━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆ 『アセンション館通信』vol.313 2010/4/4(第313号)
☆☆ ☆ ☆☆
☆☆ ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))
マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;
内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 948名
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◇◇ もくじ ◇◇
1,複雑さに意味を求める
2.写経ニサルガダッタ:【90 あなたの真我に明け渡しなさい】の1回目
3.「ご投稿・情報提供」:ドン・ガバチョさん
4.編集後記:理屈を言わなくなくなるための……
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■ 1 複雑さに意味を求める
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このところ曇天が続きますね……。
何ごとも起こっていないようでもあり……。
この曇天の背後で……何かが進行しているようでもあり。
まあ……現れの世界では何ひとつとどまってはいられないわけです……。
いずれにしろ……マインドの組成変更過程は永遠に起こり続けるでしょう。
近辺宇宙の固有の都合によって……このあたりでは……そのマインドの解体・
改変過程が……急ピッチで進行しているのかもしれませんね。
しかし……それらはすべて……重要なものではありません。
もしもあなたが……そういうもののなかに……もう自分を見つけるつもりがな
いのならば……。(-_-;) (←とか言っちゃってぇ。(^_-) )
(*^_^*)
というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/
みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?
どんな言葉をひねり出そうと……「実在」に1ミリ近づく役にも立たないとい
うのは……清々しいものですね。
言葉は単なる煙幕……実在を映す鏡の上の汚れにすぎません。
変化するパターンが……実在を反映することなどありえないわけですから。
ところがわれわれは……真実をマインドの一瞬のパターンに……写し取りた
いものだと思ってしまう……。
一瞬の……気の利いた……難解さのなかに……。
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実在は本質的にひとりなのだ。
だが、マインドはそれをひとりにしておかない。
そして、その代わりに忙しく実在について考えつづける。
ただ非実在を実在として見なすこと、それがマインドにできる唯一のことな
のだ。
『私は在る』(p377)
http://tinyurl.com/s747u
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(-||-)
……。
むかし観た映画を……だいぶ時間が経ってまた観るということがあります。
若いころ……というかこの身体が若かったころという意味ですが (^^;)……、
フェリーニ監督の「甘い生活」という映画を観たことがあります。
そのときこの映画は……とても“深い映画”として記憶に残りました。
なにか“自分”にわからないことがこの映画にはある……と思いました。
特に……登場人物のある作家の自殺の場面に……それを感じました。
そして最後の……あの海岸の場面にも……。
そして……いつかもう少しものがわかるようになったら……もういちど観てみ
たいものだという欲望が残りました、
後年……たまたまこの映画を上映している映画館を見つけて……観たことがあ
ります。
不思議でした……。
映画は同じように難解に流れましたが……何も感じませんでした。
ただ……空虚な映像が……流れただけでした。
もちろん……体調とか……マインドの状態とか……いろいろなものが折り重な
って……映画の印象というものはできるのだと思います。
芸術作品の意味はすべて……芸術家の思いや工夫と……それに共振しようとす
る鑑賞者の協力よって……生まれるものであることは疑いありません。
おしなべて……マインドの意味は……すべてそういうものでしょう。
マインドが“若い”く……エネルギッシュなとき……複雑なものに意味を求め
ようとするようです。
マインドが……複雑さに耐える……活力をもっているからでしょう。
マインドが……“若さ”を失ってくると……複雑さに意味を求めるマインドの
活力が枯渇してきます。
そして……「結局それはどういうことなのだ?」と……その構造を見透かそう
とする……“省力化”の回路に流れようとするようです。
そして……マインドがもっと“若さ”を失うと(つまり、老化すると (^_-))
……「だから、何なのだ?」と……ひどくシニカルになったりします。
そうなった頃には……マインドは……“自分”が語る言葉にも……“他人”が
語る言葉にも……あまり信を置けなくなっているでしょう。
“自分”が創った言葉など……たかが知れているのは……創った本人がいちば
んよく知っています。(^_-)
そうかといって……“他人”が語る言葉に感心できる“若さ”も……もうもち
あわせていない……。
たいていの“他人(ひと)”の言葉は……一瞬の新奇さのなかで消費されてし
まうだけ……ということを経験で知ってしまっています。
そして“生きること”(あるいは、“自分が生きている”と思うこと)に……
ほとほとくたびれて……すべてを放り出したくなっている……。
ところがじつは……そう簡単には……放り出せない……。(>_<)
そこでやっと……このどうにも放り出せない“わたし”とは……いったい何な
んだ?……という最後の問にたどり着く……というわけなのでしょうか。
もう……“複雑”な人生の意味に……対応するエネルギーもなければ……そん
なものに興味も湧かない……。
煎じ詰めたところ……いったいこの“バカ騒ぎ”はなんなのか……? (-_-)
何を心配し……何を期待するというのか……?
何が悲しゅうて……生きている……?
生きるとは……死なないために……頑張ることなのか……?
死なないために……頑張る……。
では……なぜ生まれてくる?
生まれてきた“わたし”とは……誰か?
いや……誰が……生きているというのか?
わたしとは……誰?
