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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.311 2010/3/21(第311号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 953名
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◇◇ もくじ ◇◇

1,危険性と解決の糸口

2.写経ニサルガダッタ:【79 個人、観照者、至高なるもの】の2回目

3.いただいたお手紙から:いぬさん

4.「ご投稿・情報提供」:ハイアーセルフ33さん、コスモスさん

5.編集後記:映画のなかで「後は野となれ、山となれ」です。(*^_^*)
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■ 1 危険性と解決の糸口
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今日は午前中は、ペンキ塗りをしました。

アルミの二段梯子を目一杯に伸ばして、一番高いところまで上ったら、それだ
け太陽に近いのか……暖ったかかったです……。(^^;)

バカなこと言って……。(*-_-*)

あちこちにいろんな黄色い小さな花が開いて……。

赤や、白や、紫の花も咲いて……。

春ですねぇ。

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

ところで、初っぱなからですが、

> 実在は不変だ。
> 変化するものは実在ではない。
> 実在は変化しない。

って……このことについては……異存はないですよね。

というか……まあ“わたし”などは……ニサルガ師匠に「実在」とはそういう
意味だと……教わったわけですが……。

“現れ”は変化するがゆえに(不変の背景に対して)顕現できるのであり……
その意味で世界は現れるとは言えても……存在するとは言えないと……。

そういうわけで、

> 変化するものは実在ではない。
> 実在は変化しない。

ということは……ひとまず了解するとします。

そこまで了解すると、ニサルガ師匠はこう畳みかけてきます。

----------------------------------------------------------------------
 さて、あなたのなかで変化しないものとは何だろうか?
 食べ物があるかぎり、身体とマインドはある。
 食べ物がなくなれば、身体は死に絶える。
 マインドは溶け去る。
 だが、観察者は消えるだろうか?
                        『私は在る』(p227-228)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

と。

> さて、あなたのなかで変化しないものとは何だろうか?

ドキッ (@_@) と……しますよね。

わたしのなかにも“変化しないもの”がある……ということでしょうから。

> 食べ物があるかぎり、身体とマインドはある。

了解です。

> 食べ物がなくなれば、身体は死に絶える。

これは間違いないでしょう。(-_-;)

認めざるをえない……。

> マインドは溶け去る。

はい……。

身体が死に絶えなくとも、ちょっと具合悪くなっただけでマインドの機能って
ずいぶん落ちますよね。

ところで……、

> だが、観察者は消えるだろうか?

さて……観察者は消えるんでしょうか?

“自分”の具体的体験はないけれど……やっぱ、消えないんじゃね? (^_-)、
って思いません? (^^;)

だって、今の時代……世の中に幽体離脱を体験した人たちのいろいろな体験談
で溢れてますもの。

ボディーを離れたら空無のなかに雲散霧消して……二度とふたたび存在のなか
に現れることはない……って言うんなら……それでもいいけど……。

でも……それって……あまり論理的じゃないですよ。

だって……じゃ、空無のなかからどうやってわたしは出現したの (?_?)、って
ことになるから。

やっぱり……どう考えても……わたしは“現れたり消えたりできるようなもの
じゃない”だろう……って思います。

ということは……“わたし”が考えたって……わたしは「わたし」だってこと
じゃないでしょうか。

どう考えても……このわたしは「わたし」だと思います。

ニサルガダッタも、

----------------------------------------------------------------------
 あなたが殺せるのは身体だけだ。
 精神的過程を止めることはできないし、あなたがあなただと考えている個人
 に終止符を打つこともできないのだ。
                          『私は在る』(p228)
----------------------------------------------------------------------

と言っています……。(=_=)

映画を止めることもできないし……その映画を「観ている者」に終止符を打つ
ことも……できない。

じゃ、できることは何もないのか?

ないとも言える。(諦めなさい……かぁ。(-_-) )

でも……あるとも言える。

----------------------------------------------------------------------
 ただ、影響を受けずにいなさい。
 このまったく超然と離れて在ること、マインドと身体に無関心であることは、
 存在の核心では、あなたが身体でもマインドでもないことの最良の証明なの
 だ。
                          『私は在る』(p228)
----------------------------------------------------------------------

そうか……。

(-||-)

> 身体とマインドに起こることは、あなたの力では変えられないかもしれない。

はい。

> しかし、あなたはいつでもあなたが身体とマインドだと想像することをやめ
> られるのだ

ああ……。

----------------------------------------------------------------------
 何が起ころうとも、影響を受けるのはあなたの身体とマインドだけで、あな
 た自身ではないのだと思い出しなさい。
                          『私は在る』(p228)
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

> 覚えなければならないことを覚えることに誠実であればあるほど、あるがま
> まのあなた自身に早く気づくようになるだろう。

はい。

> なぜなら、記憶が体験となるからだ。

え! (@_@)

「記憶が体験となる」……。

> 誠実さが存在を明かすのだ。

はい? (?_?)

