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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.317 2010/5/2(第317号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 915名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.存在のなかに継続性はない

2.写経ニサルガダッタ:【08 真我はマインドを超えて在る】の1回目

3.編集後記:覚者の言葉というのは……
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■ 1,存在のなかに継続性はない
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五月の声を聞いたら……素晴らしい晴天になりました……。

……。

ニサルガダッタの言葉って……。

だんだん……ものが言えなくなります……。

読めば読むほど……あまりにも論理的で……しかも矛盾がない。

いくら鈍感でもね……やはり理解せざるをえないところがあります。

マインドが好きなことはすべて……じょじょに……根こそぎにされていくわけ
ですから。

個人が否定され……物語が否定され……世界が否定され……。

すべて……つながってますよね……。

すべて……同じ構造につながる幻想ですから。

ニサルガダッタは事実しか語らない……。

それでこちらは……その事実を語る言葉の周辺で……利口ぶって……マインド
の連想を語ろうとするわけです。

ところがこれが……なかなか無事ではいられない。

まるで焚き火の燃え残りを……木の棒でかき回すようなところがあります。

いつの間にか……火かき棒のほうが……けっこうすり減ってきて……。

気がついたら……これ以上……マインドで何を言おうというの……という感じ
になってきます。

要するに……マインドを無視するか……しないかの……どちらかしかないわけ
ですから。

もしまだ……マインドを無視するだけの趣味ができていないのなら……じゃあ
マインドに……関わりなさい……というだけですよね……。

ふ。

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

物語を紡ぎだす……マインドのお喋りすべての虚構性を暴かれながら……なお
かつ……今日もいきましょうか……。

今日は……その虚構の大伽藍のひとつの構成要素……“継続性”という幻想の
周辺を……怖々つついてみたいと思います。

継続性について……マハラジはこう言います。

----------------------------------------------------------------------
 存在のなかに継続性はない。
 継続性は過去、現在、未来における同一性を暗示している。
 そのような同一性は不可能なのだ。
 なぜなら、同一化の手段自体が変動し、変化するからだ。
 継続性や永久性は記憶によってつくられた幻想だ。
 それは単なる精神的投影のパターンなのだ。
 一時的や永久的、身体やマインド、男と女といったすべての観念を放棄しな
 さい。
 何が残るだろう?
 すべての分離が捨て去られたとき、あなたのマインドの状態はどうなってい
 るだろうか?
 私は区別をあきらめなさいと言っているのではない。
 それなしには顕現もありえないからだ。
                          『私は在る』(p486)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

うーむ。

> 存在のなかに継続性はない。

まず真っ向上段から……「継続性」という虚構の観念そのものを両断します。

もし……「存在のなかに継続性はない」のだとすれば……まさにすべては……
何をか言わんや……ということになるでしょうね。

だって……すべての“物語”……マインドが創造するすべての意味は……まさ
に“継続性”を根拠にして……存在しているわけですから。

もし本当に「存在のなかに継続性はない」のだとすれば……。

顕現世界に投影するすべての“物語”は……まさに映画と同じ……という理屈
になります……。

マハラジの言うとことを聴いてみましょう。

> 継続性は過去、現在、未来における同一性を暗示している。

これは間違いありません。

> そのような同一性は不可能なのだ。

なぜ? (*@_@*)

“同一性”というものは存在しえない……というわけ?

> なぜなら、同一化の手段自体が変動し、変化するからだ。

「同一化の手段自体が変動し、変化する」……。

“同一化の手段”というのは……現象を支える二大要素“主観”と“客観”の
ことでしょうか。

(まあ……体験主体そのものの同一性のことだとしても同じですが……。)

われわれは“自分”という個人がいて……対象という物体が継続して存在して
いるのを……日常的に体験しているわけですが……。

しかし、じつは、ある事象が“継続”していると言うためには、継続している
同一の対象事象と……その同一性を確認する同一の主観事象が必要です。

ところが顕現している対象事象も……その同一性を確認する主観事象そのもの
も……ともにつかの間の現れにすぎない……となれば……。

いったいどういうことになるか?

これは、しかし、最近では量子論的にはすでに科学的に確認されている事実と
言ってもいいのではないでしょうか?

