home > 通信 > 『アセンション館通信』第400号:セイラー・ボブの『ただそれだけ』



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2011/12/04(第400号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に
自己同化した観照者が覗き見た風景の報告です。(*^_^*)

マインドを超えるにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の
準備という言葉を信じた、現象世界に興味を失うための努力です。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。現在 885名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.セイラー・ボブの『ただそれだけ』

2.【49 マインドが不安の原因だ】の2回目

3.いただいたお手紙から:パールさん

4.編集後記:とても……可能性を感じさせてくれました。
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■ 1.セイラー・ボブの『ただそれだけ』
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今年ももう師走ですねぇ……。

今日は朝から雨なんですが……わりあい暖かな日ですね。

雨霧の薄いヴェールの向こう側に……少し盛りをすぎた紅葉に覆わ
れて……右手の山が静まり返っています。

遠く南のほうになだれ込んでくる霧が……刻々に形を変えて……。

……。(-_-)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

先週……祇園さんに教えていただいた本ですが……。

『ただそれだけ―セイラー・ボブ・アダムソンの生涯と教え』
(カリヤニ・ローリー著、高木悠鼓訳、ナチュラルスピリット刊)
http://tinyurl.com/7o89r5x

うーむ。(-_-)

なんとも……じつに……素晴らしいです……。

これだけ言っていただいて……これ以上……どんな言葉が必要だと
いうのか?……と言いたくなるような本でした。(-||-)

祇園さん……お教えいただき、ありがとうございました。<(_ _)>

圧倒され……感嘆して……終わり……でもいいのですが……。

まあまあ……そう言わずに……ということで……。(^^;)

相も変わらず……なくもがなの……ご紹介をしましょうか。

例によって……度を越した引用になるかもしれません。

関係各位には……無断引用としてではなく……無料宣伝として……
ご理解いただけることを……切に願っています。

つくづく……時代も押し詰まった……のかもしれませんね。

このような理解が……このような端的な言葉となって……こんなに
も手軽に……われわれの手に入るとは……。

いやいや……ただあるがままに……『ただそれだけ』に……戻って
いくだけなのかもしれませんね。

この本の最初にある……「ボブからの挨拶」という短い文章に……
そのあたりの消息が……描かれてもいるようです……。

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 ボブからの挨拶

 「すべての現象は空のようなもので、空の特徴はあるがままの状
  態であることだ。
  あらゆるものがこのあるがままの状態の中に留まっている。
  知覚に対して顕れているいかなる現象も、その真正な状態から
  変更されえない。
  これまでこの道に足を踏み入れた人で、探求や奮闘を続けて目
  的地に到達した人は誰もいない。
  行動を企てた人で、果実を手にした人は誰もいない。
  あるがままの状態から何も変えることはできないのだ。
  すべてはその中に留まっているのである」
 
 二千年前のこのゾクチェンの文献からの引用は、いついかなると
 きもただこれで、これ以外の何でもない非二元的本質を指摘して
 います。
 努力なく認識することが、そこに留まる自然なやり方です。
 本書を読むことを通じて、努力のない認識が起こりますように。
 カリヤニと呼ばれているパターンを通じて努力なく書かれ表現さ
 れている中で、本書にはその努力のない認識があるからです。
 
                     ボブ・アダムソン
 
 二〇一〇年三月、オーストラリア、メルボルンにて
 
                 『ただそれだけ』(pvi-pvii)
                 http://tinyurl.com/7o89r5x
------------------------------------------------------------

(-||-)

> 「すべての現象は空のようなもので、空の特徴はあるがままの状
>  態であることだ。

なんとも……力強い宣言です! (@_@)

“あるがまま”とは……今日のこの空が……あるがままであるよう
に……あるがままだということだったんですね。

>  これまでこの道に足を踏み入れた人で、探求や奮闘を続けて目
>  的地に到達した人は誰もいない。

ありがたや……。(-||-)

>  あるがままの状態から何も変えることはできないのだ。

ジーン……。(-_-)

