━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆ 『アセンション館通信』vol.335 2010/9/5(第335号)
☆☆ ☆ ☆☆
☆☆ ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))
マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ
という言葉を信じた、仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;
内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 922名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.どこからも救いは来ない
2.写経ニサルガダッタ:
【92 「私は身体だ」という観念を超えていきなさい】の3回目
3.「ご投稿・情報提供」:パールさん
4.編集後記:望むべきことなど……何もないようでもあります
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■ 1.どこからも救いは来ない
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相変わらず暑い日が続きますね。
でも山里に住んでいるおかげで、それなりに涼しい風が入ってきます。
ありがたいことです。
まあ、わたしは関係ないのでしょうが……身体は楽な方が楽だから。(^_-)
(↑なんのこっちゃ。(\/U))
おおー……涼しい風が入ってきた……。
気持ちがいい……。
(*^_^*)
というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/
みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?
よくパッと開いたページを読むのですが……最近こんな言葉に出会いました。
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マハラジ
……。
なぜ観念をもてあそぶのかね?
あなたが確信していることに満足するがいい。
そして、あなたが確信をもてるたったひとつのことは、「私は在る」だ。
それとともに在りなさい。
そしてほかのすべてを拒絶しなさい。
これがヨーガだ。
質問者 私が拒絶できるのは言葉の上だけです。私にできることといえば、
一定の決まり文句を繰り返すことぐらいです。「これは私ではない。
これは私のものではない。私はこれらすべてを超えたものだ」と。
マハラジ
充分だ。
はじめは言葉で、それからマインドで、そして感情で、それから行為で。
あなたの内なる実在に注意を払いなさい。
そうすれば光に行き着くだろう。
それはバターをつくるためにクリームをかきまわすようなものだ。
正確に、誠実にやりなさい。
そうすれば、結果はかならずやってくる。
『私は在る』(p172-173)
http://tinyurl.com/s747u
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うーむ……。(-_-)
> 質問者 私が拒絶できるのは言葉の上だけです。私にできることといえば、
> 一定の決まり文句を繰り返すことぐらいです。「これは私ではない。
> これは私のものではない。私はこれらすべてを超えたものだ」と。
これは……まさに……。(*-_-*)
ところが……それに対して……マハラジからどんな言葉が返ってきたか。
> 充分だ。
お。(@_@)
> はじめは言葉で、それからマインドで、そして感情で、それから行為で。
そ、そうか……。
「はじめは言葉で、それからマインドで、そして感情で、それから行為で」
> あなたの内なる実在に注意を払いなさい。
ふーむ。
> そうすれば光に行き着くだろう。
そうか……。
「はじめは言葉で、それからマインドで、そして感情で、それから行為で。
あなたの内なる実在に注意を払いなさい」……。
(-_-)
いま“自分”は……どのあたりで内なる実在に注意を払っているだろうか。
マインドから感情に移る……途中あたりかなぁ……。
たとえ“わたし”が……どのあたりのプロセスに関わっていようと……。
マインドの一端を「私は在る」に固定しようとすれば……かならず……何かに
救いを求めたくなることがある。
マインドとしては……死活に関わる問題だから……。
むろん……マインドを救ってくれるのは……マインドを元気にしてくれる何か
であることは……間違いない。
つまりは……マインドを“解放してくれるもの”……あるいは“混乱させてく
れるもの”……とでもいうか……。
その場合……もしわたしが……自分はこの身体だ、このマインドだ……と主張
するのなら……救いはありうるわけでしょう。
現象世界での在り方のなかに……目的を見つけたり……生き甲斐を見つけたり
……すればいいわけですから……。
しかし……もうどうしても……そう言うことに魅力を感じられない……となっ