----------------------------------------------
 わたしという現象は
 仮定された有機交流電燈の
 ひとつの青い照明です
 (あらゆる透明な幽霊の複合体)
 風景やみんなといっしょに
 せはわしくせはしく明滅しながら
 いかにもたしかにともりつづける
 因果交流電燈の
 ひとつの青い照明です
 ……
          宮沢賢治『春と修羅』序から
----------------------------------------------

つまり……事実はそうだ……ということだと思います。

事実は……その瞬間瞬間に……個々の体験が生起しているだけで……前後際断
しているわけです。

ただ……だからといって……誰もそんなことを気にはしませんが……。(^^;)

ニサルガダッタは、端的に、

> 実際には、各体験にそれぞれの体験者がいる。(p25)

と言います。

量子物理学の世界で要求されるレベルの“観察手段”が手に入れば、それぞれ
の体験に対応するそれぞれの体験者がいる……ことがわかるんでしょうね。

----------------------------------------------------------------------
 ……すべての体験のなかに体験者が現れる。
 記憶が連続するという幻想を与えるのだ。
 実際には、各体験にそれぞれの体験者がいる。
 そして、同一であるという感覚は、すべての体験者と体験との関係の根底に
 おいて共通の要因があるためだ。
 同一性と連続性は同じものではない。
 ちょうどそれぞれの花がそれ自身の色をもっていながら、そのすべての色は
 同じ光源をもとにしているように、数々の体験者も記憶においては別々であ
 りながら、本質においては同一の分割不可能な気づきのなかに現れる。
 この本質こそが根源、基盤、そして時空を超えたすべての体験の「可能性」
 なのだ。
                         『私は在る』(p24-25)
----------------------------------------------------------------------

ふーむ。

> 実際には、各体験にそれぞれの体験者がいる。

一瞬一瞬に成立する“体験”には……一瞬一瞬に立ち上がる個別の“体験者”
が対応している……というわけなんでしょうね。

> 継続性や永久性は記憶によってつくられた幻想だ。

ところが……それが同一の体験者が同一の対象を継続体験しているように見え
るのは……記憶によるたんなる想像……捏造にすぎない、と。

> それは単なる精神的投影のパターンなのだ。

同一の個人という“体験者”は……ただの妄想……でっち上げにすぎないと。

ということになると……すべて現れに関わる“物語”……観念は……すべて…
…砂上の楼閣……ということになります。

ただし……それが“同一人”であるという幻想が起こることにも……それなり
の理由はある。

なぜなら、

> ……同一であるという感覚は、すべての体験者と体験との関係の根底におい
> て共通の要因があるためだ。

と。

つまり、それらすべての体験は、

> 本質においては同一の分割不可能な気づきのなかに現れる

からだ……というわけです……。

われわれすべての“幻想の個人”が語る「わたし」という言葉は……必然的に
同じもの(=分割不可能な気づき)を指さしているわけです。

だから……、

> 一時的や永久的、身体やマインド、男と女といったすべての観念を放棄しな
> さい。

ということになるわけでしょうねぇ。

> 何が残るだろう?

その上……まだ残るものがあるんでしょうか?

> すべての分離が捨て去られたとき、あなたのマインドの状態はどうなってい
> るだろうか?

すべての(虚構の)分離を捨て去ったあとの……マインドの状態……なんても
のを……マインドで構想できるのかしら?

いや……そんなことはできないでしょう。

マインドに……真我を捕らえることなど……できないだろうから。

それは雲に……大空の姿を写し取ることを……要求するようなものでしょう。

雲にできることは……ただ消えて……自ら大空になることだけ。

> 私は区別をあきらめなさいと言っているのではない。

はい。

> それなしには顕現もありえないからだ。

たしかに……。

ニサルガダッタが言っていることは……すべて事実だと思います。

その事実に……どう対応するのかですよね……煎じ詰めれば。

マハラジは……マインドを無視しなさい……マインドを超えていきなさい……
と言うわけです。

これだけマハラジの話を聴けば……それは嫌でもわかってきます。

だから……あとは……いろいろ理屈を言っても……仕方がないような気がして
きちゃって……。

要するに……可能なかぎりマインドを無視し続けるか……マインドが展開する
世界に対応するか……そのどちらかしか……ないわけですから。

----------------------------------------------------------------------
 あなたの古い感情と思考の習慣に抵抗しなさい。
 自分自身に言いつづけなさい。
 「いいや、違う。そうはありえない。私はこんなものではない。それは私に
 必要ない。私はそれを欲しくない」と。
 そうすれば、過ちと絶望の構造全体が崩壊し、新しい人生のための基礎が開
 放される日が必ずやってくる。
                        『私は在る』(p461-462)
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

……。(;_;)

(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【08 真我はマインドを超えて在る】の1回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

