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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.380 2011/7/17(第380号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ
という言葉を信じた、仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 888名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.創造はなかったのだと

2.写経ニサルガダッタ:
          【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】の1回目

3.編集後記:いつの間にか……ヒグラシが鳴いています。
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■ 1.創造はなかったのだと
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毎日暑いですね。

いろんなスピリチュアルな言葉が……すべて似たようなことを語っているのだ
と……思っていた時期もあったようです。

でも……いろいろ興味に引かれ……縁に導かれて……様々な情報(本)に触れ
るにつれ……もちろん……そうとばかりも思えなくなりました。

いろいろな情報源が……いろいろな観点から……いろいろな見解を……披瀝し
ていましたから。

そうなると……それらの情報のなかから……自分の好みの情報を……選ぶ必要
があるのだと……思うようになりました。

とはいえ……“自分”が情報を選ぶのか……“自分”が情報から選ばれるのか
は……ちょっとわからないようなところがあります。

おそらく……そこで働いているのは……偶然の縁かもしれませんし……あるい
は……必然の縁かもしれません。

要するに……それは……“あるがまま”としか……表現できないでしょう。

いま浮かんできたイメージで言うと……海面近くに浮遊するある“ゴミ”が…
…近辺に漂ってきた別のゴミと……近しくなるようなことかもしれません。

しかし……ゴミはゴミです。

それがいくら集積しても……それだけで自然に沈み始めることは……ないかも
しれません。

たぶん……海中には……つねにある程度の内圧が働いていて……ゴミを海面に
……押し上げているでしょうから。

ですから……どんなにゴミを集めてみても……それだけで自動的に……海面を
自動的に離脱できるわけではなさそうです。

ゴミはゴミとして海面を浮遊しながら……近辺の波の浮沈に……一喜一憂する
しか……仕方がないかもしれません。

でも……ある程度ゴミが集まれば……そのなかには……足掻きをやめた……静
かなゴミもあるかもしれません。

あるいは……最初からまったく足掻いていない……“あるがまま”を受け入れ
たゴミも……近くにいるかもしれません。

そんなゴミは……まわりの海水に馴染んで……ゆっくりと……沈んでいくのか
もしれません。

もし……そんなゴミの近くに居合わせ……彼と親しくなることができれば……
そのゴミもまた……一緒にゆっくりと……沈んでいけるかもしれません。

でも……海面の賑やかさに誘われて……つい足掻きをはじめたら……いつの間
にやら……海面のゴミの仲間に……戻っているのかもしれません。(-_-;)

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

現象世界のなんだかんだを映しだす海面は……いつもきらびやかに……人目を
引いて……輝いているようです。

だから……いつ目を向けても……誘惑に満ちています。

そこでは誰もが“何者か”で……なんらかの……粗雑な……または微細な……
比較と葛藤を……演じているようです。

海面のゴミに立ち混じることは……間違いなく……何らかの程度の……不幸を
保証しているようです。

でも……にもかかわらず……そこには固有の魅力がある。

知覚することの……感覚的体験をすることの……想像上の……喜びと悲しみが
……あるわけですから。

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 ひとたびあなたの想像以外は何も困難をもたらすことができない、と絶対の
 確信を持って知るなら、あなたは欲望や恐れ、概念や見解に注意を払わず、
 真実とともにのみ生きるだろう。
                          『私は在る』(p131)
                       http://tinyurl.com/s747u
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そうか……。(-_-;)