たら……どうなるか……。
もしわたしが……自分は身体ではない……マインドではない……と主張しよう
とするのなら……その場合はどうか……。
どう考えても……わたしには……どこからも救いは来ない……はずです。
マハラジなら言うかもしれません。
あなたには、どこからも救いは来ない。
なぜなら、あなたに救いは必要ないからだ。
そしてまた、誰もあなたを救うことはできない。
なぜなら、あなたのほかには誰も実在してはいないからだ。
すべての現れは……あなたが見ている夢なのだ……。
と。
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あなたはたった今でさえ、完全に自由だ。
あなたが運命(カルマ)と呼ぶものは、あなた自身の生きようとする意志の
結果なのだ。
『私は在る』(p139)
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現象世界のなかの誰も……自分を救うことはできない……と知るのは……やは
り……救いです。
どこからも……救いは来ない……。
現れる救いも……現れる地獄も……すべては夢なのですから……。
わたしは自ら耽溺している……現在の在り方に……耐えなければならない。
自ら……その現れの形に……耽溺しているのですから。
(-_-)
……。
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:
【92 「私は身体だ」という観念を超えていきなさい】の3回目
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自分が見ている世界が「あるがままのもの」ではないということ……。
> ただあなたが見ているものはあるがままのものではないということを理解し
> なさい。
そのリアリティがじょじょに伝わりつつあります。
となると……なんとなく……、
> あなたが見ているものは、ほかでもないあなたの自己なのだ。
という言葉が……実感を帯びてくるようでもあります。
(-||-)
では、【92 「私は身体だ」という観念を超えていきなさい】の3回目です。
(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
願っています。(-||-) )
最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。
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質問者 『リグ・ヴェーダ』* のなかではアディ・ヨーガ、原初のヨーガに
ついて言及されています。私が理解するには、それは智慧(ちえ)
と生命をひとつに結びつけることを意味するプラジニャーとプラー
ナの結婚から成るものです。あなたなら、それはまたダルマとカル
マ、公正さと行為の統合をも意味すると言われるでしょうか?
* 訳注 『リグ・ヴェーダ』 Rig Veda ヒンドゥ教のなかで最古、最高、
そしてもっとも神聖なる聖典として知られ、また世界においても
最古の宗教書。ヴェーダの神々への賛歌。
マハラジ
もし公正さが自己の真の本性との調和を意味し、非利己的な無欲の行為を意
味するのであればそのとおりだ。
アディ・ヨーガにおいては人生そのものがグルであり、マインドが弟子なの
だ。
マインドは人生に仕え、それを支配したりしない。
人生は自然に努力なしに流れ、マインドは流れをすみやかにするために障害
物を取り除くのだ。
質問者 人生はその本性からいって反復的なものではないでしょうか? 人
生にしたがっていくことは沈滞に導くのではありませんか?
マハラジ
それ自体では、人生は途方もなく創造的なものだ。
一粒の種子がやがて森林となる。
マインドは森林官のように、存在の膨大な生命力の衝動を保護し調整してい
るのだ。
質問者 マインドによる生命への奉仕という見方をすれば、アディ・ヨーガ
は完全な民主主義です。誰もが彼の最善の能力と知識で人生を生き
ることに従事し、誰もが同じグルの弟子なのです。
マハラジ
あなたの言うとおりかもしれない。
可能性としては、おそらくそうだろう。
だが、人生が熱望と熱心さをともなって愛され信頼されるまでは、意識のな
かの動き、行為のなかの気づきであるヨーガについて語ることは夢想的なも
のでしかない。
質問者 あるとき、私は岩の合間を流れる渓流を眺めていました。それぞれ
の岩で、岩の大きさと形にしたがって流れの動きは異なっていまし
た。個人とは皆、単に体の上を流れる動きであり、同時に生命はひ
とつであり永遠なのではありませんか?
マハラジ
流れの動きと水は別々のものではない。
流れの妨害があなたに水の存在を気づかせたのだ。
意識はつねに運動と変化のなかにある。
不変の意識といったものはありえない。
不変なるものは即座に意識をぬぐい去るだろう。
内面、あるいは外面の感覚を奪われた人は意識を失い、あるいは意識と無意
識を越えて不老不死の状態のなかへと入っていくだろう。
霊魂と物質がであったときにだけ意識は生まれるのだ。
質問者 それらはひとつでしょうか、二つでしょうか?
