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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.357 2011/2/6(第357号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ
という言葉を信じた、仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 905名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.何もそれを強要できない

2.写経ニサルガダッタ:【27 はじまりなきものは永遠にはじまる】1回目

3.編集後記:受け容れて……納得して……通りすぎていくしかない。
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■ 1.何もそれを強要できない
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立春から急に春めいた天気になってきました。

とはいえ……このまま春になっていくとも思えませんが……。

夢のなかの話に即して言うなら……地球も人間もいろいろ溜め込んだマグマを
吹き出したり……ちょっと荒れ模様ですけど。

でも……それは……いつものことなのかな。

いや……大小さまざまなサイクルがあって……それに即して大きな変化を通り
抜けていく……そういうこともまた……いつものことなんでしょうね。

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

われわれがいま夢のなかでこんな人生を送っているのは……つねに……いま…
…自分がそれを再生しているからだ……ということでした。

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 夢にははじまりがないように見える。
 しかし、事実はたった今だ。
 一瞬一瞬、あなたはそれを再生しているのだ。
 しかし、あなたは見ない。
 なぜなら、あなたはその夢が続いてほしいからだ。
 いかなる代価を支払ってでも、真剣にその夢が終わってほしいと一心に願う
 日がやってくるだろう。
 その代価とは、無執着と冷静さ、その夢自体への興味を失うことだ。
 
                          『私は在る』(p525)
                       http://tinyurl.com/s747u
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この……「興味を失う」という……ニサルガダッタの方法……というのか……
メッセージ……というのか……明晰性……というのか。

これは……夢のなかでは……いっこうに……流行るはずもない指針ですよね。

夢のなかでは……「いい夢を見ましょう」のほうが……人気があるに決まって
います。

ま……それは当然だから……いいんですが。

夢は……じつはたった今……はじまっているわけです……。

そこでもうひとつ……ではなぜ……われわれはこの夢を再生しているのか。

それに対しても……ニサルガダッタは答えています。

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 質問者 ……私たちは欲望と必要、本能と衝動の集積です。……
 
 マハラジ
 必要というものはない。
 欲望だけだ。
 
 質問者 食べ、飲み、自分の身体を保護すること、生きることは?
 
 マハラジ
 生きようと望むことは基本的な欲望だ。
 他のすべてはそれに依存している。
 
 質問者 私たちは生きています。なぜならば、そうしなければならないから
     です。
 
 マハラジ
 私たちは生きている。
 なぜなら感覚的存在を切望しているからだ。
                          『私は在る』(p149)
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

つまり……われわれが今この夢を再生しているのは……「感覚的存在を切望し
ているからだ」……というわけです。

この言葉で……わたしの積年の疑問は……一挙に……氷解してしまいました。

まったく……疑義の挟みようがありませんでした。

これまで何度も触れましたが……それまでわたしが抱えてきた疑問は、

        「何故にすべては始まってしまったのか?」

ということでした。

この問に対して……ニサルガダッタは……この上もなく……明快に答えてくれ
ました。

あなたの夢は……今この瞬間にはじまっている。

そして……あなたが今その夢を再生しているのは……あなたが

         「感覚的存在を切望しているからだ」

と。

ニサルガダッタは……大きな里程標については話してくれますが……あまり細
かな指示はしてくれません。

なので……「感覚的存在を切望している」状態から……
     「その夢自体への興味を失う」状態までの間に……

どんな風景を通り抜ける必要があるのかなどは……あまり語りません。

語ってくださるのは……ただ……こんな、

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 在ることを試みなさい。
 ただ在りなさい。
 重要な言葉は「試みること」だ。
 一日のなかで、充分な時間を静かに座ることに当てなさい。
 ただ人格と、その耽溺や妄想を超えていくように試みなさい。
 どのようにするかを尋ねてはならない。
 それは説明できないのだ。
 ただ、成功するまで試みつづけなさい。
 もしあなたが忍耐強くあれば、失敗はありえない。
 もっとも重要なことは誠実さ、真剣さだ。
 あなたはあなただと思いこんでいる個人として在ることに、本当にうんざり
 していなければならないのだ。
 そしてこのひと束の記憶と習慣との無用な自己同一化から自由となる緊急の
 必要性を見なさい。
 この無用な自己同一化に対する揺るぎない抵抗が成功の秘密なのだ。
 
                          『私は在る』(p528)
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まさに……身も蓋もない……赤裸々な真実だけです。

> どのようにするかを尋ねてはならない。
> それは説明できないのだ。

たぶん……これが……本当のところなのでしょう。

マインドの創造に興味を失うための方法を……マインドの構造体のなかに求め
ても……それはおよそバカげている……。

マインドはまさに……既知を組み合わせて……新たなる既知を創造するための
……仕組みなのですから……。

だから……ニサルガダッタが、

> ただ、成功するまで試みつづけなさい。
> もしあなたが忍耐強くあれば、失敗はありえない。

と語るのは……本当のことなのだと思います。

だからこそ……、

> もっとも重要なことは誠実さ、真剣さだ。

となるわけでしょう……。(*-_-*)

