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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.316 2010/4/25(第316号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 916名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.「想像」と「意味」

2.写経ニサルガダッタ:【90 あなたの真我に明け渡しなさい】の4回目

3.「ご投稿・情報提供」:ドン・ガバチョさん

4.編集後記:マインドの油が……ときどき……切れ加減になって
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■ 1,「想像」と「意味」
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満開の桃の花びらが……風を受けてひとひら……枝を離れました。

山の緑を背景にした……ピンクの花桃……。

その上の薄明るい灰色の空……。

その上のじゃっかん濃いめの雲が……ある雰囲気をつくっています。

言葉で思いつくなら……「花曇り」ですけど……。

こういうのは「花曇り」とは言わないわけですよね。

「花曇り」で言う“花”というのは……桜を指すみたいですから。
http://koyomi.vis.ne.jp/doc/mlko/200803290.htm

とは言え……それは人間の文化の話であって……桃の花の「花曇り」にも……
やっぱりある種の雰囲気……ある種の情緒はあります……。

それは当然です。

マインドのなかのこととは言え……この情緒を……人間の勝手で……恣意的に
生み出すことはできないようです。

----------------------------------------------------------------------
 しかもかくのごとくなりといへども、花は愛惜(あいじゃく)に散り、草は
 棄嫌(きけん)のおふるのみなり。
                      『正法眼蔵第一 現成公案』
----------------------------------------------------------------------

道元さんの言葉は……意味はわからなくても調子がいいんですよね。(-_-)

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

われわれは……誰もが幸福を求めています。

すべてを疑うとしても……当面これだけは疑えない。

前回の号でも……こう言って↑書き出しました。(*-_-*)

だから……自分が思う方法で幸福になることができるのなら……どんな方法だ
って……別にかまわないわけですよね。

もっとも……“わたし”にそんなことを指示されるまでもなく……実際に……
すでに誰もがそうしているわけですけど。(^^;)

それぞれ独自の“幸福戦略”で……幸福を求めているわけですよね。

と言っても……じつは見かけほど……独自というわけでもなさそうです。

実状はわれわれ全員……親や社会から教わったとおりに……必死に苦痛を避け
て……快楽(快適)を追い求めているわけです。

まあ……それしか……やりようもないわけですが……。

ところが……ここにニサルガダッタという覚者がおられて……、

----------------------------------------------------------------------
 間違いは快楽を追求することなのだ。
 自分を幸福にしようと試みてはならない。
 むしろ、幸福の探求自体を疑いなさい。
                          『私は在る』(p487)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

なんておっしゃるわけです。

ここで「快楽」と翻訳されている言葉は "pleasure" ですよね。

最近……やっぱり気になって……英語の本も買ってしまいました。(^^;)

マハラジのマラティ語のテープを起こしてフリードマンさんが作った翻訳では、
ここはわかりやすい次のような文章です。

----------------------------------------------------------------------
 It is the search for pleasure that is wrong.
 Do not try to make yourself happy, rather question your very search
 for happiness.
                          『I AM THAT』(p468)
                      http://tinyurl.com/24va8fq
----------------------------------------------------------------------

日本語で「快楽」というと何やらセクシャルな“いけない”ような語感もあり
ますが (^^;)、この "pleasure" はごくニュートラルな言葉だと思います。

ごく普通の「楽しみ、快楽、喜び、楽しいこと、好み」を表す言葉のようです。

用法を見ても、

No pleasure without pain. : 
《諺》楽は苦の種。苦しみのない喜びはない。 

とか、

Pleasure is the source of pain, pain is the source of pleasure. : 
《諺》楽あれば苦あり、苦あれば楽あり。

とか、

Short pleasure, long pain. : 
《諺》喜びは短く苦しみは長い。

といった感じで、反対語 "pain"(苦、苦しみ)の連想がある言葉のようです。

要するに、

> 間違いは快楽を追求することなのだ。

とは、特に“快楽に耽溺する”といった強い意味ではなく、単に“苦を避けて
楽を求める”という人間の通常の営み、を指すにすぎないということです。

マハラジの言葉遣いは……いつもきわめて論理的です。

しかし、われわれと違うのは……けっして“理屈のための理屈”を弄すること
はない……ことだと思います。

つねに、単純な事実の表明だけです。

たとえば、

----------------------------------------------------------------------
 マインドが身体に仕えることに従事するとき、幸福は失われてしまう。
 
                          『私は在る』(p487)
----------------------------------------------------------------------

といった具合です。

われわれがこれを言えば……それは単なる“警句”かもしれません。

しかし……マハラジがこう言えば……それは単純な事実の表明でしょう。

だから……事実として

> マインドが身体に仕えることに従事するとき、幸福は失われてしまう。

わけです。

しかし……そう思って……改めてこの断言を正直に読めば……、
え、どうして (?_?)、って思いますよね。

だって、われわれの世界では、マインドは一般にサバイバルに従事しているわ
けで……まさに……“身体に仕え”ているわけですから。

しかし……その思いを知ってか知らずか……マハラジはこう畳みかけます。

> 幸福をふたたび得ようとして、快楽の中に探し求めるのだ。
> 幸福になろうとする衝動は正しいものだ。
> だが、それを確保しようとする方法が惑わせ、当てにならず、真の幸福を破
> 壊してしまうのだ。