そういうわけなので……もう……読みだす前から……なにか圧倒的
な予感です……。

この本は……小さな本ですが……書籍タイトルにもあるように……
「生涯」と……「教え」の……二部構成になっています。

わたしの場合は……最初の「挨拶」から……すぐに後半の「教え」
に……入りました。

われわれが何であるかについて……セイラー・ボブさんは……こん
なにも端的な説明をします。

------------------------------------------------------------
 では、今、何も考えず、完全に停止してみてください。
 どうでしょう?
 何らかの観念が進行していますか?
 考えることをやめたら、見る働きは止まりましたか?
 聞く働きは止まりましたか?
 気づく働きは止まりまりましたか?
 観念なく、思考なく、別の思考が起こる前のこの瞬間、あなたは
 自分が存在そのものであることを理解します――あなたは生きて
 いることそのもの、在ることそのものです。
 これはあえて受け人れなければならないようなことではありませ
 ん。
 受け入れるには、また別の観念が必要になってきます。
 思考が起ころ前にあるもの――それはただあるがままです。
 何の飾りもない、裸の気づき。
 いかなる観念によっても飾られていないもの。
 ある詩に語られているように、「それはあなたの手足よりも、息
 よりも近くに」あるのです。
 あなたはけっしてそれから離れたことがありません。
 そんなことは不可能です。
                  『ただそれだけ』(p97-p98)
------------------------------------------------------------

なんと……。

> 考えることをやめたら、見る働きは止まりましたか?
> 聞く働きは止まりましたか?
> 気づく働きは止まりまりましたか?

何ひとつ……止まっていないことは……誰にでもわかります。

これを……否定できる人は……いないでしょう。

> 観念なく、思考なく、別の思考が起こる前のこの瞬間、あなたは
> 自分が存在そのものであることを理解します――あなたは生きて
> いることそのもの、在ることそのものです。

こう言われれば……わかりますよぇ……。(-_-)

> これはあえて受け人れなければならないようなことではありませ
> ん。

ここです。(@_@)

“これはあえて受け人れなければならないようなことではない”。

まったくです。

> 思考が起ころ前にあるもの――それはただあるがままです。

これが……わたしであり……真我であるわけですよね。

別のところで……「私とは誰か?」について尋ねた質問者との問答
のなかで……セイラー・ボブは……こんなふうに語ります。

------------------------------------------------------------
 ボブ
 質問も質問者も存在しないとき、あなたはどうなりますか?
 
 質問者 なにもない、でしょうね。
 
 ボブ
 あなたは思考の持ち主、観念の担い手です。
 質問者と質問を削除したとき、そこにあるのは、あるがままの裸
 の意識です。
 あなたは、「私とは誰か?」を発見したのです。
 何年も何年もその質問を心の中で問い続けて行き詰まる代わりに、
 質問者が質問そのものだということを理解してください。
 人々は心以前の存在状態について語り、そこに到達しようとして
 あらゆる種類の奇妙なことをやります。
 質問者は、質問それ自身に他ならないのです。
 それらは互いに相殺し合います。
 つまり、質問がなければ、質問者は存在しません。
 質問や質問者がなくても、私は消えたり、崩壊したりしません。
 その瞬間、あなたは心以前に存在しており、思考を超えているの
 です。
 思考を超えていれば、あなたは思考以前にいるはずです。
 それはそのくらいシンプルです。
                    『ただそれだけ』(p103)
------------------------------------------------------------

うーむ。(-_-)

> 何年も何年もその質問を心の中で問い続けて行き詰まる代わりに、
> 質問者が質問そのものだということを理解してください。

この端的さ……。

> 人々は心以前の存在状態について語り、そこに到達しようとして
> あらゆる種類の奇妙なことをやります。

まったく。(*-_-*)

> 質問者は、質問それ自身に他ならないのです。

なぬ?! (@_@) ⌒★?

うーむ……。

しかし……こう喝破されると……それがまさにことの有り様である
ことが……否応なく……理解されてしまいます。

だって……ほんとに……自明なんだも。

------------------------------------------------------------
 私たちが言うもう一つのことは、あなたは心の中に答えを見つけ
 ることはない、ということです。
 ですから、心の中を探しても無意味です。
 いったい、心の外側というものがあるでしょうか?
 どの方向を見ても、常に心の中です。
 心を探求しても心から抜け出すことはできないと理解するとき、
 何が起こるでしょうか?
 自然で完全な停止があるのではないでしょうか?
 その完全な停止状態において、思考がほんの一瞬止められるので
 す。
 思考が進行していない状態であっても、ものは見えますし、音は
 聞こえます。
 あなたは消滅したわけでも崩壊したわけでもありません。
 考えることや概念化の働きが止まっているとき、あなたは心以前
 の状態にいるのです。
 それは、まったくシンプルなことです。
 
                 『ただそれだけ』(p112-p113)
------------------------------------------------------------

> 心を探求しても心から抜け出すことはできないと理解するとき、
> 何が起こるでしょうか?

