home > 通信 > 『アセンション館通信』第346号:埴谷雄高の≪自同律の不快≫



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.346 2010/11/21(第346号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ
という言葉を信じた、仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 926名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.埴谷雄高の≪自同律の不快≫

2.写経ニサルガダッタ:【10 観照】の2回目

3.禊ぎ通貨の話(その3):まずはささやかな“若葉マーク”から

4.いただいたお手紙から:いぬさん

5.編集後記:こんなに耳鳴りの音を大きくして……いったい
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■ 1.埴谷雄高の≪自同律の不快≫
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意識することは……苦痛です……。

これは……自明です。

そんなことを言っても……ほとんど誰にも意味は通じませんが……。

まさに寝言のようなもの……。

でも……事実でもあります……。

ほとんど誰も……意識したがらない事実です……。

もちろん……ここで言っているのは……純粋な意識のことではありません。

不純な意識……つまり内容物のある意識のことです。

汚れのなかの……話です。

つまりは……夢のなかのことですが……。

汚れは汚れを呼び……新たな創造へと……駆りたてられています。

既存の汚れを転写し……別の意味づけをして……新たな汚れを創り出す……。

参照……複写……分断……比較……混合……添加……展開……延伸……創造…
…参照……。

これ……すべて自動過程です。

苦痛は……意識の内容物を……意識すること自体のなかにあります。

誰が?

それが……問題です……。(^_-)

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

『不合理ゆえに吾信ず』のなかで埴谷雄高はこう書いています。

------------------------------------------------------
         ――私が ≪自同律の不快≫
        と呼んでいたもの、それをいま
        は語るべきか。

    ----------------------------------------

     ――さて、自然は自然において衰退するこ
    とはあるまい。
    
            『不合理ゆえに吾信ず』(p14-15)
              http://tinyurl.com/262ux4h
------------------------------------------------------

二十代のころ……こういう言葉にとても深い意味を予感していました……。

そして……その深さを……理解したいと思った……。(*-_-*)

そんな必要は……なかったのかもしれませんが……。

それとても……ロボットの一存で決められることでもないけれど……。

いまは……ごく素直に……この詩句の意味はわかります。

まあ……そう言うべきではなくて……このアフォリズムを見れば……自分なり
の理解は……ごく自然に湧いてくる……とでも言うべきかもしれません。

「自同律」とは……AはAである……ということですよね。

そこに……AはAであって、Bではない……という含意はあると思います。

記号で書くなら……「A=A」(かつ「A≠B」)でしょうか。

同一律とも言うようです。

では……≪自同律の不快≫とは何か?

埴谷さんは……「A=A」(かつ「A≠B」)であるのは不快だ……と言って
いるわけです。

もっと言うなら……自分が自分であって自分でしかないのは……不快だ、と。

いったい……何を言っているのか? (?_?)

これはじつは……「エゴ」の“我が儘”の……論理的エッセンスだと思います。

「私は私であるものだ」と言いたいのだけれど……しかし「お前はお前である
ものだ」と……言われれるのは嫌だ……と言っているわけです。(^^;)

こう聞いて……それでピンとくる方には……むろん……これ以上の説明は必要
ないわけですが……。

ただ……何のことやら……と思われる方もいるかもしれないので……ちょっと
蛇足を加えます。

「私は私であるものである」とは……ユダヤ教の神「エホヴァ」という名前の
意味だそうですね。

ラマナ・マハルシがこう言っています。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 神と真我は同じものでしょうか?
 
