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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.318 2010/5/9(第318号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ、
という言葉を信じた仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 911名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.シネマ堂本舗の映写機

2.写経ニサルガダッタ:【08 真我はマインドを超えて在る】の2回目

3.いただいたお手紙から:或る私さん

4.「ご投稿・情報提供」:ドン・ガバチョさん

5.編集後記:“能動的禁欲”という言葉は面白いですね。
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■ 1,シネマ堂本舗の映写機
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雲間を漏れてくる日の光を浴びて……山がまだらに照り映えています。

天気予報によると今日は全面的な晴天のはずですが……まあ、そうもいかない
のでしょう。

この季節……山の緑が美しいですね。

春は山の木々が一番多彩な若葉の色を競うときです。

人為的に植林された杉の木だけは……ちょっと雰囲気が違うんですけどね。

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

最初にお詫びしなければならないことがあります。

このところ……プロバイダを変更したりして……その加減でそれまで使ってい
たメーラーがそのままの設定では受信できなくなりました。

よほどの必要がなければ……プロバイダの変更などはしない方がいいです。

それはともかく……その関係で複数のメーラーを試してみたりしました。

それで二つのメーラーでの送受信設定に成功して……どちらのメーラーを標準
にしようか試行錯誤していました。

その間、じゃっかんのタイムラグはありましたが、まあまあ、移行は成功裏に
終了したと思っていました。

で、最近何かの拍子にもう一方のメーラーを確認したところ……なんと! そ
ちらのほうにメルマガの過去号へのご投稿が受信されていたのです。(>_<)

その間、ご投稿いただいていた いぬさん と 或る私さん には大変失礼な結果
になってしまい、申し訳ありませんでした。m(_ _)m

それで今回は、その間二回ご投稿いただいていた、いぬさんのご質問をここで
取り上げさせていただきたいと思います。

或る私さんのご投稿は、投稿コーナーのほうで掲載させていただきます。

では、早速、いぬさんの最初(04月18日)の投稿です。

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 パリさん こんにちは
 いつも最高におもしろいメルマガどうもです。
 
 さて
 
 > あなたのマインドの鏡のなかで、あらゆる類の画像が現れては消えてゆく。
 > それらがあなた自身の創造物であることを完全に知りつつ、
 
 例えば私とパリさんが同じ部屋にいて同じテレビ番組を見ていたとします。
 そのテレビ番組は私とパリさんの共同の創造物なのでしょうか?
 私はどうも「目の前のものは自分自身の創造物」の意味が分らないのです。
----------------------------------------------------------------------

いぬさん、ご投稿、ありがとうございました。

> パリさん こんにちは
> いつも最高におもしろいメルマガどうもです。

もうpariさんは投稿を掲載しなくなったのか、と思われたでしょう。

ご免なさい、単純な手違いでした。

> さて
> 
> > あなたのマインドの鏡のなかで、あらゆる類の画像が現れては消えてゆく。
> > それらがあなた自身の創造物であることを完全に知りつつ、
> 
> 例えば私とパリさんが同じ部屋にいて同じテレビ番組を見ていたとします。
> そのテレビ番組は私とパリさんの共同の創造物なのでしょうか?
> 私はどうも「目の前のものは自分自身の創造物」の意味が分らないのです。

この“あなた自身の創造物”という言葉の意味は、“あなたが注意(気づきの
光)を向けることによって実在性を与えている”ということだと思います。

いぬさんが挙げた例で言うなら、

> 例えば私とパリさんが同じ部屋にいて同じテレビ番組を見ていたとします。
> そのテレビ番組は私とパリさんの共同の創造物なのでしょうか?

たとえ、見ているのが“同じテレビ番組”だとしても、たぶんいぬさんが創造
している番組と、“わたし”が創造している番組は別ではないのでしょうか。

たまたま同席してその同じ番組を見たある少年は、将来ノーベル賞の受賞につ
ながるようなアイディアの元種をそこから得るかもしれません。

また同じ部屋に瀕死の老人や生後間もない赤ん坊がいたら、その方たちはその
放映に気づかず、“テレビ番組”自体を創造しないかもしれません。

> 私はどうも「目の前のものは自分自身の創造物」の意味が分らないのです。

このいぬさんの「目の前のものは自分自身の創造物」という表現は、あたかも
「目の前に在るものは自分自身の創造物」という文脈で理解されますよね。

そうすると、「目の前に在るもの」は自分が創造しなくてもすでに「在る」わ
けなので、どうも意味が分らない、ということになると思います。

ニサルガダッタの言う意味は、“目の前に現れたものを実在物にするのはあな
たなのだ”ということだと思います。

あなたが、目の前に現れたつかの間の“現れ”に、あなた固有の実在性を付与
しているのだ、と。

----------------------------------------------------------------------
 あなたのマインドの鏡のなかで、あらゆる類の画像が現れては消えてゆく。
 それらがあなた自身の創造物であることを完全に知りつつ、それらが来ては
 去っていくのを沈黙のなかで見守りなさい。
                          『私は在る』(p488)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

