home > 通信 > 『アセンション館通信』第382号:「考えているのは誰か?」く



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2011/7/31(第382号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に
自己同化した観照者が覗き見た風景の報告です。(*^_^*))

マインドを超えるにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の
準備という言葉を信じた、現象世界に興味を失うための努力です。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。現在 887名
------------------------------------------------------------
◇◇ もくじ ◇◇

1.「考えているのは誰か?」

2.写経ニサルガダッタ:
     【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】の3回目

3.いただいたお手紙から:イエレメーダさん、りかさん

4.「ご投稿・情報提供」:Indu さん

5.編集後記:1行60文字までになりました。
------------------------------------------------------------

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 1.「考えているのは誰か?」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今日は涼しくて……過ごしやすいですね。

空一面にボワーっと雲が広がっていて……薄明るい感じです。

川の音だけが大きく……小鳥や虫たちの声を押し隠しています。

「苦痛と快楽に無関心でありなさい」……とは教わっているんです
が……やっぱり……涼しいのは……清々しくていいです。

これ以上……何を望むというのだろう……。(-_-)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

久しぶりに……プンジャジの『覚醒の炎』を開いてみたんです。

そしたら……なんだか……とっても迫力があるんですよね。(@_@)

ところで……以前にご紹介したこの言葉……覚えていますか?
https://www.ascensionkan.com/mm/vol220.html#1-1

改めて読むと……とんでもない言葉だと思いませんか?

------------------------------------------------------------
 質問者 すべての人が自由で、しかも自分が自由であることを知
     っているような惑星がどこか他に存在するのでしょうか?
 
 パパジ
 いいや。
 自由が手に入るのはこの惑星だけだ。
 もし自由を求めるなら、神をも含めた誰もがここに来なければな
 らない。
 神でさえもここに来なければならないのだ。
 自由が起こるのはこの地球だけだ。
 ほかの場所はすべて快楽と苦痛のために存在している。
 最終的には、誰もがここに来なければならない。
 
              『覚醒の炎―プンジャジの教え』(p167)
                    http://tinyurl.com/3axj9q
------------------------------------------------------------

> 自由が手に入るのはこの惑星だけだ。

この二元性の夢から……目覚める可能性がある……唯一の惑星。

われわれがいるこの惑星こそが……その星だというのです。

ニューエイジのスピリチュアルマスターたちの言葉と……これがど
れほど……違って聞こえることか……。

ということは……。

質問者の言う「すべての人が自由で、しかも自分が自由であること
を知っているような惑星」など……じつはどこにも存在しない……
ということでしょう。

例えば、『超巨大[宇宙文明]の真相』という本には、肉体をもった
人間が存在できる最終段階の星(だという)ティアウーヴァ星につ
いて描かれています。
https://www.ascensionkan.com/books/9thplanet.html

進化の最高段階「カテゴリー9」の惑星といわれるティアウーヴァ
星の住人たちは、男女両性の分裂さえも統合しているそうです。

つまり、彼らには両性具有の一種類の人間しかいないわけです。

この星に誘拐されたミシェル・デマルケ氏の証言を信ずるなら、イ
エス・キリストとは、未開の地球を救うべく投入されたこの星の代
表選手だそうです。

夢の“真贋”など意味はないかもしれません。

でも……聞かされたわれわれとしては……この“噂話”を信じるか
信じないかの……どちらかの選択肢しかありません。

(あ……ただ無視する……という手もあるか……。(-_-))

でも……たとえ信じたとしても……イエスの惑星地球への転生には
……もうひとつ別の解釈の可能性もあるかもしれません。

それはこの転生が……イエスの最終試験であったということです。

なぜなら、プンジャジによれば、

> もし自由を求めるなら、神をも含めた誰もがここに来なければな
> らない。

というのですから。

むろん……ラマナ・マハルシの直弟子……パパジことプンジャジの
言葉を信ずるならば……ということですが。

マハラジも言っています。

------------------------------------------------------------
 宇宙は行為であふれている。
 だが、そこに行為する者はいないのだ。
 そこには自己同一化によって行為していると想像している無数の
 小さな、そして大きな、そしてとても大きな個人たちがいる。
                     『私は在る』(p418)
                   http://tinyurl.com/s747u
------------------------------------------------------------

「とても大きな個人たち」とは……平たい言葉に置き換えるなら…
…「神々」ということでしょう。

つまり、

> もし自由を求めるなら、神をも含めた誰もがここに来なければな
> らない。

という言葉を裏書する……別な表現とも言えるかもしれません。

この現象世界のサイクルでは……惑星地球が“最終試験場”のお役
を務めたこの宇宙は……もう店仕舞いするのかもしれませんが。

> 神でさえもここに来なければならないのだ。

自由は……この惑星でしか……手に入らない。

だから……歴史上のイエスも……この惑星に来たのでしょうか。

> 自由が起こるのはこの地球だけだ。

どこかで……読んだ話ですが……。

この惑星への転生を望む全宇宙の人間を地球上の砂に喩えるなら、
あなたがたはこの小指の先の砂粒のようなものだ……とダライ・ラ
マが言ったとか……。

こういう話は……すべて“夢のなかの噂話”とも言えます。

でも……それがラマナ・マハルシの直弟子……プンジャジの言葉と
なれば……ただ聞き捨てにするのも……ちょっともったいない。

> ほかの場所はすべて快楽と苦痛のために存在している。
> 最終的には、誰もがここに来なければならない。

つまり……ここでしか……本当には……夢から覚められない……と
いうことか……。

ウーム。(-_-;)

