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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.309 2010/3/7(第309号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 949名
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◇◇ もくじ ◇◇

1,内側では静かにしていなさい

2.写経ニサルガダッタ:【58 完成はすべての者の宿命】の2回目

3.いただいたお手紙から:いぬさん

4.「ご投稿・情報提供」:パールさん、コスモスさん

5.編集後記:自分に一番ピッタリの“サーダナ”だと……
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■ 1 内側では静かにしていなさい
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霧の中……ですね。

雨が降っています……。

視界の上半分は……霧のなかに隠れています。

下半分に凹凸の大地と……それを覆う枯れた植生が見えています。

いうなれば……冬枯れのなかから……春を迎えようとする山里の姿……。

これ以上……何を求めようというのだろうか……?

そんな気もします……。

すべて純白の……神々しい空間だったら……そのほうがいいのでしょうか?

すべて漆黒の……暗黒の深淵のようなら……そのほうがいいのでしょうか?

それともどこかの映画会社が制作する……愛と冒険に満ちた物語映像のほうが
望ましいとでもいうのでしょうか?

どんな欲望をもっても……そして何を想像しても……そういうものはこの幻想
の宇宙空間のどこかには……すでに存在しているに違いありません。

そしてもし願うなら……いつかはそれに出会うことにもなるでしょう。

だから……どうだというのか?

「私は在る」……。(-_-;) (←カッコつけて、まあ。(^_-))

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

実際のところ……われわれは何をどうして欲しいんでしょうね?

何を期待しているのでしょう?

あるいは……何に怯えているのか?

何をだだっ子みたいに……悶え求めているのか?

どんな欲望をもっても……そして何を想像しても……そういうものはこの幻想
の宇宙空間のどこかには……すでに存在しているに違いありません。

だからこそ……現にこうして……いまそれに出会っているわけですから……。

自分が願った……その果ての映像を……こうして今……目の前にしているんで
しょうね……。

つかの間の“現れ”にすぎない顕現世界のなかに……究極の姿を求めることな
どできないことは明らかです。

どんな“現れ”も……次の瞬間にはまた別の形に移らざるをえません……。

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 はじまり、そして終わるもの、それはただの現れにすぎない。
 世界は現れるとは言えても、存在するとは言えない。
                           『私は在る』(p37)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

覚者の話も……よくよく耳を傾けて聴いてみたら……そしてその意味を反芻し
てみたら……。

そんなに意味不明なことを言っているわけでも……理不尽なことを言っている
わけでも……理解不能なことを言っているわけでもなさそうです……。(-_-)

たしかに、

> 世界は現れるとは言えても、存在するとは言えない。

これは……間違いないんじゃないでしょうか……。

にもかかわらず……実際は……われわれはそのつかの間の絵のなか……物語の
なかに入って……そこで幸福になることを……願ってしまう。

それどころか……われわれはそのつかの間の絵のなかで……“生き延びる”こ
とまで……願ってしまう。

どうして……こんなことになってしまうのか……。

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 何にもまして、私たちは意識しつづけていたい。
 あらゆる苦しみや屈辱を耐えてでも、意識しつづけることを望むのだ。
 この体験への欲望に逆らって、顕現すべてを手放さないかぎり、解放はあり
 えない。
 私たちは罠にはまったままなのだ。
                          『私は在る』(p346)
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そういうことなのか……。(*-_-*)

そのことを……、

----------------------------------------------------------------------
 私たちは生きている。
 なぜなら感覚的存在を切望しているからだ。
                          『私は在る』(p149)
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とも言ったわけか。

そしてその切望を満たす手段が……世界……であるようです……。

----------------------------------------------------------------------
 創造の神ブラフマーはすべての欲望の総計だ。
 世界はそれらを満たすための道具なのだ。
 魂たちは何であれ彼らの望んだ喜びをつかみ、涙で支払う。
 そして時間がすべての勘定書を決算する。
 バランスの法則が究極の支配をするのだ。
                          『私は在る』(p103)
----------------------------------------------------------------------

きびしい……。(/_;)

しかし……個々の“魂”たちの願い(欲望)を満たすためには……他にやりよ
うはないわけです。

バランスに欠ける世界を維持することなど……どんな神にもできるはずがない
のですから……。

そして結局……創造神といっても……それはたんに……われわれの想像にすぎ
ないわけでしょう……。(=_=)

----------------------------------------------------------------------
 世界はそれ自体からそれ自体を再創造するのだ。
 それは一時的なものが一時的なものを生みだしていく果てしない過程だ。
 そこに行為者がいなければならないとあなたに考えさせるのは自我なのだ。
 どれほど恐ろしいイメージであろうとも、あなたがあなた自身のイメージに
 よって神をつくり出すのだ。
 あなたのマインドのフィルムを通して世界を投影し、そして原因と目的を与
 えるために神をも投影する。
 それはすべて想像なのだ。
 その外へと踏みだしなさい。
                          『私は在る』(p371)
----------------------------------------------------------------------

……。(-_-)

> 世界はそれ自体からそれ自体を再創造するのだ。

わかります。

> それは一時的なものが一時的なものを生みだしていく果てしない過程だ。

よくわかります。

> そこに行為者がいなければならないとあなたに考えさせるのは自我なのだ。

なるほど、そうなんだ……。(@_@)

