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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.355 2011/1/23(第355号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ
という言葉を信じた、仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 903名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.概念のなかに実在はない

2.写経ニサルガダッタ:【97 マインドと世界はひとつ】の4回目

3.編集後記:「幸せとなるために必要なもの」を……すべて
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■ 1.概念のなかに実在はない
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手伝ってくれる人があって……午前中は庭木を切りました。

散髪したみたいなもので……見晴らしはとてもすっきりしました。

いつの間にか生い茂ったものをそのままにしておくと……だんだん鬱陶しくな
ります。

時々思い切って……散髪することは……やはり必要なんですね。

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/
みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

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 「私はこれだ、私はあれだ」は夢なのだ。
 一方、純粋な「私は在る」には実在の特質がある。
 あなたは今まで本当にたくさんのことを味わってきた――だが、すべては無
 に帰したのだ。
 ただ、「私は在る」だけが変わることなく存続している。
 あなたが彼方へと超えていけるようになるまで、変化の絶えないもののなか
 で、不変なるものとともにとどまりなさい。
                          『私は在る』(p360)
                       http://tinyurl.com/s747u
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ニサルガダッタの言葉は……つくづくシンプルですね。

われわれの喜びも悲しみも……心配も欲望も……すべては……自分を何らかの
属性を有する……何者かと見なすからのことです。

そして喜びはそれを“自分”の努力のせいだと思い……悲しみは“他の誰か”
のせいにする……。

でも……ある程度の時間が経つと……いつかはそれも厄介になって……早く終
わりにしたくなるときがくる……。

繁りすぎた庭木と同じで……全体が鬱陶しく……くたびれた身体を引きずって
生きていくこと自体が……面倒になるでしょうから……。

だから……時々は……散髪せざるをえないわけなんでしょう……。

自殺までしないにしても……遅かれ早かれ……そろそろ身体から解放されたい
……という時期は来るだろうと思います。

そこにニューエイジ的次元構造の物語を……織り込もうと織り込むまいと。

こういうことの責任はいったい“誰に”あるのか……と責任を転嫁する相手を
捜すわけですが……。

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 責任を転嫁することは人間の特徴的なゲームなのだ。
 何かが起こるために不可欠な要因の果てしないリストについて考えていくと、
 すべてが起こるための責任は、いかに間接的であってもすべてにあると認め
 るほかはない。
 行為者とは、「私の」と「私のもの」という幻想から生まれた神話なのだ。
 
                          『私は在る』(p394)
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いったい“誰が”というのは……マインドの普遍的なふるまい方なんですね。

でも……じっさいは……そこに“誰”なんて存在はいない。

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 多様な宇宙と単独の原因との間には、ある矛盾がある。
 二つのうちのどちらかが偽りに違いない。
 あるいはどちらともだ。
 私が見るかぎりでは、それはすべて白昼夢だ。
 概念のなかに実在はない。
 事実は、宇宙もその原因も、あなたなしで存在のなかに現れることはできな
 かっただろうということだ。
                          『私は在る』(p521)
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> 概念のなかに実在はない。

(*@_@*)

そうか……。 (*-_-*)

なかなかそうは……認めないわけだなぁ……。

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 「私は在る」が変わらぬ事実だ。
 一方、「私は創造された」はひとつの観念だ。
 神も宇宙もあなたのもとにやってきて、彼らがあなたを創造したとは伝えは
 しなかった。
 因果関係の概念に取りつかれたマインドが創造を発明し、そして「創造者は
 誰なのか?」と不思議がるのだ。
 マインド自体が創造者だ。
 これさえもまた完全な真実ではない。
 なぜなら創造されたものと創造者はひとつだからだ。
 マインドと世界はひとつだ。
 あなたが世界として考えているものは、あなた自身のマインドなのだという
 ことを理解しなさい。
                          『私は在る』(p521)
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そういうことなのか……。(-_-;)

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 あなたが世界を意識しているという確信が世界なのだ。
 あなたが知覚している世界は意識でできている。
 あなたが物質と呼ぶものは意識そのものなのだ。
 あなたは、そのなかで世界が動く空間(アーカーシュ)だ。
 あなたは永遠に続く時間だ。
 あなたはそれに生命を与える愛なのだ。
                          『私は在る』(p304)
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そういうことなんだなぁ……。

どんなに束縛を訴え……不自由を訴えようと……。

事実は……、

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 だが、私たちは「今ここ」で自由なのだ。
 束縛を想像するのはマインドだけだ。
                          『私は在る』(p474)
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……。(-_-)

