home > 通信 > 『アセンション館通信』第347号:現象世界は分割不可能



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.347 2010/11/28(第347号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ
という言葉を信じた、仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 927名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.現象世界は分割不可能

2.写経ニサルガダッタ:【74 真理は今ここにある】の1回目

3.禊ぎ通貨の話(その4):「禊ぎ通貨」は“機能特化通貨”です

4.編集後記:理解が熟して……いっているのでしょうか。
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■ 1.現象世界は分割不可能
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上空を分厚い灰色の雲が覆っています……。

南側の東西に広がる遠景の丘陵と……左右の近景の山が……少し盛りをすぎた
紅葉でこの小天地を彩っています。

上蓋の分厚い雲と……南側の丘陵が離れていて……その隙間の光の帯が……こ
の光景のいちばん明るい部分です。

こんな幻想の小天地のなかで……いつもただ“しなければならないこと”をし
ているだけのような……。

目を向けるところにあるものを見て……心のなかに浮かぶ想念に対応し……。

何かを願っているようでもあり……別に何も願っていないようでもあり……。

自分が……他の誰かの……犠牲になっているわけでもなし……。

ただただ……偶然というのか……必然というのか……目に見え……耳に聞こえ
……五感に訴えて来るもの……心に浮かぶ想念に……対応しているだけ……。

別に……“わたし”が頑張らなくても……そういうものは……途絶えることな
く……展開するみたいです。

いわゆる“外的風景”と……いわゆる“内的風景”は……それなりに……関連
があるんでしょうね。

でも……この“わたし”が……コントロールできる……というものではない。

ただ……応接し……対応している……だけです。

とても生真面目にやっていたのだけれど……いろいろ覚者方の言葉を聴いてい
るうちに……それほど真面目でも……なくなりました。(^^;)

本当はただ注意を背けるだけでも……いいのだそうですが……。

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

いわゆる“外的風景”とか……いわゆる“内的風景”とか……こういうものが
……“なぜ”あるのかに……答えられる存在は……いないわけですよね。

だってその“答え”は……必ずマインドのなかにあり……単なる観念……いわ
ば想像にすぎないわけですから。

だから……そんな“答え”くらい……必要とあれば……“わたし”だって……
一個や二個……いや数個くらい……ひねり出せるわけです……。

もちろんそれも……“わたし”が意図して……できることでは……ないでしょ
うけど……。

ここがとっても……微妙なところです。

つまり……“わたし”が意図してできること……という考え方も……もちろん
……ありうるわけです。

というか……この現象世界に……横溢している……それは理解です。

この現象世界に……自分がいる……と思っている有機体たちは……ほぼ全員…
…その理解のもとに……頑張っているわけですから。

この現象世界そのものが……まさにそういう理解を起こすための……ゲーム場
なんじゃないかと……思われるくらいです。

もちろん……その理解で突き進んで……問題ありません。

(そんなこと……“わたし”が保証するまでもありませんけどね。(^_-)

 “みんな”やってる……ことですし。

 社会常識に……合致してるし……。

 コモンセンスを信奉する……いわば良識派です。)

ただ……その幻想のもとに……突っ走っていると……いつか……限界が来る…
…ってことがあるんですよね。(;_;)

ハタと立ち止まって……いったいなんで“自分”は……こんなことをやってい
るのか……と思うような瞬間が来る……。

いつか……そういう想念が……その有機体の……いわゆる“内面”に……浮上
してくるわけです。

もちろん……“当人”は……自分がそういうことを……“思いついた”のだと
……思うわけですが……。

しかし……残念ながら……(というか、ありがたいことにと言うべきか)……
そういうことを……自ら“思いつく”ことは……誰にもできない。

そういうことを思いつける……実体としての誰かは……いないわけです。

ただし……ある瞬間……そういう想念を……抱える有機体は……たしかに……
現象するのですが。

別の言葉で言うなら……すべて……“入れ食い”です。(^_-)

もちろん……これは……釣り人の立場からの……表現です……。

ハテ……手当たり次第……目の前に現れた“餌”に……ただ食いつく魚の立場
で……これを何と言うべきか……。(-_-;)

ボクが自分の人格で……“引き寄せの法則”を駆使して……呼び寄せたんだい
……って言うのかな……。

(*^_^*)