----------------------------------------------------------------------
 想像し、決意したことが現実となる。
 ここに危険性と、また同様に解決の糸口があるのだ。
                          『私は在る』(p228)
----------------------------------------------------------------------

(*_*)  ⌒★?

「想像し、決意したことが現実となる」……。(@_@)

> ここに危険性と、また同様に解決の糸口があるのだ。

なるほど……なるほど……。(-_-)

ここまで墜落することになったその危険な罠が……また同時に「解決の糸口」
にもなりうるわけか……。

----------------------------------------------------------------------
 ひとたびあなたの想像以外は何も困難をもたらすことができない、と絶対の
 確信を持って知るなら、あなたは欲望や恐れ、概念や見解に注意を払わず、
 真実とともにのみ生きるだろう。
                          『私は在る』(p131)
----------------------------------------------------------------------

……。(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【79 個人、観照者、至高なるもの】の2回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

このあたりの内容は、読んでいて実力不足を反省させられるばかりです。

まあ、マインドでわかったような気がすること自体、誤解なのでしょうけど。

たとえば、質問者の「真理を受けるに値する人となることと運命とは、ひとつ
であり同じことなのでしょうか?」という、それ自体ちょっと不思議な質問に、
マハラジはこう答えます。

> そうだ、それらはどちらも無意識のなかにある。
> 意識している長所とは単なるうぬぼれにすぎない。
> 意識はつねに障害なのだ。
> 障害のないとき、人はそれを超えることができる。

「真理を受けるに値する人となる」実質は「無意識のなかにある」そうです。

意識はどこまでも障害でしかないらしい。

しかし、われわれはそれをマインドで理解しなくちゃならないんですよね。

では、【79 個人、観照者、至高なるもの】の2回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 マインドはどうやって現れたのでしょうか?
 
 マハラジ
 世界は物質、エネルギー、知性で構成されている。
 それらは多くの方法でそれ自体を現している。
 欲望と想像が世界を創造する。
 知性はその二つを調停し、平和と調和の感覚をもたらすのだ。
 私にとっては、それはすべて起こるだけだ。
 私は気づいていて、しかも影響を受けないままなのだ。
 
 質問者 影響を受けないまま、気づいていることはできません。そこには言
     葉上の矛盾があります。知覚とは変化です。ひとたびあなたがある
     感覚を体験したら、記憶は以前の状態に後戻りすることを許さない
     でしょう。
 
 マハラジ
 そのとおりだ。
 記憶に加えられたことを消去するのは簡単なことではない。
 しかし、間違いなくそれはできる。
 事実、私はつねにそれをやっている。
 飛ぶ鳥のように、私は足跡を残さないのだ。
 
 質問者 観照者は名前と形をもっているのでしょうか、それとも、それらを
     超えているのでしょうか?
 
 マハラジ
 観照者は気づきのなかの単なる点にすぎず、名前も形もない。
 それは露のしずくに映る太陽の反映のようなものだ。
 露のしずくには名前も形もない。
 だが、光の小さな点は太陽によってできたものだ。
 しずくの透明さとなめらかさは必要な条件であるが、それ自体としては充分
 と言えない。
 同じようにマインドの明晰性と沈黙は、マインドのなかに実在の反映が現れ
 るために必要であるが、それだけでは充分でないのだ。
 それを超えたところに実在がなければならない。
 実在は永遠に存在しているため、必要条件のほうが強調されるのだ。
 
 質問者 マインドが澄んで、静かにあるでもかかわらず、反映が現れないこ
     ともありうるのでしょうか?
 
 マハラジ
 運命が考慮されなければならない。
 無意識は運命に捕らえられている。
 事実、それが運命なのだ。
 人は待たなければならないかもしれない。
 しかし、運命の手がいかに重くのしかかろうと、忍耐と自己制御によって取
 り除くことはできるのだ。
 統合と純粋さが障害をぬぐい去るとき、マインドのなかに実在の姿は現れて
 くる。
 
 質問者 どのようにして自己制御を習得するのでしょうか? 私のマインド
     は軟弱なのです!
 
 マハラジ
 まず、あなたはあなたが考えているような個人ではないということを理解し
 なさい。
 あなたがあなた自身だと考えていることは、単なる想像や思いつきにすぎな
 いのだ。
 あなたに両親はいない。
 あなたは生まれてもいなければ、死にもしないのだ。
 私がそう言うのを信じるか、あるいは探求し、調査することでそれに到達す
 るがいい。
 完全なる信頼の道は速い。
 もうひとつの道は遅いが、安定している。
 どちらも行為によって試されなければならないのだ。
 あなたが真実だと信じることにしたがって行動しなさい。
 これが真理への道なのだ。
 
 質問者 真理を受けるに値する人となることと運命とは、ひとつであり同じ
     ことなのでしょうか?
 
