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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.327 2010/7/11(第327号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガは、われわれ「見守る者」に向けて語られたサットグルの言葉を
聴き、調べ、わかり、伝え、広げ、響かせる器でありたいと思います。

ニサルガダッタの言葉は、この人生という夢のなかで、夢に見られている人物
にではなく、夢を見る側であるわれわれに向けられた目覚めの呼びかけです。

自分が夢の中の人物か夢を見る側かで一緒に迷っている方 (^_-)、現在 925名
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◇◇ もくじ ◇◇

1,われわれの“自由意志”

2.写経ニサルガダッタ:【63 行為者という概念が束縛だ】の2回目

3.「ご投稿・情報提供」:ドン・ガバチョさん

4.編集後記:だんだん……「川の流れのように」なれば
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■ 1,われわれの“自由意志”
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梅雨の晴れ間と言うより、すでに梅雨が明けたみたいな素晴らしい晴天です。

鳥の声……そよ風……。

庭の先端に見えている薄紫のアガパンサス……。

そう……いつものとおり……マインド以外には何の問題もありません。

マインドだけが……落ち着いていない……。

でも……マインドを問題にしないなら……何の問題もない……。

マインドは……ひとりで勝手に……落ち着かなくしていたらいいです。

いずれにしろ……「私は在る」……だけだし……。

もっとも……こうしてマインドの夢を見ているわけですが。

その夢は……わたしの上に覆い被さった……単なる汚れです。

わたしの視界を……覆い隠しているだけ。

もちろん……そのわたしという思いも汚れです。

すべての汚れの土台とでも言うのか……。

でも……問題にする必要はないんですよね。

いずれにしろ……「私は在る」……。

何の役にも立たないけれど……誰の邪魔をするわけでもない……。

「私はいない」というのは……あからさまな虚偽というだけです。

だって「私はいない」……という瞬間はないわけだから。

「私はいない」と言う当人が存在しないのなら……そんな言葉が虚空から……
ひとりでに誕生するはずもなし……。

だからまあ……あまり……問題もないわけですよね……。

ただ……つねに……実体のないマインドは……落ち着きのない幻影として……
現れている……というだけです。

問題にする者がいなければ……問題はないわけですよね。

とても……単純です。(-_-;) (←利いたふうなこと言っちゃって (^_-) )

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/
               (↑夢に出てくる人物の名前ね。(^_-) )

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

何もする必要がない……状態になりたいと思ってきました。

何もする必要がない……ということを理解するには……できることは何もない
……ということを理解するのが……いちばん早いのでは……と思います。

「何もする必要がない」というのは……別に真理でも何でもない……たんなる
ひとつの観念にすぎません。

「何かする必要がある」というのが……別に真理でも何でもない……たんなる
ひとつの観念にすぎないように。

「何かする必要がある」と……信じている人は……“目覚め”の夢のなかでは
……そこいらじゅうにごまんといます。

「何もする必要がない」と……信じている人は……“目覚め”の夢のなかでは
……そこいらじゅう探してもほとんどいません。

なので……“目覚め”の夢では……割合と……苦しがっている人が多いです。

「何かする必要がある」と……信じているにもかかわらず……あまり思うよう
にことが運ばないからです。

それでも……世の中そういうものだと……他に選択肢はないのだと……誰もが
思いこんでいる間は……そんな世界が続きます。

でも……現象世界で唯一変わらないのは……変化だけです。

だから……どんな“目覚め”の夢にも……“個人的”であれ“集団的”であれ
……いずれにせよ……変化の時は訪れます。

そして時には……大きな変化が訪れることもあります。

その大きな変化が訪れるとき……従来の現実(=思いこみ)を破壊するために
提示される選択肢として……二つの両極端の観念があります。

その他すべての選択肢は……この二つの観念の……中間のどこかに位置づけら
れる……バリエーションということになりそうです。

両極端のひとつは、

「じつは何でもできる」……という観念です。

そこで語られているのは……すべては夢なのだから……じつはあなたが思いつ
くことは……すべて実現できるのだ……ということでしょう。

それどころか……じつはあなたが思いつくことは……別の次元ですでに実現し
ていることだ……ということでもあるでしょう。

さらに言うなら……あなたが思いつくことは……別の次元であなたが体験して
いることなのだ……ということかもしれません。

だから……あなたが実現できると“知っている”知識に応じて……じつは何で
もできるのだ……ということになるわけでしょう。

そして……両極端のもうひとつは、

「できることは何もない」……という観念です。

その要点は……すべては予めフィルムに焼きつけられた映画のようなものであ
り……じつは中の登場人物にできることは何もない……ということです。

“目覚め”の夢のなかで……“自分”を“個別の行為者”(全体から分離した
自由意志を持つ者)と見ているかぎり……あなたは窮境にいる……と。

----------------------------------------------------------------------
 自分自身はこう在り、知り、行為すると想像し、惑わされているかぎりは、
 私たちは悲しくも苦境にいるのだ。
 ただ、完全な自己否定のなかにのみ、私たちの真我を発見するチャンスがあ
 る。
                          『私は在る』(p129)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

とまあ……そういうわけですから……これは誰にでも好かれるような観念では
ありません。

たいていの「エゴ」(個別の行為者)は……こういう観念を好まないはずです。

というか……「エゴ」が……こういう観念に惹かれることはないでしょう。

つまり……こういう観念に惹かれるのは……「エゴ」ではないのでしょうね。

バルセカールからの孫引きによるラマナ・マハルシの言葉によれば……すでに
頭が「虎の口のなか」にある者たちだけが……惹かれるわけでしょうね。

つまり……映画のなかで“プロセスが始まった者”たちだけが……。

いまこの瞬間にこの文章を読まれている……あなたのことですが。

“目覚め”の夢のなかでは……たいていの人が……「何かする必要がある」と
信じているようです。

「何もする必要がない」と信じている人など……ほとんどいません。

というふうにも見えるのですが……さて、でもそれは本当でしょうか?

