home > 通信 > 『アセンション館通信』第401号:エゴは作り話である



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2011/12/11(第401号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するある「個人」に
自己同化した観照者が覗き見た風景の報告です。(*^_^*)

マインドを超えるにはマインドを使ってマインドを知るのが最善の
準備という言葉を信じた、現象世界に興味を失うための努力です。

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わってますね。現在 884名
------------------------------------------------------------
◇◇ もくじ ◇◇

1.エゴは作り話である

2.【49 マインドが不安の原因だ】の3回目

3.いただいたお手紙から:パールさん

4.編集後記:自然の流れに沿って……流されていけば
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■ 1.エゴは作り話である
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今日は……雲ひとつない……素晴らしい天気……。

外に出ても……暖かい……。

この身体が北国育ちなので……冬暖かいのは……嬉しいです。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

ニサルガダッタのこの有名な言葉↓……ご存知でしょ。

(勝手に……有名にしてますが……。(^^;))

------------------------------------------------------------
 ひとたびあなたの想像以外は何も困難をもたらすことができない、
 と絶対の確信を持って知るなら、あなたは欲望や恐れ、概念や見
 解に注意を払わず、真実とともにのみ生きるだろう。
 
                     『私は在る』(p131)
                  http://tinyurl.com/s747u
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

人生の……この不毛な苦しみ……。(-_-)

と……感じている人たちも……いるでしょう。

素晴らしきかな人生……と……感じている人たちも……もちろん…
…たくさんいることでしょう。

それら……すべての想いが……意識の彩りとして……真我のなかに
……今この瞬間に……浮かんでいるわけですよね……。

そして……自らは発光しない……真我の光のなかで……さまざまな
意識の彩りとして……発光しているのだと思います。

さて……その真我の光のなかで……何らかの情緒の位置を顕示する
発光体を……自らと自認するのか……。

それとも……あらゆる発光体を照らしだしながら……自らは発光し
ない……真我の光を……自らと自認するのか……。

後者は……単なる……事実の……追認です。

前者は……虚構の……権利の……主張です。

あなたは……どちらを選びたい派……ですか?

帰ろかな〜♪ 帰るのよそうかな〜♪

(^_-)

自分が……真我だと思うと……何者にもなれないのだと思うと……
ふっと身体が……ゆるみます。

自分が……世界のなかの個人だと思うと……それだけで……微かに
……太陽神経叢(みぞおちの辺り)が……緊張します。

たちまち……この身体とともに……世界のなかに取り残されて……
この身体でサバイバルしなければ……ならなくなるわけですから。

形を担い……物語を担うとは……大変なことです。(;_;)

------------------------------------------------------------
 生命への執着は不幸への執着だ。
 私たちは私たちに苦痛を与えるものに執着するのだ。
 私たちの本性とはそんなものなのだ。
                     『私は在る』(p436)
------------------------------------------------------------

……。(@_@)

ありえないと……理性は思う……しかし……ほんとです……。

> 生命への執着は不幸への執着だ。

間違いない……。(-_-;)

> 私たちは私たちに苦痛を与えるものに執着するのだ。

信じがたいことだけれど……、

> 私たちの本性とはそんなものなのだ。

見渡すかぎりの事実は……この洞察を……裏づけている……。

> ひとたびあなたの想像以外は何も困難をもたらすことができない、
> と絶対の確信を持って知るなら、あなたは欲望や恐れ、概念や見
> 解に注意を払わず、真実とともにのみ生きるだろう。

自分の「想像以外は何も困難をもたらすことができない」……。

このことを……「絶対の確信を持って知るなら」……。

わたしは……「欲望や恐れ」だけでなく……「概念や見解」にも…
…注意を……払わなくなる……。

そして……「真実とともにのみ生きるだろう」……というのです。

うーむ……。(-_-;)

