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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.336 2010/9/12(第336号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ
という言葉を信じた、仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 922名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.これまで理解した話の筋

2.写経ニサルガダッタ:【101 ジニャーニは理解も把握もしない】の1回目

3.編集後記:マインドの手綱を充分に伸ばして……遊ばせるより
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■ 1.これまで理解した話の筋
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しばらく雨が降って……何日か久しぶりに涼しい日々を味わいました。

災害に遭われた方には……涼しいどころではなかったかもしれませんが。

我が家のあたりも……ひどいどしゃ降りで川の様子が一変しました。

今日はまた……暑い一日が戻っています。

こう暑くなると……なんだか涼しいのが良かったような気がしたり。(^_-)

現象世界なかではどうも……記憶のなかでの比較考量が自動的に働いてしまう
のでしょうか。

マインドが自動的に……往復し慣れた回路を……走り回るわけでしょう。

比較も選択も……この際……特に必要があるとも思えないのに……。

古くからの癖ですね……。

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

“自分”がいまどういう気分なのかを……なぜか定義したがる……。

これは……じつは……単なる癖なんでしょうね。

いわば長年の癖で……それが強迫神経症化したのだろうと思います……。

そして今や……それが立派に“本能的衝動”とでも言うべきものになって……
常時マインドを起動しているわけでしょう。

昔、“「比較」の根拠”について考えたことがありました。

われわれはいったい何を根拠に「比較」ということをしているのか?……まあ
……そんなことを考えたわけです。

“比較考量”が可能なためには……何らかの計測・測定が必要だろう。

たしかに……外在要因なら計測できるから……比較も可能だろう。

しかし……人間の内面を「比較」できるものだろうか?

もし人間の内面を「比較」できるとしたら……人間の内面を計測可能な外的世
界と結びつける何らかの要因がなければならない……。

それは……いったい何だろう?

何を根拠に……人間の内面を「比較」するのか……と思ったわけです。

たどり着いた結論は……きわめてシンプルでした。

「私たちは『死』からの距離を測っていたのだ」……。

それが結論でした。

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 私たちがオリンピックで、百メートルを九秒台で走破した者を、十秒台で走
 った者より優者とするのは、彼の方が「死」を免れる度合いが高いと考えて
 いるからではないだろうか。
                『21世紀への指導原理 OSHO』(p330-333)
          https://www.ascensionkan.com/work/08hika_05konkyo.html
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(-_-)

まったく……人畜無害……というのか。(*^_^*)

人間……変わらないもんですよね。

そんなことを考えたことがあったためか……マハラジの次のような言葉に出合
ったときは……まったく違和感がありませんでした。

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 質問者 なぜあなたは存在と衝突が不可分だと言うのでしょうか? 闘うこ
     となしには存在はありえないと言うのでしょうか? 私自身である
     ために他者と闘う必要はありません。
 
 マハラジ
 あなたは「身体―精神」、特定の名前と形として存続するために、つねに他
 者と闘っているのだ。
 生きるために、あなたは破壊しなければならない。
 懐妊された瞬間から、あなたは周囲と戦争を始めたのだ――死があなたを解
 放するまで、相互に根絶しあう残酷な戦争を。
                          『私は在る』(p433)
                       http://tinyurl.com/s747u
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こういう断定的な言い方には……違和感のあるかたもいるかもしれません。

しかし……現象世界のなかの一部と自己同化して……その一部(身体)の自己
保存を願うかぎり……これは避けられないことでしょう。

むしろ……自分を個人だと思っているかぎり……さらに“上を目指して”……
邁進せざるをえないでしょう。

いやが上にも……より快適な人生を求めて……。

アセンションのチャンスがあると聞けば……できれば“自分”も試験に合格し
(波動をあげ)て……その天国とやらに行きたいものだと思う……。

宇宙内の“生き物”としては……当然の願いです。

(もちろん……われわれが宇宙内の“生き物”だとしての話ですが……。)

でも……どうやら……その進化した世界も……宇宙内の二元性のバランスのな
かに存在しているらしい。

前回パールさんにご紹介いただいたバシャールメッセージの動画によると……
われわれはまさに“宇宙学校の博士課程”にいるそうですよ。(^_-)
http://www.youtube.com/watch?v=RRAAhx5Z7uU&feature=related