考えてみれば……われわれも赤ん坊のころから……「何かする必要がある」と
思っていた……わけでもないですよね。

それにたぶん……少しまともな社会なら……ある程度の年齢(つまり老齢)に
なると……生真面目に「何かする必要がある」とも思わなかったでしょう。

いまの……われわれが住んでいる社会では……そうでもないですが……。

それに……“眠り”の夢のなかでは……誰も「何かする必要がある」なんて…
…思いませんよね。

まあ……われわれの社会では……たいていの人が……「何かする必要がある」
と信じている……としてもいいです。

でも……「何かする必要がある」のと……「何もする必要がない」のとでは…
…どちらが好きか……と訊いたら……たいていの人はどう答えるんでしょう。

おそらく……「何かする必要がある」のよりは……「何もする必要がない」ほ
うがいい……と答えるんじゃないでしょうか。

われわれ人間も含めた生き物(有機物)は……たいてい年老います。

肉体が衰えて……身体が思うに任せなくなったとき……それでもなおかつ……
「何かする必要がある」のは……なかなかキツイものがあります。

じゃ……若々しくて体力もエネルギーも旺盛なら……「何かする必要がある」
ほうが……いいんでしょうか。

若くてエネルギーに溢れていても……やっぱり「何かする必要がある」よりは
……「何もする必要がない」ほうがいいんじゃないのかなぁ……。

ま……わかりませんが。(^^;)

第一、こういう判断自体……バルセカールふうに言うなら「プログラミング」
によるわけでしょうしね。

ただここで……「じつは何でもできる」と……「できることは何もない」は…
…“自由意志”という観念と……根本的に関わっているんですよね。

それは簡単に言うと……源泉は一者なのか……それとも多数の源泉があるのか
……ということです。

もし……「神」も「悪魔」も実体として存在しており……“善人”も“悪人”
も……“光の勢力”も“闇の勢力”も実在するのだとすれば……。

それなら……この矛盾・混沌は実在である……ということになるでしょう。

そうすると当然……「何故にすべては始まってしまったのか?」……というよ
うな疑問も……実質的な妥当性をもって再浮上してくることになります。

誰だって……何でそんな矛盾が必要なんだ……って思いますものね。

でも……“光の勢力”と“闇の勢力”の闘いなんて……そんなTSUTAYA
の棚で毎年増えていくようなお話が……本当に実在なんでしょうか?

そのキリのないエンタテーメントが……。

煎じ詰めるなら……全体のなかで……源泉から切り離された部分が……実在と
して存在するのかどうか……ということです。

源泉から切り離された部分が存在し……それが自由意志をもっている……とい
うようなことがありうるのか……ということです。

“自由意志”という問題は……そういうことに関係しています。

では……覚者たちが……自由意志についてどんなことを言っているか……確認
していきましょうか。

まず最初に……マハラジの言葉から聴いておきましょうか。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 自由意志というものはないのでしょうか? 私には欲望をもつ自由
     はないのでしょうか?
 
 マハラジ
 いいや。
 あなたは欲望に強制されるのだ。
 ヒンドゥー教では自由意志という概念自体が不在だ。
 だから、そのための言葉もないのだ。
 意志とは拘束、固定、束縛だ。
                          『私は在る』(p373)
----------------------------------------------------------------------

ふーむ。(-_-;)

> ヒンドゥー教では自由意志という概念自体が不在だ。

というのですが……そう急に言われても……その言葉の意味……その文脈とか
論理が……なかなか……わかるようでわかりません。

なので……ラマナ・マハルシの言葉も聴いておきますね。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 自由意志というものは存在するのでしょうか?
 
 マハルシ
 誰の意志だろうか?
 行為者であるという感覚があるかぎり、それを楽しむ感覚と自由意志の感覚
 は存在するだろう。
 だが、もしこの感覚がヴィチャーラ(真我探求)の修練によって失われたな
 ら、聖なる神の意志が働いて、出来事の流れを導いてくれるだろう。
 ジニャーナによって運命は克服される。
 真我の知識は自由意志も運命も超えているからである。
 
                        『あるがままに』(p388)
                      http://tinyurl.com/2aar6zj
----------------------------------------------------------------------

なるほど……かぎりなく柔らかい表現ですねぇ。(-_-)

自由意志というものは存在するのか……という問に対して、

> 誰の意志だろうか?