それだけのことが……なかなかできないんですよねぇ……。

そして……その理由も……はっきりしていると思います。

それは……“何者か”として在ることが……単純に苦しみでしかありえないこ
とが……なかなか得心できない……からだと思います。

もちろん……理屈では……理解できます。

“何者か”として“在る”……ということ自体……そもそも……語義矛盾でし
かないわけですから。

“何者か”は……“現れる”ことはできても……“在る”ことはできません。

“何者か”は……現象のなかにしかおらず……常在ではありえない。

だから……“何者か”として“在る(ふりをする)”ためには……われわれは
絶えず……“自分”を……現象のなかでメンテナンスしなければならない。

これは……ことの本質からして……報われない……不毛な努力です。

本来“現れ”でしかない“何者か”を……記憶のなかで……「存在」に仕立て
上げようとする……努力ですから。

“自分”の記憶すら保ちえないのに……ましてや……人々の記憶のなかで……
“自分”を“何者か”として……保とうとするなんて。

そしていつかは必ず……その“何者か”という幻想の拠り所である身体は……
滅びるのに。

だから賢者たちは……“現れ”のなかで……“欲望”と“恐怖”に衝き動かさ
れることを……夢を見ている……と言うわけですよね。

マハラジは……自分の夢は続くばかりだと訴える人に……こう答えます。

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 それはつまり、あなたは夢を見ているということを、本当に理解してはいな
 かったからだ。
 実在と非実在を混同すること――これが束縛の本質だ。
 あなたの現状では、ただ「私は在る」だけが実在に帰するものだ。
 「何として」、あるいは「どのように私は在る」は、運命、あるいは偶然か
 ら押しつけられた幻想なのだ。
                        『私は在る』(p524-525)
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現象世界に興味をもち……現象世界に目を向けること自体が……夢を見ている
……ということであるのでしょう。

“現れ”は……わたしが投影する映画ですから……その現れのなかで物語をつ
むぎ……欲望し……恐怖するなら……夢を見ている……のは事実でしょうね。

マハルシは……世界についてこう……簡明に答えています。

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 あなたは世界のなかにいるのだろうか、それともあなたのなかに世界が在る
 のだろうか?
 あなたは眠りの間も自分が存在していることを否定できないが、世界が知覚
 されていないことを認めるに違いない。
 その世界はあなたが目覚めるときに現れる。
 では、それはどこにあるのだろうか?
 明らかに世界はあなたの想念なのだ。
 想念とはあなたが投影したものである。
 はじめに「私」が創造され、それから世界が創造される。
 世界は「私」によって創造され、「私」は真我から立ち現れる。
 そのため、もしあなたが「私」の創造を解明すれば、世界の創造の謎も解明
 されるのである。
 それゆえ、私は言うのだ。
 「真我を探求しなさい」と。
 
 今一度言おう。
 世界があなたのもとへ来て、「なぜ『私』は存在するのか? 『私』はどう
 して創造されたのか?」と尋ねるだろうか?
 その質問をするのはあなたである。
 質問者は彼自身と世界との関係を確立しなければならない。
 彼は世界が彼自身の想像であることを認めざるをえない。
 いったい誰がそれを想像するのだろうか?
 彼に「私」を探させ、それから真我を探させるがいい。
 そのうえ、科学的、神学的説明はどれも一致するものがない。
 そのような理論の多様性が、説明を探し求めることの無益さを明白に示して
 いる。
 そのような説明は、単に精神的あるいは知的なもの以上の何ものでもない。
 それでも個人の観点にしたがって見れば、それらすべては真実なのである。
 真我の実現された状態のなかに創造はない。
 人が世界を見るとき、人は真我を見ていない。
 人が真我を見るとき、世界は見られていない。
 だから、真我を見なさい。
 そして創造はなかったのだと悟りなさい。
                      『あるがままに』(p323-324)
                       http://tinyurl.com/2aar6zj
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覚醒者が……われわれ夢を見ているものに言葉で伝えられるのは……ここまで
なんでしょうね。

> 世界は「私」によって創造され、「私」は真我から立ち現れる。

ここまでは……理屈でも納得できます。

しかし、

> そのため、もしあなたが「私」の創造を解明すれば、世界の創造の謎も解明
> されるのである。

ここの作業は……自分でしなければならない。(-_-)

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.写経ニサルガダッタ:
          【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】の1回目
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この章ですけど……何か大きなヒントをいただいたような。

> 内なる「高次の」自己である観察者(ヴィヤクタ)が、「低次の」自己であ
> る観察される者(ヴィヤクティ)を見下し、非難するかぎり、状況は絶望的
> だ。

そうなんですねぇ……無用な分裂をもちこむことになるのかなぁ……。

受け入れて……愛することだけが……超えていくことなのか……。

では、

【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】の1回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