と。

なぜなら……、

----------------------------------------------------------------------
 ……、喜びの追求自体が苦しみの原因なのだ。
 それは悪循環だ。
                         『私は在る』(p39-41)
----------------------------------------------------------------------

というわけです……。

つまり、マハラジは「幸福になろうとする衝動は正しい」のだが、そのために
“苦を避け、楽を求める”のは間違っている、と言っていることになります。

“苦を避け、楽を求める”方法で成功できるなら、むろん、それは、間違って
いないわけでしょう……。

ということは、マハラジは、“苦を避け、楽を求める”方法では成功できない、
真の幸福には至れない、と言っていることになります。

たしかに……もし、

> 喜びの追求自体が苦しみの原因なのだ。
> それは悪循環だ。

というのが事実なら……“苦を避け、楽を求める”方法では……幸福には至れ
ないかもしれませんね……。(-_-)

じつは……以前からちょっと気になっていることがありました。

それは、「想像」という言葉と……「意味」という言葉の……マハラジの用法
に関することでした。

マハラジはよく……“あなたは想像のなかに生きている”みたいな言い方をす
ることがあります。

そしてマハラジ自身は「事実」のなかに生きている、と。

たとえば、こんな感じです。

---------------------------------------------------------------------
 もちろん、事実は現実だ。
 私はそれらのなかに生きている。
 しかし、あなたは事実ではなく、想像のなかに生きているのだ。
 事実はけっして衝突しない。
 だが、あなたの人生と世界は矛盾で満ちている。
 矛盾は偽物の証拠なのだ。
                          『私は在る』(p300)
----------------------------------------------------------------------

うーむ。(-_-;)

たしかに、こう言われては、矛盾に満ちた世界に生きているわれわれとしては
どうにも抗弁ができません。

「想像」については……こういう言い方もします。

---------------------------------------------------------------------
 本当に実在のように見えることが想像の神秘なのだ。
 あなたは禁欲主義者か、あるいは結婚しているかもしれない。
 修行僧か、あるいは家庭をもつ人かもしれない。
 それは要点ではないのだ。
 あなたは自分の想像の奴隷だろうか、あるいは違うだろうか?
 あなたがいかなる決定をしようとも、いかなる仕事をしようとも、それは変
 わることなく想像、想定が事実として誇示していることにいつも基づいてい
 るのだ。
                        『私は在る』(p371-372)
----------------------------------------------------------------------

これによれば、“わたし”がこの世でどんな役割をしていても、それはすべて
想像にすぎない……ということのようです。

それどころか、マハラジはこの“わたし”が住む世界そのものが“わたし”の
マインドの投影……“わたし”の想像だとさえ言うわけです。

---------------------------------------------------------------------
 世界はそれ自体からそれ自体を再創造するのだ。
 それは一時的なものが一時的なものを生みだしていく果てしない過程だ。
 そこに行為者がいなければならないとあなたに考えさせるのは自我なのだ。
 どれほど恐ろしいイメージであろうとも、あなたがあなた自身のイメージに
 よって神をつくり出すのだ。
 あなたのマインドのフィルムを通して世界を投影し、そして原因と目的を与
 えるために神をも投影する。
 それはすべて想像なのだ。
 その外へと踏みだしなさい。
                          『私は在る』(p371)
----------------------------------------------------------------------

もし、そうなら……“わたし”が生きる意味の世界は……すべて“わたし”の
想像……と言ってよさそうです。

だとすると……“わたし”が自分の行動にどんな「意味」づけをしていても、
それはすべて“わたし”の「想像」……ということになりそうです。

ところが……不思議なことに……マハラジは「意味」については……こう言う
のです。

---------------------------------------------------------------------
 あなたが世界に意味を与えるのではない。
 あなたはそれを見いだすのだ。
 あなた自身のなかに深く潜っていきなさい。
 そしてすべての意味があふれだす源を見いだしなさい。
 間違いなく、意味を与えることができるのは表面的なマインドではないのだ。
 
                          『私は在る』(p354)
----------------------------------------------------------------------

え、どって? (?_?)

“わたし”が生き……“わたし”が対応している世界は……すべて“わたし”
の想像じゃなかったの? (?_?)

というわけで……この一見した言葉の上での矛盾が……何となく……気になっ
ていたのです。

しょっちゅう……そのことを思っているうちに……なんとなく……見当がつい
てきました。

少しずつ……その意味が……理解できるようになってきた気がしています。

そうすると……たしかに……、

> あなたが世界に意味を与えるのではない。

という言葉が……真実だとわかってきました。

> あなたはそれを見いだすのだ。

たしかに……“わたし”が想像したものではない「意味」がそこにあって……
“わたし”を迎えてくれる……ようなのです。

たとえば、ちょっと極端な状況を考えてみますね。

誰かが……自分の想像の世界のなかで行き詰まり……他にどんな事態の解決法
も思いつかぬまま……ほかの誰かを殺すに至ったとします。

これは……テレビドラマなどで……日常茶飯的に繰り返し放映されている……
状況です。

そのとき……そのひとは……その行為の意味づけが……できるでしょうか?

言い換えると……その行為の意味を……そのひとは想像できるでしょうか?

いや……その意味は……そのひとが想像したものでは……ないでしょう。

そのひとは……自らの行為が呼びだした意味に……出会うのだと思います。

間違いなくそのひとは……自らの行為の意味を……見いだすのです。

これを要するに、

> 間違いなく、意味を与えることができるのは表面的なマインドではないのだ。

ということに……なるとは思いませんか?

