home > 通信 > 『アセンション館通信』第388号:大海の波のように無数に



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2011/9/11(第388号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に
自己同化した観照者が覗き見た風景の報告です。(*^_^*)

マインドを超えるにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の
準備という言葉を信じた、現象世界に興味を失うための努力です。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。現在 884名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.大海の波のように無数に

2.写経ニサルガダッタ:
     【35 内なる真我がもっとも偉大なグルだ】の3回目

3.編集後記:「スライドレール」という部品
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■ 1.大海の波のように無数に
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久しぶりに……暑い一日ですね。

川の音が……大きいです。

その下で……油蝉が……暑さを振り絞るように……鳴いています。

でも……吹きこんくる風は……意外と涼しい……。

(-_-)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

もう……迷うことは……充分に迷いつくしたようです。

さすがの……優柔不断なわたしも……このうえ迷う余地はないこと
を……理解せざるをえなくなってきました。

外堀は……おそらく……必要以上に……埋められたでしょう。

これ以上……理屈で理解できることなど……何もありません。

もう自ら……本丸に攻め入るより……やることないんですよね。

思えば……ずいぶん長いこと……さ迷いつづけたものです。

今ふっと……昔のことを思い出しました。

若い挫折に……無用に……苦しんだ頃のことです……。

自分にとって……この人生がまったくの無意味だったことを……覚
えておこう……と思い定めていたんですよね……。(-_-)

なんと悲しい……とも言えますけど……純真なエゴって……そんな
ものなのかもしれません。

この人生に……意味を求めるかぎり……少なくともわたしにとって
は……人生はそうなるしか……なかっただろうと思います。

自分でも……自分が何を望んでいるのか……わからなかったし。

比較が入ってくるかぎり……人生に純粋な幸福はありえないようで
したが……どう比較を卒業するかは……わからりませんでした。

和尚の弟子になっても……結局は……わからなかった……としか言
えません。

life-affirmative(生肯定)を唱う和尚からは……言葉の上からは
……わたしには学びえませんでした。

瞑想をしない……不出来な弟子でしたし……。

20年を奪われたと語っていたので……もしかしたら……和尚は……
最後のフェーズを……残していたのかもしれませんが。

結局……他人が存在するかぎり……比較を超えることは……できそ
うもありませんでした。

そして……他人が消えるためには……悟らなくてはならない。

でも……生を……つまり世界を肯定しながら……世界を超える道は
……わたしには見つけられそうもありませんでした。

そしてついに……比較は卒業するものではなく……存在しないこと
を知るしかない……ことを教わりました。

比較の対象も……比較自体も……実際は……存在しない……。

それは単に……移りゆく……意識のなかの……調度にすぎない。

それは……ただマインドで理解しただけでも……まことに目覚しい
……ありえないような……ウルトラCでした。

考えてみれば……それしかありえなかったわけです……。

もちろん……和尚も……そのことを伝えてくれていたのでしょう。

しかし……ゾルバ・ザ・ブッダを描写する……輝かしい和尚の言語
世界からは……わたしには……それは読みとれませんでした。

比較の対象も……比較自体も……じつは存在しないことを……。

そのことをわたしに……憧れるほどの素晴らしい表現で……伝えて
くれたのが……マハラジでした。

それは……こんな世界として……描かれていました。

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 世界は華麗にきらめく空虚なショーだ。
 それは在り、しかもそれはない。
 私が見たいと欲し、それに参加したいと望むかぎり、それはそこ
 に在る。
 私が気にかけるのをやめるとき、それは溶け去る。
 それは原因がなく、何の目的にも仕えない。
 それは私たちが放心しているときに起こる。
 まったく見たとおりに現れはするが、そこには何の深みも意味も
 ない。
 ただその傍観者だけが実在なのだ。
 彼は真我ともアートマとも呼ばれる。
 真我にとって世界は、それが続くかぎり楽しみ、終われば忘れら
 れてしまう、ただの色鮮やかなショーにすぎない。
 何であれ、舞台の上で起こることが彼を恐怖で身震いさせようと、
 あるいは笑い転げさせようと、常に彼はそれがただのショーだと
 知っている。
 欲望や恐れなしに、彼は起こるがままに楽しむのだ。
 