結局は……そうなってくる……。
こうなると……どうしたって……サットグルが現れてくるわけです……。
あなたが問うているものの答えは……外の世界にはない……。
それは……あなたの中にある……。
静かにして……あなたの中を探しなさい……と。
たしかに……問い続けているかぎり……その問の主は……実在していると……
思える……。
心配し続けているかぎり……その心配の種は……実在するように見える。
誰も……心配することが……心配の種を創造しているとは……思わないから。
考え続けているかぎり……その考えの主が……実在するように見える。
誰も……考えることが……考えの主を創造しているとは……思わないから。
でも事実は……その考えの主は……考える過程として……存在しているだけ。
考える過程以外の……独立した“考える主体”など……実在しない。
だが……そういう言葉は……それを求めるマインドにしか……届かない。
同じ言葉も……別のもっと元気なマインドには……届かない……。
疑問があるかぎり……また問と答えに興味があるかぎり……好きなだけ解答を
求め続けることができる……。
では……考え続けることは……いつやむのか……?
総体としての思考過程が……自然消滅することはないのだろう。
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(愚かさの終焉は)人においては――もちろんやってくる。
いかなる瞬間にでも。
人類においては――周知のように――長い年月の末にやってくる。
創造においては――けっしてありえない。
なぜなら、創造自体が無知の根本だからだ。
『私は在る』(p134)
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総体としての思考過程は……つねに拡大再生産され……とどまることがない。
想像は……新たな現実を創造して……飽きることがない。
かくてマインドは……固有の構造体として……永遠の内部変化をつづける。
分離した“自分”が実在するという幻想から……エネルギーをもらって……。
マインド過程が……自然消滅することはない。
“自分”が生きているのだと……想像しながら……。
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私たちは多様性を、苦痛と快楽の劇を愛している。
私たちは対比によって魅せられているのだ。
このために対立するものと、それらの表面上の分裂を必要としている。
しばらくの間それらを楽しみ、それから退屈して、純粋な存在の平和と沈黙
を切望するのだ。
宇宙のハートは絶え間なく鼓動している。
あなたはその観照者であり、そのハートでもあるのだ。
『私は在る』(p434)
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あるマインドが……世界での生存に本当に興味を失えば……静かになる……。
“自分”が何者かであるという夢に飽きれば……夢から降りる。
夢自体は……続いてゆく……永遠に。
新たな夢の担い手は……無尽蔵に誕生し……累積しているから……。
ひとは消える……永遠に。
しかし……わたしは消えない……。
消えることが……できない。
すべてが消えた後に……残るのが……わたしだから……。
わたしは……無……だから……。
永遠に……「私は在る」……。
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人は無意識であり、意識であり、超意識だ。
だが、あなたは人ではないのだ。
あなたのものとは映画のスクリーン、光、そして見る力だ。
だが、映像はあなたではない。
『私は在る』(p463)
----------------------------------------------------------------------
……。
(-_-)
……。
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
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■ 2.写経ニサルガダッタ:【90 あなたの真我に明け渡しなさい】の1回目
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幸福とか不幸とかいうものが何なのかを……感じさせられます。
幸福を望むから……不幸も手に入れるわけですよね。
内山興正師が
「願いはかなう。結果は化けて出る」
とおっしゃっていましたけど……。
知覚世界は二元性の世界だから、感覚的不幸なしの感覚的幸福を手に入れるこ
とはかなわないわけですよね。
> 注意を払いなさい。
> そうすれば、あなたは誕生と死がひとつであることを見いだすだろう。
> 生命は存在と非存在の間を脈動し、互いが他方をその完全性のために必要と
> していることがわかるだろう。
> あなたは死ぬために生まれ、再誕生するために死ぬのだ。
では、【90 あなたの真我に明け渡しなさい】の1回目です。
(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
願っています。(-||-) )
最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。
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質問者 私はアメリカに生まれました。この一四カ月間、シュリー・ラマナ
アシュラムに滞在していました。今、母の待つアメリカに帰る途中
です。
マハラジ
あなたの計画はどのようなものだろうか?
質問者 私は看護士としての資格をもつかもしれません。あるいはただ結婚
して、子どもをもつかもしれません。
マハラジ
何があなたに結婚を望むようにさせるのだろう?
質問者 スピリチャルな家庭をもつことは、社会奉仕の最高の形だと私は考
えています。しかし、もちろん人生は違った形を取るかもしれませ
ん。何が来ようとも受け入れる用意があります。
マハラジ
シュリー・ラマナアシュラムでの一四カ月間、彼らは何をあなたに与えたの
だろうか?
あなたがそこに到着したときと比べて、あなたはどう変わっただろうか?
質問者 私はもはや恐れなくなりました。私はある平和を見いだしたのです。
マハラジ
それはどのような類の平和だろうか?
求めたものが手に入った平和だろうか、あるいはもっていないものを求めな
い平和だろうか?