そういう過程を……すべて“偶然”と言うか……すべて“必然”と言うかは…
…単に言葉遣いの違い……観念の違いに……すぎません。

いずれにせよ……ベンジャミン・リベットという脳外科医が……それがすべて
“入れ食い”であることを……すでに証明してしまったようです。

「量子力学的可能性から意識が何を選ぶかは、無意識の過程である」……と。

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 ラメッシ
 「量子力学的可能性から意識が何を選ぶかは、無意識の過程である。人が自
  分の選択に気づくのは、脳波に現れる『潜在的可能性』よりも半秒遅れて
  いる」と脳外科医のベンジャミン・リベットが言っています。
 「したがって、西洋でのもっとも貴重な『所有物』である自由意志は、存在
  することができない。インドの賢者、ラマナ・マハルシも同じことを言い
  ました」。
 
 ですから、私が理解するところによれば、量子力学は、誰も次に何が起こる
 か知ることができないと言っているのです。
 つまり、粒子の飛行は、それがどこで終わるのか、あなたにはわからない、
 ということです。
 あなたにはそれを予測できないのです。
                     『誰がかまうもんか?!』(p130)
                      http://tinyurl.com/22v2o8j
----------------------------------------------------------------------

その「無意識の過程」も自分のもの……と言い張りたければ……覚者方と同じ
位置まで……移行する必要がありそうです。

これを要するに……“現れ”の世界に……個人は存在できるか?……というこ
とだと思います。

あるいは……“現れ”全体のなかに……分離可能な……“独立した部分”はあ
りうるか?……とか。

もちろん……現象世界に……便宜上の“部分”を……識別することは……可能
だと思います。

そしてまた……たしかに……“独立した部分”も……ありうるかもしれません
……幻想としてなら。

でも……事実として……分離可能な“独立した部分”は……現象世界には……
ありえないのではないか。

現象世界というのは……「波動の法則」で厳密に織り込まれた……、

           分割不可能な<ひとつのもの>

なんじゃないか……という気がしてきました。

何を今さら……とおっしゃるかもしれませんが……。

現象世界では……すべての登場人物たちは……プログラミングに支配され……
厳密に波動の法則で指揮された……踊りを踊っているだけではないのか。

そう考えると……たしかに……少なくともこの“わたし”などは……ホルモン
に支配され……探求心に突き動かされた……操り人形以外の何者でもない。

自分が探求しているのかと……思ってたんですけどねぇ。(-_-;)

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 マインドとは誤解するものだ。
 誤解がその本性そのものなのだ。
                          『私は在る』(p540)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

そっかぁ……。(*-_-*)

やはり……「個人」というのは……幻想のなかでしか……存在できないんじゃ
ないでしょうか……。

マハラジがどこかで……“事実は葛藤しない”と……言っていたと思います。

“葛藤するのはマインドだけだ”……というようなことを……。

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 マインドが道に迷い、マインドが家に帰り着くのだ。
 「迷う」という言葉さえ的確ではない。
 マインドはそれ自身のあらゆる気分を知らなければならない。
 繰り返されないかぎり、何ひとつ間違いということはないのだ。
 
                          『私は在る』(p294)
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

“わたし”が探求していたのではないとしても……探求は起こっていた……。

つまり……探求が起こっている……だけなんじゃないか……。

仏陀は言ったそうです。

「出来事は起こり、行為はなされるが、そこに個々の行為者はいない」と。

同じ伝で言うなら……、

探求は起こるが、そこに個々の探求者はいない……ということなのでしょう。

現象世界というのは……厳密に「波動の法則」で織り込まれた……、

           分割不可能な<ひとつのもの>

どんな意味にも……どんな目的にも貢献しない……<永遠の探求>……なので
はないか……。

----------------------------------------------------------------------
 世界は華麗にきらめく空虚なショーだ。
 それは在り、しかもそれはない。
 私が見たいと欲し、それに参加したいと望むかぎり、それはそこに在る。
 私が気にかけるのをやめるとき、それは溶け去る。
 それは原因がなく、何の目的にも仕えない。
 それは私たちが放心しているときに起こる。
 まったく見たとおりに現れはするが、そこには何の深みも意味もない。
 ただその傍観者だけが実在なのだ。
 彼は真我ともアートマとも呼ばれる。
 真我にとって世界は、それが続くかぎり楽しみ、終われば忘れられてしまう、
 ただの色鮮やかなショーにすぎない。
 何であれ、舞台の上で起こることが彼を恐怖で身震いさせようと、あるいは
 笑い転げさせようと、常に彼はそれがただのショーだと知っている。
 欲望や恐れなしに、彼は起こるがままに楽しむのだ。
                          『私は在る』(p196)
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

