━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
☆☆ ☆☆
☆☆ ☆☆ 『アセンション館通信』vol.325 2010/6/27(第325号)
☆☆ ☆ ☆☆
☆☆ ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガは、われわれ「見守る者」に向けて語られたサットグルの言葉を
傾聴し、探求し、伝播し、増幅し、反響させる器でありたいと思います。
ニサルガダッタの言葉は、「世界」という幻影の虜(個人)の視点に耽溺する
本来何の支えも必要ない「見守る者」に向けられた目覚めへの呼びかけです。
「個人」と「見守る者」の間で一緒に揺動する非在の焦点 (^_-)、現在 925名
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◇◇ もくじ ◇◇
1,「運命」と「自由」
2.写経ニサルガダッタ:【46 存在の意識は至福だ】の3回目
3.編集後記:“自分”がどんなに努力しようと……努力しまいと……
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■ 1,「運命」と「自由」
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薄明るい不思議な空ですよ。
梅雨の季節……こうして乱れた気流の空は……一瞬一瞬……不思議な……そし
て細やかな風景を見せてくれますね。
ありがたいことです……。
(-_-)
というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/
(といって、別にpariという方がいるわけでもないかもしれませんが……。)
みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?
前にも触れた“理屈禅”ですが……。
https://www.ascensionkan.com/mm/vol322.html#1-1
つまり、“言葉を読むだけで強制的にエゴを破壊できるような方便”の可能性
のことですけど……。
イヤ、それはあったんだなぁ……というのが最近の思いです。
ラメッシ・バルセカールというのは……“理屈禅”のひとつの究極の開花とい
う気がしますね。
このところ立て続けにバルセカール師の言葉をご紹介しています。
気に入ったらドンドンいきましょうか……。
だから今回もバルセカール師の方便のご紹介です。
まず、バルセカール師の「プログラミング」という言葉についてです。
端的に……それは「DNA+条件づけ」のことを意味しているようです。
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プログラミング、条件づけ、そしてプログラムされたコンピュータ
私がプログラミングというとき、それは受胎の瞬間に刻印された、ある生ま
れつきの特徴を意味しています。
肉体的、精神的、直感的、感情的なものです。
そして、この肉体精神機構は環境によって条件づけられてきました。
あなたは自分の両親について選択ができませんでした。
あなたは遺伝子、すなわちDNAについて選択ができませんでした。
あなたは環境について選択ができませんでした。
それゆえ、あなたはこの肉体精神機構が受け取る条件づけについても選択が
できませんでした。
私がプログラミングというのは、遺伝子と条件づけのことです。
『誰がかまうもんか?!』(p83)
http://tinyurl.com/22v2o8j
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ここまで読まれて……ほとんど何の違和感も生じないだろうと思います。
ごくごく普通のこと……ごくごく当たり前のことを……聞いたという感じでは
ないでしょうか……。
現代人にとってこれは容易に受け入れられる知見であり……ましてやこのメル
マガの読者にとっては……特に新しい知見ですらないかもしれません。
しかし、バルセカール師はここで……対話者の理解を確定するための“ペグ”
を打ち込むのを……忘れてはいません。
> あなたは遺伝子、すなわちDNAについて選択ができませんでした。
> あなたは環境について選択ができませんでした。
ここで彼が念を押していることに……特に異論はありませんか?
