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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.337 2010/9/19(第337号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ
という言葉を信じた、仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 921名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.わたしは想念ではない

2.写経ニサルガダッタ:【101 ジニャーニは理解も把握もしない】の2回目

3.編集後記:機会がそれ自体を差しだしているときを……
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■ 1.わたしは想念ではない
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今日も素晴らしい秋晴れです。

下の方から草刈りの音が聞こえてきます。

お隣さんが畑の草刈りをやっているのでしょう。

(うちはこの前やってあるからいいんだ……。)

おお……網戸越しに入ってくる風もずいぶん涼しくなった。

なにか胸のあたりに……悲しいような気持ちがあるのだけれど……これはすべ
て一種の誤解からおこってくるものです……。(-_-)

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

これまで何年もニサルガダッタの言葉を読んできて……やっと理解したのは…
…わたしは想念ではない……ということです。

……。(=_=)

そんなこと……。

そんなこと……これまでだって毎回言っていた癖に……。

やっと今頃わかったって言うの (?_?) ……と言われそうですね……。(-_-)

もちろん……理屈は……最初から“わかって”いました……。

でも……あまりにも深く……考える癖がついていましたから……。

わたしは想念ではない……と思いながら……それが“自分の”理解だと思って
いたりして……。

また……そういう想念を紡いでいたわけです……。

まだ……サーダナの助走段階にも……入っていなかった……。

いまだって……あ、考えているな……とわかっても……なかなか……立ち去り
がたいんですよね……。

考えごとから……。

それこそ……熱いヤカンにでも触れたように……パッと離れられたら……いい
のかもしれないけれど……。

そして……想念を離れて……わたしに戻れたらいいんだろうけど……。

わたしは想念ではない……とわかったのだから……。

想念は……わたしではない……。

そうではなく逆に……想念はわたしを覆い隠すもの……想念はわたしを眠りに
誘うもの……とわかったのだから……。

想念は……わたしではないもの……です。

その……わたしではないものを……自分だと誤解することが……このすべての
悲しみの元種です。

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 マインドと自己同一化すること、ただそれだけがあなたを幸福に、あるいは
 不幸にするのだ。
 マインドへの隷属に反抗しなさい。
 あなたの束縛は自分が創造したものだということを見なさい。
 そして執着と反感への鎖を断ち切るのだ。
                          『私は在る』(p538)
                       http://tinyurl.com/s747u
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自分を何者かだと思えば……惨めさは確定です。

たとえ……それをそのように表現しようと……しなかろうと……。

自分を世界のなかの「名前」と「形」をもつ何者かだと思っているかぎり……
たとえ他者の目にどのように映ろうと……じつは惨めさは確定です。

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 この世界を実在と見なし、真我を非実在と見なすことが無知であり、悲しみ
 の原因だ。
 真我が唯一の実在であり、そのほかすべては一時的な、はかないものと知る
 ことが自由であり、平和と喜びなのだ。
 それはとてもシンプルだ。
                           『私は在る』(p50)
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何者かとして……他者の目のなかで……生きることを目的にはできない。

自分が何ものなのかは……自分で確認しなければならない。

----------------------------------------------------------------------
 あなただと思いこんでいるあなたを見てみなさい。
 そして、あなたはあなたが見ているものではないことを覚えておきなさい。
 「これは私ではない。私は誰か?」が自己探求の動きなのだ。
 解放へのほかの手段というものはない。
 すべての手段は延期を意味するのだ。
 あなたではないものを断固として拒絶しなさい。
 真の自己が荘厳なる無のなかに現れるまで。
 それは、「何ものでもないもの」なのだ。
                          『私は在る』(p545)
----------------------------------------------------------------------

……。(-||-)

想念への執着と反感を……夢……あるいは無知というのか……。

想念を離れることが……サーダナか……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.写経ニサルガダッタ:【101 ジニャーニは理解も把握もしない】の2
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「解放とは獲得ではなく勇気の問題だ。(p538)」