 マハルシ
 誰もが真我を知っている。
 だが、明確には知られていない。
 あなたはつねに存在している。
 その「在ること」が真我である。
 「私は在る」(I AM)が神の名前である。
 神を定義した言葉のなかで、『旧約聖書』の出エジプト記第三章一四節にあ
 る「私は私であるものである」(I AM THAT I AM)ほど、ふさわしい言葉は
 ない。
 他にも「ブラフマイヴァーハム」(ブラフマンは私である)、「アハム・ブ
 ラフマースミ」(私はブラフマンである)、「ソーハム」(私は彼である)
 という言葉がある。
 だが、「私は在る」(I AM)を意味するエホヴァという名前ほど、直接的に
 表現した言葉はないだろう。
 絶対的存在とは、ただ在るものである。
 それが真我である。
 それが神である。
 真我を知れば神を知る。
 実際、神は真我以外の何ものでもない。
                        『あるがままに』(p352)
                      http://tinyurl.com/2aar6zj
----------------------------------------------------------------------

大見者(マハルシ)に……神を表す言葉としてこれ以上「ふさわしい言葉」は
ないと保証された「エホヴァ」(=「私は在る」(I AM))ですが……。

日本の皇室の三種の神器(みくさのかむだから、さんしゅのじんぎ)の神鏡の
「八咫鏡」の裏面に彫られているのは……そのヘブライ語だとか……。

(現在公開されている「八咫鏡(やたのかがみ)」の画像はこんな感じです。
 http://tinyurl.com/2cxzk9w

 本物は伊勢神宮の内宮に安置されていて……現在は天皇を含め誰も見ること
 を許されていないのだとか……。)

ただ……以前そういう話を聞いたことがあったので……いまちょっと調べてみ
たんですが……。

いやー……いまは便利な時代ですねぇ……というかむしろ……日本はありがた
い国だと言うべきか……。(-_-)

中国のように削除されることもなく……ちゃんとその類の情報が公開されてい
るんですねぇ。

興味のある方は……最後のほうまで読んでみてください。

「八咫鏡と神の御名」:明治の文部大臣,森有礼が唱えた「神鏡ヘブル文字説」

というわけで……ちょっと脱線しましたが……≪自同律の不快≫の話でした。

埴谷さんは……「私は私であるものだ」と言いたいが……しかし「お前はお前
でしかない」と言われれるのは嫌だ……と言っているのだと思います。

しかし……「私は私であるものだ」とは……ラマナ・マハルシも認める立派な
真理です。

それだけが“誰ひとり”傷つけることのない真理……とも言えるほどです。

「私は私であるもの」……ということで傷つく人は……本当は誰もいません。

つまり……埴谷さんが本当に不快を感じているのは……自同律そのもの(つま
り「A=A」であることそのこと)……に対してではないのです。

「3=3」であり「3≠4」だからといって……誰もそんなことで傷つかない
し……そんなことに不快を感じたりもしません。

ある意味では……そんなこと……“自分”とは何の関係もないですから……。

ではなぜ……埴谷さんは≪自同律≫は不快だ……と言うのか……。

その根本的な不快感情は……「私はAだ」と発語したら……とたんに「お前は
A以外ではない」と規定される……そのことのなかにあります。

埴谷さんは……それが不快だ……と言っているのです。

埴谷さんの哲学者的エゴは……エゴの苦悩をトコトンまで突き詰めました。

そして埴谷さんは……「私はAである」と言ったとたんに……「私はA以外で
もありうる」という可能性が否定されることに……我慢ならなかったのです。

確かに自分は「私はAだ」と言ったかもしれないが……だからといって「私が
A以外でもありうる」可能性を……否定したわけではない、と言いたい。

こんな屁理屈は……まったく意味がわからない……という方も……いらっしゃ
るでしょう。

むろん……無理にわかる必要など……まったくありません。(^^;)

もともと……わかる必要があるようなこと……ではありませんから……。

ただ……この埴谷雄高という方の……≪自同律の不快≫というイチャモンは…
…じつにエゴの苦しみの……論理的集約形……とも言えるのです。

では……ラマナ・マハルシが……最もふさわしい神の御名と保証した

           「私は私であるものである」

と……日本の哲学的文学者埴谷雄高の思考のなかの

           「私は私であるものである」

とは……何が違うのか?