なにしろ“われわれ”はあまりにも……“謙虚”で“夢想家”だから……つい
つい想像をたくましくして……。
自分の場合は“誕生”を選ぶことはできなかったけれど……。
でも、上位次元の方々はその「プログラミング」を選択できるのではないか…
…などとあらぬことを想像しないものでもありません。(^_-)
ま、ここはリアルにいきましょうか。
少なくとも……自分は“今回の誕生”を選んだ覚えはない、と……そこまでで
止めておくことにしましょう。
バルセカール師はここで……どうやら“転生”といった類の神話を排除してい
るようです。
そして、
> それゆえ、あなたはこの肉体精神機構が受け取る条件づけについても選択が
> できませんでした。
という事実を……単なる事実として確定します。
ここで要求されている理解水準は……ただ“あなたはこの肉体精神機構の条件
づけを選択できなかった”……という“厳然たる事実”の確認です。
そしてその理解を前提にして……その事実を論理的に普遍化していきます。
バルセカールの「肉体精神機構」という言葉ですが、これはニサルガダッタの
「有機体」に当たる用語と見なして……そう大きな間違いはなさそうです。
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意識は自発的に現れる。
有機体の破壊にともなって、意識は消滅するのだ。
『私は在る』(p284)
http://tinyurl.com/s747u
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(-_-)
つまり、バルセカール師が言うこの「肉体精神機構」というのは……「個人」
とは違うということです。
なぜなら……「肉体精神機構」は……変化の絶えない顕現全体の一部として…
…つかの間の存在を顕わし……生滅します。
一方……全体から切り離された「個人」は……まったく存在しない架空の観念
にすぎないからです。
で、バルセカール師によると……この「肉体精神機構」が……「運命」に縛ら
れているのです。
まったく存在しない「個人」には……はじめから「運命」などはありません。
「個人」は……ただまったく存在しない架空の観念というだけです。
「運命」と「肉体精神機構」に関連するあたりの消息を……バルセカール自身
の言葉で説明していただきましょうか。
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運命
……もしある受胎が赤ちゃんとして生まれると運命づけられていなければ、
その妊娠は続かないでしょう。
その母親は中絶しようと決めるかもしれません。。
赤ちゃんが生まれたとしても、その肉体がどれほど生きるかは運命の一部で
あり、その一生の間に何が起こるかもまた運命の一部、つまり、神の意志と
いうことです。
ですから、もし殺人が起こったとすれば、何が本当に起こったのでしょうか?
起こったのは、一つの肉体精神機構が殺され、もう一つの肉体精神機構はそ
れを通じてこの殺人が起こるための道具である、ということです。
殺された人は――別の肉体精神機構に殺されるというのが、その肉体精神機
構の運命でした――それが運命です。
誰も、自分がどうやって死ぬのかを知ることはできません。
それは自然な死かもしれません、事故かもしれません、殺人かもしれません、
自殺かもしれません。
ですから、これら四つの死に方のうち、どれが特定の肉体精神機構にあては
まるかは、その運命であり、受胎の瞬間に刻印されているのです。
もしある肉体精神機構の運命が殺されるというものなら、その肉体精神機構
は殺されることになるでしょう。
その肉体精神機構は、そんなふうに死ぬことになっているのです。
殺人を侵した肉体精神機構に起こることもまた、その肉体精神機構の運命で
す。
すべての犯罪が見つかるわけではありませんし、見つかったすべての犯罪が
罰せられるわけではありません。
ですから、その肉体精神機構が、それを通じて起こった殺人ゆえに罰せられ
るかどうかは、その運命であり、神の意志なのです。
『誰がかまうもんか?!』(p76-77)
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まあ、たいていの覚者は……これほどまでに懇切丁寧には言及しないだろう…
…と思われるほどの老婆親切ですね……。(-||-)
でも語られていること自体は……じつはわれわれ誰もが知っている事実です。
ただ……誰も……あからさまにそうは言わないだけのことです。
理由も何もない……事実は……不運な奴はただ不運なだけだと……実際は……
われわれだって知っています。
もちろん……われわれの場合は……“不運な奴”というのが存在することは…
…疑っていないわけですが……。
唯一……われわれの常識と違うのは……最後の一文の……最後の一言、
> ですから、その肉体精神機構が、それを通じて起こった殺人ゆえに罰せられ
> るかどうかは、その運命であり、神の意志なのです。
この……「神の意志なのです」……という言葉だけでしょう。
ここだけは……(もし意味がわかれば)……ギョっとするかもしれません。
そして……もちろん……慈愛に溢れたバルセカール師は……ギョっとさせたい
のだ……とも言えるわけでしょう。
もっと言うなら……ギョっとすることになっている「肉体精神機構」なら……
ギョっとするであろうことを……知っているとでもいうのか……。
でも……最小限度の上記の記述だけでは……実際のリアリティは……なかなか
伝わらないかもしれません。
それで……バルセカールの慈愛は……少し具体的なイメージで肉付けして……
再び言葉を尽くします。
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マザー・テレサと呼ばれた肉体精神機構があり、それはすばらしいことだけ
が起こるようにプログラムされていました。
そのすばらしい出来事はたくさんの報酬をもたらしました――ノーベル平和
賞、多くの賞、そして無数の賞賛。
ですから、何が起こったのでしょうか?