と……まずマハルシは尋ねています。

あたかも……それが“神の自由意志”を意味するなら……それは在ると言えば
あるだろう……とでも言わぬばかりです。

そしてまた次のように言います。

> 行為者であるという感覚があるかぎり、それを楽しむ感覚と自由意志の感覚
> は存在するだろう。

これは明らかに……“自由意志”という幻想の意味でしょうね。

あたかも……“自由意志”という幻想は……その感覚を楽しむためのものだ…
…と言わぬばかりです。

“自由意志”とは……本質的に……エンタテーメントと切り離せないものなの
かもしれません。

> だが、もしこの感覚がヴィチャーラ(真我探求)の修練によって失われたな
> ら、聖なる神の意志が働いて、出来事の流れを導いてくれるだろう。

“自由意志”の幻想が破壊されたら……あとは神が面倒を見てくれるだろう…
…というような意味でしょうね。

> ジニャーナによって運命は克服される。
> 真我の知識は自由意志も運命も超えているからである。

自ら真我であれば……自由意志とか運命といった……観念に煩わされることは
ない……というような意味だろうと思います。

というわけで……覚者たちが「自由意志」というものをどう見ているかは……
だいたいわかりました。

しかし……だからといって……なかなかただちにその観点を理解できるという
ものでもありません。

さて……ここでラメッシ・バルセカールの表現です。

バルセカールもつねづね……覚者といえども「真実」を言葉で伝えることはで
きない……ということを強調しているようです。

言葉で伝えられるのは……すべて観念だ、と。

その前提の上で……「自由意志」についてのバルセカールの言葉を聴いてみて
ください。

----------------------------------------------------------------------
 シンディ ですから、自由意志がないというのは、真実ではありませんね?
 
 ラメッシ
 それは真実ではありません。
 私はあなたに、「唯一の真実は、『私は在る』――私は存在する、というこ
 とだ」と言いました。
 それだけが唯一の真実です。
 それ以外のあらゆることは、観念にすぎません。
 生まれ変わりは観念です。
 あなたのカルマも観念です。
 「あなたのものであるカルマはなく、起こることはすべて神の意志である」
 も観念です。
 でも、神の意志だけが行きわたっているという観念――その観念のおかげで、
 人生はシンプルになります。
 つまり、罪悪感がなく、プライドがなく、憎しみがない。
 「私には自由意志がある」という観念は、挫折とプライドと憎しみを引き起
 こします。……
 
                   『誰がかまうもんか?!』(p124-125)
                      http://tinyurl.com/22v2o8j
----------------------------------------------------------------------

ウーム。(-_-;)

なんか……切り口が新鮮ですねぇ

もう少し聴いてみましょう。

----------------------------------------------------------------------
 ラメッシ
 それは人生をシンプルにします、ウェンデル。
 どうやってそのことが人生をシンプルにするのでしょうか?
 もし私が行為者でなければ、一体どうして私が罪悪感を感じたり、プライド
 を感じたり、人びとを憎んだりするでしょうか?
 ですから、罪悪感がなく、プライドがなく、憎しみがないことが、人生をシ
 ンプルにするのです。
 人はそれ以外の何を人生で必要とするでしょうか?
 霊的なことは忘れてください
 探求について忘れてください。
 悟りについて忘れてください。
 人が人生で必要とすることは何でしょうか?
 罪悪感がなく、プライドがなく、憎しみがなく、妬みがないということは、
 人生をシンプルにします。
 それは平和ということです。
 
 あなたの言ったことはまったく正しいです。
 もしあなたがこの人生で平安を求めているなら、理解すべき唯一のことは、
 あなたは行為者ではなく、あなたは自分のおこなうどんなことにも、何の責
 任もないということだけです。
 でもそれで、あなたが無責任にならざるをえない、というわけではありませ
 ん。
 なぜなら、その問題への答えは結局、あなたが持っている道徳と責任感の基
 準に従って、何でも自分の好きなことをやりなさい、だからです。
 道徳と責任感の基準はプログラミングの一部なので、あなたは自分のプログ
 ラミング以外の行動はできません。
 
                   『誰がかまうもんか?!』(p124-125)
----------------------------------------------------------------------

ウーム。(-_-;)

これはまた……一段と雄弁ですねぇ。

だって、

> でも、神の意志だけが行きわたっているという観念――その観念のおかげで、
> 人生はシンプルになります。

ということは……紛れもない事実でしょう。

もしその観念を受け入れることさえできれば……。

「罪悪感がなく、プライドがなく、憎しみがなく、妬みがない」……。

いったい……それ以上の何を望むでしょうか?

では、その、

「あなたのものであるカルマはなく、起こることはすべて神の意志である」

ということは……まったくいい加減な……“でまかせ”の観念なのか?

そんな疑念に対して……バルセカールは次のような論理的裏づけを加えます。

----------------------------------------------------------------------
 ラメッシ
 「量子力学的可能性から意識が何を選ぶかは、無意識の過程である。人が自
  分の選択に気づくのは、脳波に現れる『潜在的可能性』よりも半秒遅れて
  いる」と脳外科医のベンジャミン・リベットが言っています。
 「したがって、西洋でのもっとも貴重な『所有物』である自由意志は、存在
  することができない。インドの賢者、ラマナ・マハルシも同じことを言い
  ました」。
 
 ですから、私が理解するところによれば、量子力学は、誰も次に何が起こる
 か知ることができないと言っているのです。
 つまり、粒子の飛行は、それがどこで終わるのか、あなたにはわからない、
 ということです。
 あなたにはそれを予測できないのです。
 それは、不確定性原理によりニールス・ボーアが言っていることです。
 この理論がアルバート・アインシュタインに説明されたとき、彼は、
 「あらゆる瞬間に何が起こるか、人は決して知ることができないと言ってい
  る不確定性原理に、間違っているところは何も見つけられない」
 と言いました。
 アインシュタインは、
 「間違っているところは何も見つけられないけれど、条件づけと若いころの
  教育のせいで、私は不確定性原理をどうしても受け入れることができない」
 と言ったのです。
 彼は、
 「私はこの原理に何の間違いも見つけられないが、しかし、『神が宇宙とサ
  イコロ遊びをしていること』を受け入れられない」
 と言ったのです。
 それに対してニールス・ボーアは、
 「神は宇宙とサイコロ遊びをしているのではありません。『神が宇宙とサイ
  コロ遊びをしている』とあなたが思うのは、あなたが、神がもっているす
  べての情報をもっていないからですよ」
 と答えました。
 