(@_@)

(*^_^*)

だいぶ脱線してしまいました。

じつは……ご紹介しようとしたのは……ずっと単純な言葉でした。

というかもっとずっとわかりやすい……理解しやすい言葉。

文字面は……ホントにシンプルです。

------------------------------------------------------------
 そうだ、それは空だ。
 それは空間なのだ。
 空が、空間がそこに存在する。
 これが自己本来の本性なのだ。
 それを存在や空間、あるいは何と呼んでもいい。
 それは欲望と思考に遮(さえぎ)られている。
 それはつねに欲望に妨げられているのだ。
 
 空とは単に想念と欲望の不在にすぎない。
 肩に重荷をかついでいれば、安らぐことはできない。
 例えば百キロの重荷をかつぎながら、それから逃れたいと願って
 いるなら、それが重荷だ。
 それを降ろしたからといって、あなたは何かを得るわけではない。
 以前にはなかった新たな状態を達成したわけでもない。
 ただあなたを苦しめていたものを捨て去って、重荷を背負う前の
 本来の状態に戻っただけなのだ。
 
 この思考過程、この重荷とは、私たちがいつも抱いている欲望の
 ことだ。
 私はあなたにこの厄介な重荷をどうやって降ろすかを指し示して
 いる。
 「考えているのは誰か?」と尋ねることは思考過程を止め、あな
 たは本来の自己、自然な状態、空なる純粋な源に戻る。
 これがあなたの本性だ。
 あなたはいつも「それ」なのだ。
 そこに心は入りこまない。
 時間も、死も、恐れも入りこまない。
 これが自己本来の永遠の本性だ。
 そこにとどまりさえすれば、恐れは消え去る。
 そこから一歩外に出れば、このサンサーラ、世界という現れに足
 を踏み入れることになる。
 そして絶え間ない災難にまきこまれるのだ。
 
           『覚醒の炎―プンジャジの教え』(p21-22)
                  http://tinyurl.com/3axj9q
------------------------------------------------------------

> それはつねに欲望に妨げられているのだ。

「自己本来の本性」は……「つねに欲望に妨げられている」だけ。

そういう……身も蓋もない……単純なことなんですね。

> 空とは単に想念と欲望の不在にすぎない。

(*_*) ⌒★?

これ以上考えられない……単純な定義。

> 「考えているのは誰か?」と尋ねることは思考過程を止め、あな
> たは本来の自己、自然な状態、空なる純粋な源に戻る。

これ以上考えられない……単純な指示。

> これがあなたの本性だ。
> あなたはいつも「それ」なのだ。

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:
     【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】の3回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

この章のタイトルですが……観照者というのは……至高なるものの
なかに現れる……わけですよね。

観照者というのは……至高なるもののなかに現れる……“現れ”に
対する興味そのもののようなものでしょう。

すべての源は……至高なるもののなかに……あるわけですねぇ。

ところで……今回の写経部分で……われわれと覚者では……同じく
意識すると言っても……その意味が違うのだと知りました。

> あなたは雲のなかにいるが、私はそれを見ているのだ。
> あなたはそのなかに迷いこんでしまい、指先さえ見えずにいるが、
> 私は雲を、そしてほかの多くの雲を見ている。

“意識する”という同じ言葉を使っても……内実は違うんですね。

では【62 至高なるもののなかに観照者は現れる】の3回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解さ
 れることを願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、それを読んでいただければいいです。

------------------------------------------------------------
 質問者 そこには身体があり、そこに私自身がいます。私は身体
     を知っています。それから離れると、私とは何なのでし
     ょうか?
 
 マハラジ
 身体を離れると、そこに「私」はなく、また世界もない。
 その三つはともに現れ、ともに消えるのだ。
 その根本には、「私は在る」という感覚がある。
 それを超えていきなさい。
 「私は身体ではない」という観念は、「私は身体だ」という偽り
 の観念の単なる解毒剤にすぎない。
 その「私は在る」とは何なのか?
 あなたがあなた自身を知るまでは、ほかの何を知ることができる
 というのだろうか?
 
 質問者 あなたが言われることから、身体なしに解放はありえな
     い、と私は結論を出します。もし「私は身体ではない」
     という観念が解放へと導くならば、身体の存在は欠くこ
     とのできないものなのです。
 
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 身体なしに、どうやって「私は身体ではない」という観念が存在
 できるというのだろう?
 「私は自由だ」という観念は「私は束縛されている」という観念
 と同じように偽りなのだ。
 その両方に共通の、「私は在る」を見いだし、それを超えた彼方
 へと行きなさい。
 
 質問者 すべてはただの夢なのです。
 
 マハラジ
 すべては単なる言葉にすぎないのだ。
 それがあなたにとって何の役に立つというのだろう?
 あなたは言葉による定義づけや、公式化の網にひっかかっている
 のだ。
 あなたの概念や観念を超えていきなさい。
 真実は欲望や思考の消えた沈黙のなかに見いだされるだろう。
 
 質問者 人は覚えないようにすることを覚えていなければならな
     いのです。何という苦労でしょう!
 
 マハラジ
 もちろん、それはできない。
 それは起こらなければならないのだ。
 だが、あなたが本当にその必要性を見たとき、それは起こる。
 ここでも真剣さが黄金の鍵なのだ。
 
 質問者 私のマインドの背後では、いつもざわめきが聞こえてい
     ます。無数の弱い思考が群れをなして騒ぎたて、その形
     の定まらない雲はつねに私とともにあるのです。それは
     あなたも同じなのでしょうか? あなたのマインドの背
     後には何があるのでしょうか?
 