質問者 思うに、その両方を少しずつです。本当は楽ではありませんでした。
アーシュラムが平和なところにもかかわらず、内面的には、私は苦
悩のなかにいたのです。
マハラジ
内面と外面という区別はマインドのなかにあるだけだと自覚したとき、あな
たはもはや恐れなくなるのだ。
質問者 私にとってそのような自覚は、来ては去っていくものなのです。私
はまだ不動の絶対的な完成に至ってはいないのです。
マハラジ
あなたがそう信じているかぎり、完全ではないという偽りの観念を払いのけ
るためのサーダナ(修練)を続けなければならないだろう。
サーダナは真実の上に重ねられた偽りを取り除くのだ。
あなたが自分自身を時間と空間のなかにある点よりも小さく、切断されるに
は小さすぎる何か、殺されるには短命すぎる何かとして自覚したとき、その
とき、そしてその時にのみ、すべての恐れは消え去るのだ。
あなたは針の先端よりも小さい。
それでは、針はあなたを突き通すことはできない。
あなたが針を突き通すのだ!
質問者 そうです。ときどき、私は不屈だと感じます。私は恐れ知らず以上
の何かです。私は大胆不敵そのものなのです。
マハラジ
あなたをアーシュラムへ行かせるようにしたきっかけは何だったのだろうか?
質問者 私は不幸せな恋愛をして、地獄のように苦しんだのです。お酒も麻
薬も助けにはなりませんでした。暗闇を手探りしながらヨーガの本
にたどり着き、いくつかの手がかりを通じてラマナアシュラムにた
どり着いたのです。
マハラジ
もし同じような悲劇がまたあなたに起こったなら、同じように苦しむだろう
か?
現在のマインドの状態を思えばどうだろうか?
質問者 いいえ。けっしてふたたび私自身を苦しめたりはしません。死んだ
ほうがましなくらいです。
マハラジ
では、あなたは死を恐れないのだね!
質問者 死ぬことは恐れますが、死自体を恐れはしません。私は死の過程が
苦痛に満ち、醜いものだと想像するのです。
マハラジ
どうして知ることができるだろう?
それがそうである必要はない。
それは美しく、平和なものでありうるのだ。
ひとたびあなたが死は身体に起こり、あなたに起こるのではないと知れば、
あなたはただ、身体が捨て去られた衣服のように離れ去っていくのを見守る
だけだ。
質問者 私は死の恐怖が知識ではなく、不安によるものだということに完全
に気づいています。
マハラジ
人間は毎秒ごとに死んでいるのだ。
死ぬことへの恐怖と苦悩は雲のように世界の上にたれこめている。
あなたもまた恐れていることは、何も不思議なことではない。
だが、ひとたびあなたが、死ぬのは身体だけであり、記憶の継続性と、その
なかに反映する「私は在る」という感覚ではないと知れば、もはや恐れるこ
とはないのだ。
質問者 まず、死んでみて、それからどうなるか見てみましょう。
マハラジ
注意を払いなさい。
そうすれば、あなたは誕生と死がひとつであることを見いだすだろう。
生命は存在と非存在の間を脈動し、互いが他方をその完全性のために必要と
していることがわかるだろう。
あなたは死ぬために生まれ、再誕生するために死ぬのだ。
質問者 無執着がその過程を止めるのでしょうか?
マハラジ
無執着とともに、恐れが消える。
だが事実が消えることはないのだ。
質問者 私は再誕生するように強要されるのでしょうか? 何とひどい!
マハラジ
そこに強要はない。
あなたはあなたが求めることを得るのだ。
あなたが自分で計画を立て、それを実行に移すのだ。
『私は在る』(p482-483)
http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------
(-||-)
> 質問者 私はアメリカに生まれました。この一四カ月間、シュリー・ラマナ
> アシュラムに滞在していました。今、母の待つアメリカに帰る途中
> です。
一四カ月間……1年以上の滞在の後……故郷に帰るんですね。
> マハラジ
> あなたの計画はどのようなものだろうか?
>
> 質問者 私は看護士としての資格をもつかもしれません。あるいはただ結婚
> して、子どもをもつかもしれません。
女性の方のようですね。
> マハラジ
> 何があなたに結婚を望むようにさせるのだろう?
心境を確認なさっている……。
> 質問者 スピリチャルな家庭をもつことは、社会奉仕の最高の形だと私は考
> えています。しかし、もちろん人生は違った形を取るかもしれませ
> ん。何が来ようとも受け入れる用意があります。
なるほど。
> マハラジ
> シュリー・ラマナアシュラムでの一四カ月間、彼らは何をあなたに与えたの
> だろうか?
> あなたがそこに到着したときと比べて、あなたはどう変わっただろうか?
うん。
> 質問者 私はもはや恐れなくなりました。私はある平和を見いだしたのです。
おお……。
> マハラジ
> それはどのような類の平和だろうか?
> 求めたものが手に入った平和だろうか、あるいはもっていないものを求めな
> い平和だろうか?
