るわけです。(*^_^*)

でも……実際は……忘れてしまったら……そういうものは存在しません。

こういうことは、たとえば、養護老人ホームなどでは……ごく普通に確認でき
る日常茶飯事だと思いますよ。

自分がいまいるところ(=世界)がどこなのか……何に対応すべきなのかが、
わからなくなっている方が少なからずいるだろうと思います。

だいたいそういうわれわれだって……赤ん坊のころは……この世界の存在など
知らなかったわけですし……。

この世界の存在を学習して(つまりこの世界を創造して)……この世界に住む
ようになったわけですから。

毎日……寝床にはいるだけで……この世界は“文字通り消えてなくなる”と思
います。

少なくとも“わたし”にとっては。

映画にもあるように、ただ記憶にアクセスできなくなるだけで(つまり、忘れ
るだけで)、この世界は簡単に“文字通り消えてなくなる”と思います。

“他の人”にとってその世界が在るか無いかなど……“わたし”の知ったこと
じゃありません。

現に……わたしの知らないところにどんな世界があろうが……あるいはなかろ
うが……わたしには知りようもないわけですから。

“噂話”が聞こえてくることは……あります。

その“噂話”を信じれば……またその“噂話”に注意を向ければ……その世界
は“現実”になる可能性があると思います。

(われわれは……そのようにしてこの世界に住むことになったと思います。)

そんな“噂話”がまったく信じられなければ……そして“噂話”に注意を向け
なければ……その世界が“現実”になる可能性もまずないだろうと思います。

そんな“噂話”に接触すらしなければ……注意の向けようもないわけですから
……そんな世界が“現実”になる可能性は皆無だろうと思います。

----------------------------------------------------------------------
 “想念の現実化”とは……その有機体と意識に注意を向けて……それを現実
 とすることなんでしょうね。
----------------------------------------------------------------------
と書いたときの“想念の現実化”とは……そういう意味でした。

> その場合の「注意」とはどういうレベルの階層の「注意」でしょうか?

というわけですので……いぬさんが区別していらっしゃる「注意」の“二つ”
の用法は……“わたし”のなかでは同じ意味だったということのようです。

> 理解力がないためにまたまた似たような質問をしてすいません。
> パリさんがゲンナリされなければよいのですが・・・

いえ……こうして確認していただけて……とてもありがたかったです。

“自分”でも、はっきりしましたし。

いぬさん、ご投稿ありがとうございました。

m(_ _)m

        …………○…………○…………○…………



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■ 4.「ご投稿・情報提供」:ドン・ガバチョさん
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『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518

        …………○…………○…………○…………


じつは今回、ドン・ガバチョさんから二回のご投稿、内容的には三つのお話を
ご投稿いただいたのですが、容量制限で全部は掲載できませんでした。

なので、今回は一つ目のお話だけご紹介します。

【件名】: ジュリアの音信(絵本) 
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 ジュリアの音信(絵本)
 
 不思議なお話です。ということは、論理的・客観的な裏付けは何も無いおとぎ
 話ということで御座います。
 どうぞ気になさらずに・・・
 
 ――――
 
 これは120年前にあった有名な本当にあったお話です。
 人は死んでも死なない?
 あの世とこの世をつなぐ不思議な本当にあったお話。
 
 
 第三話
 
 あの世と、この世は、逆さまの世界〜物と心の大切さが逆転します
 
 工レン、私がこちらの世界に来まして、直ぐにとても吃驚したお話、三つしま
 したね。
 一つ、人は死なないということ。病気が消えて、すこぶる健康になるというこ
 と。
 二つ目、あの世とこの世の風景そっくり。でもこっちの方がずっと新鮮なの。
 三つ目は、想念即ち現実。思えば直ぐ空を飛んでそこへ行けるし、思えば着物
 も身にまとうし、思えば青春の
 日の自分の姿に若返るし。そう、想念が生きもので、直ぐそうなってしまう
 の。
 
 だったら、当界は誰にとっても天国だわネ。ところが、すぐにもっと吃驚する
 ことが次々に分かってき
 て・・・、そう、今日はそのお話をしましょう。
 
 私がこちらの世界に来まして、一番驚いたことは、何と物がみんな空虚に見え
 ること、お金の価値がゼ口な
 の、スケスケ。
 それと人間の心が皆アケスケに見えること。この二つの発見ね。
 
 工レン、私達は世界で一番大事なものは物だと思っていたでしょ。それが何と
 空虚なこと!
 たとえばお金、地位、財産、レッテル、その他私達が物質界で大事に賞賛する
 物がみんな空虚なのです。
 物はみんな霧のように、去年のお天気のように消え去りました。
 