マハラジ
それはあなたが使う言葉によって、ひとつ、二つ、あるいは三つなのだ。
調べていくことで三つは二つとなり、二つはひとつとなる。
顔と鏡とイメージという直喩で見てみなさい。
どの二つをとってみても、その二つを結びつける第三の存在が前提にある。
あなたが二つはひとつだと悟るまでは、サーダナ(修練)によって三つを二
つとして見るのだ。
あなたが世界に没頭しているかぎり、あなた自身を知ることは不可能だ。
あなた自身を知るためには、世界から注意を引き離し、内面へと向けなさい。
質問者 私には世界を破壊することはできません。
マハラジ
その必要はない。
ただあなたが見ているものはあるがままのものではないということを理解し
なさい。
現れは調べることによって消え去り、根元的な実在が表層に現れるだろう。
逃げだすために家を燃やす必要はない。
あなたはただ歩いて外に出るだけだ。
家が牢獄となるのは、あなたが自由に行き来できなくなったときだけだ。
私は意識から自由に自然に出たり入ったりすることができる。
そしてそれゆえ、世界はわが家であって牢獄ではないのだ。
質問者 しかし究極的に、世界は存在するのでしょうか、しないのでしょう
か?
マハラジ
あなたが見ているものは、ほかでもないあなたの自己なのだ。
あなたの好きなようにそれを呼ぶがいい。
それが事実を変えることはない。
運命(プラーラブダ)のフィルムを通して、あなた自身の光がスクリーン上
に絵を描いていく。
あなたはそれを鑑賞する人であり、光であり、絵であり、スクリーンでもあ
るのだ。
運命のフィルムさえも自ら選択され、自らに課されたものだ。
その精神は障害を乗り越えることを楽しむひとつの競技だ。
その努めが困難なほど、真我の実現はより深く広いものとなるのだ。
『私は在る』(p497-498)
http://tinyurl.com/s747u
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(-||-)
> 質問者 『リグ・ヴェーダ』* のなかではアディ・ヨーガ、原初のヨーガに
> ついて言及されています。私が理解するには、それは智慧(ちえ)
> と生命をひとつに結びつけることを意味するプラジニャーとプラー
> ナの結婚から成るものです。あなたなら、それはまたダルマとカル
> マ、公正さと行為の統合をも意味すると言われるでしょうか?
ふーん……なんか哲学的な議論ですね……。
「ダルマ」が「公正さ」を意味し、「カルマ」が「行為」を意味するらしい。
> マハラジ
> もし公正さが自己の真の本性との調和を意味し、非利己的な無欲の行為を意
> 味するのであればそのとおりだ。
なるほど。
> アディ・ヨーガにおいては人生そのものがグルであり、マインドが弟子なの
> だ。
(英語原典にもある)巻末の「用語解説」によると、「アディ・ヨーガ」とは
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アディ・ヨーガ Adhi-Yoga
至高のヨーガ。(adhi 超越した、至高の+yoga ヨーガ)
『私は在る』(p577)
----------------------------------------------------------------------
の意味らしいです。
「至高のヨーガ」においては「人生そのものがグルであり、マインドが弟子」
なんですね。
なるほど……それが「リーラ」の真意でもあるわけか……。
> マインドは人生に仕え、それを支配したりしない。
それがマインドの定位置……あるべき姿……。
> 人生は自然に努力なしに流れ、マインドは流れをすみやかにするために障害
> 物を取り除くのだ。
以前なら……そもそもなぜそんな「人生」などというものがあるのか、と詰問
することもできたのだけれど……。(*-_-*)
“自分”が感覚的体験に興味をもって……“感覚的存在”として“在る”……
という幻想に耽溺していることを“知っている”今となっては……。
「質問者 いったいなぜ人は現れるのでしょうか?
マハラジ
在ること、そして意識して在ることは良いことだ。
質問者 人生は悲しいものです。
マハラジ
無知が悲しみをもたらす。
幸福は理解にともなって起こるのだ。(p548)」
こう言えるようになるまで進むしか……ほかに道はない……。
> 質問者 人生はその本性からいって反復的なものではないでしょうか? 人
> 生にしたがっていくことは沈滞に導くのではありませんか?
