home > 通信 > 『アセンション館通信』第364号:公式:【私】=【在る】



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.364 2011/3/27(第364号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ
という言葉を信じた、仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 898名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.公式:【私】=【在る】

2.写経ニサルガダッタ:
      【53 満たされた欲望は、より多くの欲望を生み出す】の2回目

3.いただいたお手紙から:ほたる石さん

4.編集後記:やっぱり……色即是空……だけじゃ
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■ 1.公式:【私】=【在る】
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晴れて……風が強い日ですね。

ときどき吹き渡る風の音と……庭の風鈴の音以外は……静かです。

青空のなかを……白雲がゆっくりと……南東の方に移動していきます。

太陽が雲に覆われると……あたりが微かに暗くなって……精彩を欠きます。

雲間から太陽が現れると……おお……身体まで温まる……。

日向ぼっこをしていると……心身ともに……温められます。

太陽は……ありがたいです……。

(*-_-*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

寝覚めの夢から……そのまま変なシンボルの続きを追っていました。

「私は在る」……という言葉についてです。

「私は在る」……という言葉が……なぜかそこでは数学の公式のように……現
れていたのでした。

ラマナ・マハルシの聖典「私は誰か?」は……こんな言葉で始まっています。

----------------------------------------------------------------------
 生きとし生けるものは、いつも幸福であることを願い、不幸でないことを願
 っている。
 誰にとっても、そこには自分自身への至上の愛が見られる。
 そして幸福だけがその愛の源なのである。
 それゆえ、人間の本性である幸福、想念のない深い眠りのなかで体験される
 幸福を手に入れるためには、人は自分自身を知らねばならない。
 そのためには、「私は誰か?」という問で探求する知識の道が最も重要な方
 法である。
                        『あるがままに』(p393)
                      http://tinyurl.com/2aar6zj
----------------------------------------------------------------------

今にして思えば……これらの言明のなかに……じつに重要な知見が……何の飾
りもないそのままの形で……すでにこんなにも与えられていたのでした。

つまり……生きとし生けるものは……つねに幸福であることを願っていると。

誰にとっても……そこには自分自身への至上の愛が……あるのだということ。

そして……幸福だけがその愛の源……だということ。

だから……人間の本性は……幸福なのだということ。

その幸福とは……想念のない深い眠りのなかで体験される幸福……のことだと
いうこと。

そして……そのような幸福を手に入れるためには……人は自分自身を知らねば
ならない……ということです。

……。(*-_-*)

昔……はじめて……これらのメッセージを読んだときは……これらの言葉が…
…その意味が……わたしにはまったく伝わらなかったです……。

その一方で……秘かに……自分はむしろ何もなかった方がよかったなどと……
僻んだような気分で……思っていたのでした。

想念のない深い眠りのなかで体験される幸福……それこそがわたしが願った…
…「無(何もなかった)」の実体でした。

そのことを……幸福というのか……。(=_=)

ところで……寝覚めの夢のなかで「私は在る」という言葉が……数学の公式の
ように現れた……と言いました。

それは……こんな感じでした。

「私は在る」という言明は……「私」は「在る」だと伝えています。

ただそれが A=B という数学の公式のように現れていたのです。

つまり……、

【私】=【在る】

という公式でした。(*-_-*)

そして……その変数名が勝手にいろいろ動いていただけです……。

われわれの現状では……「私は在る」……だけが肯定形で述べうる真実だ……
とニサルガダッタは言います。

それ以外に……「私」が何であるかを……肯定形で述べることはできないと。

だから……例えば、

【私】=【男】

とか

【私】=【日本人】

とか

【私】=【人間】

は……真実ではない……というわけです。

ということは……真実は、

【私】≠【男】(「私は男ではない」)

【私】≠【日本人】(「私は日本人ではない」)

【私】≠【人間】(「私は人間ではない」)

という……否定形でしか表現できない……ということになります。

あるいは……述部を形容詞にして、

【私】=【悲しい】(「私は悲しい」)

とか

【私】=【嬉しい】(「私は嬉しい」)

とか

【私】=【空腹】(「私は空腹だ」)

も……もちろん……真実ではない……わけです。

ということは……真実は、

【私】≠【悲しい】(「私は、悲しい、ではない」)

