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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.326 2010/7/4(第326号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆----------------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガは、われわれ「見守る者」に向けて語られたサットグルの言葉を
聴き、調べ、わかり、伝え、広げ、響かせる器でありたいと思います。

ニサルガダッタの言葉は、この人生という夢のなかで、夢に見られている人物
にではなく、夢を見る側であるわれわれに向けられた目覚めの呼びかけです。

自分が夢の中の人物か夢を見る側かで一緒に迷っている方 (^_-)、現在 925名
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◇◇ もくじ ◇◇

1,夢を見る側であるということ

2.写経ニサルガダッタ:【63 行為者という概念が束縛だ】の1回目

3.いただいたお手紙から:raraluさん

4.編集後記:そういうシナリオが展開する可能性もありの映画を……
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■ 1,夢を見る側であるということ
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今日は……梅雨の晴れ間に特有の薄明るい曇天です。

庭の草木も……向こう側の山も……深い緑で盛りあがっています。

夢のなかの光景は……それはそれとして在ります。

“あるがまま”のものとして……。

それがいいものであるか……良くないものであるか……と、一瞬判断したくな
るのが……マインドなんですね。

「見守る者」としての己をすぐに忘れて……夢のなかに入ってしまう……。

夢のなかに入るというのは……そこでわき上がっている想念に自己同化すると
いうことだろうと思います。

要するに、生真面目なんですよね。(^_-)

長い間の癖とも……言えるでしょうが……。

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/
(もちろん、夢のなかの登場人物の名前ですけどね……。)

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

わき起こってくる想念に自己同化する……ということについてですが……。

もともと「エゴ」としてのわれわれは……観念なしには“やっていけない”…
…わけでしょうね。

だから……“屁の突っ張り”にもならないようなでっち上げの観念でも……そ
れを取りあげて……“自分”を強化しようとするんだと思います。

なにしろ……“自分”そのものが……意識のなかにしか存在しない観念にすぎ
ないわけですから。

だから……夢のなかの登場人物としてのわれわれは……もともと“死活問題”
として……“観念化”に取り憑かれているのではないでしょうか。

“枯れ木も山の賑わい”“ちりも積もれば山となる”で……“屁の突っ張り”
にはならなくても……「エゴ」の突っ張りにはなるのでしょう。

その証拠に……たくさんの観念で覆われた森のなかで……われわれは「真実」
を見失い……道に迷って……途方に暮れているわけですから。

間違いなく、観念は……「真実」を覆い隠すことには……成功したわけです。

もともと観念化のなかで「真実」を求めようというのが……不毛な戦略という
か……無用な策略というか……はなから不可能な夢物語……。

観念は……「真実」を覆い隠すことはできても……「真実」を発見することは
ありえないわけです。

観念というのは……もともと……意識の創造活動なんでしょうね。

つまり「クリエーション」ですよね。

どぎつい言葉を使うなら……“作り物”……“絵空事”……だと思います。

だからこそマハラジはこう語るのでしょう。

----------------------------------------------------------------------
 マハラジ
 完全な鏡の本性とは、あなたには見ることはできないということだ。
 何であれあなたが見ることができるものは、汚れであらざるをえない。
 それに背を向け、捨て去りなさい。
 
 質問者 知覚可能なものすべてが汚れなのでしょうか?
 
 マハラジ
 すべては汚れだ。
 
 質問者 世界全体が汚れなのですか?
 
 マハラジ
 そのとおりだ。
 
 質問者 何とひどい! では宇宙は何の価値もないのですか?
 
 マハラジ
 それは途方もない価値をもっている。
 それを超えていくことによって、あなたはあなた自身を実現するのだ。
 
                          『私は在る』(p144)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

“汚れ”自体のなかに「真実」を求めることはできないでしょうが……しかし
その“汚れ”は……「真実」を指し示すことはできるらしい……。

では……「真実」とは何なのか?