つまり……われわれは……“自分”のマインドが投影する世界(夢)に対応し
て行為し……その行為が呼び出す意味を……見いだすのだと思います。

でも実際は……行為によってその意味を呼びだすまでもなく……その意味は…
…じつは行為の「動機」のなかに……すでに明らかなのではないでしょうか。

だから、賢ければ……われわれは必ずしも……苦しむ必要はないのでは……。

そして……まさに……その意味において……マハラジは、

> 間違いは快楽を追求することなのだ。
> 自分を幸福にしようと試みてはならない。
> むしろ、幸福の探求自体を疑いなさい。

とおっしゃっているのではないかと思います。

なぜなら、

> 喜びの追求自体が苦しみの原因……

だから……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【90 あなたの真我に明け渡しなさい】の4回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

転生を心配する質問者に対してマハラジは、こう言います。

> 関心をもっているのはあなたなのだ!

と……。

まったくもって……これ以上的確な言葉はないと思います。(-_-)

その後で語られる言葉が……もうひとつ先の風景を切り開いてくれます。

> そして、その絵があなたの真実、愛、美の感覚と衝突するかぎり、あなたは
> それに関心をもちつづけるだろう。

そういうことだったとは……。(-||-)

> 調和と平和への熱望は、消し去ることのできないものだ。
> だが、ひとたびそれが満たされれば関心は去り、身体的生活は注意のレベル
> 以下の努力を要しないものとなる。

そうなんですねぇ。(-_-)

では、【90 あなたの真我に明け渡しなさい】の4回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 私は死に関して考えることが私を脅かすことに気づきました。なぜ
     なら、私はふたたび誕生したくないからです。誰もそれを強要して
     いないことは知っています。それでも、満たされなかった欲望の圧
     力は圧倒的で、私には抵抗できそうにないかもしれません。
 
 マハラジ
 抵抗という問題は起こらない。
 誕生し、再誕生するものは、あなたではないからだ。
 それを起こらせるがいい。
 それが起こるのを見なさい。
 
 質問者 では、なぜそれに関心をもつのでしょうか?
 
 マハラジ
 関心をもっているのはあなたなのだ!
 そして、その絵があなたの真実、愛、美の感覚と衝突するかぎり、あなたは
 それに関心をもちつづけるだろう。
 調和と平和への熱望は、消し去ることのできないものだ。
 だが、ひとたびそれが満たされれば関心は去り、身体的生活は注意のレベル
 以下の努力を要しないものとなる。
 身体を得るか、身体を去るかは、あなたにとって同じこととなる。
 あなたには何ひとつ起こらないという地点に達するのだ。
 身体なしには殺されない。
 所有物なしには奪われない。
 マインドなしには騙(だま)されない。
 そこに欲望や恐れを引っかける留めクギもない。
 何の変化もあなたに起こらないかぎり、ほかに何の問題があるだろうか?
 
 質問者 とにかく、私は死ぬという感覚が嫌いなのです。
 
 マハラジ
 なぜなら、あなたはとても若いからだ。
 あなたがあなた自身についてより多く知るほど、より恐れなくなるだろう。
 もちろん、死の苦悶を見ることはけっして快いことではない。
 だが、死にゆく人が意識していることはまれなのだ。
 
 質問者 彼は意識に戻ってくるのでしょうか?
 
 マハラジ
 それは非常に眠りに似ている。
 しばらくの間、個人は焦点からはずれ、その後、それは戻ってくるのだ。
 
 質問者 同じ個人が戻ってくるのでしょうか?
 
 マハラジ
 環境をつくり出す個人は、必然的に環境とともに変化していく。
 それは燃料とともに炎が変化していくようなものだ。
 ただ、その過程だけが時間と空間を創造しながら続いていくのだ。
 
 質問者 ともかく、神様が私の面倒を見てくれるでしょう。私は彼にすべて
     を預けることができるのです。
 
 マハラジ
 神への信仰さえも、道の上の一段階にすぎない。
 最終的には、あなたはすべてを放棄するのだ。
 なぜなら、あなたは言葉では表現できないほどシンプルな何かを実現するか
 らだ。
 
 質問者 私はまだはじめたばかりなのです。はじめのころは、信仰も、信頼
     もなく、ものごとを起こらせることを恐れていました。世界はとて
     も危険で、有害なところだったのです。少なくとも今、私はグルや
     神を信頼することについて話すことができるようになりました。私
     を成長させてください。私を無理に駆りたてないでください。私自
     身のペースで進ませてください。
 
 マハラジ
 もちろん進むがいい。
 だが、あなたはそうしない。
 あなたはいまだ男と女、老人と若者、生命と死という観念に固執している。
 進みなさい。
 超えていきなさい。
 認識されたことは、超越されるのだ。
 
 質問者 どこへ行こうと、人びとは私の過ちを見つけることが彼らの義務か
     のように、私を駆りたてるのです。私はもう、この霊的な助言のお
     仕着せに飽き飽きしました。私の現状のどこが間違っているという
     のでしょう? どんなに栄光あるものであっても、それを未来のた
     めに犠牲にするべきでしょうか? 実在は今のなかにある、とあな
     たは言います。私は私の現在を愛しているのです。私はそれが欲し
     いのです。永遠に、私の現状と未来を不安に思いつづけたくありま
     せん。より多くやより良くを追いかけまわしたくはないのです。私
     がもっているものを愛させてください。
 