画策してできることは何もないと……本当にわかったとき……。

> 自然で完全な停止があるのではないでしょうか?

そう……何もできないことが……本当にわかったら……。

本当にわかったら……もう止まるしかないですよね。(@_@)

> その完全な停止状態において、思考がほんの一瞬止められるので
> す。
> 思考が進行していない状態であっても、ものは見えますし、音は
> 聞こえます。

そうか……。

「思考が進行していない状態であっても、ものは見えますし、音は
 聞こえます」……。

> あなたは消滅したわけでも崩壊したわけでもありません。

そりゃそうですよ……。(*-_-*)

> 考えることや概念化の働きが止まっているとき、あなたは心以前
> の状態にいるのです。

そういうことなんだ。(@_@)

そういうことですよねぇ……。(-_-)

何も考えごとをしていない瞬間は……誰にもありますよね。

その瞬間にも……自分が存在していることを……誰も否定しないだ
ろうと思います。

一瞬……何も考えていないとき……期せずして……真我が真我を…
…やっているわけでしょう。

そしてたとえ……何か考えごとをしたところで……それが真我の上
(または中)に……浮かんだ想念にすぎないのは……自明です。

これまでのご紹介でも充分わかるように……セイラー・ボブさんの
言葉には……神秘的なところはまったくありません。

だから……彼自身も……たびたび……、

> それは、まったくシンプルなことです。

と語るのです。

それなのに……こんな短い引用の中ですら……。

もうすでにわれわれは……真我が何であるかも……自分が真我であ
ることも……納得してしまったのではないでしょうか。

じゃ……「真我」が何かがわかったので……今度は「自我」が何か
を……セイラー・ボブさんに……教えていただきましょうか。

------------------------------------------------------------
 そのことは、今ここで、実にシンプルに指摘することができます。
 誰もが今ここで見ています。
 あなたはまつたく努力なく見ています。
 見ることが進行しています。
 また誰もが聞いています。
 見ることが起こっていて、間くことが起こっています。
 自分自身に尋ねてください。
 「私の目が、私に見るように言っているのだろうか?」と。
 さて、私の目は、「ボブ、ほらこれを見ろ、あれを見ろ」とは言
 っていません。
 目を通じて見ることが起こっているのですが、それが思考によっ
 て、「私は見る」「私はあれを見る」と翻訳されているのです。
 
 聞くことが耳を通じて起こっています。
 耳は、私に、「私が聞く」とは言いません。
 再び、それは思考によって「私が聞く」と翻訳されるのです。
 ですから、目は「私は見る」とは言わず、耳は「私が聞く」とは
 言わないのに、思考が湧き起こってそれを翻訳します。
 では次のことを自分に尋ねてください――「私は見る」という思
 考は、実際に見ることができるのか?
 注意して観察してください。
 そうすれば、思考が見ているのではないことを、あなたは理解す
 ることでしょう。
 「私は聞く」という思老が、実際聞くことができるのでしょうか?
 思考が行なうのはただ翻訳することだけです。
 このエゴとは考えられたもので、見たり、聞いたり、気づいたり
 するパワーを持っていないのです。
 「私は選ぶ」という思考は、選ぶことができません。
 「私は気づいている」という思老は、あなたの気づきではありま
 せん。
 
 このように、この虚構のエゴとは、私たちが長年束縛されてきた
 一つの思考なのです。
 エゴとは、選択ができ、自分の意志を持っており、たまには悪運
 に見舞われることもある一つの実体である、という信念は、ただ
 の思考にすぎません。
 それが作り話であると気づくとき、いったい何が起こるでしょう
 か?
 自然に生きることが、今までとにかくやってきたように続いてい
 くのではありませんか?
 それが、あなたを呼吸させています。
 それが、あなたの心臓を鼓動させています。
 それが、あなたの髪の毛や爪を成長させ、食べ物を消化し、細胞
 を新陳代謝させ、考えること、感じること、感情、あらゆること
 が、まったく努力なく起こることを可能にしています。
 
                   『ただそれだけ』(p113)
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

> 目を通じて見ることが起こっているのですが、それが思考によっ
> て、「私は見る」「私はあれを見る」と翻訳されているのです。

……。

> 耳は、私に、「私が聞く」とは言いません。
> 再び、それは思考によって「私が聞く」と翻訳されるのです。

……。

> では次のことを自分に尋ねてください――「私は見る」という思
> 考は、実際に見ることができるのか?