----------------------------------------------------------------------
 宇宙は行為であふれている。
 だが、そこに行為する者はいないのだ。
 そこには自己同一化によって行為していると想像している無数の小さな、そ
 して大きな、そしてとても大きな個人たちがいる。
 だが、それが行為の世界(マハーダカーシュ)はすべてに依存し、すべてに
 影響する単一の統一体だという事実を変えることはない。
 
                          『私は在る』(p418)
----------------------------------------------------------------------

そうか……。(-_-)

大小さまざまの個人たちは……みんなそれぞれの状況のなかで……しなきゃな
らないことをしているだけなんだ……。

宇宙という……“現れ”の構造体のなかでは……。

> どれほど恐ろしいイメージであろうとも、あなたがあなた自身のイメージに
> よって神をつくり出すのだ。

わかる……。

> あなたのマインドのフィルムを通して世界を投影し、そして原因と目的を与
> えるために神をも投影する。

そうか……確かになぁ……。(-_-)

> それはすべて想像なのだ。

わかります。

> その外へと踏みだしなさい。

外に踏み出せる……のか……。(-_-;)

(*_*)  ⌒★?

ということは……神の本来の居場所は……世界の外……。(@_@)

そこにいるのが……「わたし」か……。

マインドの表面に現れたその「わたし」の反映が……「観照者」か……。

その「観照者」が……注意の焦点を取り込まれて……世界の虜になったら……
それが“わたし”というわけか……。(=_=)

幻力ビーム“気づきの光”の威力を知らずに……めったやたらと興味を惹かれ
……その“現れ”に光を当てて……すべてを現実にしているのか……。

そして……自分が創りだした現実に取り囲まれて……怯え……毛を逆立て……
吠えまくっているわけだ……。

それもこれも……世界という画像のなかに……何かを求めたから……。

見入れば……世界にも魅力があるものなぁ……魅入られるよなぁ。(;_;)

----------------------------------------------------------------------
 世界は無数の輪(リング)でできている。
 それに引っかける鉤(フック)はみなあなたのものだ。
 あなたの鉤をまっすぐにしなさい。
 そうすれば何もあなたを捕らえることはできないだろう。
 あなたの耽溺を放棄しなさい。
 ほかに何も放棄するものはない。
 常習的な利欲心、結果を探し求める習慣を止めなさい。
 そうすれば自由の世界はあなたのものだ。
                          『私は在る』(p259)
----------------------------------------------------------------------

でも現にその世界のなかで……生きている(と思っている)んだし……。(/_;)

そこで……しなければならないことを……しているんだしなぁ……。

どんなふうに生きていけばいいのかなぁ (;_;)

> 静かになりなさい。

あ、はい。(@_@)

----------------------------------------------------------------------
 世界のなかでのあなたの仕事をするがいい。
 だが、内側では静かにしていなさい。
 そうすればすべてはやってくるだろう。
                          『私は在る』(p420)
----------------------------------------------------------------------

わかりました。(-||-)

まだ……希望はあるのでしょうか……? (;_;)

> 真我実現のためにあなたの仕事に頼ってはならない。

はい。

> それは他者に利益をもたらすかもしれないが、あなたにではない。

わかりました。

----------------------------------------------------------------------
 あなたの希望は、マインドのなかでは沈黙を保ち、ハートのなかで静かにし
 ていることにあるのだ。
 真我実現した人たちはとても静かなのだ。
                          『私は在る』(p420)
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

……。(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【58 完成はすべての者の宿命】2回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

章題の「完成はすべての者の宿命」からもいくぶんは推察できることですが、
今回の内容は、とても“ポジティブ”な感じの表現が続きます。(^^;)

マハラジの言葉としては、これはむしろ例外的かもしれませんね。

その意味では、これまでマハラジの言葉がある意味“ネガティブ”に聞こえて
違和感があった方にも、了解しやすい内容と言えるかもしれません。

「新たなる次元へと永遠に自分自身を超えていく、果てしない発見はどこに現
れるのでしょうか?」という質問者の問に対して、マハラジは、

> これらはすべて顕現の領域に属する。
> それは、低次のものからの自由を通してのみ、より高次なものを得ることが
> できるという宇宙の構造そのもののなかにあるのだ。

と答えていますが、これなどはマハラジには珍しい“顕現宇宙の内部構造”に
言及した内容ですよね。

このようなやりとりが、ほかの章の質疑応答とは違った印象をもたらすのかも
しれません。

と言っても、マハラジはマハラジですが。

では、【58 完成はすべての者の宿命】の1回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 そのとき、グルは弟子を追放、あるいは失格にしてしまうのでしょ
     うか?
 
 
 マハラジ
 もし、そうしたなら彼はグルとは言えない!
 彼は時節が調い、弟子が鍛えられ、冷静になって、より受容的な精神で彼の
 もとに戻ってくるのを待つのだ。
 
 質問者 何が動機なのでしょうか? なぜグルはそれほどの困難を受け入れ
     るのでしょうか?
 
 マハラジ
 悲しみと悲しみの終焉(しゅうえん)のためだ。
 彼は人びとが夢のなかで苦しんでいるのを見て、目覚めさせたいと願うのだ。
 愛は苦痛や苦しみを見ることに耐えられない。
 グルの忍耐には限界がない。
 それゆえ、打ち負かされることはできないのだ。
 グルはけっして失敗しない。
 
 質問者 私の最初の師はまた最後の師でもあるのでしょうか、それとも私は
     師から師へと渡り歩かなければならないのでしょうか。
 
 マハラジ
 宇宙全体があなたのグルだ。
 もし注意深く、知的であれば、あなたはすべてから学んでいく。
 あなたのマインドが澄んで、ハートが清らかであれば、あなたはすべての通
 りがかりの人たちから学ぶだろう。
 あなたが怠惰で落ち着きがないため、内なる真我が外側のグルとして現れ、
 あなたに彼を信頼させ、したがわせるのだ。
 
 質問者 グルは不可避なのでしょうか?
 