それは……埴谷さんの思考のなかの「私は私であるものである」の「私」は…
…定義を持っている……ということです。

ラマナ・マハルシが触れた神の名「エホヴァ」(私は在る)……は無定義です。

そこでは……「私は私であるものである」であって……それ以上でもそれ以下
でもない。

「私は私であるものである」であって……どんな属性も拒否しているのです。

しかし……埴谷さんの「私であるもの」には……属性があります。

つまり……≪自同律の不快≫といういわば“婉曲話法”で……埴谷さんが訴え
ていたのは……「私」が定義を帯びることの不快……だったのです。

どんな定義からも自由でありたい……しかし「私はAである」と言ったとたん
に……「私=A」という定義を課せられてしまう。

いわば「私」は……「A」という属性を持つものとして……思考空間のなかに
……“ピンで留められてしまう”……。

しかし哲学的文学者である埴谷さんは……「私はAである」……という言い方
以外の……「私は私だ」を知りません……。

むろん……マハラジならこう断言するでしょう……。

----------------------------------------------------------------------
 私は私だ。
 いかなる身体的、あるいは精神的状態とも同一化不可能なのだ。
 
                          『私は在る』(p549)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

と……。(-||-)

……しかし……埴谷さんが宣言したい「私」は……そういう存在ではない。

------------------------------------------------------
         ――薔薇、屈辱、自同律――
        つづめて云えば俺はこれだけ。

    ----------------------------------------

     私はしばしば想いなやむのであるが、不快
    の裡に棲むものは論理と詩学のみであろうか。
    翅よ、翅よ、誰がここから飛びたつであろう。
    
            『不合理ゆえに吾信ず』(p16-17)
------------------------------------------------------

埴谷さんの「私」は……、

>         ――薔薇、屈辱、自同律――
>        つづめて云えば俺はこれだけ。

そういう属性をもった……定義を担った……「私」です……。

しかし同時に……「お前はAだ」とピンで留めようとする者があると……いや
違うよ……俺はBでもあるよ……と定義を……振りほどきたくなるのです。

>    翅よ、翅よ、誰がここから飛びたつであろう。

まあ……言葉だけで言うなら……Goose is out(鵞鳥は出ている)……「私」
は……最初から……どんな定義も……担っていないわけですが……。

----------------------------------------------------------------------
 すべての定義づけは、身体とその表現にしか当てはまらない。
 この身体への固執が消えれば、あなたは自然なあるがままの姿に努力するこ
 となく帰り着くだろう。
                           『私は在る』(p27)
----------------------------------------------------------------------

> すべての定義づけは、身体とその表現にしか当てはまらない。

のに……埴谷さんはその定義づけを受け入れざるをえないので……自分が自分
でしかありえないことの……不快を表現せざるをえなかったのです。

埴谷さんの≪自同律の不快≫とは……“定義を担うことの不快”です。

何らかの構造のなかの……ひとつの点として……虫ピンで留められることへの
……拒否だと思います……。

そしてそれは……“何らかの定義を担う者”が……世界のなかで意識すること
の……苦痛をも……暗示しているだろうと……思います。

“定義を担う者”は……すでに全体から分離されており……そのような疎外さ
れた者として……森羅万象を……意識しなければならないのですから。

われわれは……定義を担うことによって……全体から分離され……疎外されま
す……。

何者かであることによって……他人を創り出し……現実を創り出し……そうし
て創造した“現実”という監獄に……自ら捕らえられる……。

定義を担って……何者かとして……意識すること……。

----------------------------------------------------------------------
 すべての意識は限定され、そしてそれゆえ苦痛に満ちているのだ。
 意識の根底には体験への衝動という欲望が横たわっている。
 
                          『私は在る』(p182)
----------------------------------------------------------------------

……。(-||-)

> すべての意識は限定され、そしてそれゆえ苦痛に満ちているのだ。

それは確かだと……思うのに……。(;_;)

> 意識の根底には体験への衝動という欲望が横たわっている。

“体験への衝動”を……まだ突き放すことができない。

----------------------------------------------------------------------
 意識とはあなたに引っかかせようとする急激なかゆみなのだ。
 もちろん、意識から外へと出ることはできない。
 外へ出ようとする考え自体が意識のなかにあるからだ。
 だが、もし意識とは殻(から)のなかのヒヨコを包む個人的で私的な熱のよ
 うなものとして見ることを学ぶなら、その態度そのものが殻を破る転換期を
 もたらすだろう。
                          『私は在る』(p400)
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

