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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.341 2010/10/17(第341号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ
という言葉を信じた、仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 924名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.「夢」が「現実」になったとき

2.写経ニサルガダッタ:【61 物質は意識そのものだ】の1回目

3.「ご投稿・情報提供」:ドン・ガバチョさん

4.編集後記:あとはただ……どれくらい無事に耐えられるか
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■ 1.「夢」が「現実」になったとき
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土曜日の朝のこの時間……なんだか幸せなんですよね。

何をしてもいい自由……。

というか……実状は……何を考えてもいい自由……ということかな。

こうして自由な時間に出合うと……マインドは……何らかの意味づけに走り出
そうとする……。

でも……じつは……どんな意味もないわけです。

それが……はっきりしている……。

日は燦々と……光を降ろし……。

肌は微かに……光の温かみを感じている……。

そして……何もしなくていい……。

というか……何を考えてもいい……。

(本当は……何も考えなくてもいい……なのでしょうが……。(*-_-*) )

この瞬間に……強制された固有の意味はありません……。

唯一の真実は……「私は在る」……ですから。

わたしが「在る」ことだけは……否定できない。

それ以外はすべて……想像です。

しかも……わたしが「在る」がゆえに……このすべてが在る……。

これもまた……否定できない真実です……。

現象に対するすべての文脈は……わたしの理解が紡ぎ出す……。

わたしの理解がすべてを包含すれば……わたしはその中心に「在る」……。

自分の創造物から……どんな状況を強制されることもなく……。

いずれにしろ……すべては……わたしが「在る」がゆえに在るだけだから。

(-_-)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

自分の……悪戯の結果に取り囲まれて……われわれは今……ここにいます。

ここでわたしが……記憶と想像の蔓で編まれた……偶然の文脈に依拠して……
浮上する“欲望と恐怖”に反応すれば……偶然の意味が生まれるでしょう。

その意味を掴めば……物語が生まれます……。

その物語のなかで……意味は現実となり……“ネズミ取り”は完成する……。

もちろん……好みの“ネズミ取り”のなかにいるなら……それでいいとも……
言えるのかもしれません……。

しかし……いったん……“現実”のなかに入ってしまったら……もう自由はな
くなります……。

だって……“現実”とは……“現れ”がリアルであるという“思いこみ”……
つまりは単なる“信念”のことなのですから……。

“現れ”がリアルだとすると……“現れ”を構成する構造も……リアルでなけ
ればならなくなる……。

想像を形にするための方便にすぎなかった構造は……こうしてそれ自体が実体
をもつ“現実”に格上げされます。

知覚を可能にするための「構造」自体が……リアルなものとなる……。

構造が……現実になる……とは……いったいどういうことなのか?

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 客観的な世界には構造があり、秩序をもち、美しいものだ。
 誰もそれを否定できない。
 だが構造と様式は、そこに強制と拘束があることを暗示しているのだ。
 私の世界は絶対的に自由だ。
                          『私は在る』(p305)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

結局……構造が現実になるとは……“構造と様式”に固有の“強制と拘束”が
……現実になるということだと思います。

“現れ”がリアルであるとは……“強制と拘束”が現実だということです。

“現れ”を構成するには……それが形態的“現れ”であれ……心情的“現れ”
であれ……何らかの物質的根拠が……必要になるでしょう。

なんらかの“汚れ”なしには……映しだされるものもまた……在りえないでし
ょうから。

形態的“現れ”を「形」と呼び……心情的“現れ”を「名前」と呼ぶなら……
「形」にも「名前」にも……何らかの物質的根拠が必要だということです。

むろん……「名前」担当を「意識」と呼び……「形」担当を「物質」と呼ぶの
はかまいません。

しかし……「名前」担当の「意識」にしろ……「形」担当の「物質」にしろ…
…どちらも何らかの物質的根拠なしには……顕現しえないということです。

“現れ”であるためには……何かを……遮らなくてはならないからです。

言葉にして言うなら……気づきの光を……でしょうか。

あるいは……わたしを……それとも……真我を。

しかも……“現れ”でありうるためには……その遮るものは……絶えず変化し
なくてはならない。

----------------------------------------------------------------------
 変化しないものを意識することはできない。
 意識とはすべて、変化の意識なのだ。
 だが、変化を知覚すること自体、不変の背景の存在を前提しているのだ。
 
                          『私は在る』(p535)
----------------------------------------------------------------------

「形」を担当する物質は……「名前」を担当する意識以上に……さらに一層…
…硬直的な構造でなければならないでしょう。

寝ているときに見る夢が……エネルギー状態の意識だとすれば……目覚めてい
て見る夢は……エネルギー状態の意識と物質状態の意識を含むはずです。

睡眠中の夢には……より微細な物質(たとえば、クォーク)しか……含まれて
いないのかもしれません。

しかし……目覚めの夢には……より粗大な物質(たとえば、原子)も組み込ま
れる……のではないでしょうか。

目覚めの夢の“現れ”は……より確実に……それだけ粗大に……そして堅固に
……なるはずです。

それが……“現実”というものの……属性になっていくのでしょう。

そうなれば……ますます「名前」は「形」に対応し……たとえば欲望とか恐怖
といった……より不自由な意識内容を……含むようになる。

より硬直的で……より不自由な……夢を紡ぐことになっていくはずです。

“現れ”のなかで「形」を担当する物質は……意識であると同時に……無知そ
のものでもあるようです。

----------------------------------------------------------------------
 物質自体が無知だ。
 知ろうとしないこと、そして知らないということを知ろうとしないこと、そ
 れがかぎりない苦しみの原因なのだ。
                          『私は在る』(p134)
----------------------------------------------------------------------