 マハラジ
 それは「母親は避けることはできないものなのでしょうか?」と尋ねるよう
 なものだ。
 意識のなかで、ひとつの領域からより高い領域に上がっていくには助けが必
 要だ。
 助けがつねに人間の形を取るとはかぎらない。
 それは名状しがたい存在かもしれない。
 あるいは直感のひらめきかもしれない。
 しかし、助けは来なければならない。
 内なる真我は、息子が父親のもとに戻ってくるのを待っているのだ。
 時節が調えば、彼は愛情深く、効果的にすべての手はずを整える。
 メッセンジャーや指導者が必要なとき、真我が必要を満たすためにグルを送
 るのだ。
 
 質問者 ひとつだけ理解できないことがあります。あなたは内なる自己を、
     賢明で、善であり、美しく、あらゆる面で完全だとし、個人はそれ
     自身存在をもたない、単なる反映だと話しています。その一方、あ
     なたはたいへんな困難も顧みず、個人にそれ自身を実現させる助け
     をしています。もし、個人がそれほど重要ではないならば、なぜそ
     れほどまでしてその幸福を気にかけるのでしょうか? 誰が影のこ
     とを気にするでしょうか?
 
 マハラジ
 あなたは存在もしない二元性をそこにもち込んだのだ。
 身体があり、真我がある。
 その間にマインドがあるのだ。
 そのマインドのなかに、真我は「私は在る」として反映されている。
 マインドはその不完全さ、その未熟さと落ち着きのなさ、識別と洞察の欠如
 ゆえに、それ自身を真我ではなく身体と見なしてしまうのだ。
 必要なことはマインドを浄化することだけだ。
 マインドが真我のなかに没して消え去るとき、身体は問題を呈しなくなる。
 それはそれであるものとして、認識と行為の道具、内なる創造の炎の表現と
 その道具としてとどまる。
 身体の究極的な価値は、宇宙全体である普遍の身体を発見するために仕える
 ことだ。
 あなたが顕現のなかで自分自身を自覚するほど、あなたはあなたが想像して
 いた以上のものであったことを、絶えず発見し続けていくのだ。
 
 質問者 自己発見には終わりがないのでしょうか?
 
 マハラジ
 そこにはじまりがないように、終わりもない。
 だが、グルの恩寵によって私が発見したことは、私はこれだと指し示すこと
 のできるものではないということだ。
 私は「これ」でもなく「あれ」でもない。
 これは絶対不動だ。
 
 質問者 それでは、新たなる次元へと永遠に自分自身を超えていく、果てし
     ない発見はどこに現れるのでしょうか?
 
 マハラジ
 これらはすべて顕現の領域に属する。
 それは、低次のものからの自由を通してのみ、より高次なものを得ることが
 できるという宇宙の構造そのもののなかにあるのだ。
 
 質問者 何が低次で、何が高次なのでしょう?
 
 マハラジ
 それを気づきの言語のなかで見てみなさい。
 より広く、深いほど、意識が高いのだ。
 生きるものすべては意識を保護し、永続し、拡張するために働いている。
 これが世界の唯一の意味と目的なのだ。
 絶えず意識のレベルを上昇させ、それらの特性と質と能力とともに新たな次
 元を発見すること――それがヨーガの本質だ。
 その意味においては宇宙全体がヨーガの道場となるのだ。
 
 質問者 完成はすべての人間にとっての運命なのでしょうか?
 
 マハラジ
 究極的には、すべての生きるものたちにとってだ。
 悟りの概念がマインドのなかに現れるとき、可能性は確実性となるのだ。
 人は、ひとたび解放が手の届くところにあると聞き、理解すれば、けっして
 忘れはしない。
 なぜならそれが内側からの最初のメッセージだからだ。
 それは根を張り、成長し、時が来れば祝福されたグルの姿を取るのだ。
 
 質問者 では、私たちは皆マインドの救済に関わっているのでしょうか?
 
 マハラジ
 それ以外の何だというのだろう?
 マインドが道に迷い、マインドが家に帰り着くのだ。
 「迷う」という言葉さえ的確ではない。
 マインドはそれ自身のあらゆる気分を知らなければならない。
 繰り返されないかぎり、何ひとつ間違いということはないのだ。
 
                        『私は在る』(p292-294)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 そのとき、グルは弟子を追放、あるいは失格にしてしまうのでしょ
>     うか?

これは、前回の写経部分の最後のマハラジの言葉、

「中途半端な心構えは深刻な障害となる。
 そして、多くの悲しみを自らつくり出す原因となるのだ。
 その過ちはけっしてグルのものではない。
 弟子の愚鈍さと強情さに過失があるのだ。」

に対する質問です。

> マハラジ
> もし、そうしたなら彼はグルとは言えない!