                     『私は在る』(p196)
                  http://tinyurl.com/s747u
------------------------------------------------------------

なんと……。(@_@)

(悟りとは……そういうものだったのか……。)

……この驚くべき世界の描写に惹かれて……それからひたすら……
ニサルガダッタの言葉を……読みつづけました。

初めのうち……この上もなく不思議に思えた……ニサルガダッタの
言葉の……テニヲハが理解されてきました。

なんとも……終始一貫した世界です。

そうするうちに……同じ翻訳者の福間巌さんが翻訳されるラマナ・マ
ハルシの世界が……理解の範囲に入ってきました。

昔……はじめて山尾三省さんの本を読んだときは……まったく理解を
超越していたのに……。

そこには……最小限度の……驚くべき明晰な言葉で……驚くべき単純
な真理が……語られていました。

これらの不動の言葉は……間違いなく……ニサルガダッタ自身をも…
…強力に支えたことでしょう。

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 質問者 どうすれば真我を実現できるのでしょうか?
 
 マハルシ
 真我の実現とは新たに獲得されるような何かではない。
 それはすでにそこに在る。
 必要なのは、「私は実現していない」という想念を追い払うこと
 だけだ。
 
 静寂あるいは平安が真我の実現である。
 真我が存在しない瞬間はない。
 そこに疑いや自分は実現していないという感覚があるかぎり、そ
 れらの想念を追い払うように試みなければならないだろう。
 それらの想いは真我と非真我を同一視することによって起こる。
 非真我が消え去ったとき、真我だけが残る。
 空間をつくり出すには物を取り除くだけでじゅうぶんであり、ど
 こか他のところから空間を持ちこむ必要などないからだ。
 
                  『あるがままに』(p35-36)
                   http://tinyurl.com/2aar6zj
------------------------------------------------------------

(-||-)

なんという簡明な……なんという明晰な言葉……。

しかし……この言葉を聞いて……その真実性を頭で信じだとしても
……それで即満足できるほど……わたしは成熟してはいません。

> そこに疑いや自分は実現していないという感覚があるかぎり、そ
> れらの想念を追い払うように試みなければならないだろう。

そのことは……理解できます。

> それらの想いは真我と非真我を同一視することによって起こる。
> 非真我が消え去ったとき、真我だけが残る。

この「非真我」ですが……。

この「非真我」とは……もしかして……世界そのもののことではな
いのですか?

つまり……「真我だけが残る」とは……世界が消えたとき……とい
う意味になりはしないか……。

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 あなたは世界のなかにいるのだろうか、それともあなたのなかに
 世界が在るのだろうか?
 あなたは眠りの間も自分が存在していることを否定できないが、
 世界が知覚されていないことを認めるに違いない。
 その世界はあなたが目覚めるときに現れる。
 では、それはどこにあるのだろうか?
 明らかに世界はあなたの想念なのだ。
 想念とはあなたが投影したものである。
 はじめに「私」が創造され、それから世界が創造される。
 世界は「私」によって創造され、「私」は真我から立ち現れる。
 そのため、もしあなたが「私」の創造を解明すれば、世界の創造
 の謎も解明されるのである。
 それゆえ、私は言うのだ。
 「真我を探求しなさい」と。
                   『あるがままに』(p323)
------------------------------------------------------------

> 明らかに世界はあなたの想念なのだ。

うーむ……。(-_-)

では……和尚が描いた……ゾルバ・ザ・ブッダたちが生きる……あ
の世界も……非実在ということになるだろうか……。(-_-)

------------------------------------------------------------
 質問者 まだ完全に理解できたとは言えません。私たちがさまざ
     まな方法で見、感じ、触れているこの世界はなにか夢の
     ようなもの、幻想なのでしょうか?
 