私が言っているのは、これらの賞をもらったマザー・テレサという人は、い
なかったということです。
マザー・テレサとは、肉体精神機構についている名前にすぎず、それは、単
にこういった賞を受け取ることが、その運命だったのです。
一方、精神を病んでいる肉体精神機構もあります。
精神障害者は、精神障害であることを選んだわけではありませんでした。
しかし精神障害者は、社会と法律が悪い行為、倒錯的行為と呼ぶことをする
ようにプログラムされました。
ですから、それらの行為は、こういった行為を犯すようにプログラムされて
いる肉体精神機構を通じて起こります。
それが、精神を病んでいる肉体精神機構の運命なのです。
そして、その精神障害者が罰せられるかどうかも、その運命によります。
でも、ここでの私の要点は、それがマザー・テレサという肉体精神機構であ
れ、精神障害の肉体精神機構であれ、どちらも同じ源泉から生み出されたと
いうことです。
私たちは神の意志を受け入れることしかできません。
私たちは神の意志を理解しようとすることもできません。
『誰がかまうもんか?!』(p77-78)
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(-||-)
ここでの説明も……唐突に現れる……耳慣れないわずかの例外的な言い回しを
除けば……すべて容易に納得できる事実ばかりです。
“唐突に現れる……耳慣れないわずかの例外的な言い回し”とは……、
むろん
> 私が言っているのは、これらの賞をもらったマザー・テレサという人は、い
> なかったということです。
という表現ですよね。(=_=)
でも……「マザー・テレサという人は、いなかった」という過激な説明は……
じつはその前に引用した言葉から……(いわば直接)導き出される表現です。
その前に「肉体精神機構」と「運命」について教わりました。
そこでは、
> あなたは自分の両親について選択ができませんでした。
> あなたは遺伝子、すなわちDNAについて選択ができませんでした。
> あなたは環境について選択ができませんでした。
> それゆえ、あなたはこの肉体精神機構が受け取る条件づけについても選択が
> できませんでした。
と語られていました。
そして……少し過剰な妄想を控えるなら……これが端的な事実であることを…
…認めないわけにはいかないでしょう。
しかし……もしそれが事実であることを理解したら……、
「マザー・テレサという人は、いなかった」という説明も……認めなければな
らなくなります……。
いったん……「肉体精神機構」が……DNAや条件づけを選択できないことを
認めたら……、
> マザー・テレサとは、肉体精神機構についている名前にすぎず、それは、単
> にこういった賞を受け取ることが、その運命だったのです。
というバルセカールの説明を……否定できなくなります。
なぜか?
なぜなら……「肉体精神機構」と「運命」の関係は……バルセカール師によれ
ば……「コンピュータ」と「出力」の関係のようなものだからです。
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マルクス、もしあなたがパソコンをもっていて、何か入力するとすれば、出
力はどうなるでしょうか?
まさにそれがプログラムされているとおりに、です。
パソコンは、それがプログラムされているまさにそのとおりに出力する以外
に、どんなことができるでしょうか?
そして、誰がパソコンに入力するのでしょうか?
パソコンではありません。
あなたが入力するのです。
そのように、プログラムされた道具、すなわちコンピュータである肉体精神
機構に関しては、神が入力しています。
彼があなたに何かを聞かせたり、見せたりします。
彼が思考を送ります。
これが入力です。
『誰がかまうもんか?!』(p86)
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(*@_@*) ⌒★?
なんと……。(-_-;)
……。
われわれがパソコンを使うとき……「入力(input)」に対して「出力(output)」
は……一意的に決定されています。
われわれの「入力」に対して……パソコンがその時の気分で「出力」を案配し
たのでは……それこそ目も当てられません。(>_<)
そして……、
> 誰がパソコンに入力するのでしょうか?
われわれです。
> パソコンではありません。
パソコンにできることではない。(\/U)
> あなたが入力するのです。
もちろん。(^-^)
> そのように、プログラムされた道具、すなわちコンピュータである肉体精神
> 機構に関しては、神が入力しています。
なぬ?! (*@_@*)
か、か、神が入力する……っちゅーことは……。(?_?)