「真実」とは……偽りではないもの……見せかけではないものです……。

“作り物”や……“絵空事”ではないもの……。

本当に在るもの……本当の“あるがまま”でしょうか。

要するに……「実在」……ということだと思います。

それが……「真我」……でもあるということなんでしょうねぇ。(-_-)

> 完全な鏡の本性とは、あなたには見ることはできないということだ。
> 何であれあなたが見ることができるものは、汚れであらざるをえない。

対象物として確認できるような……いわば“「実在」の姿”……というような
ものはないということですよね。

どんな観念も……「実在」を……映しだすことはできない。

ただ……「実在」を……指し示すことはできるのでしょう。

でも……実際は……観念の主要な働きは……「実在」を覆い隠すこと……とい
うことになるわけでしょうか。

つまり、端的に言うなら、われわれは“観念の働き(観念化)”によって……
“「真実」を失う”(つまり“夢を見る”)ということなんですかねぇ。

まるで……“真実の自己”(真我)を手放して……代わりに“偽札”を手に入
れる……みたいな話ですね。

そうすると……われわれとしては……知覚の対象となるさまざまな事態は……
あまり問題にしないことですね。

われわれとしては……知覚対象の世界にあまり振り回されず……もっぱら自分
が誰かを覚えている……ということになりますかねぇ。

ラマナ・マハルシが「私は誰か?」の問に集中するように指示し……マハラジ
が「私は在る」という感覚に集中するように指示するわけですねぇ。

ところで、ラメッシュ・バルセカールの『誰がかまうもんか?!』の最後の方に
「付録 バクティ(帰依)とジュニャーナ(知)」という一章があります。

その最後の方に、次のような箇所があります。

----------------------------------------------------------------------
 マハラジの訪問者、中でも特に外国の学者たちは、マハラジが決してその言
 葉の通常の意味において「学のある」人間ではないということを理解しませ
 ん。
 彼らはさまざまな哲学的話題に関する学者的知識を彼に期待します。……
 そういった質問を尋ねられたとき、マハラジは笑って、自分のようなほとん
 ど字の読めない人間が、どうしてそんな質問に答えられるだろうか、と言っ
 たものです。……
 それからマハラジは、静かに訪問者に尋ねるのです。
 それを訊きたいのは誰で、何の目的なのかと。
 冗談を言っているのかと訪問者がすぐさまマハラジを見ると、マハラジは真
 剣そのもので、「誰が答えを知りたがるのか?」と問いかけていることがわ
 かります。
 マハラジの問いかけによって、訪問者は、彼の最初の質問が今まで一度も航
 海したことのない深い海へと自分を誘い込んだことに、やがて気づくのでし
 た。
 師(マハラジ)は相手の置かれた苦境を理解していたので、さらに次のよう
 に――つまり、そういったさまざまな不必要な問題を引き起こし、個人を網
 の罠に陥(おとしい)れ、「誰」が本当に質問者なのかという根本的な質問
 を彼に忘れさせるのは、観念化であると――説明して、彼の困難をやわらげ
 るのでした。
 いったい、質問者とは彼が自分自身であると信じている人物なのでしょうか?
 特定の霊的な道を選ぶという、独自の選択ができる「人」、個々の実体とい
 ったようなものが、そもそも存在しているのでしょうか?
 
 マハラジの教えの主要なポイントは、この人生という生きている夢の中で、
 私たちは夢に見られている人物ではなく(私たちは自分のことをそうだと思
 っているわけですが)、夢を見る側であるということ。
 私たちが「行為者」という分離独立している実体として、夢に見られている
 人物と間違って自己同一化するからこそ「束縛」の幻想を引き起こす、とい
 うことです。
 同じく、「目覚める」あるいは「解放される」のは、単なる見かけにすぎな
 い、夢に見られている人物ではありえないのです。
 実際、目覚めとは、この「見かけ」が解消することにあり、解放は、私たち
 が誤って自分自身を自己同一化させている偽の実体が完全に消滅することに
 あります。……
                   『誰がかまうもんか?!』(p308-309)
                      http://tinyurl.com/22v2o8j
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