というマハラジの言葉がありましたが……改めてそんなことを感じさせられる
箇所ですね。

要は……もしわれわれが自分の言葉として、

> 私は私だ。

と言えるなら……あるいは、

> 私に世界は必要ない。

と言えるなら……もうそれだけで解放されているのだとも言えそうです。

幻想の世界のなかで……自分を誤魔化す……自ら自分を裏切る……。

この「妥協」という“ぬるま湯”戦略によって……どこまでも夢を見つづける
ことになるのでしょうか……。

では、【101 ジニャーニは理解も把握もしない】の2回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

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 質問者 私には誠実さが足りません。
 
 マハラジ
 自己背信は悲惨な問題だ。
 それはマインドを癌のように腐らせてしまう。
 明晰(めいせき)性と考え方の高潔さのなかに治療法があるのだ。
 あなたが幻想の世界に生きていることを理解しようとしてみなさい。
 それを調べ、その根底にあるものを暴きなさい。
 そうしようと試みること自体が、あなたを誠実にするだろう。
 なぜなら、正しい、真剣な試みのなかに至福があるからだ。
 
 質問者 それは私をどこへ導くのでしょう?
 
 マハラジ
 もしそれ自体の完成へ導くのでなければ、どこへ導くというのだろうか?
 ひとたびあなたが今のなかに本当に確立すれば、ほかにどこへも行くところ
 はない。
 かぎりなくあなたであるものを、あなたは永遠に表現していくのだ。
 
 質問者 あなたはひとつなのでしょうか、それとも多数なのでしょうか?
 
 マハラジ
 わたしはひとつだ、だが多数として現れるのだ。
 
 質問者 いったいなぜ人は現れるのでしょうか?
 
 マハラジ
 在ること、そして意識して在ることは良いことだ。
 
 質問者 人生は悲しいものです。
 
 マハラジ
 無知が悲しみをもたらす。
 幸福は理解にともなって起こるのだ。
 
 質問者 どうして無知は苦痛なのでしょうか?
 
 マハラジ
 それはすべての欲望と恐れの根底にあり、苦痛に満ちた状態であって、果て
 しない過ちの源なのだ。
 
 質問者 私は真我を実現したと言われる人たちが笑ったり泣いたりしている
     のを見てきました。それはつまり、彼らが欲望や恐れから自由にな
     っていないことを示しているのでしょうか?
 
 マハラジ
 彼らは状況にしたがって、笑ったり泣いたりするかもしれない。
 しかし、内面で覚めていて明晰であり、自分自身の反応を冷静に見守ってい
 るのだ。
 現象は惑わせやすい。
 ジニャーニの場合はなおさらのことだ。
 
 質問者 私には理解できません。
 
 マハラジ
 マインドでは理解できない。
 なぜならマインドは理解し、把握するために訓練されてきたからだ。
 一方、ジニャーニは理解も把握もしていないのだ。
 
 質問者 あなたが把握しない何を私がつかんでいるというのでしょう?
 
 マハラジ
 あなたは記憶の創造物だ。
 少なくともあなたはそう想像している。
 私はまったく想像されないものだ。
 私は私だ。
 いかなる身体的、あるいは精神的状態とも同一化不可能なのだ。
 
 質問者 不慮の出来事があなたの静謐を打ち砕いてしまうでしょう。
 
 マハラジ
 奇妙なことにそうならないのが事実なのだ。
 私自身驚くことに、私は起こることすべてに気づいている純粋な気づきのま
 まとどまるのだ。
 
 質問者 たとえ死の瞬間でさえもそうなのでしょうか?
 
 マハラジ
 身体が死ぬことが私にとって何だというのだろう?
 
 質問者 世界と接するために身体が必要なのではありませんか?
 
 マハラジ
 私に世界は必要ない。
 私はそのなかにいない。
 あなたが考えている世界はあなたのマインドのなかにあるのだ。
 私にはそれをあなたの目とマインドを通して見ることができる。
 だが、私はそれが記憶の投影であることに完全に気づいている。
 それはただ、今という気づきの点においてのみ実在によって触れられるのだ。
 
 質問者 私たちの間にある唯一の違いとは、私が真の自己を知らないと言い
 つづけているにもかかわらず、あなたはそれを良く知っていると主張してい
 ることにあるようです。それ以外に何か私たちの間に違いがあるでしょうか?
 