 マハラジ
 そうだ、それらはどちらも無意識のなかにある。
 意識している長所とは単なるうぬぼれにすぎない。
 意識はつねに障害なのだ。
 障害のないとき、人はそれを超えることができる。
 
 質問者 私は身体ではないという理解が自己制御に必要な力を与えてくれる
     でしょうか?
 
 マハラジ
 あなたが身体でもマインドでもないと知るとき、それらによって影響される
 ことはなくなる。
 それがどこにあなたを連れていこうとも、あなたはする必要のあることをし、
 払うべき代償が何であれ、真理にしたがっていくだろう。
 
 質問者 行為は真我の実現に本質的なものなのでしょうか?
 
 マハラジ
 真我の実現にとっては、理解が本質的なものだ。
 行為は偶然のものでしかない。
 確固とした理解の人は行為を差し控えるだろう。
 行為とは真理の試験なのだ。
 
 質問者 試験が必要なのでしょうか?
 
 マハラジ
 もしあなたがつねにあなた自身を試験しなければ、実在と空想との区別はで
 きなくなるだろう。
 観察と注意深い理性はある程度の助けになる。
 しかし、実在は逆説的なのだ。
 思考と感情、言葉と行動を見守り、なぜ、どのようにして、あなたの知らな
 いうちにそれらが変化していくのかを疑わないかぎり、あなたが真我を実現
 したということをどうして知ることができるだろう?
 本当に驚くからこそ、それが実在だと知るのだ。
 予想され、期待されたものが実在であることはまれだ。
 
                        『私は在る』(p416-418)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 マインドはどうやって現れたのでしょうか?

うん。

もしそんなことが聞けるものならだけど……。

> マハラジ
> 世界は物質、エネルギー、知性で構成されている。

ああ……。(@_@)

タマス、ラジャス、サットヴァ……というのはそういう意味か……。

> それらは多くの方法でそれ自体を現している。

はい。

> 欲望と想像が世界を創造する。

わかります。

> 知性はその二つを調停し、平和と調和の感覚をもたらすのだ。

欲望と想像が創造した世界を……知性が均衡させ……調和させるわけか。

> 私にとっては、それはすべて起こるだけだ。

それはただ……映画のなかで起こっているだけだ、と。

> 私は気づいていて、しかも影響を受けないままなのだ。

そうか……。(-_-)

そういうことが……できるんだ……。

> 質問者 影響を受けないまま、気づいていることはできません。そこには言
>     葉上の矛盾があります。知覚とは変化です。ひとたびあなたがある
>     感覚を体験したら、記憶は以前の状態に後戻りすることを許さない
>     でしょう。

なるほど……それも理屈だなぁ。(@_@)

たしかに、一度世間を知った者は、もう赤ん坊には戻れないもんなぁ。(=_=)

> マハラジ
> そのとおりだ。

あ、やっぱり。(@_@)

> 記憶に加えられたことを消去するのは簡単なことではない。

はい。

> しかし、間違いなくそれはできる。

できるんだ。

> 事実、私はつねにそれをやっている。

あ。(@_@)

> 飛ぶ鳥のように、私は足跡を残さないのだ。

「空を飛ぶ鳥は跡を残さず」って……、そういう意味だったんだ。

> 質問者 観照者は名前と形をもっているのでしょうか、それとも、それらを
>     超えているのでしょうか?

うん、いいこと訊いてくれた、このひと。

> マハラジ
> 観照者は気づきのなかの単なる点にすぎず、名前も形もない。

「観照者」は「気づき」のなかの「点」……。

> それは露のしずくに映る太陽の反映のようなものだ。

へー。

> 露のしずくには名前も形もない。

はい、わかります。

> だが、光の小さな点は太陽によってできたものだ。

それも、わかります。

> しずくの透明さとなめらかさは必要な条件であるが、それ自体としては充分
> と言えない。

はい。

> 同じようにマインドの明晰性と沈黙は、マインドのなかに実在の反映が現れ
> るために必要であるが、それだけでは充分でないのだ。

なるほど。

> それを超えたところに実在がなければならない。

そうか……。(@_@)

> 実在は永遠に存在しているため、必要条件のほうが強調されるのだ。

そういうわけなんだ……。(-_-)

> 質問者 マインドが澄んで、静かにあるでもかかわらず、反映が現れないこ
>     ともありうるのでしょうか?

うう……そうだったら……。

> マハラジ
> 運命が考慮されなければならない。

そうなんですか。

> 無意識は運命に捕らえられている。

ああ……。(;_;)

> 事実、それが運命なのだ。

そうか……。

「無意識」が……「運命」なんだ……。

> 人は待たなければならないかもしれない。

はい。(-_-)

> しかし、運命の手がいかに重くのしかかろうと、忍耐と自己制御によって取
> り除くことはできるのだ。

わかりました。(-_-;) (←(^_-))

> 統合と純粋さが障害をぬぐい去るとき、マインドのなかに実在の姿は現れて
> くる。

「統合と純粋さが障害をぬぐい去るとき、マインドのなかに実在の姿は現れて
 くる」……。

> 質問者 どのようにして自己制御を習得するのでしょうか? 私のマインド
>     は軟弱なのです!