て・こ・と・は……かくいう我が輩は……。(?_?)
ま、ま、まさか、コンピュータ……っちゅーことに? (*@_@*)
> 彼があなたに何かを聞かせたり、見せたりします。
ワシが……コンピュータに指示するみたいに? (@_@)
> 彼が思考を送ります。
ワシが……キーボードを叩くみたいに? (@_@)
> これが入力です。
それが……「運命」かいな……。(/_;)
そんな……。(>_<)
うーむ。(-_-;)
その「運命」に縛られた奴隷状態から……抜け出す手はないのか? (\/U)
ワシには……「自由」……ちゅうのがあるんとちゃうのか? (-_-;)
ワシは……コンピュータとはちゃう。
ワシだって……「自由」を感じることはあるんや……。
(*^_^*)
とまあ……バルセカール師に質問した方もいるわけです。
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自由の感覚
アシカ ロボットやコンピュータの概念を使って、私たちの人生がどのよう
に決定されているのかをあなたが話されたとき、非常に制限がある
ように聞こえました。つまり、選択もなく、自由もないということ
です。でも、私の体験では、自由の感覚でいっぱいなのを感じます。
ラメッシ
そうです、そこが肝心なところです。
では、わき起こってくる自由の感覚とは何でしょうか?
それはどんな種類の自由ですか?
アシカ 私はコンピュータやロボットではないということです。
『誰がかまうもんか?!』(p109)
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(そや、そや……ワシもそう思うで……。(@_@) )
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ラメッシ
まさにそのとおり!
要するに、そういうことです。
では、何からの自由ですか?
以前はコンピュータに自分自身を同一化させていたものからの自由です。
それは、コンピュータそのもの、コンピュータとの自己同一化からの自由を
意味しています。
アシカの今の感情は、以前は、「自分」はコンピュータだと思っていたのが、
今ではコンピュータではないと知っているというものです。
そのコンピュータは源泉、すなわち神に使われて、その肉体精神機構を通じ
て起こることになっている行為をもたらすのです。
そうではありませんか?
『誰がかまうもんか?!』(p110)
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(その……コンピュータ、コンピュータっちゅうのは……何とかならんのかい
な……。(>_<) )
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アシカ 以前は、自由とは選択の自由、自分がやりたいことをする自由だと
思っていました……
ラメッシ
自由意志ですね。
アシカ はい、そうです。そういったことすべてが消えてなくなるように思
えます……
ラメッシ
ですから、自由意志はないのです。
『誰がかまうもんか?!』(p110)
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イケズ……。(;_;)
> でもそれは、窮屈な感覚も自由の感覚ももたらしません。
(?_?)
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でもそれは、窮屈な感覚も自由の感覚ももたらしません。
アシカ まったく別の自由が存在します。つまり、まったく巻き込まれない
という自由です。
ラメッシ
はい、そうです。
「巻き込まれること」からの自由です。
あなたの経験では、巻き込まれることが不幸の原因であるということでした。
つまり、もし巻き込まれることがなければ、不幸もないということです。
ですから、実際あなたが言っているのは、自由とは不幸からの自由である、
ということです。
なぜなら、自由とは、巻き込まれることからの自由だからです。
それでは、「誰」が巻き込まれるのでしょうか?
エゴが巻き込まれます。
自由とはエゴからの自由です。
そしてエゴとは、個人的行為者という感覚です。
ですから、自由とは究極的に、個人的行為者という感覚――この肉体精神機
構と他の肉体精神機構両方の――からの自由であるということです。
これは、あなたに関するかぎり、すばらしいことです。
他の人たちはこのことを受け入れないかもしれませんが、あなたに関するか
ぎり、この自由はあらゆる人にまで及んでいます。
誰も自由意志を持っていません。
起こることはすべて、何十億という肉体精神機構を通じて起こる行為です。
ですから、アシカが罪悪感やプライドを感じたり、誰かを憎む必要はないの
です。
これを受け入れられますか?
アシカ はい。
ラメッシ
これはあなたの理解に反映されている自由です――罪悪感からの自由、プラ
イドからの自由、憎しみと妬みからの自由――それは何を意味するのでしょ
うか?