的確ですねぇ。
> 質問者 思うに、その両方を少しずつです。本当は楽ではありませんでした。
> アーシュラムが平和なところにもかかわらず、内面的には、私は苦
> 悩のなかにいたのです。
あ、そうだったんだ。
> マハラジ
> 内面と外面という区別はマインドのなかにあるだけだと自覚したとき、あな
> たはもはや恐れなくなるのだ。
そういうことになるわけか……。
> 質問者 私にとってそのような自覚は、来ては去っていくものなのです。私
> はまだ不動の絶対的な完成に至ってはいないのです。
ま、マハラジには見えているわけでしょうが……。
と同時に……、
> マハラジ
> あなたがそう信じているかぎり、完全ではないという偽りの観念を払いのけ
> るためのサーダナ(修練)を続けなければならないだろう。
という側面も……あるんですねぇ。(-_-)
> サーダナは真実の上に重ねられた偽りを取り除くのだ。
この言葉の正確さを……理解できるようになりました。
> あなたが自分自身を時間と空間のなかにある点よりも小さく、切断されるに
> は小さすぎる何か、殺されるには短命すぎる何かとして自覚したとき、その
> とき、そしてその時にのみ、すべての恐れは消え去るのだ。
これは……はじめて聞く……表現ですね。
実際、足立育朗さん経由の“プレアデス語”でも、原子核の中の
「陽 子」=愛 (働く者)と
「中性子」=意識(知る者)
は、原子の振るまいより……はるかに小さいわけでしょうけど。
> あなたは針の先端よりも小さい。
> それでは、針はあなたを突き通すことはできない。
> あなたが針を突き通すのだ!
そういう言い方もできるわけだ。
> 質問者 そうです。ときどき、私は不屈だと感じます。私は恐れ知らず以上
> の何かです。私は大胆不敵そのものなのです。
なんか……エネルギー充実している感じ。(^^;)
> マハラジ
> あなたをアーシュラムへ行かせるようにしたきっかけは何だったのだろうか?
きっと、質問者のほうからの質問がないのかもしれませんね。
> 質問者 私は不幸せな恋愛をして、地獄のように苦しんだのです。お酒も麻
> 薬も助けにはなりませんでした。暗闇を手探りしながらヨーガの本
> にたどり着き、いくつかの手がかりを通じてラマナアシュラムにた
> どり着いたのです。
なるほど……。
> マハラジ
> もし同じような悲劇がまたあなたに起こったなら、同じように苦しむだろう
> か?
> 現在のマインドの状態を思えばどうだろうか?
親切な質問。
> 質問者 いいえ。けっしてふたたび私自身を苦しめたりはしません。死んだ
> ほうがましなくらいです。
おお。
> マハラジ
> では、あなたは死を恐れないのだね!
>
> 質問者 死ぬことは恐れますが、死自体を恐れはしません。私は死の過程が
> 苦痛に満ち、醜いものだと想像するのです。
わかりますよねぇ、この気持ち。
> マハラジ
> どうして知ることができるだろう?
> それがそうである必要はない。
> それは美しく、平和なものでありうるのだ。
そうだとしたら……死は望ましいものですね。
> ひとたびあなたが死は身体に起こり、あなたに起こるのではないと知れば、
> あなたはただ、身体が捨て去られた衣服のように離れ去っていくのを見守る
> だけだ。
これは、覚者方がよくおっしゃることですよね。
それだけでなく、いろいろな臨死体験が文書になっている現在では、なんとな
く誰にでも信じられることになってきているような……。
> 質問者 私は死の恐怖が知識ではなく、不安によるものだということに完全
> に気づいています。
たしかに。
実際、肉体を離れるというそのこと自体より、生存できなくなるという想像の
ほうがずっと恐ろしいような……。
その意味で、貧富の格差が拡大するこの最後の時代は、なかなか過酷ですね。
> マハラジ
> 人間は毎秒ごとに死んでいるのだ。
この肉体を獲得したその時から、ひたすらその肉体の崩壊へと向かう一本道を
歩んでいるわけですよね。
> 死ぬことへの恐怖と苦悩は雲のように世界の上にたれこめている。
自分を人間だと思いこんだその瞬間から、ひとはひたすら“死なないために”
頑張っているわけだものなぁ……。
> あなたもまた恐れていることは、何も不思議なことではない。
はい。
> だが、ひとたびあなたが、死ぬのは身体だけであり、記憶の継続性と、その
> なかに反映する「私は在る」という感覚ではないと知れば、もはや恐れるこ
> とはないのだ。
“わたし”もそれは信じているんだけど、“知っている”のとは違うから。
> 質問者 まず、死んでみて、それからどうなるか見てみましょう。
まあ、そう言わざるをえませんよね。
> マハラジ
> 注意を払いなさい。
うん?
> そうすれば、あなたは誕生と死がひとつであることを見いだすだろう。
おう。(@_@)
> 生命は存在と非存在の間を脈動し、互いが他方をその完全性のために必要と
> していることがわかるだろう。
と……いうと。(?_?)
> あなたは死ぬために生まれ、再誕生するために死ぬのだ。
ガーン!! (*_*) ⌒★?
そうなのか……。(=_=)
> 質問者 無執着がその過程を止めるのでしょうか?
止めるのでしょうか?
> マハラジ
> 無執着とともに、恐れが消える。
あ。(@_@)
> だが事実が消えることはないのだ。
なるほど……。
> 質問者 私は再誕生するように強要されるのでしょうか? 何とひどい!