ここでバシャールは冗談めかして「みなさんは制限宇宙探求の博士課程にいる」
と保証しています。

「地獄」という言い方もあれば……「制限宇宙探求の博士課程」という言い方
もある……。

ここにきてはからずも……ラムサ・メッセージも……バシャール・メッセージ
も……Dさんメッセージと同じ色調を帯びてきました。
http://ueno.cool.ne.jp/tka/

つまり……端的に言うなら……現象宇宙のドラマ(=バランス)を支えるには
……われらが“地獄”も不可欠の要素だ……ということです。

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 創造の神ブラフマーはすべての欲望の総計だ。
 世界はそれらを満たすための道具なのだ。
 魂たちは何であれ彼らの望んだ喜びをつかみ、涙で支払う。
 そして時間がすべての勘定書を決算する。
 バランスの法則が究極の支配をするのだ。
                          『私は在る』(p103)
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この現象宇宙のなかで……自分を“宇宙内の生き物”と信じる者は……そこで
欲望し……“上を目指して”……進歩しつづけなければなりません。

では……その進歩とは……つまるところ何なのか?

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 私たちが進歩と呼ぶものは、ただ不快から快適への変化にすぎない。
 
                          『私は在る』(p160)
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まったく単純で……納得しないわけにいきません……。

では……なぜわれわれは快適さを……快楽を願うんだろう……。

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 あなたが幸福でないから、幸福になりたいのだ。
 なぜ幸福ではないのかを見いだしなさい。
 幸福ではないから、快楽のなかに幸福を探し求めるのだ。
 
                          『私は在る』(p487)
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うーむ。(-_-;)

> 実際には、快楽とは苦痛からの一時的な休息にすぎない。(p487)

うう……。

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 あなたはつねに快楽を求め、苦痛を避けている。
 いつも幸福と平和を追い続けているのだ。
 あなたの幸福への探求自体が、あなたを惨めに感じさせているのがわからな
 いだろうか? 
                          『私は在る』(p258)
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わかるけど……。

わかるけど……悪循環だよなぁ……。(=_=)

じゃあ……快楽だけを手に入れることはできないわけ?

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 ひとつひとつの快楽が苦痛に包まれているのだ。
 すぐにあなたは一方なしに他方を得ることはできないことを発見するだろう。
 
                          『私は在る』(p473)
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そうなのかぁ……。

まあ……言われてみれば……たしかにそんな気もするんだけど……。

それにしても……苦痛は本当にそんなに普遍的なのかなぁ……?

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 質問者 しかし、すべての存在は苦痛に満ちているというのは本当でしょう
     か?
 
 マハラジ
 この世界的な快楽の探求の原因が、何かほかにあるだろうか?
 幸せな人が幸せを探すだろうか?
 なんと人びとは落ち着かないのだろう!
 なんとつねに動きまわっているのだろうか!
 彼らは苦痛のなかにいるから快楽のなかに解放を探しているのだ。
 彼らが想像できうる幸福のすべてとは、繰り返される快楽の保証なのだ。
 
                         『私は在る』(p164)
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> この世界的な快楽の探求の原因が、何かほかにあるだろうか?

おお……。(@_@)

> 幸せな人が幸せを探すだろうか?

なるほど……。(-_-;)

> 彼らは苦痛のなかにいるから快楽のなかに解放を探しているのだ。

そういうことなのか……。

> 彼らが想像できうる幸福のすべてとは、繰り返される快楽の保証なのだ。

それはわかるけど……。

それにしても……どうして……そんな罠にはまったものだか……。(=_=)

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 私たちは多様性を、苦痛と快楽の劇を愛している。
 私たちは対比によって魅せられているのだ。
 このために対立するものと、それらの表面上の分裂を必要としている。
 しばらくの間それらを楽しみ、それから退屈して、純粋な存在の平和と沈黙
 を切望するのだ。
                          『私は在る』(p434)
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なんと。(>_<)