ですよね。

> 彼は時節が調い、弟子が鍛えられ、冷静になって、より受容的な精神で彼の
> もとに戻ってくるのを待つのだ。

はい。

> 質問者 何が動機なのでしょうか? なぜグルはそれほどの困難を受け入れ
>     るのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> 悲しみと悲しみの終焉(しゅうえん)のためだ。

(-||-)

> 彼は人びとが夢のなかで苦しんでいるのを見て、目覚めさせたいと願うのだ。

はい。

> 愛は苦痛や苦しみを見ることに耐えられない。

はい。(;_;)

> グルの忍耐には限界がない。

……。(-||-)

> それゆえ、打ち負かされることはできないのだ。
> グルはけっして失敗しない。

よろしくお願いします。

> 質問者 私の最初の師はまた最後の師でもあるのでしょうか、それとも私は
>     師から師へと渡り歩かなければならないのでしょうか。

うん。

> マハラジ
> 宇宙全体があなたのグルだ。

おお……。(@_@)

> もし注意深く、知的であれば、あなたはすべてから学んでいく。

そうか……。(-_-)

> あなたのマインドが澄んで、ハートが清らかであれば、あなたはすべての通
> りがかりの人たちから学ぶだろう。

(*-_-*)

> あなたが怠惰で落ち着きがないため、内なる真我が外側のグルとして現れ、
> あなたに彼を信頼させ、したがわせるのだ。

そうだったんですか……。(*-_-*)

> 質問者 グルは不可避なのでしょうか?

うーん。

> マハラジ
> それは「母親は避けることはできないものなのでしょうか?」と尋ねるよう
> なものだ。

ぷ。(>_<)\ゴン

(ぶたなくたって……。(/_;) )

> 意識のなかで、ひとつの領域からより高い領域に上がっていくには助けが必
> 要だ。

はい。

> 助けがつねに人間の形を取るとはかぎらない。

(@_@)

> それは名状しがたい存在かもしれない。
> あるいは直感のひらめきかもしれない。

そうか……。

> しかし、助けは来なければならない。

はい。

> 内なる真我は、息子が父親のもとに戻ってくるのを待っているのだ。

放蕩息子の話はそういう意味か……。(-_-)

> 時節が調えば、彼は愛情深く、効果的にすべての手はずを整える。

はい。

> メッセンジャーや指導者が必要なとき、真我が必要を満たすためにグルを送
> るのだ。

わかりました。

今こうして送られていますから……。

> 質問者 ひとつだけ理解できないことがあります。あなたは内なる自己を、
>     賢明で、善であり、美しく、あらゆる面で完全だとし、個人はそれ
>     自身存在をもたない、単なる反映だと話しています。その一方、あ
>     なたはたいへんな困難も顧みず、個人にそれ自身を実現させる助け
>     をしています。もし、個人がそれほど重要ではないならば、なぜそ
>     れほどまでしてその幸福を気にかけるのでしょうか? 誰が影のこ
>     とを気にするでしょうか?

うーん、なんか……。

> マハラジ
> あなたは存在もしない二元性をそこにもち込んだのだ。

なるほど。

> 身体があり、真我がある。
> その間にマインドがあるのだ。

あ、はい。

> そのマインドのなかに、真我は「私は在る」として反映されている。

なるほど。

> マインドはその不完全さ、その未熟さと落ち着きのなさ、識別と洞察の欠如
> ゆえに、それ自身を真我ではなく身体と見なしてしまうのだ。

(まあ、そこに……夢の構造の話としては……アヌンナキだの……12螺旋の
 内の2螺旋だけが残された……とかいう話もあるのかもしれませんが。
 
 でも、それもこれも、夢のなかの話だよなぁ……。)

> 必要なことはマインドを浄化することだけだ。

はい。

“現れ”に反応して“抵抗する者”……がいないということですよね。

> マインドが真我のなかに没して消え去るとき、身体は問題を呈しなくなる。

理解できます。

> それはそれであるものとして、認識と行為の道具、内なる創造の炎の表現と
> その道具としてとどまる。

なるほど。

マインドに対して……そういう表現もあるのか……。

> 身体の究極的な価値は、宇宙全体である普遍の身体を発見するために仕える
> ことだ。

へー……マハラジがこういう言い方をすることもあるのか。(@_@)

マハラジのこういう言い方って……とっても珍しい。(^_-)

なんかラムサみたい。(^^;)  \←……(\/U)

> あなたが顕現のなかで自分自身を自覚するほど、あなたはあなたが想像して
> いた以上のものであったことを、絶えず発見し続けていくのだ。

なるほどなぁ。

> 質問者 自己発見には終わりがないのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> そこにはじまりがないように、終わりもない。

別のところでも、そういうことをおっしゃってましたね。

> だが、グルの恩寵によって私が発見したことは、私はこれだと指し示すこと
> のできるものではないということだ。

はい。

伺いました。

> 私は「これ」でもなく「あれ」でもない。
> これは絶対不動だ。

わかりました。

> 質問者 それでは、新たなる次元へと永遠に自分自身を超えていく、果てし
>     ない発見はどこに現れるのでしょうか?

へー、この質問者はそういう言い方をする人なんだ。

> マハラジ
> これらはすべて顕現の領域に属する。

はい。

> それは、低次のものからの自由を通してのみ、より高次なものを得ることが
> できるという宇宙の構造そのもののなかにあるのだ。

わかります。

> 質問者 何が低次で、何が高次なのでしょう?