うう……。
> マハラジ
> そこに強要はない。
“強要はない”……。
> あなたはあなたが求めることを得るのだ。
そうか。
> あなたが自分で計画を立て、それを実行に移すのだ。
そうか……。
アップルオレンジ……のなかでかぁ……。
誰にも文句を言う資格はない……。
責任転嫁できる者は誰もいない……。
ただ……自ら気を失いたいと望むばかりに……。
そして……感覚的世界のなかで何者かでありたいと望むばかりに……。
(-_-)
……。
(-||-)
今日の写経は、ここまでです。
m(_ _)m
…………○…………○…………○…………
『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。
ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
…………○…………○…………○…………
▼『アセンション館通信』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単なるメールな
ど、ご自由にお書きいただければと思います。
…………○…………○…………○…………
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■ 3.「ご投稿・情報提供」:ドン・ガバチョさん
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『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。
▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518
…………○…………○…………○…………
今回は、ドン・ガバチョさんから中西研二さんの
『悟りってなあに?』(http://tinyurl.com/ye3ncc6)から抽出した文章を
投稿してくださいましたのでご紹介します。
【件名】: 悟りってなあに?
----------------------------------------------------------------------
『悟りってなあに?』(ヴォイス刊、中西研二 著)より
著者の中西研二は「悟り」とは「差取り」つまり、差分(コントラスト)を認
識せず、振り回されず、ただ愛(め)でることができることだといいます。
中西研二が師事したカルキ・バガヴァンは説きます。
――――――
悟りのプロセスが進んだときには、「どのように」とか「なぜ」という疑問は
消えていきます。
生きる目的といったものはそこにはありません。
正しい生き方、間違った生き方というものはなく、瞬間瞬間を完全に生きてい
るだけです。
瞬間に生きているとは、完全に体験している、ということです。
疑問を持つ自分という主体もありませんし、疑問もありません。疑問もなく、
自分もいない状態です。
見解もなく疑問もなく、ただ生きています。
そこに疑問がないこと、イコール、そこに人は存在せず、自分もありません。
とてもおいしいものを食べているとき、それが何なのかという疑問はなく、た
だ食事を楽しみます。
それと同じです。マインドの見方、とらえ方が介入することなく、自動的に流
れるままに瞬間瞬間を生きています。
善悪もマインドがつくりだしたものにすぎません。
例えば、財布をなくしたとします。
実際のところ財布をなくしたから何なんでしょう。死んだところで何なんで
しょう。
どんなことでもそうです。
あなた自身が「いい」「悪い」をつくっているだけです。
財布を落としたことをあなたは「悪い」ととらえるかもしれませんが、善悪は
イリュージョン、マインドの中で幻想をつくっているだけです。
つくって悪いものは何もありません。
そのままでOKなのです。
―――
マインドは、物質的な外側の目標に到達するまで、あるいは何かを手に入れる
まではすごく意味を感じます。
でも、それが叶った瞬間、手に入れた瞬間に意味を失ってしまいます。価値を
失ってしまいます。それがマインドの質です。
ゴールを得るまで意味を見いだそうとマインドが働くわけです。
マインドはマインド自身が生き残るために価値や意味をずっと探し求めていま
す。
価値や意味を完全に失ったときには、マインドは存在することができません。
サバイバルできなくなってしまいます。
ですから、マインドはたえず何かになろうとします。
あるいは、何かに到達しようとします。
目標がひとつ叶ったら次の目標、その目標が叶ったらまた次の目標、そうやっ
てずっと続けているだけです。
これがマインドの生き残りの作戦です。
―――
マインドはたえず質問をし、理由や原因を探そうとしています。
それによって、私たちは自分のハイアーセルフ(高い意識の自己)とのつなが
りを忘れてしまいます。それはマインドのゲームです。
常に、なぜ、なぜ、なぜと理由を探し、原因を探し、質問をくり返します。
究極の質問は「自分は誰なんだ」という質問です。究極のゲームです。
あなたは質問以外の何者でもありません。
質問がなければあなたはありません。
質問がなければマインドはそこで生き残ることができません。
そこに存在することができないのです。
存在することができなければ、あなたが死ぬということです。
こういった質問を私は「根本的な質問」と言います。いま言ったとおり、その
中でも「自分は誰なんだ」という質問は究極的なものです。
―――
私たちの人生には二つの生き方があります。
ひとつはマインドによる生き方、もうひとつはマインドなしの生き方です。
執着したり恋こがれたりするのは、マインドによる生き方にあるからです。
マインドが生きつづけるため、サバイバルするためにそのようなことが起こり
ます。
無意味かといえば、実際には何も意味がありません。
ものごとには、どんなことにも意味などないのです。
どんな人生も、もともとまったく意味はつけられていません。