(-_-)

> そうすれば、思考が見ているのではないことを、あなたは理解す
> ることでしょう。

……。

> 「私は聞く」という思老が、実際聞くことができるのでしょうか?
> 思考が行なうのはただ翻訳することだけです。

……。

> このエゴとは考えられたもので、見たり、聞いたり、気づいたり
> するパワーを持っていないのです。

(@_@)

(-_-)

> このように、この虚構のエゴとは、私たちが長年束縛されてきた
> 一つの思考なのです。

(;_;)

カ・ン・ペ・キ……ですね……。(-||-)

この諸能力が合成された……虚構のエゴが……現象世界でいろいろ
“自分”の好みを主張する……わけですよね。

自然界には……何の葛藤もありません。

------------------------------------------------------------
 自然界においては、正反対のものから成るペアが常に作用してい
 て、そうした作用なしでは、どんな二元性もありえません。
 これらの正反対のものは互いに対立するものではありません。
 相反する立場は何もないのです。
 もし今が春なら、まもなく夏がやって来ます。
 春は、「夏であったらなあ」とは言いません。
 それは自然に、何の対立もなく動いていきます。
 満ち潮は引き潮と戦いません。
 嵐がやつて来て、いろいろな物を吹き飛ばします。
 しばらくすると嵐は静まり、自然は徐々にみずからを更新してい
 きます。
 正反対のペアはたえずそこにありますが、何の対立もありません。
 
                   『ただそれだけ』(p128)
------------------------------------------------------------

ところが……われわれには……問題が起こる……。

------------------------------------------------------------
 私たちに関しては、正反対のペアは常に対立します。
 なぜなら、私たちは物事を、こうあるべきだと自分が考えたり、
 信じたりしている心のイメージにたえず関連づけたり、照らし合
 わせたりしているからです――つまり、私たちは物語をあるがま
 まにしておかずに、物事が、こうあるべきと自分が考えるやり方
 に従うことを望むのです。
 ですから、私たちが抱える問題はすべて、実際は関係性の問題、
 すなわち何と関係するかという問題なのです――それはただ男女
 関係だけではありません。
 そして、関係性の問題は、常に私たちが持っている自己イメージ
 に関係しています。
 それは、過去の出来事や経験にもとづく架空のイメージだという
 ことを理解するとき、人はみずから落ち込んでいる罠に気づくの
 です。
                 『ただそれだけ』(p128-129)
------------------------------------------------------------

うーむ。

なんという……わかりやすさ……。

セイラー・ボブさんは……自分自身の変化について語るときも……
じつに当たり前の表現しかしません。

------------------------------------------------------------
 かつては私も、自分が分離した一個の実体、一人の分離した人、
 まあそういう表現を好むなら、一個の分離した肉体だと思ってい
 ましたが、その後、現実を理解し調べていくうちに、そうではな
 いことがはっきりとわかりました。
 今では、分離した何かがあるという考えにもとづいて何かを行な
 うことさえできません。
 二元性のベールがあまりに厚いとあなたは言いますが、観察して
 みると、そうではありません。
 私たちは今ここで直接体験していることのシンプルさを見逃して
 いるのです。
 それは、そういう意識状態に入るとか出るという問題ではありま
 せん――意識が存在するすべてであり、それが真実のあなたなの
 です。
 あなたはその意識そのものであり、けっしてそこからはずれるこ
 とはできません。
                   『ただそれだけ』(p113)
------------------------------------------------------------

(-_-)

ここで語られていること……そしてこの本全体で語られていること
……ただ、

> その後、現実を理解し調べていくうちに、そうではないことがは
> っきりとわかりました。

ということだけです……。

この本全体を通じて……セイラー・ボブさんは……シフトについて
……何も特別なことはなかった……という言い方をしています。

その結果……、

> 今では、分離した何かがあるという考えにもとづいて何かを行な
> うことさえできません。

とおっしゃる……。

うーむ。(-_-)

まあ……なんというか……。

……。

(^_-)

われわれも……元気を出しましょうか。(*^_^*)

まあ……あとはもがくのをやめて……静になるだけだなぁ……なん
て思っていると……。

同じようなことを……思った人がいるらしくて。(^_-)

> 質問者 完全な静寂の中にいるとき、そこには葛藤とか、問題に
>     なるものは何もありません。どうすればもっと頻繁にそ
>     うした状態になれるのでしょうか?