まったく。(*-_-*)

> マハラジ
> まず、あなたはあなたが考えているような個人ではないということを理解し
> なさい。

ああ……そうか。

> あなたがあなた自身だと考えていることは、単なる想像や思いつきにすぎな
> いのだ。

聞いた瞬間は……わかるんだけどなぁ……。(;_;)

> あなたに両親はいない。

はい。

> あなたは生まれてもいなければ、死にもしないのだ。

はい。

> 私がそう言うのを信じるか、あるいは探求し、調査することでそれに到達す
> るがいい。

マハラジがおっしゃることを……信じてはいるんですけど……。

そうか……でも、信じてはいない……ということなのかなぁ。(;_;)

> 完全なる信頼の道は速い。

はい。

> もうひとつの道は遅いが、安定している。

こっちで行くしかないようです。

> どちらも行為によって試されなければならないのだ。

そうか。

> あなたが真実だと信じることにしたがって行動しなさい。

はい。

> これが真理への道なのだ。

わかりました。(/_;)

> 質問者 真理を受けるに値する人となることと運命とは、ひとつであり同じ
>     ことなのでしょうか?

なんか……難しいことを言うな……このひと。

> マハラジ
> そうだ、それらはどちらも無意識のなかにある。

へー。

> 意識している長所とは単なるうぬぼれにすぎない。

(*@_@*)

そ、そうなんだ……。

> 意識はつねに障害なのだ。

「意識はつねに障害」……。(-_-)

> 障害のないとき、人はそれを超えることができる。

「障害のないとき、人はそれを超えることができる」……。

どういう意味だろう? (-_-;)

障害が存在しなければ……存在しない障害を超える必要もないわけだけど……。

“意識のないとき、人は障害を超えることができる”……かな?

> 質問者 私は身体ではないという理解が自己制御に必要な力を与えてくれる
>     でしょうか?

うん。

> マハラジ
> あなたが身体でもマインドでもないと知るとき、それらによって影響される
> ことはなくなる。

……。(-_-)

たとえば、空に浮かぶあの雲が自分ではないと知っていれば、わたしがあの雲
によって影響されることはない……。

ふーん。

でも……もしあの雲が雨雲になって近づいてきて……“わたし”の身体に雨を
降らせたら?

ああ、だから自分が「身体でもマインドでもない」と知るとき……か。(*-_-*)

(@_@)

自分が「身体でもマインドでもない」と知ったら……わたしは本当は……何に
も影響されないんだ……。

> それがどこにあなたを連れていこうとも、あなたはする必要のあることをし、
> 払うべき代償が何であれ、真理にしたがっていくだろう。

これが……エライ飛躍のような気もするんだけど……でも……そういうことな
のかなぁ……。

映画のなかで“自分”がどこへ連れていかれようと、わたしはする必要のある
ことをするわけかぁ……。(-_-;) (←(^_-))

> 質問者 行為は真我の実現に本質的なものなのでしょうか?

うん……いいこと訊いた。

> マハラジ
> 真我の実現にとっては、理解が本質的なものだ。

おお……。(@_@)

ということは……理解しなきゃ始まらないということだ……。

> 行為は偶然のものでしかない。

はい。

> 確固とした理解の人は行為を差し控えるだろう。

なるほど。(@_@)

> 行為とは真理の試験なのだ。

そうなんですか。(@_@)

> 質問者 試験が必要なのでしょうか?

まったく。

> マハラジ
> もしあなたがつねにあなた自身を試験しなければ、実在と空想との区別はで
> きなくなるだろう。

なんと?! (*_*)  ⌒★?

「実在」と「空想」の違いって……そういうものなんだ……。

> 観察と注意深い理性はある程度の助けになる。

はい。

> しかし、実在は逆説的なのだ。

というと……。(?_?)

> 思考と感情、言葉と行動を見守り、なぜ、どのようにして、あなたの知らな
> いうちにそれらが変化していくのかを疑わないかぎり、あなたが真我を実現
> したということをどうして知ることができるだろう?

へー……。

よくわからないけど……そういうものなんだ……。

> 本当に驚くからこそ、それが実在だと知るのだ。

そうなんですか。

なんか……ありがたそうなお話だけど……。

> 予想され、期待されたものが実在であることはまれだ。

そうなんだ……。

今回は……あまりわからなかったような気がするなぁ。

実力……ないからなぁ。(*-_-*) (←(^_-))

……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


        …………○…………○…………○…………



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■ 3.いただいたお手紙から:いぬさん
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▼『アセンション館通信』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単なるメールな
ど、ご自由にお書きいただければと思います。


        …………○…………○…………○…………


今回も、いぬさんからお手紙をいたきました。

早速、ご紹介します。

【件名】: 
----------------------------------------------------------------------
 パリさん、こんにちは
 今回は短く
 マハラジの会話で、よく「注意する」「焦点を合わせる」という言葉が出
 てきますが、「注意」したり「焦点」をあわせたりするのはマインドです
 か?
----------------------------------------------------------------------

> パリさん、こんにちは

こんばんは。

> 今回は短く
> マハラジの会話で、よく「注意する」「焦点を合わせる」という言葉が出
> てきますが、「注意」したり「焦点」をあわせたりするのはマインドです
> か?

