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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.334 2010/8/29(第334号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ
という言葉を信じた、仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 922名
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◇◇ もくじ ◇◇

1,わが現実(=世界)のイメージ

2.写経ニサルガダッタ:
      【92 「私は身体だ」という観念を超えていきなさい】の2回目

3.いただいたお手紙から:suhoさん

4.編集後記:ほかの表現では置き換えられない……まさにギリギリの
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■ 1,わが現実(=世界)のイメージ
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朝方は微かに秋めいてきましたね。

でも……今日もまた暑くなりそうな一日です。

南側のガラス戸をいっぱいに開けていると……ふっと戸外の熱気の気配が……
網戸をとおして入ってきたりします。

ただ……網戸越しにそよ風も入ってきて……とても気持ちはいいんですけどね。

こうして文字を書き出しただけで……もう頭のなかの耳鳴りは……じんじんと
大きくなります。

ふふ……やめておけばいいのかも……。(-_-)

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

頭に浮かぶよしなしごとを……あたかも自分の思いであるかのように……そし
て客観的価値でもあるかのように……思う癖は薄れつつある……かな。

わたしは……という代わりに……われわれは……と言ってみたりしても……そ
んな“われわれ”が……存在するわけでもなし……。

----------------------------------------------------------------------
 果てしない連続性のなかで、感情、思考、行為が脳のなかに痕跡(こんせき)
 を残し、継続性という幻想をつくりながら、見守る者の前を駆け抜けていく。
 マインドのなかで、見守る者の反映が「私」という感覚をつくり出し、個人
 は一見独立したように見える存在を獲得するのだ。
 実際には、個人というものは存在しない。
 ただ見守る者が「私」と「私のもの」に自己同一化するだけだ。
 
                          『私は在る』(p360)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

……。

マハラジの言葉は……われわれの実体はそんなつかの間の「形」と「名前」と
いっしょに滅びていく存在ではない……ということですよね。

そして実際に……われわれは身体ともに消滅する存在ではない……。

ところが……われわれは自分を……そのようにつかの間の消滅を繰り返す存在
なのだと……思いたがる……。

そして……そのつかの間の現れのなかで……欲望と恐怖に突き動かされて……
不幸と幸福を掴みたがる……。

つかの間のこの身体を延命させるべく……なんとか賢く立ち回りたがる……。

それもこれも……この身体が自分だと思っているから……。

この有機体と……そこに浮遊する思いに……自己同一化しているから……。

しかしやがて……その見込みのない不毛な努力に……ほとほと疲れ果てる。

そして……いったいなぜこんなバカげた世界が始まってしまったのか……など
と泣き言を言いはじめる……。

するとどこからか覚者が現れて……あなたが求めているものは……外側の世界
をいくら探し回っても……そこには見つからない……と教えてくれる。

もともと……あなたが見ている外側の世界というのは……あなたの個人的な…
…欲望と恐怖の投影でしかないのだから……と。

いや……そんなはずはない……これほど確固とした世界が……他者によっても
確認されている世界が……わたしの個人的投影などではありえない。

われわれも……アジニャーニの尊厳を賭けて……そう言わざるをえない。

するとジニャーニは微笑みを浮かべ……こう言うかもしれない。

たとえあなたが見る世界と……あなたの言う他者が見る世界に共通部分があっ
たとしても……あなたはその世界の無視できるほどの微少部分でしかない。

その微少部分のあなたが……世界を自分の望むように左右しようとしても……
それは無理というものだろう。

それはちょうど……サッカー・ワールドカップの全出場チームが……その優勝
の夢を叶えるようなものだから。

いやそれどころか……全出場選手が……最優秀プレーヤーの栄誉を獲得するよ
うなことだから……と。

そして……ジニャーニは……さらに意味深くこう付け足すかもしれない。

そのあなたの願いは……じつはあなたが願う以前から叶えられている。

事実は……現状で……あなたはすでに思いつけるかぎりの存在なのだ、と。

なぜなら……すべてはあなたが在るがゆえに現れており……存在するものはす
べて……あなたのものなのだから。

だが……あなたは……それを望まない……それを受け取ろうとはしない。

> あなたはほかのことにもっと興味がある。(p475)