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 質問者 四十年ほど前に、J・クリシュナムルティは「存在するのは生命だ
     けで、個人や人格といった話は、実際に何の論理的根拠もない」と
     言いました。彼は生命を描写しようとは試みず、単に、「生命は描
     写できないし、する必要もないが、もし体験するための障害が取り
     除かれるならば、それは完全に体験することができる」と言いまし
     た。主要な妨げは、時間に対する私たちの概念とそれへの耽溺のな
     かに、そして過去の光のなかでの未来への期待という、私たちの習
     慣のなかにあるのです。過去の総計が「私は在った」になり、未来
     への期待が「私は在るだろう」となり、人生は「私で在ったもの」
     から、「私は在るだろう」となり、人生は「私で在ったもの」から、
     「私は在るだろうもの」へと超えていくための絶え間ない努力なの
     です。現時点の「今」は見落とされています。マハラジは「私は在
     る」に関して語りますが、それは「私は在った」や「私は在るだろ
     う」のようにひとつの幻想なのでしょうか、それとも何らかの実在
     性をもっているのでしょうか? そして、もし「私は在る」もまた
     幻想であるのなら、どのようにして、人はそれから自由になるとい
     うのでしょうか? 私は「私は在る」から自由だ、という観念自体
     がひとつの不条理なのです。時間とともに変化し、新たな期待をつ
     くり出す記憶としての「私は在った」や「私は在るだろう」と区別
     するなかで、「私は在る」には何か真実の、何か永遠の質があるの
     でしょうか?
 
 マハラジ
 現在の「私は在る」は、「私は在った」や「私は在るだろう」と同じように
 偽りだ。
 それは単にマインドのなかの観念、記憶によって残された印象にすぎず、そ
 れがつくり出す分離したアイデンティティも偽物なのだ。
 この偽物の中心に身をゆだねるという習慣が取り除かれなければならない。
 「私は見る」、「私は聞く」、「私は考える」といった観念は意識界から消
 え去らなければならない。
 偽物が去り、残ったものが真実なのだ。
 
 質問者 この自己を除去するという大げさな話は何なのでしょうか? どう
     やって自己がそれ自身を除去できるというのでしょう? どんな類
     の形而上学的アクロバットが、曲芸師を消し去るというのでしょう?
     最後に彼は、消えたことをひどく誇らしげにしながらふたたび現れ
     てくることでしょう。
 
 マハラジ
 「私は在る」を殺すために、それを追いまわす必要はない。
 それはできないことだ。
 あなたに必要なことは、実在への真剣な熱望だけだ。
 私たちはそれをアートマ・バクティ、至高なるものへの愛、あるいはモクシ
 ャ―サンカルパ、偽りから自由になることへの決意と呼ぶ。
 愛、そして愛に感化された意志なしには何ひとつ為(な)されない。
 実在についてただ話すばかりで、それについて何もしないことは自滅的なこ
 とだ。
 「私は在る」と言う個人と、その「私は在る」を観察する者との関係には、
 愛がなければならない。
 内なる「高次の」自己である観察者(ヴィヤクタ)が、「低次の」自己であ
 る観察される者(ヴィヤクティ)を見下し、非難するかぎり、状況は絶望的
 だ。
 観察者が個人を彼自身の投影として受け入れ、そして、いわば自我を真我の
 なかに取り入れると、「私」や「これ」といった二元性は消え去り、内面と
 外面の同一性のなかで、至高の実在はそれ自体を顕現するのだ。
 
 見る者が彼自身を見る者として意識するとき、見る者と見られるものの統合
 が起こる。
 彼は、ただ単に見られるものに興味をもつだけではなく――どちらにしても
 それは彼なのだが――興味をもたれることにもまた興味をもち、注意にも注
 意を払い、気づいていることにも気づくようになる。
 愛情のともなった気づきは、実在に焦点をもたらす決定的な要因なのだ。
 
                        『私は在る』(p310-311)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 四十年ほど前に、J・クリシュナムルティは「存在するのは生命だ
>     けで、個人や人格といった話は、実際に何の論理的根拠もない」と
>     言いました。彼は生命を描写しようとは試みず、単に、「生命は描
>     写できないし、する必要もないが、もし体験するための障害が取り
>     除かれるならば、それは完全に体験することができる」と言いまし
>     た。主要な妨げは、時間に対する私たちの概念とそれへの耽溺のな
>     かに、そして過去の光のなかでの未来への期待という、私たちの習
>     慣のなかにあるのです。過去の総計が「私は在った」になり、未来
>     への期待が「私は在るだろう」となり、人生は「私で在ったもの」
>     から、「私は在るだろう」となり、人生は「私で在ったもの」から、
>     「私は在るだろうもの」へと超えていくための絶え間ない努力なの
>     です。現時点の「今」は見落とされています。マハラジは「私は在
>     る」に関して語りますが、それは「私は在った」や「私は在るだろ
>     う」のようにひとつの幻想なのでしょうか、それとも何らかの実在
>     性をもっているのでしょうか? そして、もし「私は在る」もまた
>     幻想であるのなら、どのようにして、人はそれから自由になるとい
>     うのでしょうか? 私は「私は在る」から自由だ、という観念自体
>     がひとつの不条理なのです。時間とともに変化し、新たな期待をつ
>     くり出す記憶としての「私は在った」や「私は在るだろう」と区別
>     するなかで、「私は在る」には何か真実の、何か永遠の質があるの
>     でしょうか?