 マハルシ
 もしあなたが真理を、ただ真理のみを求めるならば、世界を非実
 在として受け入れる以外に方法はない。
 
                   『あるがままに』(p327)
------------------------------------------------------------

ほ……ほんとに? (@_@)

な……なぜでしょうか? (?_?)O

------------------------------------------------------------
 質問者 なぜでしょうか?
 
 マハルシ
 その理由は明らかだ。
 世界が実在だという考えをあなたが捨て去らないかぎり、あなた
 の心はつねに世界を追い求めるからである。
 存在するものは実在だけであるにもかかわらず、現れを実在と見
 なせば、実在そのものを知ることはけっしてできないだろう。
 このことが「ロープのなかの蛇」という類比によって説明されて
 いる。
 あなたは騙(だま)されて一本のロープを蛇だと信じこむかもし
 れない。
 そこに蛇を見ているかぎり、ロープを見ることはない。
 あなたにとっては実在しない蛇が実在し、本物のロープがまった
 く実在していないように見えるのである。
 
                 『あるがままに』(p327-328)
------------------------------------------------------------

> その理由は明らかだ。
> 世界が実在だという考えをあなたが捨て去らないかぎり、あなた
> の心はつねに世界を追い求めるからである。

ほんとだ。(@_@)

> 存在するものは実在だけであるにもかかわらず、現れを実在と見
> なせば、実在そのものを知ることはけっしてできないだろう。

そういうことか……。

> このことが「ロープのなかの蛇」という類比によって説明されて
> いる。

なるほど。

> あなたは騙(だま)されて一本のロープを蛇だと信じこむかもし
> れない。

はい。

> そこに蛇を見ているかぎり、ロープを見ることはない。

確かに。

> あなたにとっては実在しない蛇が実在し、本物のロープがまった
> く実在していないように見えるのである。

そういうことになります。(-_-;)

じゃ……闇雲に……ひたすら……内面を向かなくてはならない……
ということですね?

目覚めの世界は……その先にしかない……ということですね?

------------------------------------------------------------
 もしアハム・ヴリッティ(「私」という想念)の源への探求を通
 して心が内向的になれば、ヴァーサナー(心の潜在的傾向)は消
 滅する。
 真我の光がヴァーサナーの上に注がれて、心と呼ばれる反映の現
 象が生じる。
 それゆえ、ヴァーサナーが消滅するとき、唯一の実在であるハー
 トの光のなかに吸収されて、心も消え去るのである。
 これが探求者の知るべき概要と主旨のすべてだ。
 いやおうなく探求者に要求されることは、真剣さとアハム・ヴリ
 ッティの源への一心不乱な探求である。
 
                   『あるがままに』(p104)
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

> 真我の光がヴァーサナーの上に注がれて、心と呼ばれる反映の現
> 象が生じる。

世界とは……ヴァーサナー(心の潜在的傾向)に……真我の光が…
…降り注ぐことによって……生じていたものなのか……。

> それゆえ、ヴァーサナーが消滅するとき、唯一の実在であるハー
> トの光のなかに吸収されて、心も消え去るのである。

マインドが消えるとき……世界もまた消える……と。

そこまで行くには……どのようにすれば……?

------------------------------------------------------------
 質問者 初心者はどのようにこの探求を始めればいいでしょうか?
 
 マハルシ
 心はただ、「私は誰か?」という探求によってのみ沈黙する。
 「私は誰か?」という想念は他のすべての想念を破壊し、最後に
 は、燃えている薪の山をかき混ぜる棒のように、「私は誰か?」
 という想念自体も滅ぼされてしまうだろう。
 他の想念が現れたときは、考えることをつづけず、「その想念が
 誰にとって現れたのか?」と尋ねるべきである。
 いかに多くの想念が現れようとかまいはしない。
 想念が立ち現れるその瞬間に、油断なく、「これは誰にとって現
 れたのか?」と問えば、それは「私にとって」であることがわか
 るだろう。
 そのとき、「私とは誰か?」と尋ねることによって、心は源へと
 引き戻され、現れでた想念も静かになるだろう。
 このように繰り返し実習することによって、心は源にとどまる術
 (すべ)を見いだすだろう。
                 『あるがままに』(p104-105)
------------------------------------------------------------