そしてどこまでも……現象世界のなかの無視できるほどの微少部分に“成る”
ことに執着する。

あなたがそうすることに……反対するものは誰もいないだろう。

もともと宇宙は……あなたの欲望を満たすために現れているのだから。

あなたはそこで……好きなだけ自分の夢を紡ぎつづけることができる。

最悪の惨めさから……あらゆる惨めさのバリエーションを味わいながら……な
おも最優秀プレーヤーの栄誉を願いつづけることができる。

あなたのその欲望を……邪魔できる者はいない……。

なにしろあなたがそのことに興味を持ち……それを願っているのだから。

> そしてあなたはその興味と闘うことはできないのだ。(p475)

----------------------------------------------------------------------
 あなたはそれとともに行き、それを見抜き、それが単に判断と賞賛の誤りで
 あることを、それ自体が自ら暴くのを見守らなければならないのだ。
 
                          『私は在る』(p475)
----------------------------------------------------------------------

……。(-||-)

価値観はたしかに……崩壊しつつあるようです。

わたしが“自分”と見なしているものの……構成要素とは何か……。

----------------------------------------------------------------------
 あなたはあなたが反応することだけを知っている。
 誰が何に反応するかを知ってはいない。
 あなたは、「私は在る」に接触することであなたの存在を知るのだ。
 「私はこれだ」「私はあれだ」は想像なのだ。
                        『私は在る』(p353-354)
----------------------------------------------------------------------

これは否定しようのない事実です……。(-_-)

わたしは“自分”が反応し記憶にとどめた材料で……絶えず“自分”を再構成
しているわけでしょう……。

では……わたしが反応する「現実」とは……いったい何でしょうか……。

わたしがいま対応している現実全体を……たとえば、次のように図式化してみ
たとします……。


┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃                              ┃
┃            現実(=世界)           ┃
┃                              ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛


われわれの通常の「現実」は……しかし……「目覚め」の状態にのみ関係する
ことも……確かです。

この他に……眠っている状態のなかに「夢見」の状態と「深い眠り」の状態が
あると言われれば……それは容易に理解できることです。

----------------------------------------------------------------------
 真我以外に存在するものはない。
 すべてはひとつであり、すべては「私は在る」のなかに含まれる。
 目覚めと夢見の状態において、それは個人だ。
 深い眠りとトゥリーヤ(第四の状態)のなかで、それは真我だ。
 
                           『私は在る』(p87)
----------------------------------------------------------------------

ふーん……。(=_=)

ではまず……われわれアジニャーニが体験する状態の全体を図式化してみると
……こんな感じでしょうか。


┏━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━┯━━━━━━━━━━┓
┃           ┃          │          ┃
┃  現実(目覚め)  ┃    夢見    │   深い眠り   ┃
┃           ┃          │          ┃
┗━━━━━━━━━━━┻━━━━━━━━━━┷━━━━━━━━━━┛


この図式の「現実(目覚め)」のなかでは物理身体をともなう「個人」が活動
していて……「夢見」のなかでは精神状態の「個人」が活動している、と。

しかし「深い眠り」のなかでは……「個人」はもちろん……意識自体が活動し
ていないようです。

「意識」状態ではない。

つまり「深い眠り」は……「無意識」ということでしょう。

ひるがえって、「現実(目覚め)」と「夢見」の二つの状態は、「意識」状態
と言えそうです。

しかし、覚者によるとこの三つのすべてに「気づき」が浸透しています。

「気づき」がなければ……この「目覚め」「夢見」「深い眠り」の三つは存在
しえない……と。

われわれアジニャーニは「意識」内容(=現象)を自分だと思っているので…
…「深い眠り」では“自分がいない”……ということになります。

でも、ジニャーニの場合は、「深い眠り」のなかでも自分は“気づいている”
という言い方をするようです。

つまり……「私は在る」という感覚のことでしょうか……。

> すべてはひとつであり、すべては「私は在る」のなかに含まれる。

先の図式の“背景”には……じつはこの“気づいている”という感覚がある…
…というわけです。

図式のなかでそれを明示化すると……。


┏━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━┯━━━━━━━━━━┓
┃           ┃          │          ┃
┃  現実(目覚め)  ┃    夢見    │   深い眠り   ┃
┃           ┃          │          ┃
┣━━━━━━━━━━━┸──────────┴ ─ ─ ─ ─ ─┨
┃                                 ┃
┃           トゥリーヤ(第四の状態)          ┃
┃                                 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛


こんな感じでしょうか。

さらにマハラジの言葉を聴くと……。

----------------------------------------------------------------------
 真我以外に存在するものはない。
 すべてはひとつであり、すべては「私は在る」のなかに含まれる。
 目覚めと夢見の状態において、それは個人だ。
 深い眠りとトゥリーヤ(第四の状態)のなかで、それは真我だ。
 トゥリーヤの醒(さ)めた忘我の彼方に、至高の大いなる静寂の平和がある。
 だが、本質的にはすべてはひとつであり、現れと関わりをもっている。
 無知のなかで「見る者」は「見られるもの」となり、智慧(ちえ)のなかで
 は「見ること」になる。
                         『私は在る』(p86-87)
----------------------------------------------------------------------

なるほど……。(-_-)

> トゥリーヤの醒(さ)めた忘我の彼方に、至高の大いなる静寂の平和がある。

「トゥリーヤ(第四の状態)」とは……「醒めた忘我」ということらしいです。


┏━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━┯━━━━━━━━━━┓
┃           ┃          │          ┃
┃  現実(目覚め)  ┃    夢見    │   深い眠り   ┃
┃           ┃          │          ┃
┣━━━━━━━━━━━┸──────────┴ ─ ─ ─ ─ ─┨
┃                                 ┃
┃               醒めた忘我              ┃
┃                                 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛


そして……、

> 無知のなかで「見る者」は「見られるもの」となり、智慧(ちえ)のなかで
> は「見ること」になる。

ということのようです……。

「無知」のなかでは「見る者」は「見られるもの」となる……。

言葉を換えると……「無知」のなかでは「見る者」は“現実(目覚めの世界)”
に取りこまれる……ということでしょうか。

そして、

> 智慧のなかでは「見ること」になる。

智慧のなかでは……「醒めた忘我」としてとどまる……と。

ここでちょっと……マハルシのイメージも聴いてみましょう。

----------------------------------------------------------------------
 壺の中に映像はない。
 その中の水に映像は映しだされる。
 
 ガラスは対象物を反映できない。
 ただガラス板が
 不透明な裏地をつけることによってのみ
 対象物を反映することができる。
 
 同じように、純粋意識は対象物を含むことも、
 映し出すこともない。
 ただ心という限られた鏡面においてのみ世界を映し出す。
 
                          『静寂の瞬間』(p64)
                       http://tinyurl.com/m2wjhu
----------------------------------------------------------------------

このイメージから言うと……“意識の対象物”というのは“ただ心という限ら
れた鏡面”でのみ顕現できるものみたいですね。

「鏡」のなかの“ガラス”と“鏡面”です。

そして「醒めた忘我」である「トゥリーヤ」が“ガラス”に当たり……絶えざ
る変化である現象世界は……ただ“鏡面”でのみ顕現している……と。(=_=)

そのヴォリューム感を少し図式のなかで表現するなら、


┏━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━┯━━━━━━━━━━┓
┃  現実(目覚め)  ┃    夢見    │   深い眠り   ┃
┣━━━━━━━━━━━┸──────────┴ ─ ─ ─ ─ ─┨
┃                                 ┃
┃                                 ┃
┃                                 ┃
┃                                 ┃
┃               醒めた忘我              ┃
┃                                 ┃
┃                                 ┃
┃                                 ┃
┃                                 ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛


こんな感じでしょうか……。

なーるほど……。(=_=)

