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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.324 2010/6/20(第324号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガは、われわれ「見守る者」に向けて語られたサットグルの言葉を
傾聴し、探求し、伝播し、増幅し、反響させる器でありたいと思います。

ニサルガダッタの言葉は、「世界」という幻影の虜(個人)の視点に耽溺する
本来何の支えも必要ない「見守る者」に向けられた目覚めへの呼びかけです。

「個人」と「見守る者」の間で一緒に揺動する非在の焦点 (^_-)、現在 923名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.存在するすべては意識です

2.写経ニサルガダッタ:【46 存在の意識は至福だ】の2回目

3.いただいたお手紙から:raraluさん、はるさん

4.「ご投稿・情報提供」:ユニさん

5.編集後記:不幸というのは……“何かであること”のなかに
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■ 1,存在するすべては意識です
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空一面の雨雲で天井に蓋をしたような曇天です。

南の端の雲と丘陵の狭間が明るい……。

一週間が経ってこの時間が来ると……何だか嬉しいんですよね。

不思議なんですが……。

この身体はいつも現れの世界に晒されていて……変化に対応せざるをえません。

でも、この変化を見ているわたしは……この世界に属しているわけではない。

この世界は……無生命の微粒子の運動……つかの間の幻影です……。

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 いくら物質が生きていると考えたくても、その広大なサンピエトロ大聖堂の
 ドームの外周を、まさかその在るか無きかのほこりの粒が自らの意志で飛び
 回っていると思う者はいないはずだ。……
 
                『21世紀への指導原理 OSHO』(p249)
           https://www.ascensionkan.com/work/06eien_05dome.html
----------------------------------------------------------------------

現れはすべて……つかの間の幻影……。

それを見ているわたしだけが……永遠の生命……永遠の実在……。

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 仏陀は次のように言っています。
 「出来事は起こり、行為はなされるが、そこに個々の行為者はいない」
 これが基本です。
 これ以上短く、シンプルな言葉でこのことを表現できた人はいないと思いま
 す。
                     『誰がかまうもんか?!』(p28)
                      http://tinyurl.com/22v2o8j
----------------------------------------------------------------------

ひとたびその言葉に触れ……よく考えてみればみるほど……ますます疑いがな
くなっていくようです。

それに……その言葉が信じられるような気がしてきたからと言って……別に…
…失うものは何もないんですよね。

ただ……だんだん……気が楽になってくるだけです。

というか……あまり真面目に現れに反応して一喜一憂することが……ちょっと
気恥ずかしくなってくるとでもいうのか……。

まあ……時によりけりなんですけどね。(=_=)

ふ。

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/
(といって、別にpariという方がいるわけでもないかもしれませんが……。)

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

初っぱなからですが……。

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 現象
 
 ラメッシュ
 存在するすべては意識です。
 それは、現象がそこから生じてくる源泉です。
 現象の機能とは、私たちが知っているような人生であり、現象の機能におい
 ては、個人の意志ゆえに起こることは何もありません。
 神の意志でなければ、何ごとも起こりえないのです。
 そして、私がここで「神」というのは、源泉を意味しています。
 
 ですから、まず第一に、存在するすべては源泉です。
 それを意識と呼んでもいいし、ラマナ・マハルシの言うように、真我と呼ん
 でもいいですし、あなたが好きなように呼んでかまいません。
 でも、それが意味しているのは、一つの源泉――二番目のない一なるもので
 あることを理解するようにしてください。
 存在するすべては、そこからこの現象が生じてくる源泉であり、現象とは、
 対象物全体のことです。
 人間は、個人的行為者という余分で怪しげな感覚の才能、つまりはエゴのこ
 とですが、それをもつ対象物の一つの種です。
 繰り返します。
 人間は、現象界の対象物全体を形成するその他すべての対象物と並んで、対
 象物の一つ、対象物の一つの種にすぎません。
 
 それから、現象の機能のなかで、「誰も」何もしていない――という二番目
 の基本的な観念が生じます。
 源泉の意志、神の意志でないかぎり、何も起こりえないということです。
 エゴは幻想であり、個人的行為者という感覚は幻想なのです。
 これが究極の理解です。
 
 究極の理解とは、「源泉とは別のものとされ、そして源泉と一つのものとな
 るエゴは存在しない」ということです。
 あなたが、「私は『私は在る』というものだ」と言うかぎり、その「私」は、
 源泉から分離しています。
 私が言っているのは、「私」――「自分」を意味するような「私」は、まっ
 たく存在しないということです。
 エゴは源泉と一つにはなりません。
 エゴは決して存在したことがなかったということを、無条件に全面的に受け
 入れると、エゴが源泉のなかに消えます。
                    『誰がかまうもんか?!』(p58-59)
----------------------------------------------------------------------