そこに意味づけをしようとしているのがマインドです。
ゴールをつくったり目的づけをしたりしてマインドがサバイバルをしているだ
けで、実はこの宇宙にはゴールもなければ目的もないのです。
私たちが「ダークナイト・オブ・ザ・ソウル(魂の闇夜)」と呼んでいる状態
がありますが、それは、人生には目的などないことに気づいていく過程です。
「こんな目的がある」と、私たちはものごとにいろいろと価値をつけてきまし
た。
それが分離していく過程なのです。
ですから、人によっては、この過程で苦しんだり混乱したりします。
悟った人の愛や思いやりは自然なものです。そこに意味や目的はありません。
でも、悟る前は、すべてに意味づけをし、価値をつけます。ですから、苦しい
のです。
しかし、そういった痛みや苦しみが来たら、しっかりそれを味わってくださ
い。飲み込んでください。
飲み込まない限り郵便配達人がたえずノックしにきます。
それに面と向かって、それを味わい尽くしてください。そうすれば、自由が訪
れます。
執着やマインドの働きがあなたに影響を及ぼすことはなくなります。
すると、「恋に落ちる」のではなくて「愛を与える」側になります。
愛がたち上がってきます。
―――
魂という固有の意識はありません。
意識自身にたくさんのヴァサナ(香り、過去から持ち越した性分、質)が含ま
れています。
魂とは、さまざまな人生を経たさまざまな人々のヴァサナが集まってできたも
のです。
あなたが「自分の過去生」と言ったとき、それはあなたが過去に生きたもので
はなく、さまざまな人々の経験から来ているヴァサナを集めたものにすぎませ
ん。
それがあなたの意識に流れているだけです。
例えば、隣の部屋で線香が焚かれていると、その香りがあなたのもとにもやっ
てきます。
ジャスミンの線香ならジャスミンの香り、パラの線香ならパラの香りが来ま
す。この香り、匂いがヴァサナです。
数世紀前に生きた人のヴァサナなど、さまざまなヴァサナがあなたの中にやっ
てきて、あなたの性格や人格を形成します。
そして、ヴァサナはカルマでもあります。
―――
ヴァサナとマインドとカルマ、深く見ていけばその違いはありません。ただ形
が違うだけです。
同じものですが、それを潜在的な力から見たとき、つまり、潜在的な特徴を見
たときにはヴァサナ。
それが動くアクティブな部分、実際に因果としてそれが表現する形ではカル
マ。
そして、このヴァサナとカルマによって生成されて表に出てくるものがマイン
ドです。
―――
カルマについて言うと、個人のカルマというものはありません。人類のカルマ
があるだけです。
あるいは、家族のカルマがあり、社会のカルマはあります。あるいは、民族、
人種のカルマがあります。
アメリカ人のカルマ、インド人のカルマ、そういったさまざまなグループのカ
ルマが場所場所であります。
ですから、一個人が悟ったからといってカルマがなくなるわけではありませ
ん。
このカルマからはけっして逃げることはできません。
個人のカルマではなくて人類のカルマや集合のカルマなので避けられないとい
うことです。
しかし、人類全体が転換したとき、悟ったときには、そのカルマから解放され
ます。
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地球の磁場が消失すると、この地球磁場に蓄えられている思考層・マインドが
消失し、一万一千年の記憶がなくなります。
この現象が起こると、人類はカルマから自由になります。2012年12月21日には
人類はすべて悟ります。
そのときには人類のマインドの束縛から解放されます。
マインドとは人類の過去の経験の積み重なったものです。
それが人類のカルマです。悟ればそれが介入しなくなり、カルマの束縛から自
由になります。
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夫婦関係は友人関係であるべきです。
だからといって、これは本などに書かれた概念や枠組みを使って夫婦関係を整
えようとするものではありません。
概念や枠組みを使って夫婦の関係をつくり出そうとすると、それは破壊となり
ます。
あなたが学ぶべきことは、相手をそのまま体験する、そのまま感じるというこ
とです。
私はかねがねこう言っています。「分析することは麻痺すること」つまり、
「相手はこう考えているだろうから、こういう行動をとらなければいけな
い」、「相手はこういう状況だから、私たちはこういうふうに反応しなければ
いけない」と分析している限り、相手を感じる感覚が麻痺していくのです。
もし相手をそのまま感じとることができるようになれば、それはほとんど悟り
に近いと言えます。
学校や家庭は本当に相手を体験する方法を教えずに、分析ばかり学ばせていま
す。それが問題なのです。
例えば、私の運動の賛同者に、ある有名なお医者さんがいますが、彼は野菜売
り(ふつうは貧しい人たちがする仕事)の娘と結婚して、それ以来二十五年間
とても幸せに暮らしています。
私が今まで見た中でもっとも幸せそうなカップルです。
結婚したときすでに有名でトップクラスにあったお医者さんと、どこにでもい
るような町のお姉さんです。
彼女は教育もまったく受けていなければ、言葉もがさつという人です。
しかし、彼らはお互いを完全に体験しあっているので幸せなのです。
その奥さんは結婚するにあたって彼にいくつか条件を出したといいます。
「私はけっして野菜売りをやめないし、言葉や着るものを変えたりもしませ
ん。私は私のままです。それでもよければ結婚します」と。
彼女はある意味、とてもかしこいと言えます。
もし言葉を変えたり、格好を変えたり、野菜売りをやめて貴婦人になったりし
たら、ご主人が知っている他のたくさんの女性たちと同じになってしまいま
す。
「私が私のままであるからこそ、彼は私を選んだのです」彼女はそう話してい
ます。
もしあなたが相手をそのまま体験できたら、喜びがやってくるでしょう。幸せ