 マハラジ
 私たちには何の違いもない。
 私は私自身を知っているとさえ言えない。
 私が知っているのは、私は描写不可能、定義不可能なものだということだ。
 マインドが達することのできるもっとも遠い果てを越えると、そこには広大
 な広がりがある。
 その広大な広がりが私の家なのだ。
 広大さが私自身だ。
 そしてその広大さはまた愛でもある。
 
                        『私は在る』(p548-550)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 私には誠実さが足りません。

うーむ……あなたは偉い……。

ditto……。(*-_-*)

> 自己背信は悲惨な問題だ。

(;_;)

> それはマインドを癌のように腐らせてしまう。

(>_<)

> 明晰(めいせき)性と考え方の高潔さのなかに治療法があるのだ。

はい。

直感的には……わかっています。

そうでしか……ありえないはずですから。

> あなたが幻想の世界に生きていることを理解しようとしてみなさい。

え。(@_@)

> それを調べ、その根底にあるものを暴きなさい。
> そうしようと試みること自体が、あなたを誠実にするだろう。

そうか……。(-_-;)

幻想のなかで化かされている者が……そこで自分を騙してどうする……。

> なぜなら、正しい、真剣な試みのなかに至福があるからだ。

そうなんですか……。

> 質問者 それは私をどこへ導くのでしょう?
> 
> マハラジ
> もしそれ自体の完成へ導くのでなければ、どこへ導くというのだろうか?

そうか……。

> ひとたびあなたが今のなかに本当に確立すれば、ほかにどこへも行くところ
> はない。

おお……。

> かぎりなくあなたであるものを、あなたは永遠に表現していくのだ。

わかりました。(-||-)

> 質問者 あなたはひとつなのでしょうか、それとも多数なのでしょうか?
> 
> マハラジ
> わたしはひとつだ、だが多数として現れるのだ。

「実際には、すべては今ここに在り、すべてはひとつなのだ。
 多様性や多彩性もマインドのなかにのみ在る。(p133)」

> 質問者 いったいなぜ人は現れるのでしょうか?

まったく……。

> マハラジ
> 在ること、そして意識して在ることは良いことだ。

珍しい言い方……だよなぁ。

> 質問者 人生は悲しいものです。

うん、うん。(/_;)

> マハラジ
> 無知が悲しみをもたらす。

そうかぁ。

「もっとも明確なことは、実在は苦痛と快楽の源泉でも、原因でも、根源でも
 ないということだ。
 それらは存在と非存在を超えた表現不可能な実在そのものからではなく、実
 在についての無知からやってくるのだ。(p162)」

信じます。(-||-)

> 幸福は理解にともなって起こるのだ。

「あなたの幸せがものごとや人びとに依存すると信じることは、自己の真の本
 性に関するあなたの無知によるものなのだ。
 自己知識を除いては、幸せとなるために必要なものは何もないと知ることが
 智慧なのだ。(p523)」

> 質問者 どうして無知は苦痛なのでしょうか?

そうそう。

> マハラジ
> それはすべての欲望と恐れの根底にあり、苦痛に満ちた状態であって、果て
> しない過ちの源なのだ。

うーん。

“欲望”と“恐れ”の拠り所は「無知」なのか……。

無知があるから欲望と恐れがあるわけだ。

ということは……欲望と恐れの虚偽性を見破ることができれば……無知を超え
ていけるわけか……。

欲望と恐れに動かされているかぎり……無知の支配下から抜け出すことはでき
ないのか……。

欲望と恐れを……無用な幻想として手放すことができれば……。

何と言い換えても……同じことだけど……。(*-_-*)

> 質問者 私は真我を実現したと言われる人たちが笑ったり泣いたりしている
>     のを見てきました。それはつまり、彼らが欲望や恐れから自由にな
>     っていないことを示しているのでしょうか?

いろんなタイプの覚者がいるんだなぁ。

> マハラジ
> 彼らは状況にしたがって、笑ったり泣いたりするかもしれない。

はい。

> しかし、内面で覚めていて明晰であり、自分自身の反応を冷静に見守ってい
> るのだ。

なるほど。

> 現象は惑わせやすい。
> ジニャーニの場合はなおさらのことだ。

わかりました。

> 質問者 私には理解できません。

うん。

> マハラジ
> マインドでは理解できない。

はい。

> なぜならマインドは理解し、把握するために訓練されてきたからだ。

え。(?_?)

> 一方、ジニャーニは理解も把握もしていないのだ。

あーあ。(@_@) (←何かわかったの (?_?) ←んなわけ、ないっしょ。(^_-) )

> 質問者 あなたが把握しない何を私がつかんでいるというのでしょう?