 マハラジ
 あなたはまったく正しい。
 そうしなさい。
 ただ、正直でありなさい。
 あなたが愛することだけを愛しなさい。
 闘ってはいけない。
 努力してはいけない。
 
 質問者 これこそ、私がグルへの明け渡しと呼ぶものなのです。
 
 マハラジ
 なぜ外面化するのかね?
 すべてのものがその表現である、あなたの真我に明け渡しなさい。
 
                        『私は在る』(p488-489)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 私は死に関して考えることが私を脅かすことに気づきました。なぜ
>     なら、私はふたたび誕生したくないからです。誰もそれを強要して
>     いないことは知っています。それでも、満たされなかった欲望の圧
>     力は圧倒的で、私には抵抗できそうにないかもしれません。

まったく同じ恐怖が“わたし”にもありそうです。(*-_-*)

> マハラジ
> 抵抗という問題は起こらない。

はい? (?_?)

> 誕生し、再誕生するものは、あなたではないからだ。

ああ……(@_@)、そうか……。(=_=)

> それを起こらせるがいい。

(@_@)

> それが起こるのを見なさい。

そうか……。(-_-;)

> 質問者 では、なぜそれに関心をもつのでしょうか?

ふ……。

> マハラジ
> 関心をもっているのはあなたなのだ!

そうなんですよねぇ。(*-_-*)

この言葉の意味が……最初わかりませんでした。(-_-;) (←今は? (^_-) )

まったくです。

関心をもっているのは……すべての現れの根源であるわたし……なのだから。

> そして、その絵があなたの真実、愛、美の感覚と衝突するかぎり、あなたは
> それに関心をもちつづけるだろう。

そういうことなんだ……。(-_-)

> 調和と平和への熱望は、消し去ることのできないものだ。

はい。

> だが、ひとたびそれが満たされれば関心は去り、身体的生活は注意のレベル
> 以下の努力を要しないものとなる。

そうか……。

> 身体を得るか、身体を去るかは、あなたにとって同じこととなる。

おお……。

> あなたには何ひとつ起こらないという地点に達するのだ。

(-||-)

> 身体なしには殺されない。

はい。

> 所有物なしには奪われない。

わかります。

> マインドなしには騙(だま)されない。

そのとおりです。

> そこに欲望や恐れを引っかける留めクギもない。

そうか……。

> 何の変化もあなたに起こらないかぎり、ほかに何の問題があるだろうか?

まったくです。

> 質問者 とにかく、私は死ぬという感覚が嫌いなのです。

うん。

> マハラジ
> なぜなら、あなたはとても若いからだ。

はい。

> あなたがあなた自身についてより多く知るほど、より恐れなくなるだろう。

そうなんですね。

> もちろん、死の苦悶を見ることはけっして快いことではない。

たしかに。

> だが、死にゆく人が意識していることはまれなのだ。

おお。(@_@)

そうなのか……。

> 質問者 彼は意識に戻ってくるのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> それは非常に眠りに似ている。

やっぱり。

> しばらくの間、個人は焦点からはずれ、その後、それは戻ってくるのだ。

うーむ。(-_-)

> 質問者 同じ個人が戻ってくるのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> 環境をつくり出す個人は、必然的に環境とともに変化していく。

はい? (?_?)

> それは燃料とともに炎が変化していくようなものだ。

ああ……そういう意味ですね。

> ただ、その過程だけが時間と空間を創造しながら続いていくのだ。

おお……。

> 質問者 ともかく、神様が私の面倒を見てくれるでしょう。私は彼にすべて
>     を預けることができるのです。

なるほど。

> マハラジ
> 神への信仰さえも、道の上の一段階にすぎない。

わかります。

> 最終的には、あなたはすべてを放棄するのだ。

すべての概念が……マインドの想像であることが自明になれば……。

> なぜなら、あなたは言葉では表現できないほどシンプルな何かを実現するか
> らだ。

はい。

ありがたいことです。(-||-)

> 質問者 私はまだはじめたばかりなのです。はじめのころは、信仰も、信頼
>     もなく、ものごとを起こらせることを恐れていました。世界はとて
>     も危険で、有害なところだったのです。少なくとも今、私はグルや
>     神を信頼することについて話すことができるようになりました。私
>     を成長させてください。私を無理に駆りたてないでください。私自
>     身のペースで進ませてください。

たしかに……。

> マハラジ
> もちろん進むがいい。

はい。

> だが、あなたはそうしない。

(?_?)

> あなたはいまだ男と女、老人と若者、生命と死という観念に固執している。

ああ……そういう文脈か……。

> 進みなさい。
> 超えていきなさい。

(-_-)

> 認識されたことは、超越されるのだ。

「認識されたことは、超越される」……。

そうなんだ。(-_-)

> 質問者 どこへ行こうと、人びとは私の過ちを見つけることが彼らの義務か
>     のように、私を駆りたてるのです。私はもう、この霊的な助言のお
>     仕着せに飽き飽きしました。私の現状のどこが間違っているという
>     のでしょう? どんなに栄光あるものであっても、それを未来のた
>     めに犠牲にするべきでしょうか? 実在は今のなかにある、とあな
>     たは言います。私は私の現在を愛しているのです。私はそれが欲し
>     いのです。永遠に、私の現状と未来を不安に思いつづけたくありま
>     せん。より多くやより良くを追いかけまわしたくはないのです。私
>     がもっているものを愛させてください。

切れた……。

> マハラジ
> あなたはまったく正しい。
> そうしなさい。

はい。

> ただ、正直でありなさい。

(?_?)