> 他の想念が現れたときは、考えることをつづけず、「その想念が
> 誰にとって現れたのか?」と尋ねるべきである。

はい……。

これが……マハラジのグルが伝えた……“「私は在る」の感覚”を
……つかんで離さないのと……同じサーダナに当たるわけだ。

------------------------------------------------------------
 たとえ幾生にもわたって繰り返されてきた対象物へと向かう感覚
 の潜在的傾向(ヴィシャヤ・ヴァーサナー)が大海の波のように
 無数に立ち現れようとも、自己の本性への瞑想がますます強烈に
 なるとき、それらの潜在的傾向は打ち破られるだろう。
 「いったい、これらすべての潜在的傾向(ヴァーサナー)を破壊
 して、ただ真我としてとどまることは可能なのだろうか?」とい
 った疑いを許すよりも、自己留意に粘り強く固執するべきである。
 
 対象物へと向かう感覚の潜在的傾向が心のなかにあるかぎり、
 「私は誰か?」という探求は必要だ。
 想念が起こるなり、そのとき、その源で、探求によってすべての
 想念を根絶するべきである。
 真我以外の何ものも求めないこと(アンニャ)が無執着(ヴァイ
 ラーギャ)あるいは無欲(ニラーシャ)であり、真我をけっして
 離れないことが智慧(ジニャーナ)である。
 実際には、無欲と智慧はひとつなのだ。
 ちょうど、真珠採りが自分の腰に石をくくりつけて潜り、海底に
 沈む真珠を採るように、誰もが無執着とともに自己の内に深く潜
 り、真我という真珠を手に入れなければならない。
 もし真我に達するまで自己の本性(スワルーパ・スマラナ)を絶
 えず覚えていることができれば、それだけでじゅうぶんだろう。
 「束縛されているのは誰なのか?」と尋ね入り、自己の本性(ス
 ワルーパ)を知ることこそが解脱である。
 真我探求とは、つねに心を真我のなかだけにとどめておくことで
 ある。
 瞑想とは、真我を存在−意識−至福(サット−チット−アーナン
 ダ)である至高の存在(ブラフマン)と思いなすことである。
 
                 『あるがままに』(p105-106)
------------------------------------------------------------

> たとえ幾生にもわたって繰り返されてきた対象物へと向かう感覚
> の潜在的傾向(ヴィシャヤ・ヴァーサナー)が大海の波のように
> 無数に立ち現れようとも……

そうか……。

【対象物へと向かう感覚の潜在的傾向】と……ここにちゃんと……
明記されている……。

これを相手にした真剣勝負を……回避して……自由が得られる……
はずがない。

すぐに現れを追いかけてしまうのは……誰かさんだけの愚かしさで
は……ないんだ。(*-_-*)

“大海の波のように無数に立ち現れようとも”……かぁ。

> 自己の本性への瞑想がますます強烈になるとき、それらの潜在的
> 傾向は打ち破られるだろう。

わかりました。(-||-)

> ちょうど、真珠採りが自分の腰に石をくくりつけて潜り、海底に
> 沈む真珠を採るように、誰もが無執着とともに自己の内に深く潜
> り、真我という真珠を手に入れなければならない。

腰に石をくくりつけて潜る……“真珠採り”……。(-_-)

> 真我探求とは、つねに心を真我のなかだけにとどめておくことで
> ある。

ああ……。

> 瞑想とは、真我を存在−意識−至福(サット−チット−アーナン
> ダ)である至高の存在(ブラフマン)と思いなすことである。

(-||-)

大海の波のように無数に立ち現れる対象物へと……向かおうとする
感覚に逆らって……真我を思い続ける……。

道を求めるとは……要は……そういうことだったのか……。

わかりました。

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:
      【35 内なる真我がもっとも偉大なグルだ】の3回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

