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━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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 ☆☆     ☆☆ 『アセンション館通信』vol.381 2011/7/24(第381号)
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☆☆      ☆★ 【気刊】 ――「私は在る」に導かれ♪――
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 ☆☆   ☆☆              https://www.ascensionkan.com/
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このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に自己同化し
た観照者が覗き見た風景の報告です。(←なんちゃって。(*^_^*))

マインドを超えていくにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の準備だ
という言葉を信じた、仮現の現象世界に興味を失うための努力です。^^;

内容は人畜無害、でもこんな理屈を読む人は相当変わってますね。現在 887名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.ただ在りなさい

2.写経ニサルガダッタ:
          【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】の2回目

3.編集後記:すべての物語は……夢……。
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■ 1.ただ在りなさい
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気持ちのいい朝です。

まだ川の音が……けっこう激しい。

夏になるといつも大きく緑に盛り上がる……正面の花桃の木。

まだ初夏なのに……初秋のような雰囲気の風が……吹きこんできます。

涼しいのは……ありがたいですね。(-_-)

(*^_^*)

というわけで、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ、
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がやってまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

ニサルガダッタは……とても論理的な言葉を使うグルです。

論理しか……すがる術を知らない者には……とてもありがたいグルです。

意味がわかるわからないは別にして……どこを見ても……論理的な風貌の言葉
が並んでいます。

その論理性にすがって……何度も何度も……読みつづけるうちに……少しずつ
意味が開けてくる……。

以前もわかっていたつもりの言葉が……ふと……その意味が伝わってくる瞬間
があります。

以前にも感心していた言葉が……今度は……そのメッセージが伝わってくるの
ですから……こんなにありがたいことはありません。

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 在ることを試みなさい。
 ただ在りなさい。
 重要な言葉は「試みること」だ。
                          『私は在る』(p528)
                       http://tinyurl.com/s747u
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> ただ在りなさい。

よく聞く言葉です。

というより……いつもいつも……耳にする言葉です。

「ただ在る」って……どういう意味なんだろう……ってマインドとしては……
思いますよね。(^_-)

ふ……。

> ただ在りなさい。

って……言われているのに……でもやっぱり……どういう意味なんだろうって
……思うんですよ。(*^_^*)

これ……pariという個人にとっては……じつに致命的なメッセージです。

だから……そんなに簡単に……受け入れるはずがない。

だから……、

> ただ在りなさい。

って……言われると……

うん……「ただ在る」ことが必要なんだ……と……“思う”んです。(^_-)

え……何?……毎週エラそうなことを書いてるpariさんって……。(@_@)

ホントに……そうなの? (?_?)

とまあ……思われるかもしれません……けど。(-_-)

まあ……そうなんですよね……大なり小なり……。

だって……理解することが……大事だって……“思って”るわけですから。

でも……誤解しながら……理解したふりをすることを……長くやってると……
ジワリと……そのメッセージが……染みこんでくることがある。

> ただ在りなさい。

って……。

マインドがどう思うか……マインドがどう理解したか……そういうことは……
あまり……どうというほどの意味はない……わけですよね。

それは……変化のひとつの相(=想)に……すぎませんから。

肝心なことは……「ただ在る」ことです。

何かを理解したから……「ただ在る」……以上のものになれるわけじゃない。

何となく……「ただ在る」……以外のものになったような……誤解がはじまる
……くらいのものです。

「ただ在る」こと以外は……すべて夢を見ること……誤解することです。

そしたら……その誤解の内容に応じて……やっぱり……上がったり……下がっ
たり……しなくちゃならない。

「ただ在る」ものが……至高の存在……。

「ただ在る」ことが……今この瞬間に実現している……最高の在り方……。

それ以上というものは……ない。

……。(-_-)

> ただ在りなさい。

って……とりあえず……マインドにすがりなさんな……ってことかなと。

マインドにすがって……どうにかなりたいと……求めないこと。

というのも、

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 実際には、知覚だけがある。
                          『私は在る』(p358)
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のだから。

マインドにすがらず……現れのなかに解決を求めず……、

> ただ在りなさい。

と。

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 内側に向かうこと、超然と離れてあること、手放すことが死だ。
 生を全(まっと)うするには、死は欠くことのできないものだ。
 すべての終焉(しゅうえん)がすべてのはじまりをもたらす。
 
 その一方、よく理解しなさい、生きる者ではなく、ただ死ぬ者だけが死ぬこ
 とができる。
 あなたのなかで生きているもの、それは不死なのだ。
                          『私は在る』(p425)
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(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.写経ニサルガダッタ:
          【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】の2回目
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自分の世界に……いっさいの不服がなくなったとき……。