今日もまた……言葉ばっかりで……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【10 観照】の2回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ほんとに……少しずつしか視界を覆うものを拭えません。

まあ……“下根”代表として……ヨチヨチ進むしかありませんが。(*-_-*)

> あなたは自分自身を、特にあなたのマインドを見守らなければならない。
> 一瞬一瞬、何ひとつ見逃すことなく。
> この観照が、自己から非自己を分離する本質的なものだ。

わかりました。(-||-)

では、【10 観照】の2回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 そして私は何を発見するのでしょうか?
 
 マハラジ
 そこには何も発見するものはないということを発見する。
 あなたはただ、あなたなのだ。
 ただそれだけだ。
 
 質問者 しかし究極的に、私とは何なのでしょうか?
 
 マハラジ
 あなたではないものすべてを究極的に否定したものだ。
 
 質問者 私には理解できません。
 
 マハラジ
 あなたが何者かでなければならないという固定観念、それがあなたを盲目に
 するのだ。
 
 質問者 どうすればこの考えからまぬがれることができるのでしょうか?
 
 マハラジ
 もし私を信頼するなら、あなたは意識とその無限の内容物を照らす純粋な気
 づきだ、と私が言うのを信じなさい。
 それを自覚し、それにしたがって生きなさい。
 もし私を信じることができないならば、そのときは内側に入り「私は誰か?」
 と尋ねるがいい。
 あるいは純粋で純然な存在である、「私は在る」という感覚にあなたの気づ
 きの焦点を合わせなさい。
 
 質問者 あなたに対する私の信頼は何に依存するのでしょう?
 
 マハラジ
 ほかの人のハートを見通すあなたの洞察に依る。
 もし私のハートを見抜くことができないなら、自分のハートに見入るがいい。
 
 質問者 どちらも私にはできません。
 
 マハラジ
 秩序ある有益な人生を生きることで、あなた自身を浄化しなさい。
 あなたの思考、感情、言葉、行動を見守りなさい。
 それがあなたの洞察力を明晰にするだろう。
 
 質問者 すべてを放棄し、住居なき放浪の人生を送るべきではないのでしょ
     うか?
 
 マハラジ
 あなたには放棄できない。
 あなたは家を放棄し、家族に問題を与えるかもしれない。
 だが執着はマインドのなかにあり、あなたがマインドの内も外も熟知するま
 で、それがあなたを離れることはないだろう。
 まず、あなた自身を知りなさい。
 そうすれば、ほかのすべてはやってくるだろう。
 
 質問者 しかしあなたはすでに、私が至高の実在だと言われました。それは
     自己知識ではないのでしょうか?
 
 マハラジ
 もちろん、あなたは至高の実在だ。
 だが、それがどうだというのかね?
 砂のひと粒ひと粒がすべて神性であり、それを知ることは重要だ。
 だが、ただのはじまりにすぎない。
 
 質問者 あなたは私が至高の実在だと言いました。あなたを信じます。では、
     つぎに私にできることは何でしょうか?
 
 マハラジ
 もうすでに言ったはずだ。
 あなたではない、すべてを発見しなさい。
 身体、感情、思考、概念、時間、空間、存在と非存在、あれやこれ――具象
 であれ、抽象であれ、あなたが指し示すことのできるものはすべてあなたで
 はない。
 あなたはあるマントラを、何の結果も得られないまま際限なく繰り返すかも
 しれない。
 単に言葉による表明だけではだめなのだ。
 あなたは自分自身を、特にあなたのマインドを見守らなければならない。
 一瞬一瞬、何ひとつ見逃すことなく。
 この観照が、自己から非自己を分離する本質的なものだ。
 
 質問者 観照――それが私の本性ではないのでしょうか?
 
 マハラジ
 観照のためには、そこに観照されるべき何かほかのものがなければならない。
 それではまだ、私たちは二元性のなかにいるのだ!
 
 質問者 観照者を観照することはどうでしょうか? 気づきに気づくことは?
 