このニサルガダッタの言葉ですけど……。

いぬさんがあげた“テレビ番組”を見るという言葉の連想から、ふとある“テ
レビ番組”の導入画面を思い出しました。

NHKのBS2に「シネマ堂本舗」というBSで放映される映画の紹介番組が
あります。

自分がむかし16ミリ映写機を使って名画鑑賞会をやっていたこともあって、
https://www.ascensionkan.com/cinema/
この「シネマ堂本舗」の導入画面はとても好きです。(^^;)

画面左手前の映写機から光が放たれて、画面右奥のスクリーンに向かってある
大都会の夜景を映しだしています。

その大都会の一隅にズームアップしながら、

「大都会の片隅にひっそりとたたずむシネマ堂本舗」

という渡辺支配人のナレーションが入ります。

高層建築に囲まれた十字路の一角に古ぼけたシネマ堂本舗が見えてきます。

「今日も映画談義に花が咲く」のナレーションとともに、

ガタンとシネマ堂本舗の古い看板が右に傾きます。

そして、次の画面はシネマ堂本舗の内部に入っているというわけです。

それほど凝っているという作りでもないのですが、映写機がある最初の画面が
なぜかとても気に入っています。

思うに、これこそは、

> > あなたのマインドの鏡のなかで、あらゆる類の画像が現れては消えてゆく。
> > それらがあなた自身の創造物であることを完全に知りつつ、

を意識させる映像ではないでしょうか。

“映画の古本屋”さんをイメージさせそうな、シネマ堂本舗の古い看板が右に
傾く“ガタン”という瞬間……。

これこそ、われわれが、「目の前のものは自分自身の創造物」だという意味が
どうも分らなくなる瞬間とも言えそうです。

なぜならスクリーンに映写される画面そのものは、じつは“自分の創造物”で
はないからです。

それは多次元宇宙のさまざまの位相から匠の技を競うクリエイターたちの作品
でしょう。

だからこそ……マハラジもこう言うわけでしょう。

----------------------------------------------------------------------
 あなたのものとは映画のスクリーン、光、そして見る力だ。
 だが、映像はあなたではない。
                          『私は在る』(p463)
----------------------------------------------------------------------

……と。

ということは……しかし……シネマ堂本舗のなかで語られるすべての物語は、
自分が創造しなくても……すでに存在している……のでしょうか? (@_@)

「事実は小説よりも奇なり」……。

展開される物語の虜になって、自ら介入するばかりに……それは見えなくなる
事実だと思います。

おそらく、わわわれが敢えて関与しなくても、スクリーン上の物語は“すでに
存在していて”自動展開していくのではないでしょうか。

だから……、

> > それらがあなた自身の創造物であることを完全に知りつつ、

とは「それらがあなた自身が興味を持ち、注意(気づきの光)を向けることに
よって実在させたものであることを完全に知りつつ」の意味では……。

しかし、“感覚的存在を切望している”われわれは、ついつい、それを無視で
きずに、「飛んで火にいる夏の虫」となるわけですよねぇ。

興味を持つことによって中に入ってきたわけですから、そこから出たい場合は
その道を逆に遡航(そこう)しなければならない、わけでしょうね。

まあ……シネマ堂本舗などが出てくるようでは……前途遼遠です。(-_-;)


        …………○…………○…………○…………


いぬさんから、同日夜もうひとつのご投稿をいただいていました。

----------------------------------------------------------------------
 パリーさん 根本的な疑問を1つ
 
 マハラジは、「私は在る」ということだけはどんなに疑っても疑えない確
 実なものであり、自分を否定することさえ自分の存在を前提としていると
 仰ります。
 ここが出発点だと。
 しかしそうでしょうか?
 私には次のような疑問が出てきました。
 すなわち私が自分を肯定するにせよ否定するにせよ、そこにはただそのよ
 うな感覚・あるいは考えがあるだけなのではないでしょうか?
 つまり私という主体があり、その主体から何らかの考えや感覚・思考が出
 てくるのではなく、何らかの考えや感覚・思考が世界として現れているだ
 けではないでしょうか?
 そして後付で私という主体を想定しているのではないでしょうか?
 現にマハラジは、行為は在るが行為者はいないとおっしゃられています。
 