なるほど。

> マハラジ
> 現在の「私は在る」は、「私は在った」や「私は在るだろう」と同じように
> 偽りだ。

「私は在る」もまた……想像なのか。(-_-;)

> それは単にマインドのなかの観念、記憶によって残された印象にすぎず、そ
> れがつくり出す分離したアイデンティティも偽物なのだ。

この「私は在る」という観念から……分離したアイデンティティも派生する。

> この偽物の中心に身をゆだねるという習慣が取り除かれなければならない。

この身体を拠り所とする分離したアイデンティティに……身をゆだねるという
習慣を……取り除く必要があるわけだ。

> 「私は見る」、「私は聞く」、「私は考える」といった観念は意識界から消
> え去らなければならない。

そうか……。

言葉の習慣そのものを……取り除く必要がある。

> 偽物が去り、残ったものが真実なのだ。

うーむ。

> 質問者 この自己を除去するという大げさな話は何なのでしょうか? どう
>     やって自己がそれ自身を除去できるというのでしょう? どんな類
>     の形而上学的アクロバットが、曲芸師を消し去るというのでしょう?
>     最後に彼は、消えたことをひどく誇らしげにしながらふたたび現れ
>     てくることでしょう。

はは。

また……ずいぶん強い言い方をしたもんだな。(^^;)

> マハラジ
> 「私は在る」を殺すために、それを追いまわす必要はない。
> それはできないことだ。

いくら「私は在る」を追い回しても……この「私は在る」という偽りの観念を
殺すことはできない。

> あなたに必要なことは、実在への真剣な熱望だけだ。

「実在」以外……もう何もいらない……ということでしょうね。

つまり……真我(無心)以外……もう何もいらない……ということでしょう。

> 私たちはそれをアートマ・バクティ、至高なるものへの愛、あるいはモクシ
> ャ―サンカルパ、偽りから自由になることへの決意と呼ぶ。

「無心」への……「偽りから自由になること」への……決意か。

> 愛、そして愛に感化された意志なしには何ひとつ為(な)されない。

やっぱり……興味とないまぜになった嫌悪感だけでは……先に進めない。

> 実在についてただ話すばかりで、それについて何もしないことは自滅的なこ
> とだ。

これは……まさに……わたしへの言葉……。(*-_-*)

> 「私は在る」と言う個人と、その「私は在る」を観察する者との関係には、
> 愛がなければならない。

おお……。(@_@) ⌒★?

> 内なる「高次の」自己である観察者(ヴィヤクタ)が、「低次の」自己であ
> る観察される者(ヴィヤクティ)を見下し、非難するかぎり、状況は絶望的
> だ。

なるほど。

慈しみの目で……現象世界に身体として現れているわたしを見るのか……。

> 観察者が個人を彼自身の投影として受け入れ、そして、いわば自我を真我の
> なかに取り入れると、「私」や「これ」といった二元性は消え去り、内面と
> 外面の同一性のなかで、至高の実在はそれ自体を顕現するのだ。

そうか……これがサーダナ……だな。

> 見る者が彼自身を見る者として意識するとき、見る者と見られるものの統合
> が起こる。

……。(-_-)

> 彼は、ただ単に見られるものに興味をもつだけではなく――どちらにしても
> それは彼なのだが――興味をもたれることにもまた興味をもち、注意にも注
> 意を払い、気づいていることにも気づくようになる。

どういうことだろうなぁ……。

> 愛情のともなった気づきは、実在に焦点をもたらす決定的な要因なのだ。

「愛情のともなった気づき」……これが「実在に焦点をもたらす」のか。

(-||-)

……。

ありがとうございました……。<(_ _)>

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

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ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが効くかも。
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■ 3.編集後記:いつの間にか……ヒグラシが鳴いています。
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夕方になって……涼しくなりました……。

と思ったら……いつの間にか……ヒグラシが鳴いています。

そう……マインドはたしかに……賑やかしですけど……それ以上に……あまり
真面目に……付き合う必要は……ないんでしょうね。

マインドが……静かであればあるほど……楽ですから。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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