home > 通信 > 『アセンション館通信』第358号:事物が独立した存在を



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.359 2011/2/20(第359号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ
という言葉を信じた、仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 903名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.事物が独立した存在をもっているなら

2.写経ニサルガダッタ:【27 はじまりなきものは永遠にはじまる】3回目

3.編集後記:一瞬一瞬が……自分のなかから……生まれてくるんですね
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■ 1.事物が独立した存在をもっているなら
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自分のまわりにはいつも光景があり気分があります。

これを避けることはできないようです。

夢のなかにすらそれがあるわけですから。

そこに何らかの……関心があるかぎりは……ということかもしれませんが。

でも夢の中だと……自分はその光景の中を“動いて”はいるかもしれないけれ
ど……エゴのベースである身体がないので……対処はしていません。

それなりの情緒みたいなものは……そこに漂っているかもしれません。

でも目覚めという夢の中では……身体というエゴの根拠があるので……ちょっ
と事情は厄介ですよね。

身体はカルマに制限され……運命をもっているので……否応なくその運命のな
かをたどらなくてはならない。

映画のなかでは……登場人物は……動かなければならないわけですから。

でも……マインドは……どうなんだろう?

映画のなかの登場人物のなかに……マインドは動いているのでしょうか?

……。(-_-;)

いや……それはないな……。

マインドが動いているのは……映画を観ている観客のなかだ……。

観客のなかで……映画の場面に応じて……ある種の類推が働いて……マインド
が動くわけだ……。

われわれが現実と呼ぶ……この目覚めの夢のなかでは……森羅万象が……形態
と……情緒を担っているわけだ。

クラーゲスが言うところの……形象心情……かな……。

マインドは……片側では意識であり……もう片側では物質であるわけ……。

この目覚めの夢の場合は……夢のなかに……光景もあれば……情緒もある。

見る者が……それに興味を持つかどうかなんだ……。

見る者が……興味を持ったから……その光景も……その情緒もあるわけだ。

そういうことなんだなぁ……うん。(-_-)

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

要するに……「私は在る」が……興味を持ったわけですよね。

あるいは……興味が発生したから……「私は在る」が発生したのか。

同じことなのかなぁ……。

で……まわりの光景に興味を持ったから……いろいろ詳しく見ていったら……
どんどん新たな光景が……展開するというか……創造するというか……。

あまり夢中になって……その光景に見入ったら……魅入られちゃうというのか
……囚われちゃうというのか。

主客転倒しちゃうんですよね……きっと。

秘密はおそらく……その光景に……反応し……抵抗することにある。

だって……反応し……抵抗するのは……その光景が……リアルだと……追認す
ることだから。

だって……じつはパワーは……興味をもつ者の方に……あるわけだから。

興味をもつ者が……注意のパワーを注ぐかぎり……そこに新たな現実を創造す
る……そこに現実があるように見える。

(ネトゲ廃人……という言葉があるそうですね……。

 自分ではもう……ネットゲームの世界から……出られなくなった人のこと…
 …を言うんでしょうか。

 その世界に何かを求めたら……そこから出られなくなる……というのはきっ
 と……よくあることなんでしょうね。)

ただ……宇宙はそんな残酷なシステムではないのだから……けっして本当に
……廃人にしてしまうわけではないだろうけど……。

だいいち……自分しかいないのに……廃人にしてどうする? (^_-)

自分が本心から……飽きてしまえば……もうそれだけで……ゲームの外に出て
しまって……いるわけですよね……。

たとえ、わたしという宇宙的英知が……想像を絶するほどの……見事なレアル
(超絶的技術による立体演劇空間)を……用意しているとしても……。

ショーは……ショー……自己同化の陰に咲く花……。

そういう世界が……客観的に……存在しているわけではない。

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 もし事物が独立した存在をもっているなら、
 つまり、もしそれがあなたから離れて存在しているのなら、
 あなたがそれから立ち去っていくことも可能だろう。
 