この一節の印象があまりに素晴らしかったものだから……それを記念して……
このメルマガの先頭にある“趣旨”を……また書き換えました。(*^_^*)

これまでの「見守る者」版の“趣旨”も、次のニサルガダッタの言葉から拝借
したものなんですけどね。(^^;)

----------------------------------------------------------------------
 個人とは単なる誤解の結果だ。
 実際には、そのようなものはないのだ。
 果てしない連続性のなかで、感情、思考、行為が脳のなかに痕跡(こんせき)
 を残し、継続性という幻想をつくりながら、見守る者の前を駆け抜けていく。
 マインドのなかで、見守る者の反映が「私」という感覚をつくり出し、個人
 は一見独立したように見える存在を獲得するのだ。
 実際には、個人というものは存在しない。
 ただ見守る者が「私」と「私のもの」に自己同一化するだけだ。
 師は見守る者に言う。
 「あなたはこれではない。このなかには、見守る者と彼の夢を橋渡しする
 『私は在る』という小さな点以外、あなたのものは何ひとつないのだ」と。
 
                          『私は在る』(p360)
----------------------------------------------------------------------

(-_-)

> 実際には、個人というものは存在しない。
> ただ見守る者が「私」と「私のもの」に自己同一化するだけだ。

わかります。

まだまだ……知的に理解しているだけですが……。

> マハラジの教えの主要なポイントは、この人生という生きている夢の中で、
> 私たちは夢に見られている人物ではなく、夢を見る側であるということ。

じつに……シンプルで……刺激的な表現ですね……。

だから……目覚めるのも……“われわれ”夢のなかの登場人物ではありえない
わけですよね……。

目覚めるべき個人など……実際は存在しないのですから……。(-_-;)

(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【63 行為者という概念が束縛だ】の1回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ここでマハラジは、外界への自己同一化が起こる原因を「恐れからの逃避」と
述べているようです。

自分自身を知ること(への恐怖)からの逃避でしょうか。

> あなたが住む小さな世界の責任を完全に受け入れ、その創造、維持、破壊の
> 過程を見守るときにだけ、あなたはあなた自身の想像による束縛から自由に
> なるのだ。

自分の想像が生み出す世界がたどるプロセスをその崩壊まで見届けることによ
って……想像による束縛から自由になれる……ということなのか。

では、【63 行為者という概念が束縛だ】の1回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 私たちはサティア・サイババ* のアーシュラムにある期間滞在して
     いました。また、ティルヴァンナーマライのラマナアシュラマムで
     も2カ月ほど過ごしました。今、私たちはアメリカへ帰国の途上な
     のです。
 
  * 訳注 サティア・サイババ Satya Sai Baba (1926−)アーンドラ・
      プラディーシュ州の村プッターパルティに生まれる。マハーラー
      シュトラ州の偉大な聖者シルディ・サイババの化身であると自ら
      名乗る。砂糖菓子や花、聖灰を物質化し、遠く離れた弟子の想念
      を読みとるといった奇跡を行なう世界的に有名なグル。
 
 マハラジ
 インドがあなたに何らかの変化をもたらしただろうか?
 
 質問者 私たちは重荷を降ろしたかのように感じています。シュリー・サテ
     ィヤ・サイババは、すべてを彼に明け渡し、ただ日々をできるかぎ
     り公正に生きるようにと言われました。「正しく在りなさい。あと
     は私にまかせなさい」と彼は言いました。
 
 マハラジ
 シュリー・ラマナアシュラムでは何をしていたのかね?
 
