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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.330 2010/8/01(第330号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆----------------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ
という言葉を信じた、仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 924名
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◇◇ もくじ ◇◇

1,理解はマインドに起こる

2.写経ニサルガダッタ:【13 至高なるもの、マインド、身体】の1回目

3.編集後記:わりあい……夏が好きです。(*^_^*)
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■ 1,理解はマインドに起こる
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何だかこのごろ……別に自分が考えているわけでもないんだな……というのが
普通の感覚になってきたような気がします。

いえ……そんな特別のことじゃないんですけどね。(^^;)

なんて言うか……ぼーっとしていることが多くなってきて……そうすると……
またいつの間にか……何かを思っていたりするでしょ。

そうすると……あ、ものを思っているな、と気がつく……。

そうすると……そうか、ものを思うというのは……こういうふうに起こってい
るのか……別に自分が考えているというのでもないんだな……と思う。:-O 

まあ……そんな程度の感覚のことですけど……。^^;

そしたら……ものを思わないというのも……これまた……そんなに特別のこと
でもないんですよね。

あ、今ものを思っていないみたい……と気がついたら……そのまま意識的に…
…ものを思っていない状態を維持してみたりする……。

そうすると……聞こえているのは身体の耳鳴りだけで……いわば“マインドの
エンジン音”みたいな感覚は……確かに……消えているんですよね。

昔……「ノーマインド」なんて言葉を聞かされて……自分なんかにはとても及
びもつかない境地なのかと思っていたけど……。

別に……そう大層なものでもないんですね。

要するに……ものを思うということに対する……価値観の変化だけが……影響
するんだと思いました。

どうせ考えているのは……ろくでもないことに決まっている……というような
感じのことですけど……。

ふ。

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

ろくでもない物思いのなかで……「理解」というのは“意識のコンテンツ”だ
な……という当たり前の考えが浮かびました。

きっと『私は在る』のなかの……最後の章のタイトルが……記憶に残っていた
のでしょう。

こんなタイトルです。

【101 ジニャーニは理解も把握もしない】

本文のなかでは、こんな文脈から誘導されて出てきた言葉です。

> 質問者 あなたはひとつなのでしょうか、それとも多数なのでしょうか?
> 
> マハラジ
> わたしはひとつだ、だが多数として現れるのだ。
> 
> 質問者 いったいなぜ人は現れるのでしょうか?
> 
> マハラジ
> 在ること、そして意識して在ることは良いことだ。
> 
> 質問者 人生は悲しいものです。
> 
> マハラジ
> 無知が悲しみをもたらす。
> 幸福は理解にともなって起こるのだ。
> 
> 質問者 どうして無知は苦痛なのでしょうか?
> 
> マハラジ
> それはすべての欲望と恐れの根底にあり、苦痛に満ちた状態であって、果て
> しない過ちの源なのだ。
> 
> 質問者 私は真我を実現したと言われる人たちが笑ったり泣いたりしている
>     のを見てきました。それはつまり、彼らが欲望や恐れから自由にな
>     っていないことを示しているのでしょうか?
> 
> マハラジ
> 彼らは状況にしたがって、笑ったり泣いたりするかもしれない。
> しかし、内面で覚めていて明晰であり、自分自身の反応を冷静に見守ってい
> るのだ。
> 現象は惑わせやすい。
> ジニャーニの場合はなおさらのことだ。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 私には理解できません。
 
 マハラジ
 マインドでは理解できない。
 なぜならマインドは理解し、把握するために訓練されてきたからだ。
 一方、ジニャーニは理解も把握もしていないのだ。
                          『私は在る』(p549)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