つまり……われわれは……“現れ”を創造することで……とんでもないものを
……手に入れることになったわけです。

“現れ”には「知覚」が必要なので……“知る者”と“知られるもの”という
……元型の“分離幻想”が……誕生せずにはいません。

“現れ”という「夢」は……かくて構造をもった“知られるもの”と……その
“知られるもの”の虜となった“知る者”として……「現実」になる。

「夢」が「現実」になったとき……唯一の「実在」であるわたしは……“知ら
れるもの”のなかの虜囚となるわけです……。(-_-;)

「夢」が「現実」になったとき……。(;_;)

しかし“現れ”のなかに……本当の現実というものはあるのか……。(=_=)

> そこには想像があるだけだ。

(@_@)

----------------------------------------------------------------------
 知性とエネルギーは、あなたの想像のなかですべて使い果たされてしまった。
 あなたはまったく想像に夢中にさせられてしまったため、どれほど実在から
 遠く離れてさまよい歩いたのかさえわからなくなってしまったのだ。
 想像が豊かな創造力であることに疑いはない。
 宇宙のなかの宇宙も、想像によって構築されているのだ。
 それにもかかわらず、それらはみな空間と時間、過去と未来のなかにあり、
 実際は存在しないのだ。
                        『私は在る』(p306-307)
----------------------------------------------------------------------

……。

宇宙が……空間と時間のなか……過去と未来のなか……つまりは想像と記憶の
なかにあるのは……紛れもない事実です……。(-_-)

これは……正真正銘の……事実です……。

> 実際は存在しないのだ。

「実際は存在しない」……。(-_-;)

それを……受け入れられるかどうかは……別として……。

----------------------------------------------------------------------
 ひとたびあなたの想像以外は何も困難をもたらすことができない、と絶対の
 確信を持って知るなら、あなたは欲望や恐れ、概念や見解に注意を払わず、
 真実とともにのみ生きるだろう。
                          『私は在る』(p131)
----------------------------------------------------------------------

……。(-||-)

そうか……そういう意味だったのか……。

……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【61 物質は意識そのものだ】の1回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

どうやら今回は……この章の内容のまわりを回っていたようです。(^^;)

種はここに蒔かれていたみたい。

そして……じつは……意外なことに、

> 世界には何の間違いもない。

ということらしい。

なぜなら、

> 誤りはあなたの見方にあるのだ。

ということらしいですから。

> あなたを惑わせるのは、あなた自身の想像だ。
> 想像なしには世界もない。

そういうことを……マハラジに教わったわけですよねぇ。

そして……なによりも今回考えさせられたのは……、

> あなたが世界を意識しているという確信が世界なのだ。

というメッセージでした。

これが……正真正銘の……事実なんでしょうね。

では、【61 物質は意識そのものだ】の1回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 幸運にも全人生において私は聖者との交わりをもってきました。そ
     れは真我の実現のために充分でしょうか?
 
 マハラジ
 それは、あなたがそれから何をつくり出すかによる。
 
 質問者 サットサン(聖者との交わり)のなかで起こる解放への働きは自動
     的なものだと聞きました。川が人を入り江まで運ぶように、善き人
     びとの深遠な沈黙の影響が私を実在へと導くのです。
 
 マハラジ
 それは川まであなたを連れていくだろう。
 しかし川を渡るのはあなた自身なのだ。
 自由への意志なしには、自由を獲得することも維持することもできない。
 解放に向かってあなたは努力しなければならない。
 最小限あなたにできることは、入念に障害の覆いを取り除くだけだ。
 もしあなたが平和を求めるのなら、努力しなければならない。
 ただ静かにしているだけでは、平和は得られないだろう。
 
 質問者 子供はただ成長します。彼は成長のための計画を立てません。パタ
     ーンももってはいませんし、こちらの手、あちらの足というように、
     部分的に成長するわけでもありません。彼は完全な形で、無意識の
     うちに成長するのです。
 
 マハラジ
 なぜなら、彼は想像から自由だからだ。
 あなたもまたそのように成長することができる。
 しかし、記憶や期待から生まれた予測や計画に熱中してはならないのだ。
 未来に関心がないこと、それがジニャーニ(賢者)の独自性のひとつなのだ。
 あなたの未来への関心は苦痛への恐れと、快楽への欲望によるものだ。
 ジニャーニにとってはすべてが至福だ。
 彼は何が来ようとも幸せなのだ。
 
 質問者 ジニャーニでさえ惨めになるような、多くのことがかならずあるは
     ずです。
 
 マハラジ
 ジニャーニは困難に遭遇するかもしれない。
 しかし、それが彼を苦しめることはない。
 子供を誕生から成人まで育て上げることは困難な仕事かもしれない。
 しかし、母親にとっては苦難の思い出も喜びなのだ。
 世界には何の間違いもない。
 誤りはあなたの見方にあるのだ。
 あなたを惑わせるのは、あなた自身の想像だ。
 想像なしには世界もない。
 あなたが世界を意識しているという確信が世界なのだ。
 あなたが知覚している世界は意識でできている。
 あなたが物質と呼ぶものは意識そのものなのだ。
 あなたは、そのなかで世界が動く空間(アーカーシュ)だ。
 あなたは永遠に続く時間だ。
 あなたはそれに生命を与える愛なのだ。
 想像と執着を切り落としなさい。
 すると、何が残るだろうか?
 