【私】≠【嬉しい】(「私は、嬉しい、ではない」)

【私】≠【空腹】(「私は、空腹、ではない」)

という……否定形でしか表現できない……ということでしょう。

neti neti(「あれでもない、これでもない」)というわけです。

「私」は……述部の体験が起こるのを……見ている者です。

森羅万象……すべての述部の体験は……「私」が在るがゆえに……起こってい
るわけです。

「私」は……その述部の体験が起こるのを……可能にしている者です。

すべての体験の……可能根拠です。

もちろん……その起こっている体験に……自己同化すれば……たちまち、

【私】=【悲しい】(「私は悲しい」)

となって……真実とは……遠くかけ離れてしまうわけですが。

しかし……このわれわれの現状で……陳述できる……肯定形の真実がある。

それが……もちろん、

【私】=【在る】(「私は在る」)

です。

で……われわれが最初に納得する

【私】=【在る】

の「私」は……もちろん……自我(エゴ)のことです。

マインドの雲を突き破って……そのエゴにまで届いている……真実の響き……
それが……【在る】……です。

これだけは……どんなエゴにも否定できない。

「在る」ことを否定しようにも……逆にその否定自体が……「在る」ことの…
…証明になってしまうからです。

【在る】のゆえに……そのほかのすべての体験が……存在できる。

ん。(?_?)

【私】が在るから……そのほかのすべての体験がありうる。

【在る】のゆえに……そのほかのすべての体験がありうる。

ウーム……。(-_-)

どうやら……その意味では……、

【私】=【在る】(「私は在る」)

の……【私】と……【在る】は……どうも同じものらしい。

では……、

【私】=【在る】(「私は在る」)

の【私】と……【在る】は……どちらがより本質的なんでしょうか?

一方で……同じものだと言っておきながら……もう一方で……どちらがより…
…本質的でしょう?……なんて……ちょっと変ですが。(^_-)

ただ……こういうことは……言えるかもしれません。

どちらが……より包含が大きな概念なのか……と。

すると……こう考えることができます。

「私」という言葉には……「私」以外の存在を……許容……または暗示……す
るようなところがあります。

しかし……「在る」……という言葉の場合は……どうでしょうか?

「在る」……という概念に包含されないものに……「無い」……という概念が
あります。

でも……「無い」というものを……少なくとも……体験することはできない。

想像できるものは……すべて体験できるはずですが……じつは……想像はでき
ても……体験はできないものがある。

それは……「無」です。

「無いもの」を……体験することはできない。

「無」を……体験の対象とすることはできない……なぜならすべての体験は…
…「無」を背景として……起こっているからだ……。

などと……ニサルガダッタなら言うかもしれません。(>_<)\ゴン←(\/U)

(/_;)

(*^_^*)

つまり……落語の『道具屋』ではありませんが……「無いもの」は……無いの
です。(^_-)

「無いもの」という概念は……「存在しないもの」を指していますが……それ
はただの概念で……じつは存在しないので……まったく無意味なのです。

以上の結論として……「在る」という概念は……存在するもの……存在しうる
もの……想像しうるものを……すべて包含している……ということです。

もちろん……表現された概念だという意味では……「在る」という概念も……
偽りです。

偽りですが……真理の表現にもなりうる偽り……ということでしょうか。

少なくとも……「在る」というのは……端的な事実であって……単なるわれわ
れの想像でも……捏造でもないからです。

どうやら……、

【私】=【在る】(「私は在る」)

と言ったときの……【私】という概念と……【在る】という概念の……本質性
……というか……包含性……の勝負はついたようです。

存在するものすべてを包含していて……存在するすべてが否定できない概念…
…それは【在る】です。

ということは……じつは「在る」のは……【私】ではなくて……【在る】だ…
…と言うこともできます。

これを……公式的に表現するなら……、

【 】←【在る】
 ↓
【在る】

となります。

ところで……ラマナ・マハルシの聖典「私は誰か?」には……こんな問答もあ
ります。

----------------------------------------------------------------------
 24 幸福とは何でしょうか?
 