沈滞しようがしまいが……そんなことはどうでもいいけど……。
> マハラジ
> それ自体では、人生は途方もなく創造的なものだ。
もともとマインドとは……「途方もなく創造的なもの」……。
> 一粒の種子がやがて森林となる。
> マインドは森林官のように、存在の膨大な生命力の衝動を保護し調整してい
> るのだ。
そうなのか……。
それがマインドの本性……マインドの役割なんだ……。
「森林官のように、存在の膨大な生命力の衝動を保護し調整する」ことが……。
> 質問者 マインドによる生命への奉仕という見方をすれば、アディ・ヨーガ
> は完全な民主主義です。誰もが彼の最善の能力と知識で人生を生き
> ることに従事し、誰もが同じグルの弟子なのです。
なるほどねぇ。
> マハラジ
> あなたの言うとおりかもしれない。
> 可能性としては、おそらくそうだろう。
はい。
> だが、人生が熱望と熱心さをともなって愛され信頼されるまでは、意識のな
> かの動き、行為のなかの気づきであるヨーガについて語ることは夢想的なも
> のでしかない。
「人生が熱望と熱心さをともなって愛され信頼されるまでは」かぁ。
ふーん。
> 質問者 あるとき、私は岩の合間を流れる渓流を眺めていました。それぞれ
> の岩で、岩の大きさと形にしたがって流れの動きは異なっていまし
> た。個人とは皆、単に体の上を流れる動きであり、同時に生命はひ
> とつであり永遠なのではありませんか?
ふーん……。
渓流を眺めていて……ある種の発見があったんでしょうねぇ。
> マハラジ
> 流れの動きと水は別々のものではない。
> 流れの妨害があなたに水の存在を気づかせたのだ。
この文脈は……わかるようでもあり……わからないようでもあり……。
流れに逆らうことによって……あなたは「水の存在」を実体化するのだ……と
いうような意味かしら。
そして……その「水の存在」が……意識のことだとか……。
> 意識はつねに運動と変化のなかにある。
「意識はつねに運動と変化のなかにある」……。
いつか或る私さんが……「ながれ」についておっしゃっていたことを思いだし
ますね。
https://www.ascensionkan.com/mm/vol242.html#3
> 不変の意識といったものはありえない。
はい、それはわかります。
> 不変なるものは即座に意識をぬぐい去るだろう。
(*_*) ⌒★?
そういうことなのか……。
或る私さんが……“そこに何も「ながれた」ことがない”とおっしゃっていた
のも……そのあたりの消息を伝えようとしてくださったのかもしれませんね。
> 内面、あるいは外面の感覚を奪われた人は意識を失い、あるいは意識と無意
> 識を越えて不老不死の状態のなかへと入っていくだろう。
> 霊魂と物質がであったときにだけ意識は生まれるのだ。
そういうことなのか……。
> 質問者 それらはひとつでしょうか、二つでしょうか?
「霊魂」と「物質」はひとつのものなのか、それとも二つの別のものなのか?
> マハラジ
> それはあなたが使う言葉によって、ひとつ、二つ、あるいは三つなのだ。
> 調べていくことで三つは二つとなり、二つはひとつとなる。
ふーん。
> 顔と鏡とイメージという直喩で見てみなさい。
はい。
> どの二つをとってみても、その二つを結びつける第三の存在が前提にある。
わかります。
> あなたが二つはひとつだと悟るまでは、サーダナ(修練)によって三つを二
> つとして見るのだ。
そうか……。
> あなたが世界に没頭しているかぎり、あなた自身を知ることは不可能だ。
はい……わかっています。
> あなた自身を知るためには、世界から注意を引き離し、内面へと向けなさい。
(-||-)
> 質問者 私には世界を破壊することはできません。
それは……ちょっと違うのでは……。(^^;)
> マハラジ
> その必要はない。
ですよね。
> ただあなたが見ているものはあるがままのものではないということを理解し
> なさい。
おお……。
“わたし”が見ているものは「あるがままのもの」ではない……。
“わたし”は……自分の欲望と恐怖で「あるがままのもの」を歪めて……その
歪んだ像を見ている……ということか……。
たしかに、この地上だけでも毎日、何千何万というひとたちが死んでいくのだ
ろうから、その死を見送る目つきで“自分の身体”の死を眺めたら……。
“わたし”が見ているのは「あるがままのもの」ではないよなぁ。(*-_-*)
> 現れは調べることによって消え去り、根元的な実在が表層に現れるだろう。
ふーむ。(-_-;)
「現れは調べることによって消え去」るのか……。
> 逃げだすために家を燃やす必要はない。
> あなたはただ歩いて外に出るだけだ。
わかります。
> 家が牢獄となるのは、あなたが自由に行き来できなくなったときだけだ。
ああ……なるほど。
> 私は意識から自由に自然に出たり入ったりすることができる。
そうか……。
> そしてそれゆえ、世界はわが家であって牢獄ではないのだ。
そういうことなんだ……。
> 質問者 しかし究極的に、世界は存在するのでしょうか、しないのでしょう
> か?