 マハラジ
 言葉を並べ立てることではどこにも到達しない。
 内面に入り、あなたではないものを見いだしなさい。
 それ以外、残された道はない。
 
                         『私は在る』(p47-48)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 そして私は何を発見するのでしょうか?

この質問は、前回の最後のマハラジの言葉、

「あなたはすでに、あるがままのあなたなのだ。
 何があなたではないかを知ることでそれから自由になり、あなたはあなた自
 身の自然な状態にとどまる。
 すべては自発的に、努力なしに起こるのだ」

に対する応答です。

> マハラジ
> そこには何も発見するものはないということを発見する。
> あなたはただ、あなたなのだ。
> ただそれだけだ。

この「ただそれだけ」以上のものが……ありえないことを理解することが……
「ただそれだけ」に……とどまれる力……なんでしょうねぇ……。

> 質問者 しかし究極的に、私とは何なのでしょうか?

はは……やはり言葉で……聞きたい。(^_-)

> マハラジ
> あなたではないものすべてを究極的に否定したものだ。
> 
> 質問者 私には理解できません。

まったく。

> マハラジ
> あなたが何者かでなければならないという固定観念、それがあなたを盲目に
> するのだ。

ああ……。

「世界が始まったについては……何か理由があるはずだ……」

「現にわたしがこうして在るからには……わたしは何者かであるはずだ……」

なんか……似た感じ……マインドのパターンだなぁ。

> 質問者 どうすればこの考えからまぬがれることができるのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> もし私を信頼するなら、あなたは意識とその無限の内容物を照らす純粋な気
> づきだ、と私が言うのを信じなさい。

はい……それは信じられます。

> それを自覚し、それにしたがって生きなさい。

そうかぁ……。

だから……行為がテストだというわけか……。

> もし私を信じることができないならば、そのときは内側に入り「私は誰か?」
> と尋ねるがいい。

うーむ……。

> あるいは純粋で純然な存在である、「私は在る」という感覚にあなたの気づ
> きの焦点を合わせなさい。

そうだよなぁ……。

> 質問者 あなたに対する私の信頼は何に依存するのでしょう?

ああ……なるほど。

> マハラジ
> ほかの人のハートを見通すあなたの洞察に依る。

そうか。

> もし私のハートを見抜くことができないなら、自分のハートに見入るがいい。
> 
> 質問者 どちらも私にはできません。

このひと……上手いこと言う……。(^_-)

> マハラジ
> 秩序ある有益な人生を生きることで、あなた自身を浄化しなさい。
> あなたの思考、感情、言葉、行動を見守りなさい。
> それがあなたの洞察力を明晰にするだろう。

わかりました……。

> 質問者 すべてを放棄し、住居なき放浪の人生を送るべきではないのでしょ
>     うか?

うう。

> マハラジ
> あなたには放棄できない。

ほう。

> あなたは家を放棄し、家族に問題を与えるかもしれない。

たしかに。

> だが執着はマインドのなかにあり、あなたがマインドの内も外も熟知するま
> で、それがあなたを離れることはないだろう。

わかります。

> まず、あなた自身を知りなさい。
> そうすれば、ほかのすべてはやってくるだろう。

はーい。

> 質問者 しかしあなたはすでに、私が至高の実在だと言われました。それは
>     自己知識ではないのでしょうか?

いやー……そうなんだけど。(^^;)

> マハラジ
> もちろん、あなたは至高の実在だ。
> だが、それがどうだというのかね?