これが、ラメッシュ・バルセカール師を通じて顕現したユニークな表現です。

> 存在するすべては意識です。
> それは、現象がそこから生じてくる源泉です。

存在するすべては意識であり、それから独立し、それと分離して、別個に存在
できるようなものは何もない……ということです。

前回も少し触れましたが、このバルセカール師の「意識」という言葉の用法は、
ニサルガダッタの場合とはちょっと違います。

なので、もし、ラマナ・マハルシやニサルガダッタ・マハラジの用語法に近づ
けたいと思うなら、次のように表現すればいいと思います。

「存在するすべては真我です。
 それは、現象がそこから生じてくる源泉です」

と。

こう表現すれば、それはまさに、

> 「心」と呼ばれているものは、
> 真我に内在するおどろくべき力である。

というラマナ・マハルシの表現とそのまま重なってくるでしょうね。

----------------------------------------------------------------------
 「心」と呼ばれているものは、
 真我に内在するおどろくべき力である。
 
 心はすべての想いが起こってくる源である。
 
 想いを離れて心はない。
 それゆえ、想いが心の本性である。
 
 真我の中から心が現れるときに、
 世界が現れる。
 
 それゆえに、世界が(実在として)現れているときには、
 真我は隠されている。
                           『静寂の瞬間』(p5)
                       http://tinyurl.com/m2wjhu
----------------------------------------------------------------------

これと類似の内容……あるいはこの周辺の事情……に触れたニサルガダッタの
表現もあります。

こんな感じです。

----------------------------------------------------------------------
 世界とはマインドの表面だ。
 そしてマインドは無限なのだ。
 私たちが想念と呼ぶものは、マインドのなかのさざ波にすぎない。
 マインドが静かなとき、それは実在を反映する。
 マインドが徹底的に不動であるとき、それは消え去り、ただ実在だけが残る
 のだ。
                          『私は在る』(p503)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

この二つの表現のなかで、

> それゆえに、世界が(実在として)現れているときには、
> 真我は隠されている。

というマハルシに表現と、

> マインドが静かなとき、それは実在を反映する。
> マインドが徹底的に不動であるとき、それは消え去り、ただ実在だけが残る
> のだ。

というマハラジの表現は、まあ、同じ消息に触れた言葉だと理解して間違いな
さそうです。

だから……真我のなかには……進歩もなければ退歩もなく……レベルもなけれ
ばランクもないわけでしょう……。

しかし……マインドの静けさに関しては……進歩もあれば退歩もあり……レベ
ルもあればランクもある……というわけなのでしょうね……。

また……「マインドが徹底的に不動であるとき」というその状態のことを……
ニサルガダッタは「純粋な意識」と呼ぶのだと思います。

舞い上がった“埃”が……すべて沈んでしまったときの……意識。

異物(世界)として析出していた雲が……その汚れの核をすべて洗い落として
……純粋な水分がすべて大気中に溶け込んでしまった透明な大空……。

ラメッシュ・バルセカールが、

> 存在するすべては意識です。

という表現を選好するのは……真我とマインドを「一つのもの」として扱いた
いからだと思います。

真我と別個に……真我から分離して存在できる……マインドというようなもの
が在るわけではないのだ……ということを強調するために。

意識と別個に……意識から分離して存在できる……「エゴ」というようなもの
は在りえないのだ……ということを強調するために。

その論点にフォーカスしたいばかりに……バルセカールは「真我」とか「マイ
ンド(心)」といった極性を帯びた表現を避けるのだと思います。

そして(どちらかというと「マインド」寄りの)「意識」とか……(どちらか
というと「真我」寄りの)「源泉」とかいった表現を好むのでしょう。

そして「実在」と「現れ」という疑似対立を避けて、“現れ”を含めたすべて
の存在物を……その「意識」とか「源泉」に包摂しようとするようです。

この表現上の意図は……文脈全体で一貫しています。

> 存在するすべては、そこからこの現象が生じてくる源泉であり、現象とは、
> 対象物全体のことです。

ここでもバルセカールは、「存在するすべて」は「源泉」から「生じた」もの
であることを強調します。

そして、「現象(現れ)」とは「対象物全体」のことだ、と。

たぶん、この「対象物」という言葉も、主観と客観、創造者と創造物という、
対立を連想させるというよりは、むしろ“派生物”のイメージでしょうか。

「源泉」と「意識」は同じものという観点に立つなら、「存在するすべて」、
「現象(現れ)」はすべて……「源泉」以外ではありえないわけです。

その現れ、つまり対象物のなかで、人間は「個人的行為者という余分で怪しげ
な感覚の才能、つまりはエゴ」をもっているかもしれない。

しかし、だからといって、人間だけが「源泉」(つまり「意識」)の外側に、
「源泉」から分離して存在できるわけではないのだ、と。

> 人間は、現象界の対象物全体を形成するその他すべての対象物と並んで、対
> 象物の一つ、対象物の一つの種にすぎません。

もし、このことが当然のこととして理解できるなら……。

そこから“二番目の基本的な観念”が生まれる、とバルセカールは言います。

つまり……「意識」のなかに意識以外の異物は何も……「源泉」の意志以外の
ものは何も……存在できないので……、

> 現象の機能のなかで、「誰も」何もしていない

と。

だから、

> 源泉の意志、神の意志でないかぎり、何も起こりえない

ということになるわけです。

> エゴは幻想であり、個人的行為者という感覚は幻想なのです。
> これが究極の理解です。

と。

> 究極の理解とは、「源泉とは別のものとされ、そして源泉と一つのものとな
> るエゴは存在しない」ということです。

うーむ。(-_-;)