こう……尋ねたんですよ。

そしたら……、

> ボブ
> あなたがその静寂の中に入ることはこの先もありません。

え……なんで? (?_?)

> あなたがその静寂なのです。

なんと!? (*_*) ⌒★?

------------------------------------------------------------
 その静寂が[この世界として]顕現しているのであって、その中
 にあなたが「自分」と呼んでいるものが現れているのです。
 ですから、静寂があなたの本質です。
 それはあなたの本当の姿です。
 それが絲寂さというものです。
 ということは、あなたは静寂になるために、何をしなければなら
 ないでしょうか?
 この部屋の中には動きよりも静寂さのほうがより多くあります。
 ここそこに少し動きがありますが、しかし、その静寂さはその動
 きによって汚されたり、傷つけられたりするでしょうか?
 外に出て、その広人な空間の中に入ってください。
 そこでも動きよりも静寂があります。
 その広人な空間の中では、静寂がそれを圧倒しています。
 で、あなたは静寂を発見するために、何をしなければならないで
 しょうか?
 
 質問者 静かになる?
 
 ボブ
 おしゃべりや動きや何かがただ進行しているとしても、それが静
 寂の中で進行していることを認識してください。
 なぜなら、もし静寂がなければ、運動はありえないからです。
 静寂は、探されるべきものではありません。
 
                 『ただそれだけ』(p183-184)
------------------------------------------------------------

(-||-)

わたしは……この部屋の……静けさなんですって。(*-_-*)

知らんかったなぁ……。

------------------------------------------------------------
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
                    『あるがままに』(p58)
------------------------------------------------------------

(;_;)

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【49 マインドが不安の原因だ】2
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

まだニサルガダッタが……有名になっていなかった最初の頃は……
こういう質問者も……来ていたのですね。

なにしろ……質問者の観点がズレすぎていて……。

それでも……マハラジの伝声管からは……親切な言葉が流れ出しま
すが……。

では【49 マインドが不安の原因だ】の2回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解さ
 れることを願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、それを読んでいただければいいです。

------------------------------------------------------------
 質問者 科学は多くを説明してきました。
 
 マハラジ
 科学は名称と形態、質と量、パターンと法則を扱っている。
 それはそれ自身の場においてはまったく良いだろう。
 だが、生とは生きられるものであり、分析のための時間はない。
 反応は即座でなければならず、それゆえ時間を超えた自発性が重
 要だ。
 私たちは未知のなかで生き、動いているのだ。
 既知とは過去のものだ。
 
 質問者 私には、これが私だと感じる立場を取ることができます。
     私は個人であり、人びとのなかのひとりの人物です。あ
     る人たちは完成され、調和のとれた人格であり、ある人
     たちはそうではありません。ある人たちは努力を要する
     ことなく生き、あらゆる状況に適切に、自発的に反応し
     ます。その時点で必要な、完全に正当なことを為すので
     す。一方、ほかの人たちは手探りをし、過ちを犯し、た
     いがい彼ら自身に害を与えてしまうのです。調和の取れ
     た人たちは、自然で、法則に支配されている人と呼べる
     かもしれません。未完成な人たちは混沌とし、偶然に支
     配されているのです。
 
 マハラジ
 混沌という概念自体が、秩序、有機的といった相互関係の意議を
 前提としている。
 混沌と秩序。
 これらは同じ状態の二つの相ではないだろうか?
 
 質問者 しかし、あなたはすべてが混沌、偶然、予測不可能だと
     言っているようです。
 
 マハラジ
 そうだ。
 その意味では、すべての存在の法則が知られているわけではなく、
 すべての出来事が予測可能なわけではない。
 あなたが理解できるようになればなるほど、宇宙が精神的にも感
 情的にも満足すべきものとなる。
 実在は善と美だ。
 混沌をつくり出すのは私たちなのだ。
 
 質問者 もし偶然は人間の自由意志によって起こるとあなたが言
     うのならば、私は賛成します。しかし、私たちは自由意
     志についてまだ討論していません。
 
 マハラジ
 あなたの秩序はあなたに快楽を与えるものであり、あなたの無秩
 序は、あなたに苦痛を与えるものだ。
 
 質問者 あなたはそう表現するかもしれませんが、その二つはひ
     とつだと言わないでください。私の言語で話してくださ
     い、幸福を探求する一個人の言語で。私は非二元性の空
     言に惑わされたくはないのです。
 
 マハラジ
 あなたが分離した個人だと、何があなたに信じさせるのだろうか?
 