> 私はすべてがひとつだと知っている。
> 相違が分離をもたらすことはないのだ。

覚者は……こういう世界を見ているわけですね。

すべての分離が……虚構であることが……自明の世界。

> あなたには何の責任もないか、あるいはすべての責任があるか、
> どちらかだ。

これは……きっと……同じことになるのかも。

> あなたがコントロールをしていると想像しながら、ひとつの身体
> のみの責任をとろうというのは「身体―精神」の逸脱だ。

「身体―精神」の逸脱が……「身体―精神」の苦しみを……創造す
るのでしょうか……。

では【35 内なる真我がもっとも偉大なグルだ】の3回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解さ
 れることを願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、それを読んでいただければいいです。

------------------------------------------------------------
 質問者 何という狂気の沙汰でしょう!
 
 マハラジ
 そうだ。
 神聖な狂気だ。
 ただの幻想である個人的コントロールと、個人的責任を放棄する
 ことの何が悪いのだろうか?
 どちらもマインドのなかにあるだけだ。
 もちろん、あなたがコントロールを握っていると想像するかぎり
 は、あなたに責任があると想像するべきだ。
 その逆もまたしかりだ。
 
 質問者 普遍なるものが、どうして特定のものの責任をもてるの
     でしょうか?
 
 マハラジ
 地上のすべての生命は太陽に依存している。
 それが究極の原因だとしても、地上で起こることのすべてに関し
 て太陽を非難することはできない。
 花の色を表す原因は光にあるが、それはコントロールするわけで
 も、直接責任があるわけでもない。
 光はそれを可能にする、ただそれだけだ。
 
 質問者 私が嫌なのは、何か普遍的な力のなかに避難してしまう
     ことです。
 
 マハラジ
 事実に抗うことはできない。
 
 質問者 誰の事実でしょう? あなたの事実でしょうか、私の事
     実でしょうか?
 
 マハラジ
 あなたの事実だ。
 あなたに私の事実を否定することはできない。
 あなたはそれを知らないのだ。
 あなたが知っているなら、否定はしないだろう。
 問題はここにある。
 あなたは自分の想像を事実と見なし、私の事実を想像とみなして
 いるのだ。
 私はすべてがひとつだと知っている。
 相違が分離をもたらすことはないのだ。
 あなたには何の責任もないか、あるいはすべての責任があるか、
 どちらかだ。
 あなたがコントロールをしていると想像しながら、ひとつの身体
 のみの責任をとろうというのは「身体―精神」の逸脱だ。
 
 質問者 それでもあなたは自分の身体に限定されています。
 
 マハラジ
 この身体に関係する物質のなかでだけだ。
 私はそれでかまわない。
 季節を耐え忍ぶようなものだ。
 それらは来ては去っていき、私は影響されない。
 同じように、「身体―精神」も来ては去っていく。
 生命は永遠に新しい表現を探しているのだ。
 
 質問者 あなたが悪のすべての重荷を神の背に担(かつ)がせな
     いかぎり、私は満足です。神は存在するのかもしれませ
     ん。しかし私にとって、神は人間のマインドによって投
     影されたひとつの理念です。あなたにとって神は実在か
     もしれません。でも、私にとっては社会のほうが神より
     も本物です。なぜなら、私がその創造者であり囚人でも
     あるからです。あなたの価値基準は智慧(ちえ)と慈悲
     です。社会の価値基準は賢い利己主義です。私はあなた
     とまったく異なった世界に住んでいるのです。
 
 マハラジ
 誰も強要してはいない。
 
 質問者 誰もあなたに強要してはいません。しかし、私は強要さ
     れているのです。私の世界は邪悪な世界で、涙と苦労と
     苦痛にあふれています。知的な解釈で弁明し、進化とカ
     ルマの理論を押しつけることは、ただ傷ついたものに屈
     辱を加えるようなものです。邪悪な世界の神は残酷な神
     です。
 