 質問者 世界が残り、私が残ります。
 
 マハラジ
 そのとおりだ。
 だが、あなたが欲望と恐れのスクリーンを通して見ず、あるがままに見ると
 き、何と違うことだろう。
 
 質問者 実在の幻想、智慧と無知、聖人と罪人、これらすべての区別は何の
     ためにあるのでしょうか? 誰もが幸福を探し求めています。誰も
     が必死になって努力をしています。誰もがヨーギであり、彼の人生
     は智慧の学校なのです。各人が各々の方法で、必要な教訓を学んで
     いるのです。社会はある者たちを認め、ほかを否認します。どこで
     も、いつのときにでも適応する法則というものはないのです。
 
 マハラジ
 私の世界では、愛が唯一の法則だ。
 私は愛を求めず、ただ与えるだけだ。
 それが私の本性なのだ。
 
 質問者 あなたはパターンにしたがって毎日を生きています。朝には瞑想の
     クラス、講話と討論を定期的にもっています。一日に二度、礼拝
     (プージャ)があり、夕方には宗教的な献歌(バジャン)があり
     ます。あなたは一日の過程を綿密に固守しているようです。
 
 マハラジ
 私の見るかぎり、礼拝や献歌に関しては、私が干渉する理由はない。
 一般的な日課は、私がともに生活するようになった人びとや、話を聞きに来
 る人たちの要望に応えたものだ。
 彼らは働いている人たちで、多くの義務があり、時間の調整は彼らの都合に
 合わせている。
 いくつかの繰り返し過程は避けられない。
 動物や植物でさえ、彼らの時間割をもっているのだ。
 
                        『私は在る』(p303-305)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 幸運にも全人生において私は聖者との交わりをもってきました。そ
>     れは真我の実現のために充分でしょうか?

どう答えるのかなぁ……マハラジは。

> マハラジ
> それは、あなたがそれから何をつくり出すかによる。

まったく。

> 質問者 サットサン(聖者との交わり)のなかで起こる解放への働きは自動
>     的なものだと聞きました。川が人を入り江まで運ぶように、善き人
>     びとの深遠な沈黙の影響が私を実在へと導くのです。

そうか……。

そこには……いろいろな連想がありうるけど……。

> マハラジ
> それは川まであなたを連れていくだろう。

はい。

> しかし川を渡るのはあなた自身なのだ。

はい。

しかもなお……個人としてのわたしが……それを選べる……わけでもない。

> 自由への意志なしには、自由を獲得することも維持することもできない。

わかります。

> 解放に向かってあなたは努力しなければならない。

はい。

> 最小限あなたにできることは、入念に障害の覆いを取り除くだけだ。

ちょっと不思議な表現ですけど……。

ここは、英文原典では、

the least you can do is uncover and remove the obstacles diligently.

ですね。

なるほどなぁ……そう書いてあるわけですねぇ。

> もしあなたが平和を求めるのなら、努力しなければならない。

はい。

> ただ静かにしているだけでは、平和は得られないだろう。

わかりました。

> 質問者 子供はただ成長します。彼は成長のための計画を立てません。パタ
>     ーンももってはいませんし、こちらの手、あちらの足というように、
>     部分的に成長するわけでもありません。彼は完全な形で、無意識の
>     うちに成長するのです。

なるほどなぁ……どうして子供と同じようにはいかないのか、と。

> マハラジ
> なぜなら、彼は想像から自由だからだ。

そうか……これは大人にはなかなか厳しい。

> あなたもまたそのように成長することができる。

(@_@)

> しかし、記憶や期待から生まれた予測や計画に熱中してはならないのだ。

やっぱり。

> 未来に関心がないこと、それがジニャーニ(賢者)の独自性のひとつなのだ。

そうか……。

> あなたの未来への関心は苦痛への恐れと、快楽への欲望によるものだ。

おっしゃるとおりです。

> ジニャーニにとってはすべてが至福だ。

うーむ。

> 彼は何が来ようとも幸せなのだ。

(-||-)

> 質問者 ジニャーニでさえ惨めになるような、多くのことがかならずあるは
>     ずです。

プ。(>_<)

> マハラジ
> ジニャーニは困難に遭遇するかもしれない。
> しかし、それが彼を苦しめることはない。

わかります。

> 子供を誕生から成人まで育て上げることは困難な仕事かもしれない。
> しかし、母親にとっては苦難の思い出も喜びなのだ。

そうかぁ。

> 世界には何の間違いもない。

(@_@)

> 誤りはあなたの見方にあるのだ。

(*@_@*)

> あなたを惑わせるのは、あなた自身の想像だ。

そうか……ここでも想像か。

> 想像なしには世界もない。

はい。

> あなたが世界を意識しているという確信が世界なのだ。

ガーン!? (*_*)  ⌒★?