 マハラジ
 マインドがないところには、その背後もないのだ。
 私はすべてが表であって、裏がないのだ!
 虚空が語り、虚空が残るだけだ。
 
 質問者 そこには何の記憶も残されていないのでしょうか?
 
 マハラジ
 過去の快楽や苦痛の記憶は何も残っていない。
 瞬間瞬間が新しく生まれるのだ。
 
 質問者 記憶なしには、意識できないでしょう。
 
 マハラジ
 もちろん、私は意識している。
 そして、それに完全に気づいている。
 私は木材の塊ではないのだ!
 意識とその内容を雲と比較してみなさい。
 あなたは雲のなかにいるが、私はそれを見ているのだ。
 あなたはそのなかに迷いこんでしまい、指先さえ見えずにいるが、
 私は雲を、そしてほかの多くの雲を見ている。
 そして青空も太陽も、月や星たちも見ている。
 実在は私たち二人にとってひとつだ。
 だが、あなたにとってそれは牢獄であり、私にとっては我が家同
 然なのだ。
 
 質問者 あなたは個人(ヴィヤクティ)、観照者(ヴィヤクタ)、
     至高なるもの(アヴィヤクタ)について語っています。
     どれが最初に現れるのでしょうか?
 
 マハラジ
 至高なるもののなかに観照者は現れる。
 観照者は個人をつくり出し、それ自身がそれから分離していると
 考えるのだ。
 観照者は、個人が意識のなかに現れるのを見ている。
 その個人は、ふたたび観照者のなかに現れるのだ。
 この基本構成の実現が至高なるものの働きだ。
 それは観照者の背後にある力であり、すべてが生じる源だ。
 個人と観照者の間に相互の援助と愛と統合がないかぎり、至高な
 るものに接触することはできない。
 至高なるものは、そのような調和の結実であり、源でもあるのだ。
 あなたに話すように、私は超然とした状態に在り、しかも愛情を
 ともなった気づき(トゥリーヤ)なのだ。
 この気づきがそれ自身に向けられたときを、至高の状態(トゥリ
 ーヤーティータ)と呼ぶことができるだろう。
 しかし、その根底にある実在は気づきを超え、成ること、存在す
 ること、存在しないことの三つの状態をも超えているのだ。
 
 質問者 どうして私は、ここでは高尚な話題に没頭し、それらを
     いともたやすく、快く考えつづけていられるというのに、
     家に帰ったとたん、ここで学んだすべてを忘れ、心配し
     たり、いらだったりして、真の本性を覚えていることが
     一瞬さえもできないのでしょう? いったい何がその原
     因なのでしょうか?
 
 マハラジ
 それはあなたがあなたの幼稚さに戻ったからだ。
 あなたはまだ、完全に成長しきっていないのだ。
 そこには未発達の層が手つかずのままに残っている。
 あなたのなかにある残酷さ、野蛮さ、不条理さ、冷酷さ、つまり
 は幼稚さに完全な注意を払いなさい。
 そうすればあなたは成熟するだろう。
 ハートとマインドの成熟、それが欠かせないものなのだ。
 主要な障害物である不注意と油断が取り除かれたとき、それは努
 力を要せずやってくる。
 あなたは気づきのなかで成長するのだ。
 
                   『私は在る』(p313-315)
                  http://tinyurl.com/s747u
------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 そこには身体があり、そこに私自身がいます。私は身体
>     を知っています。それから離れると、私とは何なのでし
>     ょうか?

身体である私から離れると、私とは何なのでしょうか、と。

> マハラジ
> 身体を離れると、そこに「私」はなく、また世界もない。

はい。

“死んだ”ら……身体からも世界からも……解放されるんだ……。

そしてまたいつか……それが欲しくなるわけか……。(-_-)

> その三つはともに現れ、ともに消えるのだ。

はい。

「身体」「私」「世界」の三つは……ともに現れ……ともに消える
のか。

> その根本には、「私は在る」という感覚がある。

わかりました。

> それを超えていきなさい。

はい。

> 「私は身体ではない」という観念は、「私は身体だ」という偽り
> の観念の単なる解毒剤にすぎない。

わかります。

> その「私は在る」とは何なのか?

誰が……「私は在る」と……感じているのか?

その……「私は在る」という……感じが。

> あなたがあなた自身を知るまでは、ほかの何を知ることができる
> というのだろうか?

まったく。

> 質問者 あなたが言われることから、身体なしに解放はありえな
>     い、と私は結論を出します。もし「私は身体ではない」
>     という観念が解放へと導くならば、身体の存在は欠くこ
>     とのできないものなのです。

このひと……すごく論理的……。

> マハラジ
> まったくそのとおりだ。

やっぱり。

> 身体なしに、どうやって「私は身体ではない」という観念が存在
> できるというのだろう?

はい。

> 「私は自由だ」という観念は「私は束縛されている」という観念
> と同じように偽りなのだ。

そうか……。

ともに……言葉にすぎない。

> その両方に共通の、「私は在る」を見いだし、それを超えた彼方
> へと行きなさい。

誰が……「私は在る」と……感じているのか?……と問うことで。

> 質問者 すべてはただの夢なのです。

うん。

> マハラジ
> すべては単なる言葉にすぎないのだ。

はい。

> それがあなたにとって何の役に立つというのだろう?