はは。

> 砂のひと粒ひと粒がすべて神性であり、それを知ることは重要だ。
> だが、ただのはじまりにすぎない。

わかりました。(*-_-*)

> 質問者 あなたは私が至高の実在だと言いました。あなたを信じます。では、
>     つぎに私にできることは何でしょうか?
> 
> マハラジ
> もうすでに言ったはずだ。
> あなたではない、すべてを発見しなさい。

そうか。

それしか……できることはないんだ。(-_-;)

> 身体、感情、思考、概念、時間、空間、存在と非存在、あれやこれ――具象
> であれ、抽象であれ、あなたが指し示すことのできるものはすべてあなたで
> はない。

はい。

> あなたはあるマントラを、何の結果も得られないまま際限なく繰り返すかも
> しれない。
> 単に言葉による表明だけではだめなのだ。

当然です。

> あなたは自分自身を、特にあなたのマインドを見守らなければならない。
> 一瞬一瞬、何ひとつ見逃すことなく。
> この観照が、自己から非自己を分離する本質的なものだ。

そうか。

> 質問者 観照――それが私の本性ではないのでしょうか?
> 
> マハラジ
> 観照のためには、そこに観照されるべき何かほかのものがなければならない。

あ、はい。(@_@)

> それではまだ、私たちは二元性のなかにいるのだ!

おお……。(*_*)  ⌒★?

> 質問者 観照者を観照することはどうでしょうか? 気づきに気づくことは?
> 
> マハラジ
> 言葉を並べ立てることではどこにも到達しない。

(>_<)

> 内面に入り、あなたではないものを見いだしなさい。
> それ以外、残された道はない。

わかりました。(-||-)

……。

ありがとうございました……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


        …………○…………○…………○…………



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■ 3.禊ぎ通貨の話(その3):まずはささやかな“若葉マーク”から
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縁あって知った、

             「禊(みそ)ぎ通貨」

という多呂ご兄弟のアイディア(特許申請済み)をご紹介しています。

と言ってもこれは……企業秘密に当たるような……情報ではありませんが。

前回……誰が考えても

(1)「福祉予算増大」と(3)「財政健全化」は

方向が180度反対だから……“魔法でもないかぎり”……両立する政策など
あるはずがない……という見解に触れました。

でも……「禊ぎ通貨」は……(1)「福祉予算増大」と(3)「財政健全化」
に同時に貢献します。

つまり……「禊ぎ通貨」を政策として採用すれば……「福祉予算増大」に貢献
しながら……同時に「財政健全化」に……資することができるのです。

なぜか?

なぜなら……「禊ぎ通貨」の発行によって……「福祉予算」を増大しても……
国の借金は……増加しないからです。(@_@)

借金が増えないどころか……「禊ぎ通貨」が流通すること自体が……逆に……
結果的に……国の「財政健全化」を……押し進めていくからです。

そもそも……「禊ぎ通貨」とは何か?

もちろん……「みそぎ通貨」ですから……汚れを払い浄めた……通貨です。

しかし……それは同時に……汚れを払い浄める……通貨でもあります。

“汚れを払い浄める”とは……具体的にどうすることか?

この通貨が……自ら“身削ぎ”をすることで……財政の健全化を実現する……
ということです。

すでに見当がおつきでしょう。

「禊ぎ通貨」とは……シルビオ・ゲゼルの……“老化する通貨”の一種です。

“減価通貨”……“マイナス利子”……などと言われる……あの通貨です。

ただし……多呂ご兄弟が発明した「禊ぎ通貨」は……おそらく現時点の地上で
……もっとも洗練された……“減価通貨”のバリエーションでしょう。

そして非常に穏やかな形で……日本の……ひいては地球の……“経済身体”を
正常化していきます。

財政の健全化は……その“経済身体正常化”の……一側面にすぎません。

現在の地上の経済の病状は……唯一の“歪み”に起因するものであるため……
その根本療法である「禊ぎ通貨」は……同時にすべてを癒すことができます。

前回、管首相がおっしゃる(3)「雇用拡大」など……今の時代そんなことが
果たして……狙って実現できることなのか?……と疑問を呈しました。

もしそんなことが……これまでの政策の延長上で可能なら……どうして他の国
に成功例がないのでしょうか?

中国は成長できている……?