この世界のすべてが……自分の表現として眺められたとき……。

> 観察者が観察されるものを彼自身の表現として見るとき、平和と沈黙の状態
> が現れる。

これが……空即是色……ということなんでしょうか……。

では、【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】の2回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解されることを
 願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、その本文だけ読んでいただければいいです。

----------------------------------------------------------------------
 質問者 神智学者とその類の神秘主義者たちによると、人間は人格的存在、
     個人的存在、霊的存在の三つの相によって構成されています。霊的
     存在を超えた彼方には神性があります。人格的存在は一時的で、一
     度きりの誕生にのみ有効です。それは身体の誕生にはじまり、つぎ
     の身体の誕生によって終わります。ひとたび終われば、永遠に終わ
     りです。わずかばかりの楽しい、あるいは苦しい教訓を除いては何
     ひとつ残りません。
     個人的存在は「動物―人間」にはじまり、「完全な人間」として終
     わります。人格的存在と個人的存在の間の分離は、現代の人類の特
     質なのです。一方では、個人的存在とその真、善、美への熱望、も
     う一方では、習慣と願望、恐れと欲望、怠惰性と暴力の醜い闘いで
     す。
     霊的な相はいまだに停止しています。二元性の環境のなかでは、そ
     れ自体を顕現できないからです。人格的存在が個人的存在と再統合
     され、限定されたときにだけ、その真実の表現である霊性の光と愛
     と美がそれ自体で現れるのです。
     あなたは観察者(ヴィヤクタ)、観察されるもの(ヴィヤクティ)、
     観察の根底(アヴィヤクタ)について教えています。それはほかの
     見解と一致しますか?
 
 マハラジ
 そうだ。
 観察されるものが観察者からの分離においてその非存在を認識したとき、そ
 して、観察者が観察されるものを彼自身の表現として見るとき、平和と沈黙
 の状態が現れる。
 実際には、その三つはひとつなのだ。
 観察されるものと観察の根底は分割不可能だ。
 それと同時に、観察されるものは感覚、感情、思考の過程であり、五つの基
 本要素によってつくられた身体を基盤にしているのだ。
 
 質問者 観察者(ヴィヤクタ)と観察の根底(アヴィヤクタ)には、どのよ
     うな関係があるのでしょうか?
 
 マハラジ
 それらがひとつであるとき、どうして関係がありうるだろう?
 分離や関係といった話はすべて、「私は身体だ」という観念の不正で歪(ゆ
 が)んだ影響によるものだ。
 外面の自己(ヴィヤクティ)は、単に内面の自己(ヴィヤクタ)の投影であ
 る「身体―精神」であり、それはまたすべてであり、無である至高の自己
 (アヴィヤクタ)の表現にすぎないのだ。
 
 質問者 高次の自己や低次の自己について語らない教師もいます。彼らは人
     間について、あたかも低次の自己存在でしかないように語ります。
     仏陀もキリストも高次の自己については言及しませんでした。J・
     クリシュナムルティもまた、高次の自己について語ることをつとめ
     て避けてきました。なぜそうなのでしょうか?
 
 マハラジ
 どうして、ひとつの身体のなかに二つの自己が存在できるだろうか?
 「私は在る」はひとつなのだ。
 高次の「私は在る」や低次の「私は在る」などありはしない。
 あらゆる類のマインドの状態は、気づきに提示される。
 そして、そこにはそれらとの自己同一化があるのだ。
 観察の対象物は現れたとおりの状態とは異なるものだ。
 そして観察者の態度が必ずしも適したものであるとはかぎらない。
 もしあなたが仏陀、キリスト、クリシュナムルティが個人に向かって話して
 いると考えるならば、それは間違いだ。
 彼らは、観察されるものである外面の自己が、観察者である内面の自己の影
 にすぎないことを知っているために、観察者についてだけを語り、それを気
 づかせるようにするのだ。
 彼らは外面の自己に注意を払わせ、それを導き助け、その責任を感じるよう
 にするため、つまりそれに完全に気づくことを助けるために話すのだ。
 気づきは至高なるものから現れ、内面の自己に充満していく。
 いわゆる外面の自己は、自己の存在の気づいていない部分でしかないのだ。
 人は意識しているかもしれない。
 なぜなら、すべての生きるものは意識しているからだ。
 だが、人は気づいてはいないのだ。
 気づきのなかに含まれるものは内面となり、内面の質を帯びたものとなる。
 あなたは違った表現をするかもしれない。
 身体が外面の自己を定義し、意識が内面の自己を定義する。
 そして、純粋な気づきのなかで、至高なるものは触れられるのだ。
 
 質問者 あなたは身体が外面の自己を定義すると言われました。あなたも身
     体をもっているのですから、外面の自己もまたもっているのでしょ
     うか?
 