出口はないのかしら……。

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 苦痛と快楽は起こる。
 だが、苦痛は快楽の値段であり、快楽は苦痛の報酬なのだ。
 人生のなかでも、しばしばあなたは傷つけることで喜び、喜ばすことによっ
 て傷ついている。
 苦痛と快楽がひとつだと知ることが平和なのだ。
                          『私は在る』(p182)
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> 人生のなかでも、しばしばあなたは傷つけることで喜び、喜ばすことによっ
> て傷ついている。

わかる……。(*-_-*)

> 苦痛と快楽がひとつだと知ることが平和なのだ。

「苦痛と快楽がひとつだと知ることが平和」……。

そういうことかぁ……。

快楽だけを手には入れられないのかなぁ。(*-_-*) (←未練、未練。(^_-))

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 苦痛と快楽はともに手を携えていくものだ。
 一方からの自由はその両方からの自由を意味する。
 もし快楽を気にかけなければ、苦痛を恐れることはないだろう。
 だが、そのどちらでもなく、両方を完全に超えている幸福がある。
 
                          『私は在る』(p162)
----------------------------------------------------------------------

> 苦痛と快楽はともに手を携えていくものだ。

わかりました……。(;_;)

> 一方からの自由はその両方からの自由を意味する。

そこに出口があったのか……。

> もし快楽を気にかけなければ、苦痛を恐れることはないだろう。

なるほど……。

> だが、そのどちらでもなく、両方を完全に超えている幸福がある。

(@_@)

----------------------------------------------------------------------
 苦痛と快楽は、至福の海の波の頂と谷間だ。
 その底深くには完全な充足があるのだ。
                          『私は在る』(p183)
----------------------------------------------------------------------

なんと……。

じゃ……苦痛と快楽にもまれていたら……そのうち“完全な充足”にまで至れ
るのかしら……?

> 快楽と苦痛自体が悟りをもたらすことはない。

やっぱり。(-_-)

> ただ理解だけがそれをもたらすのだ。

はい。

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 ひとたびあなたが世界は苦しみで満ち、生まれてくること自体が災いだとい
 う真実を把握すれば、それを超えていこうとする衝動とエネルギーを見いだ
 すだろう。
 快楽はあなたを眠らせ、苦痛は目覚めさせる。
 至福を通してだけではあなた自身を知ることはできない。
 あなたの本性そのものが至福だからだ。
 悟りを得るためには、あなたではないもの、対極と向き合わなければならな
 いのだ。
                          『私は在る』(p325)
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そういうことか……。

じゃ……その「対極」と向き合えば……苦痛と快楽は卒業できるわけ?

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 意識がそこにあるかぎり、苦痛と快楽は避けられない。
 対極のものと自己同一化することが、意識の、「私は在る」の本性なのだ。
 
                          『私は在る』(p182)
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ふーん。

じゃ……意識存在そのものが……苦痛と快楽の原因ということじゃない。

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 彼(仏陀)はすべての意識が苦痛に満ちたものだと意味していたのだ。
 それは明白だ。
                          『私は在る』(p400)
----------------------------------------------------------------------

そっかぁ。

じゃあ……意識として在るかぎり……苦しみはつづくわけだ。

----------------------------------------------------------------------
 私たちの思考と行為が欲望と恐れに誘発されているかぎり、苦しみは続くだ
 ろう。
                          『私は在る』(p541)
----------------------------------------------------------------------

そうかぁ。

「思考と行為が欲望と恐れに誘発されているかぎり」かぁ。

じゃあ……「思考と行為」が「欲望と恐れ」に誘発される原因は何なのか?

----------------------------------------------------------------------
 質問者 苦しみの真の原因とは何でしょうか?
 