 幸福とは真我の本性そのものである。
 幸福と真我は別のものではない。
 世界のいかなるものごとのなかにも幸福はない。
 われわれは無知ゆえに、ものごとから幸福を得るものだと思っている。
 心が外へ出ていくと、不幸を体験する。
 心の願いが満たされたとき、実は、心は自己本来の場所に戻っており、真我
 である幸福を楽しむのである。
 同じように、眠りの状態、サマーディ、失神状態、あるいは、得たいと願っ
 ていたものが得られたり、嫌っていたものが消え去ったりしたときには、心
 は内面に向かい、純粋な真我―幸福を楽しむのである。
 このように心は休むことなく動きまわり、真我からさ迷いでては、また戻っ
 てくるということを繰り返している。
 木陰は気持ちいいが、外では太陽が焼けつくようだ。
 灼熱の太陽のなかを歩いてきた人が木陰にたどり着けば涼しいと感じる。
 木陰からわざわざ出て猛暑のなかを行き、それからまた木陰に戻ってくるの
 は愚かなことである。
 賢い人はずっと木陰にとどまっているだろう。
 同じように、真理を知る人は、ブラフマンを離れることはない。
 その反対に、無知な人の心は、悲惨を味わいながら世界をさ迷い歩き、つか
 の間の幸福を味わうためにブラフマンに戻ってくる。
 実際には、世界と呼ばれているものはただの想念にすぎない。
 世界が消え去ったとき、つまり想念が存在しないとき、心は平和を体験する。
 世界が現れると、不幸を味わうのである。
                      『あるがままに』(p404-405)
----------------------------------------------------------------------

(*_*)  ⌒★?

なんと……シンプルな……。

(-||-)

となると……、

実在である(つまり、真実存在する)……真我とは、

【在る】

でもあり

【幸福】

でもあるようです。

すると……「私」が幸福を求めて……現象世界の何かに……あるいは何らかの
体験に……自己同化して、

【幸福】=【悲しい】

などとなるのは……まったく……無意味というか……なんと言うか……。

元の位置の……木陰に戻って……ただ、

【幸福】

だけになったほうが……確かに……賢いように……思えます……。

> 実際には、世界と呼ばれているものはただの想念にすぎない。

想念を創造して……それに自己同化すると……不幸を体験する。

どんな想念も創造せずに……ただ……、

【幸福】

だけでいた方が……賢い……のか……。

うーむ……。(-_-)

……。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:
      【53 満たされた欲望は、より多くの欲望を生み出す】の2回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

この章の……タイトルとなったメッセージが語られている部分です。

> ぜひ幸せな世界をつくり出すがいい。
> 満足だけがあなたを幸せにすることができるのだ。
> 満たされた欲望は、より多くの欲望を生みだす。
> すべての欲望に近づかず、自然にやってくるものに満足していることは、非
> 常に実りある、満ち足りた状態への前提となる、必須の状態なのだ。

これが……ハラに入りさえすれば……。

(-||-)

では、【53 満たされた欲望は、より多くの欲望を生み出す】の1回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者
 朝の一時間、静かにすることはできます。しかし、一日は長く、多くのこと
 が起こり、私をバランスの取れた状態から放りだしてしまうのです。「静か
 にしなさい」というのは簡単です。しかし、私のなかで、そしてまわりです
 べてが叫んでいるのです。いったいどうすればいいのでしょうか。教えてく
 ださい。
 
 マハラジ
 為すべきことは、すべて平和と沈黙の中で為すことができる。
 心を乱される必要はないのだ。
 
 質問者
 それはみな、事実にそぐわない理論でしかありません。私はヨーロッパに帰
 るのですが、そこでは何もすることがないのです。私の人生はまったく空っ
 ぽなのです。
 
 マハラジ
 もしあなたがただ静かにするように試みるならば――仕事、仕事のための能
 力、正しい動機、すべてはやってくるだろう。
 すべて、前もってあなたが知っていなければならないのかね?
 未来のことを心配してはならない。
 今、静かでありなさい。
 そうすれば、すべては正しい場所に収まるだろう。
 予期しなかったことが、かならず起こるだろう。
 期待して待っていたことは、けっして起こらないかもしれないのだ。
 あなたの性質を制御できないと言ってはならない。
 制御する必要はないのだ。
 それを海に投げ捨ててしまうがいい。
 闘ったり、服従したりするような性質をもつことはない。
 もしあなたがそれを習慣にさえしなければ、いかなる経験もあなたを傷つけ
 ることはないだろう。
 あなたが全宇宙の深遠な原因なのだ。
 すべてはあなたが在るゆえに在る。
 この要点を深く、確実につかみなさい。
 そしてそれについて繰り返し熟考しなさい。
 このことが絶対的な真実だと悟ることが解放なのだ。
 
 質問者
 もし私が宇宙の種子なら、私は腐った種子です! 実がなって種子は認めら
 れるのです。
 
 マハラジ
 あなたがののしるほど、あなたの世界のどこが悪いというのだろうか?
 