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 あなたは世界に属するのではない。
 あなたは世界の中にいるのでさえない。
 世界は存在しない。
 あなただけが在るのだ。
 あなたは想像の中で世界を夢のように創造している。
 あなたがあなた自身を夢から分離できないように、あなた自身から独立した
 外側の世界をもつこともできないのだ。
 独立しているのは、世界ではなくあなただ。
 あなた自身が創造した世界を恐れてはならない。
 幸福と実在を夢のなかで探そうとするのはやめなさい。
 そうすればあなたは目覚めるだろう。
                          『私は在る』(p471)
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> あなた自身が創造した世界を恐れてはならない。
> 幸福と実在を夢のなかで探そうとするのはやめなさい。

かぁ……。

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 夢の人生において一定の成果をあげる必要はないのだ。
 あるいは、それを高尚なものにしたり、幸福で美しいものにしたりする必要
 もない。
 あなたに必要なことはただ、夢を見ているということを自覚することなのだ。
 想像することをやめなさい。
 信じるのをやめなさい。
 矛盾と不調和、虚偽と悲しみの人間の状態を見るがいい。
 そして、それらを超えていく必要性を見なさい。
                          『私は在る』(p277)
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理解してはきています……。

……ありがとうございました。<(_ _)>

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.写経ニサルガダッタ:【97 マインドと世界はひとつ】の4回目
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ここはこの章のひとつのハイライトでだと思います。

> あなたの非依存性を自覚し、幸せでありなさい。
> あなたに言おう。
> これが幸福の秘密なのだ。
> あなたの幸せがものごとや人びとに依存すると信じることは、自己の真の本
> 性に関するあなたの無知によるものなのだ。
> 自己知識を除いては、幸せとなるために必要なものは何もないと知ることが
> 智慧(ちえ)なのだ。

ただひとつ……このことがハラに入れば……。

では、【97 マインドと世界はひとつ】の4回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

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 質問者 何が正しく何が間違いなのでしょうか?
 
 マハラジ
 一般的には、苦しみを生じさせることが間違いで、苦しみを取り除くことが
 正しい。
 身体とマインドには限界があり、それゆえ傷つきやすい。
 それらが保護を必要とすることが恐れを生みだすのだ。
 それらと自己同一化するかぎり、あなたが苦しむのは避けられない。
 あなたの非依存性を自覚し、幸せでありなさい。
 あなたに言おう。
 これが幸福の秘密なのだ。
 あなたの幸せがものごとや人びとに依存すると信じることは、自己の真の本
 性に関するあなたの無知によるものなのだ。
 自己知識を除いては、幸せとなるために必要なものは何もないと知ることが
 智慧(ちえ)なのだ。
 
 質問者 存在と欲望、どちらが先に現れるのでしょうか?
 
 マハラジ
 意識のなかに存在が立ち現れるとともに、あなたが何であるか、また何に成
 るべきかという観念も立ち現れる。
 これが欲望と行動を生み、何かに成るという過程がはじまるのだ。
 成ることには、明らかにはじまりも終わりもない。
 なぜなら、それは毎瞬毎瞬、新たにはじまるからだ。
 創造と欲望が停止したとき、成ることはやみ、あれやこれとして在ることは
 純粋な存在へと溶け去る。
 それは表現することのできない、ただ体験することだけが可能なものだ。
 
 世界があなたにとって、それほどにも圧倒的に現実のものとして現れるのは、
 あなたがそれについてつねに考えているからだ。
 それについて考えるのをやめてみなさい。
 そうすれば、それは霧のなかに消えていくだろう。
 忘れる必要はない。
 欲望と恐れが終焉したとき、束縛もまた終わりを告げるだろう。
 私たちが人格や気性と呼ぶ、好き嫌いのパターンに感情的に巻きこまれるこ
 と、それが束縛をつくり出すのだ。
 
 質問者 欲望も恐れもなければ、どのような行動の動機があるというのでし
     ょうか?
 
 マハラジ
 何もない。
 あなたが生命の愛、正義、美を充分な動機と考えないかぎりは。
 
 欲望と恐れからの自由を恐れてはならない。
 それはあなたの知っているすべてとはまったく違った、より一層強烈で興味
 深い人生を生きることを可能にさせる。
 まさしく、すべてを失うことによって、あなたはすべてを得るのだ。
 
 質問者 あなたの霊的系統をリシ・ダッタートレーヤからたどっていくとす
     れば、あなたとあなたの先師たちは皆、リシの化身だと信じてよい
     のでしょうか?
 