そうか。

その言葉が……あなたにとって何の役に立つというのだろう……と
いうことか。

ますます……夢のなかに……さ迷いこむだけか。

> あなたは言葉による定義づけや、公式化の網にひっかかっている
> のだ。

理解できます。

> あなたの概念や観念を超えていきなさい。

はい。

概念や観念など……すべての想像に……興味を失うことによって。

> 真実は欲望や思考の消えた沈黙のなかに見いだされるだろう。

重荷から解放された……あるがままの自分が……。

> 質問者 人は覚えないようにすることを覚えていなければならな
>     いのです。何という苦労でしょう!

ふふ。

> マハラジ
> もちろん、それはできない。
> それは起こらなければならないのだ。

そうなんですか。

> だが、あなたが本当にその必要性を見たとき、それは起こる。

(@_@)

> ここでも真剣さが黄金の鍵なのだ。

ああ……。

> 質問者 私のマインドの背後では、いつもざわめきが聞こえてい
>     ます。無数の弱い思考が群れをなして騒ぎたて、その形
>     の定まらない雲はつねに私とともにあるのです。それは
>     あなたも同じなのでしょうか? あなたのマインドの背
>     後には何があるのでしょうか?

結構……大胆な質問。(^_-)

> マハラジ
> マインドがないところには、その背後もないのだ。

なるほど。

> 私はすべてが表であって、裏がないのだ!

おお。(@_@)

ただの……空っぽの……もうひとつの言い方か……。

> 虚空が語り、虚空が残るだけだ。

「虚空が語り、虚空が残る」……。

マインドには理解できない。

というか……身体が語り……虚空にどんな自己同化も湧いてこない
……か。

> 質問者 そこには何の記憶も残されていないのでしょうか?
> 
> マハラジ
> 過去の快楽や苦痛の記憶は何も残っていない。

はい。

> 瞬間瞬間が新しく生まれるのだ。

(-_-)

> 質問者 記憶なしには、意識できないでしょう。

なるほど。

記憶については……どうなのか……と。

> マハラジ
> もちろん、私は意識している。

意識しているんですね。

> そして、それに完全に気づいている。

わかりました。

> 私は木材の塊ではないのだ!

(*^_^*)

> 意識とその内容を雲と比較してみなさい。

あ、はい。

> あなたは雲のなかにいるが、私はそれを見ているのだ。

ああ……なるほど。

意識している……と言っても……意味が違うのか。(*-_-*)

> あなたはそのなかに迷いこんでしまい、指先さえ見えずにいるが、
> 私は雲を、そしてほかの多くの雲を見ている。

わかりました。

> そして青空も太陽も、月や星たちも見ている。

はい。

> 実在は私たち二人にとってひとつだ。

あ、はい。

> だが、あなたにとってそれは牢獄であり、私にとっては我が家同
> 然なのだ。

はい……。(*-_-*)

> 質問者 あなたは個人(ヴィヤクティ)、観照者(ヴィヤクタ)、
>     至高なるもの(アヴィヤクタ)について語っています。
>     どれが最初に現れるのでしょうか?

ふーん。

> マハラジ
> 至高なるもののなかに観照者は現れる。

はい。

気づきは……ただ在る……その気づきのなかに……現れに対応する
……観照者が現れる……というような意味かしら……。

> 観照者は個人をつくり出し、それ自身がそれから分離していると
> 考えるのだ。

観照者が現れに自己同化して個人を想像し……その個人が気づき全
体から分離しているかのように想像する……といった意味かな。

> 観照者は、個人が意識のなかに現れるのを見ている。

観照者は……個人が意識のなかの一部分として現れるのを見ている
……かな。

> その個人は、ふたたび観照者のなかに現れるのだ。

ふーん……。

よくわからないけれど……。

意識の一部分として現れた個人が……今度はあたかも……観照者と
しても存在しているようなふりをする……というような意味かな。

> この基本構成の実現が至高なるものの働きだ。

そのふるまいがすべて……“至高なるものの働き”だと。

マハルシも……言っていたけどなぁ。

------------------------------------------------------------
 この宇宙は何のなかに存在するのだろうか。
 このすべては何なのだろうか。
 それは何から生じたのだろうか。
 何のために、何によって、それは姿を現したのだろうか。
 それは何で構成されているのだろうか。
 ただ真我だけがその原因である。
                     『静寂の瞬間』(p1)
                  http://tinyurl.com/m2wjhu
------------------------------------------------------------

って……。

> それは観照者の背後にある力であり、すべてが生じる源だ。

ふーん……。

> 個人と観照者の間に相互の援助と愛と統合がないかぎり、至高な
> るものに接触することはできない。

ああ……そういうことに……なるわけか……。

> 至高なるものは、そのような調和の結実であり、源でもあるのだ。

ふーん。

> あなたに話すように、私は超然とした状態に在り、しかも愛情を
> ともなった気づき(トゥリーヤ)なのだ。

なんか……ちょっと……曖昧な感じ……。

英語を見てみようか……。

------------------------------------------------------------
 As I talk to you, I am in the state of detached but affec-
 tionate awareness (turiya).
                     『I AM THAT』(p296)
                 http://tinyurl.com/24va8fq
------------------------------------------------------------

そうか……もしかしたら、

「あなたに話すとき、私は超然とした、しかし愛情をともなった気
 づき(トゥリーヤ)の状態にある」

のような意味かも。

(なんか重箱の隅をつつくみたいで……すみません。(*-_-*))

> この気づきがそれ自身に向けられたときを、至高の状態(トゥリ
> ーヤーティータ)と呼ぶことができるだろう。

わかりました。

> しかし、その根底にある実在は気づきを超え、成ること、存在す
> ること、存在しないことの三つの状態をも超えているのだ。

おお……。

実在は……気づきをも……超えているんだ。

実在は……興味をもつことの根拠さえも超えて……ただ在るのか。

> 質問者 どうして私は、ここでは高尚な話題に没頭し、それらを
>     いともたやすく、快く考えつづけていられるというのに、
>     家に帰ったとたん、ここで学んだすべてを忘れ、心配し
>     たり、いらだったりして、真の本性を覚えていることが
>     一瞬さえもできないのでしょう? いったい何がその原
>     因なのでしょうか?