 何しろ、神はすべての情報をもっていて、何が起こるか知っているのです。
 彼には状況全体が見えます。
 それはすでにそこにあります。
 しかし、私たちは神の知識を所有していません。
 ですから、すべてが不確定なのです。
 潜在的可能性の波から、ある瞬間、ある人に何かが起こります。
 波が砕けるとき、何かが起きます。
 思考がわき起こり、欲望がわき起こり、それから脳がそれに反応して、エゴ
 の心がただちにそれを占有し、それは「自分の」思考だ、「自分の」欲望だ
 と言うまで、ほんの一瞬時間がかかります。
 ですから、量子の波が砕けるとき、欲望がわき起こるのです。
 エゴはそれを「自分の」欲望として受け入れます。
 では、その欲望はエゴの欲望でしょうか、それとも意識の欲望でしょうか、
 言ってみてください。(TM320)
 
                   『誰がかまうもんか?!』(p130-131)
----------------------------------------------------------------------

……。(-||-)

> 「量子力学的可能性から意識が何を選ぶかは、無意識の過程である。
>  人が自分の選択に気づくのは、脳波に現れる『潜在的可能性』よりも半秒
>  遅れている」

なんと……。(-_-;)

脳外科医のベンジャミン・リベットが語ったというこの言葉……。

これほど明確な証拠があるでしょうか……。

“自分の意志”“自分の欲望”と言っているものを……われわれ本人が知るの
は……神が人参をちらつかせてから……半秒後だそうです。

どんなに慌てて……大急ぎで……“入れ食いで”食いついても……われわれが
“自分の”欲望を知るのは……神の入力より……半秒遅れるそうです。

なんとねぇ。

> 「したがって、西洋でのもっとも貴重な『所有物』である自由意志は、存在
>  することができない。

脳外科医ベンジャミン・リベットさんの言い分に……納得しないわけにはいか
ないじゃありませんか。

>  インドの賢者、ラマナ・マハルシも同じことを言いました」。

そういうことだったんですねぇ。

われわれの“個別の行為者”という観念……これはすべてこの“半秒の遅れ”
を無視することによって……かろうじて存在していた虚偽だったんですね。

和尚ジョークふうに表現するなら、

「ナスルディン、このことに関するあなたの意志は?」

「ちょっと待ってくれ。
 神が用意した“私の意志”が、500ミリセカンド後に届くはずだから」

というわけですよね。

われわれの「自由意志」というのは……そういうものなんですねぇ。

(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【63 行為者という概念が束縛だ】の2回目
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ここでは「私は在る」は、もっぱら偽りの象徴として使われています。

> 「私は在る」は偽りだからこそ、それは存続を願う。

という具合に。

ところで、われわれが自分を不幸だと思ってしまうのは、マハラジによると、
単なる習慣によるものらしいですね。

その気分をただ無視して、誰がそんなことを思いたがっているのかを調べるだ
けで、そんな気分からは解放されるらしいです。

感覚的体験を切望したがゆえにいまこの世界に注意を奪われているのに……
すぐにそれが他の誰かのせいでもあるかのように思いたがるんでしょうね。

不幸というのも責任転嫁という人間に普遍的なゲームの一部なのかも。

では、【63 行為者という概念が束縛だ】の2回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 どうして私は自分自身をそんなにも不幸だと想像してしまうのでし
     ょうか?
 
 マハラジ
 ただの習慣からなのだ。
 あなたの考え方や感じ方を変えなさい。
 それらを再検討し、詳細に調べてみなさい。
 あなたは不注意によって束縛される。
 注意が解放するのだ。
 あなたはあまりにも多くのことを当然のこととして受け取ってきた。
 疑いはじめなさい。
 もっとも明らかなことは、もっとも疑わしいのだ。
 あなた自身にこのように問いかけてみるといい。
 「私は本当に生まれたのだろうか?」「私とは本当にこれなのだろうか?」
 「私が存在すると、どのようにして知るのだろうか?」「誰が私の親なのだ
 ろうか?」「彼らが私を創造したのか、それとも私が彼らを創造したのだろ
 うか?」「私自身に関して言われたことを、すべて信じなければならないの
 だろうか?」「私とは誰なのか?」と。
 あなたはあなた自身のための牢獄を築くことに、たいへんなエネルギーをつ
 ぎこんできた。
 今、それを破壊するためにできるかぎりを費やしなさい。
 事実、破壊することはたやすい。
 なぜなら、偽物は発見されたそのときに消え去るからだ。
 すべては「私は在る」という想念にかかっている。
 それを徹底的に調べるがいい。
 それはあらゆる困難の根底に存在している。
 それはあなたを実在から分かつ皮のようなものだ。
 実在は皮の内側にも外側にもある。
 しかし、皮そのものは実在ではないのだ。
 この「私は在る」という想念はあなたとともに生まれてきたのではない。
 あなたはそれなしでも充分申し分なく生きたことだろう。
 それはあとになって、身体との自己同一化のために現れた。
 それがありもしなかった分割という幻想をつくり出したのだ。
 それがあなた自身の世界のなかで、あなたを異邦人にしてしまった。
 そして世界を異質な、敵意あるものにしてしまったのだ。
 「私は在る」という感覚なしでも人生は続いていく。
 私たちにも「私は在る」という感覚のない平和で幸福なときはある。
 「私は在る」が戻るとともに、困難がはじまるのだ。
 
 質問者 どうすれば「私」という感覚から自由になれるのでしょうか?
 