うん、いい質問。

> マハラジ
> それを気づきの言語のなかで見てみなさい。
> より広く、深いほど、意識が高いのだ。

おおー。(@_@)

“意識の包含関係”のシンプルな説明……ということでしょうか。

> 生きるものすべては意識を保護し、永続し、拡張するために働いている。

なるほど。(@_@)

> これが世界の唯一の意味と目的なのだ。

いつもながら……簡潔・明瞭な説明。

> 絶えず意識のレベルを上昇させ、それらの特性と質と能力とともに新たな次
> 元を発見すること――それがヨーガの本質だ。

「絶えず意識のレベルを上昇させ、それらの特性と質と能力とともに新たな次
 元を発見すること」……。

それがヨーガの本質……かぁ。

> その意味においては宇宙全体がヨーガの道場となるのだ。

マハラジがこういう言い方をすることって……とっても珍しい。(^_-)

なんか船井幸雄さんみたい。(^^;)  \←……(\/U)

> 質問者 完成はすべての人間にとっての運命なのでしょうか?

なのでしょうか?

> マハラジ
> 究極的には、すべての生きるものたちにとってだ。

おお……。

足立育朗さんが伝えるプレアデス語の「エクサピーコ」か……。

> 悟りの概念がマインドのなかに現れるとき、可能性は確実性となるのだ。

はい。

> 人は、ひとたび解放が手の届くところにあると聞き、理解すれば、けっして
> 忘れはしない。

忘れません。

> なぜならそれが内側からの最初のメッセージだからだ。

おお……。

> それは根を張り、成長し、時が来れば祝福されたグルの姿を取るのだ。

そういうことか……。(-||-)

> 質問者 では、私たちは皆マインドの救済に関わっているのでしょうか?

なんと……。(@_@)

すばらしい表現をするなぁ……この方……。

> マハラジ
> それ以外の何だというのだろう?

おお、やっぱり、そうなんですか……。(@_@)

> マインドが道に迷い、マインドが家に帰り着くのだ。

おお……。

> 「迷う」という言葉さえ的確ではない。

(?_?)

> マインドはそれ自身のあらゆる気分を知らなければならない。

へー。

> 繰り返されないかぎり、何ひとつ間違いということはないのだ。

そうなんですか。

なんか今回は……ニサルガ師匠による“ニューエイジスピリチュアル総集編”
という感じだったなぁ。

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


        …………○…………○…………○…………



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■ 3.いただいたお手紙から:いぬさん
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▼『アセンション館通信』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単なるメールな
ど、ご自由にお書きいただければと思います。


        …………○…………○…………○…………


今回、いぬさんから(じつは「情報投稿フォーム」経由で)ご投稿をいただい
たのですが、内容的にこちらでご紹介させていただきます。

【件名】: 
----------------------------------------------------------------------
 pariさん、こんにちは
 いつもお世話になっております。
 
 さて
 > よろしければ、今度どんなふうに違っていたか教えてください。^^;
 
 私もまだざっと一部分を読んだだけなので正確かどうかはわかりません
 が・・・
 
 マハラジは、知覚できるものは「私」ではなく、「私」とは実在である、
 というような文脈が多かったように思います。
 そこには、表れとしての世界とは別個の存在というか実体を想定している
 ように思います。
 そしてその「私」が絶対的に至福であるところが、救いでもあるように思
 うのです。
 
 これに対し、ラメッシさんは実在というものを認めてないように感じま
 す。用語の定義に意識とは実在ではないと書いてありました。
 ラメッシさんによれば、「全ては意識だ」というのが基本的命題だそうで
 す。
 もちろんここでいう「意識」が問題ですが、世界は潜在化していた意識が
 顕在化したものであり、我々もその現象体の一部というか、分けることの
 できない映像だそうです。
 その映像とは別個の「私」については今のところ言及されていないように
 思います。
 繰り返しますが大雑把にしか読んでおりません。
 ラメッシさんによれば、潜在化している意識が「私ーー私」であり、活動
 している意識(世界が現れ? 意識がそれ自身に気がついている状態?)
 が「私は在る」との事です。
 世界は意識による永遠の映像であり、映像と別個のものはないとの印象を
 受けています。
 まだまだ違いを感じるところがありますが、うまく纏め切れていません。
 こんなところでしょうか。
 
 > あのアンナ・マリーさんのお話は驚きでしたね。(@_@)
 
 全く同感ですね。うらやましい限りです。
 
 そういえば先週2点本を紹介すると書いておきながら、1点しか紹介して
 ませんでしたね。
 残りを紹介しようかなと思ったのですが、最近は投稿が多いので、私1人で
 スペースをとるとまぐまぐの投稿制限にかかってはいけませんのでまた今
 度にします。
 
 
 それと
 
 > さて、ほんとに、こんなエラそうなメルマガは、そろそろやめないとい
 > けないかもしれない……と反省しています。(-_-;)
 
 恐いこといわないでください。(-_-;)
 パリさんのおかげでどれだけ読者が助かっているか・・・
 
 > なにか、いろんなことを無にしてしまうような感じもあって……。
 
 そんなことはありませんよ
 
 > ちゃんと状況が煮詰まれば、ほんらい続けられるような話じゃないよう
 > な気がしています。
 
 そんなことはありませんよ
 悟りへの契機の恵を受けた者の代償だと思って頑張りましょう!!
 期待してますよ!! pariさん!!
----------------------------------------------------------------------

> pariさん、こんにちは

こんにちは。

> いつもお世話になっております。

こちらこそ、いつも応援していただいてありがとうございます。m(_ _)m

> さて
> > よろしければ、今度どんなふうに違っていたか教えてください。^^;
> 
> 私もまだざっと一部分を読んだだけなので正確かどうかはわかりません
> が・・・

はい。

> マハラジは、知覚できるものは「私」ではなく、「私」とは実在である、
> というような文脈が多かったように思います。

ですよね。

> そこには、表れとしての世界とは別個の存在というか実体を想定している
> ように思います。

はい。

真我だけが実在する……という言い方ですものね。

> そしてその「私」が絶対的に至福であるところが、救いでもあるように思
> うのです。

はい、そう思います。

> これに対し、ラメッシさんは実在というものを認めてないように感じます。

え、そうなんですか。(?_?)

