home > 通信 > 『アセンション館通信』第411号:認めるということ



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2012/2/19(第411号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンが
見ている風景の報告です。(なんちゃって。(*^_^*) )

現象のなかに得るべきものもなく、探求するその人もいないことが
納得されても、まだ惰性で書くことが起こっているので。(^^;)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在 892名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.認めるということ

2.写経ニサルガダッタ:
        【54 身体とマインドは無知の兆候だ】の3回目

3.編集後記:こんな表現をしてくれる人は……未だかつて
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■ 1.認めるということ
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今日もまた……素晴らしい天気……。

今朝がたは一面に薄い雪に覆われていたのに……もう視界から……
すでに雪は消えています。

いまは燦々と……日が降りそそいでいる……。

雪国では……まだ雪が降りつづいているのでしょうか。

こんなに天気を独り占めにして……という思いも湧くけれど……か
といって……誰がやっているわけでもないでしょうし……。

あるがままって……ほんとに……何なんでしょうねぇ。(-_-;)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

セイラー・ボブさん……読みつづけています。

受け側のパターンにも……よるのかもしれないけど……。

圧倒的ですね……。(-||-)

お陰さまで……こんなマハラジの言葉まで……聞こえてきました。

------------------------------------------------------------
 傷つけられたとき、あなたは泣く。
 どうしてだろう?
 なぜなら、あなたはあなた自身を愛しているからだ。
 あなたの愛を身体に閉じこめてはならない。
 開いておきなさい。
 そうすれば、それはすべてへの愛となる。
 すべての偽りの自己同一化が捨て去られたとき、すべてを包容す
 る愛が残る。
 あなたに関する考えをすべてぬぐい去りなさい。
 あなたが神だという考えさえも捨て去りなさい。
 いかなる自己定義も正当ではない。
                     『私は在る』(p213)
                  http://tinyurl.com/s747u
------------------------------------------------------------

> 傷つけられたとき、あなたは泣く。

はい。

> どうしてだろう?

どうしてなのかって (@_@) ……そんなこと今更訊かれても……。

どうしてなんだろう。(?_?)

> なぜなら、あなたはあなた自身を愛しているからだ。

あ……なるほど。(@_@)

そういうわけか……。

マハラジが……いい加減なことを言うはずもないし……。

> あなたの愛を身体に閉じこめてはならない。

あれ……。(*-_-*)

> 開いておきなさい。

はい。

> そうすれば、それはすべてへの愛となる。

わかりました。

> すべての偽りの自己同一化が捨て去られたとき、すべてを包容す
> る愛が残る。

そうか……。(-_-)

> あなたに関する考えをすべてぬぐい去りなさい。

はい。

> あなたが神だという考えさえも捨て去りなさい。

わかりました。

あんまり……神だと思ったこともないけど。(^_-)

> いかなる自己定義も正当ではない。

こいの……おいら好きぃ……。(*-_-*)

そのようなマハラジの……慈悲の形は……こんなふうに顕れます。

------------------------------------------------------------
 ただ自己知識だけがあなたを助けることができるのだ。
 自己知識ということで、私はあなたが何ではないのかということ
 の完全な知識を意味している。
 そのような知識は到達可能であり、最終的なものだ。
 だが、あなたが何であるかを発見していくことに終焉はありえな
 い。
 発見していけばいくほど、より多く発見することが残るのだ。
 
                     『私は在る』(p499)
------------------------------------------------------------

> ただ自己知識だけがあなたを助けることができるのだ。

そのとおりです……。

ありがとうございます。(-||-)

> 自己知識ということで、私はあなたが何ではないのかということ
> の完全な知識を意味している。

そういうことだった……。

> そのような知識は到達可能であり、最終的なものだ。

はい。

それが……マインドが到達できる……最終的なものなんだ……。

> だが、あなたが何であるかを発見していくことに終焉はありえな
> い。
> 発見していけばいくほど、より多く発見することが残るのだ。

本当に……そうです。

このニサルガダッタの言葉の意味を……ボブさんは……次のように
表現します。

------------------------------------------------------------
 質問者 あなたがニサルガダッタに会いに行ったとき、何が起こ
     ったのですか?
 
 ボブ
 私はニサルガダッタが指摘していることをただ理解したのです。
 
 質問者 彼が言ったことで、あなたが本当に納得したのはどんな
     ことですか?
 