 マハラジ
 かぎりあるものとの自己同一化だ。
 感覚のようなものは、いくら強烈であっても苦しみの原因にはならない。
 マインドが誤った観念にうろたえて、「私はこれだ、私はあれだ」と考える
 ことにふけるようになる。
 それが失うことを恐れ、得ることを熱望し、挫折したとき苦しむのだ。
 
                          『私は在る』(p128)
----------------------------------------------------------------------

そういうことか……。

やっぱり……わたしは「何か」にはなれないんだ……。

自分が「何か」だと思ったとたんに……苦しみが始まるのか……。

----------------------------------------------------------------------
 幸福と実在を夢のなかで探そうとするのはやめなさい。
 そうすればあなたは目覚めるだろう。
 すべての「なぜ」や「どうして」を知る必要はない。
 質問には終わりがないのだ。
 すべての欲望を放棄しなさい。
 マインドの沈黙を保ちなさい。
 そうすればあなたは発見するだろう。
                          『私は在る』(p471)
----------------------------------------------------------------------

そっかぁ。

でも……そういう話をすべて……聞いただけで理解しなくちゃならないのかな
ぁ……そして理解だけで充分なのかなぁ?

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 質問者 理解で充分なのでしょうか? もっと明確な証拠が必要なのではな
     いでしょうか?
 
 マハラジ
 証拠の妥当性について決定するのはあなたの理解なのだ。
 だが、あなた自身の存在以上にどのような確実な証拠が必要だというのかね?
 あなたがどこへ行こうと、あなたはあなた自身を見いだすのだ。
 あなたがどれほど遠くに辿り着いたとしても、あなたはそこにいるのだ。
 
                          『私は在る』(p495)
----------------------------------------------------------------------

そうかぁ……。

わかりました。

よく考えてみます……。

そして……反芻してみます……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【101 ジニャーニは理解も把握もしない】の1
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

本をお持ちの方はご存知ですが……この章は『私は在る』のなかで最後に置か
れた章です。

初回の今回の部分には……ある意味で……道を求めるということの全容が……
淡いタッチのいわば“省略描法”で描かれています。

マインドは……過去と未来のなか……つまり幻想のなかをのみ……往復したが
るということ。

マインドが……自ら「今」に焦点を当てることはないだろう……ということ。

しかし「もし興味が起これば、それは比較的簡単にできる」……ということ。

そして……そのために必要なのは……「成熟の象徴」でもある「誠実さ」だ…
…ということです。

(-||-)

では、【101 ジニャーニは理解も把握もしない】の1回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 ジニャーニ(賢者)は何かを為(な)す必要があるとき、どのよう
     に行うのでしょうか? 彼は計画を立て、詳細にわたって決定し、
     それを実行するのでしょうか?
 
 マハラジ
 ジニャーニは状況を完全に理解し、即座に何が為されるべきかを知る。
 それだけだ。
 残りはひとりでに起こる。
 しかも、たいていは無意識のうちに起こるのだ。
 ジニャーニとすべての存在との同一性は本当に完全なものであり、彼が宇宙
 に応えるように、宇宙も彼に応える。
 ひとたび状況が認識されれば、出来事は適切な対応のなかで動いていくとい
 うことに彼は絶大な確信を持っているのだ。
 普通の人は個人的利害に関心を持ち、危険とチャンスを計算している。
 一方、ジニャーニは超然として、すべては起こるべくして起こると確信して
 いる。
 そして何が起こるかは、さして重要なことではないのだ。
 なぜなら、最終的に均衡と調和が戻ってくることは不可避だからだ。
 ものごとの核心には平和があるのだ。
 
 質問者 私は人格が幻想であり、アイデンティティを失うことなく油断なく
     冷静にあることが、私たちにとっての実在との接触点であることを
     理解しました。どうか教えていただけますか、今、この時点であな
     たは個人なのでしょうか、それとも自己覚醒したアイデンティティ
     なのでしょうか?
 
 マハラジ
 私はその両方だ。
 だが真の自己は、個人によって与えられた、何が私ではないかという表現に
 よる以外描写することはできないのだ。
 個人に関してあなたが言えることはみな自己ではない。
 そしてあなたはあるがままの、そうありえたであろう、そうあるべき自己に
 関して何も言うことはできないのだ。
 すべての属性は個人的なものであり、実在はすべての属性を越えているから
 だ。
 
 質問者 あなたはときどき自己で、ときどき個人なのでしょうか?
 