的確な質問……。

> マハラジ
> あなたは記憶の創造物だ。
> 少なくともあなたはそう想像している。

はい。

> 私はまったく想像されないものだ。
> 私は私だ。
> いかなる身体的、あるいは精神的状態とも同一化不可能なのだ。

「私は私だ」……か。

定義不能……定義不要……。

> 質問者 不慮の出来事があなたの静謐を打ち砕いてしまうでしょう。

ふ。

> マハラジ
> 奇妙なことにそうならないのが事実なのだ。
> 私自身驚くことに、私は起こることすべてに気づいている純粋な気づきのま
> まとどまるのだ。

ふー。

> 質問者 たとえ死の瞬間でさえもそうなのでしょうか?
> 
> マハラジ
> 身体が死ぬことが私にとって何だというのだろう?

「都会でひとつの電球が消えたとき、それがネットワーク全体に影響を与える
 ことはない。
 同じようにひとつの身体の死が全体に影響を与えることはないのだ。(p202)」

っておっしゃるかたですからねぇ。

> 質問者 世界と接するために身体が必要なのではありませんか?
> 
> マハラジ
> 私に世界は必要ない。

われわれも↑こう言えればいいわけですよね。

> 私はそのなかにいない。

そうすれば……いつか↑こんなふうにも言えるようになる。

> あなたが考えている世界はあなたのマインドのなかにあるのだ。

そのすべての投影と解釈とともに……。

> 私にはそれをあなたの目とマインドを通して見ることができる。

ウーム。

> だが、私はそれが記憶の投影であることに完全に気づいている。

そうか……。

> それはただ、今という気づきの点においてのみ実在によって触れられるのだ。

わかります。

> 質問者 私たちの間にある唯一の違いとは、私が真の自己を知らないと言い
> つづけているにもかかわらず、あなたはそれを良く知っていると主張してい
> ることにあるようです。それ以外に何か私たちの間に違いがあるでしょうか?

質問を集約しましたね。

> マハラジ
> 私たちには何の違いもない。

同一の空間ですものね。(>_<)\ゴン!(この減らず口! (\/U) )

> 私は私自身を知っているとさえ言えない。

はい。(;_;)

> 私が知っているのは、私は描写不可能、定義不可能なものだということだ。

はい。

> マインドが達することのできるもっとも遠い果てを越えると、そこには広大
> な広がりがある。

はい。

> その広大な広がりが私の家なのだ。
> 広大さが私自身だ。
> そしてその広大さはまた愛でもある。

はい。(-||-)

ありがとうございました……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
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        …………○…………○…………○…………


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        …………○…………○…………○…………



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■ 3.編集後記:機会がそれ自体を差しだしているときを……
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考えてみれば……想念が過去と未来を彷徨うのをゆるさなければ……問題とい
うのは……何もないんですね。

この……“想念が過去と未来に彷徨うのをゆるさない”ことを……別の言葉で
……“ただ在る”というのかもしれません。

そんなことをしていたら……生きていることすらできなくなる……仕事だって
あるじゃないか……と言えば……。

ニサルガダッタは……こんなふうに答えていましたね。

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 質問者 ……人は実在を見いだすために、職業や社会的立場を放棄するべき
     なのでしょうか?
 
 マハラジ
 仕事をするがいい。
 自由な時間があるとき、内面を見なさい。
 重要なことは、機会がそれ自体を差しだしているときを逃してはならないと
 いうことだ。
 もしあなたが真剣ならば、許された時間を最大限に使うだろう。
 それで充分だ。
                          『私は在る』(p260)
----------------------------------------------------------------------

……。

まさに……一言の贅言もありません。(-_-;)

必要最小限度の……そして充分な……言葉です……。

> 仕事をするがいい。

しなければならないことはしなさい。

> 自由な時間があるとき、内面を見なさい。

自由な時間は……ただ在りなさい。

> 重要なことは、機会がそれ自体を差しだしているときを逃してはならないと
> いうことだ。

機会があるのに……いたずらに心配を拡大しては……新たな仕事を創造しつづ
けたり……無意味な娯楽に……時間を浪費しつづけてはいけない。

> もしあなたが真剣ならば、許された時間を最大限に使うだろう。

(*-_-*)

> それで充分だ。

わかります。

今日は……ずいぶん明るいうちに終わりました。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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