なるほど……面白い角度の問いですね。

こういう質問を受けてそれに答える資格が自分にあるとは思いませんが (^^;)、
ただ、それを承知の上で言うなら……わたしは「マインド」だと思います。

というのも、何かを“する”のはマインドだろうと思うからです……。

「実在」「真我」「サットグル」……こういうものの働きを“恩寵”と呼ぶな
ら、“恩寵”とは重力のようなものなんじゃないでしょうか。

絶えず降り注いでいる力ではあっても、何かを“する”ことはないのでは。

“注意する”とか“焦点を合わせる”というような意図的な言葉とは馴染まな
いような気がします。

ただそれもマインドのなかでの解釈で……じつは真我以外には何も存在しない
……ということはあるのでしょうが。

ニサルガダッタもこんなふうに↓言っているようです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 では、私たちは皆マインドの救済に関わっているのでしょうか?
 
 マハラジ
 それ以外の何だというのだろう?
 マインドが道に迷い、マインドが家に帰り着くのだ。
                          『私は在る』(p294)
----------------------------------------------------------------------

いぬさん、いつもメールありがとうございます。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


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■ 4.「ご投稿・情報提供」:ハイアーセルフ33さん、コスモスさん
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『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518

        …………○…………○…………○…………


前回に続いて、ハイアーセルフ33さんからのラムサ抽出情報をご紹介します。

今回は、その2回目です。(はるさん、今回で全部掲載できました。)

【件名】: アセンションにむけて:ラムサの教えとは?(その2)
----------------------------------------------------------------------
 みなさん、こんにちは。ハイアーセルフ33です。
 
 (質問2)喜びや自己愛、内なる導きを育むためにはどうしたらいいのか?
      どのように心が在ったらいいのか?
 
 ●「ただ在る」状態でいるのを自分に許し、あなたの存在の内なる促し、内
 なるフィーリングに耳を澄ませば、あなたの驚くべき自己をさらに偉大な叡
 智と永遠の喜びへと拡大していくために最も必要としていることを、あなた
 はいつも体験していることになるのだ。(中略)
 
 あらゆる者がこれやあれをしなければならないという考えを超越すれば、つ
 まり自分の運命はこれだあれだという考えを超越し、「ただ在る」という本
 来の状態に入り、明晰さと共にその瞬間の中に生きるならば、これまで知っ
 ていたものよりも、はるかに壮大な幸せと、はるかに大きな自由を見出すこ
 とになる。
 
 つまり生命の中への解放、生きるということのあるべき真の姿を見出すこと
 になる。それこそがあなたの目的である。「ただ在る」ことだ。(P207)
   
 
 (質問3)なぜ「ただ在る」とそのようになるのか?
 
 ●神が「在る」のと同じように、自分も「在る」というのは、在るがままの
 自分でいるということなのだ。あなたが単に「在る」という状態でいると
 き、あなたは果てしない状態、無限の状態となっており、創造的で自由なの
 だ。あなたはどんなものでも許す者であり、動きであり、平安であり、喜び
 である。あなたは純粋なエネルギーであり、パワフルな指向性であり、すべ
 てのフィーリングであり、すべての思考なのだ。(P146)
 
 
 (質問4)「ただ在る」が可能になるためにはどうしたらいいのか?その理由
 は?
 
 ●自分の存在の内面において、自分は卑しい存在なのだと「知っている状
 態」になったのと全く同じように、あなたが今、「自分は神なのだ」と自分
 の存在の内で「知れば」、あなたは自分のすべてにおいて神になる。
 
 純粋な思考である「第七のレベルの理解」と呼ばれるもの、すなわち「ただ
 在る」という究極の状態(これはあなた自身が、あらゆるものの究極の力と
 なっている状態だが)に戻るためには、「父」が自分の内面に宿っているこ
 とをただ「知る」だけでいいのだ。
 
 なぜならあなたの存在の魂の中には、自分が神であるという記憶が宿ってい
 るからだ。その記憶はあなたの魂の中で眠っている状態にあり、あなたによ
 って認められ、あなたによって実際に現実として体験されるように待機して
 いるのである。そうなるのは「知る」ことによってだ。
 
 自分が神なのだとあなたが知るとき、その確信のフィーリングが、自分の
 「知っている状態」が真実であることをあなたに教えてくれる体験と理解を
 創り出す。(P215-216)
 
 (質問5)「自分が神であると知る」ことで、「自分のすべてが神になる」と
     いうが、その具体的なメカニズム(しくみ)はどのようなものか?
 