 質問者 私たちは師から授かったマントラを復唱しつづていました。また瞑
     想もしました。考えることや勉強することはほとんどなく、ただ、
     静かにしているよう心がけていただけです。私たちはバクティ(帰
     依)の道を行く者で、哲学はむしろ知らないのです。私たちには考
     えなければならないことはさほどなく、ただグルを信頼し、人生を
     生きていくだけです。
 
 マハラジ
 バクタ(帰依者)の多くは、すべてがうまくいっている間はグルを信頼する。
 しかし、問題が起こると彼らは落ちこみ、ほかの師を探しに行くのだ。
 
 質問者 そうです。その危険性については警告されました。私たちは厳しい
     状況もやさしい状況とともに受け入れていこうと思っています。
     「すべては恩寵(おんちょう)だ」という感情が非常に強くなけれ
     ばなりません。ひとりのサドゥ(修行僧)が東に向かって歩いてい
     ると、その方向から強風が吹いてきました。サドゥはただくるりと
     向きを変えて、西に歩き出したのです。私たちもグルによって与え
     られた環境に私たち自身を合わせながら、そのように生きたいと願
     っています。
 
 マハラジ
 ただ生命だけがある。
 生命を生きる人は誰もいないのだ。
 
 質問者 それは私たちも理解します。それでもなお、私たちは、ただ生きる
     のではなく、自分たちの人生を生きようとしてしまうのです。未来
     のために計画を立ててしまうことは、私たちにとって根深い習慣な
     のです。
 
 マハラジ
 あなたが計画を立てようと立てまいと、人生は続いていくのだ。
 だがその人生において、マインドのなかに小さな渦巻きが現れる。
 それは幻想にふけり、それ自体が人生を支配し、コントロールしていると想
 像するのだ。
 
 生命そのものは無欲だ。
 だが、偽りの自己はそれが快く続いてほしい。
 そのため、それはつねに自己の継続を守ることに没頭しているのだ。
 生命は恐れず、自由だ。
 あなたが出来事に影響を与えているという考えをもっているかぎり、解放は
 あなたのものではない。
 行為者という観念、自分が出来事の原因であるという観念自体が束縛なのだ。
 
 質問者 どうすれば、私たちは為(な)す者と為されることという二元性を
 克服できるのでしょうか?
 
 マハラジ
 生命を無限で、分割不可能な、つねに存在し、つねに活動的なものとして黙
 想しなさい。
 あなたがそれとひとつであると悟るまで。
 それは難しくなどない。
 なぜなら、あなたはただ自分の自然な状態に戻るだけだからだ。
 
 すべては内側から現れ、あなたの住む世界があなたの上に投影されているの
 ではなく、あなたによって投影されているとひとたび自覚すれば、恐れは終
 焉(しゅうえん)するのだ。
 この自覚なしに、あなたはあなた自身を外界の身体、マインド、社会、国家、
 人類、そして神や至高なるものといったものとさえ同一化してしまう。
 だが、それらはみな恐れからの逃避なのだ。
 あなたが住む小さな世界の責任を完全に受け入れ、その創造、維持、破壊の
 過程を見守るときにだけ、あなたはあなた自身の想像による束縛から自由に
 なるのだ。
 
                        『私は在る』(p315-317)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 私たちはサティア・サイババ* のアーシュラムにある期間滞在して
>     いました。また、ティルヴァンナーマライのラマナアシュラマムで
>     も2カ月ほど過ごしました。今、私たちはアメリカへ帰国の途上な
>     のです。
> 
>  * 訳注 サティア・サイババ Satya Sai Baba (1926−)アーンドラ・
>      プラディーシュ州の村プッターパルティに生まれる。マハーラー
>      シュトラ州の偉大な聖者シルディ・サイババの化身であると自ら
>      名乗る。砂糖菓子や花、聖灰を物質化し、遠く離れた弟子の想念
>      を読みとるといった奇跡を行なう世界的に有名なグル。
> 
> マハラジ
> インドがあなたに何らかの変化をもたらしただろうか?