……。

前回……セイラー・ボブ・アダムソンの『ただそれだけ』
http://tinyurl.com/7o89r5x
の内容から……少しご紹介しました。

この本に……マハラジのこの「真実とともにのみ生きるだろう」と
いう言葉の理解に……とても役立つと思われる話があります。

いわば……“人生の真実(または、生命の真実)”とかいう言葉を
理解するための……準備体操のようなものでしょうか。

どうも……“生命の真実”という言葉の手前に……“人生の意味”
とか“生命の目的”という言葉が……横たわっているようです。

こういう言葉に……ケリをつけておかないと……話が先に進まない
……ようになっているらしい。

人生の目的を求めて……ボブのところに多くの人びとが来たそうで
すが……彼はその人たちに……フンコロガシの話をしたそうです。

------------------------------------------------------------
 「フンコロガシは象の糞を丸めて小さな玉を作り、そこへ卵を生
  みつける。
  それから一メートルほどの深さの穴を地中に掘り、その糞玉を
  埋めると、疲れきったフンコロガシは死んでいく。
  雨季が来て、地面が柔らかくなると、卵から孵(かえ)った小
  さな幼虫たちは糞を食べて、さなぎへと成長し始める。
  そして成虫になると、地表まで穴を掘って、象がいると本能で
  感じる場所へ飛び立っていく。
 
  ある年、干ばつがあって、一部のフンコロガシが飛んで行った
  先に象は一頭もおらず、そのため彼らは死んでしまう。
  別の方向に飛んで行ったフンコロガシは、そこでたくさんの鳥
  や他の動物たちに食べられてしまう。
  ミツアナグマは地表一メートル下の幼虫の存在を匂いで知るこ
  とができ、若い幼虫が地表に出てくる前に、穴を掘って彼らを
  食べてしまうことだろう」
 
 そしてボブはこう尋ねます。
 「で、こうしたことすべての背後にある目的は何だろうか?
  フンコロガシの役割はただ卵を生むことだろうか? 
  幼虫は捕食者の単なる餌なのだろうか?
  象の目的は、フンコロガシの幼虫が成長するために、糞を提供
  することなのか?
  象が食べた食料の目的は、ただ糞となることなのか?
  これで皆さんもおわかりだろうが、目的という概念はムダなの
  だ。
  目的があると言うためには、何らかの位置からその目的までの
  距離を測る必要がある。
  あなたは参照点を設定しなければならない。
  参照点なしに、あなたは何を言うことができるだろうか?」
  
                  『ただそれだけ』(p62-63)
                 http://tinyurl.com/7o89r5x
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

「目的」や「意味」という概念は……エゴという「参照点」の設定
なしには……意味を成さないようです……。

要するに……ある“立場”や“都合”を前提にした概念を……全体
に押しつけようとしている……だけだったわけです。

百億の“立場”や千億の“都合”から……納得のいく“究極目的”
を求められて……さぞや全体も……困ったことでしょう。(^^;)

もしも……「全体」という意識ある実体が……存在していたら……
の話ですが……。(^_-)

というわけで……究極の「目的」や「意味」という概念の無効性に
……得心がいったら……スピリチュアル幼稚園は……卒業です。

それではじめて……今度はリアルな話に……進めます。(^_-)

マハラジは、

> ひとたびあなたの想像以外は何も困難をもたらすことができない、
> と絶対の確信を持って知るなら、あなたは欲望や恐れ、概念や見
> 解に注意を払わず、真実とともにのみ生きるだろう。(p131)

と言います。

ここでマハラジが言う「真実」とは何か?

それは……この同じ応答のなかで……「想像以外」……という言葉
として……表現されています。

つまり……「想像」を除いたあとに……残るものでしょう。

この同じことを……マハラジは別のところで……こう言っています。

------------------------------------------------------------
 理解しようとしてはならない
 誤解しなければそれで充分だ。
                     『私は在る』(p224)
------------------------------------------------------------

と。

これでやっと……マハラジが「真実とともにのみ生きるだろう」と
言う……その「真実」の具体的ニュアンスに進めそうです。

その意味での「真実」を知るために……“想像”や“誤解”がどの
ように生じるのか……ボブさんの言葉で説明してもらいましょう。

『ただそれだけ』に……「エゴは作り話である」……という一章が
あります。

(じつは……この章からは前回も引用しているのですが。^^; )