 するとマハラジの仰られる出発点としての「私は在る」の「私」は、「自
 我」ではなく「実在としての私」であろうとの反論があるかもしれませ
 ん。
 しかしそうなると「実在としての私」は通常一般人には知覚・認識はでき
 ませんから、マハラジが仰る我々がサーダナを始める出発点としての事
 実・経験としての疑えない・確実な「私は在る」とはいえなくなると思い
 ます。
 すると「私は在る」から始めることは仮定や前提の下に始めることとなり
 はしないかと疑問が出てくるのです。
 すると始めの前提が間違いであれば、その後の全てが間違いになってしま
 います。
 パリさんの意見はいかがでしょうか?
----------------------------------------------------------------------

いぬさん、難しい質問を、ありがとうございます。(^^;)

> パリーさん 根本的な疑問を1つ

はい。

> マハラジは、「私は在る」ということだけはどんなに疑っても疑えない確
> 実なものであり、自分を否定することさえ自分の存在を前提としていると
> 仰ります。
> ここが出発点だと。

たしかに。

> しかしそうでしょうか?

おお……。(@_@)

> 私には次のような疑問が出てきました。

はい。

> すなわち私が自分を肯定するにせよ否定するにせよ、そこにはただそのよ
> うな感覚・あるいは考えがあるだけなのではないでしょうか?
> つまり私という主体があり、その主体から何らかの考えや感覚・思考が出
> てくるのではなく、何らかの考えや感覚・思考が世界として現れているだ
> けではないでしょうか?

なるほど。(^^)/

> そして後付で私という主体を想定しているのではないでしょうか?

まさに。

> 現にマハラジは、行為は在るが行為者はいないとおっしゃられています。

はい。

> するとマハラジの仰られる出発点としての「私は在る」の「私」は、「自
> 我」ではなく「実在としての私」であろうとの反論があるかもしれませ
> ん。
> しかしそうなると「実在としての私」は通常一般人には知覚・認識はでき
> ませんから、マハラジが仰る我々がサーダナを始める出発点としての事実
> ・経験としての疑えない・確実な「私は在る」とはいえなくなると思いま
> す。
> すると「私は在る」から始めることは仮定や前提の下に始めることとなり
> はしないかと疑問が出てくるのです。
> すると始めの前提が間違いであれば、その後の全てが間違いになってしま
> います。
> パリさんの意見はいかがでしょうか?

なんとなく……あなたはそこに存在しない二元対立をもちこんだのだ……な
どというマハラジの声が聞こえてきそうな感じもありますが……。(^^;)

まず最初に、「私は在る」という言葉を絶対的なテーゼとしてではなく……
探求者を彼岸に渡す舟みたいなイメージで捕らえてみてはどうでしょう。

「私は在る」というメッセージは、最初、探求者に

たしかに“私がいないと”は言えない、それだけは確かだ。

たとえ“私はいない”と言ってみたところで、そう言うためにも、それを言う
私の存在が必要なのだから……。

という確信と洞察を与えると思います。

しかもその上で、すべては“あなたが在るがゆえに在るのだ”と説得されれば、
大袈裟に言えば、世界と私の間で一種の“権力の反転”が起こると思います。

でも、それはすべて、「私は在る」の一点にわれわれの意識のフォーカスを絞
り込むための、いわば方便だと思います。

「私は在る」は……まさに道への“入り口”(出発点)であり“出口”だと思
います。

その途中では、「私は在る」はいろいろニュアンスを変化させるでしょう。

むろん、ニサルガダッタが「私は在る」などというものを後生大事に抱えてい
るとは思いません。

でもそれは、ある重要な“公開された秘密”を指さす“言葉の矢印”でありつ
づけるでしょう。

> 私には次のような疑問が出てきました。
> すなわち私が自分を肯定するにせよ否定するにせよ、そこにはただそのよ
> うな感覚・あるいは考えがあるだけなのではないでしょうか?
> つまり私という主体があり、その主体から何らかの考えや感覚・思考が出
> てくるのではなく、何らかの考えや感覚・思考が世界として現れているだ
> けではないでしょうか?

まさに、そのとおりだと思います。

もしいぬさんが、その論理を単なる一思考として扱うのではなく、その理解
から一瞬も動くことがなければ、それでできあがりだと愚考します。

まさに、“そこにはただそのような感覚・あるいは考えがあるだけ”であり、
それを見ている観照者がいるだけなのですから……。

> するとマハラジの仰られる出発点としての「私は在る」の「私」は、「自
> 我」ではなく「実在としての私」であろうとの反論があるかもしれませ
> ん。
> しかしそうなると「実在としての私」は通常一般人には知覚・認識はでき
> ませんから、マハラジが仰る我々がサーダナを始める出発点としての事実
> ・経験としての疑えない・確実な「私は在る」とはいえなくなると思いま
> す。

おっしゃるとおりですよね。

聞くにつけ……舐めるにつけ……囓るにつけ……「私は在る」は……意味を
変えると思います。

最後には……わたしがいようが……いまいが……どうでもいいところにまで
いくわけでしょうから……。

つまり、本来いぬさんは、わたしに質問などなさる必要はなかった、という
ことだと思います。^^;