> 用語の定義に意識とは実在ではないと書いてありました。

ああ、それはそういうことになるかもしれませんね。

「意識」とは「マインド」の一側面と理解するなら、そういう言い方になると
思います。

> ラメッシさんによれば、「全ては意識だ」というのが基本的命題だそうで
> す。

「(現れている)全ては意識だ」の意味でしょうかねぇ。

それとも、顕在するものも非顕在も含めて、「全ては意識だ」の意味なので
しょうか? (?_?)

> もちろんここでいう「意識」が問題ですが、世界は潜在化していた意識が
> 顕在化したものであり、我々もその現象体の一部というか、分けることの
> できない映像だそうです。

それは……そうだろうと思いますが……。

> その映像とは別個の「私」については今のところ言及されていないように
> 思います。

そうなんですか? (?_?)

> 繰り返しますが大雑把にしか読んでおりません。

わかりました。(^^;)

> ラメッシさんによれば、潜在化している意識が「私ーー私」であり、活動
> している意識(世界が現れ? 意識がそれ自身に気がついている状態?)
> が「私は在る」との事です。

ほー、なるほど。

ラメッシさんの見解では、「全ては意識」であり、

・意識の潜在相が「私」

・意識の顕在相が「世界」

・意識の自覚相が「私は在る」

というようなことなんでしょうか……。(=_=)

マハラジとは少し別の見解のようにも思われますが。

> 世界は意識による永遠の映像であり、映像と別個のものはないとの印象を
> 受けています。

それはその通りでしょうけどねぇ。

> まだまだ違いを感じるところがありますが、うまく纏め切れていません。
> こんなところでしょうか。

わかりました。

ありがとうございました。

> > あのアンナ・マリーさんのお話は驚きでしたね。(@_@)
> 
> 全く同感ですね。うらやましい限りです。

うらやましい……ですか?

アンナ・マリーさんが?

そうですか……。

> そういえば先週2点本を紹介すると書いておきながら、1点しか紹介して
> ませんでしたね。

あ、そうでしたね。^^;

> 残りを紹介しようかなと思ったのですが、最近は投稿が多いので、私1人で
> スペースをとるとまぐまぐの投稿制限にかかってはいけませんのでまた今
> 度にします。

そんな。(^^;)

> それと
> 
> > さて、ほんとに、こんなエラそうなメルマガは、そろそろやめないとい
> > けないかもしれない……と反省しています。(-_-;)

あ、このことか。(*-_-*)

> 恐いこといわないでください。(-_-;)
> パリさんのおかげでどれだけ読者が助かっているか・・・

いや……何というか……。

> > なにか、いろんなことを無にしてしまうような感じもあって……。
> 
> そんなことはありませんよ
> 
> > ちゃんと状況が煮詰まれば、ほんらい続けられるような話じゃないよう
> > な気がしています。
> 
> そんなことはありませんよ
> 悟りへの契機の恵を受けた者の代償だと思って頑張りましょう!!

ありがとうございます。

なんか……いぬさんにそう言っていただくのをせびったみたいな結果になって
……反省しています。(-_-)

あの……これは映画のなかの画面にすぎないのだから……いいじゃないか……
と思えるようになりました。

何のエゴも乗せないで……ただひとつの役割として演じることを試みるのなら
……それはそれでいいじゃないか、と。

実在の「わたし」は……減るわけでもなし……増えるわけでもなし、と。

> 期待してますよ!! pariさん!!

いぬさん、いつも応援メールありがとうございます。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 4.「ご投稿・情報提供」:パールさん、コスモスさん
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518

        …………○…………○…………○…………


今回、パールさんから情報投稿フォーム経由でご投稿をいただきました。

さっそく、ご紹介します。

【件名】: 真央ちゃん「鐘」
----------------------------------------------------------------------
 pariさん今日は
 冬季オリンピック終りました。
 そして未だに私は、フィギュアの採点に憤りを感じ、日本の選手より、他国
 の選手を賞賛するマスコミ、新聞、NHKに強い怒りを消せないでいます。
 
 いつもの事ながら、この3次元の事象にとらわれている情報をお送りしま
 す。
 真央ちゃんの「鐘」の意味を初めて知りました。下記です。
 
 http://blog.goo.ne.jp/risapiano/e/9d0ab0a13b2f6a905304bba839406502
 
 山形リサさんの ラフマニノフ「鐘」の説明で初めて意味が分かり、そし
 て、一層真央ちゃんのフアンになりました。
 
 今日送られて来た銀河連邦マガジンの中に下記のような文章がありました。
 
 『みなさんの現在の終わりを告げる鐘は、みなさんが準備している、
 
 古い世界と新しい世界のかけ橋を創るための ‘警鐘’となるでしょう。』
 
 真央ちゃんは正に警鐘を鳴らしてくれたのですね・・・・・・
----------------------------------------------------------------------

> pariさん今日は

こんにちは。(^^)/

> 冬季オリンピック終りました。

終わりましたねぇ。

> そして未だに私は、フィギュアの採点に憤りを感じ、日本の選手より、他国
> の選手を賞賛するマスコミ、新聞、NHKに強い怒りを消せないでいます。

え。(@_@)