 ●「知っている」という状態こそが、それを絶対のものとするのであり、そ
 の状態がその知っている内容を現実化するのである。実感した思考を体験と
 いう形に現実化することによって、あなたはそれを理解することができるの
 だ。(P279)
 
 ●自分の望みがどんなものであれ、それがすでに実現していると「知ってい
 る」ことによって、その望みの思考は増幅され、自分のオーラ・フィールド
 を通して、意識の流れの中に送り込まれるのだ。そしてその望みが完全な形
 になったものを、あなたが受け取れるように現実化してくれるのである。 
                                (P280)
 
 ●思考はあなたの人生の体験をどのように創造しているのだろうか?
 松果体は「知っていること」を現実化するシール(seal)である。あなたが自
 分に受け容れることを許す「知っている状態」は、すべてまずあなたの体の
 中で現実となる。なぜなら松果体は、その思考が感情として記録されるよう
 に、それを電流として全身に送る役目をもっているからだ。
 
 思考が限りないもの(無限のもの)であればあるほど、体全体に送られる電
 流の波動は強力で速いものになる。つまりあなたの体で体験される「ハイの
 状態」あるいは「しびれるような感覚」は、より強力なものになる。そのと
 きそのフィーリングは、特定の波動として魂に記録され、そこに蓄えられる
 ことになる。
 
 あなたの魂に記録されたあらゆる思考のフィーリングは、今度はひとつの期
 待感として、あなたのオーラの中に放出される。そしてその期待感は、あな
 たの光の場の電磁気的な部分を活性化させ、磁石とまったく同じように、あ
 なたの集合的な態度や考え方に似たあらゆるものを引き寄せる。
 
 こうしてあなたのところに状況や出来事、物や人々が引き寄せられてくるわ
 けだが、それらはあなたの思考全体から生じて、体の中で体験されたフィー
 リングと同じものを創り出すのである。なぜか?あなたが自分の様々な思考
 を、三次元的な現実として体験し、叡智と呼ばれる体験からの宝物を得るた
 めだ。(P255)
 
 ●あなたの望みは、どのように現実化されるのだろうか?望みとは、「満た
 される」という思考を、物や人や体験を通して見たものに他ならない。あな
 たが自分に感じることを許した「満たされる」という思考は、すべてあなた
 の電磁場を通って体を離れると意識の流れに入っていき、体の中で体験され
 た望みと同じフィーリングを生み出すものを引き寄せるのだ。
 
 あなたが自分の望みを体の中で、より完全に、より強烈に感じるほど、その
 望みは、より完全な形で満たされることになる。そして自分の望みが満たさ
 れることを、絶対的な確信とともに「知っていればいるほど」、それが現実
 化するのも早くなるのだ。
 
 なぜなら「絶対的な知っている状態」とは、高い振動率をもつ波動であり、
 オーラ・フィールドを通して放出される期待感を、より強力なものにするこ
 とによって、望みを現実化する力を増幅してくれるからである。
 
 あなたには知るべきものすべてを知る能力がある。あなたの脳はその目的の
 ために創られたものだ。それは肉体に入り物質界で生きるひとりの神が、自
 分の望むどんな神の次元であろうと、それを三次元的な形で見ながら体験
 し、理解することができるようにするためであった。
 
 あなたのすばらしい受信機を通して、自分に「知る」ことを許した思考は何
 であれ、すべてあなたによって体験される現実となる。まず自分の化身の内
 に見えるものとして、そして次に自分の人生の状況として体験されるのだ。
 そしてあなたが望むことは何であれ、それを知ることによって、瞬く間に自
 分の人生の中に現実化する力があなたにはある。そうやってあなた方は、地
 球上に天の王国を創造していくのである。
 
 それは単純な科学だ。覚えておいてほしい。思考はただ在るだけなのだ。そ
 れから光が見える。次に光が下げられて電気的な衝撃(インパルス)とな
 る。電気的な衝撃はさらに下げられ、下げられ、下げられて、思考でできた
 その理想像を表す物体となるのだ。
 
 同じ真実が体の中でも働く。それは思考、光、受信装置であり、受信装置か
 らエレクトラムが物質に送られ、その物質がフィーリングを通して理解でき
 るようにするのだ。望みを現実化するためには、それが何であっても、あな
 たは自分の望んでいることを感じるだけでいいのだ。するとそのフィーリン
 グが「父」に送り返され、あなたの望みは満たされる。ただそれだけのこと
 なのだ。単純すぎるだろうか?あなたはそれをもっと複雑なものにしたいの
 だろうか?(P257〜258)
 
 
 (質問6)ではどうすれば、「自分が神であると知る」ことができるのか?
      またその理由は何か?
 