巻き込まれることからの自由です。
不幸を引き起こすのは、巻き込まれるからです――少しの幸福と多くの不幸。
ですから、アシカが引き込まれることなく、そしてアシカがまったく何のコ
ントロールもできない何かとして、起こることを受け入れること、これが、
起こっていることが何であれ、誰のコントロールも超えている自由です。
それゆえ、何が起こっていようとも、誰か個人の意志ではなく、起こるべき
何かとして、それらはただ受け入れられるのです。
『誰がかまうもんか?!』(p109-112)
----------------------------------------------------------------------
(-||-)
> これはあなたの理解に反映されている自由です――罪悪感からの自由、プラ
> イドからの自由、憎しみと妬みからの自由……
ふー。
> 不幸を引き起こすのは、巻き込まれるからです――少しの幸福と多くの不幸。
----------------------------------------------------------------------
マインドと自己同一化すること、ただそれだけがあなたを幸福に、あるいは
不幸にするのだ。
『私は在る』(p538)
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> それゆえ、何が起こっていようとも、誰か個人の意志ではなく、起こるべき
> 何かとして、それらはただ受け入れられるのです。
「何が起こっていようとも、……起こるべき何かとして、それらはただ受け入
れられる」……。(-||-)
受け入れる当人が存在しないので……「それらはただ受け入れられる」、と。
(-_-)
……。
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【46 存在の意識は至福だ】の3回目
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ここでのニサルガダッタの峻厳な美しさは……何とも言い難いです。(-||-)
ここでのマハラジの表現は……覚者が潜在的覚者に語りかける言葉です。
その意味では……ある意味……和尚的な言葉の使い方とも言えるようです。
では、【46 存在の意識は至福だ】の3回目です。
(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
願っています。(-||-) )
最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。
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質問者 自己愛の表現としての欲望が何も基本的に間違ったものではないと
すれば、どのように欲望を扱えばよいのでしょうか?
マハラジ
つねにもっとも深い自己への興味を心に保ち、生を知的に生きなさい。
結局、あなたが本当に欲しいのは何なのか?
完璧ではない。
あなたはすでに完璧なのだ。
あなたが求めているのは、あなたであるものを行為のなかで表現することな
のだ。
このためにあなたは身体とマインドを持っているのだ。
それらを手にし、あなたに仕えさせなさい。
質問者 ここで操作をする人は誰でしょうか? 誰が身体とマインドを手に
しているのでしょうか?
マハラジ
浄められたマインドが自己の誠実な奉仕者なのだ。
それが内面と外面の道具を監督し、それらを目的のために仕えさせるのだ。
質問者 それらの目的とは何でしょう?
マハラジ
自己は普遍のものだ。
そしてその目的も普遍のものだ。
自己には個人的なものは何もない。
秩序ある生を生きなさい。
だが、それ自体を目的にしてはならない。
それは高次の冒険のための出発点であるべきだ。
質問者 あなたは私がインドを繰り返し訪れることを勧めますか?
マハラジ
もしあなたが真剣ならば、あちこち動き回る必要はない。
どこにいようと、あなたはあなた自身だ。
そして、あなたは自分自身の空気をまわりにつくり出す。
移動や交通は解放を与えはしない。
あなたは身体ではないのだ。
身体を場所から場所へと引きずりまわしても、あなたをどこへも連れて行き
はしない。
あなたのマインドは三界を思いのままに行き来するのも自由なのだ。
それを最大限に利用するがいい。
質問者 もし私が自由ならば、なぜ身体のなかにいるのでしょうか?
マハラジ
あなたは身体のなかにはいない。
身体があなたのなかにあるのだ!