われわれが“現実”と言っているものは……この左上隅の“鏡面”で起こって
いる世界のことなんですねぇ……。

その“鏡面”で起こっていることのなかの……記憶で造った“自分”が反応し
ていることだけを材料に……“自分の世界”を構成しているんですねぇ。

新宿三越のジュンク堂の棚に置かれた何十万冊もの本のなかから……たまたま
手にした数冊の本で……自分の頭を満たすように……。

わが現実(=世界)とは……その程度のものなんですねぇ。

(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:
      【92 「私は身体だ」という観念を超えていきなさい】の2回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

このあたりは……いわゆるスクールとかアシュラムなどといわれる存在とその
働きに関連する……マハラジの言葉です。

辛口とも言えるでしょうが……とても納得のいく言葉でもあります。

最初の部分の……真我の実現にいたる過程を表現したトラの話は……素晴らし
いですね。

(-||-)

では、【92 「私は身体だ」という観念を超えていきなさい】の2回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 明らかに、私は遍在するものでも、永遠なるものでもありません。
     私はいまここにいるだけです。
 
 マハラジ
 充分だ。
 「ここ」はいたるところにあり、「今」はつねにあるのだ。
 「私は身体だ」という観念を超えていきなさい。
 そうすれば、あなたは時間と空間があなたのなかにあり、あなたが時間と空
 間のなかに在るのではないことを見いだすだろう。
 ひとたびあなたがこれを理解すれば、真我の実現のための主要な障害は取り
 除かれるのだ。
 
 質問者 理解を超えた真我の実現とは何でしょうか?
 
 マハラジ
 深い密林にたくさんのトラがいる。
 そして、あなたは丈夫な鉄の檻のなかにいると想像してみなさい。
 檻によって無事に守られていることを知っているため、あなたはトラたちを
 恐れなく見ている。
 つぎに、檻のなかにトラたちがいて、あなたはジャングルのなかをうろつき
 まわっている。
 最後に、檻は消え、あなたはトラに乗っているのだ!
 
 質問者 私は最近、ボンベイで行われた瞑想セッションのひとつに参加しま
     した。そこで私は参加者が自暴自棄になり、精神錯乱しているのを
     目にしたのです。なぜ人びとはそのようなことをしに行くのでしょ
     うか?
 
 マハラジ
 それらはみな、感覚的刺激を探求する人びとを満足させるために落ち着きの
 ないマインドが発案したものだ。
 それらのいくつかは、抑圧された願望や記憶を吐きだすことで無意識の助け
 となる。
 そしてその程度の解放を与えるのだ。
 しかし、最終的には、彼は何も変わらないままか、あるいはさらに悪くなる
 ことさえあるのだ。
 
 質問者 最近、私はあるヨーギの瞑想体験について書かれた本を読みました。
     それは幻想や幻聴、色彩や音楽であふれ、たいへん人目を引く内容
     でした。もっとも華麗な娯楽です! 最後には、それらはすべて消
     え去り、ただ恐れのない感覚だけが残ったのです。無理もありませ
     ん。それらすべての体験を無傷で通り抜けてきた人には、何も恐れ
     るものなどないのです! それでも、そのような本が私にとってい
     ったい何の役に立つというのでしょうか?
 
 マハラジ
 おそらく、何の役にも立たないだろう、それはあなたの興味を引かなかった
 のだから。
 ほかの人は感動させられたかもしれない。
 人は異なるのだ。
 だが、誰もが自己の存在という事実に直面させられる。
 「私は在る」は究極の事実だ。
 「私は誰か?」はすべての人が答えを見いださなければならない究極の質問
 なのだ。
 
 質問者 同じ答えでしょうか?
 
 マハラジ
 本質においては同じだ。
 表現は多様だ。
 
 それぞれの探求者は自分に合う方法を受け入れ、あるいは発明し、誠実さと
 努力とともにそれを自分に適用する。
 彼は彼の気性や期待にしたがって結果を得、それを言葉の鋳型に鋳込め、シ
 ステムを築きあげ、伝統を設立し、他者を彼のヨーガの学校に入会させるの
 だ。
 それはすべて記憶と想像の上に築きあげられたものだ。
 そのような学校は、無価値でもなければ必要不可欠でもない。
 より以上の進歩を可能にするために、進歩へのすべての欲望が放棄される地
 点まで進歩することができる。
 そうなれば、すべての学校は放棄され、すべての努力は終わり、孤独と暗闇
 のなかで無知と恐れを永遠に終焉(しゅうえん)させる最後の一歩が踏まれ
 るのだ。
 