たぶん、マハラジはつねに同じ話をしていたのだと思いますが……。

こちらがこれまで……“自分風”に値引きして聴いていたんでしょうね。

でも、どうやら、マハラジの言葉が聞こえはじめてきたような気がします。

> マインドのことは放っておきなさい。

と。

> 欲望の風がマインドと、マインドのなかの真我の反映である「私」を揺り動
> かし、千変万化に映しだす。

だけなのだから……と。

そして……、

> しかしこのような動き、落ち着きのなさ、喜びと悲しみといった観念は、す
> べてマインドのなかに存在する

だけなのだ、と。

そして……いつも、

> 真我はマインドを超えてあり、関わることなくただ気づいている。

のだ、と。

そして、あなたが認めていないだけで、じつは、

> たった今ここで、あなたは真我なのだ。

と。

> マインドのことは放っておきなさい。
> 覚めて、巻きこまれず、離れて在りなさい。

と。

では、【08 真我はマインドを超えて在る】の1回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 子どもの頃、忘我の境地、完全な幸福状態をたびたび体験しました
     が、後にそれは止まってしまいました。インドに来て以来、特にあ
     なたに出会って以来、その状態がふたたび現れはじめています。そ
     れでも、どんなに素晴らしい状態であっても持続しません。それは
     来ては去り、いつふたたび訪れるかもしれません。
 
 マハラジ
 マインドそのものが不動ではないのに、マインドのなかにある何が不動であ
 りうるというのだろう?
 
 質問者 どうすれば私のマインドを不動にできるのでしょうか?
 
 マハラジ
 不動でないマインドが、それ自身を不動にすることができるだろうか?
 もちろんできはしない。
 うろつきまわるのがマインドの本性なのだ。
 あなたにできることは、意識の焦点をマインドの彼方へと移行させることだ
 けだ。
 
 質問者 どうすればいいのでしょうか?
 
 マハラジ
 「私は在る」という想念以外のすべての想念を拒絶しなさい。
 はじめのうち、マインドは抵抗するだろう。
 しかし忍耐と根気をもってすれば、それは降伏し、静かになるだろう。
 ひとたびあなたが静かになれば、あなたからの干渉なしに、ものごとは自発
 的にまったく自然に起こりはじめる。
 
 質問者 このマインドとの長い闘いを避けることはできるのでしょうか?
 
 マハラジ
 できる。
 生を起こるがまま生きなさい。
 ただ留意し、見守り、あるがままにものごとが起こるのを許して、生がもた
 らすままに、喜び、苦しみ、自然なことを自然に行う。
 それもまた道なのだ。
 
 質問者 それなら結婚し、子どもを持ち、仕事をして――幸せになることも
     できるのですね。
 
 マハラジ
 もちろん。
 幸せになるかもしれないし、ならないかもしれない。
 あなたの歩調で歩くがいい。
 
 質問者 でも、私は幸せになりたいのです。
 
 マハラジ
 真の幸福を、移り変わり過ぎ去っていくもののなかに見いだすことはできな
 い。
 喜びと苦しみは容赦なく交互にやってくる。
 真の幸福は自己から来る。
 そして、それは自己のなかにしか見いだせないのだ。
 あなたの真我(スワルーパ)を見いだしなさい。
 それとともに、それ以外のすべてもやってくるだろう。
 
 質問者 もし私の真我が愛と平和ならば、なぜそれはこうも落ち着きがない
     のでしょうか?
 
 マハラジ
 あなたの真の存在に落ち着きがないのではない、その反映がマインドのなか
 に落ち着きなく現れるのだ。
 なぜなら、マインドは落ち着きのないものだからだ。
 それは水面に映る月が、風で揺らめくようなものだ。
 欲望の風がマインドと、マインドのなかの真我の反映である「私」を揺り動
 かし、千変万化に映しだす。
 しかしこのような動き、落ち着きのなさ、喜びと悲しみといった観念は、す
 べてマインドのなかに存在する。
 真我はマインドを超えてあり、関わることなくただ気づいている。
 
 質問者 どうやってそれに到達するのでしょうか?
 
 マハラジ
 たった今ここで、あなたは真我なのだ。
 マインドのことは放っておきなさい。
 覚めて、巻きこまれず、離れて在りなさい。
 そうすれば、超然と油断なく在り、来ては去りゆく出来事をただ見守ること
 が、あなたの真の本性の一側面であることに目覚めるだろう。
 
 質問者 ほかの側面は何でしょうか?
 
 マハラジ
 側面は無数にある。
 ひとつを知ればすべてを悟るだろう。
 
 質問者 何か助けとなることを言ってください。
 
 マハラジ
 何が一番必要なのかはあなたが知っているはずだ。
 
 質問者 私は落ち着きがありません。どうすれば平和になれるのでしょう?
 