「世界を意識しているという確信が世界」……。(-_-;)

> あなたが知覚している世界は意識でできている。

おお……。

> あなたが物質と呼ぶものは意識そのものなのだ。

はい。

> あなたは、そのなかで世界が動く空間(アーカーシュ)だ。

わかりました。

> あなたは永遠に続く時間だ。

理解できます。

> あなたはそれに生命を与える愛なのだ。

ああ……。(*-||-*)

> 想像と執着を切り落としなさい。
> すると、何が残るだろうか?
> 
> 質問者 世界が残り、私が残ります。

そうか……「世界」と「私」のあいだの関係性が切り落とされたわけか。

なるほど……。

上で、

「世界には何の間違いもない。
 誤りはあなたの見方にあるのだ」

と言われているわけだものなぁ……。

「私」から「世界」への想像と執着がなくなったら……ということか。

> マハラジ
> そのとおりだ。
> だが、あなたが欲望と恐れのスクリーンを通して見ず、あるがままに見ると
> き、何と違うことだろう。

そうかぁ……。

すべては……世界を見るわたしの見方のなかに……隠れているんだ。

もしも……わたしの不幸……というものがあるとしたら……。

幸福も……不幸も……すべて想像のなかにあるんだなぁ……。

(-||-)

> 質問者 実在の幻想、智慧と無知、聖人と罪人、これらすべての区別は何の
>     ためにあるのでしょうか? 誰もが幸福を探し求めています。誰も
>     が必死になって努力をしています。誰もがヨーギであり、彼の人生
>     は智慧の学校なのです。各人が各々の方法で、必要な教訓を学んで
>     いるのです。社会はある者たちを認め、ほかを否認します。どこで
>     も、いつのときにでも適応する法則というものはないのです。

少し……怒ってるみたい。^^;

> マハラジ
> 私の世界では、愛が唯一の法則だ。

……。

> 私は愛を求めず、ただ与えるだけだ。

(@_@)

> それが私の本性なのだ。

そこまで自分のフォーカスを引き戻すことさえできれば……それが本当は……
すべてのひとにとっての……本性なんだろうなぁ。

(-||-)

> 質問者 あなたはパターンにしたがって毎日を生きています。朝には瞑想の
>     クラス、講話と討論を定期的にもっています。一日に二度、礼拝
>     (プージャ)があり、夕方には宗教的な献歌(バジャン)があり
>     ます。あなたは一日の過程を綿密に固守しているようです。

ここでちょっと……質問の気分を変えたようですね。

> マハラジ
> 私の見るかぎり、礼拝や献歌に関しては、私が干渉する理由はない。

はい。

> 一般的な日課は、私がともに生活するようになった人びとや、話を聞きに来
> る人たちの要望に応えたものだ。

わかります。

> 彼らは働いている人たちで、多くの義務があり、時間の調整は彼らの都合に
> 合わせている。

はい。

> いくつかの繰り返し過程は避けられない。

たしかに。

> 動物や植物でさえ、彼らの時間割をもっているのだ。

おっしゃるとおりです。

(-||-)

ありがとうございました……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


        …………○…………○…………○…………


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「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単なるメールな
ど、ご自由にお書きいただければと思います。


        …………○…………○…………○…………




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■ 3.「ご投稿・情報提供」:ドン・ガバチョさん
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

『アセンション館通信』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
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        …………○…………○…………○…………


今回も、ドン・ガバチョさんから情報をご投稿いただきました。

早速、ご紹介させていただきます。

【件名】: なぜあなたは我慢するのか
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 ヴァーノン・ハワード、この名前にピンと来る人は相当のスピ古参(?)か
 と・・・
 私が初めて氏の書籍に触れたのは30年前の大学生の頃でした。
 「なぜあなたは我慢するのか」、「スーパーマインド」に魅了されたのが、
 スピ探求のきっかけでした。
 最近、須藤元気さんの焼き直しによる「宇宙のセオリー」という書籍が出版
 されています。読んでみましたが、原典である「なぜあなたは我慢するの
 か」、「スーパーマインド」が私にはスンナリと入ってきます。
 皆さんには如何でしょうか・・・
 
 ―――――――
 なぜあなたは我慢するのか 第3章 日々の人間関係を克服しよう
 
 賢者は常に人間の本性を、表面に顕われているところからではなく、真にあ
 るがままを直視する。
 へンリック・イプセンの痛烈な戯曲のなかに、ラ・ロシュフコーの歯に衣き
 せぬ警句に、イエスや仏陀の人間を叱る説教に、われわれはこの健全な正直
 さを見ることができる。
 人間性のネガティブな半面は変えることができる。
 だが、その一見美しい幻想については、それにより苦しみ悶える以外にな
 い。
 傷口に薔薇を置いても、傷はいぜんとして傷である。
 
 なぜ自分が他人とうまくいかないのかどうしても理解できないときは、次の
 訓(おし)えに耳を傾けるとよい――あなたが自分自身について何でも知っ
 ているとき、あなたはまたあらゆることについて何でも知っているエキスパ
 ートとなるはずである。
 鷹は己れ自身を知り、己れの本性を知る。
 それゆえ鷹は同じ本性をもつ他の鷹どものことなら何でも知っている。
 あなた自身を、その在るがままに知れ、そうすれば他人を彼らの在るがまま
 に知ることができよう。
 すなわち、あなたはあなたの人間関係ではたいへん賢い人となれるのであ
 る。
 