ホントですかぁ。(^^;)

いやー、それはしかし……なかなかたいへんですねぇ。^^;

> いつもの事ながら、この3次元の事象にとらわれている情報をお送りします。

まあ、そう自覚なさっているのなら、それがお好みなのでしょうし……。^^;

> 真央ちゃんの「鐘」の意味を初めて知りました。下記です。
> 
> http://blog.goo.ne.jp/risapiano/e/9d0ab0a13b2f6a905304bba839406502
> 
> 山形リサさんの ラフマニノフ「鐘」の説明で初めて意味が分かり、そし
> て、一層真央ちゃんのフアンになりました。

なるほどねぇ。

ロシア人にとって「鐘」のシンボルにはこういう意味があったんですねぇ。

> 今日送られて来た銀河連邦マガジンの中に下記のような文章がありました。
> 
> 『みなさんの現在の終わりを告げる鐘は、みなさんが準備している、
> 
> 古い世界と新しい世界のかけ橋を創るための ‘警鐘’となるでしょう。』
> 
> 真央ちゃんは正に警鐘を鳴らしてくれたのですね・・・・・・

パールさん、ホントに真央さんのファンなんですねぇ。

ただ……他人も自分と同じ判断をもつべきだと要求するとなると……ちょっと
“幸福戦略”としては……遠大すぎる計画かもしれませんね。(^^;)

まあ、“蓼食う虫も好きずき”ですから、“憤りを感じる”のがご趣味なら、
むろん、横から差し出口をするようなことじゃありませんが。^^;

パールさん、情報投稿ありがとうございました。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


前回に続いて、今回もコスモスさんから情報をご投稿をいただきました。

さっそく、ご紹介します。

【件名】: 山田孝男の遺産
----------------------------------------------------------------------
 Pariさん、こんにちは
 いつもニサルガダッタのわかりやすい解説ありがとうございます。
 またpariさんのメルマガに数回に分けてお邪魔します。
 最もこのメルマガの読者さんには退屈な内容かもしれませんが・・・。
 
 山田孝男の遺産と題して「ラマナ・マハリシ 瞑想三昧」に寄せて
 スターピープルフォー・アセンションVol.31より、
 
 −転記始め−
 
 悟りとは何か。意識とはどういうものか。瞑想によって意識を
 どのように制御し、どうすれば「覚醒」に至ることができるのか。
 著者は、覚醒を求めて瞑想と取り組み、自らの意識、存在と格闘
 した人です。
 その目的を達成してからは、その指導に生涯を捧げた。
 意識の働きや真我と自我の問題など、今回の内容は著者の思想の
 エッセンスとも言える内容になっている。
 
 −自我、ハイアーセルフ、真我は同じではない−
 
 すべての人が幸福を求めていることは確かです。しかし求める幸福は、
 すべての人にとって同じとは限りません。ある人は無知なばかりに、
 幸せを求めた結果としてさらなる不幸を手に入れることもあるわけです。
 人は幸せを手に入れたとき、心が満ち足りた状態になります。
 しかし心は不変のものではないので、満ち足りた状態はいずれ不満に
 変わります。
 完全な満足は心にとって、その働きが停止したことを意味します。
 その時何が残るのでしょか?意識は消滅するのでしょうか?
 
 *真我
 
 体験からいえば、意識は消滅しません。せわしなく動く心から離れた、
 完全な静寂、時間と空間を超越した無始の意識。相対を超えた
 闇のない光。光だけがそこにあります。それは創られたこともなく、
 従って消えることもない「あるもの」だといえます。
 仏教哲学ではそれを「真如」と呼びました。そして私は「瞑想のススメ」
 (山田孝男全集第1巻)のなかで、これを「真我」という言葉で呼んで
 います。
 
 *自我
 
 さて、私たちが普通「私」という一人称で呼んでいるものは、
 心理学では「自我」と呼ばれています。この自我意識は、この世に
 誕生してから日々変化し、成長してきたものですが、夜、熟睡時には
 消えてしまいます。
 このように、常に変化し、消えたり現れたりするものは本当の自分とは
 言えません。
 
 *ハイアーセルフ
 
 そして夜には消え、次の朝には再び現れる自我・・・、これを「私」と
 して認識するからには、両方の自我の状態を見ている「何か」が存在
 すると考えたほうがよいでしょう。
 それは、少なくとも自我よりもより本質的な「私」であると考えられます。
 この「私」を体験によって観察してみると、生まれてから成長し、
 発展してきた私ではなく、生まれる以前からすでにあって、人生・世界を
 広い宇宙的な視野で認識している自我であることがわかります。
 これはニューエージの世界の人たちによって、「ハイアーセルフ」と
 呼ばれているものに相当するでしょう。
 ハイアーセルフと呼ばれる意識は多くの人生の記憶を持ち、世界や
 自然や人生についての秘密を知っている、知恵を持った意識です。
 それは現在・過去・未来と、時間を超えて働くことができます。
 ハイア−セルフの「私」は自我とは比較にならないほど幸福で
 拡大された意識です。しかし広大な広がりは持っていても、依然として
 「私」があり「他人」があります。また、変化もあります。
 時間を超越し、不変の存在である究極の実在とはいえません。
 そのため、ハイアーセルフは「真我」であるとはいえないのです。
 
 −転記終わり−
 
 次回は「真我発見」の基本は自己探求である。
----------------------------------------------------------------------