 マハラジ
 あなたがあなたの世界の神であり、愚かで残酷なのはあなたなの
 だ。
 神は概念であると言うならば、そう言うがいい。
 それはあなた自身の創造物なのだ。
 あなたが誰なのかを見いだしなさい。
 あなたがどのように生き、邪悪な世界で真実と善と美を熱望する
 ようになったのかを見いだしなさい。
 誰が神なのか、あなたが何を話しているのかをわかってもいない
 とき、神に対してのあなたの議論が何の役に立つというのだろう?
 恐れと期待から生まれ、欲望と想像から形づくられた神が、宇宙
 のマインドとハートである力のはずがない。
 
                   『私は在る』(p168-169)
                  http://tinyurl.com/s747u
------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 何という狂気の沙汰でしょう!

この質問者の言葉は……前回の最後の部分にある

「欲望と恐れなしにすべてのコントロールと責任を放棄しなさい」

というマハラジの言葉に対する反応です。
 
> そうだ。
> 神聖な狂気だ。

これは……当人にとって狂気でないことがわかっている場合しか…
…起こりえない……狂気ですよね。

> ただの幻想である個人的コントロールと、個人的責任を放棄する
> ことの何が悪いのだろうか?

でも……個人には……起こりえないこと……。

> どちらもマインドのなかにあるだけだ。

はい……個人的コントロールも……個人的責任も。

> もちろん、あなたがコントロールを握っていると想像するかぎり
> は、あなたに責任があると想像するべきだ。

ああ……そういうことになる。

> その逆もまたしかりだ。

自分に責任があると想像するかぎりは……自分でそのコントロール
を握るべきだ。

どんな……不条理(と思われること)にも耐えて。

> 質問者 普遍なるものが、どうして特定のものの責任をもてるの
>     でしょうか?
> 
> マハラジ
> 地上のすべての生命は太陽に依存している。

はい。(?_?)O

> それが究極の原因だとしても、地上で起こることのすべてに関し
> て太陽を非難することはできない。

そうだよなぁ……。

これが……神を非難できない……理由だよなぁ。

> 花の色を表す原因は光にあるが、それはコントロールするわけで
> も、直接責任があるわけでもない。

確かに。

> 光はそれを可能にする、ただそれだけだ。

わかります。

> 質問者 私が嫌なのは、何か普遍的な力のなかに避難してしまう
>     ことです。

ふふ。(^^;)

> マハラジ
> 事実に抗うことはできない。

はは。(^^)/

> 質問者 誰の事実でしょう? あなたの事実でしょうか、私の事
>     実でしょうか?

お、喧嘩を売ってる。

> マハラジ
> あなたの事実だ。

ふーむ。

> あなたに私の事実を否定することはできない。
> あなたはそれを知らないのだ。

なるほど。

> あなたが知っているなら、否定はしないだろう。

そうかも。

> 問題はここにある。

はい。

> あなたは自分の想像を事実と見なし、私の事実を想像とみなして
> いるのだ。

そうか……そういうことだよなぁ。

岡目八目なら……こんなに簡単にわかることでもなぁ。

> 私はすべてがひとつだと知っている。

はい。

つまり……すべては単なる……ひとつの模様にすぎない……と。

> 相違が分離をもたらすことはないのだ。

識別できる模様があるからと言って……その模様が分離しているわ
けではないのだ……と。

> あなたには何の責任もないか、あるいはすべての責任があるか、
> どちらかだ。

確かに……。(-_-)

> あなたがコントロールをしていると想像しながら、ひとつの身体
> のみの責任をとろうというのは「身体―精神」の逸脱だ。

そういうことになるのか……。

> 質問者 それでもあなたは自分の身体に限定されています。

直感的な攻め口で……攻めてみたりして。(^_-)

> マハラジ
> この身体に関係する物質のなかでだけだ。

なるほど。

> 私はそれでかまわない。
> 季節を耐え忍ぶようなものだ。

「季節を耐え忍ぶようなものだ」……。

このセリフ……好き。(*-_-*)