 マハラジ
 何であれあなたの好きなように信じるがいい。
 そして、もしあなたの信じるところにしたがって行動するならば、その結果
 を得ることだろう。
 しかし、私にとってそれは何の重要性もない。
 私は私だ。
 そして、私にとってはこれで充分なのだ。
 私にはいかに高名な人物と出会っても、自己同一化したいという欲望はない。
 また、神話を実在のものと見なすべき必要も感じない。
 私が唯一興味を持つのは無知と、無知からの解放だけだ。
 厳密な意味においてのグルの役割とは、弟子のマインドとハートのなかの無
 知を追い払うことだ。
 ひとたび弟子が理解したなら、決意を固めるのは彼にかかっている。
 誰もほかの者のために行為することはできないのだ。
 そして、もし彼が正しく行為をしなかったなら、それは彼がまだ理解をして
 いなかったという意味にすぎない。
 そしてグルの仕事はまだ終わっていないということなのだ。
 
 質問者 いくつかの絶望的な場合もありうるのでしょうか?
 
 マハラジ
 絶望的な人はひとりもいない。
 障害は乗り越えられるものだ。
 生が修繕しなければ、死が終焉させるだろう。
 しかしグルに失敗はありえない。
 
 質問者 何があなたに確信を与えるのでしょうか?
 
 マハラジ
 師と弟子の内なる実在はひとつであり、マインドの救済と解放というひとつ
 の目的に向かってともに働いている。
 それに失敗はありえないのだ。
 彼らの行く手を遮る大きな岩そのものから、彼らは橋を築きあげる。
 意識は存在の全体ではないのだ。
 そこには弟子がより協調的な別のレベルも存在し、グルはすべてのレベルに
 精通している。
 そして、彼のエネルギーと忍耐は無尽蔵なのだ。
 
                        『私は在る』(p523-524)
                       http://tinyurl.com/s747u
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(-||-)

> 質問者 何が正しく何が間違いなのでしょうか?

まったく……「何が正しく何が間違いなのでしょうか?」と訊きたいです。

> マハラジ
> 一般的には、苦しみを生じさせることが間違いで、苦しみを取り除くことが
> 正しい。

ああ……これは単純明快ですね。

われわれエゴにも……納得できる定義です。

> 身体とマインドには限界があり、それゆえ傷つきやすい。

たしかに。

> それらが保護を必要とすることが恐れを生みだすのだ。

わかります。

> それらと自己同一化するかぎり、あなたが苦しむのは避けられない。

そうかぁ。

> あなたの非依存性を自覚し、幸せでありなさい。

それしか……ないんですねぇ。

幸福が何かの条件に依存しているかぎり……その条件がなくなくなったら……
不幸にならなければならない……。

> あなたに言おう。

はい。(@_@)O

> これが幸福の秘密なのだ。

おお……。

> あなたの幸せがものごとや人びとに依存すると信じることは、自己の真の本
> 性に関するあなたの無知によるものなのだ。

このことさえ……ハラに入れば……。

> 自己知識を除いては、幸せとなるために必要なものは何もないと知ることが
> 智慧(ちえ)なのだ。

……。(-_-)

(-||-)

> 質問者 存在と欲望、どちらが先に現れるのでしょうか?

哲学的な質問ですねぇ……。

> マハラジ
> 意識のなかに存在が立ち現れるとともに、あなたが何であるか、また何に成
> るべきかという観念も立ち現れる。

なるほど。

> これが欲望と行動を生み、何かに成るという過程がはじまるのだ。

理解できます。

> 成ることには、明らかにはじまりも終わりもない。

「成ることには、明らかにはじまりも終わりもない」……。

なぜなんでしょう?

> なぜなら、それは毎瞬毎瞬、新たにはじまるからだ。

そうか……。

> 創造と欲望が停止したとき、成ることはやみ、あれやこれとして在ることは
> 純粋な存在へと溶け去る。

真我の実現……と呼ばれるものですね。

> それは表現することのできない、ただ体験することだけが可能なものだ。

わかりました。

> 世界があなたにとって、それほどにも圧倒的に現実のものとして現れるのは、
> あなたがそれについてつねに考えているからだ。

ガーン! (*_*)  ⌒★?