 ●自分は神であるすべてを受け容れるに値するのだ、と感じられるほどに自
 分自身を愛するとき、そして自分が「父」とひとつであるのを「知る」こと
 を望むとき、あなたはこの素晴らしい花(脳下垂体)を咲かせ始める。これ
 が神の精神の中にあるすべての思考を受け取るために、あなたが自分の脳を
 開く方法なのだ。
 
 つまり知りたいと望むことによって、そしてその「知っている状態」の感情
 すべてを感じたいと望むことによってである。(P272)
 
 ●あなたが「限りない状態」を望めば望むほど、そして自分にやってくる思
 考を抱き、感じれば感じるほど、脳下垂体はさらに多くのホルモンを分泌
 し、その口状部はさらに大きく広がっていく。
 
 自分であるものを愛することを望み、「知っている状態」の中で生きること
 を望めば望むほど、あなたの脳は自分の存在を包む神によって大きく、大き
 く開かれていくのだ。そうすると、あなたは自分の体以上の存在になる。あ
 なたをひとつにまとめているもの、そのものになるのである。
 
 脳下垂体は、まさに神への扉である。自分の脳に限りない思考が入るのを許
 せば許すほど、それはさらに大きく開いていく。それが開けば開くほど、あ
 なたはさらに多くを知るのだ。そして、あなたが知ることは、それがどんな
 ものであれ、すべてあなたがなっていくものである。(P275〜276)
 
 ●あなたが自分の創造性と人生を制限してしまう方法は、「わからない」と
 言うこと、あるいは自分にやってくる「知っている状態」を疑うことなの
 だ。もっとも忌まわしい言葉が「わからない」という言葉だ。憶えておいて
 ほしい。あなたは法を与える者であり、あなたが考え語ることそのものが法
 なのだ。
 
 あなたがもし、「わからない」と言えばあなたが知ることは決してない。
 「できない」と言えばあなたには決してできない。「私は父の愛に値しな
 い」と言えば、あなたがそれを受け取ることは決してない。
 
 あなたがそのように語るということは、あなたがそのように思っているとい
 うことだ。そしてそう思っているならば、その思考のフィーリングは、あな
 たの魂に記録され、魂はその思考プロセスにぴったりと合ったものを現実化
 するのである。
 
 あなたはコンピューターのようなものであり、あなたは毎日、自分の知識の
 中に「疑い」を入力しているのだ。自分の知識の中に「不足」を入力してい
 るのである。そして、あなたはまさに自分の知識の中に「わからない」とい
 う言葉を入力しているのだ。
 
 あなたは自分自身の王国を自ら奪い取っているのである。なぜなら、疑いと
 制限しか知らないあなたは、自分が思うこと、そして話すことによって、自
 分自身から生命力を奪い取っているからだ。
 
 もう一度繰り返すが、今存在するものであれ、これから存在するものであ
 れ、あなたにはそのすべてを知る力がある。あなたをその知識へと開いてく
 れる扉とは、単に「知っている」と言うことなのだ。
 
 するとすぐにそれが実現するのである。数秒後かもしれないし、数日後かも
 しれないが、それはやって来る。必ずやって来るのだ。なぜなら「知ってい
 る」という言葉は「絶対」であり、あなたの望みを「絶対のものへと変え
 る」からである。
 
 「知っている」という言葉が魂の内で感じられると、それはあなたの存在の
 内面で実現され脳下垂体を開く。それによってさらに偉大な思考を受け容れ
 ることが可能になるのだ。「知っている」という言葉は、無限の流れの中に
 いるあなたの中に、思考の河が流れ込んでくるのを許す扉なのである。(P278
 〜P279)
 
 ●「絶対的に知っている」という状態が、あなたの王国すべての創造主なの
 だ。「全き知っている状態(オール・ノーイングネス)」になるためには、
 ただ「私は知っている」と言えばいいのだ。絶対に疑ったり、ちゅうちょし
 てはならない。「絶対的に知る」ことだ。
 
 あなたが「知っている」と言うたびに、その言葉はあなたの存在の内で確信
 をもって感じられる思考となり、それを「知っている状態」が実際起こるた
 めの「余地」を生み出してくれるのだ。天才とは「知っている状態」の扉を
 開けて、より偉大な思考を受け取れるようにし、その思考が創造的な形にな
 れるようにした時に生まれるのである。
 
 「私の存在の主と神から、私は今これに対する答えを知っており、その答え
 を受け取る状態にある。そうなるように!(ソー・ビー・イット)」と、確
 固たる確信と共に言うならば、それは「知っている状態」を呼び起こし、そ
 れをひとつの決意へと変えていく。
 
 その瞬間には、まだそれが実感されていないかもしれないが、それがひとつ
 の体験の中で実感されるよう、その扉は大きく開かれるのだ。そしてそれを
 体験すれば、そこから叡智が得られるのある。(P280)
 
 ●「知る」ことだ。ただ単に知るのである。「私はこれが起こると知ってい
 る。私は自分が神であると知っている。私は自分が幸せなことを知ってい
 る。私は自分が在ることを知っている」。知ること、知ること、知ること
 だ。必要なのはそれだけである。いつでも知っていることだ。
 