------------------------------------------------------------
 エゴは作り話である
 
 私たちの問題は、二歳か二歳半頃に身につけた一個の分離した実
 体、すなわち「自分」という考えから起こります。
 あなたは、「自分」とか「私」という言葉に対して何かできるで
 しょうか?
 それについてできることはあまりありません。
 そこで、私たちは、出来事、経験、条件付け――自分に起こった
 物事――を加えるのです。
 そこに信念のエネルギーが入り込み、それは見かけ上、具体的な
 ものになり、それが現実に存在しているように思えてきます。
 それが、我とかエゴとか呼ばれているものです。
 それは、自分自身はこうだと信じるための参照点となります。
 何かを見て、私はそれを好きになります。
 それを好きになるとは知るはずもありませんでした。
 まあ、それが以前に起こったことであれば、私はその過去のイメ
 ージと結びつけて、「これはいいな」と言うのでしょう。
 
 やがて、その「良いこと」が過ぎ去ろうとします。
 でも、私はそうなってほしくありません。
 そのとき、何が起こるでしょうか?
 私がそれらを本当に好きなとき、私は何をするでしょうか?
 私はそれらが去るのに抵抗しようとします。
 抵抗とは何でしょうか?
 抵抗は葛藤であり、葛藤は病気(dis-ease=安らかではない)で
 す。
 もし葛藤の中にいれば、あなたは不安です――心安らかではあり
 ません。
 それが病気です。
 もし何かが起こって、私がそれを好きでなければ、私は再びこの
 記憶の自分を参照します。
 それを好きでないとき、私は何をするでしょうか?
 私はそれを押しやり、取り除こうとします。
 またもや、抵抗、葛藤、病気です。
                 『ただそれだけ』(p127-p128)
------------------------------------------------------------

(-||-)

> あなたは、「自分」とか「私」という言葉に対して何かできるで
> しょうか?
> それについてできることはあまりありません。

あ……。(@_@) ⌒★?

これで……全員が……してやられるわけですよねぇ。(-_-;)

こんにちは赤ちゃん♪ あなたはボクよ〜♪

と言われて……抵抗できる赤ちゃんなど……いませんよ。(/_;)

> そこで、私たちは、出来事、経験、条件付け――自分に起こった
> 物事――を加えるのです。
 
自分は……自分であるわけですから……他にできることも無いので
……あとは自分のデータを……自分に付加するしかない……。

すると……、

> それは、自分自身はこうだと信じるための参照点となります。

かくて……「参照点」か……。

> 何かを見て、私はそれを好きになります。

これでもう……自分の物語の……芯ができたのでしょう。

> それを好きになるとは知るはずもありませんでした。

ホントだ……。(@_@)

それを好きになるとは……知るはずもなかったんだ……。(-_-)

この好き嫌いを知るはずもない状態……を指して……イエスは……
「幼子(おさなご)のごとく」……と言ったわけですよね。

「汝ら、もし、幼子の如くならずば、神の国に入ることを得じ」と。

ところが……現象世界の夢は……そう甘くはない……。(>_<)

うかうかと夢を見ようものなら……たちまち虜にされます。

好き嫌いの剣を振り回して……たちまち……さらに深い混乱と……
断罪の夢へと……引きずりこまれる……。

かくて……あるがまま……つまり……フンコロガシの世界に向けた
……欲望と恐怖の……物語が……始まるわけです。

これが……、

> 生命への執着は不幸への執着だ。
> 私たちは私たちに苦痛を与えるものに執着するのだ。
> 私たちの本性とはそんなものなのだ。(『私は在る』(p436))

と叙述される……「私たちの本性」の……内実だと思います。

個々の想念以外に……“自分”などという特別な実体物が……存在
するはずもないのに……。

------------------------------------------------------------
 質問者 ということは、参照点が生じてはまた消える、というこ
     とですか?
 