な結婚ができるでしょう。
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人間関係の問題は、心理学によって解決することは不可能です。
他人を完全に理解しようとするどんな努力も、助けになることは決してありえ
ません。
それは玉ネギの皮をむくのと同じです。玉ネギの皮をむき続ければ残るものは
ありません。
例えば、あなたがコヴァ(インドの調理食品)を食べているとします。
そのときあなたはコヴァを理解しようと努力することはありません。
ただコヴァを食べるのを体験します。
人間関係でも同じように相手をただそのまま体験する必要があります。
妻のことを分析し理解しようとしている夫がいます。
ですが、そんなことをしても無意味です。
分析は麻痺状態をもたらすだけです。
どんな人も絶えず他の人を理解しようとしたり、分析しようとしたり、ジャッ
ジしようとしています。
そんな中で相手を変えようともがいています。
残念なことに、相手を変えることが不可能だということに気づけないのです。
人は皆コンピューターのようにプログラムされていて、それゆえ自分自身の自
由意志など持っていないのが実情なのです。
過去生、誕生時の卜ラウマ、子供時代、教育、文化、そしてあらゆる条件付け
(心理的枠組み)があなたとあなたの人生を食いものにしているのです。
あなたの人生はこのプログラムに従って流れています。
ですから、人を理解し変えようとしているとき、それは、ある一つのプログラ
ムが他のプログラムに変更を加えようとしているだけなのです。
誰もが皆、同じようにお互いを変えようとしているのです。
ここで本当に必要なことは、相手を完全に体験することです。
夫が帰宅すると妻が悲鳴を上げています。
彼は、映画を見たり、コップ一杯のジュースを飲むのと同じように、彼女をそ
のまま体験しなければなりません。
何が起こったのか、なぜそれが起こったのか、なぜ彼女がそんな性質なのか、
といったことは本当に理解することは不可能です。
それは玉ネギをむくのと同じです。
でも、もしあなたが体験すれば、人生は悦びになります。
その出来事が何であろうと関係ありません。
あなたはそのプログラムを体験することだけが必要なのです。
ジャッジしたり非難したりすることをやめなければなりません。
相手を体験できれば、あなたはどう対応したらいいかハッキリわかるでしょ
う。
もうすでに数千数万の人たちがそれをしてきました。
とても簡単で実際に効果的なものです。
もしあなたが人を体験できるようになれば、あなたの心は花聞き、地球の心臓
の鼓動と同調し、私の恩寵が流れ、問題は解決するでしょう。
もしあなたが人間関係を整えなければ、私があなたを救いたいと思っているレ
ベルまで、あなたを救うことはできません。
ですから、まず相手をそのまま味わい(体験し)、出来事をそのまま味わう
(体験する)ことから始めてください。
両親との人間関係においては、どちら側もいつもロボットのようなものです。
どちらもがプログラムされているのです。
しかも、そのプログラムは地球に人類が誕生したころに始まり、それ以後、複
雑さを増しながら続いています。
私たちはそれによって動いているロボットなのです。
自分も相手もプログラムされているのだとわかったときに受容が起こります。
それに気づいたときにこそ人間関係は整うのです。
親もまたコントロールされているのだ、ということに気づくことです。
彼らもまた、小さいときのトラウマや親から言われたこと、社会の枠組みなど
にコントロールされている、ということに気づいてください。
それに気づいたときには、親をジャッジすることがなくなります。
そしてジャッジすることがなくなれば、彼ら自身をそのまま体験できます。
そして、そうなれば彼らを愛することができます。
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自分自身に本当に素直になってみてください。
例えば、「私は自分の子供のためを思って医者になってほしいと思っているの
だ」と言うかもしれません。
しかし、深く見ていくと、それは自分のプライドを高めるためだったり、自分
が将来、安心して老後を送れるようにという思いだったりして、息子を利用し
ているにすぎないことに気づきます。
私はけっしてそれを責めているわけでも、「そんなふうに考えるべきではな
い」と言っているわけでもありません。
ただ、「それに気づいてください」と言っているだけです。
気づいたときに喜びがあります。自由があります。
ですから、今ここではそういう自分に気づくだけです。
自分が愛と思っているものが実は愛ではない、と気づくだけです。
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性欲は残ります。
今、この宇宙には21の世界(ヒンズーではローカという)があります。
その21の世界は、私たちのいる世界、下の世界、上の世界の三つに大きく分か
れています。
そして、その一つひとつにはそれぞれ7つの世界があります。
私たちの世界で7つ、下の世界で7つ、上の世界で7つあるわけです。
私たちはもちろん上の世界に行きますが、下の世界のために体を提供しなけれ
ばなりません。
私たちがその肉体を使うわけではなくて、下の世界の人々が上の世界に行くた
めの、悟るための「乗り物」として肉体を残してあげるわけです。彼らの手助
けになるということです。
この大宇宙は本当にひとつにつながっているのです。ですから、もし私たちが
子孫として肉体を残さなければ、下の世界から来た存在が霊という形でとりつ
いてしまいます。
ですから、肉体を提供していかなければなりません。この大宇宙は、バラバラ
のものが点在しているのではなくて、全部がつながったひとつのものだからで
す。
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次元というものは人間が創造したものではありません。