 質問者 私は一個人としてふるまい、私自身で機能します。私自
     身が基本であり、他者は私との関係性において在るだけ
     です。早い話が、私は私自身のことで忙しいのです。
 
 マハラジ
 それならば、あなた自身のことで忙しくしていればいい。
 いったいどういうつもりでここに来たのだね?
 
 質問者 自分自身を安全で幸せにするため、私が古くからやって
     いる商売のためです。白状すると、成功してきたとは言
     えません。私は安全でも幸せでもありません。ですから、
     私はここにいるのです。ここは私にとっては新しいとこ
     ろですが、私がここへ来た理由は古いものです。安全な
     幸福、幸福な安全の探求です。今までのところ見つけて
     はいません。助けてもらえますか?
 
 マハラジ
 一度も失ったことのないものは、けっして見つけられない。
 安全と喜びの探求そのものがあなたを幸福から遠ざけてしまう。
 探すことをやめなさい。
 失うことをやめなさい。
 病はシンプルなものだ。
 治療も同じくシンプルだ。
 あなたを不安に、不幸にするのはあなたのマインドなのだ。
 予測があなたを不安にし、記憶があなたを不幸にするのだ。
 マインドを誤用することをやめなさい。
 そうすれば、すべてはうまくいくだろう。
 あなたがそれを正す必要はない。
 あなたが過去と未来へのすべての関わりを放棄し、永遠の今のな
 かに生きるやいなや、それはそれ自身を正すだろう。
 
                   『私は在る』(p246-247)
                  http://tinyurl.com/s747u
------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 科学は多くを説明してきました。

この質問者の言葉は……前回最後にあったマハラジの、

「なぜなら、事実、すべては実に驚くほど不可解だからだ!」

という言葉に対する……反応ですね。

この質問者の方……混沌とか不可解とかが……嫌いみたい。(^_-)

> マハラジ
> 科学は名称と形態、質と量、パターンと法則を扱っている。
> それはそれ自身の場においてはまったく良いだろう。

はい。

> だが、生とは生きられるものであり、分析のための時間はない。

なるほど。

> 反応は即座でなければならず、それゆえ時間を超えた自発性が重
> 要だ。

そうか。

> 私たちは未知のなかで生き、動いているのだ。

おお……。

> 既知とは過去のものだ。

確かに。

> 質問者 私には、これが私だと感じる立場を取ることができます。
>     私は個人であり、人びとのなかのひとりの人物です。あ
>     る人たちは完成され、調和のとれた人格であり、ある人
>     たちはそうではありません。ある人たちは努力を要する
>     ことなく生き、あらゆる状況に適切に、自発的に反応し
>     ます。その時点で必要な、完全に正当なことを為すので
>     す。一方、ほかの人たちは手探りをし、過ちを犯し、た
>     いがい彼ら自身に害を与えてしまうのです。調和の取れ
>     た人たちは、自然で、法則に支配されている人と呼べる
>     かもしれません。未完成な人たちは混沌とし、偶然に支
>     配されているのです。

おっしゃるとおり。

> マハラジ
> 混沌という概念自体が、秩序、有機的といった相互関係の意議を
> 前提としている。

ええ……それはわかります。

> 混沌と秩序。
> これらは同じ状態の二つの相ではないだろうか?

そうなんですか。(@_@)

……。(-_-)

そうかぁ……われわれが見たら混沌でも……覚者が見たら……秩序
立っているかもしれないんだ……。

> 質問者 しかし、あなたはすべてが混沌、偶然、予測不可能だと
>     言っているようです。

うーむ。

いろいろな観点が……ごっちゃになっているようだけど……。

> マハラジ
> そうだ。
> その意味では、すべての存在の法則が知られているわけではなく、
> すべての出来事が予測可能なわけではない。

確かに。

> あなたが理解できるようになればなるほど、宇宙が精神的にも感
> 情的にも満足すべきものとなる。

そういうことかぁ。

> 実在は善と美だ。

「実在は善と美」……。(-_-)