> あなたはあなただと思いこんでいる個人として在ることに、本当にうんざり
> していなければならないのだ。

もう……ここに至っては……まさに……何をか云わんや……です。

> あなたが意志、決心、一途(いちず)な心、何という名でそれを呼ぼうと、
> つまりは真剣さ、誠実さ、正直さに戻ってくる。(p137)

はい。

> 死ぬほど真剣なとき、あなたはあらゆる出来事、あらゆる人生の瞬間を本来
> の目的に結びつける。
> ほかのことであなたの時間とエネルギーを浪費したりはしない。

(*-||-*)

> あなたは目的に完全に献身する。
> 意志、愛、あるいは誠実さと呼んでもいい。

はい。

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 私たちは複雑な存在で、内側でも外側でも争っている。
 昨日の仕事を今日取り消し、つねに自分自身に矛盾している。
 身動きがとれなくなるのも無理はない。
 ほんのわずかな誠実さが大きな違いを生み出すのだ。
                          『私は在る』(p137)
----------------------------------------------------------------------

まったくです……。(;_;)

しかも……ニサルガ師匠は、

> 誠実さとは、努力の結果を熱望することではない。

と言うのですから。(@_@)

「誠実さとは、努力の結果を熱望することではない」……。(-_-;)

なんと……。

では……それは何だというのでしょう?

----------------------------------------------------------------------
 それは偽り、非本質的、個人的なものから興味をそらし、内なる移行をする
 ことの表現なのだ。
                          『私は在る』(p474)
----------------------------------------------------------------------

(/_;)

そうなのか。

> 誠実さとは、努力の結果を熱望することではない。

そうなのか……。

> それは偽り、非本質的、個人的なものから興味をそらし、内なる移行をする
> ことの表現なのだ。

じゃ……そのこと自体に……失敗など……ありえないわけだ……。

----------------------------------------------------------------------
 解放とは巧みに適用されたある方法による結果でも、環境によるものでもな
 い。
 それは因果の過程を超えているのだ。
 何もそれを強要することはできず、妨げることもできない。
 
 私たちは「今ここ」で自由なのだ。
 束縛を想像するのはマインドだけだ。
                          『私は在る』(p474)
----------------------------------------------------------------------

> 解放とは巧みに適用されたある方法による結果でも、環境によるものでもな
> い。

わたしにも……聞こえますように……。(-||-)

> それは因果の過程を超えているのだ。
> 何もそれを強要することはできず、妨げることもできない。

何もそれを強要できない……。

そして……何もそれを妨げられない……。

“ありのまま”の事実を……動かす方便なんか……存在しないんだ……。

というのも、

> 私たちは「今ここ」で自由なのだ。

から……。

> 束縛を想像するのはマインドだけだ。

(;_;)

ありがとうございました。<(_ _)>

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【27 はじまりなきものは永遠にはじまる】1
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

この章はゆっくりはじまります。

質問者の論点は……放棄と悦楽(ヨーガとボーガ)の二つの道のなかでは……
この世の悦楽を求めるほうが優れているのではないか……ということです。

ニサルガダッタは……この二つを対立させて評価すること自体が……無意味だ
と言います。

では、【27 はじまりなきものは永遠にはじまる】の1回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 先日、私はあなたに二通りの成長の方法、放棄と悦楽(ヨーガとボ
     ーガ)について尋ねました。その違いはさほどのものではありませ
     んでした。ヨーギは楽しむために放棄し、ボーギは放棄するために
     楽しむのです。ヨーギはまず放棄をし、ボーギはまず楽しみます。
 
 マハラジ
 それが何だというのだね?
 ヨーガのことはヨーギにボーガのことはボーギにまかせておくがいい。
 
 質問者 私にはボーガの道のほうがより良いように見えます。ヨーギは熟し
     きらないマンゴーのように、未熟なまま木から切り離され、かごの
     なかに熟すまで保たれます。風通し悪く、加熱されて、塾しはしま
     すが本当の味と香りは失われてしまうのです。木に残ったマンゴー
     は完全なサイズで、色、甘さなど、あらゆる喜びをともなって成長
     します。それでも、どういうわけかヨーギはあらゆる称賛を受け、
     ボーギは非難を受けます。私の目にはボーギのほうがよりよく映る
     のです。
 
 マハラジ
 何があなたにそう言わせるのだろうか?
 