 人間の場面をそのあらゆる混乱と苦悶のまま明視することによって自己覚醒
 はスピードアップされる。
 ジョージ・マクドナルドが哀しい情景を描写している。
 「ほら、彼らが行く――人間世界のあわれな小雀どもが、ぺちゃくちゃ囀
 (さえず)りながら、すこしでも得になればとやたらにパン屑や種子を漁り
 に駆けまわって!」
 
 こうした情景の惨めさを見ることのできる眼は、その人のネガティブな人柄
 を現わしているのではない。
 ひとつの正直な心を示しているのである。
 この心は彼にこう叫ばせる。
 「おれはあんな生き方はしたくない!」
 
 マイケル・Jは職工長をしているが、人間の本性をもっとよく知るために、
 彼の日々の人間関係を資料として使っている。
 彼は毎日、観察事実をひとつだけ認(したた)めた。
 ここに三つだけ紹介する。
 ・どの男も見かけ以上にはるかに怯えている。
 ・人々は他人を傷めつけることで威力感という誤った自己破壊的な自負を身
 につけていく。
 ・真の知慧にもとづいた強さのみが正しい人間関係の礎石である。
 
 あなたが既成システムと闘うならば、あなたはその既成システムの一部であ
 る。
 そうであるかぎり、あなたは逆襲される。
 逆襲されるということは、ほんとうは、あなた自身の内部にある不可視のネ
 ガティブなものによって攻撃されているのである。
 システムと戦うことは敵に弾薬を与えるようなものだ。
 よしたほうがいい、無意味である。
 あなた自身のために戦うがいい、それなら意味がある。
 
 「どうすれば人類は争いをやめられましょうか?争いをやめるシステムさえ
 発明できればいいと思うのですが・・・」とあるクラスメンバーが訊いた。
 答え――「争いをやめるのにシステムは要りません。
 ただ争うのをやめればよいのです。
 争い合う人類は、たとえば平和会議といったようなシステムの有効性を信じ
 るフリをしています。
 事実は、平和的であるかのごとく見せかけながら、争いを続けるためなので
 す。
 システムはいま直ちに健全な心となることを回避する方便です。
 健全な心は今ここにあるのであって、明日にではありません」
 
 〈誰とも仲よくする方法〉――偽りの自己イメージを粉砕せよ
 
 他人の誤りから自分を守る方法はひとつしかない、それは自分の誤りから自
 由になることである。
 自分の誤りと他人の誤りは同一レベルにあるのであって、激突は必至であ
 る。
 しかし自分自身の誤りを見ることは、「正しい人間」という自家製の自己イ
 メージにとっては不快なショックである。
 自己解放へのプロセスで、自分自身の誤りを見るというこのテストに合格す
 るものが少ないのも当然である。
 自分が、偽りの自己イメージを粉砕することをためらっている――これを知
 ることが正しい方向へ踏みだす手近な第一歩である。
 
 コチコチの既成概念が自己救済を阻んでいるのである。
 ソクラテスはかつて、すばらしく巧みに彫られた石の人体像を見て感嘆し、
 「なんと、人間というものはこの彫刻家に劣らない巧みさで、彼ら自身をみ
 んな石に変えてしまうものか!」と嘆いたという。
 自己溶解(石のように固くなった自分自身を溶かし柔軟にする)と自己回復
 とは同じプロセスである。
 あなた自身を変えるという自分の仕事に、自分自身がどこまで、いかほど関
 わっていることか!
 このことをじっくりと問うとよい。
 
 ブルース・Mが問うた。「誤った自己感覚を棄てることがどうして人々の間
 に真の人間関係を築くのでしょうか?」
 答え――「ここが大切なポイントですからよく聴いて下さい。
 『わたし、あなたとは何か?』
 わたしは、あなたをあなたと見ないかぎり、わたし自身をわたしと見ること
 はできません。
 あなたとは、わたしが創りだした対象です。
 わたしはわたし自身を、あなたとの対照関係でしか見ない。
 あなたを友としてか敵としてか、そうしたあなたを、わたしは意識的に創り
 だしている。
 それは、わたし自身を、わたしというレッテルを貼られたものとして確立す
 る。
 ということはそう誤って思い込んでしまうためなのです。
 しかしこの、わたしがあなたとは別個の、対立した存在であるというアイデ
 ンティフィケーションは、そもそもの出発点からして間違っている。
 対立ではなく、一体であることこそが現実であり真実なのです。
 これが分ると、幻想のうえに築かれた友と敵とは消え、わたしはあらゆる人
 と真の人間関係に立たせられます」
 
 偉大な思想家はみな、一なるものであることを説いている。
 彼らは人と神とは一である、人と字宙とは一である、人と彼自身とは一であ
 る、と教えている。
 幻想に曇らされた思考が、人をして、自分は他とは離れた別の、固有の自我
 を有しており、この自我こそ拡大され守られねばならぬと信じさせるのであ
 る。
 この幻想が戦争やあらゆる人間的悲惨を惹き起すのだ。
 個人であるその人が、この「一なる本質」を悟るとき、彼の内的葛藤は完全
 かつ永久に消滅する。
 