 では、当界では何が一番大事かつて?
 工レン、肉体の外被が無くなって、こちらに来ると、霊魂がムキ出しになる
 の。
 本人の持っている性質がそのまま丸見えになるのです。
 
 その性質というのは人格よ。ホラ、善い人とか、悪い人とか、あれよ。
 人格が宝なの。人の心が皆ムキ出しになるから、心が貧しい人はミジメなの。
 人格が素敵な人はこちらではピ力ピ力、素敵な人。だから人格が大きな大きな
 宝なのです。
 
 その外の財産、職業、学歴、たとえば牧師さんの聖職にしても何の意味も持た
 なくなるの。
 地上では偉そうな思想とかうまい弁舌とかが、人を驚かし動かす力のように言
 われますが、あれは嘘っパチで
 す。
 どんなにうまく喋っても、どんなにレッテルで着飾っても、当界では本人の本
 心がアケスケ丸見えに見えるか
 ら、何の価値もないのです。
 
 私達は物事の本質を見て、レッテルを見ません。
 人物の見方が今までとは裏腹になるので、工レン、こちらに来てからでは遅い
 のよ。
 ちゃんとそちらで人間の生き方をもう一度見直さねばなりません。
 肉体を離れて、人は初めて実体が明白となります。
 その人が何を考えていたか、何を思い暮してきたか、それが皆アケスケになり
 一切が見透かされます。
 この露見は驚くばかりです。私は今やっとその衝撃に馴れてきたところです。
 
 当界に入りますと、自分のした一生の姿が見えます。何一つ忘れたものがあり
 ません。何一つ忘れられるもの
 はありません。
 たとえば当界では、罪はすべてその人の外に現れて見えています。その実情は
 まさに驚きそのものです。
 被害者が相手の自の前に現れるだけで、鞭(むち)は一切不用です。ただ「こ
 れがお前のしたことだぞ、見
 ろ!」と言って、被害者が目の前に出現するだけで、罪人は十分に罰せられる
 のです。
 
 こちらでは誰しも、相手の真人格を見る感覚が備わっています。ですけどその
 看破力には人により差があるの
 です。
 愛の深い人達はまるで印刷物を見るように八ッキリ他人の心を読むことが出来
 ます。
 愛のない人達は逃げようとして、心貧しい人ばかりが住む、つまり地獄のよう
 な所をつくります。
 同じ程度の心の持主の間では、心と心がお互いに見透しなのです。
 ですから気心の合った者同士が集まって住もうとします。良い人達は良い人達
 ばかり、中くらいの人は中くら
 いの人ばかり、意地悪な人は意地悪な人ばかり。
 ですから幾つもの階層世界がこちらには存在します。そこが地獄であったり天
 界であったりするわけです。
 
 上に行く程、愛に満ち平和と輝きに溢れていて、私共の想像を絶した天界が存
 在します。
 ここ、私の居る処、中くらいの世界。工レンなら判るでしょう、私達のような
 気心の世界、ちょうどここでさ
 え、見るもの聞くもの香ばしく、空気は丁度初夏のようで、花咲きみだれ馥郁
 (ふくいく)たる香りを放って
 います。つまり常夏の国サマーランドね、ここが私にとっての現実世界なの
 よ。非常に健康で、自由があり幸
 福に満ち、踊りを踊りたい気持ちよ。
 エレン、次はもっと色々な世界のお話、いろいろな人のお話をしてみましょう
 か。
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ドン・ガバチョさん、今回もまぐまぐの掲載制限でご投稿の全文は掲載できま
せんでしたので、まずはひとつ目のお話だけ掲載させていただきました。

また、次回に掲載させていただきますね。

ご投稿、ありがとうございました。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


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■ 5.編集後記:「真実を考え」ていることになりそうですよね。(^_-)
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何というか……だんだん流れに任せて……われながらあまり頑張ることもなく
なってきているような気がします。

なるようになるんでしょうね。

人生を……無理に“自分”で……押しやることもないし……。

いつもニサルガダッタの言葉を読んでいたら……だんだんそれが普通の言葉に
聞こえてくるようになりました。

> マインドとはそれが考えていることなのだ。
> マインドを真実にするために、真実を考えなさい。

ということなのだそうです。

いつもニサルガダッタの言葉を読んでいたら……それは「真実を考え」ている
ことになりそうですよね。(^_-)

“わたし”の場合は……それが一番向いているみたい。

では、おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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