ふふ。
> マハラジ
> あなたが見ているものは、ほかでもないあなたの自己なのだ。
(@_@)
わたしが見ているものは、ほかでもないわたしの自己……このことがまだ納得
できていない……。
> あなたの好きなようにそれを呼ぶがいい。
> それが事実を変えることはない。
はい。
> 運命(プラーラブダ)のフィルムを通して、あなた自身の光がスクリーン上
> に絵を描いていく。
おぼろげに……イメージできるような気もします……。
> あなたはそれを鑑賞する人であり、光であり、絵であり、スクリーンでもあ
> るのだ。
そういうことか……。
この場合は確かに……わたししかいない。
> 運命のフィルムさえも自ら選択され、自らに課されたものだ。
はい。
わかるような気がします。
感覚的体験をするには……いずれにしろ……何らかの具体的な「形」(形象)
と「名前」(意味)を……選択しなければなりませんから。
> その精神は障害を乗り越えることを楽しむひとつの競技だ。
そういうことに……なるかなぁ。
> その努めが困難なほど、真我の実現はより深く広いものとなるのだ。
わかりますけど……。
それを……わたしが選んでいるわけですよねぇ。
誰にも……その責任を転嫁することはできない。
なぜなら……実在するのは……わたしだけだから……。
(-_-)
……。
(-||-)
今日の写経は、ここまでです。
m(_ _)m
…………○…………○…………○…………
『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。
ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
…………○…………○…………○…………
▼『アセンション館通信』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単なるメールな
ど、ご自由にお書きいただければと思います。
…………○…………○…………○…………
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■ 3.「ご投稿・情報提供」:パールさん
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『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。
▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518
…………○…………○…………○…………
今回、パールさんから個人メールとして“2012年について”の情報を送っ
ていただきました。
メルマガ掲載の可否をお尋ねして、ご了解を得ましたので早速ご紹介します。
【件名】: 2012年について パール
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pariさん今日は
暑い日が続きます。夏からの変動は激しくなってきたようです。
いつもの事ながら、気になる記事をお送りします。
2012年についての動画を送ります。
http://www.youtube.com/watch?v=bSPWihb4U5k&feature=related
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そしてアルクツールスさんのブログを紹介します。
Mixiなので、ここにコピーします。
節目の理解!
現在は、節目の時。
決して2012年12月21日にすべてが、ガラリと
変わるわけではないが、そのあたりから、多次元に同時に
存在できる人と3次元に固定されたままの人とに、
はっきりと分かれる。
分かれは「別れ」。
まずは節目の総括をしましょう!