 マハラジ
 どうしてそう在ることができよう?
 個人とは、ほかの人たちにとってそう現れる私なのだ。
 私自身にとって、私は意識の無限な広がりであり、そのなかで無数の個人が
 果てしない連鎖のなかで現れては消えていくのだ。
 
 質問者 あなたにとってはまったくの実体のない個人が、私たちにとっては
     現実に見えるのはどうしてでしょうか?
 
 マハラジ
 自己、すべての存在の根源、意識と歓喜であるあなたは、何であれあなたが
 知覚するものに実在性を与えるのだ。
 この実在性を与えることはつねに今のなかにおいて起こり、ほかのどのとき
 にも起こることはない。
 なぜなら過去と未来はマインドのなかにしか存在しないからだ。
 「在ること」は今だけに適用するのだ。
 
 質問者 永遠性も無限なのではないでしょうか?
 
 マハラジ
 時間が無限なのだ。
 そこに限界はあるが、永遠は今という一瞬のなかにある。
 私たちがそれを見失うのは、私たちのマインドがつねに過去と未来の間を行
 き来しているからだ。
 マインドが今に焦点を当てるために止まることはないだろう。
 もし興味が起これば、それは比較的簡単にできるのだ。
 
 質問者 何が興味を起こさせるのでしょうか?
 
 マハラジ
 誠実さ、成熟の象徴だ。
 
 質問者 では、成熟はどのようにしてもたらされるのでしょうか?
 
 マハラジ
 マインドを清く明るく保つことによって、人生を起こるがまま、一瞬一瞬を
 完全な気づきを持って生きることによって、欲望と恐れが現れるなり調べ、
 解消していくことによってだ。
 
 質問者 そのような集中がいったい可能なのでしょうか?
 
 マハラジ
 試してみなさい。
 一度に一歩ずつならばやさしいはずだ。
 誠実さからエネルギーは湧いてくるのだ。
 
                        『私は在る』(p547-548)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 ジニャーニ(賢者)は何かを為(な)す必要があるとき、どのよう
>     に行うのでしょうか? 彼は計画を立て、詳細にわたって決定し、
>     それを実行するのでしょうか?

まさか……そんなこともないと思うけど……。

> マハラジ
> ジニャーニは状況を完全に理解し、即座に何が為されるべきかを知る。
> それだけだ。

ありゃりゃ……。

> 残りはひとりでに起こる。

なるほど。

> しかも、たいていは無意識のうちに起こるのだ。

そうなんですか。

> ジニャーニとすべての存在との同一性は本当に完全なものであり、彼が宇宙
> に応えるように、宇宙も彼に応える。

うーむ……。(-||-)

> ひとたび状況が認識されれば、出来事は適切な対応のなかで動いていくとい
> うことに彼は絶大な確信を持っているのだ。

わかりました。

> 普通の人は個人的利害に関心を持ち、危険とチャンスを計算している。

はい。

> 一方、ジニャーニは超然として、すべては起こるべくして起こると確信して
> いる。

そうかぁ。

> そして何が起こるかは、さして重要なことではないのだ。

おお……。(@_@)

> なぜなら、最終的に均衡と調和が戻ってくることは不可避だからだ。
> ものごとの核心には平和があるのだ。

なるほど。

> 質問者 私は人格が幻想であり、アイデンティティを失うことなく油断なく
>     冷静にあることが、私たちにとっての実在との接触点であることを
>     理解しました。どうか教えていただけますか、今、この時点であな
>     たは個人なのでしょうか、それとも自己覚醒したアイデンティティ
>     なのでしょうか?

うーむ、面白い質問……。

> マハラジ
> 私はその両方だ。

ほう。

> だが真の自己は、個人によって与えられた、何が私ではないかという表現に
> よる以外描写することはできないのだ。

ふーん。

> 個人に関してあなたが言えることはみな自己ではない。

はい。

> そしてあなたはあるがままの、そうありえたであろう、そうあるべき自己に
> 関して何も言うことはできないのだ。

わかりました。

> すべての属性は個人的なものであり、実在はすべての属性を越えているから
> だ。

「すべての属性は個人的なもの」……「実在はすべての属性を越えている」。

属性というものは……すべて個人的なものなんだ……。

> 質問者 あなたはときどき自己で、ときどき個人なのでしょうか?