どんな理解が起こったのか……その確認でしょうか。

> 質問者 私たちは重荷を降ろしたかのように感じています。シュリー・サテ
>     ィヤ・サイババは、すべてを彼に明け渡し、ただ日々をできるかぎ
>     り公正に生きるようにと言われました。「正しく在りなさい。あと
>     は私にまかせなさい」と彼は言いました。

サティヤ・サイババはバクティの導師らしいですね……。

> マハラジ
> シュリー・ラマナアシュラムでは何をしていたのかね?
> 
> 質問者 私たちは師から授かったマントラを復唱しつづていました。また瞑
>     想もしました。考えることや勉強することはほとんどなく、ただ、
>     静かにしているよう心がけていただけです。私たちはバクティ(帰
>     依)の道を行く者で、哲学はむしろ知らないのです。私たちには考
>     えなければならないことはさほどなく、ただグルを信頼し、人生を
>     生きていくだけです。

うん。

> マハラジ
> バクタ(帰依者)の多くは、すべてがうまくいっている間はグルを信頼する。
> しかし、問題が起こると彼らは落ちこみ、ほかの師を探しに行くのだ。

なるほど。

> 質問者 そうです。その危険性については警告されました。私たちは厳しい
>     状況もやさしい状況とともに受け入れていこうと思っています。
>     「すべては恩寵(おんちょう)だ」という感情が非常に強くなけれ
>     ばなりません。ひとりのサドゥ(修行僧)が東に向かって歩いてい
>     ると、その方向から強風が吹いてきました。サドゥはただくるりと
>     向きを変えて、西に歩き出したのです。私たちもグルによって与え
>     られた環境に私たち自身を合わせながら、そのように生きたいと願
>     っています。
> 
> マハラジ
> ただ生命だけがある。
> 生命を生きる人は誰もいないのだ。

最初は……まったく意味がわからなかったものだけれど……。

> 質問者 それは私たちも理解します。それでもなお、私たちは、ただ生きる
>     のではなく、自分たちの人生を生きようとしてしまうのです。未来
>     のために計画を立ててしまうことは、私たちにとって根深い習慣な
>     のです。

ほんとにそう。(-_-;)

> マハラジ
> あなたが計画を立てようと立てまいと、人生は続いていくのだ。
> だがその人生において、マインドのなかに小さな渦巻きが現れる。
> それは幻想にふけり、それ自体が人生を支配し、コントロールしていると想
> 像するのだ。

そういうことかぁ。

> 生命そのものは無欲だ。

ふーん。

> だが、偽りの自己はそれが快く続いてほしい。
> そのため、それはつねに自己の継続を守ることに没頭しているのだ。

そうかぁ。

> 生命は恐れず、自由だ。

はい。

> あなたが出来事に影響を与えているという考えをもっているかぎり、解放は
> あなたのものではない。

そういうことなんだなぁ。(-_-;)

> 行為者という観念、自分が出来事の原因であるという観念自体が束縛なのだ。

知的には理解できます。

> 質問者 どうすれば、私たちは為(な)す者と為されることという二元性を
> 克服できるのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> 生命を無限で、分割不可能な、つねに存在し、つねに活動的なものとして黙
> 想しなさい。

脈動するアメーバーみたいな宇宙像を想像することはできますが……。

> あなたがそれとひとつであると悟るまで。

うーむ。(-_-;)

> それは難しくなどない。

え。(@_@)

> なぜなら、あなたはただ自分の自然な状態に戻るだけだからだ。

そういう意味か……。

> すべては内側から現れ、あなたの住む世界があなたの上に投影されているの
> ではなく、あなたによって投影されているとひとたび自覚すれば、恐れは終
> 焉(しゅうえん)するのだ。