 マハラジ
 もしあなたがそれから自由になりたいのなら「私」という感覚と向き合わな
 ければならない。
 あなたが明確にそれを見て完全に理解するまで、それが作用しているときや、
 落ち着いているときを見守りなさい。
 それがどのようにはじまり、どのように停止し、何を欲しがり、どのように
 それを得るのかを見なさい。
 結局、すべてのヨーガは、その源が何であれ、性質が何であれ、目的はただ
 ひとつだ。
 分離された存在という不幸から、広大な美しい絵の中の無意味な点としての
 存在から、あなたを救い出すことにあるのだ。
 
 あなたが苦しむのは、あなた自身を実在から疎外したからだ。
 そして今、あなたはこの疎外感からの逃避を探し求めている。
 あなた自身の強迫観念から逃げることはできない。
 ただ、それを育むのをやめることができるだけだ。
 
 「私は在る」は偽りだからこそ、それは存続を願う。
 実在は存続する必要がない――それ自身、破壊不可能なことを知っているか
 らだ。
 それは形態とその表現の破壊に無関心なのだ。
 「私は在る」を強調し安定させようと、私たちはありとあらゆることをする
 が――すべては無駄に終わってしまう。
 なぜなら、「私は在る」は瞬間から瞬間へと再構築されていくものだからだ。
 それは絶え間ない仕事なのだ。
 そして唯一の革新的な解決法は、「私はあれであり、これである」という分
 離した感覚を永遠に消し去ることだ。
 存在は残る。
 だが、自己存在ではない。
 
 質問者 私には明確な霊的野心があります。それを満たすために努力しなけ
     ればならないのではありませんか?
 
 マハラジ
 いかなる野心も霊的なものではありえない。
 すべての野心は「私は在る」のためのものなのだ。
 もしあなたが本当の進展を遂げたいのなら、すべての個人的な達成という考
 えは、あきらめなければならない。
 いわゆるヨーギの野心というものは、実にばかげたものだ。
 男性の女性に対する欲望は、永遠の個人的な至福を渇望することに比べれば
 純真なものだ。
 マインドとは詐欺師なのだ。
 より敬虔(けいけん)に見えるほど、裏切りはさらに悪いものとなるだろう。
 
 質問者 ひっきりなしに、人びとは世間の悩みごとをかかえてあなたのもと
     へやってきます。あなたはいったいどのようにして、彼らに何を言
     うかを知るのでしょうか?
 
 マハラジ
 ただその瞬間、私のマインドに現れたことを告げるだけだ。
 私には人びとに対応するための企画化された手順といったものはない。
 
 質問者 あなたはあなた自身に確信をもっています。しかし、私のもとに人
     びとが来るとき、どのようにして私の助言が正しいものだと確信で
     きるのでしょうか?
 
 マハラジ
 あなたがどの状態のなかにいるのか、どのレベルで話しているのかを見なさ
 い。
 もしあなたがマインドから話しているなら、間違っているかもしれない。
 あなたの精神的習慣が停止しており、状況への完全な洞察から話しているの
 ならば、あなたの助言は本物の返答かもしれない。
 要点は、あなたも、あなたの前にいる人も、ともに単なる身体ではないと完
 全に気づいていることだ。
 もしあなたの気づきが明晰(めいせき)で完全ならば、間違いはありえない。
 
                        『私は在る』(p317-318)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 どうして私は自分自身をそんなにも不幸だと想像してしまうのでし
>     ょうか?

これは……ほんとにいい質問ですねぇ。

> マハラジ
> ただの習慣からなのだ。

そうなんだ……。

単に“責任転嫁”という人間に普遍的なゲームの集積結果かもしれませんね。

> あなたの考え方や感じ方を変えなさい。
> それらを再検討し、詳細に調べてみなさい。
> あなたは不注意によって束縛される。

そういうことか……。

「不注意によって束縛される」のか。

> 注意が解放するのだ。

はい。

「気づき」という言葉を「注意」という言葉に置き直していただいただけで、
ずいぶん見晴らしや風通しがよくなりますね。

> あなたはあまりにも多くのことを当然のこととして受け取ってきた。
> 疑いはじめなさい。

はい。

> もっとも明らかなことは、もっとも疑わしいのだ。

というと……?

> あなた自身にこのように問いかけてみるといい。
> 「私は本当に生まれたのだろうか?」

なるほど。(@_@)

> 「私とは本当にこれなのだろうか?」
> 「私が存在すると、どのようにして知るのだろうか?」
> 「誰が私の親なのだろうか?」
> 「彼らが私を創造したのか、それとも私が彼らを創造したのだろうか?」

なるほどねぇ。(-_-)

> 「私自身に関して言われたことを、すべて信じなければならないのだろうか?」

そうかぁ。

このごろの幼稚園児は七夕の短冊に「サッカーの選手になりたい」なんて書く
みたいだけど……われわれのころはそんな言葉すら知らなかったよなぁ。

> 「私とは誰なのか?」と。

「私とは誰なのか?」……。

> あなたはあなた自身のための牢獄を築くことに、たいへんなエネルギーをつ
> ぎこんできた。

はい、わかります。

> 今、それを破壊するためにできるかぎりを費やしなさい。

「できるかぎり」を費やしなさい……。

> 事実、破壊することはたやすい。

(?_?)