 ボブ
 彼はこう言いました。
 自分が人を助ける唯一の方法は、その人をもはや助けが必要でな
 い場所へ連れて行くことだ、と。
 さて、それが本当に意味しているのは、探求の終わりということ
 ではありませんか?
 彼は、私が自分自身だと思い込んでいるものではないことを指摘
 することで、それをやってくれました。
 私はこの肉体でもなければ、心でもありませんでした。
 私はこの肉体でないことを見ることができました――私はこの心
 でもありませんでした。
 彼がたえず言い続け、指摘し続けたことは、私が自分自身につい
 て抱いているイメージ、考え、想像のすべては頭でこしらえたも
 ので、真実ではない、ということでした。
 
                  『ただそれだけ』(p150-151)
                 http://tinyurl.com/7o89r5x
------------------------------------------------------------

> 彼はこう言いました。
> 自分が人を助ける唯一の方法は、その人をもはや助けが必要でな
> い場所へ連れて行くことだ、と。

ありがとうございます。(-||-)

ほんとに……そうですよね。

> さて、それが本当に意味しているのは、探求の終わりということ
> ではありませんか?

ここです。(@_@)

まさに……そのとおりなんですよ。

探求が……終わるということです。

だから……覚者たちは……「無欲」と「智慧」は……同じものだと
……言うわけでしょう。

> 彼は、私が自分自身だと思い込んでいるものではないことを指摘
> することで、それをやってくれました。

ボブさんはそれを……もう誰の助けもいらないほどに……理解した。

ならばわれわれも……そのように理解すればいいわけですよね。

もう誰の助けも……必要としないほどに……。

> 私はこの肉体でもなければ、心でもありませんでした。

われわれは……自分の呼吸すら……管理していない。

われわれは……自分が思考内容すら……それがどこからか提供され
るまでは……知らない。

> 私はこの肉体でないことを見ることができました――私はこの心
> でもありませんでした。

この肉体も……湧いてくる想念も……“わたしという想念”が……
管理できるようなものではなかった。

“わたしという想念”自体が……肉体や……他の想念と同じく……
ただ……「認識する空」に……湧いているだけだった。

> 彼がたえず言い続け、指摘し続けたことは、私が自分自身につい
> て抱いているイメージ、考え、想像のすべては頭でこしらえたも
> ので、真実ではない、ということでした。

まったくです……。

その“頭でこしらえたもの”自体が……わたしがこしらえたもので
はなく……ただ……「認識する空」に……湧いているだけだった。

このことは……間違いなく……理解できます……。

というか……このこと自体は……じつは……われわれがそれを認め
るかどうかに依存しない……端的な事実でしょうね。

事実は……事実です……。

それを……われわれの理解や趣味で……どうすることもできない。

では……この端的な事実を理解し……その後その事実と共に生きて
きて……ボブさんはいま……どんなふうに生きているのか?

------------------------------------------------------------
 質問者 ボブ、三十年前に起こったこの理解、この覚醒について、
     あなたは先日、長年かかって、しだいに明確に言えるよ
     うになったと言いました。それでは現在、日々どんな感
     じなのか、何か言ってもらえませんか?
 
 ボブ
 それについてはたいして言うことがありません。
 太陽が昇り、空を移動し、それから沈みます。
 物事は起きますが、それのどれもあまり心配ではありません。
 もし何か為される必要があれば、それは為されるかそうでないか、
 です。
 もしそれが今、為されないなら、それは翌旧、為されるでしょう。
 また何かを欲しいと思うこともありません。
 今の瞬間、特に何も欲しいものがありません。
 何かを欲しいと思うような瞬間も、来るかもしれません。
 
 そうした欲求は満たされるか満たされないかのいずれかですが、
 かつてのように、いつまでもずるずると心にそれを抱え込んだり
 することはありません。
 
                  『ただそれだけ』(p147-p148)
------------------------------------------------------------

> それについてはたいして言うことがありません。

(-_-)?