長い引用になりましたが、要するに、この

> なぜならマインドは理解し、把握するために訓練されてきたからだ。
> 一方、ジニャーニは理解も把握もしていないのだ。

という文脈から生まれたタイトルが【101 ジニャーニは理解も把握もしない】
だということです。

実在が理解だの把握だのという“仕事”と無縁なのは当たり前でしょうから、
いずれにしろ「理解」というのは意識の内容に関わる事柄でしょう。

だから……理解するのがマインドだということは……間違いないでしょう。

ところで、もう一方に、

> 真我の実現にとっては、理解が本質的なものだ。(p418)

という言葉もあります。

つまり、一方では、「理解」というのはマインドのなかで起こるわけです。

しかし、もう一方では、「真我の実現にとっては、理解が本質的」だ、とい
うのす。

「真我」が……マインドでないことは……明らかなのに……。

だから……マインドが「真我」になれないことも……明らかなのに……。

これは……どういうことでしょうね……。(-_-)

いったい、マインドが何を理解するというのでしょう?

すぐにわからないときは……まず形から……。

というわけで……取りあえず、このふたつのメッセージを……そのまま足し算
して……つなぎ合わせてみましょうか。

そうすると、

   “マインドが理解することが、真我の実現にとっては本質的だ”

というフレーズができます。

“マインド”というのは、一言で言うなら、現象世界(つまり、物質と意識)
の媒体ということでしょうね。

でも“マインド”(物質と意識)が「真我」に成るわけでないことは……これ
まで何度も聞かされて……われわれはみんな、一応、知っているわけです。

そんな想念を追っていたら……今度は、「運命」とか「恩寵(おんちょう)」
とかいう言葉が浮かんできました。

----------------------------------------------------------------------
 運命と恩寵は絶対的に同じものだ。
                          『私は在る』(p509)
----------------------------------------------------------------------

思考サイクルが……ニサルガダッタの真似っこ専門になっているので……まあ、
そんな感じで引き込まれていくわけです。

そうしたら、今度はまた……「引力」という連想が浮かびました。

これは……以前使った「グルの恩寵は、引力の恩寵」というような言葉遊びの
……リサイクルが起こったわけでしょう。

マインドというのは……いわば……“舞い上がっている埃(ほこり)”です。

それを……“意識のコンテンツ”……と言ってもいいわけでしょうが。

その“舞い上がっている埃”が……「真我」になれるわけではありません。

でも“舞い上がっている埃”に「理解」が起こったら……それは「真我の実現
にとって本質的」なこと……だと言うんですよね。

そして……それは

> 彼(=グル)の恩寵は絶えることなく遍在している。(p359)

と言われる……その“恩寵”によって……起こることに違いありません。

でも……“恩寵”は絶えず降り注いでいるわけだから……。(-_-;)

「理解」が起こるには……ほかの要因も関係しているわけでしょう。

つまりもう一方に……弟子の側からの……誠実な関心とサーダナが……なけれ
ばならない……というわけでしょうね。

----------------------------------------------------------------------
 実際には、弟子はグルと異ならない。
 彼は行為における愛と知覚の、同じ無限の中心なのだ。
 彼の想像と想像したものとの自己同一化が、彼を包み込み、個人に変えてし
 まうだけだ。
 師は個人には関心がない。
 彼の注意は内面の見守る者に合わせられている。
 理解をし、それによって個人を消し去るのは見守る者の仕事なのだ。
 一方では恩寵があり、もう一方では修練への献身がなければならない。
 
                          『私は在る』(p360)
----------------------------------------------------------------------

ということらしいですから。

そんなこんなで……“マインドに起こる理解”とは……特定の何かを理解する
ことを指すのではなく……。

“舞い上がった埃”が……“恩寵の引力”に逆らうのをやめて……素直に……
降下することではないのか……といったイメージが湧いてきました。

【ジニャーニは理解も把握もしない】……といいます。

ということは……ジニャーニは理解も把握もしないというのに……われわれは
理解し把握しようとする……ということですよね。

なんか……われわれは……無意味で無用なことを……しているようでもある。

それはなぜか?