> あなたが愛することだけを愛しなさい。

ああ……。

> 闘ってはいけない。
> 努力してはいけない。

おお……。

> 質問者 これこそ、私がグルへの明け渡しと呼ぶものなのです。

なるほど。

> マハラジ
> なぜ外面化するのかね?

ふ。

> すべてのものがその表現である、あなたの真我に明け渡しなさい。

おっしゃる方向はわかります。(-||-)

“わたし”にも……確信を積み重ねさせてください。(*-_-*)

……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


        …………○…………○…………○…………



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ど、ご自由にお書きいただければと思います。


        …………○…………○…………○…………



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■ 3.「ご投稿・情報提供」:ドン・ガバチョさん
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        …………○…………○…………○…………


今回もドン・ガバチョさんから、『超次元の成功法則』に関する情報をご投稿
いただきました。(この本は、ラムサ情報の編集本なんでしょうか……。)

早速、ご紹介します。

【件名】: 私たちは一体全体何を知っているというの!?
----------------------------------------------------------------------
 超次元の成功法則―宇宙の叡智と意識エネルギーを手に入れる(ビジネス社 
 刊)
 
 DVD『What the Bleep Do We Know?―私たちは一体全体何を知っているという
 の!?』の書籍版です。
 ラムサの至言が随所にちりばめられていて、ワクワクしながら読めますよ。い
 かが?
 
 ―――――
 あなたが目にする世界は、あなたの経験と処理された情報に基づいてつくられ
 ている。
 最終的に脳が現実を読みとり、われわれのために世界を解釈するのである。
 
 脳の知覚の仕方を決定する要因が分かりました。
 それは、ひとつは私たちが実在していると信じているもの。もうひとつは、そ
 の刺激に対して私たちが抱く感情だったのです。
 何に注意を払うべきかを決めているのは、私たちの感情です。ある思いが、意
 識に昇らせる価値があるものか、それとも、未消化の思考パターンとして無意
 識のなかに埋めておくべきかの判断は、レセプターを介して下されます。
 感情は、生化学的変化を引き起こし、物事を記憶に長く留めるためにつくられ
 ている。
 感情とは脳に組み込まれたショートカット機能であり、この機能に沿って、脳
 は選別された情報を知覚するのです。
 また私たちが、見たくないものを見なくてすむというユニークな能力を備えて
 いるのも、感情のおかげです。
 
 私たちは新しいことをどうやって知覚するのでしょう?
 その鍵となるのが「新しい知識」です。自分のパラダイム―自分が考える現実
 や可能性の枠組み―を拡大することで、私たちは脳が持っている「現実リス
 ト」に新たなオプションを加えるのです。
 現実リストとは、私たちの経験に基づいて描かれた現実像であり、現実そのも
 のではありません。
 新しい知識を得ることで、私たちの心は聞かれ、新しい種類の経験や感覚、今
 までとは違うレベルの経験や感覚を、受け入れられるようになるのです。
 
 私たちが知覚する世界は、私たちがつくっていることになります。目を聞けて
 辺りを見まわしたとき、目に見えるのは、「世界」そのものではありません。
 私たちが見ているのは、人間の感覚器官でとらえることのできる世界であり、
 私がこうあるべきだと考える世界、感情によって選別された世界なのです。
 
 私が電子の観測法を意識的に決めることで、その電子の性質はある程度は決定
 される。
 私が電子を「粒子」とみなして質問をすれば、「粒子」としての答えが返って
 くる。私が電子を「波」とみなして質問をすれば、「波」としての答えが返っ
 てくる。
 観察も観測もされないとき、対象は特定の位置も運動量も持たない「確率波」
 (波動関数)として存在しています。
 観測という行為は、観測しているまさにそのリアリティの創造に、密接に関
 わっているのだ。
 電子には、私の心と無関係な『客観的な特性』というものはない。
 リアリティの発見(あるいは「創造」)のプロセスのなかで、主体と客体が一
 緒にダンスをしながら、ひとつになっていく。
 対象に影響を与えない「密かな観測者」というものは存在し得ない。
 「それ」が観測されるまでは、それは「それ」ではないのである。
 
 「現実とは、まだ固まっていない粉末ゼリーのようなものであり、そこには水
 を混ぜて練った形の定まらないゼリーがあるだけである。
 しかし、それが、私たちの人生の可能性だ。しかし私たちがその存在に気づ
 き、観察し、関わることで、ドロドロだったゼリーが固まっていく。
 まり私たちは、現実が形成されるプロセスに欠かせない存在といえる。私たち
 が関わることで、現実が形成されるのである。
 意識はすべての存在の根源である。
 
 自分のなかのどこかに「観察者」(オブザーバー)がいて、いつも自分を見て
 いる。
 
 自分の外にあるリアリティを変えているのではない。椅子や大型トラックやロ
 ケットの発射に影響を与えるのではない―そうしたことを変えると言っている
 のではない。そうではなく、物事の捉え方や考え方、感じ方、知覚の仕方が変
 わるのである。
 