このひと……正直……。

> マハラジ
> それはあなたがあなたの幼稚さに戻ったからだ。

はい。(;_;)

> あなたはまだ、完全に成長しきっていないのだ。

わかっています。

> そこには未発達の層が手つかずのままに残っている。

はい。

> あなたのなかにある残酷さ、野蛮さ、不条理さ、冷酷さ、つまり
> は幼稚さに完全な注意を払いなさい。

そうか……。

> そうすればあなたは成熟するだろう。

わかりました。

> ハートとマインドの成熟、それが欠かせないものなのだ。

はい。

> 主要な障害物である不注意と油断が取り除かれたとき、それは努
> 力を要せずやってくる。

はい。

> あなたは気づきのなかで成長するのだ。

わかりました。

……。(-_-)

(-||-)

……。

ありがとうございました……。<(_ _)>

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


      …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストし
てくださる方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが
効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


      …………○…………○…………○…………



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 3.いただいたお手紙から:イエレメーダさん、りかさん
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


      …………○…………○…………○…………


今回イエレメーダさんとおっしゃる方から初めての写経依頼メール
をいただきました。

早速、ご紹介します。

【件名】: 目次を拝見しました。
     508「人生起こるがままに・・をリクエスト致します。
------------------------------------------------------------
 「I AM THAT」、「誰がかまうもんか!」、「ヒューマン・ブッ
 ダ」のアナディーの「エンライトメント」をその時の起こった状
 態で読み分けて来ました。知識を得た後はわたしの信念体系を確
 実に更新するために、瞑想やリアリティの経験を求めるので、マ
 ハラジの「I AM THAT」のみやっと半分を越えましてはところで
 す。
 
 手元に本があるのですが、こちらを色々と拝見させていただいた
 方が便利でしたので、貴重な時間と理解をさせて頂きました。
 ありがとうございます。
------------------------------------------------------------

イエレメーダさん、写経依頼ありがとうございました。

> 508「人生起こるがままに・・をリクエスト致します。

承知致しました。

じつは最初「件名」にあったこのタイトルに気づきませんでした。

毎回出してはいましたが、この写経を始めてから依頼を受けたのは
今度がはじめてなんですよ。(*^_^*)

> 「I AM THAT」、「誰がかまうもんか!」、「ヒューマン・ブッ
> ダ」のアナディーの「エンライトメント」をその時の起こった状
> 態で読み分けて来ました。知識を得た後はわたしの信念体系を確
> 実に更新するために、瞑想やリアリティの経験を求めるので、マ
> ハラジの「I AM THAT」のみやっと半分を越えましてはところで
> す。

そうなんですか……イエレメーダさんは実践派なんですね。

> 手元に本があるのですが、こちらを色々と拝見させていただいた
> 方が便利でしたので、貴重な時間と理解をさせて頂きました。
> ありがとうございます。

利用していただければ……うれしいです。

では次回から【95 人生を起こるがままに受け入れなさい】を写経
します。

ご依頼、ありがとうございました。

<(_ _)>


      …………○…………○…………○…………


今回、りかさんからも応援メールをいたきました。

早速、ご紹介します。

【件名】: 
------------------------------------------------------------
 毎週の『アセッション館通信』の更新ありがとうございます。
 いつも楽しみにしています。
 
 > 以前もわかっていたつもりの言葉が……ふと……その意味が伝
 > わってくる瞬間があります。
 > 以前にも感心していた言葉が……今度は……そのメッセージが
 > 伝わってくるのですから……こんなにありがたいことはありま
 > せん。
 
 私もそう思います。
 ふとした瞬間に感じた事を照らし合わせると、パズルのピースが
 ピッタっとはまるように、すっぽりとメッセージに当てはまる。
 本当にありがたいです。
 マハラジさんが書き残して下さった事に感謝!
 そしてそれを 取り上げてくれているPariさんにも感謝です!!
 
 さて、今回のお題も私のツボにはまったので、またメールさせて
 頂きました。
 
 > 観察の対象物は現れたとおりの状態とは異なるものだ。
 (1)これは、見る人(見るだけじゃなくて聴覚などの5感全て含む)
  が対象物を自分の身体→マインド→エゴ・心(感情)を通して
  見ているから、それは見ている人の一部が含まれている物、も
  しくは見ている人そのものと言えるのですよね。
  (人間は5感無くして、自分以外の認識は出来ないので)
 
 > 彼らは、観察されるものである外面の自己が、観察者である内
 > 面の自己の影にすぎないことを知っているために、観察者につ
 > いてだけを語り、それを気づかせるようにするのだ。
 これも(1)と同じ
 