 質問者
 それは苦痛に満ちています。
 
 マハラジ
 自然は快くもなければ、苦痛に満ちたものでもない。
 それはみな、知性と美にあふれているのだ。
 苦痛と快楽はマインドのなかにあるものだ。
 あなたの価値観の尺度を変えなさい。
 そうすれば、すべては変わるだろう。
 快楽と苦痛は、単に感覚を乱すものにすぎない。
 それらを同等に扱いなさい。
 そうすれば、そこには至福だけがあるだろう。
 そして、世界はあなたがつくり出すものだ。
 ぜひ幸せな世界をつくり出すがいい。
 満足だけがあなたを幸せにすることができるのだ。
 満たされた欲望は、より多くの欲望を生みだす。
 すべての欲望に近づかず、自然にやってくるものに満足していることは、非
 常に実りある、満ち足りた状態への前提となる、必須の状態なのだ。
 一見空虚で不毛に見えることに、不信をもってはならない。
 私を信じてほしい。
 欲望を満たすことが惨めさを生みだし、欲望から自由になることが至福なの
 だ。
 
 質問者 私たちはものを必要とします。
 
 マハラジ
 もしあなたが不必要なものを望まなければ、必要なものはやってくるだろう。
 しかしながら、この完全な無執着と無関心の状態に達する人はごくまれなの
 だ。
 それは非常に崇高な、まさに解放の入り口にある状態だ。
 
 質問者 この二年間というもの成果がなく、わたしは寂しく虚(うつ)ろな
     状態で、しばしば死が来るのを祈っていたのです。
 
 マハラジ
 あなたがここに来たことで、ものごとは起こりはじめている。
 それを起こるがまま起こらせるがいい。
 最後には、ものごとがそれ自体でうまく収まっていくだろう。
 未来に向かってあなたが努力することはない。
 未来はそれ自体であなたにやってくるだろう。
 しばらくの間、あなたは意味も確信も失ったまま、今同様に眠り歩きを続け
 るだろう。
 しかし、この時期は過ぎていく。
 そして、あなたは仕事が順調に進み、成果をあげるのを見ることだろう。
 心が虚ろで離れていくことは、誰でも、いつのときでもあるものだ。
 それはもっとも望まれる瞬間なのだ。
 なぜなら、それは魂が精神的な拠(より)り所を捨て去り、遠くへと航海を
 はじめたことを意味するからだ。
 古かったものが終わりを告げ、新たなるものがまだ訪れていないとき――こ
 れが無執着だ。
 もしあなたが恐れるならば、この状態は悲痛なものとなるだろう。
 しかし、本当に何も恐れることはないのだ。
 教えを思い出しなさい。
 何であれ、あなたがであうものを超えていきなさい、ということを。
 
 質問者 仏陀たちは、覚えるべきことを覚えるように指導してきました。し
     かし、正しい瞬間に、正しいことを思い出すのは、私にはあまりに
     も困難なのです。私にとっては、忘れることが法則であるかのよう
     です。
 
 マハラジ
 あらゆる状況が欲望と恐れの嵐をもたらすとき、思い出すのは易しいことで
 はない。
 記憶から生まれた切望は、記憶の破壊者でもあるのだ。
 
 質問者 どうやって欲望と闘うのでしょうか? 欲望より強いものは何もあ
     りません。
 
 マハラジ
 生命の水は、求むべき、あるいは憎むべき対象物の岩の上へと、怒号ととも
 に打ちつけている。
 洞察と無執着によって岩を取り除くのだ。
 そうすれば、同じ水は深く、静かに、速やかに流れるだろう。
 しかもより力強く、より大量に。
 それについて理論的になることはないのだ。
 充分考慮するだけの時間をもつがいい。
 もしあなたが自由を望むならば、もっとも身近な一歩をおろそかにしてはな
 らない。
 山を登るときのように、一歩もはずすことはできない。
 一歩でも足りなければ、山頂には到達されないからだ。
 