「私は在る」という言葉に初めて触れて以来、いぬさんは、それだけの道のり
を自分で歩いてこられたわけですよね。

ただ、このニサルガダッタの道は、マインドの教育は“入り口”です。

論理でそこまで納得したのなら……今度はその理解にとどまることが必要で…
…それがサーダナであるわけですが……。

われわれには……これがめっぽう難しい……。(-_-)

急に“敷居”が高くなるところがあります。(;_;)

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 誠実さとは、努力の結果を熱望することではない。
 それは偽り、非本質的、個人的なものから興味をそらし、内なる移行をする
 ことの表現なのだ。
                          『私は在る』(p474)
----------------------------------------------------------------------

そういうことで……あるらしいです。

いぬさん、根本的な疑問を、ありがとうございました。m(_ _)m

(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【08 真我はマインドを超えて在る】の2回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

先週に続いて、再度同じマハラジのメッセージを読みました。

マハラジが……まったく当然のことを言っていることがわかりました。

特に最後の「平和の求め方」です……。

質問者は「たとえそれら(欲望や恐怖の奴隷となること)が正当と見なされた
ときでもでしょうか?」と不満を訴えます。
 
> マハラジ
> 無知や不注意から生じた感情的な反応はけっして正当化されない。
> 清らかなマインドと澄んだハートを探し求めなさい。
> あなたに必要なのは、静かに油断なく自己の本性を探求することだけだ。
> これが平和へのただひとつの道だ。

当たり前ですよね。

世界に存在しないもの(=平和)を求めているのに……なおかつ世界の基準に
すがろうとしても……それは“無い物ねだり”というものでしょうね。

では、【08 真我はマインドを超えて在る】の2回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 混乱の構造は理解できますが、出口が見いだせません。
 
 マハラジ
 構造を調べること自体が道を示すのだ。
 つまるところ、あなたの混乱はあなたのマインドのなかにだけ存在している。
 そのマインドはけっして混乱に抵抗せず、それを理解しようともしてこなか
 った。
 マインドが抵抗したのは苦しみに対してだけだった。
 
 質問者 それでは、私は混乱しつづけるしかないのですか?
 
 マハラジ
 油断なく在りなさい。
 問いかけ、観察し、調べ、混乱があなたや他人に何をし、どう作用するのか、
 混乱について何ができるのかをすべて学びなさい。
 混乱について明らかにすることで、あなたはそれを一掃する。
 
 質問者 自分の内側を見つめるとき、私のもっとも強い欲望は己の記念碑、
     自分を永続させる何かをつくり出したいのだということが見てとれ
     ます。私が家や、妻や、子どもを思うときでさえ、それは永続する
     確固たる自己の証明となるからです。
 
 マハラジ
 では、記念碑をつくるがいい。
 どうするつもりかね?
 
 質問者 それが永遠のものであるかぎり、何を建てるかは問題ではないので
     す。
 
 マハラジ
 あなた自身、何ひとつ永遠のものはないと知るだろう。
 すべては衰退し、朽ち果て、崩壊する。
 記念碑を建てる土台そのものが崩れ去っていくのだ。
 永続するような何を築くことができるというのだろう?
 
 質問者 知的に、言葉の上では、すべてがはかないものだと気づいています。
     しかしそれでも、私のハートは永遠なるものを求めています。何か
     永続するものをつくりたいのです。
 
 マハラジ
 それでは永続する何かをつくるがいい。
 そのようなものを何かもっているかね?
 あなたの身体もマインドも長続きはしない。
 どこかほかを探すべきだ。
 
 質問者 永遠なるものを求めてきましたが、どこにも見いだすことはできま
     せんでした。
 
 マハラジ
 あなた自身が永遠なのではないだろうか?
 
 質問者 私は生まれました。そして死んでいくでしょう。
 
 マハラジ
 あなたが生まれる以前、あなたが存在していなかったと言えるだろうか?
 そして死ぬときになって、「私はもはや存在しない」と言えるというのだろ
 うか?
 あなた自身の体験からも、あなたが存在していないということは不可能だ。
 ただ、「私は在る」と言えるだけだ。
 他者もまた、「あなたは存在しない」と言うことはできない。
 
 質問者 眠りのなかでは、「私は在る」という感覚はありませんでした。
 
 マハラジ
 そんな決めつけたような言葉を吐く前に、目覚めの状態を一度注意深く調べ
 てみるがいい。
 目覚めの状態は、マインドが空白になった瞬間でいっぱいだとすぐに気づく
 だろう。
 完全に目覚めているときでさえ、あなたが覚えていることがいかにわずかか
 ということに注意を払いなさい。
 眠りの間、あなたに意識がなかったとは言えないはずだ。
 ただ覚えていないだけなのだ。
 記憶の隙間が必ずしも意識の隙間であるとはかぎらない。
 
 質問者 深い眠りの状態を記憶することはできるのでしょうか?
 