    (↑これでは……誰も……悟れなくなってしまう? (^_-)
    
     だって、“悟れる”ような「誰か」は存在できないんだから。)

> あなたが、「私は『私は在る』というものだ」と言うかぎり、その「私」は、
> 源泉から分離しています。

まったくです。

> 私が言っているのは、「私」――「自分」を意味するような「私」は、まっ
> たく存在しないということです。

ということになりますねぇ。

> エゴは源泉と一つにはなりません。

そうそう……。

源泉と一つになれるような“異物”は……はじめから存在できないのだから。

> エゴは決して存在したことがなかったということを、無条件に全面的に受け
> 入れると、エゴが源泉のなかに消えます。

(-||-)

このラメッシュ・バルセカール師の提出する“公案”のどこに瑕瑾(かきん)
を見つけて……エゴの延命をはかれるか……ですが。

ただただ無関心であれば……簡単に通り抜けられ……誠意をもって瑕瑾を見つ
けようとすれば……ますます出られなくなるかもしれません。(^_-)

世界という牢獄と……覚者の公案と……どちらにフォーカスしても……同じこ
となのかもしれませんが……。

最後にマハラジにも一言を……。

----------------------------------------------------------------------
 すべては観念の戯(たわむれ)れだ。
 観念化から自由になった状態(ニルヴィカルパ・サマーディ)のなかでは、
 何も知覚されはしない。
 その根本となる観念が「私は在る」だ。
 それが純粋意識の状態を打ち破る。
 すると無数の感覚、知覚、感情、観念がその後に続いていく。
 それらの全体性が神であり、その世界なのだ。
 「私は在る」は観照者として残る。
 しかし、すべては神の意志で起こるのだ。
 
 (私の意志で、では……。(?_?))
 
 またしても、あなたはあなた自身を神と観照者に分割した。
 それらはひとつなのだ。
                          『私は在る』(p136)
----------------------------------------------------------------------

……。(-||-)

(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【46 存在の意識は至福だ】の2回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

これまで何度も引用してきたことがあるのに、引用するたびに微かなショック
を受けるのがこの言葉です。

> あなた自身を賢明に愛しなさい。
> 耽溺も禁欲も、ともにあなたを幸せにする同じ目的をもっている。
> 耽溺は愚かな方法であり、禁欲は賢い方法だ。

「耽溺は愚かな方法であり、禁欲は賢い方法」……。

いまだにここがハラに入りきりません。(;_;)

> ひとたびあなたが体験を通り抜けたなら、ふたたびそれを通らないことが禁
> 欲だ。
> 不必要なことを避けることが禁欲だ。

……。(*-||-*)

では、【46 存在の意識は至福だ】の2回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 それは危険です!
 
 マハラジ
 私はあなたに自殺しろと言っているのではない。
 それに、あなたにはできない。
 あなたが殺せるのは身体だけだ。
 精神的過程を止めることはできないし、あなたがあなただと考えている個人
 に終止符を打つこともできないのだ。
 ただ、影響を受けずにいなさい。
 このまったく超然と離れて在ること、マインドと身体に無関心であることは、
 存在の核心では、あなたが身体でもマインドでもないことの最良の証明なの
 だ。
 身体とマインドに起こることは、あなたの力では変えられないかもしれない。
 しかし、あなたはいつでもあなたが身体とマインドだと想像することをやめ
 られるのだ
 何が起ころうとも、影響を受けるのはあなたの身体とマインドだけで、あな
 た自身ではないのだと思い出しなさい。
 覚えなければならないことを覚えることに誠実であればあるほど、あるがま
 まのあなた自身に早く気づくようになるだろう。
 なぜなら、記憶が体験となるからだ。
 誠実さが存在を明かすのだ。
 想像し、決意したことが現実となる。
 ここに危険性と、また同様に解決の糸口があるのだ。
 
 あなたがどのようにして不変である本来の自己を身体とマインドから切り離
 したのか、話してみなさい。
 
 質問者 私は医者です。私は多くを学び、訓練方法としての厳しい制御と、
     定期的な断食を自らに課してきました。私は菜食主義者です。
 
 マハラジ
 しかし、ハートの奥底で、本当にあなたが欲しているものは何だろうか?
 
 質問者 私は実在を見いだしたいのです。
 
 マハラジ
 実在のために、どれほどの代償を支払う用意があるのかね?
 いくらでもかまわないかね?
 
 質問者 理論的には、いかなる代償も支払う用意があります。実際の人生で
     は、何度も何度も私と実在の間を阻むような行動をさせられてきま
     した。欲望が私を夢中にさせるのです。
 
 マハラジ
 あなたの欲望を、実在以外にはそれを満たすことができなくなるほど増大さ
 せ、拡大させなさい。
 欲望が間違いなのではない。
 だがその狭さ、小ささが間違いだ。
 欲望とは献身だ。
 ぜひとも真実に、かぎりなきものに、生命の永遠のハートに献身しなさい。
 欲望を愛に変容させなさい。
 あなたが求めているのは幸福であることだけだ。
 あなたのすべての欲望はそれが何であれ、あなたの幸福への熱望の表現なの
 だ。
 基本的に、あなたはあなた自身の幸福を望んでいるのだ。
 
 質問者 そうすべきではないと、私は知っています……。
 
 マハラジ
 何だって!
 誰がそうすべきではないとあなたに言ったのかね?
 幸せになることの何が悪いのか?
 