 だが、事物はあなたから分離しているのではない。
 それはあなたゆえに、あなたの想いゆえに存在するのである。
 だとすれば、それから逃げてどこへ行けるというのだろうか。
 
                          『静寂の瞬間』(p51)
                       http://tinyurl.com/m2wjhu
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うーむ……。(-_-;)

(-||-)

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 世界は華麗にきらめく空虚なショーだ。
 それは在り、しかもそれはない。
 私が見たいと欲し、それに参加したいと望むかぎり、それはそこに在る。
 私が気にかけるのをやめるとき、それは溶け去る。
 それは原因がなく、何の目的にも仕えない。
 それは私たちが放心しているときに起こる。
 まったく見たとおりに現れはするが、そこには何の深みも意味もない。
 ただその傍観者だけが実在なのだ。
 彼は真我ともアートマとも呼ばれる。
 真我にとって世界は、それが続くかぎり楽しみ、終われば忘れられてしまう、
 ただの色鮮やかなショーにすぎない。
 何であれ、舞台の上で起こることが彼を恐怖で身震いさせようと、あるいは
 笑い転げさせようと、常に彼はそれがただのショーだと知っている。
 欲望や恐れなしに、彼は起こるがままに楽しむのだ。
                          『私は在る』(p196)
                       http://tinyurl.com/s747u
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興味を持つということは……自分を忘れるということ……。

興味を持つということは……放心するということなんだ……。(-_-;)

(-||-)

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 たったひとつ、あなたには誤りがある。
 あなたは内面を外面に見て取り、外面を内面として見ているのだ。
 あなたの内側にあるものをあなたの外側にあると見なし、外側にあるものを
 あなたの内側にあると見なしているのだ。
 マインドと感情は外側にあるのだ。
 だが、あなたはそれらを最も内部にあると見なしている。
 あなたは世界が外界のものだと信じている。
 だが、それは完全にあなたの精神の投影なのだ。
 これが混乱の根本であり、新たな爆発がその混乱を正すわけではない。
 あなた自身で考え抜かなければならないのだ。
 ほかに道はない。
                          『私は在る』(p258)
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“外側”に見ているもの……それは完全にわたしの放心の内面なのか……。

自分が誰かを……完全に忘れることで……世界は「レアル」になるのか……。

しかし……われわれは……生きなければならない。

たしかに……身体は生きなければならない……。

でも……、

「あなたに生きることはできない。

 なぜなら、あなたが生命だからだ」

というような言葉を……聴いたことがあるような……。

結局……「私は在る」というところに……戻って来るんだなぁ。

> ただ生命だけがある。

ただ……わたしだけが在る……。

わたしから離れて……事物が存在しているわけじゃないんだ。

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 ただ生命だけがある。
 生命を生きる人は誰もいないのだ。
                          『私は在る』(p316)
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……。(-_-)

……。

ありがとうございました。

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.写経ニサルガダッタ:【27 はじまりなきものは永遠にはじまる】3
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もう……何度も読んだはずだったのですが……今回、

> すべてはあなたとともにはじまるのだ。
> 何かほかにはじまりのないものがあるだろうか?

の意味が……初めてわかりました。(*-_-*)

まったく……もう……。

では、【27 はじまりなきものは永遠にはじまる】の3回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 それを知ることができ、楽しむことができないかぎり、私にとって
     は何の意味もありません。それはまず、私の体験の一部となるべき
     です。
 
 マハラジ
 あなたは実在を体験のレベルまで引き下げているのだ。
 どうして実在が体験に依存できるというのだろう?
 実在は体験の根底(アーダール)そのものなのだ。
 実在は体験の本質のなかにではなく、体験の事実のなかにある。
 体験は、つまりマインドの状態なのだ。
 一方、在ることは明らかにマインドの状態ではない。
 
 質問者 またもや私は混乱しています! 在ることは知ることから分離して
     いるのでしょうか?
 