> なぜなら、偽物は発見されたそのときに消え去るからだ。

それが偽物であることを発見しさえすれば……それは消え去る。

> すべては「私は在る」という想念にかかっている。

「すべては『私は在る』という想念にかかっている」のか……。

> それを徹底的に調べるがいい。
> それはあらゆる困難の根底に存在している。

あらゆる困難の根底に「私は在る」という想念が存在している……。

> それはあなたを実在から分かつ皮のようなものだ。
> 実在は皮の内側にも外側にもある。

実在は皮(「私は在る」という想念)の内側にも外側にもある。

> しかし、皮そのものは実在ではないのだ。

しかし、皮(「私は在る」という想念)そのものは実在ではないのだ。

> この「私は在る」という想念はあなたとともに生まれてきたのではない。

この「あなた」は「見守る者」のことか……。

> あなたはそれなしでも充分申し分なく生きたことだろう。

それとも……赤ん坊として“生まれてきた”有機体のことか……。(-_-)

> それはあとになって、身体との自己同一化のために現れた。

そうか……赤ん坊が成育過程で身体と自己同一化したために現れた……。

それとも……「見守る者」が身体に自己同一化することによって現れた。

> それがありもしなかった分割という幻想をつくり出したのだ。

はい、それはわかります(知的にはという意味ですが)……。

世界のなかに“自分”と“自分のもの”を投影することによって。

> それがあなた自身の世界のなかで、あなたを異邦人にしてしまった。
> そして世界を異質な、敵意あるものにしてしまったのだ。

身体の中に閉じこめられた者の立場から……世界を見ることによって。

> 「私は在る」という感覚なしでも人生は続いていく。

特に“自分”が何もしなくても。

> 私たちにも「私は在る」という感覚のない平和で幸福なときはある。

それは、よくわかります。

というか……特に心配していないときはほとんどそうです。

> 「私は在る」が戻るとともに、困難がはじまるのだ。

身体として生き延びることを思った瞬間に心配がはじまる。

> 質問者 どうすれば「私」という感覚から自由になれるのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> もしあなたがそれから自由になりたいのなら「私」という感覚と向き合わな
> ければならない。

やっぱり。

> あなたが明確にそれを見て完全に理解するまで、それが作用しているときや、
> 落ち着いているときを見守りなさい。

はい。

> それがどのようにはじまり、どのように停止し、何を欲しがり、どのように
> それを得るのかを見なさい。

“何を欲しがり”、“どのようにそれを得るのか”……。

> 結局、すべてのヨーガは、その源が何であれ、性質が何であれ、目的はただ
> ひとつだ。

はい。(@_@)O

> 分離された存在という不幸から、広大な美しい絵の中の無意味な点としての
> 存在から、あなたを救い出すことにあるのだ。

ああ……、たしかに。(-_-)

> あなたが苦しむのは、あなた自身を実在から疎外したからだ。
> そして今、あなたはこの疎外感からの逃避を探し求めている。

わかります。

> あなた自身の強迫観念から逃げることはできない。
> ただ、それを育むのをやめることができるだけだ。

そうなのか。(@_@)

できるのは、“強迫観念を育むのをやめること”……。

> 「私は在る」は偽りだからこそ、それは存続を願う。

なるほど。

> 実在は存続する必要がない――それ自身、破壊不可能なことを知っているか
> らだ。

そういうことですね。

> それは形態とその表現の破壊に無関心なのだ。

「実在」は“形態とその表現の破壊に無関心”なのか……。

> 「私は在る」を強調し安定させようと、私たちはありとあらゆることをする
> が――すべては無駄に終わってしまう。

“すべては無駄に終わってしまう”……何という安心。

> なぜなら、「私は在る」は瞬間から瞬間へと再構築されていくものだからだ。
> それは絶え間ない仕事なのだ。

この身体のサバイバルは“絶え間ない仕事”です……。

しかも……“すべては無駄に終わって”……結局、身体は滅びてしまう。

> そして唯一の革新的な解決法は、「私はあれであり、これである」という分
> 離した感覚を永遠に消し去ることだ。

自分には何もできない……ということは納得しつつあります。

> 存在は残る。

はい。

「私」はなくとも「在る」は残るわけですよね。

> だが、自己存在ではない。

わかります。

> 質問者 私には明確な霊的野心があります。それを満たすために努力しなけ
>     ればならないのではありませんか?

あれま。

> マハラジ
> いかなる野心も霊的なものではありえない。

同意です。

> すべての野心は「私は在る」のためのものなのだ。

なるほど。

すべての野心は“手当を必要とするもの”のためのもの……。

> もしあなたが本当の進展を遂げたいのなら、すべての個人的な達成という考
> えは、あきらめなければならない。

はい、わかっています。

> いわゆるヨーギの野心というものは、実にばかげたものだ。

ですよね。^^;

> 男性の女性に対する欲望は、永遠の個人的な至福を渇望することに比べれば
> 純真なものだ。

そうか。

> マインドとは詐欺師なのだ。

はい。

いずれにしろ……出せるのは空手形だけ。

> より敬虔(けいけん)に見えるほど、裏切りはさらに悪いものとなるだろう。

より高価な手形に見えるほど……裏切りはさらに悪い……。

> 質問者 ひっきりなしに、人びとは世間の悩みごとをかかえてあなたのもと
>     へやってきます。あなたはいったいどのようにして、彼らに何を言
>     うかを知るのでしょうか?