> 混沌をつくり出すのは私たちなのだ。

はい。

静寂のなかに……騒音を生みだすのは……わたしたち……か。

> 質問者 もし偶然は人間の自由意志によって起こるとあなたが言
>     うのならば、私は賛成します。しかし、私たちは自由意
>     志についてまだ討論していません。

うん。

> マハラジ
> あなたの秩序はあなたに快楽を与えるものであり、あなたの無秩
> 序は、あなたに苦痛を与えるものだ。

あれま……あまりにも端的……。

でも……正確だよなぁ。

> 質問者 あなたはそう表現するかもしれませんが、その二つはひ
>     とつだと言わないでください。私の言語で話してくださ
>     い、幸福を探求する一個人の言語で。私は非二元性の空
>     言に惑わされたくはないのです。

まあ……気持ちはわかるけど……。

このころはまだ……「私は非二元性の空言に惑わされたくはない」
……なんて言葉づかいをする人が……来てたのかなぁ。

> マハラジ
> あなたが分離した個人だと、何があなたに信じさせるのだろうか?

いやー……そう言われても……色いろあるだろうけど……。

でも……この方はなんと答えるのかな?

> 質問者 私は一個人としてふるまい、私自身で機能します。私自
>     身が基本であり、他者は私との関係性において在るだけ
>     です。早い話が、私は私自身のことで忙しいのです。

ここまで言えばねぇ……。

> マハラジ
> それならば、あなた自身のことで忙しくしていればいい。
> いったいどういうつもりでここに来たのだね?

まわりのわれわれだって……そう訊きたくなりますよ。

> 質問者 自分自身を安全で幸せにするため、私が古くからやって
>     いる商売のためです。白状すると、成功してきたとは言
>     えません。私は安全でも幸せでもありません。ですから、
>     私はここにいるのです。ここは私にとっては新しいとこ
>     ろですが、私がここへ来た理由は古いものです。安全な
>     幸福、幸福な安全の探求です。今までのところ見つけて
>     はいません。助けてもらえますか?

このひと……商売繁盛を願って……マハラジのところに来たのか。

> マハラジ
> 一度も失ったことのないものは、けっして見つけられない。

真の幸福……真の安全は……現れのなかでは見つけられない。

> 安全と喜びの探求そのものがあなたを幸福から遠ざけてしまう。

はい。

> 探すことをやめなさい。
> 失うことをやめなさい。

ああ……「探すこと」が……「失うこと」というわけか……。

> 病はシンプルなものだ。
> 治療も同じくシンプルだ。

(-_-)?

> あなたを不安に、不幸にするのはあなたのマインドなのだ。

はい。

> 予測があなたを不安にし、記憶があなたを不幸にするのだ。

そうか……。

> マインドを誤用することをやめなさい。

そうか……安全を求めての心配とは……マインドの不適切な利用法
なんだ。

> そうすれば、すべてはうまくいくだろう。
> あなたがそれを正す必要はない。

あなたは……心配をやめるだけでいい……ということなんだけど。

さて……質問者が……納得するのは……難しいような……。

> あなたが過去と未来へのすべての関わりを放棄し、永遠の今のな
> かに生きるやいなや、それはそれ自身を正すだろう。

まあ……それができないから……マハラジのところに……行くわけ
だろうけど……。

でも……マハラジは……魔法を教えているわけではないし。

……。(-_-)

ありがとうございました……。<(_ _)>

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


      …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
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おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


      …………○…………○…………○…………



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■ 3.いただいたお手紙から:パールさん
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▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


      …………○…………○…………○…………


先週に続いて……パールさんからご投稿をいただきました。

もしかしたら……かなり長編なのかもしれませんよ。

早速ご紹介いたします。

【件名】: 真我その4
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 それからはどのようにしたらあの真我のみの状態、悟りへと至
 るのだろうかと言う事のみが目的へとなってゆきました。
 
 家から1時間の滝場へ行き滝に打たれます。
 冬の滝へ足を入れると、まさに足首を切られるような痛さで
 す。30分くらい滝に打たれると、その後2時間ほどの般若心
 経の読経。
 終わった後のその日の夢は大変清らかなトイレの夢を見ます。
 
 次にインドへの修行の旅。
 リシケシの町に足を踏み入れると、この上ない懐かしさです。
 自分はやがてこの町に来て、ここへ骨を埋めよう、そこまで気
 に入りました。
 