 われわれは自分自身のうちにある好きなところを、他人のうちにも好く。
 自分自身のうちで拒むところを、他人のうちでも拒む。
 それゆえわれわれは交互に入れ替わる自己像によって、お互に惹かれたり斥
 けられたりしているのに、他人が一方的にわれわれの感情を惹き起こすのだ
 と錯覚している。
 この事実に気づくことが実際的、現実的な自己認識である。
 自己賞讃をも自己処罰をも滅却し、かくてより高い次元からものを考えるこ
 とによって、われわれは決して誤って他人に魅せられることはなくなる。
 従って他人から傷つけられることもやむ。
 
 あなたが自分自身を律しているとき、あなたはまた、あなたの出会う誰をも
 律しているのである。
 ただし一般の人々が考えるのとはまったく異る仕方で律しているのである。
 他の誰かに力を及ぼそうという欲求はなしに、おのずとその人を律する立場
 に置かれるのである。
 これは自然で、非神経症的で、ごく平和的な力である。
 この素晴しい境地は、東洋の導師たちのいう「事物の本性への随順」を達成
 した人すべてのものである。
 
 あなたは、出会う誰とでも全く気楽にくつろいでいられるあなた自身を想像
 できるだろうか?
 この落ち着きはあなたのものとなり得る。
 一国の大統領と会おうが、あなたの隠された過去を知っている人と会おう
 が、あなたを敵視している人と会おうが、常に泰然自若としていられる心境
 だ。
 苛立ちとか神経質とかいう心理状態は、過去の経験を現在の瞬間へ出しゃば
 らせるから起こってくるのである。
 過去が現在へ権利を主張するのは不合理である。
 あなたはこれを不合理と見抜かなくてはならない。
 ミシシッピ川の堤防に立って川を見る。
 一分後、あなたはまだそれをミシシッピ川と呼ぶだろうが、あなたの眼前の
 流れはすでに新しい水なのだ。
 そこにさっきいった気軽さの秘密があるのだが、おわかりだろうか?
 
 〈勝敗を超えた勝利〉――人間関係はどうしてできるのか
 
 人間のいざこざがどうして起こるのか理解するためには、人間の本性を深く
 調べてみなければならない。
 他の方法ではダメである。
 何かを隠している人たちは、たとえば「平和委員会」の設置といった代替手
 段を提案するが、そんなものは意味がない。
 人間の本性をたゆまず掘り下げている人は、人間の悪意を理解しており、決
 して悪意のとりこにはならない。
 例えば、人間というものは、もしなにかのチャンスがあれば、いかに悪辣に
 他人を虐げるものであるかは、その人自身が同じように虐げられたとき、ど
 れほど憎悪をこめて絶叫するかを見れば、あなたも理解されよう。
 
 「なぜ、霊的な教師たちはみんな、人類により大きな調和と共存をもたらす
 と思われるあらゆる種類の社会的計画に、力をこめて反対するのでしょう
 か?」とビル・Wが訊いた。
 答え――「不純な水を飲んで病気になった人は、不純な水をいくら飲んでも
 快くなりません。
 人間の計画は決して人間の病気を治癒することはできないのです。
 薬が病気を治す訳は、薬が病気とは異るからです。
 偉大な教師たちの説く原理で勉強すれば、不純物と薬との違いが分るように
 なります」
 
 エソテリシズムの教師であるジョージ・グルジェフは人の表白する理想とそ
 の内面の空虚さのショッキングな隔りを明らかにする実験を行ないつづけて
 きた。
 非常に強い信念をもっている人を、その表面的なパーソナリティを遮断する
 ような心理状態に一時的に入れる。
 そこで、「君はまだこの強烈な意見を述べたいと思うか!」と問いかける
 と、その人はどんより曇った眼であたりを眺め、「ぜんぜんそんなものに関
 心はない。キイチゴのジャムが欲しい!」と告白した。
 グルジェフは「偽りのパーソナリティを剥ぎとってしまえば、甘いものの好
 きな幼児にすぎない」と結論づけている。
 
 霊的に目覚めた人々の比類なくすぐれた洞察力についてディスカッションの
 間に、私は次のことをクラス一同に伝えた。
 「みなさんは、自分のことを何でも知り抜いている人に会いたいと思います
 か?
 ニヤニヤしている人がいますね。
 人間の仮面を即座に見透すような人にはたいてい誰も会いたがりませんが、
 でもそうした人だけが、ほんとうに助けてくれるのです。
 病気を理解しているから治療法も知っているのです。
 しかしまず、患者が治りたいと思わなければダメです」
 
 目覚めた人は社会と独特の関係をたもっている。
 ゲームについては知り尽しているが、自分ではプレーしないフットボール試
 合の見物人のようなものだ。
 いずれかの側に就くという重大な誤りから超越しているので、勝ち敗けには
 まったく関心がない。
 勝ったかと思うとすぐまた敗けに転じるといったたぐいの生き方に飽きあき
 した人々にとって、このような人が貴重なのはその人生ゲームに対する洞察
 の深さである。
 彼はまったく新しいかたちの勝利を見せてくれよう。
 それはコンテストでの勝利ではなく、分割されない道である。
 