うう。

> マハラジ
> ただその瞬間、私のマインドに現れたことを告げるだけだ。
> 私には人びとに対応するための企画化された手順といったものはない。

はい、わかります。

> 質問者 あなたはあなた自身に確信をもっています。しかし、私のもとに人
>     びとが来るとき、どのようにして私の助言が正しいものだと確信で
>     きるのでしょうか?

そうか……そういうことを考えていたのか。

> マハラジ
> あなたがどの状態のなかにいるのか、どのレベルで話しているのかを見なさ
> い。

なるほど。

> もしあなたがマインドから話しているなら、間違っているかもしれない。

わかります。

> あなたの精神的習慣が停止しており、状況への完全な洞察から話しているの
> ならば、あなたの助言は本物の返答かもしれない。

はい。

> 要点は、あなたも、あなたの前にいる人も、ともに単なる身体ではないと完
> 全に気づいていることだ。

そういうことなんですね。

> もしあなたの気づきが明晰(めいせき)で完全ならば、間違いはありえない。

理解できます。

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


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『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


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■ 3.「ご投稿・情報提供」:ドン・ガバチョさん
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今回、ドン・ガバチョさんから「ラー文書」についての情報をご投稿いただき
ました。

早速、ご紹介させていただきます。

【件名】: ラー文書
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 ラー文書のセッション6でございます。
 
 難解であるとの声が聞かれる「ラー文書」ですが、この通信に頻出する「ゆが
 み」という言葉をどう理解すれば良いのか解らない方が多いのではないかと存
 じます。
 訳者(紫上はとる)は、『「ゆがみ」とは、「一なるものの法則」(の波動)か
 ら外れたもの、状態、あるいは歪曲された事実や現象を意味しているのではな
 いかと思います。したがって「ゆがみ」には私たち
 からみてネガティブでないものもあります。』と歯切れ悪く言葉を濁されてい
 ますが・・・
 
 「ゆがみ」とは、モアレ(干渉縞、かんしょうじま)のことです。(当メルマ
 ガに投稿させて(5月9日)戴きましたね。)
 三次元物質宇宙において人間(にんげん、にげん、二元)の五感(視覚、聴
 覚、触覚、味覚、嗅覚)は、関係性(コントラスト、差分、干渉、モアレ、う
 なり)を捉えることしか出来ません。
 「モアレ」はWikipediaによりますと・・・干渉縞ともいい、規則正しい繰り
 返し模様を複数重ね合わせた時に、それらの周期(波長)のずれにより視覚的
 に発生する縞模様のことである。
 また、規則正しい模様を、デジタル写真などのビットマップ画像にした場合
 も、画像の画素解像度と模様の周波数のずれが原因で同様の縞模様が発生する
 がこれもモアレと呼ぶ。また印刷でも網点(あみて
 ん)という点の集まりに画像を変換するので同様の現象が発生する。モアレそ
 のものも周期(波長)を持ち、この周期は元になる模様の周期(波長)の組み
 合わせで決まる。物理学的にいうと、モアレとは二
 つの空間周波数のうなり現象といえる。様々な形態で発生するため、モアレに
 もいろいろなものがある。
 
 「干渉」はWikipediaによりますと・・・波における干渉とは、複数の波の重
 ね合わせによって新しい波形ができることである。互いにコヒーレントな(相
 関性が高い)波のとき干渉が顕著に現れる。このよう
 な波は、同じ波源から出た波や、同じもしくは近い周波数を持つ波である。波
 の重ね合わせの原理とは、ある点に生じた波の振幅が、その点に影響するすべ
 ての波の振幅の和と一致することである。
 同じ点で波の山と山または谷と谷が干渉すると振幅の絶対値は大きくなり、山
 と谷が干渉すると振幅の絶対値は小さくなる。2つの波が重なりあうとき、形
 成される波形は周波数(または波長)と振幅、そして
 位相関係に依存する。
 
 私達はモアレ(干渉縞)という「存在の固有波長」と「私の固有波長」が織り
 なす影を捉えているのです。そして「私」が捉えるその影は、「感情・情緒」
 として感得されます。つまりは、全ての感情・情緒
 は「私」の固有波長が生み出しているのです。
 