 真の師は弟子を既成の観念、感情、行為に押し込めようとはしない。
 その反対に、師はすべての観念や組み込まれた行動様式から自由になる必要
 性を忍耐強く示すのだ。
 注意を怠らず、誠実であり、どこであれ人生が彼を連れていくままにしたが
 い、楽しみも苦しみもせず、ただ理解し、学んでいくように。
 
 正しい師のもとでは、弟子は記憶し服従することではなく、学ぶことを学ん
 でいく。
 サットサン、すなわち聖者との交際は鋳型にはめるのではなく、解放するの
 だ。
 あなたを依存させるすべてに気をつけなさい。
 いわゆる「師への明け渡し」はほとんどの場合、悲劇でなければ、良くても
 失望に終わる。
 幸運にも、誠実な探求者は体験からより賢明になって、巻きこまれる前に自
 分を危険から救うのだ。
 
 質問者 明け渡しには確かに価値があります。
 
 マハラジ
 明け渡しとは利己的関心事を明け渡すことだ。
 それはできるわけがない。
 あなたがあなたの真の本性を実現するとき、それは起こるのだ。
 言葉の上の明け渡しは、たとえ感情をともなっていても、緊張下では失意の
 うちに終わってしまう。
 最善の場合でも、それは熱望を表すが、実際的事実ではない。
 
                        『私は在る』(p495-497)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 明らかに、私は遍在するものでも、永遠なるものでもありません。
>     私はいまここにいるだけです。

ふ。(^^)

> マハラジ
> 充分だ。

おう。

> 「ここ」はいたるところにあり、「今」はつねにあるのだ。

たしかに。

> 「私は身体だ」という観念を超えていきなさい。

(-||-)

> そうすれば、あなたは時間と空間があなたのなかにあり、あなたが時間と空
> 間のなかに在るのではないことを見いだすだろう。

はい。

> ひとたびあなたがこれを理解すれば、真我の実現のための主要な障害は取り
> 除かれるのだ。

わかりました。

> 質問者 理解を超えた真我の実現とは何でしょうか?

これは前回の写経部分の最後、

「証拠の妥当性について決定するのはあなたの理解なのだ。
 だがあなた自身の存在以上にどのような確実な証拠が必要だというのかね?」

というマハラジの表現に対応した言葉でしょうか。

この質問が、次のとても素晴らしい言葉をマハラジから引き出します。

> マハラジ
> 深い密林にたくさんのトラがいる。
> そして、あなたは丈夫な鉄の檻のなかにいると想像してみなさい。

はい。

> 檻によって無事に守られていることを知っているため、あなたはトラたちを
> 恐れなく見ている。

わかります。

> つぎに、檻のなかにトラたちがいて、あなたはジャングルのなかをうろつき
> まわっている。

はい。

> 最後に、檻は消え、あなたはトラに乗っているのだ!

おお……。

(-||-)

> 質問者 私は最近、ボンベイで行われた瞑想セッションのひとつに参加しま
>     した。そこで私は参加者が自暴自棄になり、精神錯乱しているのを
>     目にしたのです。なぜ人びとはそのようなことをしに行くのでしょ
>     うか?

(^^;)

> マハラジ
> それらはみな、感覚的刺激を探求する人びとを満足させるために落ち着きの
> ないマインドが発案したものだ。

なるほど……。

> それらのいくつかは、抑圧された願望や記憶を吐きだすことで無意識の助け
> となる。

はい。

> そしてその程度の解放を与えるのだ。

わかります。

> しかし、最終的には、彼は何も変わらないままか、あるいはさらに悪くなる
> ことさえあるのだ。

(*-_-*)

> 質問者 最近、私はあるヨーギの瞑想体験について書かれた本を読みました。
>     それは幻想や幻聴、色彩や音楽であふれ、たいへん人目を引く内容
>     でした。もっとも華麗な娯楽です! 最後には、それらはすべて消
>     え去り、ただ恐れのない感覚だけが残ったのです。無理もありませ
>     ん。それらすべての体験を無傷で通り抜けてきた人には、何も恐れ
>     るものなどないのです! それでも、そのような本が私にとってい
>     ったい何の役に立つというのでしょうか?