 われわれの人間関係はどうして出来るか?
 われわれは、われわれが既にそうで在るところのものに惹きつけられるので
 ある。
 自分の心と似たような他の心と接すると、ますます人は彼が既に在るところ
 のものになっていく。
 蜂蜜の味は蜂が訪れた花の種類によって決まる。
 自分の内的な自己に働きかけない人は、無目的社会の味気なさに、もっとも
 っと惹きつけられていく。
 最初にまず独りで自己自身に働きかけている人は、意識(目覚めた状態)の
 味わいを感得し、それで更に彼は他の目覚めた人々へと惹きつけられていく
 のである。
 
 ロイド・Fが、「自己作業(修行)がわれわれを厄介な人々から解放してく
 れるという点を説明して下さい」と言った。
 答え――「いいですか、口論とか敵対行動などが多くの人々に誤った生感覚
 を与えます。
 彼らは争いを烈しい刺激としてもちいるのです、アルコールや麻薬をもちい
 る人がいるように。
 こういった人はアジテーションがなければ生きていけないのです。
 それゆえ、無意識のうちに執拗に、必ずいざこざを招くと予感されるような
 人間関係を求めるのです。
 そしてスリルを得たあとは、また別の戦いを求めてでかける。
 あなたの質問ですが、もしあなたがこうした低いレベルを超えておれば、そ
 うした悶着を起こすような人たちを惹きつけない、なぜならあなたは彼らの
 求めるものはもってはいないからです」
 
 たいていの人は、怒った人に出会うと、自分でも怒ってしまうか、相手を宥
 (なだ)めてその怒りをしずめようとする。
 どちらも誤った反応である。
 賢い人なら、なぜ他人の怒りが自分にそうした反応を起こさせるままに自分
 は委せるのか、その訳を理解しようと努めるだろう。
 そして強く、自分の反応を拒否するであろう。
 これで他人の怒りという問題は、その他人個人だけのものとして残る。
 それを解決するのはその他人であり、それはその他人自身なのである。
 
 他人があなたを好いてくれるようにと、あるいは彼らをあなたの味方につけ
 る目的で、便宜、親切を与えてはならない。
 それは誤った動機であってあとで罰を招く。
 ひとつには、他人はあなたが彼らを求めていることを嗅ぎつけ、友情を装い
 ながら、内心軽蔑してあなたを利用しようとするだろう。
 それにまた、そうした行為は、強さがあなたにではなくむしろ他人側にある
 との誤った確信を深める。
 不誠実な国々とは交易を拒む独立不覊(ふき)の国民であるべきである。
 
 あなたよ、あなた自身の監督人であれ。
 あなたは自分で自分の責任をとらなければならない。
 自己責任に徹した人は、自分だけの力で山頂に登った人に似ている。
 彼は他人にたよらず、他人の意見に従わなかった。
 だが、あくまで草の生えた低地にいようと言い張った人々に、なにかを負う
 ているという罪の意識は感じない。
 自己責任に徹し、あらぬことで罪の意識が湧いたら、すぐさまそれは一掃し
 なければならない。
 罪の意識は心理的暴君と見るべきである。
 
 他人の問題を自分のこととすべきではない。
 誰かがあなたに向かって無礼を働いたとしても、なんで心を乱すことがあろ
 うか?
 他人が狼狽し動転したとき、自分もその責任を負って狼狽し動転しなければ
 ならないことがあろうか?
 ところが実際そう感じるような、あらゆることに誤った罪の意識をもつ人が
 多い。
 しかしあなたの義務はあなた自身を救うことだ。
 他人の義務は彼自身を救うことだ。
 センチメンタリズムではなく、知慧が救うのである。
 
 偽りの自己感覚は誤った責任感を荷重し、それはまた自分の「道徳規範」に
 則って生きてはいないといった罪の意識を生みだす。
 このダイナマイト製造工場に起こりやすいもうひとつの幻想は、自分が実際
 他の人々のために善いことができるという幻想である。
 よりよい世界をめざして、無意味な社会改革案や組織的運動などがやたらに
 次から次へとでてくる根源はこれである。
 エマーソンは「社会はけっして前進しない。一方で進めば他方で後退する」
 と喝破している。
 ただ個人の意識性(覚醒)だけが物事を向上させることができる。
 
 もともと善い人は善いことをしようと目論んで駆けまわるのではない。
 彼自身の善性が善を行なうのであって、どこへいこうとおのずと善を行なう
 ことにならざるを得ないのである。
 だがこのことに気づく人は少ない。
 善性を具えた人は、自分が悪い人を善くなるよう助けることのできる善人で
 あるといった、分離した自己イメージはもっていない。
 自己中心的な善性は自己偽瞞者の専売特許である。
 悪い人は、善性というものを心のなかのなにか個人的なプラス面というふう
 に考える。
 だが真に善なる人は、「自分が」という意識はなくておのずと善を表出する
 のである。
 薔薇は薔薇であるから、寸毫(すんごう)もそれみずから薔薇と思う必要は
 ないのだ。
 