                        『私は在る』(p266-268)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者
> 朝の一時間、静かにすることはできます。しかし、一日は長く、多くのこと
> が起こり、私をバランスの取れた状態から放りだしてしまうのです。「静か
> にしなさい」というのは簡単です。しかし、私のなかで、そしてまわりです
> べてが叫んでいるのです。いったいどうすればいいのでしょうか。教えてく
> ださい。

いやー……わかります。

> マハラジ
> 為すべきことは、すべて平和と沈黙の中で為すことができる。
> 心を乱される必要はないのだ。

はい。

> 質問者
> それはみな、事実にそぐわない理論でしかありません。私はヨーロッパに帰
> るのですが、そこでは何もすることがないのです。私の人生はまったく空っ
> ぽなのです。

うーむ。

でも……そんな……駄々をこねたようなことを……言ってもなぁ。

> マハラジ
> もしあなたがただ静かにするように試みるならば――仕事、仕事のための能
> 力、正しい動機、すべてはやってくるだろう。

そうかぁ。

> すべて、前もってあなたが知っていなければならないのかね?

いえ……そんなこと……できっこないのは……よく知っています。

> 未来のことを心配してはならない。

はい。

> 今、静かでありなさい。

はい。

> そうすれば、すべては正しい場所に収まるだろう。

そうなんですか。

> 予期しなかったことが、かならず起こるだろう。

たしかに。

> 期待して待っていたことは、けっして起こらないかもしれないのだ。

そうなんですよね。

> あなたの性質を制御できないと言ってはならない。
> 制御する必要はないのだ。

(?_?)O

> それを海に投げ捨ててしまうがいい。

(>_<)

> 闘ったり、服従したりするような性質をもつことはない。
> もしあなたがそれを習慣にさえしなければ、いかなる経験もあなたを傷つけ
> ることはないだろう。

ホントですか。

> あなたが全宇宙の深遠な原因なのだ。

はい。

> すべてはあなたが在るゆえに在る。

理解しはじめています。

> この要点を深く、確実につかみなさい。

はい。

> そしてそれについて繰り返し熟考しなさい。

はい。

> このことが絶対的な真実だと悟ることが解放なのだ。

わかりました。

> 質問者
> もし私が宇宙の種子なら、私は腐った種子です! 実がなって種子は認めら
> れるのです。

ぷ。(>_<)

そんなところで……急に雄弁になって。(^_-)

> マハラジ
> あなたがののしるほど、あなたの世界のどこが悪いというのだろうか?
> 
> 質問者
> それは苦痛に満ちています。

うん。

> マハラジ
> 自然は快くもなければ、苦痛に満ちたものでもない。
> それはみな、知性と美にあふれているのだ。

そうかぁ。(-_-)

> 苦痛と快楽はマインドのなかにあるものだ。

だんだん……理解できるようになってきました。

> あなたの価値観の尺度を変えなさい。
> そうすれば、すべては変わるだろう。

はい。

> 快楽と苦痛は、単に感覚を乱すものにすぎない。

「快楽と苦痛は、単に感覚を乱すものにすぎない」……。

そうかぁ。

> それらを同等に扱いなさい。

はい。

> そうすれば、そこには至福だけがあるだろう。

それらを同等に扱えば……。

> そして、世界はあなたがつくり出すものだ。

たしかに。

> ぜひ幸せな世界をつくり出すがいい。

そうかぁ。

> 満足だけがあなたを幸せにすることができるのだ。

満足することだけが……わたしを幸せにできる。

> 満たされた欲望は、より多くの欲望を生みだす。

この区別が……難しいよなぁ。

> すべての欲望に近づかず、自然にやってくるものに満足していることは、非
> 常に実りある、満ち足りた状態への前提となる、必須の状態なのだ。

「すべての欲望に近づかず、自然にやってくるものに満足していること」……。

ニサルガ師匠のお話は……じつはすべてこういう基準に沿っているんだ。

> 一見空虚で不毛に見えることに、不信をもってはならない。

はい。

> 私を信じてほしい。

(;_;)