 それからあの禁断に触れます。
 薬にて、異次元へ足を踏み入れました。
 
 様々な映像が浮かびます。
 
 プライドに溢れんばかりの自分が映し出されています。
 
 次に目の前に大きなスクリーンが浮かび、そこに私がいます。
 数え切れないくらい沢山の自分が縦横に何十人も並んで、ジト
 ーっとこちらに居る自分を見ています。
 それが妬み心に満ち満ちた大勢の自分が、こちらに居る私をジ
 トーっとにらみつけているのです。
 
 ああーーーー。
 何という自分。
 なんと言う嫌な自分。
 こんなに自分はプライドの強い、妬み深い自分だったの
 か、・・・・・・・・
 
 それから1ヵ月くらい、人と顔を会わせられないほどに落ち込
 んで、うずくまったまま過ごしました。
 
 しかし、この荒治療のお陰で、私からプライドと妬み深さが消
 えてゆきました。
 いかなる事もどんな人も嫉妬せず、称えられるようになりまし
 た。
 
 しばらくして、もう一度薬での体験をしてみようと思いまし
 た。
------------------------------------------------------------

パールさん……今回もありがとうございました。

> それからはどのようにしたらあの真我のみの状態、悟りへと至
> るのだろうかと言う事のみが目的へとなってゆきました。

熱烈な求道心ですねぇ。

> 家から1時間の滝場へ行き滝に打たれます。

ふーむ。

> 冬の滝へ足を入れると、まさに足首を切られるような痛さで
> す。30分くらい滝に打たれると、その後2時間ほどの般若心
> 経の読経。

なんとまた……。

> 終わった後のその日の夢は大変清らかなトイレの夢を見ます。

へー。

> 次にインドへの修行の旅。
> リシケシの町に足を踏み入れると、この上ない懐かしさです。

そうなんですか。

> 自分はやがてこの町に来て、ここへ骨を埋めよう、そこまで気
> に入りました。

とても相性が良かったんですね。

> それからあの禁断に触れます。
> 薬にて、異次元へ足を踏み入れました。

なるほど。

以前は……インドに行く人は……たいてやったみたいですね。

> 様々な映像が浮かびます。
> 
> プライドに溢れんばかりの自分が映し出されています。
> 
> 次に目の前に大きなスクリーンが浮かび、そこに私がいます。
> 数え切れないくらい沢山の自分が縦横に何十人も並んで、ジト
> ーっとこちらに居る自分を見ています。
> それが妬み心に満ち満ちた大勢の自分が、こちらに居る私をジ
> トーっとにらみつけているのです。
> 
> ああーーーー。
> 何という自分。
> なんと言う嫌な自分。
> こんなに自分はプライドの強い、妬み深い自分だったの
> か、・・・・・・・・

そんなふうに理解なさったんですか。

> それから1ヵ月くらい、人と顔を会わせられないほどに落ち込
> んで、うずくまったまま過ごしました。

うーむ。

> しかし、この荒治療のお陰で、私からプライドと妬み深さが消
> えてゆきました。
> いかなる事もどんな人も嫉妬せず、称えられるようになりまし
> た。

なるほど。

> しばらくして、もう一度薬での体験をしてみようと思いまし
> た。

なかなか……長いお話になるかもしれませんね。(^^;)

パールさん……貴重な経験を……ありがとうございます。

次回も……楽しみにしています。

m(_ _)m


      …………○…………○…………○…………


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■ 4.編集後記:とても……可能性を感じさせてくれました。
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セイラー・ボブさんの『ただそれだけ』は……小さな本です。

このごろご紹介する本は……たいてい「ナチュラルスピリット」の
……本ですね。

装丁も……同じ感じで。

ラメッシュ・バルセカールの『誰がかまうもんか?!』だけは……
装丁の雰囲気が違うような気がしていたけど……。

でも……これも同じ方が装丁を担当なさっていますね。

『ただそれだけ』……これからも……何度も繰り返して……読むと
思います。

とても……可能性を感じさせてくれました。

『私は在る』の編集者モーリス・フリードマンの亡きあと……最初
にニサルガダッタを訪れた……西洋人のひとりらしいです。

特別なことは……なにもないけど……否応なく……理解が深まって
いけば……それでいいです。

気温の変化が……激しいですね。

風邪など……引かれませぬように。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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