 > 気づきのなかに含まれるものは内面となり、内面の質を帯びた
 > ものとなる。
 これも1)と似ていてますよね。
 
 > この身体は、あなたのマインドのなかに現れ、私のマインドの
 > なかには何もないのだ。
 
 (2)質問者を見る時には、質問者しか(周りの景色もですが。)
 見え無いので自分の身体は無いですよね。自分は身体の中ですも
 のw 
 最初から私は私にとって無いものだったんですね。
 そして(1)と(2)がわかった上で、見ている人が、見られている人
 を自分だと思えた時に↓のような説明がなっとく出来ます。
 
 > 観察されるものが観察者からの分離においてその非存在を認識
 > したとき、そして、観察者が観察されるものを彼自身の表現と
 > して見るとき、平和と沈黙の状態が現れる。
 
 私の解釈が正しいかわかりませんが、勝手に自分で納得していま
 すww
 
 自分は身体やマインドやエゴで無いと理解で出来きるのだったら、
 見られている人も同じように身体や、マインドやエゴで無い「た
 だ在る」存在だと理解できるはずで、それが理解出来れば、どん
 な悪い犯罪を犯した人に対してもジャッジ出来ないですよね、そ
 れどころか、そんな身体とマインドとエゴで大変だね〜と気の毒
 にさえ思えるはずです。
 
 でも、わかっていても、「だた在る」に留まる事が出来ないのが
 凡人の悲しいところなのですが。。。
 
 本当にいつもありがとうございます。
 
 そろそろ私の身体がお腹が空いたようで、マインドの”太るから
 止めとけ”、との言葉もきかずに、冷蔵庫に行こうとしています。
 マインドが心(エゴ)に”あ〜あ、私ってダメね〜”と愚痴って、
 心が既に反省していますが身体はお構いなしです。そして真我は
 それをただ認識しておりますww
 
 これを読んで下さっている向こう側の私さん(←失礼な事を言う
 なとマインドに怒られますがw)、暑い日が続きますが、どうか
 御自愛くださいませ。
 
 LOVE
 
 では冷蔵庫に行ってきま〜す。
 
 りか
------------------------------------------------------------

りかさん、メールありがとうございました。

> 毎週の『アセッション館通信』の更新ありがとうございます。
> いつも楽しみにしています。

ありがとうございます。

> > 伝わってくるのですから……こんなにありがたいことはありま
> > せん。
> 
> 私もそう思います。
> ふとした瞬間に感じた事を照らし合わせると、パズルのピースが
> ピッタっとはまるように、すっぽりとメッセージに当てはまる。
> 本当にありがたいです。
> マハラジさんが書き残して下さった事に感謝!
> そしてそれを 取り上げてくれているPariさんにも感謝です!!

読んでいただいて、嬉しいです。

> さて、今回のお題も私のツボにはまったので、またメールさせて
> 頂きました。

はい。

> > 観察の対象物は現れたとおりの状態とは異なるものだ。
> (1)これは見る人(見るだけじゃなくて聴覚などの5感全て含む)
>  が対象物を自分の身体→マインド→エゴ・心(感情)を通して
>  見ているから、それは見ている人の一部が含まれている物、も
>  しくは見ている人そのものと言えるのですよね。
>  (人間は5感無くして、自分以外の認識は出来ないので)

なるほど。

> (2) 質問者を見る時には、質問者しか(周りの景色もですが。)
> 見え無いので自分の身体は無いですよね。自分は身体の中ですも
> のw 
> 最初から私は私にとって無いものだったんですね。
> そして(1)と(2)がわかった上で、見ている人が、見られている人
> を自分だと思えた時に↓のような説明がなっとく出来ます。
> 
> > 観察されるものが観察者からの分離においてその非存在を認識
> > したとき、そして、観察者が観察されるものを彼自身の表現と
> > して見るとき、平和と沈黙の状態が現れる。
> 
> 私の解釈が正しいかわかりませんが、勝手に自分で納得していま
> すww
> 
> 自分は身体やマインドやエゴで無いと理解で出来きるのだったら、
> 見られている人も同じように身体や、マインドやエゴで無い「た
> だ在る」存在だと理解できるはずで、それが理解出来れば、どん
> な悪い犯罪を犯した人に対してもジャッジ出来ないですよね、そ
> れどころか、そんな身体とマインドとエゴで大変だね〜と気の毒
> にさえ思えるはずです。

ええと……、ニサルガダッタが言っている「観察者」と「観察され
るもの」というのは、もしかすると、“見ている自分”と“身体と
して現象している自分”の意味かもしれない……と思いました。

> でも、わかっていても、「だた在る」に留まる事が出来ないのが
> 凡人の悲しいところなのですが。。。

それは……ホントにそうですね。

> 本当にいつもありがとうございます。
> 
> そろそろ私の身体がお腹が空いたようで、マインドの”太るから
> 止めとけ”、との言葉もきかずに、冷蔵庫に行こうとしています。
> マインドが心(エゴ)に”あ〜あ、私ってダメね〜”と愚痴って、
> 心が既に反省していますが身体はお構いなしです。そして真我は
> それをただ認識しておりますww

(^^)/

> これを読んで下さっている向こう側の私さん(←失礼な事を言う
> なとマインドに怒られますがw)、暑い日が続きますが、どうか
> 御自愛くださいませ。
> 
> LOVE
> 
> では冷蔵庫に行ってきま〜す。

行ってらっしゃ〜い。(^^)/

りかさん、応援メール、ありがとうございました。

m(_ _)m


      …………○…………○…………○…………



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 4.「ご投稿・情報提供」:INDU さん
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

『アセ通』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


      …………○…………○…………○…………


今回、旧知のINDUさんから情報投稿をいただきました。

早速ご紹介します。

【件名】: 特別企画北岡ワーク 8月 22日開催「ガチョウは外だ!/
    The Goose is Out!」:右脳と左脳を統合する全脳ワーク
------------------------------------------------------------
 パリさん
 
 INDUです。
 
 北岡泰典さんのワークを紹介してもらえませんか。
 
 日本ではビジネスのツールみたいに紹介されているNLPを、精神世
 界、特にサニヤシン向けに紹介したいと思っている人です。
 
 宜しければパリさんのメルマガで紹介していただけないでしょう
 か?
 