> それらは来ては去っていき、私は影響されない。

ああ……こう言えさえすれば……それでいいんだ。

事実……現れはすべて来ては去っていき……真我はそれに……影響
されないのだから。

> 同じように、「身体―精神」も来ては去っていく。

はい。

このpariという「身体―精神」も……じきに去っていくでしょう。

> 生命は永遠に新しい表現を探しているのだ。

そうか……。

そしたら今度は……どこかに ripa が現れているわけだ。

> 質問者 あなたが悪のすべての重荷を神の背に担(かつ)がせな
>     いかぎり、私は満足です。神は存在するのかもしれませ
>     ん。しかし私にとって、神は人間のマインドによって投
>     影されたひとつの理念です。あなたにとって神は実在か
>     もしれません。でも、私にとっては社会のほうが神より
>     も本物です。なぜなら、私がその創造者であり囚人でも
>     あるからです。あなたの価値基準は智慧(ちえ)と慈悲
>     です。社会の価値基準は賢い利己主義です。私はあなた
>     とまったく異なった世界に住んでいるのです。

理路整然としているような……支離滅裂なような……。(^_-)

> マハラジ
> 誰も強要してはいない。

はい。

誰もが……好みの牢獄をつくって……住んでいるんですよね。

> 質問者 誰もあなたに強要してはいません。しかし、私は強要さ
>     れているのです。私の世界は邪悪な世界で、涙と苦労と
>     苦痛にあふれています。知的な解釈で弁明し、進化とカ
>     ルマの理論を押しつけることは、ただ傷ついたものに屈
>     辱を加えるようなものです。邪悪な世界の神は残酷な神
>     です。

悲しくなったのね……。

> マハラジ
> あなたがあなたの世界の神であり、愚かで残酷なのはあなたなの
> だ。

はい……ここまではっきり言っていただいたほうが……いいです。

> 神は概念であると言うならば、そう言うがいい。
> それはあなた自身の創造物なのだ。

はい。

> あなたが誰なのかを見いだしなさい。

そこだ……。

> あなたがどのように生き、邪悪な世界で真実と善と美を熱望する
> ようになったのかを見いだしなさい。

そうかぁ……。(-_-)

> 誰が神なのか、あなたが何を話しているのかをわかってもいない
> とき、神に対してのあなたの議論が何の役に立つというのだろう?

ハズカシ。(*-_-*)

> 恐れと期待から生まれ、欲望と想像から形づくられた神が、宇宙
> のマインドとハートである力のはずがない。

はい。

……。(-_-)

(-||-)

……。

ありがとうございました……。<(_ _)>

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


      …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」をここ↓に置いておきます。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

もしこの「目次」の中から興味を惹かれたタイトルをリクエストし
てくださる方があれば、その箇所を優先して“写経”いたします。

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。ボディブローが
効くかも。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


      …………○…………○…………○…………


▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

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るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


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■ 3.編集後記:「スライドレール」という部品
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ずいぶん以前から……自分がモニターを置いている……広めの本棚
の下に……引き出し板を置けないかと……思っていました。

キーボードテーブルとして……使いたいと思っていたのです。

それまで……畳める机と椅子を……使っていたので。

永いこと……ときどき思うだけで……何もしませんでした。

ただ……ずっと……ときどき思うだけで……。

馬鹿ですね。(^_-)

最近……ふと思いついて……【引き出しテーブル 作り方】とかや
ってググッてみました。

なんと……簡単に「スライドレール」という部品があることを知りま
した。

そしてなおも調べてみたら……600円で売っているんですよ。

手元に来るには……結局……1,600円くらいかかりましたけど。

そして先日……やり直したりなんかんやで……半日かけて……やっと
キーボードテーブルを……取りつけました。

今日は初めて……そのスライドテーブルを使って……メルマガを書い
ています。

終わると……すっと……全部本棚の下に収まってしまって……両開き
のガラス戸を……閉じることができるんです。

やったぜ。(^^)/

今日も……明るいうちに終えました。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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