そこに……何の意味も……目的もない……ということ……。

その……すばらしさ……。

エネルギーを注ぐなら……そこで喜び……悲しみに打ち震えるなら……それは
世界を回転させる……燃料にはなるでしょう。

でもそれは……そのような個人が存在することを……証明するわけではない。

「出来事は起こり、行為はなされるが、そこに個々の行為者はいない」……。

“わたし”が探求している……わけではない。

しかし……わたしに……探求が……必要なわけでもない。

そこに……現れは……ある。

そこに……夢は……ある。

それは……ただ……わたしが……可能にしているから。

----------------------------------------------------------------------
 すべてを夢として見なすことは、あなたを解放する。
 夢に現実性を与えるかぎり、あなたはそれらの奴隷だ。
 ある特定のものとして生まれたと想像することで、あなたは特定のものとし
 て在ることの奴隷になってしまう。
 あなた自身を過程として、過去と未来、そして物語をもつ者として想像する
 ことは奴隷状態の本質なのだ。
 実際には、私たちに物語はない。
 私たちは過程ではなく、発展もせず、崩壊もしない。
 すべてを夢と見て、動じずにいなさい。
                          『私は在る』(p207)
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

今日もまた……無用な言葉ばかりです……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.写経ニサルガダッタ:【74 真理は今ここにある】の1回目
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今回の質問者は……スピリチュアルマーケットでのあまりにも多くの体験ゆえ
に……ちょっと道を失っている感じの方です。

マハラジの応接をご覧ください。

最初の方は質問者の言葉が大量で……今回はまわりの地固めという感じです。

では、【74 真理は今ここにある】の1回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 私の質問は、「何が真理の証拠なのか?」ということです。すべて
     の宗教の信奉者は、形而上学的、政治的、哲学的、あるいは倫理学
     的のいずれにせよ、彼らのものが唯一の真理だと確信させられてい
     ます。ほかのすべては偽りであり、彼らの揺るぎない信念を真理の
     証拠と見なしています。彼らは、「私は納得した。それゆえ、それ
     は真理に違いない」と言うのです。私にとってはいかなる宗教、哲
     学、教義、あるいは観念体系も、どんなに完全で、感情的に訴え、
     内面的矛盾を持たないとしても、それ自身の真理の証拠にはならな
     いように見えるのです。それは衣服のようなもので、時間や環境に
     よって、流行の流れにしたがって変化していくものです。
     それでは、誰かの信念に依存しない真の宗教、あるいは哲学という
     ものがありうるのでしょうか? 聖典でさえも同様です。なぜなら、
     それも誰かの信仰に依存するからです。信頼することに依存しない、
     主観的ではない真理があるのでしょうか?
 
 マハラジ
 科学はどうだろうか?
 
 質問者 科学は堂々巡りです。それは感覚とともに、はじめた場所で終わる
     のです。それは経験を扱い、そして経験とは主観的なものなのです。
     二人の個人が同じ体験をすることはありえません。それでも彼らは
     同じ言葉で表現するかもしれません。
 
 マハラジ
 あなたはマインドを超えた彼方の真理を探さなければならないのだ。
 
 質問者 私はもう充分なほどの超越状態を体験してきました。どんな薬物で
     も、安価に、そして即座にそれを誘発できるのです。呼吸や精神的
     な訓練によって起こされた伝統的なサマーディ(三昧)もまた、た
     いした違いはありません。酸素サマーディや二酸化炭素サマーディ
     があり、思考の連鎖やマントラの復唱による自己誘導されたサマー
     ディもあります。単調性は眠気をもたらすだけです。いかに荘厳な
     ものであれ、私にはサマーディを真理の証拠として受け入れること
     はできません。
 
 マハラジ
 サマーディとは体験を超えたものなのだ。
 それは特質のない状態だ。
 
 質問者 体験の不在は不注意によるものです。それは注意とともにふたたび
     現れます。目を閉じることが光の不在を証明するわけではありませ
     ん。実在を否定的な状態に帰属させることは、どこへも私たちを連
     れてはいかないでしょう。否定そのものが肯定を含んでいるのです。
 