 マハラジ
 もちろん!
 目覚めている間の不注意なときを取り除くことが、眠りと呼ばれる長い放心
 状態の感覚を徐々に除去するだろう。
 あなたは自分が眠っていることに気づくようになるだろう。
 
 質問者 しかし、永久なるもの、存在の永続性の問題はまだ解かれていませ
     ん。
 
 マハラジ
 永久性とは時間の運動から生まれた、ただの概念にすぎない。
 時間もまた記憶に依存する。
 永久なるものと言うことで、あなたは無限なる時間を通して、変わることの
 ない確かな記憶を表している。
 あなたはマインドを永遠のものにしたい。
 だが、それは不可能だ。
 
 質問者 では、永遠とは何なのでしょうか?
 
 マハラジ
 それは時とともに変化しないものだ。
 一時的な、はかないものを不滅にすることはできない。
 不変のものだけが永遠なのだ。
 
 質問者 あなたのおっしゃることの意味は概してなじみ深いものです。私は
     これ以上の知識は欲しくありません。ただ平和が欲しいのです。
 
 マハラジ
 求めさえすれば、欲するすべての平和は得られる。
 
 質問者 私は求めています。
 
 マハラジ
 ひたむきに求めなければならない。
 そして統合された生を生きなさい。
 
 質問者 どうすればよいのでしょうか?
 
 マハラジ
 あなたのマインドを落ち着かなくさせる、すべてのものからあなたを引き離
 しなさい。
 平和を乱す、すべてのものを放棄しなさい。
 もし平和が欲しいのなら、それを受けるに値する者となりなさい。
 
 質問者 もちろん、誰もが平和を受けるに値します。
 
 マハラジ
 それを妨げない者だけが受けるに値するのだ。
 
 質問者 いったい、どのようにして私は平和を妨げているというのでしょう
     か?
 
 マハラジ
 欲望や恐怖の奴隷となることによってだ。
 
 質問者 たとえそれらが正当と見なされたときでもでしょうか?
 
 マハラジ
 無知や不注意から生じた感情的な反応はけっして正当化されない。
 清らかなマインドと澄んだハートを探し求めなさい。
 あなたに必要なのは、静かに油断なく自己の本性を探求することだけだ。
 これが平和へのただひとつの道だ。
 
                         『私は在る』(p41-43)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 混乱の構造は理解できますが、出口が見いだせません。

これは、先の掲載部分の最後のマハラジの言葉、

「苦しみはすべての喜びの背景にある。
 苦しむがゆえにあなたはそれを欲しがる。
 だが、喜びの追求自体が苦しみの原因なのだ。
 それは悪循環だ」

という言葉に対する、質問者の反応ですね。

> マハラジ
> 構造を調べること自体が道を示すのだ。

まだ、得心し足りないんでしょうねぇ。

> つまるところ、あなたの混乱はあなたのマインドのなかにだけ存在している。

それは、わかるのですが……。

> そのマインドはけっして混乱に抵抗せず、それを理解しようともしてこなか
> った。

え……というと……。(?_?)

> マインドが抵抗したのは苦しみに対してだけだった。

おーお。(@_@)

そうなのかぁ……。

> 質問者 それでは、私は混乱しつづけるしかないのですか?

うーむ。

> マハラジ
> 油断なく在りなさい。

そうかぁ。

魔法みたいな方法があるわけないよなぁ。

> 問いかけ、観察し、調べ、混乱があなたや他人に何をし、どう作用するのか、
> 混乱について何ができるのかをすべて学びなさい。

なるほど……。

> 混乱について明らかにすることで、あなたはそれを一掃する。

わかりました。

> 質問者 自分の内側を見つめるとき、私のもっとも強い欲望は己の記念碑、
>     自分を永続させる何かをつくり出したいのだということが見てとれ
>     ます。私が家や、妻や、子どもを思うときでさえ、それは永続する
>     確固たる自己の証明となるからです。

あれま、このひと……こんなこと思ってたんだ……。

> マハラジ
> では、記念碑をつくるがいい。
> どうするつもりかね?

そうしか言いようがありませんよね。

> 質問者 それが永遠のものであるかぎり、何を建てるかは問題ではないので
>     す。

うう……。

> マハラジ
> あなた自身、何ひとつ永遠のものはないと知るだろう。

ですよね。

> すべては衰退し、朽ち果て、崩壊する。

はい。

> 記念碑を建てる土台そのものが崩れ去っていくのだ。
> 永続するような何を築くことができるというのだろう?