 ボブ
 あらゆるものが生じては消えていきます。
 選択がなされますが、そこに選択者は存在しません。
 参照点の所有者がいるわけではありません。
 好みが湧き起こるかもしれませんが、その好みの所有者は存在し
 ません。
 物事に対するこうした判断やラベル貼りという現象は生じてくる
 でしょう。
 しかし、それはすべてただ生じては、自由に好きな方向へ動いて
 いくのです。
 
 質問者 つまり、それはあるがままに見られることで、消えてな
     くなるのですね?
 
 ボブ
 はい。
 それは再びそのあるがままを認識されるのです。
 考えること、あるいは概念化すること――それが私たちが今まで
 に経験した唯一の問題なのです。
 しかし、そのことが理解されれば、それは問題である必要はあり
 ません。
 それがいにしえの人たちが指摘していることです。
 善も悪もない、考えるからそうなるのだ、と。
 あなた自身の想像以外、何もあなたに問題をもたらすことはでき
 ないのです。
                 『ただそれだけ』(p133-p134)
------------------------------------------------------------

……。(-||-)

すべての問題は……湧き起こる想念へ対処のなか……ラベル貼りと
……概念化という……想像のなかにあったのか……。(-_-;)

すると……想像することをやめれば……問題も……消える……。

沸き起こる想念を……ただそのままに……存在させられれば……。

> それがいにしえの人たちが指摘していることです。
> 善も悪もない、考えるからそうなるのだ、と。

はい。(-_-)

> あなた自身の想像以外、何もあなたに問題をもたらすことはでき
> ないのです。

わかりました。

でも……その自然な在り方を……許すまいとする想像を……エゴと
いうのでしょうねぇ……。

------------------------------------------------------------
 見ることに何も悪いことはありません。
 見る者と見られるものに分けるとき、その分割は観念的なものに
 すぎません。
 それはただ観念、思考、考えによって分割されているだけです。
 私はこれを見る、私はあれを見る、と言うとき、見ているものが
 何であれ、それは、見ているものに対してあなたが貼つているラ
 ベルです。
 ですから、いつも一つの思考が別の思考と対立しているのです。
 ……すべては思考と思考が互いに抵抗しているだけです。
 その二つが同じ棒の両端であることが理解されたなら、そのとき
 それはまったく問題ではないのです。
 
                 『ただそれだけ』(p132-p135)
------------------------------------------------------------

(-||-)

> ですから、いつも一つの思考が別の思考と対立しているのです。

……。(@_@)

> ……すべては思考と思考が互いに抵抗しているだけです。

なんと……。

> その二つが同じ棒の両端であることが理解されたなら、そのとき
> それはまったく問題ではないのです。

「その二つが同じ棒の両端であることが理解されたなら」……。

これが……見ることはあるが……見られるものと……見る者は……
存在しない……という言葉の……意味だったんですね……。

------------------------------------------------------------
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
                    『あるがままに』(p58)
------------------------------------------------------------

(;_;)

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【49 マインドが不安の原因だ】3
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

この章の最後の部分です。

ここに……次のような言葉があります。

> 誰が存在することを愛さないというのだろう、あるいは自らの存
> 在を知らないというのだろうか?

この後半の部分には……まったく問題がありません。

いつも……この前半の部分で……微かな違和感が残っているのです。

つまり……ある種の嫌悪感への自己同化を……手放し切れないので
しょう……。

でも……それはただ……想念の流れが……かすかに滞っている……
というだけのことであるもの……わかっています。

では【49 マインドが不安の原因だ】の3回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解さ
 れることを願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、それを読んでいただければいいです。

------------------------------------------------------------
 質問者 しかし、今という瞬間には何の空間的広がりもありませ
     ん。私は誰でもない人に、無になってしまうでしょう!
 