 マハラジ
 ある意味では、あなたは正しい。
 だがあなたは何があなたのマインドのなかに描いている真理で、どのような
 証拠があなたを満足させるのかを説明することもなく、真理の証拠を求めて
 いるということがわからないだろうか?
 もしあなたの証明を信頼するなら、あなたは何であれ証明することができる
 のだ。
 しかしあなたの証拠が本物だと何が証明するのだろう?
 あなたが知っているのは、あなたが存在するということだけであるのを、私
 はたやすくあなたに容認させることができる。
 あなたが持つことのできる唯一の証拠は、あなたなのだ。
 だが私は実在(リアリティ)と単なる実存(イグジスタンス)を同一視しな
 い。
 実存は一時的であり、つねに時間と空間のなかにある。
 一方、実在は不変ですべてに浸透しているのだ。
 
 質問者 私は何が真理か、何によって証明できるのかも知らないのです。ど
     うか私を私自身の源に投げ返さないでください。私は何ももってい
     ないのです。ここではあなたが真理を知る人であり、私ではありま
     せん。
 
 マハラジ
 あなたは真理の証拠としての証言を拒絶している。
 あなたにとっては他者の体験は役に立たないものだ。
 多くの証人の間で一致した表明による結論も、あなたはすべて拒否してしま
 う。
 それゆえ、何があなたを満足させる証拠なのかを私に伝えるのはあなたなの
 だ。
 何があなたの評価にとって有効な証拠だろうか?
 
 質問者 正直なところ、何が証拠となるのか自分でもわからないのです。
 
 マハラジ
 あなた自身の体験でさえもかね?
 
 質問者 私の体験でもなければ、私の存在でもありません。それらは私が意
     識していることに依存するものです。
 
 マハラジ
 では、あなたが意識していることは何に依存するのだろうか?
 
 質問者 わかりません。以前なら、私の身体によって、と答えたことでしょ
     う。現在では、身体は二次的で根本的なものでないとわかるので、
     存在の証明として考えることができません。
 
 マハラジ
 過ちと不幸の源である「私は身体だ」という観念をあなたが放棄したことは
 喜ばしいことだ。
 
                        『私は在る』(p382-383)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 私の質問は、「何が真理の証拠なのか?」ということです。すべて
>     の宗教の信奉者は、形而上学的、政治的、哲学的、あるいは倫理学
>     的のいずれにせよ、彼らのものが唯一の真理だと確信させられてい
>     ます。ほかのすべては偽りであり、彼らの揺るぎない信念を真理の
>     証拠と見なしています。彼らは、「私は納得した。それゆえ、それ
>     は真理に違いない」と言うのです。私にとってはいかなる宗教、哲
>     学、教義、あるいは観念体系も、どんなに完全で、感情的に訴え、
>     内面的矛盾を持たないとしても、それ自身の真理の証拠にはならな
>     いように見えるのです。それは衣服のようなもので、時間や環境に
>     よって、流行の流れにしたがって変化していくものです。
>     それでは、誰かの信念に依存しない真の宗教、あるいは哲学という
>     ものがありうるのでしょうか? 聖典でさえも同様です。なぜなら、
>     それも誰かの信仰に依存するからです。信頼することに依存しない、
>     主観的ではない真理があるのでしょうか?

これはまた……ずいぶん証拠にこだわったものですね。

まあ……証拠質問担当……といったプログラミングの方ということか……。

> マハラジ
> 科学はどうだろうか?

質問の意味を特定なさっている……ということですかね。

> 質問者 科学は堂々巡りです。それは感覚とともに、はじめた場所で終わる
>     のです。それは経験を扱い、そして経験とは主観的なものなのです。
>     二人の個人が同じ体験をすることはありえません。それでも彼らは
>     同じ言葉で表現するかもしれません。

なるほど。

> マハラジ
> あなたはマインドを超えた彼方の真理を探さなければならないのだ。

すっと……単刀直入に……そのまま差しだされました。

> 質問者 私はもう充分なほどの超越状態を体験してきました。どんな薬物で
>     も、安価に、そして即座にそれを誘発できるのです。呼吸や精神的
>     な訓練によって起こされた伝統的なサマーディ(三昧)もまた、た
>     いした違いはありません。酸素サマーディや二酸化炭素サマーディ
>     があり、思考の連鎖やマントラの復唱による自己誘導されたサマー
>     ディもあります。単調性は眠気をもたらすだけです。いかに荘厳な
>     ものであれ、私にはサマーディを真理の証拠として受け入れること
>     はできません。