 マハラジ
 分離は見かけだけだ。
 夢が夢見る人から離れてはいないように、知ることも在ることから離れては
 いない。
 夢は夢見る人であり、知識は知る人なのだ。
 区別は単に言葉の上にあるだけだ。
 
 質問者 私には今、サット(存在)とチット(意識)がひとつだとわかりま
     す。しかし、アーナンダ(至福)はどうでしょうか? 存在と意識
     はつねに一緒です。しかし、至福はごくまれに、瞬間ひらめくだけ
     です。
 
 マハラジ
 存在の静かな状態が至福なのだ。
 乱された状態が世界として現れる。
 非二元性のなかには至福がある。
 二元性のなかには体験がある。
 来ては去っていくのは苦痛と快楽の二元性の体験だ。
 至福とは知られるものではない。
 人はつねに至福なのだ。
 しかし、けっして至福に満ちているのではない。
 至福とはひとつの属性ではないのだ。
 
 質問者 もうひとつ質問があります。あるヨーギたちは目標を達成しますが、
     ほかの人たちの役には立ってはいません。彼らは知らないのか、あ
     るいは分かちあうことができないのです。もっているものを分かち
     あうことのできる人たちは、ほかの人びとに教えを授けます。違い
     はどこにあるのでしょうか?
 
 マハラジ
 何の違いもない。
 あなたのアプローチが間違っているのだ。
 助けるべきほかの人びとはいない。
 ある裕福な人は全財産を彼の家族に投げ出し、乞食に与える一枚の貨幣さえ
 もない。
 賢者(ジニャーニ)も彼のすべての力と所有物を捨て去り、何も、文字どお
 り何も彼について言えることはないのだ。
 彼は誰も助けることはできない。
 なぜなら、彼がすべての人だからだ。
 彼がその貧しい人であり、その貧困なのだ。
 彼が泥棒であり、また盗みなのだ。
 彼はそれらと分かたれてはいない。
 どうして彼に助けることができるだろうか?
 世界から分離していると考えている人に世界を助けさせればいい。
 
 質問者 それでも二元性はあり、悲しみはあり、助けの必要はあります。そ
     れを夢として放棄することでは何も達成されません。
 
 マハラジ
 ただひとつ助けとなること、それは夢から目覚めることだ。
 
 質問者 それには目覚めた人が必要とされます。
 
 マハラジ
 その人もまた夢のなかにいる。
 目覚めた人が終焉(しゅうえん)のはじまりを意味している。
 永遠の夢などないのだ。
 
 質問者 たとえ、それにはじまりがないとしてもでしょうか?
 
 マハラジ
 すべてはあなたとともにはじまるのだ。
 何かほかにはじまりのないものがあるだろうか?
 
 質問者 私は誕生とともにはじまりました。
 
 マハラジ
 それはあなたが聞いた話だ。
 そうではないかね?
 あなたははじまりを見たのかね?
 
 質問者 私はたった今、はじまりました。それ以外はすべて記憶です。
 
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 はじまりなきものは永遠にはじまる。
 同じように私は永遠に与え続ける。
 なぜなら私は何ももっていないからだ。
 無として在り、何ももたず、自分自身のために何も蓄えないことは、最高の
 寛容さなのだ。
 
 質問者 自己への関心は残っていないのでしょうか?
 
 マハラジ
 もちろん、私は自己への関心をもっている。
 しかし、すべてが自己なのだ。
 実際それは、尽きることのない普遍的な善意の形をとっている。
 あなたはそれをすべてに行きわたり、すべてを救済する愛と呼ぶかもしれな
 い。
 そのような愛は、行動しているという感覚をもたないにもかかわらず、最高
 に活動的なのだ。
 
                        『私は在る』(p124-126)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

そうなんだ……。(-_-)

> 質問者 それを知ることができ、楽しむことができないかぎり、私にとって
>     は何の意味もありません。それはまず、私の体験の一部となるべき
>     です。

うん。

> マハラジ
> あなたは実在を体験のレベルまで引き下げているのだ。

(*@_@*)

> どうして実在が体験に依存できるというのだろう?