なぜなら、

----------------------------------------------------------------------
 普通の人は個人的利害に関心をもち、危険とチャンスを計算している。
 
                          『私は在る』(p547)
----------------------------------------------------------------------

から……のようです。

ところが……、

----------------------------------------------------------------------
 一方、ジニャーニは超然として、すべては起こるべくして起こると確信して
 いる。
 そして何が起こるかは、さして重要ではないのだ。
 なぜなら、最終的には均衡と調和が戻ってくることは不可避だからだ。
 ものごとの核心には平和があるのだ。
                          『私は在る』(p547)
----------------------------------------------------------------------

というわけです。

そのような信頼に浸されたら……“マインド”にも……ある種の「理解」が起
こるのかもしれません。

そうしたら、マインドという“舞い上がった埃”は……じょじょに降下するし
かないのかもしれない。

なにしろ、“恩寵(=引力)は絶えることなく遍在している”わけですから。

じゃ“舞い上がった埃”がすべて……“恩寵の引力”にしたがって……素直に
沈んだら……マインドはすべて……消えてしまうのではないか? (@_@)

いえいえ……むろん、そんなことは起こりません。(*^_^*)

“恩寵の引力”などものともせず……マインドは舞い上がり続けるはずです。

では、何が“マインドという埃”を舞い上がらせるのか?

もちろん……お釈迦さまもおっしゃった……「無明」でしょう。

身体の影に生じるその「無明」のゆえに……さらに言うなら「無明」に生える
黴(かび)、「欲望」と「恐怖」のゆえに“マインドの埃”は舞い上がる。

「欲望」は……上を見て……何がなんでも舞い上がりたい……ともがく。

「恐怖」は……下を見て……何がなんでも消滅したくない……とあがく。

ともに“身体”をひとつの実体と見ることから生じた……不可能な夢……。

でも……その甲斐あって……“マインドの埃”は……舞い上がり続ける……。

かくて……生命の大海は……波立ち続ける……。

現象世界は……自家発電内蔵の……永久機関です。(^_-)

「無明」のゆえに……“マインドの埃”は……舞い上がり続ける……。

「欲望」と「恐怖」をダイナモにして……生命の大海は……波立ち続ける。

でも……意識の大海の深いところには……別の目で表面の波立ちを見ている者
がいるらしい。

そして……表面の波立ちのなかに……“変わった振る舞いをする波頭”を探し
ている。

どうやらこの波頭は……嫌悪のあまり幻影の海のなかで溺れかかっているらし
い……もう夢の賞味期限が切れているらしい……とわかると……。

ついと……そのそばに寄り添って……彼の耳にこうささやく。

「さあ、もう目を覚ましなさい。
 あなたは夢のなかでうなされているのだ。
 あなたはあなたが思っているような存在ではない。
 あなただけが存在するのだ。
 あなたはどこからも来なかったし、どこへも行かない。
 あなたは時間を超えた存在、そして気づきだ。
 世界はあなたが在るゆえに存在するのだ」

と……。

すると夢のなかで魘されていたその波頭は……ふと落ち着き……弛む……。

そして……ゆっくりと……海底の岩盤に向かって……降りてゆく……。

彼の前で……“マインドの埃”は沈みはじめ……視界が透明になる……。

“マインド”のなかに……「理解」が起こる……。

いつの間にか……“恩寵”に逆らう者は……消えている……。

何かがなくなって……安心だけが満ちている……。

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【13 至高なるもの、マインド、身体】1回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ここも……とても素敵な章です。

たとえば、今回の部分だと……。

「すべてがあなたの光のなかに存在するのなら、あなたは世界の創造者ではな
いのですか?」という質問に対して、マハラジはこう答えています。

> 私はそのその潜在的可能性でも、実現性でも、現実でもない。
> 私の光のなかで、世界は太陽光線のなかを舞うほこりのように現れては去っ
> ていく。
> 光はその微少片を照らすだろうが、それに依存することはない。
> またそれを創造もしない。
> それを知っているとさえ言えないのだ。