 質問者 自己は去らねばなりません。
 
 マハラジ
 しかし、自己はそこにある。
 あなたの欲望はそこにある。
 あなたの幸福への熱望はそこにある。
 なぜか?
 なぜなら、あなたはあなた自身を愛しているからだ。
 あなた自身を愛しなさい。
 賢明に。
 あなたを苦しめることになるような、愚かな仕方であなた自身を愛してはな
 らない。
 あなた自身を賢明に愛しなさい。
 耽溺(たんでき)も禁欲も、ともにあなたを幸せにする同じ目的をもってい
 る。
 耽溺は愚かな方法であり、禁欲は賢い方法だ。
 
 質問者 禁欲とは何でしょうか?
 
 マハラジ
 ひとたびあなたが体験を通り抜けたなら、ふたたびそれを通らないことが禁
 欲だ。
 不必要なことを避けることが禁欲だ。
 つねにものごとを制御することが禁欲だ。
 欲望自体は何も悪いものではない。
 それは生命そのもの、知識と体験のなかに成長しようとする衝動なのだ。
 
 間違いはあなたの選択にある。
 食べ物、セックス、権力、名声といったささいなことがあなたを幸せにする
 と想像するのは、自分自身を欺くことだ。
 あなたの本来の自己のように、深く、広大な何かだけがあなたを真に、永遠
 に幸福にするのだ。
 
                        『私は在る』(p228-229)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 それは危険です!

この質問者の言葉は、前回の最後にあったニサルガダッタの言葉、

「あなたが身体でもマインドでもないと知るには、あなた自身を油断なく揺る
 ぎなく見守ることだ。
 また、あなたの身体とマインドに影響を受けることなく、完全に距離を置き、
 あたかも死んでいるかのように生きるがいい。
 つまりあなたは身体にもマインドにも既得権をもっていないという意味だ」

を聞いて、思わず出てきた反応です。

> マハラジ
> 私はあなたに自殺しろと言っているのではない。

ぷ。(>_<)

> それに、あなたにはできない。
> あなたが殺せるのは身体だけだ。
> 精神的過程を止めることはできないし、あなたがあなただと考えている個人
> に終止符を打つこともできないのだ。

これ……面白いですよねぇ。

自殺というのは……単に幻影のなかでひとつの身体を破壊するだけのこと。

それで精神過程が止まるわけでも……個人という幻想が終わるわけでもない。

> ただ、影響を受けずにいなさい。

(身体とマインドの状態から)影響を受けずにいなさい……この指示ですが…
…サットグル以外にこういうことを言う方はいないですね。

その他のあらゆる指示は……すべて身体とマインドの状態への対処方法ですも
のね……。

> このまったく超然と離れて在ること、マインドと身体に無関心であることは、
> 存在の核心では、あなたが身体でもマインドでもないことの最良の証明なの
> だ。

こういう言葉が……やっと聞こえてくるようになったなぁ。

基本的に……どうしようもないことには無関心になる……とでもいうのか。

> 身体とマインドに起こることは、あなたの力では変えられないかもしれない。

まったくです。

映画のシナリオで……決まっているみたいですし。

> しかし、あなたはいつでもあなたが身体とマインドだと想像することをやめ
> られるのだ

そうなんですよね。

最初“曳かれ者の小唄”みたいに聞こえていたこの言葉が……だんだん帯電し
て……リアルに聞こえてくるんだよなぁ。

> 何が起ころうとも、影響を受けるのはあなたの身体とマインドだけで、あな
> た自身ではないのだと思い出しなさい。

そう……。

何が起ころうとも……“わたし”にはそれをどうすることもできない。

ただ……じつはわたしは……そういうことにはまったく影響されない。

わたしの前には……ただ次の画面が現れるだけ……わたしが興味をもてば。

> 覚えなければならないことを覚えることに誠実であればあるほど、あるがま
> まのあなた自身に早く気づくようになるだろう。

はい。

> なぜなら、記憶が体験となるからだ。

む! (*_*)  ⌒★?

「記憶が体験となる」……のか。

> 誠実さが存在を明かすのだ。

はい。

> 想像し、決意したことが現実となる。

おお……。(@_@)

「想像し、決意したことが現実となる」……。

> ここに危険性と、また同様に解決の糸口があるのだ。

でた……。(-_-)

「ここに危険性と、また同様に解決の糸口がある」……。

想像し、決意し、深く思いこんだことが……現実になるんだ……。

現実とは……それ以外のものではないんだ……。

> あなたがどのようにして不変である本来の自己を身体とマインドから切り離
> したのか、話してみなさい。
> 
> 質問者 私は医者です。私は多くを学び、訓練方法としての厳しい制御と、
>     定期的な断食を自らに課してきました。私は菜食主義者です。

お医者さんなんだ……。

> マハラジ
> しかし、ハートの奥底で、本当にあなたが欲しているものは何だろうか?
> 
> 質問者 私は実在を見いだしたいのです。

うん。

> マハラジ
> 実在のために、どれほどの代償を支払う用意があるのかね?
> いくらでもかまわないかね?