ちゃんと……詰めて確認する方……。

> マハラジ
> どうしてそう在ることができよう?

やっぱり……違うんだ。

> 個人とは、ほかの人たちにとってそう現れる私なのだ。

ああ……わかります。

> 私自身にとって、私は意識の無限な広がりであり、そのなかで無数の個人が
> 果てしない連鎖のなかで現れては消えていくのだ。

ジニャーニは……「意識の無限な広がり」ということか……。

> 質問者 あなたにとってはまったくの実体のない個人が、私たちにとっては
>     現実に見えるのはどうしてでしょうか?

うん。

> マハラジ
> 自己、すべての存在の根源、意識と歓喜であるあなたは、何であれあなたが
> 知覚するものに実在性を与えるのだ。

はい。

> この実在性を与えることはつねに今のなかにおいて起こり、ほかのどのとき
> にも起こることはない。

わかります。

> なぜなら過去と未来はマインドのなかにしか存在しないからだ。

はい。

過去は記憶のなかに……未来は想像のなかに……。

> 「在ること」は今だけに適用するのだ。

「在る」という言葉は……今についてのみ言えること……。

> 質問者 永遠性も無限なのではないでしょうか?

うーむ。(-_-)O

> マハラジ
> 時間が無限なのだ。

無限なのは時間のほうだ……ということか。

> そこに限界はあるが、永遠は今という一瞬のなかにある。

「永遠は今という一瞬のなかにある」……これはわかる……。

ところで……「そこに限界はあるが」って……どういう意味だろう。(=_=)

「永遠」は今という一瞬のなかにしかないから……ということかな。

でも……概念ではない実体としての「今」が……マインドのなかには存在しな
いことを……「今」の“限界”とは言わないだろうしなぁ。

> 私たちがそれを見失うのは、私たちのマインドがつねに過去と未来の間を行
> き来しているからだ。

はい、それはわかります。

> マインドが今に焦点を当てるために止まることはないだろう。

好奇心の強いマインドも……「今」にだけは興味をもたないわけだ。

マインドは……変化することさえできればそれでいい……ということか。

> もし興味が起これば、それは比較的簡単にできるのだ。

そうなんですか。(@_@)

> 質問者 何が興味を起こさせるのでしょうか?

そうそう。

> マハラジ
> 誠実さ、成熟の象徴だ。

アッチャ……そういうことか。(>_<)

> 質問者 では、成熟はどのようにしてもたらされるのでしょうか?

うん。(-_-)O

> マハラジ
> マインドを清く明るく保つことによって、人生を起こるがまま、一瞬一瞬を
> 完全な気づきを持って生きることによって、欲望と恐れが現れるなり調べ、
> 解消していくことによってだ。

(>_<)

敷居が……高あい……。

> 質問者 そのような集中がいったい可能なのでしょうか?

まったく。

> マハラジ
> 試してみなさい。

うーむ。

> 一度に一歩ずつならばやさしいはずだ。

そうかなぁ。

> 誠実さからエネルギーは湧いてくるのだ。

「マインドを清く明るく保つこと」……。

「人生を起こるがまま、一瞬一瞬を完全な気づきを持って生きること」……。

「欲望と恐れが現れるなり調べ、解消していくこと」……。

うーむ……。(-_-;)

こんなにたくさんは……とても覚えられそうにない……。

「あきらめること」……。

これひとつなら……覚えられるかなぁ……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


        …………○…………○…………○…………


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        …………○…………○…………○…………


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        …………○…………○…………○…………



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■ 3.編集後記:マインドの手綱を充分に伸ばして……遊ばせるより
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理屈は……大筋……わかりました。

わかりましたが……しかし……まだまだ……確認したがっている。

というか……まだまだ……マインドが動きたがっている。

手綱を緩めすぎているのかもしれないけれど……だからといって……ただ締め
れば……それでいいというものでもなし。

動きたがっているマインドを……強引に締め上げて……止めることができるも
のでもなし……。

マインドの手綱を充分に伸ばして……遊ばせるより……仕方なさそうです。

じょじょに……じょじょに……理解は深まっていると信じて……。

それでは……お休みなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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