いつか、イヌさんも言っていたけど……これが難しいんだよな。

> この自覚なしに、あなたはあなた自身を外界の身体、マインド、社会、国家、
> 人類、そして神や至高なるものといったものとさえ同一化してしまう。

自分が自分の興味によって実体化しているのに……外界自体を実在と思ってし
まうんだよなぁ。

> だが、それらはみな恐れからの逃避なのだ。

「恐れからの逃避」……どういう意味だろう……。(-_-;)

> あなたが住む小さな世界の責任を完全に受け入れ、その創造、維持、破壊の
> 過程を見守るときにだけ、あなたはあなた自身の想像による束縛から自由に
> なるのだ。

「あなたが住む小さな世界の責任を完全に受け入れ」……。

そうか……ここに秘密があるみたい。

「その創造、維持、破壊の過程を見守る」……どういう意味かなぁ……。

そのときにだけ「あなたはあなた自身の想像による束縛から自由になる」……。

ただ……見ていられる力……かなぁ。

うーむ……。(-_-;)

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


        …………○…………○…………○…………



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■ 3.いただいたお手紙から:raraluさん
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http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702

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ど、ご自由にお書きいただければと思います。


じつは前回の号はちょっと都合があって、休刊にしようかとも思ったのですが、
何となく配信日よりかなり前に配信設定をしてしまいました。

その配信設定の後で、raraluさんからのご投稿をいただいたようです。

raraluさん、前回ご紹介できなくてご免なさいね。

それでは、早速ご紹介させていただきます。

【件名】: ゆっくりと・・・
----------------------------------------------------------------------
 pariさん
 こんにちは。
 
 先日は投稿への丁寧なお返事ありがとうございました。
 
 前回の投稿で私が執着していた暴言というのはですね、
 私が数年前pariさんに投げつけてしまった(と思っていた)ものなのです。
 
 
 ニサルガダッタ包囲網に追い詰められて
 逃げ場をだんだん失ってきた我がマインドが
 ‘そんなこと言っても、マインドはアナンヌキだかが
 人体実験で埋め込んだものなんでしょ?
 そんなもの私にはどうすることもできないじゃないですか!!!'
 
 てなようなことを投稿してしまい・・・
 
 あ〜恥ずかし・・(*−−*;)
 子どもっぽい理屈を・・声高に・・
 (それがマインドっていうものの一面なのでしょうけど・・)
 
 それをpariさんは、ちゃんとメルマガにも
 掲載してくれて、お返事くれたんですよ。
 バックナンバー見ればあるはずですが、
 いまさら見る気も起きません。
 
 何を書いたのか詳しい内容はほとんど覚えてないのですが、
 送ったときのエネルギーの質感だけは覚えていて
 「言ってやったわ!」とマインドがひとり
 ゼェゼェと肩で息をしているような感覚で、
 後で冷静になったら、普通の人はこんなの送られたら
 怒るよな〜と正気になった時に反省しました。
 暴言というより、マインドの暴走ですね。
 自己防衛、自己正当化せずにはいられないほど
 怯えていたというのか・・
 
 でも、先週のお返事を読んで、
 pariさんは、な〜んとも感じてなかったんだ、とわかり
 改めてホッとしました。
 
 あんなマインドのたわごとは、
 pariさんにはカエルの顔に・・なんとか・・というと失礼なので
 深海魚ににわか雨・・程度だったのですね。
 
 
 
 
 「私は在る」のP257
 現在、私は74歳だ。それにもかかわらず、私は子どものように感じる。
 通り抜けてきたあらゆる変化にもかかわらず、私は子どもであると
 はっきり感じるのだ。グルは私に言ったものだ。「今でさえあなたである
 その子どもが、あなたの本来の自己なのだ」・・・偽りの自己同一化が
 あなたの重荷なのだ。それらをすべて落としなさい。・・・
 「・・あなたに言おう。あなたは神聖なのだ。・・あなたの喜びは神聖だ。
 あなたの苦しみもまた神聖だ。・・・」
 