> 太陽が昇り、空を移動し、それから沈みます。

(@_@)

> 物事は起きますが、それのどれもあまり心配ではありません。

うん。

> もし何か為される必要があれば、それは為されるかそうでないか、
> です。
> もしそれが今、為されないなら、それは翌旧、為されるでしょう。

はははは……。(*^_^*)

こうですからねぇ。(^_-)

これくらいの科白なら……われわれだって言えますよね。

「もし何か為される必要があれば、それは為されるかそうでないか、
 です。
 もしそれが今、為されないなら、それは翌旧、為されるでしょう」

文句あっか……ははは……。

> また何かを欲しいと思うこともありません。

はい……なんか……そういう感じもありますよね。

> 今の瞬間、特に何も欲しいものがありません。

ええ。

> 何かを欲しいと思うような瞬間も、来るかもしれません。

これこれ……すばらしい……。

> そうした欲求は満たされるか満たされないかのいずれかですが、
> かつてのように、いつまでもずるずると心にそれを抱え込んだり
> することはありません。

たしかに……そうだよなぁ……。

ボブさんからこれだけの科白を聞き……その言葉を理解したら……
さてそのあと……われわれに……何が起こるのか……。

質問者は……阿吽の呼吸で……ボブさんから必要な科白を……引き
だしていきます。

------------------------------------------------------------
 質問者 あなたが人生を振り返ると、ある特定の人格、特定のパ
     ターン、短気とか、気性が荒いとか、怒りやすいとか、
     そういったことがありましたね。そういった基本的パタ
     ーンはまだそこにあるのですか?
 
 ボブ
 それは、このパターンを通して現れている生まれつきの特徴と、
 私が呼んでいるものです。
 その観念は、ここで受け入れられていず、参照点ないし自己中心
 は実在するものとは捉えられていないので、何の苦しみもありま
 せん。
                     『ただそれだけ』(p148)
------------------------------------------------------------

こういうことなんだなぁ……。

“生まれつきの特徴”といっても……それは単に浮上する観念にす
ぎないので……参照点という拠り所がないと……集積できない。

ただ……消えていくしかないわけでしょう。

そして……ボブさんのすごいのは……ここです。

------------------------------------------------------------
 質問者 ということは何も起こらなかったし、何も変化していな
     い、ということですか?
 
 ボブ
 はい、何も変化していません。
 生きることは、もはや分離した一個の実体の観点から為されてい
 るのではありません。
 あなたは、ただ生きることそのもの、役割そのもの、パターン化
 そのものです。
 以前に戻って、何らかの実質や独立した性質を持った実体がある
 と信じることは、どうしてもできないのです。
 
 もし今それがここにないなら、それは一度もここにあったはずが
 ありません。
 過去に怒りっぼく、あらゆる感情が湧き起こったとしても、それ
 をやっているどんな実体もいなかったのです。
 とはいえ当時は、それをやっている実体がいると信じられていた
 わけですけれど。
 それはただ起こっているのです。
                  『ただそれだけ』(p147-p148)
------------------------------------------------------------

> 質問者 ということは何も起こらなかったし、何も変化していな
>     い、ということですか?
> 
> ボブ
> はい、何も変化していません。

ガーン?! (*_*) ⌒★?

この科白……。(@_@)

> はい、何も変化していません。

最高ぉー。\(^O^)/

> 生きることは、もはや分離した一個の実体の観点から為されてい
> るのではありません。

そう……生きているのは<生命>……「認識する空」だけ……。

> あなたは、ただ生きることそのもの、役割そのもの、パターン化
> そのものです。

現れは……ときにボブとなり……ときにどこの誰兵衛となる……。

> 以前に戻って、何らかの実質や独立した性質を持った実体がある
> と信じることは、どうしてもできないのです。

いったん理解してしまったら……もう元には戻れない……。

> もし今それがここにないなら、それは一度もここにあったはずが
> ありません。

まったくです。

> 過去に怒りっぼく、あらゆる感情が湧き起こったとしても、それ
> をやっているどんな実体もいなかったのです。

そういうことです。

> とはいえ当時は、それをやっている実体がいると信じられていた
> わけですけれど。

とはいえこれまでは……それをやっている実体がいるという信念が
起こっていたわけですが。

> それはただ起こっているのです。

それはただ起こっている……まさに……。

それについて考えなければ……今この瞬間に……なにか悪いことが
あるでしょうか?

まあ……そういうわけなんでしょうねぇ。

また少し……『What's Wrong with Right Now?』から……拾い読み
しましょうか。

ますます……自明になるかもしれないし……ヒントもあるかもしれ
ないし。

------------------------------------------------------------
 質問者 自分がまだ個人だと信じている人、名前をもった人格だ
     と信じている人に、あなたはどう言うのでしょうか? 
     あなたは彼らに何をするように言いますか?
 