ああ……あれはまだ……“成長神話”という夢の名残を……貪ることができて
いるだけです。

自ら意識せずに……地上の経済状況の最先端に……押し出されている日本が…
…模倣できるような……そんなモデルではありません。

日本が迫られている実験は……成長なくして可能な……繁栄の模索です。

地上の国々のなかで一番最初に……「生産能力」が「消費能力」を……実質的
に上回ってしまったのは……間違いなく日本でしょう……。

アメリカは……基軸通貨の権威と腕力で……世界のマネーを吸い寄せました。

しかし日本には……そんな乱暴なことは……できません。

日本にできるのは……穏やかに国内で……自国のお金を創造することです。

世界のマネー経済に……蹂躙されない……自国の通貨を……。

しかし別に……経済的に鎖国せよと……そんなことを……言っているのではあ
りません。

そんなこともまた……意図してできることの……範囲内にはないでしょう。

あくまでも穏やかに……相対的な自由確保の根拠を……自国内の独自通貨圏と
して……発進させることを提案しているだけです。

まずはささやかな規模の……“若葉マーク”から……。

そして……じょじょに大きな……不沈独自通貨圏を……浮かべることをです。

国際市場としての日本が……世界のマネー経済の暴力に翻弄されても……なか
の独自経済圏だけは……微妙に安定を保って……浮かんでいられるように。

そして国民の生活を……護ることができるように。

「禊ぎ通貨」が具体的にどういうものか……少しずつご説明していきます。

次回をお楽しみに……。(^^)/


        …………○…………○…………○…………


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■ 4.いただいたお手紙から:いぬさん
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ど、ご自由にお書きいただければと思います。


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今回久しぶりに いぬさん から、ご質問をいただきました。

早速、ご紹介します。

【件名】: パリさん、こんにちは
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 パリさん、こんにちは
 
 お久しぶりですね いつも素敵なメルマガありがとうございます。
 相変わらず日曜の10時は私の楽しみな時間であり、私の人生に大きな影響
 を与えています。
 
 さて
 
 > それは努力のない、注意を怠らない平安の状態だということなのです。
 > 
 > マインドに対してあなたは何も期待することなく、多大な注意
 > を払うのだ。
 
 ここでいわれている「注意」とはなんなのでしょうか?
 マインドですか?
 「努力のない」と「注意を怠らない」は一見両立しないように思えます。
 「何も期待することなく」と「多大な注意を払う」もそうです。
 すると「注意」とはマインドではないようにも思えます。
 しかし、「注意」がマインででなければ、「実在」と言うことになります
 が、「実在」に対して我々が能動的に何かをすることはできそうにありま
 せんので、文脈に沿いません。
 パリさんの意見はいかがですか?
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いぬさん、とっても嬉しかったですよ。(^^)/

> パリさん、こんにちは
> 
> お久しぶりですね いつも素敵なメルマガありがとうございます。

こちらこそ。

> 相変わらず日曜の10時は私の楽しみな時間であり、私の人生に大きな影響
> を与えています。

相変わらず……マインドのなかでゴチャゴチャやっています。(^^;)

> さて
> 
> > それは努力のない、注意を怠らない平安の状態だということなのです。
> > 
> > マインドに対してあなたは何も期待することなく、多大な注意
> > を払うのだ。
> 
> ここでいわれている「注意」とはなんなのでしょうか?
> マインドですか?

ああ……なるほど。

> 「努力のない」と「注意を怠らない」は一見両立しないように思えます。

確かに。

> 「何も期待することなく」と「多大な注意を払う」もそうです。

はい。

> すると「注意」とはマインドではないようにも思えます。
> しかし、「注意」がマインででなければ、「実在」と言うことになります
> が、「実在」に対して我々が能動的に何かをすることはできそうにありま
> せんので、文脈に沿いません。
> パリさんの意見はいかがですか?

いぬさん、おっしゃる意味……よくわかりました。

“パリさんの意見”などありませんが (^^;)……ただマハラジがどう言って
いるかは……調べることができます。

運良く……ちょうど同じような質問をマハラジにした方がいました。

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 質問者 注意とはマインドの態度なのではありませんか?
 