 
 この辺りが最近、とても心に響きます。
 
 「私は在る」という純粋な意識状態に届くのは
 なかなか難しいですが、自分が神聖なもので、
 名づけられた何ものかになる必要はない・・と、そう思えるだけで、
 少し重荷が下りるというのか、楽になる気がします。
 
 子どもの頃は、汚れていないマインドで、
 あるがままに世界を見て、善悪のラベルづけをしたり
 基準で裁いたり、利害を考えたりすることもなく
 純粋に存在することを楽しんでいたのでしょうね・・
 
 
 通り抜けてゆくあらゆる変化にも揺るがない
 変化を見届ける純粋な意識・・・
 
 
 日常を生きながら、そこへ到達することはとても大変ですが、
 マインドに気づき、マインドを見守れるようになり
 生きてる間に、至福を経験してみたいです・・!
 「私は在る」を生きて、体験したい!
 
 せっかく生まれて生きて、
 マハラジの言葉にも出会えた今生なのですから・・
 それに、このメルマガという参考書もあるし!
 74歳まで、まだ時間はあるし・・(^^;)
 
 ゆっくりいけば、なんとかなるのかな・・と
 時間をかけて、子どもに還ってゆく旅路を
 楽しめたらいいのですが・・・
 
 
 それでは、また・・
 
 raralu
----------------------------------------------------------------------

ご投稿、ありがとうございました。

> pariさん
> こんにちは。

こんにちは。

> 先日は投稿への丁寧なお返事ありがとうございました。

こちらこそ……とても嬉しかったです。

> 前回の投稿で私が執着していた暴言というのはですね、
> 私が数年前pariさんに投げつけてしまった(と思っていた)ものなのです。

へー、そうでしたか。

> ニサルガダッタ包囲網に追い詰められて
> 逃げ場をだんだん失ってきた我がマインドが
> ‘そんなこと言っても、マインドはアナンヌキだかが
> 人体実験で埋め込んだものなんでしょ?
> そんなもの私にはどうすることもできないじゃないですか!!!'
> 
> てなようなことを投稿してしまい・・・

なーるほど、言われてみればそういう言葉も見たことがあるような……。

> あ〜恥ずかし・・(*−−*;)
> 子どもっぽい理屈を・・声高に・・
> (それがマインドっていうものの一面なのでしょうけど・・)

そうですよねぇ、そういうのを恥ずかしいと思うのがマインドというものなん
でしょうねぇ。

“わたし”なんか、しょっちゅうです。

“自分”がやっていると思って……勝手に恥ずかしがるわけですよね。

> それをpariさんは、ちゃんとメルマガにも
> 掲載してくれて、お返事くれたんですよ。
> バックナンバー見ればあるはずですが、
> いまさら見る気も起きません。

いま確認してみたらそれはなんと……“わたし”が“冗句で盛り上がった”と
感じていたその同じメールでした。(@_@)

お互いに内容的にはまったく別のこととして覚えていたようですね。^^;

> 何を書いたのか詳しい内容はほとんど覚えてないのですが、
> 送ったときのエネルギーの質感だけは覚えていて
> 「言ってやったわ!」とマインドがひとり
> ゼェゼェと肩で息をしているような感覚で、

そうだったんですかぁ。(@_@)

> 後で冷静になったら、普通の人はこんなの送られたら
> 怒るよな〜と正気になった時に反省しました。

へー……、でも、とっても楽しかったですよ。(^^)/

> 暴言というより、マインドの暴走ですね。
> 自己防衛、自己正当化せずにはいられないほど
> 怯えていたというのか・・

そうなんですかぁ……わからないもんですねぇ。(-_-;)