マインドはあなたのなかにある。
身体とマインドはあなたに起こるのだ。
それらがそこにあるのは、あなたがそれらに興味をもったからだ。
あなたの本性は楽しむための無限の能力をもっている。
いっぱいの情熱と愛情をもっている。
それはその輝きを気づきの焦点のなかに来るすべてに放ち、何ひとつ除外さ
れるものはない。
あなたの本性は悪も醜さも知らない。
それは期待し、信頼し、愛する。
あなたたちはあなたの本来の自己を知らないことで、どれほど逃しているか
を知らないのだ。
あなたは身体でもマインドでもない。
燃料でも火でもない。
それらはそれら自体の法則にしたがって現れては消えるのだ。
あなたであるそれ、あなたの本来の自己、あなたはそれを愛している。
そして何であれあなたのすることは、あなた自身の幸福のためにするのだ。
それを探し、それを知り、慈しむのはあなたの基本的な衝動なのだ。
遙かなる昔から、あなたはあなた自身を愛してきた。
だが、けっして賢明なやり方ではなかったのだ。
自己に仕えるために、あなたの身体とマインドを賢く使いなさい。
それだけだ。
あなた自身の自己に真実でありなさい。
あなた自身を絶対的に愛しなさい。
他者をあなた自身のように愛しているというふりをしてはならない。
彼らとあなたがひとつであると悟らないかぎり、あなたに彼らを愛すること
はできない。
あなたではないもののふりをしてはならない。
あなたであることを拒んではならない。
あなたの他者への愛は自己知識の結果であって、その原因ではない。
真我の実現なしには、いかなる徳も本物ではない。
すべてを通して同じ生命が流れ、あなたがその生命なのだということを、疑
いを超えて知ったとき、あなたはすべてを自然に自発的に愛するだろう。
あなたが、あなた自身へのあなたの愛の深さと豊かさを悟ったとき、すべて
の生きているものたちと宇宙全体があなたの愛情のなかに含まれていること
を知るだろう。
しかし、何であれあなたから分離していると見るとき、あなたはそれを愛せ
ない。
なぜなら、あなたはそれを恐れているからだ。
疎外は恐れを引き起こし、恐れは疎外をより深くする。
それは悪循環だ。
真我の実現だけがその輪を断ち切ることができる。
固い決意でそれに向かいなさい。
『私は在る』(p230-231)
http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------
(-||-)
> 質問者 自己愛の表現としての欲望が何も基本的に間違ったものではないと
> すれば、どのように欲望を扱えばよいのでしょうか?
>
> マハラジ
> つねにもっとも深い自己への興味を心に保ち、生を知的に生きなさい。
「つねにもっとも深い自己への興味を心に保ち、生を知的に生きなさい」か。
> 結局、あなたが本当に欲しいのは何なのか?
何なんだろう? (-_-)
> 完璧ではない。
> あなたはすでに完璧なのだ。
そうか……。
> あなたが求めているのは、あなたであるものを行為のなかで表現することな
> のだ。
(@_@)
と……、そういう言い方は……いわゆる“ニューエイジスピリチュアリティ”
で聞いてはいたけれど……マハラジから聞くとは思わなかった。(=_=)
> このためにあなたは身体とマインドを持っているのだ。
> それらを手にし、あなたに仕えさせなさい。
ふーん。
> 質問者 ここで操作をする人は誰でしょうか? 誰が身体とマインドを手に
> しているのでしょうか?
「誰」が……身体とマインドを手にしているか?
> マハラジ
> 浄められたマインドが自己の誠実な奉仕者なのだ。
> それが内面と外面の道具を監督し、それらを目的のために仕えさせるのだ。
>
> 質問者 それらの目的とは何でしょう?
うん、まったく……。
> マハラジ
> 自己は普遍のものだ。
> そしてその目的も普遍のものだ。
> 自己には個人的なものは何もない。
それは……わかります。
> 秩序ある生を生きなさい。
はい。
> だが、それ自体を目的にしてはならない。
はい。
> それは高次の冒険のための出発点であるべきだ。
ほー……。(@_@)
> 質問者 あなたは私がインドを繰り返し訪れることを勧めますか?
>
> マハラジ
> もしあなたが真剣ならば、あちこち動き回る必要はない。
> どこにいようと、あなたはあなた自身だ。
はい、わかります。
> そして、あなたは自分自身の空気をまわりにつくり出す。
はい。
> 移動や交通は解放を与えはしない。
ですよね。
> あなたは身体ではないのだ。
おー、出た。
> 身体を場所から場所へと引きずりまわしても、あなたをどこへも連れて行き
> はしない。
了解です。
> あなたのマインドは三界を思いのままに行き来するのも自由なのだ。
> それを最大限に利用するがいい。
そうかぁ。
今日は何だか……“ニサルガダッタ@ポジティブ表現”って感じ。(^^;)
> 質問者 もし私が自由ならば、なぜ身体のなかにいるのでしょうか?