 マハラジ
 もし私が身体に執着し、それを私自身と見なすならば、そういうことになる
 だろう。
 
 質問者 しかし、あなたはそれに気づき、その必要に仕えているのです。
 
 マハラジ
 その反対が真実に近い。
 身体が私を知っていて、それが私の必要に気づいているのだ。
 だが、本当はそのどちらでもない。
 この身体は、あなたのマインドのなかに現れ、私のマインドのなかには何も
 ないのだ。
 
 質問者 あなたは身体をもっていることを完全に意識しているという意味で
     しょうか?
 
 マハラジ
 その反対で、私は身体をもっていないことを意識しているのだ。
 
 質問者 私はあなたが喫煙しているのを見ていますよ!
 
 マハラジ
 そのとおりだ。
 あなたは私が喫煙しているのを見る。
 どのようにしてあなたが、私が喫煙しているのを見るようになったのか、見
 いだしてみなさい。
 そうすれば、それはあなたの「私は身体だ」というマインドの状態が、「私
 はあなたが喫煙しているのを見る」という観念の原因となっていることを、
 容易に認識できるだろう。
 
                        『私は在る』(p311-313)
                       http://tinyurl.com/s747u
----------------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 神智学者とその類の神秘主義者たちによると、人間は人格的存在、
>     個人的存在、霊的存在の三つの相によって構成されています。霊的
>     存在を超えた彼方には神性があります。人格的存在は一時的で、一
>     度きりの誕生にのみ有効です。それは身体の誕生にはじまり、つぎ
>     の身体の誕生によって終わります。ひとたび終われば、永遠に終わ
>     りです。わずかばかりの楽しい、あるいは苦しい教訓を除いては何
>     ひとつ残りません。
>     個人的存在は「動物―人間」にはじまり、「完全な人間」として終
>     わります。人格的存在と個人的存在の間の分離は、現代の人類の特
>     質なのです。一方では、個人的存在とその真、善、美への熱望、も
>     う一方では、習慣と願望、恐れと欲望、怠惰性と暴力の醜い闘いで
>     す。
>     霊的な相はいまだに停止しています。二元性の環境のなかでは、そ
>     れ自体を顕現できないからです。人格的存在が個人的存在と再統合
>     され、限定されたときにだけ、その真実の表現である霊性の光と愛
>     と美がそれ自体で現れるのです。
>     あなたは観察者(ヴィヤクタ)、観察されるもの(ヴィヤクティ)、
>     観察の根底(アヴィヤクタ)について教えています。それはほかの
>     見解と一致しますか?

なんか……頭がついていかなくて……よくわからないんですけど……。

ま……いいですよね。(^_-)

> マハラジ
> そうだ。
> 観察されるものが観察者からの分離においてその非存在を認識したとき、そ
> して、観察者が観察されるものを彼自身の表現として見るとき、平和と沈黙
> の状態が現れる。

そうなんだ……。

> 実際には、その三つはひとつなのだ。

そうか……なら……そのほうが簡単でいいな。

> 観察されるものと観察の根底は分割不可能だ。

見るということがあるから……見られるものがある。

> それと同時に、観察されるものは感覚、感情、思考の過程であり、五つの基
> 本要素によってつくられた身体を基盤にしているのだ。

“五つの基本要素”というのが何か知らないけれど……とっても理にかなかっ
た……しかし精神的な……五つの分類項目なんでしょう。

> 質問者 観察者(ヴィヤクタ)と観察の根底(アヴィヤクタ)には、どのよ
>     うな関係があるのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> それらがひとつであるとき、どうして関係がありうるだろう?

至高の存在と……気づきというのは……やっぱり……同じものなんだ。

> 分離や関係といった話はすべて、「私は身体だ」という観念の不正で歪(ゆ
> が)んだ影響によるものだ。

そこから紡ぎだされるのが……夢というものなんだ……。(-_-)

> 外面の自己(ヴィヤクティ)は、単に内面の自己(ヴィヤクタ)の投影であ
> る「身体―精神」であり、それはまたすべてであり、無である至高の自己
> (アヴィヤクタ)の表現にすぎないのだ。

現れはすべて……内面の自己の投影であり……至高の自己の表現にすぎない。

まあ……あまりわからないけど……。

内面の自己は……至高の自己の表現の一部にフォーカスして……映しだす……
というような意味かしら。

> 質問者 高次の自己や低次の自己について語らない教師もいます。彼らは人
>     間について、あたかも低次の自己存在でしかないように語ります。
>     仏陀もキリストも高次の自己については言及しませんでした。J・
>     クリシュナムルティもまた、高次の自己について語ることをつとめ
>     て避けてきました。なぜそうなのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> どうして、ひとつの身体のなかに二つの自己が存在できるだろうか?