> 欲望を満たすことが惨めさを生みだし、欲望から自由になることが至福なの
> だ。

(-||-)

> 質問者 私たちはものを必要とします。

たしかに。

> マハラジ
> もしあなたが不必要なものを望まなければ、必要なものはやってくるだろう。

そうなのか。(-_-)

> しかしながら、この完全な無執着と無関心の状態に達する人はごくまれなの
> だ。

でしょうねぇ。

> それは非常に崇高な、まさに解放の入り口にある状態だ。

そういうことかぁ。

> 質問者 この二年間というもの成果がなく、わたしは寂しく虚(うつ)ろな
>     状態で、しばしば死が来るのを祈っていたのです。
> 
> マハラジ
> あなたがここに来たことで、ものごとは起こりはじめている。
> それを起こるがまま起こらせるがいい。
> 最後には、ものごとがそれ自体でうまく収まっていくだろう。

「最後には、ものごとがそれ自体でうまく収まっていく」んだよな……。

> 未来に向かってあなたが努力することはない。

はい。

> 未来はそれ自体であなたにやってくるだろう。

わかりました。

> しばらくの間、あなたは意味も確信も失ったまま、今同様に眠り歩きを続け
> るだろう。

はい。

> しかし、この時期は過ぎていく。

ああ……。(;_;)

> そして、あなたは仕事が順調に進み、成果をあげるのを見ることだろう。

……。

> 心が虚ろで離れていくことは、誰でも、いつのときでもあるものだ。

はい。

> それはもっとも望まれる瞬間なのだ。

(@_@)O

> なぜなら、それは魂が精神的な拠(より)り所を捨て去り、遠くへと航海を
> はじめたことを意味するからだ。

ああ……。

> 古かったものが終わりを告げ、新たなるものがまだ訪れていないとき――こ
> れが無執着だ。

そうかぁ……。

> もしあなたが恐れるならば、この状態は悲痛なものとなるだろう。

(>_<)

> しかし、本当に何も恐れることはないのだ。

はい。

> 教えを思い出しなさい。
> 何であれ、あなたがであうものを超えていきなさい、ということを。

(-||-)

> 質問者 仏陀たちは、覚えるべきことを覚えるように指導してきました。し
>     かし、正しい瞬間に、正しいことを思い出すのは、私にはあまりに
>     も困難なのです。私にとっては、忘れることが法則であるかのよう
>     です。

ふふ。

このひと……こういうとき……何だか元気。(^_-)

> マハラジ
> あらゆる状況が欲望と恐れの嵐をもたらすとき、思い出すのは易しいことで
> はない。

はい。

> 記憶から生まれた切望は、記憶の破壊者でもあるのだ。

「記憶から生まれた切望は、記憶の破壊者でもある」……。

へー……。

> 質問者 どうやって欲望と闘うのでしょうか? 欲望より強いものは何もあ
>     りません。

うん。

> マハラジ
> 生命の水は、求むべき、あるいは憎むべき対象物の岩の上へと、怒号ととも
> に打ちつけている。

むむ……。(?_?)O

> 洞察と無執着によって岩を取り除くのだ。

(@_@)

> そうすれば、同じ水は深く、静かに、速やかに流れるだろう。
> しかもより力強く、より大量に。

ああ……なるほど。

逆らわないのか……。

> それについて理論的になることはないのだ。
> 充分考慮するだけの時間をもつがいい。

はい。

自分が何を求めているのか……。

そのことに対してどういう利益があるのか……。

> もしあなたが自由を望むならば、もっとも身近な一歩をおろそかにしてはな
> らない。

はい。

> 山を登るときのように、一歩もはずすことはできない。
> 一歩でも足りなければ、山頂には到達されないからだ。

わかりました。(-_-)

……。

ありがとうございました……。<(_ _)>

(-_-)

……。

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストしてくださる
方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

おこがましくも、『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


        …………○…………○…………○…………



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■ 3.いただいたお手紙から:ほたる石さん
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

▼『アセンション館通信』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単なるメールな
ど、ご自由にお書きいただければと思います。