まったくです。

> 質問者 知的に、言葉の上では、すべてがはかないものだと気づいています。
>     しかしそれでも、私のハートは永遠なるものを求めています。何か
>     永続するものをつくりたいのです。

ふーん。

> マハラジ
> それでは永続する何かをつくるがいい。
> そのようなものを何かもっているかね?

ええ……。

> あなたの身体もマインドも長続きはしない。
> どこかほかを探すべきだ。

まったく。

> 質問者 永遠なるものを求めてきましたが、どこにも見いだすことはできま
>     せんでした。
> 
> マハラジ
> あなた自身が永遠なのではないだろうか?

ではないだろうか? (^-^)   \←……

> 質問者 私は生まれました。そして死んでいくでしょう。

いや、“わたし”もそう思ってたんですけどね。

> マハラジ
> あなたが生まれる以前、あなたが存在していなかったと言えるだろうか?

これが……よく考えてみると……必ずしも言えない……。

> そして死ぬときになって、「私はもはや存在しない」と言えるというのだろ
> うか?

いろいろ臨死体験の話など聞くと……言えないと思います。

> あなた自身の体験からも、あなたが存在していないということは不可能だ。

そうみたいですよねぇ。

> ただ、「私は在る」と言えるだけだ。

そうなんだ……。

> 他者もまた、「あなたは存在しない」と言うことはできない。

はい、言ったところで……意味がない。

> 質問者 眠りのなかでは、「私は在る」という感覚はありませんでした。

ふふ。

> マハラジ
> そんな決めつけたような言葉を吐く前に、目覚めの状態を一度注意深く調べ
> てみるがいい。

そっかぁ。

> 目覚めの状態は、マインドが空白になった瞬間でいっぱいだとすぐに気づく
> だろう。

わかります。

> 完全に目覚めているときでさえ、あなたが覚えていることがいかにわずかか
> ということに注意を払いなさい。

たしかに。

> 眠りの間、あなたに意識がなかったとは言えないはずだ。

目覚めの直前だけでも……あれだけ夢を見ていますものね。

> ただ覚えていないだけなのだ。

わかります。

> 記憶の隙間が必ずしも意識の隙間であるとはかぎらない。

そのとおりです。

> 質問者 深い眠りの状態を記憶することはできるのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> もちろん!

やっぱ。

> 目覚めている間の不注意なときを取り除くことが、眠りと呼ばれる長い放心
> 状態の感覚を徐々に除去するだろう。

ガーン?! (*_*)  ⌒★?

「目覚めている間の不注意なときを取り除くことが、眠りと呼ばれる長い放心
 状態の感覚を徐々に除去する」……。

……そういうことだったのか。(*-_-*)

> あなたは自分が眠っていることに気づくようになるだろう。

そうか……。

> 質問者 しかし、永久なるもの、存在の永続性の問題はまだ解かれていませ
>     ん。

ああ、この質問だったんだ。

> マハラジ
> 永久性とは時間の運動から生まれた、ただの概念にすぎない。

はい。

> 時間もまた記憶に依存する。

わかります。

> 永久なるものと言うことで、あなたは無限なる時間を通して、変わることの
> ない確かな記憶を表している。

たしかに。

> あなたはマインドを永遠のものにしたい。
> だが、それは不可能だ。

(-||-)

> 質問者 では、永遠とは何なのでしょうか?

うん、その素直さ。

> マハラジ
> それは時とともに変化しないものだ。

永遠とは……変化しないもの。

> 一時的な、はかないものを不滅にすることはできない。

“現れ”を不滅にすることはできない。

> 不変のものだけが永遠なのだ。

変わらないものだけが永遠……。

> 質問者 あなたのおっしゃることの意味は概してなじみ深いものです。私は
>     これ以上の知識は欲しくありません。ただ平和が欲しいのです。

ありゃりゃ。^^;

けっこう、高飛車ですね。

> マハラジ
> 求めさえすれば、欲するすべての平和は得られる。

ほんとですか? (@_@)

> 質問者 私は求めています。

わたしも。(-_-;) (←ほんとですか? (^_-) )

> マハラジ
> ひたむきに求めなければならない。

ですよね。

> そして統合された生を生きなさい。

ハスカシ……。(*-_-*)

> 質問者 どうすればよいのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> あなたのマインドを落ち着かなくさせる、すべてのものからあなたを引き離
> しなさい。

これだ……。

> 平和を乱す、すべてのものを放棄しなさい。

これだ……。

> もし平和が欲しいのなら、それを受けるに値する者となりなさい。

うわー! (*@_@*)

これが禁欲だよなぁ……。(-_-)

> 質問者 もちろん、誰もが平和を受けるに値します。

でも……欲しがらない人にも渡せる平和は……ないでしょう。

> マハラジ
> それを妨げない者だけが受けるに値するのだ。

ですよね。

> 質問者 いったい、どのようにして私は平和を妨げているというのでしょう
>     か?