スピリチュアルドラッガー……なんて言葉があるかどうか……。

> マハラジ
> サマーディとは体験を超えたものなのだ。

ここでは……サマーディを……体験を超えたもの……と定義しました。

質問者が……体験としてのサマーディを……たっぷり知っているようなので。

> それは特質のない状態だ。

サマーディという言葉を使って……至福の方へ誘導なさっています。

> 質問者 体験の不在は不注意によるものです。それは注意とともにふたたび
>     現れます。目を閉じることが光の不在を証明するわけではありませ
>     ん。実在を否定的な状態に帰属させることは、どこへも私たちを連
>     れてはいかないでしょう。否定そのものが肯定を含んでいるのです。

理論武装していますね……最初から“ネティネティ”を禁じ手にしました。

> マハラジ
> ある意味では、あなたは正しい。
> だがあなたは何があなたのマインドのなかに描いている真理で、どのような
> 証拠があなたを満足させるのかを説明することもなく、真理の証拠を求めて
> いるということがわからないだろうか?

それはまったく……そのとおりですよね。^^;

> もしあなたの証明を信頼するなら、あなたは何であれ証明することができる
> のだ。

英語を見ると……こここの「あなた」は一般人称のようです。

ということは、自分の証明を信頼するなら、ひとは何でも証明できるのだ、と
いう意味のようです。

だから……次の言葉が続くわけです。

> しかしあなたの証拠が本物だと何が証明するのだろう?

“しかし自分の証拠が本物だと何が証明するのだろう?”……と。

> あなたが知っているのは、あなたが存在するということだけであるのを、私
> はたやすくあなたに容認させることができる。

はい。

> あなたが持つことのできる唯一の証拠は、あなたなのだ。

よく、わかります。

> だが私は実在(リアリティ)と単なる実存(イグジスタンス)を同一視しな
> い。

しかしマハラジは……“真の存在”と……“自分の内面がある”ということを
……同じことだとは認めない……と。

> 実存は一時的であり、つねに時間と空間のなかにある。

個人の内面は一時的であり、つねに時間と空間のなかにある。

> 一方、実在は不変ですべてに浸透しているのだ。

一方、真に存在するものは不変ですべてに浸透している……と。

> 質問者 私は何が真理か、何によって証明できるのかも知らないのです。ど
>     うか私を私自身の源に投げ返さないでください。私は何ももってい
>     ないのです。ここではあなたが真理を知る人であり、私ではありま
>     せん。

ちょっと弱気(というか、謙虚)になりました。

> マハラジ
> あなたは真理の証拠としての証言を拒絶している。
> あなたにとっては他者の体験は役に立たないものだ。
> 多くの証人の間で一致した表明による結論も、あなたはすべて拒否してしま
> う。
> それゆえ、何があなたを満足させる証拠なのかを私に伝えるのはあなたなの
> だ。

まったく。

> 何があなたの評価にとって有効な証拠だろうか?

そういうことになりますよね。

> 質問者 正直なところ、何が証拠となるのか自分でもわからないのです。

おお……正直に言えば……そういうことだったんですね。

> マハラジ
> あなた自身の体験でさえもかね?

確認しました。

> 質問者 私の体験でもなければ、私の存在でもありません。それらは私が意
>     識していることに依存するものです。

ほほー……すごいこと言いますね。

> マハラジ
> では、あなたが意識していることは何に依存するのだろうか?

おお……。(@_@)

> 質問者 わかりません。以前なら、私の身体によって、と答えたことでしょ
>     う。現在では、身体は二次的で根本的なものでないとわかるので、
>     存在の証明として考えることができません。

なるほど。

> マハラジ
> 過ちと不幸の源である「私は身体だ」という観念をあなたが放棄したことは
> 喜ばしいことだ。

覚者というのは……こういう言い方をするものなんですねぇ。

(-||-)

……。

ありがとうございました……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


        …………○…………○…………○…………



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■ 3.禊ぎ通貨の話(その4):「禊ぎ通貨」は“機能特化通貨”です
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縁あって知った、