 どの観察も、量子の観測と見ることができる。なぜなら量子を観測すること
 で、脳の記憶が生み出されるからだ。脳の記憶は、刺激を受けるたびに作動す
 る。同じ刺激を何度も受けることで、その刺激の最初の印象が引き出されるだ
 けでなく、記憶のなかの印象が繰り返し再現される。
 われわれは、つねに記憶という鏡に映る映像を遇して、何かを知覚する。われ
 われに「私」という感覚(自己性・(アイネス))、自分が誰であるかという
 感覚をもたらすのは、この記憶という鏡に映る映像にほかならない。「私」と
 いう感覚(自己性・アイネス)は、習慣のパターンであり、記憶のパターンで
 あり、過去のパターンであるのだ。
 
 自分自身のこと、そして、自分がまわりとつながっていることがだんだん分
 かってきた。すると、自分という存在が意識そのもの、あるいは意識が形に
 なって表れたものだと気づいたの。自分が何かとつながっている、自分よりも
 大きな何かとつながっている感じがする。この感覚があるからこそ、意識の表
 れである自分がどんな存在になるのか探りたい、見てみたいと思うようになっ
 た。しばらく心を静めていると、どこからともなくインスピレーションが湧い
 てきて、ひらめいた通りに行動する―そんな感覚がとても好き。魔法のような
 ことが起きるのは、そういう時だから。
 
 宇宙の最古の経験―宇宙のはじまりと言い換えてもいいだろう―は、純粋意識
 (統一場)が、その本質的に統一された性質のなかに、観察するものと観察さ
 れるもの、そして観察のプロセスという三重構造を生み出したときに起きたも
 のである。そうしたりアリティの最深レベルから、意識が森羅万象を生み出し
 た。だから、観察するものと観察されるものとは密接に関わり合っているので
 ある。このふたつは最終的に創造の根底において、不可分の全体として統合さ
 れる。これが統一場であり、われわれの意識の最も深い部分にある「自己」
 (セルフ)なのである。
 
 神秘体験をしているとき、人はその体験を、われわれが日々過ごしている物理
 的なリアリティよりも、根源的なレベルのリアリティを示すものとして感じと
 る。さらに言えば、そうした体験をしていないときでさえ、あのリアリティ
 を、よりリアルなものとして知覚し、リアリティのより根源的な姿を映し出す
 ものとして感じとる。一方、われわれが過ごしている物理的な世界は、彼らに
 とって、いわば副次的なリアリティなのだ。
 
 もしも私たちが本当に現実を創造しているのなら、「外の世界」の瞬間に先
 立って「内なる」瞬間が存在することになる。
 ・あなたも私もそれぞれの現実をつくる。その現実が食い違う場合はどうなる
 のか?
 ・「こんな○○(○に言葉を入れてください)、私がっくりあげるわけがな
 い!」
 ・「偶然の一致」はあるのか?
 ・飢餓に苦しむ子どもが、「飢餓に苦しむ」という現実を生み出しているの
 か?
 ・自然災害についてはどうか?
 ・現実をつくっている「私」とは誰か?
 
 リアリティを創造するための選択を行っている場所、つまり、意識という場所
 は、主体と客体の区別がない特別な状態であることが分かってきた。リアリ
 ティは、この特別な状態のなかで選択される。自分で自分の現実を簡単にデザ
 インできると思っていたニュー工イジャーたちは、ここで失望した。自分の現
 実を自分で創造できるようになるには、瞑想によって特別な意識状態に達する
 必要があるからだ。
 
 個人的なレベルで現実を左右するものを「思考態度」と呼びます。それを文化
 的なレベルでは「パラダイム」と呼び、宇宙的なレベルでは「法則」と呼ぶの
 です。
 
 なたは誰の人生をつくりあげているのでしょう?
 自己のさまざまなレベルで現実はつくられているのです。悟りの目的は、この
 分裂した自己を統合し、ひとつの自己から現実をつくりあげていくことです
 (だからこそ「私とは誰か?」と問うことが大切なのでしょう))。意識を拡
 大し、さまざまなレベルの自己による創造のすべてに気づくことを、悟りは目
 指しています。
 「私が現実をつくる」という考えを受け入れることは、意識を拡大するための
 素晴らしい手段となります。
 なぜなら、もしも本当に自分で現実をつくりあげているならば、現実をつくり
 あげている自分の役割を認めないのは、自分の一部を否定することになるから
 です。こんなことをしていたら、いつまでたっても、分裂した自己を統合する
 ことはできません。実際に、あなたのなかのスピリチュアルな部分は、自己を
 統合するという唯一の目的のために現実をつくりあげていると、「覚醒した人
 たち」は言います。
 
 宇宙が私たちに反応しているのではありません。私たちが宇宙なのです。
 カルマの二元論的モデルでは、「僕がボブをぶったから、今度は僕が誰かにぶ
 たれる」とされ、「原因→結果」という図式(つまりニュートン的な見方)で
 物事が捉えられていました。しかし、二元性が排除された「もつれた宇宙のモ
 デル」では、そうではありません。そこでは、行動あるいは思考(どちらも同
 じ「もの」です)は、自分の意識から生じるとされ、それに関連する一定の波
 動(周波数)が存在すると考えられています。意識から生じた行動をとること
 で、あなたはその現実を確かなものにします。そして、その現実と同調する波
 動を介して、あなたは宇宙とつながるのです。同じ波動(周波数)を持つもの
 はすべて、それに反応します。そして、反応したものがあなたの現実に反映さ
 れるのです。
 こうした考え方をすれば、あなたの人生のなかのすべて―人、場所、物事、時
 間、出来事―は、あなた独自の波動を映し出したものにすぎないことになりま
 す。ラムサは「あなたの人生のなかのすべては、あなたという存在に国有の周
 波数である」と言っています。だから「私とは誰か?」を知りたいのなら、ま
 わりを見回せばいいのです。宇宙はつねに答えを用意しています。
 しかし問題は、私たちの見えない部分、抑圧された部分も、自分の波動を映し
 出すものだということです。私たちがそれを抑圧しているのは、自分のそうし
 た部分が好きではないからです。私たちが「こんなことが起きたのは、自分の
 せいじゃない」と言うような出来事に遭遇するのは、この抑圧された部分が原
 因です。私たちがその部分に気づくまで、抑圧された自己を反映する出来事
 が、何度も何度も起きるのです。
 