ぷ。(>_<)

> マハラジ
> 欲望や恐怖の奴隷となることによってだ。

そっかぁ。(-_-)

> 質問者 たとえそれらが正当と見なされたときでもでしょうか?

もちろん、この世の評価を求めているのなら……それでもいいでしょうが。

求めているのが……この世を拒絶する方法だから……。

この世の評価は……あまり役に立たないかも……。

> マハラジ
> 無知や不注意から生じた感情的な反応はけっして正当化されない。

全身で平和しか求めていないことを……示さなければならない。

> 清らかなマインドと澄んだハートを探し求めなさい。

結局、そういうことなんですね。

まったく、矛盾がない……。

> あなたに必要なのは、静かに油断なく自己の本性を探求することだけだ。

ひたすら静かであり……平和であるものを……探求することだけだ。

> これが平和へのただひとつの道だ。

わかりました。(-||-)

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


        …………○…………○…………○…………



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■ 3.いただいたお手紙から:或る私さん
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http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単なるメールな
ど、ご自由にお書きいただければと思います。


        …………○…………○…………○…………


メルマガの最初でもお断りしましたが、今回掲載させていただく 或る私さん
からのお手紙は以前(04/18)にいただいていたものです。

早速、ご紹介します。

【件名】: 
----------------------------------------------------------------------
 pariさん、こんにちは。
 
 >> >> 幸福になろうとする衝動は正しいものだ。(p487)
 > >
 > >という言葉と、
 > >
 >> >> 自分を幸福にしようと試みてはならない。
 > >
 > >という言葉は……どういうふうな構造で……矛盾なくつながるんでしょう?
 
 について考えてみました。
 
 自分自体が幸福なので幸福にすることのできる自分など
 
 いないのだと言いたいのではないでしょうか。
 
 
 普通「自分」だと言うと身体の気持ちや感覚などとマッピングしがちで
 
 それを幸福にしようと思いますが、
 
 その自分の反映を自分だと思う傾向が間違った幸福の追求に
 
 つながるのだと説明しているのだと思います。
 
 
 自分にマッピングできるものなど、なにもいないと言うことは
 
 経験上、まぎれもない事実ですからね。
 
 はかなく続かないものが自分だと信じたところで
 
 時間がたつと何の痕跡も残らないただの想像であったと
 
 すぐに理解できます。身体を含めてです。
 
 ただ、次から次へと続く感覚のせいで
 
 きっぱりとその事実を受け入れがたいだけだと思います。
 
 一度理解したら、自分が感じるものが自分ではないと
 
 続くと想像する何かが自分ではないとはっきりと強く
 
 うろたえずにその自分の反映を否定し続けていれば
 
 本当の自分ー真我に気づくことになるのではないかと思います。
 
 
 結局は能動的禁欲をするようになるのではないでしょうか。
 
 身体やマインドは必要なく浪費されなくなり
 
 出来る限り健康になるのだと思います。
 
 そうなると自己実現は自然についてくるかも……
 
 って、思っています。
 
 ま、真我を知ったなら自己実現なんてどうでもよくなると
 
 思いますがw
 
 
 っと、知ったかぶって喋っているのは自分ではありません。(^^)
----------------------------------------------------------------------

或る私さん、メールありがとうございました。

そして、手違いですぐに掲載できなかったことをお詫びします。

ところで、今回、或る私さんが書かれていることはじつに明晰ですね。

> pariさん、こんにちは。
> 
> >> >> 幸福になろうとする衝動は正しいものだ。(p487)
> > >
> > >という言葉と、
> > >
> >> >> 自分を幸福にしようと試みてはならない。
> > >
> > >という言葉は……どういうふうな構造で……矛盾なくつながるんでしょう?
> 
> について考えてみました。

はい。

> 自分自体が幸福なので幸福にすることのできる自分など
> 
> いないのだと言いたいのではないでしょうか。

あ、なるほど。

> 普通「自分」だと言うと身体の気持ちや感覚などとマッピングしがちで
> 
> それを幸福にしようと思いますが、
> 
> その自分の反映を自分だと思う傾向が間違った幸福の追求に
> 
> つながるのだと説明しているのだと思います。

まったく完璧な解説ですね。(@_@)

> 自分にマッピングできるものなど、なにもいないと言うことは
> 
> 経験上、まぎれもない事実ですからね。
> 
> はかなく続かないものが自分だと信じたところで
> 
> 時間がたつと何の痕跡も残らないただの想像であったと
> 
> すぐに理解できます。身体を含めてです。
> 
> ただ、次から次へと続く感覚のせいで
> 
> きっぱりとその事実を受け入れがたいだけだと思います。

なるほどなぁ。(-_-)