なんと……。

しかし……いま人類が一斉に息を止めたら……この地球さえ溶けて消える……
と聞いたこともあったっけ……。

> それについて考えるのをやめてみなさい。
> そうすれば、それは霧のなかに消えていくだろう。

そうなんだ……。

> 忘れる必要はない。

しかも……忘れる必要すら……ないんですか……。

> 欲望と恐れが終焉したとき、束縛もまた終わりを告げるだろう。

「欲望と恐れ」の継続だけが……束縛を想像(創造)していたんですか……。

> 私たちが人格や気性と呼ぶ、好き嫌いのパターンに感情的に巻きこまれるこ
> と、それが束縛をつくり出すのだ。

ということは……“好き嫌いのパターンに感情的に巻きこまれること”が……
「欲望と恐れ」と呼ばれるものの……内実だということか……。(-_-)

> 質問者 欲望も恐れもなければ、どのような行動の動機があるというのでし
>     ょうか?
> 
> マハラジ
> 何もない。

たしかに。

> あなたが生命の愛、正義、美を充分な動機と考えないかぎりは。

ああ……なるほど。

> 欲望と恐れからの自由を恐れてはならない。

「欲望と恐れからの自由」を……恐れているわけでもないんですけど。

(それとも「欲望と恐れからの自由」を……恐れていることになるのか。)

> それはあなたの知っているすべてとはまったく違った、より一層強烈で興味
> 深い人生を生きることを可能にさせる。

そういうものなんですか……。

> まさしく、すべてを失うことによって、あなたはすべてを得るのだ。

はい。

> 質問者 あなたの霊的系統をリシ・ダッタートレーヤからたどっていくとす
>     れば、あなたとあなたの先師たちは皆、リシの化身だと信じてよい
>     のでしょうか?

この方……また元の質問パターンに……戻ったみたい。

> マハラジ
> 何であれあなたの好きなように信じるがいい。
> そして、もしあなたの信じるところにしたがって行動するならば、その結果
> を得ることだろう。

わかるような気がします。

> しかし、私にとってそれは何の重要性もない。

はあ……。

> 私は私だ。

おお。(@_@)

> そして、私にとってはこれで充分なのだ。

はい。

> 私にはいかに高名な人物と出会っても、自己同一化したいという欲望はない。

わかります。

> また、神話を実在のものと見なすべき必要も感じない。

はい。

> 私が唯一興味を持つのは無知と、無知からの解放だけだ。

ありがとうございます。

> 厳密な意味においてのグルの役割とは、弟子のマインドとハートのなかの無
> 知を追い払うことだ。

わかります。

> ひとたび弟子が理解したなら、決意を固めるのは彼にかかっている。

そうか……。

> 誰もほかの者のために行為することはできないのだ。

ですよね。

> そして、もし彼が正しく行為をしなかったなら、それは彼がまだ理解をして
> いなかったという意味にすぎない。

まったく……。(*-_-*)

> そしてグルの仕事はまだ終わっていないということなのだ。

はい。

> 質問者 いくつかの絶望的な場合もありうるのでしょうか?

はは……。(^^;)

> マハラジ
> 絶望的な人はひとりもいない。

(-||-)

> 障害は乗り越えられるものだ。

はい。

> 生が修繕しなければ、死が終焉させるだろう。

なるほど。

> しかしグルに失敗はありえない。

そうか……。

> 質問者 何があなたに確信を与えるのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> 師と弟子の内なる実在はひとつであり、マインドの救済と解放というひとつ
> の目的に向かってともに働いている。

おおー……そういうことなのか。(*@_@*)

> それに失敗はありえないのだ。

わかりました。

> 彼らの行く手を遮る大きな岩そのものから、彼らは橋を築きあげる。

なるほど。

> 意識は存在の全体ではないのだ。

(-||-)

> そこには弟子がより協調的な別のレベルも存在し、グルはすべてのレベルに
> 精通している。

ありがとうございます。

> そして、彼のエネルギーと忍耐は無尽蔵なのだ。

「無知にははじまりがない。
 しかし、終わりはある。(p224)」

ということに……関係があるわけでしょうね。

しかし……理屈では了解しがたい領域ですね。

……。(-||-)

……。

ありがとうございました……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


        …………○…………○…………○…………


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■ 3.編集後記:「幸せとなるために必要なもの」を……すべて
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「自己知識を除いては、幸せとなるために必要なものは何もないと知ることが
 智慧なのだ。(p523)」

ということを教わりました。

では、その“自己知識”とはいったい何かというと……ニサルガ師匠は、

「あなたが何ではないか、ということを知ればそれでいい。
 あなたが何なのかを知る必要はない。
 なぜなら知識とは既知なるもの、知覚されるもの、あるいは観念としてしか
 表せないため、自己知識といったものはありえないからだ。(p24)」

と言います。

ということは……われわれは……「幸せとなるために必要なもの」を……すべ
て教わったことになります。

あとは……それを信頼したかどうか……だけなんですね……。

では、おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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