こういう表現……これはマハラジに特徴的な表現ですが……好きですねぇ。

(-||-)

では、【13 至高なるもの、マインド、身体】の1回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 あなたはあなたを取り巻く環境をまったく意識していないと言われ
     ましたが、私たちにとって、あなたは非常に注意深く、活動的に見
     えます。あなたが記憶の跡を残さない、一種の催眠状態にあるとは
     信じられません。それどころか、あなたの記憶は非常に優れている
     ように見えます。あなたにとって世界が存在しないというあなたの
     主張をどう理解すればいいのでしょうか?
 
 マハラジ
 すべては焦点の問題だ。
 あなたの焦点は世界に当てられており、私の焦点は実在に当てられている。
 世界は昼間の月のようなものだ。
 太陽が照れば、月はほとんど目に映らない。
 あるいは、あなたがどのようにものを食べるか見てみなさい。
 口のなかに食べ物がある間はそれを意識しているが、ひとたび飲みこんでし
 まえばもはや関心をもたない。
 消化されるまでマインドにとどめていたら、厄介なことになるだろう。
 マインドは普通停止しているべきであり、絶え間ない活動は病的状態なのだ。
 私が知っているのは、宇宙はひとりでに、それ自体で動いているということ
 だ。
 それ以外に何をする必要があるだろう?
 
 質問者 では、ジニャーニ(賢者)は彼自身が注意を向けたときだけ何をし
     ているのかを知り、そうでなければ煩(わずら)わされることなく
     ただ行為するということなのですね。
 
 マハラジ
 たいていの人は身体を意識していない。
 彼らは感覚や感情や思考を意識しているが、それらでさえ、ひとたび執着を
 離れれば意識の中心から去り、自発的に、努力なく起こる。
 
 質問者 それでは、意識の中心には何があるのでしょうか?
 
 マハラジ
 それは名前も形も与えることのできないものだ。
 なぜなら、それは何の特質ももたず、意識を超えたものだからだ。
 意識のなかにありながら、意識を超えた点とも言える。
 紙のなかにあるひとつの穴が、紙のなかにありながらしかも紙に属さないよ
 うに、至高の状態は意識の中心そのものでありながら、しかも意識を超越し
 ている。
 それはマインドのなかの開かれた穴から光が氾濫(はんらん)しているよう
 なものだ。
 その開かれた穴は、光とさえ呼ぶこともできない。
 それはただ開かれたるものなのだ。
 
 質問者 その開かれたるものこそ、空、不在なのですね。
 
 マハラジ
 そのとおりだ。
 マインドの観点からすれば、それは気づきの光が精神的空間に入っていくた
 めに開かれたものだ。
 光そのものとしては、個体の、岩石のように濃密な、均質で不変であり、名
 前や形といった精神的パターンから自由な、純粋な気づきの塊(かたまり)
 とでも言うほかないだろう。
 
 質問者 精神的空間と至高なるものの所在には、何らかの関連があるのでし
     ょうか?
 
 マハラジ
 至高なるものがマインドに存在を与える。
 マインドが身体に存在を与えるのだ。
 
 質問者 そしてその彼方には?
 
 マハラジ
 たとえば、長寿の技をマスターし、寿齢千歳を超えた尊ぶべきヨーガの導師
 が、私のもとにその技を教えにきたとしよう。
 私は彼の偉業を讃えて、誠実に敬うだろう。
 だが、私が彼に言えることといえば、「長生きがいったい何になるというの
 か?」ということだけだ。
 私は時を超えて在る。
 どれほど寿命が長くなろうと、それはほんの一瞬の夢にすぎないのだ。
 同じように、私はあらゆる属性をも超越している。
 それらは私のなかで、現れては消えていく。
 しかし、それが私を言い表すことはできない。
 宇宙は特質やそれらの相違を基底とした名前と形であり、私はその彼方に在
 る。
 世界は私が在るゆえに存在する。
 だが、私は世界ではない。
 
 質問者 しかし、あなたは世界のなかに生きているのですよ!
 