        …………○…………○…………○…………


今回、ほたる石さんからご投稿をいただきました。

早速、ご紹介します。

【件名】: 
----------------------------------------------------------------------
 ほたる石です。
 以前はお答えのメールをありがとうございました。
 語録を拝見しながら、いろいろ、考えてしまいました。
 
 ご存じかもしれないのですが「過去にも未来にも囚われない生き方」という
 本があります。
 目覚めに関して、とても良い本だと思っています。
 
 P172にニサルガダッタ・マハラジの言葉が紹介されています。
 「自分の中を覗き込み、そこには何もないと見たとき、それは智恵(般若知)
 である。
 私が自分の外を見、私とはすべてであると見たとき、それは愛である。
 この二つの間に、私の人生は流れるのだ」
 
 最近、私はずっと落ち込んでいた感じがあります。
 人生に色彩を感じなくなったというか。
 どうせ夢なんだし、淡々と生きればいいのね、と思って、それが真実なのか
 なあとか思ってました。
 
 それが、ここ数日、気分が変わって、人生は明るいんだ、すべては神の顕現
 で素晴らしいんだ、と、いきなり、思ったんです。
 
 マハラジの言葉からすると、その両方が混淆したものが「真実」なるもので
 はないかなあと思いました。
 こういうのの把握、理解は、できないけど、できる性質のもので、賢者のも
 のかなあと思います。
 
 P173から引用。
 「多くの人は、目覚めの中にこの二つの認識(形あるものは空である、空と
 は形あるものである)を二つとも組み込むことができず、どちらかといえば、
 形あるものは空である、という目覚めに終わりがちです。そのため、目覚め
 が本来さらに深いものであるとは直感はしますが、それをうまく把握するこ
 とができません。」
 
 以前に読んだときは、いまいちよくわからなかったのですが、今回読み直し
 てみたら、意味が通ってきました。
 ひょっとしたら、なにかのご参考になるかと、メールさせていただきました。
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ほたる石さん、ご投稿ありがとうございます。

> ほたる石です。
> 以前はお答えのメールをありがとうございました。

こちらこそ、ありがとうございました。

> 語録を拝見しながら、いろいろ、考えてしまいました。

語録というのは……「ニサルガダッタ辞書」のことですか。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

> ご存じかもしれないのですが「過去にも未来にも囚われない生き方」という
> 本があります。
> 目覚めに関して、とても良い本だと思っています。

ええ……そうでしたね。

たまたまですが……じつはわたしも読みました。(^^;)

この魅力的なタイトルが気になって amazon で公開部分を閲覧しました。

そしたら……その大人しい書き方がとても気に入って……ついつい……買って
しまいました。

> P172にニサルガダッタ・マハラジの言葉が紹介されています。
> 「自分の中を覗き込み、そこには何もないと見たとき、それは智恵(般若知)
> である。
> 私が自分の外を見、私とはすべてであると見たとき、それは愛である。
> この二つの間に、私の人生は流れるのだ」

なるほどなぁ。(-_-)

> 最近、私はずっと落ち込んでいた感じがあります。
> 人生に色彩を感じなくなったというか。
> どうせ夢なんだし、淡々と生きればいいのね、と思って、それが真実なのか
> なあとか思ってました。

そうでしたか……。

> それが、ここ数日、気分が変わって、人生は明るいんだ、すべては神の顕現
> で素晴らしいんだ、と、いきなり、思ったんです。

おお……。(@_@)

> マハラジの言葉からすると、その両方が混淆したものが「真実」なるもので
> はないかなあと思いました。

なるほど。

> こういうのの把握、理解は、できないけど、できる性質のもので、賢者のも
> のかなあと思います。

なんか……すごいですね。

> P173から引用。
> 「多くの人は、目覚めの中にこの二つの認識(形あるものは空である、空と
> は形あるものである)を二つとも組み込むことができず、どちらかといえば、
> 形あるものは空である、という目覚めに終わりがちです。そのため、目覚め
> が本来さらに深いものであるとは直感はしますが、それをうまく把握するこ
> とができません。」