 マハラジ
 何のために平和が必要なのだろう?
 
 質問者 幸せになるために。
 
 マハラジ
 今、あなたは幸せではないのかね?
 
 質問者 ええ、そうではありません。
 
 マハラジ
 何があなたを不幸せにするのだろう?
 
 質問者 私は欲しくないものをもち、持っていないものが欲しいのです。
 
 マハラジ
 なぜそれを、持っているものを欲し、持っていないものは気にかけない、と
 いうふうにひっくり返さないのかね?
 
 質問者 私は快楽が欲しく、苦痛は欲しくないのです。
 
 マハラジ
 何が快楽で何がそうでないか、どうやって知るのだろうか?
 
 質問者 過去の体験からです。もちろん。
 
 マハラジ
 記憶に導かれながらあなたは快楽を追求し、不快を避けてきた。
 今まで成功しただろうか?
 
 質問者 いいえ。快楽は長続きせず、苦しみはふたたび入りこんできます。
 
 マハラジ
 どの苦しみだろう?
 
 質問者 喜びへの欲望と苦しみへの恐怖、どちらも惨めな状態です。純粋な
     喜びという状態は存在するのでしょうか?
 
 マハラジ
 肉体的あるいは精神的なあらゆる喜びには手段が必要だ。
 物理的、精神的な手段はともに物質であり、どちらもすたれ、使い果たされ
 る。
 それらが生み出す喜びは、必然的にその強度と期間に限界がある。
 苦しみはすべての喜びの背景にある。
 苦しむがゆえにあなたはそれを欲しがる。
 だが、喜びの追求自体が苦しみの原因なのだ。
 それは悪循環だ。
 
                         『私は在る』(p39-41)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 子どもの頃、忘我の境地、完全な幸福状態をたびたび体験しました
>     が、後にそれは止まってしまいました。インドに来て以来、特にあ
>     なたに出会って以来、その状態がふたたび現れはじめています。そ
>     れでも、どんなに素晴らしい状態であっても持続しません。それは
>     来ては去り、いつふたたび訪れるかもしれません。

マハラジのところには、いろいろな方が訪れますね。

> マハラジ
> マインドそのものが不動ではないのに、マインドのなかにある何が不動であ
> りうるというのだろう?

言葉ではその意味はよくわかりますが……。

> 質問者 どうすれば私のマインドを不動にできるのでしょうか?

それは、無理かも。(=_=)

> マハラジ
> 不動でないマインドが、それ自身を不動にすることができるだろうか?
> もちろんできはしない。

はい。

> うろつきまわるのがマインドの本性なのだ。

わかります。

> あなたにできることは、意識の焦点をマインドの彼方へと移行させることだ
> けだ。

はい。

> 質問者 どうすればいいのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> 「私は在る」という想念以外のすべての想念を拒絶しなさい。

はい。

> はじめのうち、マインドは抵抗するだろう。

はい。

> しかし忍耐と根気をもってすれば、それは降伏し、静かになるだろう。

(*-_-*)

> ひとたびあなたが静かになれば、あなたからの干渉なしに、ものごとは自発
> 的にまったく自然に起こりはじめる。

……。(=_=)

> 質問者 このマインドとの長い闘いを避けることはできるのでしょうか?

そんなことができれば……。

> マハラジ
> できる。

(@_@)

> 生を起こるがまま生きなさい。
> ただ留意し、見守り、あるがままにものごとが起こるのを許して、生がもた
> らすままに、喜び、苦しみ、自然なことを自然に行う。
> それもまた道なのだ。

うーむ。

> 質問者 それなら結婚し、子どもを持ち、仕事をして――幸せになることも
>     できるのですね。

ふふ。^^;

> マハラジ
> もちろん。

(@_@)

> 幸せになるかもしれないし、ならないかもしれない。

はは。^^;

> あなたの歩調で歩くがいい。

あはは。(^-^)

だべさなぁ……。(-_-)

> 質問者 でも、私は幸せになりたいのです。

Ditto!

> マハラジ
> 真の幸福を、移り変わり過ぎ去っていくもののなかに見いだすことはできな
> い。

やっぱなぁ……。

> 喜びと苦しみは容赦なく交互にやってくる。

はい。

> 真の幸福は自己から来る。

わかりました。

> そして、それは自己のなかにしか見いだせないのだ。

(-||-)

> あなたの真我(スワルーパ)を見いだしなさい。
> それとともに、それ以外のすべてもやってくるだろう。
> 
> 質問者 もし私の真我が愛と平和ならば、なぜそれはこうも落ち着きがない
>     のでしょうか?