 そこを了解して読んで戴くと、「ラー文書」の理解は深まるかと存じます。
 
 ―――――――――――
 
 Q:私はこのへんで、あなたがたの背景についてもう少しお話しいただくのに
 よい時期ではないかと考えています。もしできればで良いのですが、地球に関
 わった以前に、あなたがたがどこから来たのかについ
 て聞かせていただければと。
 R:私はラー。私は私自身がその一部であるところの社会的記憶複合体ととも
 におり、あなたがたの太陽系とこの媒体が呼ぶであろう場所にある別の惑星か
 ら、外に向かう旅に出た者たちのひとりです。
 私たちはあなたがたが金星と呼ぶ惑星の影響下にあり、あなたがたの時間の尺
 度を踏まえて言えば一人類分の周期だけ年上になります。
 六次元にいたときの私たちの物理的実在は、あなたがたが金色の存在と呼ぶで
 あろう在りかたをしていました。
 私たちは背が高くいくぶん華奢(きゃしゃ)でした。あなたがたが外皮と呼ぶ
 ところの、私たちの物質的な身体複合体を覆うそれは金の光沢を放っていたの
 です。
 私たちはその形態をもってあなたがた人類を訪れることに決めました。
 当時の人類は、あなたがたが身体的的外見と呼ぶであろう点で、私たちとはま
 るで異なっていました。
 そのため私たちは民衆に上手く溶け込むことができず、彼ら自身とは明らかに
 別の存在でした。
 あなたがたの「他の自己たち」とは別の存在であることで賞讃を浴びるとい
 う、偽善者的立場に置かれてしまっていたことを私たちは思い知らされること
 になります。
 それゆえに、私たちの滞留期聞は比較的短いものになったのです。
 これは私たちが、あなたがたが関心を示されていたところの建造物(大ピラ
 ミッド)を建てた時代のことです。
 Q:金星から地球にはどうやって旅してこられたのですか。
 R:私はラー。私たちは思考を使ったのです。
 Q:その当時の人間のなかから、誰かを金星に連れて行くことは可能でしたか。
 人は金星で生き長らえることはできたでしょうか。金星の環境は人が暮らすの
 に適していましたか。
 R:私はラー。金星の第三密度の環境は、あなたがた人類の生物形態が生存する
 のには適していません。
 しかし、金星の五次元と六次元の環境は、成長/学び/教えに非常に貢献しま
 す。
 Q:あなたがたはどうやって金星から移動されたのですか。地上を歩くのに次元
 を変える必要があったのでしょうか。
 R:私はラー。風のエクササイズを思い出してください。「無の状態」に溶け込
 むことは、すなわち「ひとつであること」に溶け込むことです。
 なぜなら「無の状態」は存在しないものだからです。私たちはいずれの光粒子
 やゆがんだ光粒子にも存在する知的無限を、思考を使って六次元から操作する
 ことができます。
 私たちはそうやって、三次元で見ることのできる、自分たちの六次元の心/身
 体/霊複合体の複製(レプリカ)で自分たちを覆うことができたのです。
 私たちはそうした実験の実施を、地球を見まもる「評議会」から許可されてい
 たのです。
 Q:その「評議会」はどこにあるのですか。
 R:私はラー。この「評議会」は、土星のオクターブ、または第八番目の密度、
 すなわち八次元にあります。あなたがたが三次元の言葉で「土星の環」として
 理解されている領域に位置しています。
 (中略)
 Q:現在報告されているUFOのなかには金星以外の惑星から来たものもあるので
 しょうか。そうした情報はお持ちですか。
 R:私はラー。私は「無限なる創造主に奉仕する惑星連合」から来たメンバーの
 ひとりです。
 この「惑星連合」には、約53の文明があり、それらが約500の惑星意識複合体
 を構成しています。
 また、この「惑星連合」には、あなたがたの第三次元を越えた次元にすでに達
 した「地球からの存在」たちも含まれていますし、あなたがたの太陽系の惑星
 レベルの存在たちや、ほかの銀河の惑星レベルの存
 在たちもいます。
 そして、この「惑星連合」は、メンバーたちは一様ではありませんが、「一な
 るものの法則」に則った奉仕を行なうところで団結の為された正真正銘の「連
 合」であると言えます。
 Q:そのなかに現在、宇宙船で地球に来ている存在はいますか。過去の三十年間
 のあいだではどうでしょう。
 R:私はラー。この情報が重要でないことははっきりと述べておく必要がありま
 す。
 あなたがたにそのことを理解していただければ、無難なかたちで提供しうると
 思います。
 私たちがここに来ている目的は「一なるものの法則」を表現するためですが、
 そのお望みの話題についてもお話ししましょう。
 あなたがたの三次元空間/時間のゆがみに出現することを望む惑星レベルの存
 在は、あなたがたの前に姿を現わすまえに、あなたがたが隔離状況と呼ぶであ
 ろう状況を突破する許可を要請する必要がありま
 す。
 そして、姿を現わす理由や目的が判断の対象となり、その申し出は受理される
 か、あるいは却下されます。
 あなたがたの空にはいつでも多くて十五人ほどの「連合」の存在がいます。
 それ以外の存在に関しても、「思考をつうじての交信」が可能です。
 目下、あなたがたの密度では、七人の存在が、乗り物をつかって活動していま
 す。
 彼らの目的はきわめてシンプルで、それは地球の存在たちに無限性に気づいて
 もらうことなのです。
 無限性は、神秘的で未知なるものとして示されるのが、そうした情報をもたな
 い人々にとっては、もっとも効果的であることが多いからです。
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ドン・ガバチョさん、今回もまぐまぐの制限で全文は掲載できませんでした。

> pari様の>OCRの“細切れ”の出力はつないでいただけるとありがたいです。
> にお応えしまして、Google Chromeからではなく、IE8から投稿させて頂
> きましたが・・・如何?

はい、ありがとうございます。

段落がすべてつながっていたので、再度投稿フォームに通すだけで、簡単に
整形できました。

http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518
テキストでここに↑流していただくのが一番簡単ですが、でも今回のでも
問題ありません。

ご投稿、ありがとうございました。

m(_ _)m



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■ 4.編集後記:「川の流れのように」なれば
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いつも同じことを書いているようでもありますが……何となくプロセスとして
流れているような感じもあります。

いずれにせよ……“操り人形”であることは間違いありません。

楽になって……マインドが弱まるのであれば……申し分ないわけですよね。

だんだん……「川の流れのように」なればいいな。(*-_-*)

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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