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 無として、誰でもない人としてのあなたは安全で幸福なのだ。
 望むならば体験させてあげよう。
 試してみるがいい。
 
 だが、何が偶然で、何が自発的、自然なのかという点に戻ってみ
 よう。
 あなたは自然が規則的であり、偶然は混沌の兆候だと言った。
 私はその違いを否定し、原因の由来をたどれないとき、その出来
 事を偶然と呼ぼうと言った。
 自然のなかに混沌というものは存在しない。
 混沌は人のマインドのなかにだけ存在するのだ。
 マインドは全体を把握することができない。
 その焦点はたいへん狭いものだ。
 それは断片だけを見て、状況を察知しそこなう。
 それはある人が音は聞いても言語を理解せず、話し手のことを、
 無意味でわけのわからないことを話し、結局すべて間違いだと非
 難するようなものだ。
 ある人にとっては混沌とした音の流れが、別の人には美しい詩な
 のだ。
 
 ジャナカ王は、あるとき彼が乞食になった夢を見た。
 目覚めたとき、彼のグルであるヴァーシシュタに尋ねた。
 「私は乞食になった夢を見ている王でしょうか、あるいは王にな
  った夢を見ている乞食なのでしょうか?」
 グルは答えた。
 「あなたはそのどちらでもない。
  あなたはその両方だ。
  あなたは在る。
  だがあなたが考えているあなたではない。
  あなたはそのように在る。
  なぜなら、あなたはそれにしたがってふるまっているからだ。
  あなたはそれではない。
  なぜなら、それは永遠には続かないからだ。
  あなたは永遠に王や乞食として在ることができるだろうか?
  すべては変わっていかなければならない。
  あなたは変わらないものだ。
  そのあなたとは何か?」
 ジャナカは言った。
 「そのとおりです。
  私は王でも乞食でもありません。
  私は覚めた観照者です」。
 グルは言った。
 「あなたが普通の人々とは異なる、より優れたジニャーニだとい
  う考え、これがあなたの最後の幻想だ。
  またしても、あなたはマインドと自己同一化したのだ。
  この場合、正しい処し方であり、あらゆる面で模範となれるマ
  インドである。
  だが、ほんのわずかでも違いを見るかぎりは、あなたは実在の
  局外者なのだ。
  あなたはマインドのレベルにいる。
  『私は私自身だ』が去ったとき、『私はすべてだ』が現れる。
  『私はすべてだ』が去るとき、『私は在る』が来る。
  『私は在る』さえ去ったとき、ただ実在だけが在る。
  そして、そのなかですべての『私は在る』は維持され、栄光を
  与えられるのだ。
  分離のない多様性、それこそマインドが触れることのできる究
  極なのだ。
  その彼方では、すべての活動がやむ。
  なぜなら、そのなかですべての目的地は到達され、すべての目
  的は果たされるからだ」。
 
 質問者 ひとたび、至高の状態が到達されたら、それは他者と分
     かちあうことができるでしょうか?
 
 マハラジ
 至高の状態は、普遍の今、ここに在るものだ。
 すべての人がすでにそのなかで分かちあっている。
 それは存在の、知ることと愛することの状態だ。
 誰が存在することを愛さないというのだろう、あるいは自らの存
 在を知らないというのだろうか?
 しかし、私たちはこの意識的存在の歓びを利用しない。
 私たちはそのなかに入り、それとは異質なものすべてを浄化しよ
 うとしない。
 この精神的な自己浄化、精神の浄化は本質的なものだ。
 目に入ったゴミが炎症をひき起こし世界を視界から消し去るよう
 に、「私は身体―精神だ」という誤った観念は利己的関心を生み
 だし、宇宙を覆(おお)い隠す。
 限定された存在と分離された個人という感覚と闘うことは、その
 根本を取り去るまでは無駄なことだ。
 利己主義は自己の誤った観念のなかに根づいている。
 探求とはマインドの浄化なのだ。
 
                   『私は在る』(p248-249)
                  http://tinyurl.com/s747u
------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 しかし、今という瞬間には何の空間的広がりもありませ
>     ん。私は誰でもない人に、無になってしまうでしょう!
> 
> マハラジ
> まったくそのとおりだ。

(@_@)

> 無として、誰でもない人としてのあなたは安全で幸福なのだ。

なるほどぉ。

> 望むならば体験させてあげよう。
> 試してみるがいい。

試してみるがいい。(^_-)  \←……(\/U)