そういうことですねぇ。

> 一度理解したら、自分が感じるものが自分ではないと
> 
> 続くと想像する何かが自分ではないとはっきりと強く
> 
> うろたえずにその自分の反映を否定し続けていれば
> 
> 本当の自分−真我に気づくことになるのではないかと思います。

そういきたいもんですねぇ。

> 結局は能動的禁欲をするようになるのではないでしょうか。

やっぱり、禁欲ですよねぇ。

でも、“能動的禁欲”というと何か攻める感じがあって、目標が必要なマイン
ドにはいいですね。(@_@)

> 身体やマインドは必要なく浪費されなくなり
> 
> 出来る限り健康になるのだと思います。

ほー。

> そうなると自己実現は自然についてくるかも……
> 
> って、思っています。

素晴らしい。(^^)/

> ま、真我を知ったなら自己実現なんてどうでもよくなると
> 
> 思いますがw

それは、“わたし”にもわかります。

自分がシネマ堂本舗の映写機であることを知っていれば、何もそこで映写され
る映画のなかのカッコいい主役になりたいとも思わないでしょうからね。

> っと、知ったかぶって喋っているのは自分ではありません。(^^)

了解いたしました。^^;

或る私さん、サビの利いたご投稿、ありがとうございました。

m(_ _)m


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■ 4.「ご投稿・情報提供」:ドン・ガバチョさん
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『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


        …………○…………○…………○…………


今回は、ドン・ガバチョさんから“モアレ(干渉縞、かんしょうじま)”に
関するご投稿をいただきました。

早速ご紹介します。

【件名】: モアレ(干渉縞、かんしょうじま)
----------------------------------------------------------------------
 モアレ(干渉縞、かんしょうじま)
 
 三次元物質宇宙において人間(にんげん、にげん、二元)の五感(視覚、
 聴覚、触覚、味覚、嗅覚)は、関係性(コントラスト、差分、干渉、モアレ、
 うなり)を捉えることしか出来ません。
 
 ―――
 「モアレ」はWikipediaによりますと・・・
 
 干渉縞ともいい、規則正しい繰り返し模様を複数重ね合わせた時に、それら
 の周期(波長)のずれにより視覚的に発生する縞模様のことである。
 また、規則正しい模様を、デジタル写真などのビットマップ画像にした場合
 も、画像の画素解像度と模様の周波数のずれが原因で同様の縞模様が発生す
 るがこれもモアレと呼ぶ。
 また印刷でも網点(あみてん)という点の集まりに画像を変換するので同様
 の現象が発生する。
 モアレそのものも周期(波長)を持ち、この周期は元になる模様の周期(波
 長)の組み合わせで決まる。
 物理学的にいうと、モアレとは二つの空間周波数のうなり現象といえる。
 様々な形態で発生するため、モアレにもいろいろなものがある。
 
 「干渉」はWikipediaによりますと・・・
 
 波における干渉とは、複数の波の重ね合わせによって新しい波形ができるこ
 とである。
 互いにコヒーレントな(相関性が高い)波のとき干渉が顕著に現れる。
 このような波は、同じ波源から出た波や、同じもしくは近い周波数を持つ波
 である。
 波の重ね合わせの原理とは、ある点に生じた波の振幅が、その点に影響する
 すべての波の振幅の和と一致することである。
 同じ点で波の山と山または谷と谷が干渉すると振幅の絶対値は大きくなり、
 山と谷が干渉すると振幅の絶対値は小さくなる。
 2つの波が重なりあうとき、形成される波形は周波数(または波長)と振幅、
 そして位相関係に依存する。
 もし、2つの波の振幅が同じAで波長も同じであるとき、2つの波の位相関係
 に応じて振幅が0と2の間の値をとる。
 
 ―――
 私達はモアレ(干渉縞)という「存在の固有波長」と「私の固有波長」が織
 りなす影を捉えているのです。
 
 そして「私」が捉えるその影は、「感情・情緒」として感得されます。
 
 つまり、全ての感情・情緒は「私」の固有波長が生み出しているということです。
 
 ―――
 例によって夢の物語です。どうぞ気になさらずに。
 みんなゴメンね。いつも僕ばっかし掲載させてもらって。
 pariさん、感謝!
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ドン・ガバチョさん、いつもご投稿、ありがとうございます。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………



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■ 5.編集後記:“能動的禁欲”という言葉は面白いですね。
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今回の或る私さんの投稿にあった“能動的禁欲”という言葉は面白いですね。

機関銃のように押し寄せてくる感覚の洪水を前にして……まがりなりにも抵抗
するには……“能動的禁欲”というような言葉が必要かもしれません。

じつは……ちょっと風邪気味です。

というか……もしかして……これから本格的になるのかも。

これだけ書くと……けっこう……眉間のあたりに鈍痛があります。

明るいうちに終えましたが……これから食事をして寝るつもりです。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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