 宜しくお願いします。
 
 紹介ページ:http://www.kitaokataiten.com/spiritual_work/
 
 以下紹介ページから転記しています。
 
 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 特別企画北岡ワーク
 8 月 22 日開催「ガチョウは外だ!/The Goose is Out!」:右脳
 と左脳を統合する全脳ワーク
 北岡泰典 (Swami Prabodh Guhen) は、1983 年にアメリカ オレ
 ゴン州でインド人導師に弟子入りして以来、「悟りの道の加速
 化」を模索してきています。
 
 悟りの道 (ヨガ) の分類に関しては、ラーマクリシュナの高弟の
 ヴィーヴェッカナンダは以下のように述べています。
 
 「精神は、その一つ一つが潜在的には神だ。
 目的は、外部と内部の自然をコントロールすることにより、この
 神性を顕在化することにある。
 このことを、日常の仕事、崇拝、サイキック コントロール、哲
 学のうちの一つ、二つ以上、またはこれらすべてを通じて行うが
 よい。そして自由になるのだ。
 これが宗教のすべてだ。教義、教条、儀式、経典、寺院、形態等
 というのは、枝葉以外の何ものでもない。」 
 この引用で、「日常の仕事」、「崇拝」、「サイキック コント
 ロール」、「哲学」はそれぞれ、カルマ ヨガ、バクティ ヨガ、
 ラージャ ヨガ、ジュナーナ ヨガの 4 つのヨガの手段を表して
 います。
 
 すなわち、カルマ ヨガでは、より高い意識状態に達するための
 手段として、日常の仕事を活用します (この意味で、禅はカルマ 
 ヨガと呼べるかもしれません)。バクティ ヨガは、精神世界を求
 める者による崇拝、礼拝を強調するヨガです。ラージャ ヨガ
 は、精神修行によって内なるマインド コントロールを達成する
 方法を探索します。ジュナーナ ヨガは、私たちの真の自己 
 (アートマン) と普遍的自己 (ブラーマン) がまさしく同一であ
 るという真の知識だけを通して普遍的意識を達成しようと試みま
 す。
 
 たとえば、私の師匠 (バグワン シュリ ラジニーシ/Osho) は、
 この 4 つの道をすべてカバーしていたと思いますが、その教え
 方は主に「バクティ (愛) ヨガ」に重点が置かれていたと言えま
 す。
 
 一方で、北岡が教えてきている NLP は、ジュナーナ (知識) ヨ
 ガまたはラージャ (メンタルコントロール) ヨガに重点が置かれ
 ていると言えるかと思いますが、今回、この右脳的なヨガ (カル
 マ ヨガおよびバクティ ヨガ) と左脳的なヨガ (ジュナーナ ヨ
 ガとラージャ ヨガ) を統合する「全脳的ワーク」を特別開催す
 ることになりました。
 
 なお、「右脳的なヨガと左脳的なヨガを統合する全脳的ワーク」
 は、「ノーマインドとマインドを統合する『メタ(超える)マイ
 ンド』ワーク」と言い換えることもできます。
 
 以下に、本特別企画ワークの背景を記します。
 
 * * * * * * *
 
 精神世界では、「ガチョウは外だ!/The Goose is Out!」という
 公案に関する話があります。この講話は、Osho が1980 年にイン
 ドを離れ、「沈黙」に入ることを宣言した際に、最後に行われた
 講話シリーズです (その後、Osho は、1983 年にオレゴンでまた
 講話を再開しました)。
 
 この話によると、「リコウ」という弟子がその師の元に行き、公
 案を与えられました (この話は日本で起こったとされていま
 す)。
 
 その師は、リコウに、「この瓶の中にガチョウの雛がいる。それ
 に餌をやり続けると、最後には大人のガチョウとなる。今、ガ
 チョウは瓶の中で身動きできなくなる。ガチョウを救おうと思っ
 たら瓶を壊す必要があり、瓶を救おうと思ったらガチョウを殺す
 必要がある。両方を救うためには、どうすればよいか?」と尋ね
 ました。
 
 リコウは、師の元を去り、この公案について考え抜き、1 週間後
 に師の元に戻り、答えを伝えます。師は、その答えを退け、「こ
 の公案についてもっと瞑想するがよい」と言いました。リコウは
 立ち去り、1 週間後に師の元に戻り、別の答えを伝えますが、そ
 の答えもまた退けられます。師は、弟子に公案についてさらに瞑
 想するように命令します。この過程が何度となく繰り返され、最
 後に、リコウは答えの可能性をすべて考え尽くします。そこで、
 弟子は、最終的に師の元に戻り、「師よ、私には他の答えはもう
 思い当たりません。どうか本当の答えを教えてください」と言い
 ます。
 