ああ……なるほど。(@_@)

> 実在は体験の根底(アーダール)そのものなのだ。

(-_-)?

> 実在は体験の本質のなかにではなく、体験の事実のなかにある。

あ。(@_@)

……なるほど。(-_-)

> 体験は、つまりマインドの状態なのだ。

わかります。

> 一方、在ることは明らかにマインドの状態ではない。

ああ……。

> 質問者 またもや私は混乱しています! 在ることは知ることから分離して
>     いるのでしょうか?

うーむ。

たしかに……的確な質問……。

> マハラジ
> 分離は見かけだけだ。

はい。

> 夢が夢見る人から離れてはいないように、知ることも在ることから離れては
> いない。

「夢が夢見る人から離れてはいないように、知ることも在ることから離れては
 いない」……。

はい。

> 夢は夢見る人であり、知識は知る人なのだ。

おお。

> 区別は単に言葉の上にあるだけだ。

なるほど……。

> 質問者 私には今、サット(存在)とチット(意識)がひとつだとわかりま
>     す。しかし、アーナンダ(至福)はどうでしょうか? 存在と意識
>     はつねに一緒です。しかし、至福はごくまれに、瞬間ひらめくだけ
>     です。

そう……われわれ目覚めの夢をなかにいる者にとって……問題は「存在」でも
……「意識」でもなくて……「至福」ですよね。

> マハラジ
> 存在の静かな状態が至福なのだ。

「存在の静かな状態が至福」……。

> 乱された状態が世界として現れる。

「乱された状態が世界として現れる」……。

そうか……。

動くものに関心を持った状態が……世界として現れるんだ……。

> 非二元性のなかには至福がある。

何ひとつ識別する必要のない状態のなかに……至福がある。

> 二元性のなかには体験がある。

いろいろ識別している状態のなかに……体験がある。

> 来ては去っていくのは苦痛と快楽の二元性の体験だ。

はい。

> 至福とは知られるものではない。

理解できます。

> 人はつねに至福なのだ。

はい。

> しかし、けっして至福に満ちているのではない。

至福とは……至福という属性を持った状態とは……違う、と。

> 至福とはひとつの属性ではないのだ。

あ……はい。

(なんだ……ここに書いてあったことの受け売りだったんだ。(*-_-*)

 そうか……あらゆる想念が……受け売りか……。(=_=) )

> 質問者 もうひとつ質問があります。あるヨーギたちは目標を達成しますが、
>     ほかの人たちの役には立ってはいません。彼らは知らないのか、あ
>     るいは分かちあうことができないのです。もっているものを分かち
>     あうことのできる人たちは、ほかの人びとに教えを授けます。違い
>     はどこにあるのでしょうか?

ボーディサットヴァ(菩薩)と……アルハット(阿羅漢(羅漢))のこと?

> マハラジ
> 何の違いもない。

(>_<)

> あなたのアプローチが間違っているのだ。

はい。(;_;)

> 助けるべきほかの人びとはいない。

たしかに。

> ある裕福な人は全財産を彼の家族に投げ出し、乞食に与える一枚の貨幣さえ
> もない。

はい。

> 賢者(ジニャーニ)も彼のすべての力と所有物を捨て去り、何も、文字どお
> り何も彼について言えることはないのだ。

うう……ちょっと文脈を追えない。

なので……英文を確認してみました。

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A rich man, when he hands over his entire fortunes to his family, has
not a coin left to give a begger.
So is the wise man (gnani) stripped of all his powers and possessions.
Nothing, literally nothing can be said about him.(p106)
---------------------------------------------------------------------

ああ……なるほど。

ある金持ちは自分の全財産を家族に譲与しながら、乞食に与える1円玉も持っ
ていない、と。(←武富士さん、みたい。(>_<)\ゴン (\/U) )