なるほど。

> 以前に読んだときは、いまいちよくわからなかったのですが、今回読み直し
> てみたら、意味が通ってきました。

それは……素晴らしいですね。

> ひょっとしたら、なにかのご参考になるかと、メールさせていただきました。

そうでしたか……いや……ありがとうございました。

じつはわたしも……この『過去にも未来にもとらわれない生き方』という本を
読んだとき……同じ気づきをいただきました。

それは……いまほたる石さんがおっしゃっていることと……とても近縁という
よりは……まさに同じこと……だろうと思います。

わたしが教わったのも……般若心経にある……二つの表現

色即是空

空即是色

というのは……けっして単なる重複表現ではない……という知見でした。

「色即是空」とは……顕現しているものはすべて……実体のない「空」なるも
のでだ……ということですよね。

ところが……「空即是色」とは……その同じことを繰り返している……わけで
はない……と教えられたのです。

「空即是色」とは……その「空」は……他でもないこの現象世界として顕現し
ている……という意味らしいのでした。

つまり……“何者でもありうるゆえに……逆に何者でもありえない”その神な
る「空」は……他でもないこの現象世界として顕現している……と。

なにやら……ドキッとしましたね。

ニサルガダッタのグルは……彼にこんなふうにおっしゃったそうですね。

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 「私を信頼しなさい。あなたに言おう。あなたは神聖なのだ。それを絶対の
  真実として受け取りなさい。あなたの喜びは神聖だ。あなたの苦しみもま
  た神聖だ。すべては神からやって来るのだ。それをいつも憶えていなさい。
  あなたは神だ。あなたの思いのみが為されるのだ」。
                          『私は在る』(p257)
----------------------------------------------------------------------

と……。(-||-)

マハルシなら……こう言うのかもしれません。

----------------------------------------------------------------------
 この宇宙は何のなかに存在するのだろうか。このすべては何なのだろうか。
 それは何から生じたのだろうか。
 何のために、何によって、それは姿を現したのだろうか。
 それは何で構成されているのだろうか。
 ただ真我だけがその原因である。
                          『静寂の瞬間』(p1)
                       http://tinyurl.com/m2wjhu
----------------------------------------------------------------------

と。

いずれも……実在するのは真我だけだ……ということなんでしょうね……。

とはいえ……「ロープ」という真実が現れるには……その前に「蛇」という偽
りが……消えなければならないようです……。

世界が世界として現れているときに……それが神の顕現となるのは……なかな
か難しいのかもしれませんね……。

でも……色即是空……空即是色と……単なる言葉だけで……一瞬こんなに風景
が変わってしまうものなんですね。

不思議ですね……。

(*^_^*)

ほたる石さん……ご投稿……とても嬉しかったです。

ありがとうございました。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


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■ 4.編集後記:やっぱり……色即是空……だけじゃ
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今回は……ほたる石さんから……ご投稿をいただいて……とても明るい内容に
なりました。(^^)/

やっぱり……色即是空……だけじゃ……ちょっと無彩色ですよね。

そこには……空即是色……がないと……片手落ちなのでしょう。

ところで……ステファン・ボディアンさん(『過去にも未来にもとらわれない
生き方』の著者)が引用され……ほたる石さんの目にとまった

「自分の中を覗き込み、そこには何もないと見たとき、それは智恵(般若知)
 である。
 私が自分の外を見、私とはすべてであると見たとき、それは愛である。
 この二つの間に、私の人生は流れるのだ」

というニサルガダッタの言葉は……出典が『私は在る』ではないですね。

覚者の言葉ですよねぇ。

道元禅師は「生死(しょうじ)」の巻を……こう始めておられました。
https://www.ascensionkan.com/books/shouji.html

「生死(しょうじ)のなかに佛あれば、生死なし。
 またいはく、生死の中に佛なければ、生死にまどはず。
 こころは夾山定山(かっさん・じょうざん)といはれし、ふたりの禪師のこ
 とばなり。
 得道の人のことばなれば、さだめてむなしくまうけじ。
 生死をはなれんとおもはむ人、まさにこのむねをあきらむべし。」

いわば夾山禅師は「空即是色」を語られ……定山禅師は「色即是空」を語られ
た……ということなのでしょう。

その両方があって……はじめて「生死をはなれる」ことができるのかもしれま
せんね。

その前に……宿題宿題……。(*^_^*)

お休みなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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