その次元の中で、人間は創造を行なっています。
地球という世界があり、その中で人々はさまざまなものを形づくります。
同じように、別の世界ヘ行けば、あなた方はその中で創りたいものを創りま
す。
そのように、私たちはさまざまな世界で創造しつづけているのです。私たちに
はその力があります。
例えば、別の世界でも、あなた方はキリスト教の教会やイスラム教のモスクを
見ることができるでしょう。
その世界の住人もそれらを形づくっているのです。
しかし、ある世界でしていることをすべて他の世界でもできるというわけでは
ありません。
その世界でのエネルギーによります。限界はあります。
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人間は「神」によって苦しんでいます。
神の名の下に戦争をし、内側でも神によって縛られて、「神から罰せられる」
という考えに苦しめられているのです。
つまり、神という概念が人を縛っているのです。
しかし、それは概念以外の何ものでもありません。
人は実体験や確信のないまま「神」を概念としてつくり上げているだけです。
実際、「神」という言葉は、人に怖れをいだかせるものです。
よく見てみてください。この言葉にどれだけ恐怖感が伴っているかを。
ですから、私はできれば「神」という言葉を使いたくないのです。
私は無神論者のリーダーなのですから。
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「ブラフマン」は全体性ですが、「神」ではありません。
私たちが「パラブラフマン」と呼んでいるものが「神」です。
私たちは全体性以上に、この神、パラブラフマンに敬意を抱いています。
では、「パラフラフマン・神」とは何か。
それは、個々の存在を統合したもののことをいいます。
「イシュワラ」とも呼ばれています。
人間であれば、人間の意識が集まったもの、集合意識が人間の神です。
つまり、私たち人間とまったく別の存在として「神」があるのではなく、人間
の集合意識を「神」と呼ぶわけです。
例えば、ネズミにはネズミの集合意識、神があり、ヘビにはヘビの集合意識が
あります。
例えば、以前このキャンパスにヘビがたくさん出て困ったとき、私たちはケラ
ラ州にあるへビの神様がまつられているところで儀式をして、「出ないでくだ
さい」とお祈りしました。
すると、ヘビはその後かなり減りました。そんな形でへビの集合意識がありま
す。
こんな例もあります。
スイスで動物保護政策のひとつとして、ある地域をシカの禁猟区としました。
すると、それまでシカはその地域にはめったに入っていませんでしたが、日に
ちを教えているわけではないのに、その日を境にシカたちはそこへ入っていく
ようになりました。これは、シカの集合意識が作用しているのです。
あるいは、インドのあるところでは、ハンターが来ると鳥たちはすぐに自然保
護管理官の詰め所ヘ逃げていくといいます。
どのようにしてその人が自然保護管理官だとわかるのでしょうか。
鳥の集合意識こそが鳥の神であり、この鳥の神が鳥たちを守っているのです。
南米では、350年前、ある教会でネズミがいつもカーテンを食いちぎるという
ことがありました。
それで、ある牧師さんが「ちゃんとエサを与えるからカーテンを破らないでく
れ」とネズミの神と取り引きをしました。
それ以来、そこではネズミがカーテンを食いちぎることはないそうです。
日本でも平家ガニの例があります。
人々がたくさんカニを食べるので、カニの甲羅が平家の落ち武者の顔になり、
それ以来、人が気持ち悪がって食べなくなりました。
このように、カニの集合意識、つまり、カニの神が自らを守るために働いたの
です。
もう一度、人間の例でお話しすると、私たちは個々の人間を「ナラ」と呼びま
すが、その個々の人間「ナラ」を統合したものが「ナラヤナ」であり、それが
人間の神です。
それが人間の願いを聞いてくれるものです。
あるいは、私たちはそれを「パラブラフマン」と呼んでいます。「ブラフマ
ン」より優れたものです。
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御参考になれば。
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ドン・ガバチョさん、今回のご投稿は全文掲載できました。
この本は以前手に入れて読んだことがあるのですが、今回ご投稿いただいて、
思わずしみじみと読みました。
そのリアリティがある種の理解となって……一段と“わたし”というマインド
に染み込んできたような気がします。
ご投稿、ありがとうございました。
m(_ _)m
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■ 4.編集後記:理屈を言わなくなくなるための……
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マインドは理屈を言うことしかできません。
マインドは意気軒昂で舞い上がっているときは元気です。(^^)/
でも自信を失い始めると……惨めです……。
そうなると……マインドは見苦しいだけです……。(;_;)
マインドは見苦しいものですが……でも自分では存在すると思っています。
それでも……マインドは黙ることも……できるかなぁ。
黙って……理屈を言わなくなったら……もうマインドとは言わないのか。
あ、じゃ。(@_@)
理屈を言わなくなくなるための……理屈を言おうっと。(*@_@*)
(↑バカだねぇ。(-_-))
今日は明るいうちに、終わりました。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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