まったくですよね。
> マハラジ
> あなたは身体のなかにはいない。
出た。
> 身体があなたのなかにあるのだ!
はい。
> マインドはあなたのなかにある。
> 身体とマインドはあなたに起こるのだ。
ははー……とすると……、
“身体とマインドはあなたのなかにある”……というのと、
“身体とマインドはあなたに起こる”……というのは同じ意味なんだ……。
> それらがそこにあるのは、あなたがそれらに興味をもったからだ。
“身体とマインドがそこにあるのは、あなたがそれらに興味をもったから”。
これこそが……“わたし”にとって……最重要なメッセージだった。
わたしが……興味をもったからなんだ……。
興味をもったわたしが……“わたし”なんだ……。(-_-)
> あなたの本性は楽しむための無限の能力をもっている。
そうか……。
> いっぱいの情熱と愛情をもっている。
そうか。(;_;)
> それはその輝きを気づきの焦点のなかに来るすべてに放ち、何ひとつ除外さ
> れるものはない。
> あなたの本性は悪も醜さも知らない。
ああ……。(;_;)
> それは期待し、信頼し、愛する。
(;_;)
> あなたたちはあなたの本来の自己を知らないことで、どれほど逃しているか
> を知らないのだ。
(-_-)
> あなたは身体でもマインドでもない。
はい。
> 燃料でも火でもない。
> それらはそれら自体の法則にしたがって現れては消えるのだ。
わかります。
> あなたであるそれ、あなたの本来の自己、あなたはそれを愛している。
……。
> そして何であれあなたのすることは、あなた自身の幸福のためにするのだ。
(-_-)
> それを探し、それを知り、慈しむのはあなたの基本的な衝動なのだ。
(/_;)
> 遙かなる昔から、あなたはあなた自身を愛してきた。
> だが、けっして賢明なやり方ではなかったのだ。
ああ……。
> 自己に仕えるために、あなたの身体とマインドを賢く使いなさい。
> それだけだ。
「身体とマインドを賢く使いなさい」……かぁ。(-_-;)
「食べ物、セックス、権力、名声といったささいなことがあなたを幸せにする
と想像するのは、自分自身を欺くことだ。
あなたの本来の自己のように、深く、広大な何かだけがあなたを真に、永遠
に幸福にするのだ。(p229)」……。
> あなた自身の自己に真実でありなさい。
> あなた自身を絶対的に愛しなさい。
(-||-)
> 他者をあなた自身のように愛しているというふりをしてはならない。
> 彼らとあなたがひとつであると悟らないかぎり、あなたに彼らを愛すること
> はできない。
わかります。
> あなたではないもののふりをしてはならない。
はい。
> あなたであることを拒んではならない。
(-_-)?
> あなたの他者への愛は自己知識の結果であって、その原因ではない。
あ、はい。
> 真我の実現なしには、いかなる徳も本物ではない。
そうだと思っていました。
> すべてを通して同じ生命が流れ、あなたがその生命なのだということを、疑
> いを超えて知ったとき、あなたはすべてを自然に自発的に愛するだろう。
わかりました。
> あなたが、あなた自身へのあなたの愛の深さと豊かさを悟ったとき、すべて
> の生きているものたちと宇宙全体があなたの愛情のなかに含まれていること
> を知るだろう。
(;_;)
> しかし、何であれあなたから分離していると見るとき、あなたはそれを愛せ
> ない。
わかります。
> なぜなら、あなたはそれを恐れているからだ。
はい。
> 疎外は恐れを引き起こし、恐れは疎外をより深くする。
> それは悪循環だ。
ああ……。
> 真我の実現だけがその輪を断ち切ることができる。
はい。
> 固い決意でそれに向かいなさい。
……。(-||-)
(-_-)
……。
(-||-)
今日の写経は、ここまでです。
m(_ _)m
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■ 3.編集後記:“自分”がどんなに努力しようと……努力しまいと……
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“自分”がどんなに努力しようと……努力しまいと……「源泉」の意志を……
一寸も動かすことができないと知るのは……それだけで充分な解放ですね。
今日も明るいうちに終えることができました。
ありがとうございます。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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