(/_;)

それと同じように、賢者はすべての力と所有物を身ぐるみ渡してしまう。
彼について言えることなど何も、文字どおり何もないのだ。

と……そういう意味か……。

なるほど。

両方とも……単なる映画のなかの役割で……賢者の存在は……映画のなかにな
どないのだ……ということか。

ついつい……映画のなかの役割を……区別をしちゃうんだよなぁ。(*-_-*)

なにしろ“自分”が……目覚めの夢のなかで……生きているんだと……思って
いるもんなぁ。

> 彼は誰も助けることはできない。

(-_-)?

> なぜなら、彼がすべての人だからだ。

(*-||-*)

> 彼がその貧しい人であり、その貧困なのだ。

はい。

> 彼が泥棒であり、また盗みなのだ。

はい。

> 彼はそれらと分かたれてはいない。
> どうして彼に助けることができるだろうか?

わかりました。

> 世界から分離していると考えている人に世界を助けさせればいい。

たしかに。(-||-)

> 質問者 それでも二元性はあり、悲しみはあり、助けの必要はあります。そ
>     れを夢として放棄することでは何も達成されません。

やーぱり……夢のなかでは……そう言わざるをえないよなぁ。

> マハラジ
> ただひとつ助けとなること、それは夢から目覚めることだ。

(@_@)

……わかりました。(*-||-*)

> 質問者 それには目覚めた人が必要とされます。

うん。

> マハラジ
> その人もまた夢のなかにいる。

おお……。

> 目覚めた人が終焉(しゅうえん)のはじまりを意味している。

そうなのか……。

> 永遠の夢などないのだ。

「だいじょうぶだよ 君は必ず死ぬ」……。
https://www.ascensionkan.com/books/zettaimu.html

> 質問者 たとえ、それにはじまりがないとしてもでしょうか?

洒落たこと言うなぁ……このひと。

> マハラジ
> すべてはあなたとともにはじまるのだ。

あ……。

> 何かほかにはじまりのないものがあるだろうか?

あああ……。(*_*) ⌒★?

いま初めて……意味がわかった。(*-_-*)

(-||-)

> 質問者 私は誕生とともにはじまりました。

ふ。(^_-)

> マハラジ
> それはあなたが聞いた話だ。

プ。(>_<)

> そうではないかね?
> あなたははじまりを見たのかね?

たしかに。

> 質問者 私はたった今、はじまりました。それ以外はすべて記憶です。

ほう……すばらしい。

> マハラジ
> まったくそのとおりだ。

はい。

> はじまりなきものは永遠にはじまる。

おお……。

そういうことなのか……。

(-||-)

> 同じように私は永遠に与え続ける。

わかりました。

> なぜなら私は何ももっていないからだ。

はい。

> 無として在り、何ももたず、自分自身のために何も蓄えないことは、最高の
> 寛容さなのだ。

はい。

> 質問者 自己への関心は残っていないのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> もちろん、私は自己への関心をもっている。

(?_?)

> しかし、すべてが自己なのだ。

ああ。

> 実際それは、尽きることのない普遍的な善意の形をとっている。

はい。

> あなたはそれをすべてに行きわたり、すべてを救済する愛と呼ぶかもしれな
> い。

はい。

> そのような愛は、行動しているという感覚をもたないにもかかわらず、最高
> に活動的なのだ。

ほう……。

言い換えると……自然現象……ということでしょうか……。

(-||-)

……。

ありがとうございました……。

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

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方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

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        …………○…………○…………○…………


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■ 3.編集後記:一瞬一瞬が……自分のなかから……生まれてくるんですね
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「はじまりなきものは永遠にはじまる」……。

一瞬……一瞬が……自分のなかから……生まれてくるんですね。

そして……目覚めの夢のなかにいるわれわれは……そこに過去の記憶の片鱗を
探し求め……それを見つける(=創造する)……。

今日も……明るいうちに終えました……。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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