 〈辛抱づよい自己作業があなたを変える〉――敵意というものの理解が助け
 になる
 
 他人と出会うとき、あなたにはその人達が正しいか間違っているかは分らな
 いのだ。
 ただ注意深く相手を観察しておればよい。
 相手がネガティブな人格特性を暴露するかどうか、おし隠された敵意、自己
 賞讃を表わすかどうか、あるいはそれとない非難の意をふくめているかどう
 かを注意すればいい。
 ネガティブな態度というものは、到底正しくはあり得ない。
 それは彼の立脚点が間違っていることを意味している。
 間違いやすい看板屋というものがなければ間違った看板はあり得ない。
 あなた自身をこのようなテストに、同じく注意深く、かけなければならな
 い。
 この自己反省が正しさを築いていくのである。
 「敵意」というものの理解が助けになる。
 敵意とは、自分自身と、直視することが恐い自分自身についての事実とのあ
 いだに障壁を立てようとする血迷った試みである。
 しかし敵意は寸毫(すんごう)も彼自身を守ってはくれない。
 そもそも敵意とは、その人自身の内部に存在するものなのだからだ。
 防衛武器としてみた場合、この敵意なる代物は、敵の家を焼こうとして、暗
 闇のなかで勘違いして自分の家を焼いてしまうバカ者のようなものなのであ
 る。
 
 他人の悪さや弱点を、それも彼らにとっては必要なことだと見るのはよくな
 い。
 むしろ、あなたが自分に与えたと同じ自己覚醒の機会を彼らに与えてやるべ
 きである。
 これはセンチメンタルなものでもなく、ありもしない誠実さを、彼らにある
 として認めることでもない。
 むしろ、彼等も、見方さえ変えれば、みずからを自分の愚かさから救うこと
 のできる怯えかつ混迷した人間存在として見ることを意味している。
 これはあなたにとって、「あなた」と「わたし」といった言葉が創りだすか
 に見える偽りの区分を打ち破る手だてとなる。
 それに、あなたが他人に与える優しさは同時にあなたがあなた自身にも与え
 ているのだというのは心の法則である。
 
 覚醒は闇夜の灯である。
 覚醒していない人の状態とはどういうものであろうか?
 彼は、自分が知らないのだということに気がつかない。
 彼は覚めていない。
 だから自分が覚めていないことに気がつかない。
 そして迷っているから、同じく他の迷っている人々に、いっそう彼自身を迷
 わせる機会を与えてしまう。
 あなたはこんな状態の人を見たことはないか?
 しかし、そのような状態を続けているうちいつか、――いやそれが最適の時
 点なのだが、彼は「こんな馬鹿げたことはもう沢山だ!」と叫ぶに違いな
 い。
 そのとき既に、彼は覚め、彼の方向は変わるのである。
 
 他人から受けいれられないではやっていけない人は、まだいくつかの誤った
 考えのもとに暮らしているのだ。
 そうした人は、自我をくすぐる賑やかな交際や、自信ありげな他の人々から
 のはげましの言葉などに、まだ価値があると思っている。
 彼はまだ、自分の虚しさを社会の神経症的な騒音で満たせば、その苦悶から
 逃げられると思っている。
 目覚めた人は「受けいれる/拒む」といった対立用語に縋(すが)っていな
 い。
 単なる言葉を超えて生きている彼は、静かにおのずから満ちたりて、人々の
 間に立ち混ってやっていく。
 このような境地は、依然として受けいれられることを求めている人達にとっ
 ては思いもよらぬものなのである。
 
 薬剤師のアル・Hは、彼自身の精神的な成熟レベルがどんなふうに他の人々
 との関係に影響するのかを知りたいと言った。
 答え――「・・・弱さというものはどうしても他の人々に嗅ぎつけられ、利
 用されてしまうものです。
 あなたは自分はこれが欲しいのだと誤った欲求や願望をもっている。
 自己充足が強みであるのに対して、誤った欲求は弱みです。
 あなたの誤った欲求と、他人があなたをどう扱うかの扱い方とはつながって
 いるのです」
 
 アルは後日こう報告してきた。
 「わたしはもうある種の人々とのつきあいは要らなくなりました。
 負担が大きすぎるのです。
 その人たちに敵対しているのではありません。
 ただ物事を新しく見る眼ができたのです」
 
 あなたは戻りたいのに、彼らは戻らせようとしない、といった状況があると
 思う。
 あなたに言いたい。
 それでよいのだ。
 そうなったのは、彼らとの関係でどこかにぎこちないことが起こって、あな
 たがもう彼らとの関係からは以前のような慰めも安定感ももたなくなったか
 らかもしれない。
 そしてそのことをあなたはまだ理解していないのかもしれない。
 でも今は理解がいかないままで構わないのだ。
 ただひたすらに、これらの高次のアイディア、原理、原則に思いを潜め、辛
 抱づよく、みずからの修行に励むことである。
 やがてあなたは、それで構わないのだ、ほんとうはそれでよかったのだと、
 気づくことであろう。
 そしてもう戻りたい気は起こさなくなるであろう。
 ……
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ドン・ガバチョさん、今回はまぐまぐの容量制限で、全文は掲載できませんで
した。

ご了解ください。

情報投稿、ありがとうございました。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


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■ 4.編集後記:あとはただ……どれくらい無事に耐えられるか
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「私は在る」以外は……すべて想像だということが……だんだん日常的な感覚
になりつつある……ような気がします。

言われてみれば……これはじつに確かなことなんですよね。

物語は……記憶と想像のなかにしか……ありえないわけですから。

その記憶と想像のなかに……どれほど自分のパワーを委ねるか……ということ
だけなんだ……と思われてきます。

ことの次第がそういうふうに明瞭になってくると……ほんと……あとはただ…
…どれくらい無事に耐えられるか……だけだと思います。

今日も明るいうちに終えられました。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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