はは……確かに。

> 「私は在る」はひとつなのだ。
> 高次の「私は在る」や低次の「私は在る」などありはしない。

「私は在る」に……レベルはない。

> あらゆる類のマインドの状態は、気づきに提示される。

あらゆる類のマインドの状態を……見ているのは……気づき。

> そして、そこにはそれらとの自己同一化があるのだ。

マインド(物質と意識)のなかには……形への……自己同化がある。

自分の身体……自分の表現……というように。

> 観察の対象物は現れたとおりの状態とは異なるものだ。

これは……どういう意味なんでしょうね。

単なる脳細胞に生じた……刺激にすぎない……という意味か……。

> そして観察者の態度が必ずしも適したものであるとはかぎらない。

確かに。

現れのなかに……ロープではなく……蛇を見ているわけですから。

> もしあなたが仏陀、キリスト、クリシュナムルティが個人に向かって話して
> いると考えるならば、それは間違いだ。

個人が……幻像として現れてはいても……存在しないことを知っているから。

> 彼らは、観察されるものである外面の自己が、観察者である内面の自己の影
> にすぎないことを知っているために、観察者についてだけを語り、それを気
> づかせるようにするのだ。

賢者は……現れの世界に溺れている……実在する観察者に……語りかける。

> 彼らは外面の自己に注意を払わせ、それを導き助け、その責任を感じるよう
> にするため、つまりそれに完全に気づくことを助けるために話すのだ。

覚者は……被害者を演じたがる外面の自己に……「じつはあなたの想像以外に
……あなたを苦しめられるものは存在しない」……と教えるわけか。(-_-)

> 気づきは至高なるものから現れ、内面の自己に充満していく。

(-||-)

> いわゆる外面の自己は、自己の存在の気づいていない部分でしかないのだ。

そういうことか……。

> 人は意識しているかもしれない。

はい。

> なぜなら、すべての生きるものは意識しているからだ。

そうなんですね。

> だが、人は気づいてはいないのだ。

おお……。

> 気づきのなかに含まれるものは内面となり、内面の質を帯びたものとなる。

ふーん。

> あなたは違った表現をするかもしれない。
> 身体が外面の自己を定義し、意識が内面の自己を定義する。

はい。

> そして、純粋な気づきのなかで、至高なるものは触れられるのだ。

いっさいの……変化の終焉において。

> 質問者 あなたは身体が外面の自己を定義すると言われました。あなたも身
>     体をもっているのですから、外面の自己もまたもっているのでしょ
>     うか?

うん。

> マハラジ
> もし私が身体に執着し、それを私自身と見なすならば、そういうことになる
> だろう。

なるほど。

> 質問者 しかし、あなたはそれに気づき、その必要に仕えているのです。

さて……それはどうかな……。

> マハラジ
> その反対が真実に近い。

はい。

> 身体が私を知っていて、それが私の必要に気づいているのだ。

ほー。(@_@)

現れの世界で……身体は身体の役割を果たしている……という意味かな。

> だが、本当はそのどちらでもない。

というと……。

> この身体は、あなたのマインドのなかに現れ、私のマインドのなかには何も
> ないのだ。

おー。(*_*) ⌒★?

なぜなら……私にはマインドがないからだ……ということかしら。

> 質問者 あなたは身体をもっていることを完全に意識しているという意味で
>     しょうか?

これは……どういう連想からきた言葉なのか……。

> マハラジ
> その反対で、私は身体をもっていないことを意識しているのだ。

ああ……これは……単純だ。

> 質問者 私はあなたが喫煙しているのを見ていますよ!

ふふ。

> マハラジ
> そのとおりだ。
> あなたは私が喫煙しているのを見る。

はい。

> どのようにしてあなたが、私が喫煙しているのを見るようになったのか、見
> いだしてみなさい。

オー……きつい。(>_<)

> そうすれば、それはあなたの「私は身体だ」というマインドの状態が、「私
> はあなたが喫煙しているのを見る」という観念の原因となっていることを、
> 容易に認識できるだろう。

そういうことなんだ……。

……。(-_-)

(-||-)

……。

ありがとうございました……。<(_ _)>

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


        …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
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■ 3.編集後記:すべての物語は……夢……。
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日差しは斜めになりましたが……まだまだ……暑いですね……。

今年のヒグラシは……聞き耳を立てないと……聞こえてこない。

川の音より……ささやかです……。

現れの世界には……幻影があるだけならば……。

現れに期待するものなど……何もない……。

「私は在る」……。

でも……すべての物語は……夢……。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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