> でも、先週のお返事を読んで、
> pariさんは、な〜んとも感じてなかったんだ、とわかり
> 改めてホッとしました。

ええ、“言葉遊び”が楽しかったというか……そういう感じでしたけど。

> あんなマインドのたわごとは、
> pariさんにはカエルの顔に・・なんとか・・というと失礼なので
> 深海魚ににわか雨・・程度だったのですね。

はは、お上手ですねぇ。(^^;)

raraluさんのそういう言葉遊びって、とっても楽しいでしょ。

だから、“相性”とか“組み合わせ”とかいった問題かもしれませんね。

> 「私は在る」のP257
> 現在、私は74歳だ。それにもかかわらず、私は子どものように感じる。
> 通り抜けてきたあらゆる変化にもかかわらず、私は子どもであると
> はっきり感じるのだ。グルは私に言ったものだ。「今でさえあなたである
> その子どもが、あなたの本来の自己なのだ」・・・偽りの自己同一化が
> あなたの重荷なのだ。それらをすべて落としなさい。・・・
> 「・・あなたに言おう。あなたは神聖なのだ。・・あなたの喜びは神聖だ。
> あなたの苦しみもまた神聖だ。・・・」
> 
> 
> この辺りが最近、とても心に響きます。

なるほど……。(-_-)

> 「私は在る」という純粋な意識状態に届くのは
> なかなか難しいですが、自分が神聖なもので、
> 名づけられた何ものかになる必要はない・・と、そう思えるだけで、
> 少し重荷が下りるというのか、楽になる気がします。

そう……何者にもなる必要はないんでしょうね……本当は。

そしてじつは……何者にもなることはできないわけでしょうし……。

でも、そんなこと、いくら頭でわかっても、やはり、生きなければならない、
という強迫観念が働いてしまう……。

そのための「私は在る」のサーダナだと思います。

その瞬間その瞬間、わき上がってくる汚れに気がついているというのか……。

ちょっと、実力以上にカッコ良すぎるな……。(*-_-*) (←(^_-) )

> 子どもの頃は、汚れていないマインドで、
> あるがままに世界を見て、善悪のラベルづけをしたり
> 基準で裁いたり、利害を考えたりすることもなく
> 純粋に存在することを楽しんでいたのでしょうね・・

「自我意識」のない瞬間というのはありますよね。

後々まで記憶している瞬間は、それほど多くはないかもしれないけど。

> 通り抜けてゆくあらゆる変化にも揺るがない
> 変化を見届ける純粋な意識・・・

目覚めていて……なお眠っているみたいな……。

> 日常を生きながら、そこへ到達することはとても大変ですが、
> マインドに気づき、マインドを見守れるようになり
> 生きてる間に、至福を経験してみたいです・・!
> 「私は在る」を生きて、体験したい!

“わたし”のプログラミングでは……とにかく……何もしなくてもよくなりた
いです……。(^||^)

> せっかく生まれて生きて、
> マハラジの言葉にも出会えた今生なのですから・・

まったくです。

> それに、このメルマガという参考書もあるし!

え、邪魔にならないといいですが。(@_@)

> 74歳まで、まだ時間はあるし・・(^^;)

意外と早いものかも。(^_-)

> ゆっくりいけば、なんとかなるのかな・・と
> 時間をかけて、子どもに還ってゆく旅路を
> 楽しめたらいいのですが・・・

はい……“自分”がいなかったことろまで……。

> それでは、また・・
> 
> raralu

ご投稿、ありがとうございました。

m(_ _)m


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■ 4.編集後記:そういうシナリオが展開する可能性もありの映画を……
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明日また集落の草刈りの予定なんですが……雨じゃないのかな。

映画のなかの人物に自己同化せずに……映画のなかで生きる……。

いや、映画のなかの人物に自己同化せずに……その映画を見ている……かな。

絶えずそんなふうに覚えている……シナリオになるかな。(^_-)

ま、そういうシナリオが展開する可能性もありの映画のなかを生きる……。

いや、そういうシナリオが展開する可能性もありの映画を見ている……か。

勝手なこと言っちゃって……。(*^_^*)

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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