うーむ。(-_-;)

> 質問者 理論的には、いかなる代償も支払う用意があります。実際の人生で
>     は、何度も何度も私と実在の間を阻むような行動をさせられてきま
>     した。欲望が私を夢中にさせるのです。

うん。(*-_-*)

> マハラジ
> あなたの欲望を、実在以外にはそれを満たすことができなくなるほど増大さ
> せ、拡大させなさい。

これしかないようなんだけど……これが以外に難問……。

総論賛成……各論……ちょっと待って……みたいなところがあって。

> 欲望が間違いなのではない。
> だがその狭さ、小ささが間違いだ。

はい。

> 欲望とは献身だ。

おおー。(@_@)

「欲望とは献身」……なのか。

> ぜひとも真実に、かぎりなきものに、生命の永遠のハートに献身しなさい。

むむ……。(-_-;)

> 欲望を愛に変容させなさい。

うう……。

> あなたが求めているのは幸福であることだけだ。

たしかに。

> あなたのすべての欲望はそれが何であれ、あなたの幸福への熱望の表現なの
> だ。

わかります。

> 基本的に、あなたはあなた自身の幸福を望んでいるのだ。

はい、そのとおりです。(^^)/

> 質問者 そうすべきではないと、私は知っています……。

え、なんで。(?_?)

> マハラジ
> 何だって!
> 誰がそうすべきではないとあなたに言ったのかね?
> 幸せになることの何が悪いのか?

まったく。

> 質問者 自己は去らねばなりません。

うーむ。

> マハラジ
> しかし、自己はそこにある。
> あなたの欲望はそこにある。
> あなたの幸福への熱望はそこにある。
> なぜか?
> なぜなら、あなたはあなた自身を愛しているからだ。

おお……。

> あなた自身を愛しなさい。
> 賢明に。

なるほど。

> あなたを苦しめることになるような、愚かな仕方であなた自身を愛してはな
> らない。

そうか。(@_@)

> あなた自身を賢明に愛しなさい。
> 耽溺(たんでき)も禁欲も、ともにあなたを幸せにする同じ目的をもってい
> る。

はい。

> 耽溺は愚かな方法であり、禁欲は賢い方法だ。

あ……。(*_*)  ⌒★?

うーむ。(-_-;)

> 質問者 禁欲とは何でしょうか?

うん。

> マハラジ
> ひとたびあなたが体験を通り抜けたなら、ふたたびそれを通らないことが禁
> 欲だ。

そうか……。(*-_-*)

> 不必要なことを避けることが禁欲だ。

うう。

> つねにものごとを制御することが禁欲だ。

そうか……。(;_;)

> 欲望自体は何も悪いものではない。

そうなんですか……。

> それは生命そのもの、知識と体験のなかに成長しようとする衝動なのだ。

はい……。

> 間違いはあなたの選択にある。

(@_@)O

> 食べ物、セックス、権力、名声といったささいなことがあなたを幸せにする
> と想像するのは、自分自身を欺くことだ。

そんな。(>_<)

> あなたの本来の自己のように、深く、広大な何かだけがあなたを真に、永遠
> に幸福にするのだ。

そうかぁ……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


        …………○…………○…………○…………



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■ 3.いただいたお手紙から:raraluさん、はるさん
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▼『アセンション館通信』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単なるメールな
ど、ご自由にお書きいただければと思います。


        …………○…………○…………○…………


今回、ほんとに久しぶりにraraluさんからのご投稿をいただきました。

早速、ご紹介します。

【件名】: お久しぶりです。
----------------------------------------------------------------------
 pariさん
 
 こんにちは。
 以前、暴言メールをお送りしてしまったraraluです。
 ご無沙汰しておりますが、毎週「私は在る」を
 引き続き、拝読しておりました。
 あのときは大変失礼いたしました。
 
 最近、なぜか「私は在る」を手元に置きたくなって
 やっと本を入手しました。
 今では、amazonでも新品を手にいれることができなくなり、
 中古品には、高価格がついてしまっています。
 
 以前、図書館で借りたときには、
 文字面の上を目が滑ってゆくだけで、
 まったく受け付けず、10ページも読めずに
 返却してしまっていたのが、
 不思議なもので、今はゆっくりながら読み進められます。
 
 内容が沁みて、体得できるレベルには
 遥かに及びませんが、マインドが以前ほどの抵抗をせず
 読んで理解しようとしていけます。
 
 これは、pariさんの毎週の写経を
 なんとなく、斜め読みしたり、流し読みしたりして
 マインドに知らず知らずのうちに基礎体力が
 ついたおかげだと信じています。
 