 マハラジ
 そうだ。
 マインドが実在を熱望しているとき、それは注意を与えるのだ。
 
                          『私は在る』(p306)
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ここでマハラジは……“注意=マインドの態度”だと明確に肯定しています。

だから……その意味では……注意はマインドだと思います。

ただ……注意を向けた結果起こることが……マインドの創造と言えるかどうか
となると……、

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 あなたは不注意によって束縛される。
 注意が解放するのだ。
 あなたはあまりにも多くのことを当然のこととして受け取ってきた。
 疑いはじめなさい。
 もっとも明らかなことは、もっとも疑わしいのだ。
                          『私は在る』(p305)
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ここで、マハラジは

> あなたは不注意によって束縛される。
> 注意が解放するのだ。

と言っています。

マインドがわれわれを解放することなどできないでしょうから……その意味で
は……注意はマインド(そのもの)ではない……と言えると思います。

ここで……とても示唆的な表現があります。

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 注意を過小評価してはならない。
 それは関心であり、愛なのだ。
 知るため、行うため、発見するため、あるいは創造するためには、それにハ
 ートを捧げなければならない。
 それが注意力を意味する。
 あらゆる祝福はそこから流れだすのだ。
                          『私は在る』(p143)
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ここでマハラジは、

> あらゆる祝福はそこ(=注意)から流れだすのだ。

とまで言っています。

つまり「注意」とは……源のパワーである「気づき」と……その「気づき」を
覆う“汚れ”である「マインド」の……接触点みたいなものでは……。

瞑想の手段として……呼吸が使われることは……良くあると思います。

それは呼吸が……随意筋によっても……ある程度コントロールできることと…
…関係があるように思います。

同じ循環系の運動であってもそこは……不随意筋の動きでだけでコントロール
されている……血流の動きとは違うわけでしょう。

言うなれば……随意筋とは……映画のなかの登場人物が……自らの意図で制御
できる(という幻想を持てる)仕掛け……のようなものだと思います。

「気づき」のパワーは……マインドがどうこうできるものではない。

でも……その「気づき」をどこに向けるかは……マインドが関与できる(とい
う幻想を持てる)……ということではないでしょうか……。

ちょうど……消防ホースの先端からほとばしる水は……水源からのものだけれ
ど……ホースの筒先をどこに向けるかは……“消防士”が制御できるように。

あるいは地下回廊の壁画の……どの絵に懐中電灯を向けるかは……歩く当人の
“興味”に任されている……というように。

そこで“消防士”や“興味”に喩えられたものが……「注意」と言えるのでは
ないでしょうか。

どうやらわれわれは……「注意」の向け方が間違っているらしいです。^^;

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 私もまたあなたが見ているものを今ここで見ている。
 ただあなたの注意の焦点が間違っているだけだ。
 あなたは自分自身を自覚していない。
 あなたのマインドは完全に物や、人や、観念に占有され、けっして自分自身
 とともにいない。
 自己に焦点を合わせ、自らの存在に気づきなさい。
                           『私は在る』(p26)
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こんな言い方も……しています。

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 あなたは映画館でずっと席に座っていて、画像が光の戯(たわむ)れにすぎ
 ないのをよく知っているにもかかわらず、画面を見て笑ったり泣いたりして
 いる人のようなものだ。
 その魔力を破るには、スクリーンから自分自身へと注意を移行させるだけで
 充分なのだ。
                          『私は在る』(p407)
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それはまた……逆に言うと……、

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 欲望と恐れから、そしてそれらが生み出す想念から注意をそむけなさい。
 そうすれば、あなたは即座に自然な状態のなかにあるだろう。
 
                          『私は在る』(p366)
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ということであるようです。

いぬさん、お陰様で「注意」について……まとめて復習ができました。

ありがとうございました。

m(_ _)m


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■ 5.編集後記:こんなに耳鳴りの音を大きくして……
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今日はけっこう……マインドを働かせました。

こんなに耳鳴りの音を大きくして……いったいどうするつもりだろう……。

寅さんの“おいちゃん”の……「バカだねぇ、あいつは (-_-)」なんて声が…
…聞こえてきそう。

無知が賢くないことくらい……わかっているのだけれど……。

それとても……ロボットの自由になることでもなし。

操り人形なりに……楽しかったような……。

では……おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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