本当です。

> マハラジ
> あなたの真の存在に落ち着きがないのではない、その反映がマインドのなか
> に落ち着きなく現れるのだ。

そうか……。(;_;)

> なぜなら、マインドは落ち着きのないものだからだ。

はい。

> それは水面に映る月が、風で揺らめくようなものだ。

なるほど。

> 欲望の風がマインドと、マインドのなかの真我の反映である「私」を揺り動
> かし、千変万化に映しだす。

ああ。

> しかしこのような動き、落ち着きのなさ、喜びと悲しみといった観念は、す
> べてマインドのなかに存在する。

はい。

> 真我はマインドを超えてあり、関わることなくただ気づいている。

そうかぁ。

> 質問者 どうやってそれに到達するのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> たった今ここで、あなたは真我なのだ。

はい。

> マインドのことは放っておきなさい。

そうなんですよねぇ。

> 覚めて、巻きこまれず、離れて在りなさい。

そうかぁ……。

> そうすれば、超然と油断なく在り、来ては去りゆく出来事をただ見守ること
> が、あなたの真の本性の一側面であることに目覚めるだろう。

そうかぁ。(;_;)

> 質問者 ほかの側面は何でしょうか?

うん。

> マハラジ
> 側面は無数にある。
> ひとつを知ればすべてを悟るだろう。

はい。

> 質問者 何か助けとなることを言ってください。

正直なひと。

> マハラジ
> 何が一番必要なのかはあなたが知っているはずだ。

あ……。(*@_@*)

> 質問者 私は落ち着きがありません。どうすれば平和になれるのでしょう?

うん。

> マハラジ
> 何のために平和が必要なのだろう?

ああ……。

> 質問者 幸せになるために。

そうか……。

> マハラジ
> 今、あなたは幸せではないのかね?

なるほど。

> 質問者 ええ、そうではありません。

うん。

> マハラジ
> 何があなたを不幸せにするのだろう?

ああ……。

> 質問者 私は欲しくないものをもち、持っていないものが欲しいのです。

おお……。

> マハラジ
> なぜそれを、持っているものを欲し、持っていないものは気にかけない、と
> いうふうにひっくり返さないのかね?

そうだよなぁ。

> 質問者 私は快楽が欲しく、苦痛は欲しくないのです。

これはまた……正確に言ったものだなぁ。

> マハラジ
> 何が快楽で何がそうでないか、どうやって知るのだろうか?

ああ……なるほど。

> 質問者 過去の体験からです。もちろん。

んだす。

> マハラジ
> 記憶に導かれながらあなたは快楽を追求し、不快を避けてきた。

はい。

> 今まで成功しただろうか?

いいえ。

> 質問者 いいえ。快楽は長続きせず、苦しみはふたたび入りこんできます。

まったく。

> マハラジ
> どの苦しみだろう?

ん?

> 質問者 喜びへの欲望と苦しみへの恐怖、どちらも惨めな状態です。純粋な
>     喜びという状態は存在するのでしょうか?

あると思う……。

ただ……“自分”がそれを求めているのかどうか……。

> マハラジ
> 肉体的あるいは精神的なあらゆる喜びには手段が必要だ。

はい。

> 物理的、精神的な手段はともに物質であり、どちらもすたれ、使い果たされ
> る。

「物理的、精神的な手段はともに物質であり、どちらもすたれ、使い果たされ
 る」
 
……はい。

> それらが生み出す喜びは、必然的にその強度と期間に限界がある。

わかります。

> 苦しみはすべての喜びの背景にある。

そうなんだ……。

> 苦しむがゆえにあなたはそれを欲しがる。

そうなんだ。(;_;)

> だが、喜びの追求自体が苦しみの原因なのだ。

(/_;)

> それは悪循環だ。

(T_T)

何度……聴いても……。

愚かだもんなぁ……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
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        …………○…………○…………○…………



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        …………○…………○…………○…………


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■ 3.編集後記:覚者の言葉というのは……
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言葉で何を言っても……という気がするのも……自然の成り行きでしょうね。

文章など書いても……耳鳴りがひどくなるだけですし。

覚者の言葉というのは……結局はそういうことなんですね。

> マインドのことは放っておきなさい。

それだけを言い続けていたんだろうなぁ。

辞書はときどき更新しています。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

日が長くなって、明るいうちに終えました。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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