 もしあなたが「分からない」、あるいは「知ることはできない」と言えば、
 あなたがそれを知ることは決してない。「私はもう知っている」と言うこと
 だ。そうすればあなたはすべてを知るのである。
 
 あなたと私の違いが分かるだろうか? 私は自分が無限の神であることを
 「知っている」が、あなた方は知らない。それだけの違いだ。私は自分が
 「在る」ことを「知っている」が、あなた方はまだそれを実感していない。
 (P282)
 
 ******************************
 
 以下は「知っている状態」についての「バシャール」と「神との対話」か
 ら。
 
 ●「これが自分にとっての真実である」と知っていることは現実化します。
 あなたの人生はあなたが「知っていること」の反映なのです。「知っている
 状態」とは、あなたの観念と感情と行動が調和をもって一致した方向を目指
 しているときの、その優美な状態のことです。(バシャール2006 P207)
 
 ●父なる神とは「知る」ことだ。すべての理解の親であり、すべての体験は
 そこから生まれる。知らないことは体験できない。(神との対話1巻P49)
 
 ●真実であって欲しいと願うのではなく、うまくいくのは「真実である」と
 すでに「知っている」ことを宣言する場合だけだ。(神との対話1巻P245)
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はるさん、今回で全部、掲載できたようです。

「ただ在る」こと、「知っている」という状態について、ずいぶん丁寧に集め
ていただきましたね。

こうして集めていただいたものを読むと、ニサルガダッタとラムサが同じこと
について別の語法で語っていることがよくわかります。

奇しくも今回、マハラジが「想像し、決意したことが現実となる」と言ってい
たことと、ある意味でまったく同じことですものね。

つまり、マハルシやマハラジが“無欲語”で語る内容を、ラムサは“欲望語”
で語っているわけですよね。

また、それがラムサを神々に連なる者とし、マハルシやマハラジをジニャーニ
にするのかな……とも思いました。

マハルシやマハラジは、想像(創造)のなかで顕現する者としてとどまること
を拒否するわけでしょうね。

はるさん、ご投稿ありがとうございました。

m(_ _)m

        …………○…………○…………○…………


前回に続いて、コスモスさんから「山田孝男の遺産」の最終回をお送りいただ
きました。

早速、ご紹介します。

【件名】: 山田孝男の遺産
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 pariさんこんばんは、
 
 山田孝男の遺産 最終回
 
 心は観察の主体ではなく、観察される対象である
 
 ―転載開始―
 
 同じようにして思考も観察することができます。
 普通は「私は○○を考えている」という状態で、考えている
 「私」を分けることなく、思考と自己を同一視しています。
 しかしこれも訓練によって、「考えている自分を見ている私」の
 存在に気づくことができます。
 つまり心自体は見る(観察する)主体ではなくて、見られる
 対象なのです。
 このように感覚・感情・思考を見る主体の意識に気がついたとき、
 その「私」は自我ではない、より根元的な「私」であることに
 気がつきます。その「私」は、まだ真我そのものとは言えませんが、
 苦痛やさまざまな迷いから離れた、より静かで平安な「私」で
 あることに気がつきます。
 この観察がさらに継続され、確固としたものになったとき、
 「私は存在する」と言う意識そのものも微妙な想念であることに
 気がつきます。
 そして「自我としての私」が消えていきます。
 しかしそれは意識そのものが消滅するわけではありません。
 言葉を超えた意識がそこにあります。思考も感情も感覚も
 「私」ではない、つまり自我は「私」ではないことを直感的に
 知っている知恵に満ちた意識が在ることを体験するのです。
 これを体験する「私」を「ハイアーセルフ」と言う言葉で
 呼ぶことにしています。
 さらにハイアーセルフとして宇宙的意識の広がりを体験する
 「私」も消滅したとき、残るのは完全な沈黙だけであり、
 それこそラマナ・マハリシが「真我本来の状態」と呼んだ
 ものに違いありません。
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こうして読ませていただくと、山田孝男さんはじつに平明な言葉で淡々とその
ものズバリの内容を説明されていますね。

こういうふうに書いていただくと、それ自体そんなに大変なことというのでも
なく、実際われわれにも手の届くことだなぁ、と感じさせられます。

ありがたいことです。(-||-)

コスモスさん、情報提供ありがとうございました。

m(_ _)m

PS.
それから表示のことに関しては、こちらでは ?●●●? にはなっておらず、
そのまま「●●●」になっておりますので、以後、ご心配なく。


        …………○…………○…………○…………


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■ 5.編集後記:映画のなかで「後は野となれ、山となれ」です。(*^_^*)
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デービッド・ゴッドマンさんのインタビュー、
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1245349202/
感動的に終わりましたねぇ……。(-||-)

彼のインタビューを読んだ上で、こんなメルマガを続けるなんて、“確信犯”
以外の何ものでもないですが……。(-_-)

まあ……、“知ったことか”でいきますか……。

映画のなかで「後は野となれ、山となれ」です。(*^_^*)

では、おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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