まず最初に我がアルクトゥルスビームの最先端の
ホゼ・アグエイアスの語る2012年について
2012年12月21日は(マヤの)長期計算法で再び13.0.0.0.0になり、
ひとつの周期が完了します。
バクトゥンという周期が13回でひとつの周期です。
紀元前3113年から西暦2012年までで13バクトゥンになります。
バクトゥンはきっかり144,000日の周期であり、
144,000日を13回重ねて、この周期は完了します。
私たちが歴史の周期あるいは文明の周期と呼ぶものです。
この(進行中の)周期は、地球の歴史においても、
太陽系の進化の歴史においても、銀河の歴史においてさえ、
非常に興味深い周期です。
2012年12月21日は、通常、大プラトン年と呼ばれる、
バクトゥンよりも長い26,000年周期の終焉のときでもあります。
これは長期周期です。
2012年12月21日には、さらに長い、104,000年の大周期も終焉を迎えます。
こうした周期全てが2012年時点で終る、言い替えると、収束するのです。
以上がホゼのマヤ暦に基づいた2012年12月21日の意味合いで、
地球と太陽とプレアデスのめぐりのサイクルの26000年周期と
104000年のさらに長い周期に関する簡単な内容です。
しかしながらさらにプレアデスの情報によれば、
太陽が銀河の中心を完全に一周する約2億3000万年周期の終わりであり、
さらに天の川銀河が、「大いなるセントラルサン」を一巡りする
無限のような軌道周期の最終局面に当たっています。
これだけの周期が一致する2012年は、
過去に行なわれた「アセンション」とは意味合いが、全然別次元になるの
です。
今回のアセンションは、銀河の仲間たちにとっても
「未知の領域」なのです。
理由は、銀河にとっての様々なサイクルが一致する
経験のないシチュエーションだからです。
このアセンションの先にある銀河は、プレアデス.アンドロメダ、
アルクトゥルス、シリウス、オリオンにとっても、経験のない未知の銀河
です。
この「宇宙創造神」のシナリオの内容は、
はるか高い次元の大神レベルでなければ分かりません。
我々は、地球次元で、そして今の感覚で、
「アセンション」を捉えていますが、
太陽系、銀河系での歴史を辿れば、無数の失敗を繰り返してきています。
そして今回は銀河自体のステップアップの時期であり、
太陽系での3次元の場はもう必要とされないのです。
神々が最終局面をぎりぎりまで、引き伸ばし、少しでも多くの
魂を救おうと、八面六臂のご活躍をされている理由がそこにあります。
従来のアセンションのときは、ここまで神々は必死に活動されず、
銀河連盟及び宇宙連合の行動に任せておられました。
しかし今回は「神々」がじかにご活動なされています。
この違いを認識しなければなりません。
今この記事を読まれている方は、過去にアセンションに成功した、マスタ
ーばかりです。
みずから志願して「ディセンション」し、地球上に降臨した「マスター」
です。
その役目はお分かりでしょう?
地球の運命を賭けた、「ディメンション・ジャンプ」の推進
エネルギーの役として、また、最終局面までに出来るだけ
多くの魂を神々の懐へ運ぶ役目。
思い出されたでしょうか?
神々は光を届けながら、こう仰ってます。
『我らとの契りを思い出せ!時間の猶予はもはやない!
一刻も早く目覚めよ!そして光の輪を広げよ!手遅れにならぬうちに!』
最近の痛ましい事件の連続を見れば分かるように、
表面は人間でも、魂はすでに4つに分かれています。
神の子、アワシマ、ヒルコ、獣と。
残念ながら獣の魂は、もう救いようがありません。
アワシマ、ヒルコはボーダーラインの人が大勢います。
体主霊従から、霊主体従に変換できれば、まだ望みはあります。
神の子でも、まだ眠ったままの方も大勢います。
「かつてのマスター」の皆さん!自分の変換は、
もう完了出来てますよ!
出来ていないという人は、出来ていない状況を自ら招き寄せているだけで
す。
現在想念の物質化は異常に速くなっていますから!
それが「アヌンナキの仕掛けた罠」なのです。
「アヌンナキ」もまた一つの比喩に過ぎません。
実際は、「自分の想念にがんじがらめになっている」だけです。
一刻も早く「マトリックス」の世界から抜け出して、
本来の使命を果たしてくださいませ。
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パールさん、メルマガへの掲載許可、ありがとうございました。
動画のなかでのバシャールの言葉は、とてもわかりやすいですね。
ラマナ・マハルシも……すべての世界はその思いのあるところに現実に存在す
る……という意味のことをおっしゃっているようです。
天国も地獄もすべて……その思いのあるところに現実にあるのでしょうね。
もちろん……現象世界という……夢として……。
ご投稿ありがとうございました。
m(_ _)m
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■ 4.編集後記:望むべきことなど……何もないようでもあります。
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何ひとつ自分を救うことはできないところへ……行く必要がありますよね。
そうなったら……この世のどんな喧噪も……わたしを救うことはできない。
実際……現状以外の……どこへ行きたいというのだろう……。
望むべきことなど……何もないようでもあります。
今日も……明るいうちに終わりました。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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