 マハラジ
 それはあなたが言っていることだ!
 この身体とマインドを含めた世界の存在は知っている。
 だが、私はそれらを他のマインドや身体以上に「私のもの」とは考えてはい
 ない。
 それらは時間と空間のなかにある。
 だが、私は時間と空間を超えて在るのだ。
 
 質問者 すべてがあなたの光のなかに存在するのなら、あなたは世界の創造
     者ではないのですか?
 
 マハラジ
 私はそのその潜在的可能性でも、実現性でも、現実でもない。
 私の光のなかで、世界は太陽光線のなかを舞うほこりのように現れては去っ
 ていく。
 光はその微少片を照らすだろうが、それに依存することはない。
 またそれを創造もしない。
 それを知っているとさえ言えないのだ。
 
                         『私は在る』(p54-55)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

やっぱり……。(-_-)

> 質問者 あなたはあなたを取り巻く環境をまったく意識していないと言われ
>     ましたが、私たちにとって、あなたは非常に注意深く、活動的に見
>     えます。あなたが記憶の跡を残さない、一種の催眠状態にあるとは
>     信じられません。それどころか、あなたの記憶は非常に優れている
>     ように見えます。あなたにとって世界が存在しないというあなたの
>     主張をどう理解すればいいのでしょうか?

非常にもっともな質問ですね。

> マハラジ
> すべては焦点の問題だ。

はい。

> あなたの焦点は世界に当てられており、私の焦点は実在に当てられている。

わかります。

> 世界は昼間の月のようなものだ。
> 太陽が照れば、月はほとんど目に映らない。

なるほど。

> あるいは、あなたがどのようにものを食べるか見てみなさい。

というと?

> 口のなかに食べ物がある間はそれを意識しているが、ひとたび飲みこんでし
> まえばもはや関心をもたない。

あ、なるほど。

> 消化されるまでマインドにとどめていたら、厄介なことになるだろう。

はは、たしかに。(^^;)

> マインドは普通停止しているべきであり、絶え間ない活動は病的状態なのだ。

なるほどなぁ。(-_-)

> 私が知っているのは、宇宙はひとりでに、それ自体で動いているということ
> だ。

そうなんだぁ。

> それ以外に何をする必要があるだろう?

そのほうが、楽だなぁ。

> 質問者 では、ジニャーニ(賢者)は彼自身が注意を向けたときだけ何をし
>     ているのかを知り、そうでなければ煩(わずら)わされることなく
>     ただ行為するということなのですね。

そういうことなんですか?

> マハラジ
> たいていの人は身体を意識していない。

わかります。

意識していることもあるけど、たいてい意識していませんよね。

> 彼らは感覚や感情や思考を意識しているが、それらでさえ、ひとたび執着を
> 離れれば意識の中心から去り、自発的に、努力なく起こる。

あーあ、なるほど。

> 質問者 それでは、意識の中心には何があるのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> それは名前も形も与えることのできないものだ。
> なぜなら、それは何の特質ももたず、意識を超えたものだからだ。

そうなんだ……。

> 意識のなかにありながら、意識を超えた点とも言える。

ふーん。

> 紙のなかにあるひとつの穴が、紙のなかにありながらしかも紙に属さないよ
> うに、至高の状態は意識の中心そのものでありながら、しかも意識を超越し
> ている。

これ……不思議にイメージのある言葉だなぁ。(-_-)

> それはマインドのなかの開かれた穴から光が氾濫(はんらん)しているよう
> なものだ。

ほー……。

> その開かれた穴は、光とさえ呼ぶこともできない。

え。(?_?)

> それはただ開かれたるものなのだ。

そうなんだ……。

> 質問者 その開かれたるものこそ、空、不在なのですね。

上手い!