 質問者 私は多くのヨーギたちと、彼らの途方もない努力を見てきました。
     たとえ彼らが真我を実現したときでも、何かそこには苦く、厳しい
     ものがあります。彼らは一見、多くの時を三昧(ざんまい)状態の
     なかで過ごしているようですが、いざ話をすると聖典の引用をする
     ばかりです。そのようなジニャーニ(知者)たちは、もっとも良い
     ところで、完成されていても周囲にわずかな芳香を放つ小さな花の
     ようです。森林のように豊かで、多彩であり、巨大な、動きにあふ
     れる世界をもった何人かの人たちがいます。その違いには何らかの
     理由があるはずです。
 
 マハラジ
 あなたはすでに言ったではないか。
 あなたによればヨーガにおいて人は発育を妨げられ、ボーガにおいて育成す
 るのだと。
 
 質問者 そうではありませんか? ヨーギは人生を恐れ、平和を探し求めま
     す。一方、ボーギは冒険的精神いっぱいに前進するのです。ヨーギ
     は理想に束縛され、一方、ボーギはつねに探検する用意があります。
 
 マハラジ
 それは多くを望むか、わずかで満足するかという問題だ。
 ヨーギは野心的だが、ボーギは単に冒険的だ。
 あなたのボーギはより豊かで、もっと興味深いように見える。
 だが、実際はそうではないのだ。
 ヨーギは鋭いナイフの刃先のように、狭く局限される。
 深く、ためらいなく、数多くの偽りの層を誤ることなく貫くために、彼はそ
 うあらねばならないのだ。
 ボーギはたくさんの祭壇を崇拝する。
 ヨーギはただひとつ、彼の真我のみに仕えるのだ。
 
 ヨーギをボーギに対立させるのは、まったく無駄なことだ。
 外面へ向かう道(プラヴリッティ)は、かならず内面への道(ニヴリッティ)
 に先行するものだ。
 判定を下したり、採点したりすることはばかげている。
 すべてが究極の完成に貢献しているのだ。
 ある人びとは、実在には三つの層があると言っている。
 真理、智慧(ちえ)、至福だ。
 真理を求める者はヨーギとなる。
 智慧を求める者はジニャーニに、幸福を求める者は行動の人となる。
 
 質問者 私たちは非二元性の至福についての話を聞きました。
 
 マハラジ
 非二元性の至福は大いなる平和の本性なのだ。
 喜びと苦痛は正当、非正当といった行為の結果だ。
 
 質問者 何がその違いを生みだすのでしょうか?
 
 マハラジ
 違いは与えることと、つかみ取ることにある。
 どの道を行こうとも最後にはみなひとつとなる。
 
 質問者 もしゴールに違いがないのなら、なぜ多様な道に区別をもうけるの
     でしょうか?
 
 マハラジ
 各人がそれぞれの自然な本性にしたがって行動するがいい。
 いかなる場合であっても究極の目的に仕えることだろう。
 あなたの識別や分類はまったく正しい。
 だが私にとって、それらは存在しない。
 何の根拠がなくとも、夢の記述は詳細で正確かもしれない。
 同じように、あなたの区別分類もまた、憶測に合わせたものにほかならない。
 ある概念からはじめて、異なった衣装をつけた同じ概念で終えただけだ。
 
 質問者 あなたはどのようにものごとを見るのでしょうか?
 
 マハラジ
 私にとっては、ひとつとすべては同じだ。
 同じ意識(チット)が存在(サット)と至福(アーナンダ)として現れる。
 動のなかの意識が至福であり、不動の意識が存在だ。
 
                        『私は在る』(p121-122)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 先日、私はあなたに二通りの成長の方法、放棄と悦楽(ヨーガとボ
>     ーガ)について尋ねました。その違いはさほどのものではありませ
>     んでした。ヨーギは楽しむために放棄し、ボーギは放棄するために
>     楽しむのです。ヨーギはまず放棄をし、ボーギはまず楽しみます。
> 
> マハラジ
> それが何だというのだね?
> ヨーガのことはヨーギにボーガのことはボーギにまかせておくがいい。

ちょっと……つれない言い方ですね。

> 質問者 私にはボーガの道のほうがより良いように見えます。ヨーギは熟し
>     きらないマンゴーのように、未熟なまま木から切り離され、かごの
>     なかに熟すまで保たれます。風通し悪く、加熱されて、塾しはしま
>     すが本当の味と香りは失われてしまうのです。木に残ったマンゴー
>     は完全なサイズで、色、甘さなど、あらゆる喜びをともなって成長
>     します。それでも、どういうわけかヨーギはあらゆる称賛を受け、
>     ボーギは非難を受けます。私の目にはボーギのほうがよりよく映る
>     のです。

(^_-)

> マハラジ
> 何があなたにそう言わせるのだろうか?