 このメルマガを配信してくださって
 本当にありがとうございます。
 
 暴言以後、自分なりに自分の落としどころを求めて
 いろいろなワークショップに参加したり
 本を読んでみたりしました。
 
 けれど、西洋的な世界観を基盤にしたワークは
 いずれもこの現実世界での成功、到達という
 目的や目標の枠組みから出ることはできず、
 同じ輪の中をぐるぐる回り続け
 自我の存続を大前提とした内容で
 自我がある限り、もれなくついてくる問題から
 自由になることはできないものばかりでした。
 
 自我でなく真我に触れないかぎり
 本当の自由や安らかさには届くことは
 できないのだな・・と実感しました。
 
 その道に到る最良の道標が
 「私は在る」で伝えられている内容だと思います。
 
 この現実世界で存続しても、もうどうにもならない・・というか
 どうでもいいや、という気が最近高まってきています。
 
 何を手に入れ、達成したとしても
 手に入れたことそのものによって、すでに空虚さは
 始まっていて、その空虚さを埋めるために
 さらに何かを欲しがってしまう・・・
 
 その無限スパイラルから、どう自分自身を掬い上げるか
 新しい知識も認識も必要がない、
 本当にただ、「私は在る」を掴み取る以外に
 究極のシンプルさに戻る以外にないと思います。
 
 そうわかっている部分と、自動操縦的にスイッチが入り、
 安定と安心の中で生き延びようとする存在してもいないのに
 存在を主張したがる強烈なエゴとの葛藤が
 たいへん厳しい感じです。
 
 欲望のない状態が自然なのだ・・という
 ニサルガダッタの言葉が沁みます。
 
 欲望の奴隷状態から抜け出して
 どう人間的経験の緊張から自分を解き放っていくか・・
 
 「私は在る」を折りごとに読み返し、読み続けて
 自分で体得していく以外にないと思います。
 
 pariさんのメルマガが、「私は在る」を読み解く
 参考書になっています。
 
 どうぞこれからも見守るものたちの松明で
 あってください。
 
 
 梅雨に入りましたがご自愛ください。
 
 raralu
----------------------------------------------------------------------

raraluさん、メールいただいてとても嬉しかったです。

> pariさん
> 
> こんにちは。

お久しぶりです。(^^)/

> 以前、暴言メールをお送りしてしまったraraluです。

え。(?_?)

> ご無沙汰しておりますが、毎週「私は在る」を
> 引き続き、拝読しておりました。

ありがとうございます。

> あのときは大変失礼いたしました。

というと……。(?_?)

> 最近、なぜか「私は在る」を手元に置きたくなって
> やっと本を入手しました。

そうでしたか。^^;

> 今では、amazonでも新品を手にいれることができなくなり、
> 中古品には、高価格がついてしまっています。

そうなんですか。

また再刊してくれると安くなるんですがね。

> 以前、図書館で借りたときには、
> 文字面の上を目が滑ってゆくだけで、
> まったく受け付けず、10ページも読めずに
> 返却してしまっていたのが、
> 不思議なもので、今はゆっくりながら読み進められます。

そうなんですよねぇ。

だんだん意味がわかってくるというのか……違和感がなくなってく
るというのか……。(^^;)

> 内容が沁みて、体得できるレベルには
> 遥かに及びませんが、マインドが以前ほどの抵抗をせず
> 読んで理解しようとしていけます。

そうでしたか……。

> これは、pariさんの毎週の写経を
> なんとなく、斜め読みしたり、流し読みしたりして
> マインドに知らず知らずのうちに基礎体力が
> ついたおかげだと信じています。

raraluさん、褒め言葉がお上手ですねぇ。(^||^)

そうだったらとても嬉しいです。

> このメルマガを配信してくださって
> 本当にありがとうございます。

いやー、お役に立てたのなら何よりです。(^^)/

> 暴言以後、自分なりに自分の落としどころを求めて
> いろいろなワークショップに参加したり
> 本を読んでみたりしました。

その……何度もおっしゃる“暴言”というのは……。(?_?)

少なくともわたしに関するかぎり……暴言を受けたことはないですが。

もしかして……楽しい冗句で盛り上がったときのこととか? (?_?)

もしそうだとしたら……わたしの応答が暴言だったことになるのかなぁ。

(*^_^*)

でも……たとえそうだとしても……われわれは操り人形ですからね。(^_-)

ラメッシュ・バルセカールによると……神の意志でなければ、何ひとつ起こら
ないみたいですから。

“わたし”がそこで暴言を吐くことになっていたのでしょう。

ただし、“わたし”に関するかぎり暴言はまったく受けていません。

raraluさんは暴言を受けたといって“わたし”を断罪していますが、“わたし”
は断固無罪を主張します。(←なんちゃって……マハラジの真似です。(^^;))

> けれど、西洋的な世界観を基盤にしたワークは
> いずれもこの現実世界での成功、到達という
> 目的や目標の枠組みから出ることはできず、
> 同じ輪の中をぐるぐる回り続け
> 自我の存続を大前提とした内容で
> 自我がある限り、もれなくついてくる問題から
> 自由になることはできないものばかりでした。