             「禊(みそ)ぎ通貨」

という多呂ご兄弟のアイディア(特許申請済み)をご紹介しています。

と言ってもこれは……企業秘密に当たるような……情報ではありませんが。

前回……「禊ぎ通貨」が“身削ぎ通貨”でもあること……つまりシルビオ・
ゲゼルの“老化する通貨”の一種であることを……お伝えしました。

しかし……これは単なる「減価通貨」ではありません。

「禊ぎ通貨」は(多呂ご兄弟がおっしゃるには)“日本の神々のお力添えも得
て”さまざまな工夫が凝らされているのですが……。

その大きな特徴をもし三つあげるとすれば、

・一つ目、それが“機能特化通貨”であること。

・二つ目、“円との等価交換”を許容していること。

であり、さらにこの二つの特徴を併存させるための解決策として、

・三つ目、貨幣自体にいわば“相場機能”を内蔵させていることです。

この二つ目の“円との等価交換”を認めたことで、「禊ぎ通貨」は現在の窮境
から脱出するための強力な手段となりうる可能性を獲得したわけです。

今回はまず、「禊ぎ通貨」が“機能特化通貨”だという言葉の意味を、簡単に
説明したいと思います。

貨幣には、「価値の尺度」「交換の媒介」「価値の保蔵」の三つの機能がある
と言われています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%A8%E5%B9%A3

通常、貨幣はこの三つの機能を同じひとつの媒体で兼務するわけですが、その
ことによる弊害がないわけではない。

というか、実際は、その弊害の集積した結果が現在の地球社会の窮境だと言っ
ても間違いではないでしょう。

なぜなら、この貨幣の三つの機能は、減価しない現在の貨幣制度のもとでは、
もともと自然に維持される機能ではないからです。

「禊ぎ通貨」は、「価値の尺度」「交換の媒介」「価値の保蔵」の三つの機能
を、それぞれはっきり別の機能媒体に分担させます。

「禊ぎ通貨」とは、この通貨の志と、内在するパワーを象徴する名称です。

これには、もうひとつ、「FBS通貨」という本来の機能名称があります。

「F」は「Flow」を表し、貨幣の「交換媒介」機能を意味しています。

「B」は「Balance」を表し、貨幣の「価値尺度」機能を意味しています。

「S」は「Stock」を表し、貨幣の「価値保蔵」機能を意味しています。

「禊ぎ通貨」が“機能特化通貨”だとは、

「FBS通貨」が「交換媒介」「価値尺度」「価値保蔵」の三つの機能に対し
て、それぞれ個別の機能媒体を準備しているという意味です。

端的に言うと、「FBS通貨」では、“交換媒介通貨”と“価値保蔵通貨”は
別の形態(紙幣)なのです。

“交換媒介機能”の媒体を、「Form」紙幣と言います。

“価値保蔵機能”の媒体を、「Stamp」紙幣と言います。

“交換媒介通貨”の表面には、「Form」の文字と額面が印刷されていて、それ
が流通用紙幣であることを明示しています。

「Form」紙幣の裏面には、「Stamp」を貼付する52枠が、一年52週の同一
曜日の日付とともに印刷されています。

“価値保蔵通貨”の表面には、「Stamp」の文字と額面が印刷されていて、それ
が貯蔵用紙幣であることを明示しています。

「Stamp」紙幣の裏面には、購入時の初期状態では50枚の「Stamp」が貼付さ
れています。

そして、この初期状態の「Stamp」紙幣が、「円」との等価交換が許されてい
る「FBS通貨」媒体だということです。

当面、額面1万円の「FBS通貨」を発行すれば機能的には充分でしょう。

その場合は、裏面に貼付する「Stamp」1枚の額面は200円です。

つまり、(商品の購買に使える)流通用の1万円の「Form」紙幣は、1週間で
200円減価する、ということです。

「Stamp」紙幣は、減価しませんが、商品の購買には使えません。

これが、「FBS通貨」の「Flow」媒体と「Stock」媒体の形態です。

では「Blance」機能の媒体は、どのような形をとっているのか。

ちょっと長くなってしまったので、その説明はこの次にします。

次回をお楽しみに……。(^^)/


        …………○…………○…………○…………


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■ 4.編集後記:理解が熟して……いっているのでしょうか。
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何も変わっていない……とも言えます……。

何も変わる必要がないことも……理解できます。

理解が熟して……いっているのでしょうか。

いろいろな気分が湧いてくるので……それに応接しています……。

ただただ……現象世界に無関心になれると……いいのかもしれないけれど。

ふっと……無関心より……嫌悪感のほうが勝っていたりして……。

きっと……中途半端なのでしょう……。

できることが何もない……という感じもします……。

その過程で……起こることは起こり……変わるべきものは変わる……。

そして……むろん……変わらないものは……永遠に待っている……。

では……おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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