はい。

> 質問者 私は多くのヨーギたちと、彼らの途方もない努力を見てきました。
>     たとえ彼らが真我を実現したときでも、何かそこには苦く、厳しい
>     ものがあります。彼らは一見、多くの時を三昧(ざんまい)状態の
>     なかで過ごしているようですが、いざ話をすると聖典の引用をする
>     ばかりです。そのようなジニャーニ(知者)たちは、もっとも良い
>     ところで、完成されていても周囲にわずかな芳香を放つ小さな花の
>     ようです。森林のように豊かで、多彩であり、巨大な、動きにあふ
>     れる世界をもった何人かの人たちがいます。その違いには何らかの
>     理由があるはずです。

百人百様の意見がありますよね。

> マハラジ
> あなたはすでに言ったではないか。
> あなたによればヨーガにおいて人は発育を妨げられ、ボーガにおいて育成す
> るのだと。

ちょっと……恐いような雰囲気ですね。

> 質問者 そうではありませんか? ヨーギは人生を恐れ、平和を探し求めま
>     す。一方、ボーギは冒険的精神いっぱいに前進するのです。ヨーギ
>     は理想に束縛され、一方、ボーギはつねに探検する用意があります。

なーるほどねぇ。(-_-)

> マハラジ
> それは多くを望むか、わずかで満足するかという問題だ。

ああ……そうか……。

要は……満足だけが問題……ということかしら。

> ヨーギは野心的だが、ボーギは単に冒険的だ。
> あなたのボーギはより豊かで、もっと興味深いように見える。

……ように見える。

> だが、実際はそうではないのだ。

(@_@)

> ヨーギは鋭いナイフの刃先のように、狭く局限される。
> 深く、ためらいなく、数多くの偽りの層を誤ることなく貫くために、彼はそ
> うあらねばならないのだ。

そうなのか……。

> ボーギはたくさんの祭壇を崇拝する。

はい。

> ヨーギはただひとつ、彼の真我のみに仕えるのだ。

そうか。(-_-)

> ヨーギをボーギに対立させるのは、まったく無駄なことだ。

(?_?)O

> 外面へ向かう道(プラヴリッティ)は、かならず内面への道(ニヴリッティ)
> に先行するものだ。

あ。

> 判定を下したり、採点したりすることはばかげている。

はい。

> すべてが究極の完成に貢献しているのだ。

わかりました。

> ある人びとは、実在には三つの層があると言っている。
> 真理、智慧(ちえ)、至福だ。
> 真理を求める者はヨーギとなる。
> 智慧を求める者はジニャーニに、幸福を求める者は行動の人となる。

……。

> 質問者 私たちは非二元性の至福についての話を聞きました。

たしかに。

> マハラジ
> 非二元性の至福は大いなる平和の本性なのだ。

はい。

> 喜びと苦痛は正当、非正当といった行為の結果だ。

正当な行為の結果が……喜びで……不当な行為の結果が……苦痛……。

> 質問者 何がその違いを生みだすのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> 違いは与えることと、つかみ取ることにある。

おう。(@_@)

> どの道を行こうとも最後にはみなひとつとなる。

そうなんですか。

> 質問者 もしゴールに違いがないのなら、なぜ多様な道に区別をもうけるの
>     でしょうか?

たしかに。

> マハラジ
> 各人がそれぞれの自然な本性にしたがって行動するがいい。
> いかなる場合であっても究極の目的に仕えることだろう。

そういうことかぁ。

> あなたの識別や分類はまったく正しい。

はい。

> だが私にとって、それらは存在しない。

(*_*)

> 何の根拠がなくとも、夢の記述は詳細で正確かもしれない。

はい。

> 同じように、あなたの区別分類もまた、憶測に合わせたものにほかならない。
> ある概念からはじめて、異なった衣装をつけた同じ概念で終えただけだ。

そういうことか……。(*-_-*)

> 質問者 あなたはどのようにものごとを見るのでしょうか?

是非……。

> マハラジ
> 私にとっては、ひとつとすべては同じだ。

(-_-)

> 同じ意識(チット)が存在(サット)と至福(アーナンダ)として現れる。

「 同じ意識が存在と至福として現れる」……。

> 動のなかの意識が至福であり、不動の意識が存在だ。

そうかあ……。

(-||-)

……。

ありがとうございました……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

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ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
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        …………○…………○…………○…………


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■ 3.編集後記:受け容れて……納得して……通りすぎていくしかない。
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いろんな気分が……通りすぎてゆきますね。

わたしは……自分が望んできたことの……最先端をいま経験している。

まさに……願ったことが……すべてかなったその結果を……。

結果に文句を言っても……仕方がないんですよね。

ただ……受け容れて……納得して……通りすぎていくしかない。

今日も……明るいうちに終えました……。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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