ですよねぇ。

「この、秤(はかり)にかけ、選択し、選定し、交換するといったすべてのこ
 とは、「霊的」マーケットでのショッピングなのだ。……
 かぎりなく水を飲み込むよりも、毒を消去してこの焼けつくような渇きから
 自由になったらどうかね?(p367)」

という一言で、チョンですよね。

> 自我でなく真我に触れないかぎり
> 本当の自由や安らかさには届くことは
> できないのだな・・と実感しました。

(非在の)“わたし”もそう思います。

> その道に到る最良の道標が
> 「私は在る」で伝えられている内容だと思います。

はい、ニサルガダッタの言葉はわれわれのマインドをヒットしますよね。

やっと、インドの覚者たちの言葉とはそういう意味だったのかと、われわれに
も取りつく島ができたと思います。

> この現実世界で存続しても、もうどうにもならない・・というか
> どうでもいいや、という気が最近高まってきています。

実際、とりあえず現象世界のことはどうでもいいや、という感じにはなってき
ましたよね。

> 何を手に入れ、達成したとしても
> 手に入れたことそのものによって、すでに空虚さは
> 始まっていて、その空虚さを埋めるために
> さらに何かを欲しがってしまう・・・

そうそう。

そういう想念に焦点を合わせたとたんに……不安がはじまりますよね。

> その無限スパイラルから、どう自分自身を掬い上げるか
> 新しい知識も認識も必要がない、
> 本当にただ、「私は在る」を掴み取る以外に
> 究極のシンプルさに戻る以外にないと思います。

まったくです。

> そうわかっている部分と、自動操縦的にスイッチが入り、
> 安定と安心の中で生き延びようとする存在してもいないのに
> 存在を主張したがる強烈なエゴとの葛藤が
> たいへん厳しい感じです。

うーむ。(-_-;)

ですよねぇ。

> 欲望のない状態が自然なのだ・・という
> ニサルガダッタの言葉が沁みます。

そうそう……この言葉もスゴイ……。

> 欲望の奴隷状態から抜け出して
> どう人間的経験の緊張から自分を解き放っていくか・・

うん。

> 「私は在る」を折りごとに読み返し、読み続けて
> 自分で体得していく以外にないと思います。

いやー、何というか……。(-||-)

> pariさんのメルマガが、「私は在る」を読み解く
> 参考書になっています。

ウレジイ。(;_;)

> どうぞこれからも見守るものたちの松明で
> あってください。

そんな。(*-_-*)

できることなんて……あるようでもあり……ないようでもあり……ですよね。

----------------------------------------------------------------------
 私たちはいかに弱く、無力であるかを悟らなければならない。
 自分自身はこう在り、知り、行為すると想像し、惑わされているかぎりは、
 私たちは悲しくも苦境にいるのだ。
                        『私は在る』(p128-129)
----------------------------------------------------------------------

……。(;_;)

最近ラメッシュ・バルセカール師から教わったとてもいい表現があります。

それは、

“あたかも自分に完全な自由意志があるかのように行為してください”、しか
し“じつは、神の意志以外のものは何ひとつ起こりません”。

なぜなら、“あなたがそのときしたいこと、それがプログラミングを通じて神
が意図していることだからです”……というのです。

これ……“個人”に対するとっても見事なレトリックでしょ。(*^_^*)

ほんとは、心配なんかする必要はないわけですよね。

現れのなかの運命に縛られたこの“個人”にできることなど……何もないみた
いですから。

脳腫瘍の手術で入院していたとき……なぜあれほど“ハイ”だったのか……そ
の理由がよくわかる感じです。

> 梅雨に入りましたがご自愛ください。
> 
> raralu

raraluさん、とても嬉しかったです。

ありがとうございました。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


じつは、はるさんから個人メールで質問をいただいていました。

ちょうど、ラメッシュ・バルセカールの“いずれにしろ神の意志以外、何ひと
つ起こりはしない、という新鮮な理解を受け入れた後のことです……。(^^;)

なので、「源泉」から生じた一対象物の身としては、別に気が乗らないことは
しなくてもいいのだ、と思ってご返答もしませんでした。^^;

特に言葉の上で架空の“正しさ”を競うようなことに、まったく興味がもてな
かったからです。

それで不義理を決め込んでいましたが、はるさんの“ご質問”のなかに、もし
かして本当に疑問に思っていらっしゃるかも、と思われる部分もありました。

それで、勝手ですが、そこだけ取り上げて、思い浮かぶ連想を綴ります。

【件名】: こんにちは。
----------------------------------------------------------------------
 こんにちは、はるです。
 
 先日のメールでは、ちょっと言葉足らずだったと思います。実は私は、この
 二サルガさんの2つの言葉を並べ、説明していただきたいと思っているので
 す。
 
 ○「気づきは意識の一形態ではない」(P282下)
 ○「純粋な気づきさえ、ひとつの意識の形態だ」(P96下)
 
 明らかに矛盾しています。原因は前者の「意識」は「チッタ」で後者は「チ
 ット」だからでしょう。
 
 二サルガさんは、気づきは「チッタではない」といっています。でも「チッ
 ト」であるとも言っています。「チッタ」は「個人的意識」と巻末の訳語集
 に載っていますが、「チッタ」は「チット」の変移バージョンであることは
 いうまでもありません。
 
 ですから、「気づき」は、「チット」という意味で、それこそが「真の意識」
 ともいえるくらいですから、そこを説明しなければならないと思うのです。
 
 上記2つの二サルガさんの言葉を引用してその説明をお願いできませんか?
 ……
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上記の二箇所を読んでみましたが、理解困難と思われるところはどこにもあり
ませんでしたが……。

そのまま素直に読めば、マハラジが何を伝えようとしているかは明らかではな
いでしょうか?