> だが、何が偶然で、何が自発的、自然なのかという点に戻ってみ
> よう。

はい。

> あなたは自然が規則的であり、偶然は混沌の兆候だと言った。

この質問者の方は……そう言ってましたね。

> 私はその違いを否定し、原因の由来をたどれないとき、その出来
> 事を偶然と呼ぼうと言った。

はい。

> 自然のなかに混沌というものは存在しない。

おう。(@_@)

あ……そうか……自然のなかにあるのは……あるがまま……だ。

> 混沌は人のマインドのなかにだけ存在するのだ。

わかりました。(-_-)

> マインドは全体を把握することができない。

はい。

> その焦点はたいへん狭いものだ。

確かに。

> それは断片だけを見て、状況を察知しそこなう。

わかります。

> それはある人が音は聞いても言語を理解せず、話し手のことを、
> 無意味でわけのわからないことを話し、結局すべて間違いだと非
> 難するようなものだ。

そうか。^^;

> ある人にとっては混沌とした音の流れが、別の人には美しい詩な
> のだ。

なるほど。

> ジャナカ王は、あるとき彼が乞食になった夢を見た。
> 目覚めたとき、彼のグルであるヴァーシシュタに尋ねた。
> 「私は乞食になった夢を見ている王でしょうか、あるいは王にな
>  った夢を見ている乞食なのでしょうか?」

(-_-)?

> グルは答えた。
> 「あなたはそのどちらでもない。

(@_@)

>  あなたはその両方だ。

あ……。

>  あなたは在る。

ああ……。(-_-)

>  だがあなたが考えているあなたではない。

はい。

>  あなたはそのように在る。
>  なぜなら、あなたはそれにしたがってふるまっているからだ。

そういうことか……。

>  あなたはそれではない。
>  なぜなら、それは永遠には続かないからだ。

あああ……なるほど。

確かに……永遠にそんなふうにふるまうことはできない。

>  あなたは永遠に王や乞食として在ることができるだろうか?

できません。

>  すべては変わっていかなければならない。

はい。

>  あなたは変わらないものだ。

(-||-)

>  そのあなたとは何か?」

……。

> ジャナカは言った。
> 「そのとおりです。
>  私は王でも乞食でもありません。
>  私は覚めた観照者です」。

うん。

> グルは言った。
> 「あなたが普通の人々とは異なる、より優れたジニャーニだとい
>  う考え、これがあなたの最後の幻想だ。

そうか……。(*-_-*)

>  またしても、あなたはマインドと自己同一化したのだ。

確かに。

>  この場合、正しい処し方であり、あらゆる面で模範となれるマ
>  インドである。

はい。

>  だが、ほんのわずかでも違いを見るかぎりは、あなたは実在の
>  局外者なのだ。

わかります。(-_-;)   (←……口ばっかり。(^_-) )

>  あなたはマインドのレベルにいる。

はい。

>  『私は私自身だ』が去ったとき、『私はすべてだ』が現れる。

あ……。(@_@)

>  『私はすべてだ』が去るとき、『私は在る』が来る。

はい。(@_@)O

>  『私は在る』さえ去ったとき、ただ実在だけが在る。

おお……。(-_-)

>  そして、そのなかですべての『私は在る』は維持され、栄光を
>  与えられるのだ。

(-_-;)   (←……わかってない。(^_-) )

>  分離のない多様性、それこそマインドが触れることのできる究
>  極なのだ。

「分離のない多様性」……それが……「マインドが触れることので
きる究極」……。

>  その彼方では、すべての活動がやむ。

はい。

>  なぜなら、そのなかですべての目的地は到達され、すべての目
>  的は果たされるからだ」。

(-||-)

> 質問者 ひとたび、至高の状態が到達されたら、それは他者と分
>     かちあうことができるでしょうか?

ああ……なるほど。

> マハラジ
> 至高の状態は、普遍の今、ここに在るものだ。

おお……。

> すべての人がすでにそのなかで分かちあっている。

そうなんだ。

> それは存在の、知ることと愛することの状態だ。

そういうことか……。

> 誰が存在することを愛さないというのだろう、あるいは自らの存
> 在を知らないというのだろうか?