 最近、気づいたことがある。自分で自分の人生をつくりあげていることを否定
 していると、何となく現実の一部に対して、きちんと向き合わなくてもいいよ
 うな気分になる、と。僕はこれまでの人生の大半を、そうやって、自分をあざ
 むきながら生きてきたように思う。現実の楽しい部分、心地良い部分は自分で
 つくりあげたもの。でも、不快な部分は自分のせいじゃないと考えていた。そ
 んなふうに現実から目をそらすことで、しばらくはうまくいっていた・・・だ
 けど、そのうちに現実からしっぺ返しをされたのだ。最後には必ず現実にしっ
 ぺ返しをされてしまう。今ではこう思っている。僕が人生で目にするもの、そ
 のすべてを僕自身が引き起こし、招いているのだ、と。
 
 自分を人生の犠牲者と思う人は少なくないでしょう。しかしそれは、「自分で
 現実をつくる」という考えを強く否定していることにほかなりません。人生の
 犠牲者は言います。「こんなことが自分の身に起きるなんて。世の中は不公平
 で、理不尽だ」こうした考え方には良い面もあります。まず、人から同情して
 もらえます。それに、悪いことが起きたのは自分のせいではないと思っている
 ので、自分を責めることもありません。だから嫌なことはすぐに忘れて、自分
 を省みずにすむのです。
 逆に、悪い面を挙げるならば、そうした考え方をしていると、「自分で現実を
 創造する」ことを強く否定する(従って、現実をつくりあげるカを自ら弱め
 る)ことになるので、あなたがそれに気づくまで、何度も、何度も同じような
 苦い経験を味わうことになるのです。それに、そうした考え方をしていると、
 あなたの現実は統合されるどころか、ばらばらになっていきます。つまり、創
 造者と創造物とが切り離されてしまうのです。
 
 ラムサ―
 目が党めた瞬間、あなたは、自分が誰なのか分からないと思ったことはないだ
 ろうか?目が覚めたとき、あなたは自分が誰かを知らないのだ。あなたは部屋
 を見回し、そこがどこなのかを確かめる。さらに驚くのは、隣で寝ている人間
 が誰なのか、一瞬分からないことではないだろうか?そうしたことをあなたは
 じっくり考えてみるべきだろう。ベッドから起き出す前の数秒間、われわれは
 自分から一時的に離れていたアイデンティティを再確認し、そのアイデンティ
 ティと再び結びつく。このようにわれわれは、隣に寝ている人を見る瞬間に、
 自分のアイデンティティを形成しはじめるのだ。それから起きあがり、身体を
 掻きながら起き出して、トイレに向かうが、その途中でわれわれは〔鈍に映っ
 た〕自分の姿を目にする。なぜ自分の姿を見るのだろう?なぜ、自分自身を
 じっと見つめるのだろう?それは、自分が誰なのかを思い出そうとしているか
 らだ。自分が誰なのか、それはまだ謎のままである。
 だが、もしもあなたが、自分が誰なのか、自分が何をどの程度まで受け入れ、
 何をどの程度まで拒絶しているのかを思い出さなければならないのなら、そし
 て自分のことを思い出すために、毎日一定の儀式を行わなければならないのな
 ら、あなたの一日がそれまでとはまったく違う一日になる可能性はどれくらい
 あるだろう。実際には、その可能性はかなり低いと言える。だが、もしも自分
 が誰なのかを思い出そうとする前、隣で寝ているパートナーを目にする前、
 ベッドから這い出してネコを驚かせ、鏡に映った自分の姿を見る前に、「自分
 がなりたいもの」を思い出せばどうだろう。あなたが何も思い出さないうち
 に、「朝の儀式を行うニューロネット(神経細胞ネットワーク)に接続する前
 に、ピックリするような一日、ニューロネットに新たに加えられる一日、体験
 という新たな1ページが人生に加えられるような1日を創造するのだ。こうして
 あなたは、あなたの1日を創造する―あなたの1日を創造するのだ。あなたが、
 まだあなたではないその瞬間ほど、素晴らしく特別な瞬間はないだろう。
 あなたの受容レベルはどれくらいだろう?広く、深く、高いレベルで受容する
 ことこそが、信念というものだ。自分が受け入れていないものを、人生のなか
 で実現することは絶対にできない。人は、自分が受け入れているものだけを実
 現することができるのだ。
 