 これを聞いた師は、突然高らかに両手を打ち、そして「リコウ! 
 ガチョウは外だ!」と叫びました。
 
 これでこの話は終わりですが、Osho の解釈によると、リコウが
 すべての形而上学的思索をし尽くしたとき、その師は、単にその
 瞬間を利用して、両手を打って、その音で弟子に「実存的な
 ショック」を与えることで、ありとあらゆる問題が発生しうる思
 考の中から目覚めさせて、問題がいっさい発生する可能性のない
 「今ここ」の瞬間に立ち戻させたことになります。
 
 北岡は、過去に「絶対抜け出せない」と思われた長年の蟻地獄状
 態から奇跡的にから抜け出すことができました。
 
 (北岡の言う「蟻地獄」とは、どこに行っても逃げ場のない、ど
 んな選択肢を選んでも敗者に終わる、どん詰まり的な精神状態を
 差しています。具体的に言うと、幼児期の脳性麻痺の後遺症のた
 めに入所した二つの施設での体験を通じて、一連の「慢性的なト
 ラウマ群」に絡み取られてしまい、十代以降社会復帰ができず、
 ぐれたり、家族内断絶の人生を送り続け、精神病と神経症の中間
 の「境界線障害」的症状に苦しみ続けていました。)
 
 この蟻地獄から脱出可能であると私に確信させたのは、実は、
 1983 年のオレゴンでの弟子入り前後に知るようになった、
 「『今ここ』がすべてである」という、師匠のこの公案でした。
 ただし、それを「継続的」に可能にしてくれる「具体的」な方法
 を見つけることは長年できずにいて、最終的にその方法論が NLP 
 であることを発見したのは、この確信から数年経った 1988 年
 に、NLP 創始者から直接教えを直伝されたときでした。
 
 まさにこの「ガチョウは外だ!」の境地を、実際に体で体感でき
 る NLP 演習も存在していますので、今回の特別企画ワークで
 は、「今ここ」の NLP の観点からの科学的な解説と、「ガチョ
 ウは外だ!」の実地演習を通じて、北岡式の「右脳的なヨガと左
 脳的なヨガを統合する全脳的ワーク」 (「ノーマインドとマイン
 ドを統合する『メタ(超える)マインド』ワーク」) を紹介した
 いと思います。
 
 * * * * * * *
 
 以下にあるのは、本特別企画ワークの概要です。
 
 【特別企画北岡ワーク「ガチョウは外だ!/The Goose is 
 Out!」】
 
 講   師 : 北岡 泰典
 日   時 : 2011年 8 月 22 日 (月)  19:00 - 21:30
 会   場 : Valvex Creative Studio (予定)
        東京都品川区南品川6丁目12-21Valvex地下1階
        アクセス: http://www.valvex-co.jp/access.php
 参 加 費 : 3,000円
 定    員 : 15名 
 主   催 : 株式会社 オフィス北岡 (CEO 北岡泰典)
         〒165-0034
         東京都中野区大和町1-67-6-2F
         TEL: 03-5330-6690  FAX: 03-3336-3426 
         メール: office@kitaokataiten.com
         サイト: http://www.office-kitaoka.co.jp/
------------------------------------------------------------

INDUさん、情報投稿、ありがとうございました。

掲載させてもらいましたよ。

m(_ _)m


      …………○…………○…………○…………



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 5.編集後記:1行60文字までになりました。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

配信スタンド「まぐまぐ」の文字制限が変更になって、1行60文字
までになりました。

急にこんなことをやられると、ちょっと困ってしまいます。(^^;)

まあ……なんとか対処はしましたけどね。

一度書いてからだったので……修正に結構手間取りました。

それにしても……ただ静かになること……それだけなのにねぇ。

こんな簡単な……ことのはずなのに……。(-_-)

この簡単なことを……難しくしたいのが“わたし”です。(*-_-*)

静かになりたいと言いながら……じつはつねに騒がしくしていたい。

困ったもんだ……。(-_-)

「そう思っているのは誰か?」

(@_@)

そっかぁ。(-_-)

自分で問題を創って……自分で文句を言っているだけだなぁ。

------------------------------------------------------------
 すべての問題が現れるのは、あなたが自分自身を定義し、それゆ
 え限定したからだ。
 あなたが自分自身をあれやこれやと考えないとき、すべての葛藤
 はやむ。
 問題に対処しようとするいかなる試みも、失敗せざるをえない。
 なぜなら、欲望によって起こったことは、欲望から自由になるこ
 とによってのみ、取り消すことができるからだ。
 
                     『私は在る』(p221)
------------------------------------------------------------

わかりましたぁ。

おやすみなさい。

<(_ _)>


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
------------------------------------------------------------
『アセンション館通信』の既刊号を毎日連続で配信いたします。
連続配信をご希望の方は“『アセ通』連続配信依頼フォーム”
https://www.ascensionkan.com/mm/deliver.html
↑より、空メールをお送りください。翌日より毎日配信されます。
ただし、これからの号の購読にはメルマガ登録が必要です。(無料)
------------------------------------------------------------
このメールマガジンは二つの配信スタンド
『まぐまぐ!』http://www.mag2.com/ と
『melma』 http://www.melma.com/ を利用して発行しています。
「まぐまぐ」は:http://www.mag2.com/m/0000126287.html
「melma」は  :http://www.melma.com/backnumber_110091/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
Copyleft(C)2011 paritosho
↑コピーレフトの概念についてはこちら↓をご覧ください。
http://now.ohah.net/commune/?license/copyleft.html
------------------------------------------------------------