(;_;)

> しかし、私たちはこの意識的存在の歓びを利用しない。

確かに。

> 私たちはそのなかに入り、それとは異質なものすべてを浄化しよ
> うとしない。

ああ……あ。(@_@)

そういうことか……。(-_-)

> この精神的な自己浄化、精神の浄化は本質的なものだ。

はい。

> 目に入ったゴミが炎症をひき起こし世界を視界から消し去るよう
> に、「私は身体―精神だ」という誤った観念は利己的関心を生み
> だし、宇宙を覆(おお)い隠す。

はい。(;_;)

> 限定された存在と分離された個人という感覚と闘うことは、その
> 根本を取り去るまでは無駄なことだ。

観念のレベルで……闘うことはできない。

> 利己主義は自己の誤った観念のなかに根づいている。

はい。

> 探求とはマインドの浄化なのだ。

わかりました。(-||-)

……。(-_-)

ありがとうございました……。<(_ _)>

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


      …………○…………○…………○…………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


      …………○…………○…………○…………



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■ 3.いただいたお手紙から:パールさん
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


      …………○…………○…………○…………


先週に続いて……パールさんからご投稿をいただきました。

早速ご紹介いたします。

【件名】: 真我その5
------------------------------------------------------------
 2回目の体験です。
 
 フーっと意識が地球の外に出て地球を見ています。
 すると、あちこちにいろいろな生活を送っている方や、とても
 惨めな人生を送っている方がポツン、ポツンと見えて来ました。
 ”あー、あれは自分だ”
 ”あの人生も自分だ”
 ”全部自分だ! 全部自分の人生だったんだ!!!”
 (地上の全ての魂が、全て自分だとの認識で、涙が止まりませ
 んでした)
 
 次の場面
 森羅万象、地球の景色の全てが右回りに大きく渦を巻き始めて
 溶け込んで行き、一つの大きな”無”の状態になってゆきまし
 た。
 そして、胸の奥のほうから「唯我独尊」という言葉が浮かび上
 がってきたのです。
 
 次
 宇宙がありました。
 フッと目が覚めてそれら宇宙の出来事が消えて行きました。
 「あ〜面白かったナ〜」と大きくあくびをしながら起き上がり
 ました。
 一人で、足けりをしながら、
 「一人じゃつまんないナ、そうだ又夢を見よう」
 (この宇宙は創造主の戯れ、何もなくて退屈な創造主が、夢を
 見て夢の中で楽しんでいる、みたいな映像でした)
 
 「甘い!!甘い!!!なんと言う甘さだろう」
 「いかなるものも、いかなる人もこれ程の甘さを与えてはくれ
 ない。なんと言う絶妙なる、妙なる、妙なる甘さだろう」
 この地上では絶対に味わえない深みのある、とても言葉では表
 現しようも無いほどの甘さの中に私の身体も意識も只々恍惚の
 状態で存在していました。
 
 その状態に心行くまで浸りながら時間が過ぎ、意識が戻ってき
 ました。
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パールさん……今回もありがとうございました。

ずいぶん……いろいろ体験なさっているんですねぇ。(@_@)

貴重な経験を……ありがとうございます。

次回も……楽しみにしています。

m(_ _)m


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■ 4.編集後記:自然の流れに沿って……流されていけば
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こうしていろいろな賢者の言葉を聞いて……自分が真我であるのは
……もう否定しようのないことだと……思っています。

自分は……間違いなく……真我である。

ただ……この身体を根拠にして……それに付加されてきた物語にま
つわる習慣や癖が……想念として湧いてくる……。

それらの想念への……これまた習慣的な……自己同化の癖も……も
ちろん……抜けていません。

でも……なにしろ……虚偽は虚偽だと知ったのですから……じょじ
ょに……幻影の力は……失せていくでしょう。

心配にエネルギーを注ぐことに……それほど価値を見いだしつづけ
られる……とは思えません。

自然の流れに沿って……流されていけば……いいと思っています。

セイラー・ボブさん……ほんとにすばらしいですね。

風邪など……引かれませぬように。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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