ふ。

> マハラジ
> おそらく、何の役にも立たないだろう、それはあなたの興味を引かなかった
> のだから。

ですよね。

> ほかの人は感動させられたかもしれない。

はい。

> 人は異なるのだ。

わかります。

> だが、誰もが自己の存在という事実に直面させられる。

(-_-;)

> 「私は在る」は究極の事実だ。
> 「私は誰か?」はすべての人が答えを見いださなければならない究極の質問
> なのだ。

はい。

> 質問者 同じ答えでしょうか?
> 
> マハラジ
> 本質においては同じだ。
> 表現は多様だ。

わかりました。

> それぞれの探求者は自分に合う方法を受け入れ、あるいは発明し、誠実さと
> 努力とともにそれを自分に適用する。

そうか……。(-_-)

> 彼は彼の気性や期待にしたがって結果を得、それを言葉の鋳型に鋳込め、シ
> ステムを築きあげ、伝統を設立し、他者を彼のヨーガの学校に入会させるの
> だ。

なるほど。

> それはすべて記憶と想像の上に築きあげられたものだ。

キビシイ……。

> そのような学校は、無価値でもなければ必要不可欠でもない。

不思議な言い方……。^^;

> より以上の進歩を可能にするために、進歩へのすべての欲望が放棄される地
> 点まで進歩することができる。

そういうことだなぁ……。(-_-)

なんという……的確な表現……。

> そうなれば、すべての学校は放棄され、すべての努力は終わり、孤独と暗闇
> のなかで無知と恐れを永遠に終焉(しゅうえん)させる最後の一歩が踏まれ
> るのだ。

……。(-_-)

> 真の師は弟子を既成の観念、感情、行為に押し込めようとはしない。

はい。

> その反対に、師はすべての観念や組み込まれた行動様式から自由になる必要
> 性を忍耐強く示すのだ。

(-||-)

> 注意を怠らず、誠実であり、どこであれ人生が彼を連れていくままにしたが
> い、楽しみも苦しみもせず、ただ理解し、学んでいくように。

ああ……。

> 正しい師のもとでは、弟子は記憶し服従することではなく、学ぶことを学ん
> でいく。

はい。

> サットサン、すなわち聖者との交際は鋳型にはめるのではなく、解放するの
> だ。
> あなたを依存させるすべてに気をつけなさい。

わかりました。

> いわゆる「師への明け渡し」はほとんどの場合、悲劇でなければ、良くても
> 失望に終わる。

わかります。

> 幸運にも、誠実な探求者は体験からより賢明になって、巻きこまれる前に自
> 分を危険から救うのだ。

たしかに。

> 質問者 明け渡しには確かに価値があります。
> 
> マハラジ
> 明け渡しとは利己的関心事を明け渡すことだ。
> それはできるわけがない。

やっぱり……。(-_-;)

> あなたがあなたの真の本性を実現するとき、それは起こるのだ。

はい。

> 言葉の上の明け渡しは、たとえ感情をともなっていても、緊張下では失意の
> うちに終わってしまう。

(-_-)

> 最善の場合でも、それは熱望を表すが、実際的事実ではない。

わかりました……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
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■ 3.いただいたお手紙から:suhoさん
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前回ご投稿いただいた suho さんから、前回の内容に関連して再度ご投稿があ
りましたので、ご紹介します。