覚者の言葉というのは“一瞬の慈悲の表現の化石”のようなものだと思います。

残った化石の形だけを見て、矛盾しているとかしていないとか言っても……あ
まり意味はないのではないでしょうか……。

それが覚者の通路から流れ出した……“相手”の意識状態に対する慈悲の現れ
であることだけを信じていれば……それでいいような気がしますが。

「気づき」が「意識」の一形態であるかどうかについては……こんな文章もあ
りましたので、参考になさってみてください。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 気づきは意識の一形態ではないのでしょうか?
 
 マハラジ
 意識の内容が好き嫌いなしに見られたとき、その意識が気づきなのだ。
 だが、意識のなかに反映された気づきと、意識を超えた純粋な気づきとには
 違いがある。
 反映された気づき、「私は気づいている」という感覚は観照者だ。
 一方、純粋な気づきは実在の本質なのだ。
 水滴のなかの太陽の反映は、確かに太陽の反映だ。
 だが、太陽そのものではない。
 観照者として意識のなかに反映された気づきと、純粋な気づきとの間にはギ
 ャップがある。
 マインドはそれを超えることができないのだ。
                          『私は在る』(p456)
----------------------------------------------------------------------

とても懇切丁寧な説明だと思います。

言葉でこれ以上のことを言えといわれても、マハラジも困るかもしれません。

お役に立ったかどうか……。

はるさんははるさんのプログラミングのもとで決められた表現を行っており、
pariはpariのプログラミングのもとで既定の表現をしていると思います。

そのことに、きっと良いも悪いもないのでしょうね。

「源泉」の意志以外のものは何ひとつ起こらない……とか。

勝手なことを書かせていただきましたが、ご海容ください。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


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■ 4.「ご投稿・情報提供」:ユニさん
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『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


        …………○…………○…………○…………
じつは前回、ユニさん(という方 (?_?))から「奇跡のコース」関連の情報を
ご投稿いただいていたのに、うっかりそれを掲載するのを忘れていました。

今回この情報コーナーの方でご紹介させていただきますね。

【件名】: 
----------------------------------------------------------------------
 以前、お世話になりました、ユニです。
 いつも、メルマガで色々と教えていただき、有難うございます。
 
 ところで、キリストがガイドとして、一人の男性(P・タトル氏といいま
 す)やグループを導きながら、この世への執着と他人との相互合意(人間
 がエゴで作った約束事)を手放させながら、4次元に移行させる(目覚め
 させる)行程と教えを拝読出来る、ホームページがあります。
 
 宜しければ、覘いてみて下さい。(^^)ノ
 『答えは貴方/卒業/ACIM』
  http://rajpur.blog13.fc2.com/blog-entry-90.html
 『目覚め。』http://blog.goo.ne.jp/raj-japan
 『イエスは語る』http://www.acim.jp/contents.html
 
 転載の許可はとっていないので、個人的に参考に役立てば(私が言える立
 場ではないかもしれませんが・・・)、と思います。
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ユニさん、前回は忘れてしまってご免なさい。

> 以前、お世話になりました、ユニです。

何だったでしょうかねぇ。(^^;)

> いつも、メルマガで色々と教えていただき、有難うございます。

いつも読んでいただいて、ありがとうございます。

「奇跡のコース」にご興味のある方が参考になさると思います。

> 転載の許可はとっていないので……

あ、そのご心配は要らないと思いますよ、こうして公開している情報を興味が
ある方に知らせてもらうのは、きっと喜ばれるだろうと思います。

ユニさん、情報提供ありがとうございました。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………



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■ 5.編集後記:不幸というのは……“何かであること”のなかに
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結局……不幸というのは……“何かであること”のなかに……すでに包含され
ているんじゃないでしょうか……。

“何かである”かぎり……すでに相対的な不幸は確定している……ような気が
します。

ところがエゴは……自分が“何であるか”を絶えず定義せずにはいられない。

エゴは……その定義によって……虚構の存在を獲得しているわけだから。

言ってみれば……エゴは必死に……不幸であることで自らの存在を確認してい
る……ようなものなのかもしれません。

サーダナとは……その不幸になりたがる傾向を……手放すことではないのか。

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 放棄したものはもはや重要ではない。
 あなたが放棄していないものは何だろうか?
 それを見つけ、放棄しなさい。
 サーダナとは放棄するものを探すことだ。
 あなた自身を完全に空っぽにしなさい。
                          『私は在る』(p214)
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(-_-)

> あなたが放棄していないものは何だろうか?
> それを見つけ、放棄しなさい。

では、おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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