 安全ゾーンから足を踏み出し、『人と同じでいい』という気持ちを拾て、正気
 の沙汰じゃないと人から思われるようなことに挑むには、それなりの意欲と情
 熱が必要だ。
 
 地位や名声、高級車や豪邸、お金など、外の世界で何かを得ることが夢を実現
 させることだとマスコミや広告媒体は、毎日のように人々を煽ります。しか
 し、そうしたものを手にしたところで、やはりあなたはあなたなのです。
 それでも、忘れてはならないことがあります。あなたがそんな状態になったの
 は、マスコミや広告や嘘つきたちのせいではありません。彼らのせいにすれ
 ば、自分を犠牲者扱いすることになります。けっきょく何に関心を払い、何に
 意識を集中させ、何を受け入れるかを決めるのは、自分自身なのです。どんな
 ことも自分自身が決めたこと。責任の矛先を自分の外に向けるのは、自分の内
 面をおとしめることにほかなりません。
 
 記憶は、本当に脳のなかにあるのか?記憶は脳に保存されていない―この仮説
 に対する検証が現在行われている。というのも、記憶が保存されていると考え
 られている脳の部位を取り除いても、記憶が残っていると思われるからだ。で
 は、記憶は一体どこに保存されているのか?おそらくプランクスケールのどこ
 か、あるいは、いわゆる「アカシックレコード」に保存されているのかもしれ
 ない。すると脳は、宇宙から記憶を引き出す道具の役割を果たしているにすぎ
 ないことになる。おそらく脳は単なるローカルディスクであり、すべての記憶
 は宇宙というハードドライブに保存されているのだろう。
 
 遍在する全知の世界、感情と主観の海を通じて、われわれはすべての他者と密
 接に結びついているのだ。
 
 あなたが、ある行為を何度も繰り返すことによってニューロネットのリピート
 ボタンを押し続ければ、その習慣は脳に組み込まれていく。
 
 ニューロネットの古い配線を断ち切り、習慣を変えて、自由を得ることができ
 るのです。
 
 私たちが行う選択の多くは、自由選択からはほど遠いものです。それは私たち
 の行為のほとんどが、外界からの刺激に対する学習された反応や無意識の反応
 で成り立っているからです。
 
 変革を望んでいるのなら、思いや志を貫くことがきわめて重要だ。意思を集中
 させるには、心を統一しなければならない。
 
 われわれ人間は、あらゆる状況を、過去に経験したことがあるか否かで分析す
 る。そして、経験ずみの感覚は意味を帯びるようになり、その意味をもとにわ
 れわれは未来を予想する。何の感覚も起こらないものは、無意識のうちに取り
 除くか拒絶することになる。というのも、われわれがその「感情」に共感でき
 ないからである。
 
 私は、魂というものを特に科学的に定義づけていない。あえて言うなら、われ
 われが感情を通じて得た体験がすべて記録されているもの、というところだろ
 うか。
 感情を通じて得ていないものは、このリアリティや他のリアリティ、過去世や
 現世や来世で、ずっと何度も体験することになり、魂が成長することはない。
 同じ感情を何度も体験するのをやめ、その感情から抜け出して英知のなかヘ
 入っていかなければ、豊かな魂をもった人間へと成長することはない。高みを
 志向することもなく、何かを目指すこともない。ただ物理的な体内で生化学物
 質を分泌し、遺伝子によって運命づけられた人生を淡々と歩む人間になるだけ
 である。
 豊かな魂を持つ人聞は、遺伝子による運命を克服し、身体の反応を克服し、環
 境を克服し、感情の偏りを克服する。想像してほしい。あなたが人間として成
 長することを望むなら、自分で自分の限界だと思っているものをひとつ選び、
 自分の性癖を変えるよう意識して行動するのだ。するとあなたは何かを得るだ
 ろう・・・それが英知だ。
 
 深遠なものを初めて理解したとき(天啓を得るような経験)もまた、体内でエ
 ンドルフインが分泌されます。これは第6の封印(チャクラ、シールド)の快
 感です。宇宙意識、神との究極的で直接的な結びつきは、第7の封印の快感で
 す。無償の愛は、第4の封印に含まれます。
 ラムサの教えによると、私たちは通常これらの次元に到達することはありませ
 ん。人間は多くの場合、性、生存、椛力という3つの初期段階の封印で行き
 詰ってしまうからです。「人類の最下層」から脱出するには、感情を低いレベ
 ルの封印から解放し、英知の高みへ導かなければなりません。
 ディスペンザ博士の表現を借りれば、「そこを抜け出して英知のなかへ入って
 いく」のです。
 そこで、真の疑問は、「どうやって感情を使うか」、「感情を何に進化させる
 か」、「私たちは何になろうとしているのか」なのです。
 情熱、神の愛、あらゆるものとの一体感、至福、神秘体験はすべて感情です。
 感情が神経ペプチドを分泌させて身体を満たし、意識そのものを変えるので
 す。深い気づきを得ること―人は、力や性や生存などの肉体的なものとは関係
 ないと気づくこと―は、脳の配線を大きく替えます。
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ドン・ガバチョさん、相変わらず多読ですねぇ。(@_@)

今度は、ラムサ本なんですね。

今回も、まぐまぐのサイズ制限で、全部は掲載しきれませんでした。

ご了解ください。

いつもご投稿、ありがとうございます。

m(_ _)m



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■ 4.編集後記:マインドの油が……ときどき……切れ加減になって
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ほんとに少しずつなんですが……。

マインドの油が……ときどき……切れ加減になってきました。(*^_^*)

たいていのことは……どうでもよくなってきて……。

ありがたいことです……。

では、おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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