コスモスさん、ご投稿ありがとうございました。

> Pariさん、こんにちは

こんにちは。

> いつもニサルガダッタのわかりやすい解説ありがとうございます。

あ、いえ、“わたし”は解説しているつもりなどまったくありません。(@_@)

ニサルガダッタの言葉の写経と、その言葉への“自分”の反応と、感想とでも
いうのか……いわば自由連想を綴っているだけです。

すべてニサルガダッタの言葉を……自分の身体とマインドに浸透させる……そ
れだけのためにやっています。

> またpariさんのメルマガに数回に分けてお邪魔します。

ありがとうございます。

> もっともこのメルマガの読者さんには退屈な内容かもしれませんが・・・。

いえ、けっして、そういうことはないと思いますよ。

> 山田孝男の遺産と題して「ラマナ・マハリシ 瞑想三昧」に寄せて
> スターピープルフォー・アセンションVol.31より、

書いていただいたんですね。

> −転記始め−
> 
> 悟りとは何か。意識とはどういうものか。瞑想によって意識を
> どのように制御し、どうすれば「覚醒」に至ることができるのか。
> 著者は、覚醒を求めて瞑想と取り組み、自らの意識、存在と格闘
> した人です。
> その目的を達成してからは、その指導に生涯を捧げた。
> 意識の働きや真我と自我の問題など、今回の内容は著者の思想の
> エッセンスとも言える内容になっている。
> 
> −自我、ハイアーセルフ、真我は同じではない−
> 
> すべての人が幸福を求めていることは確かです。しかし求める幸福は、
> すべての人にとって同じとは限りません。ある人は無知なばかりに、
> 幸せを求めた結果としてさらなる不幸を手に入れることもあるわけです。
> 人は幸せを手に入れたとき、心が満ち足りた状態になります。
> しかし心は不変のものではないので、満ち足りた状態はいずれ不満に
> 変わります。
> 完全な満足は心にとって、その働きが停止したことを意味します。
> その時何が残るのでしょか?意識は消滅するのでしょうか?

なるほど。(@_@)O

> *真我
> 
> 体験からいえば、意識は消滅しません。

そうなんですか。

> せわしなく動く心から離れた、
> 完全な静寂、時間と空間を超越した無始の意識。相対を超えた
> 闇のない光。光だけがそこにあります。それは創られたこともなく、
> 従って消えることもない「あるもの」だといえます。
> 仏教哲学ではそれを「真如」と呼びました。そして私は「瞑想のススメ」
> (山田孝男全集第1巻)のなかで、これを「真我」という言葉で呼んで
> います。

おっしゃる意味はわかりました。(-||-)

> *自我
> 
> さて、私たちが普通「私」という一人称で呼んでいるものは、
> 心理学では「自我」と呼ばれています。この自我意識は、この世に
> 誕生してから日々変化し、成長してきたものですが、夜、熟睡時には
> 消えてしまいます。
> このように、常に変化し、消えたり現れたりするものは本当の自分とは
> 言えません。

わかります。

> *ハイアーセルフ
> 
> そして夜には消え、次の朝には再び現れる自我・・・、これを「私」と
> して認識するからには、両方の自我の状態を見ている「何か」が存在
> すると考えたほうがよいでしょう。

なるほど。

> それは、少なくとも自我よりもより本質的な「私」であると考えられます。

「魂」みたいな概念なんでしょうか……。

> この「私」を体験によって観察してみると、生まれてから成長し、
> 発展してきた私ではなく、生まれる以前からすでにあって、人生・世界を
> 広い宇宙的な視野で認識している自我であることがわかります。

では、複数の「個人」の履歴を累積していると考えられている「魂」よりも…
…もっと広い視野を持っているということでしょうか……。

> これはニューエージの世界の人たちによって、「ハイアーセルフ」と
> 呼ばれているものに相当するでしょう。

ああ……なるほど……。(@_@)

> ハイアーセルフと呼ばれる意識は多くの人生の記憶を持ち、世界や
> 自然や人生についての秘密を知っている、知恵を持った意識です。
> それは現在・過去・未来と、時間を超えて働くことができます。
> ハイア−セルフの「私」は自我とは比較にならないほど幸福で
> 拡大された意識です。しかし広大な広がりは持っていても、依然として
> 「私」があり「他人」があります。また、変化もあります。

わかります。

物語を持っている(物語から自由ではいない)……ということですよね。

> 時間を超越し、不変の存在である究極の実在とはいえません。

はい。

> そのため、ハイアーセルフは「真我」であるとはいえないのです。

了解です。

> −転記終わり−

ご自分で探求された方は、それぞれ独自な表現をなさるものですね。

> 次回は「真我発見」の基本は自己探求である。

よろしくお願いします。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 5.編集後記:自分に一番ピッタリの“サーダナ”だと……
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

自分がどう感じるかなど……それほど大したことじゃないんだと……そういう
ふうにも感じられてきました。

それこそ……澤木興道老師が若いころ随身した丘宗潭(おかそうたん)老師の
「貴様一人ぐらい、どうでもいいじゃないか」じゃないですが。

ま、そんなに大袈裟なことでもないですね。(^^;)

たんなる夢のなかの話です。

いずれにしろ……いまの“わたし”にとっては……ニサルガダッタの言葉をな
ぞることが……自分に一番ピッタリの“サーダナ”だと思っています。

> もちろん、マインドを知るためにマインドを使うがいい。
> それは完全に正当であり、またマインドを超えていくには最善の準備でもあ
> る。(p539)

と教わっていますから……。

では、おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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