【件名】: 
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 pariさんこんにちは。
 僕(笑)の投稿に詳しくレスいただき、ありがとうございます。
 読んでいて、1点気になったところがありましたので、
 また投稿させていただきます。
 
 pariさんのレスの中で、
 下記のくだりがありました。
 
 >suhoさんの意図する……意味にもよりますが……。
 >もし、“実際にマインドに生じている運動のみをトレースする”
 >ということが、“見守る者”としてとどまることを意味するなら、
 >「マインドの動きを直視する」のと……、
 >「マインドの動きを無視する」(=「私は在る」に集中する)
 >ことの難しさは……同程度かもしれない……と感じます。
 >マインドの動きを“追跡しつづける”ためにも……。
 >これではない……これではないと……“排除しつづける”ためにも……。
 >想念に巻き込まれないための……想念に対する距離と支配力は……
 >同じ程度に必要でしょうから……。
 
 追跡し続けるためにも、排除し続けるためにも、
 想念に対する距離と支配力は必要とのことですが、
 さて、これは事実でしょうか?
 これまでのマインドの運動の体験・記憶からくる
 「想念」ではないでしょうか?
 
 このように表現できるということは、当然頭の中で
 イメージとして、感覚として「対象化」されているものだと思います。
 つまり「記憶」です。
 この「記憶」を前提にしてしまうと(同一化してしまうと)、
 それこそマハラジの言う「幻想」に巻き込まれている状態、
 ということにならないでしょうか?
 
 「そう簡単なことではない」
 「そう簡単に悟れれば修行など必要ない」
 「そんな簡単なことであれば、ブッダもマハルシもマハラジも
  あんなに精力的に真我を説法し続けただろうか?」
 
 このような「想念」には確かに巻き込まれやすいですね。
 真理を語り、真理を追究された歴史の重み。
 唯一信じられる言葉。。
 月ではないけれど「月を指し示す指」ではある。。
 いろいろな理由はあると思いますが。。
 
 「追跡し続ける必要」
 「排除し続ける必要」
 「それにはエネルギーが必要」
 
 この「マインドの声(記憶。想念)」をただ聞く。
 これには何も新たに必要とするエネルギーなどいりません。
 既にそれそのものとして、対象として、幻想として
 生じている、感じているがために表現できるわけですから。
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ご投稿、ありがとうございました。

そうですねぇ……。

読ませていただいて思ったのですが、suho さんが自分にはどうしてもそう思わ
れるということでしたら……それはもうそういうことだと思います。^^;

ひとはそれぞれ違いますから……。

どういう思いかたが正しい……というものでもないでしょうし。

わたしには……それ以上特に申し上げるとことは何もありません。

前回お答えしたのはただ……suhoさんの“思考のトレース”という言葉の意味
を、仏陀のヴィパサナのようなものと理解して、感想をお伝えしただけです。

けっして……何らかの説得をしようとしたわけではありません。

もともと……ひとさまに教えるほどの実力も体験もありませんし。^^;

そうですよね……同じマハラジの言葉を聴いても……ひとそれぞれに……感じ
るところも……感じ方も違うものですよね。

すみません。

わたしは議論ができなくて……。^^;

suhoさんが、ご自分が信じる最短・最楽な道で精進なさることを祈念します。

ご投稿ありがとうございました。

m(_ _)m


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■ 4.編集後記:ほかの表現では置き換えられない……まさにギリギリの
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マハラジの言葉に、

> 世界は無数の輪(リング)でできている。
> それに引っかける鉤(フック)はみなあなたのものだ。
> あなたの鉤をまっすぐにしなさい。(p260)

というのがありました。

> そうすれば何もあなたを捕らえることはできないだろう。

と……。

遅々として理解の進まないマインドですが……この頃つくづく……マハラジの
言葉というのはそのとおりの意味なのだな……と思うことがあります。

ほかの表現では置き換えられない……まさにそのものズバリの表現です。

だって、なんて見事なんでしょう……。(-_-)

> 世界は無数の輪(リング)でできている。
> それに引っかける鉤(フック)はみなあなたのものだ。

……なんて。(>_<)

> あなたの耽溺を放棄しなさい。
> ほかに何も放棄するものはない。
> 常習的な利欲心、結果を探し求める習慣を止めなさい。

こんなことを……言うかなぁ……。(-_-;)

> そうすれば自由の世界はあなたのものだ。(p260)

(-||-)

いま外では虫が鳴いています。

それでは、おやすみなさい。


<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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