> マハラジ
> そのとおりだ。

やっぱり。

> マインドの観点からすれば、それは気づきの光が精神的空間に入っていくた
> めに開かれたものだ。

はい。

> 光そのものとしては、個体の、岩石のように濃密な、均質で不変であり、名
> 前や形といった精神的パターンから自由な、純粋な気づきの塊(かたまり)
> とでも言うほかないだろう。

精一杯、われわれマインドの好奇心に応えようとなさった表現……。

> 質問者 精神的空間と至高なるものの所在には、何らかの関連があるのでし
>     ょうか?

何らかの関連があるのでしょうか?

> マハラジ
> 至高なるものがマインドに存在を与える。

はい。

> マインドが身体に存在を与えるのだ。

ああー……なるほど。

わかったような……(わからないような…… (^_-))。

> 質問者 そしてその彼方には?

とことん……質問してくださって。

> マハラジ
> たとえば、長寿の技をマスターし、寿齢千歳を超えた尊ぶべきヨーガの導師
> が、私のもとにその技を教えにきたとしよう。

あ、はい。(@_@)

> 私は彼の偉業を讃えて、誠実に敬うだろう。

はい。

> だが、私が彼に言えることといえば、「長生きがいったい何になるというの
> か?」ということだけだ。

ぷ。(>_<)

> 私は時を超えて在る。

はい。

> どれほど寿命が長くなろうと、それはほんの一瞬の夢にすぎないのだ。

わかります。

> 同じように、私はあらゆる属性をも超越している。

はい。

> それらは私のなかで、現れては消えていく。
> しかし、それが私を言い表すことはできない。
> 宇宙は特質やそれらの相違を基底とした名前と形であり、私はその彼方に在
> る。

ふーむ。

> 世界は私が在るゆえに存在する。

はい。

> だが、私は世界ではない。

世界の基底であり、世界の背景なのでしょうか……。

> 質問者 しかし、あなたは世界のなかに生きているのですよ!

ふふ……そんなことを言うと……きっと。(^_-)

> マハラジ
> それはあなたが言っていることだ!

ほらー。^^;

> この身体とマインドを含めた世界の存在は知っている。

はい、わかっています。

> だが、私はそれらを他のマインドや身体以上に「私のもの」とは考えてはい
> ない。

なるほど。

そこだけの違いか。(*^_^*) (←何がそこだけだ。(\/U) )

> それらは時間と空間のなかにある。
> だが、私は時間と空間を超えて在るのだ。

うーむ。

迷いなく……こう言えるには……やっぱり、“わたし”がいてはなぁ……。

> 質問者 すべてがあなたの光のなかに存在するのなら、あなたは世界の創造
>     者ではないのですか?

いや……それはちょっと……違うのじゃ……。

> マハラジ
> 私はそのその潜在的可能性でも、実現性でも、現実でもない。

はい。

> 私の光のなかで、世界は太陽光線のなかを舞うほこりのように現れては去っ
> ていく。

理解できます。

> 光はその微少片を照らすだろうが、それに依存することはない。

はい。

> またそれを創造もしない。

わかります。

> それを知っているとさえ言えないのだ。

やっぱり、そうですか。

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
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おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
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        …………○…………○…………○…………


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        …………○…………○…………○…………



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■ 3.編集後記:わりあい……夏が好きです。(*^_^*)
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暑いですね。

というか……いっぱいに開け放して風を通し……そのうえ扇風機を回したら…
…まあ、いいかなって……感じですけど。

カナカナっていうんですか……あのけたたましいような儚いような……鳴き声
の蝉……。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%B7

ああ、ヒグラシっていうのが本名なのか……。

あれがときどき……突然近くで……鳴きはじめるんです。

わりあい……夏が好きです。(*^_^*)

そのへん……意見の違う人も……身近にいるんですが。^^;

今日もわりあい早く終えました。

これぐらいで終わるのが分相応でいいです。

酷暑の候、ご自愛ください。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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