 そうですね、もし誰かが私のところに来て「私は真実を探求して
 いる」とか「実在を求めている」と言ったら、私は「あなたはすで
 に、あなたが求めているものです」と言うでしょう。
 ですから際限なく探求しつづけるのはバカげたことです。
 探求がはじまる唯一の場所はマインドのなかです。
 それ以外のどこからも始まることはありえないし、マインド以外
 のどこでもそれを継続することはできません。
 マインドのなかを探求しつづけるのはバカげていると自分で理解
 するか、もしくはそれを指摘されたら、何が起こるでしょうか?
 もし私があなたに「ストップ! 探求は終わりです」と言ったら、
 あなたならどうしますか?
 一瞬、止まりませんか?
 その停止のなかで、自分は「消滅しなかった」、「バラバラにな
 らなかった」、「崩壊しなかった」、「思考するマインドがなく
 てもまだ存在している」と実感するのではないでしょうか?
 するとそこに、私たちが見た目で信じているものはすべてマイン
 ドに依存している、という理解の一瞥があるに違いありません。
 
 マインドなしでも依然としてその機能は起こっているのです。
 まだ息をしているし、聞こえているし、見えているし、考えてい
 るし、味わっているし、触れているし、匂いを嗅いでいます。
 これまで何年も実権を握っていると見せかけてきたそのマインド
 がなくても、依然として生きることは起こっています。
 いったん一瞥があり、その機能が起こっていることがわかると、
 それは沈黙という場所だと理解されます。
 これが瞑想者たちの目的で、マインドをなだめて沈黙という場所
 にいさせることです。
 それが間違った方法だと私が言うのは、マインドを静かにさせる
 には、マインドをなだめるためにマインドを使わねばならず、そ
 れはすべて、マインドのなかの葛藤だからです。
 ひとつの思考が別の思考を相手に闘っているわけです。

 マインドのなかには解答はないという事実をただ見ることのなか
 で、あなたはそれから解放されています。
 それはちょうど家の台所に時計を置いてきたことを知っているの
 に、ここに来て自分の腕時計を探すようなものです。
 それをここで探すのはバカげています。
 二十年も三十年もあなたは探求し、マインドのなかに解答を求め
 てきて、けっしてそれを見つけることはありませんでした。
 しかし、マインドを使って他のたくさんの問題を解決しているの
 だから、あなたはバカではない。
 でも、人生に対する解答はマインドのなかには見つからなかった。
 マインドのなかを探すのは無駄だと理解するときが、かならず来
 るに違いありません。
 そこに解答はないと諸伝統が教えているのだから、なおさらです。
 
 質問者 マインドのなかを探し求めることの不毛性に関しては、
     あなたがいつも言っているのは、偽りは調査に耐えられ
     ないということです。では私たちはどのように調査を始
     めるのでしょうか?
 
 あなたが絶対の確信をもつ唯一の現実――あなた自身の存在とい
 うその事実に戻ることです。
 その他のすべては精神的観念です。
 しかしあなたは自分の存在を否定することはできません。
 その存在、つまり「私は在る」という想念にとどまることです。
 それがあなたがマインドで到達できる存在と最も近いものです。
 それが最初の想念です。
 そこにとどまること、そこに戻ることです。

 質問者 「私は在る」という想念にとどまることを、あなたは
     どう定義しますか?
 
 それが「私はこれだ」や「私はあれだ」へと動いたらいつでも、
 それをただの「私は在る」に戻すことです。
 あるいは「私は在る」というただの存在に、愛を込めて気づいて
 いることです。
 「私は在る」に対して温かくしてください。
 その「私は在る」を愛してください。
 それがマインドがそこに入っていく最初の場所です。
 しばらくすると、自分が存在することを知るために「私は在る」
 と言う必要はないとあなたは理解するでしょう。
 あなたはいつでもそれを知っています。
 「私は在る」「私は在る」と、何度も繰り返して言う必要はあり
 ません。
 あなたはそれでも機能しているし、生きることは継続していて、
 他の思考がやってきており、他の行動が起こりますが、すべては
 そのマインドを介して言うなら「私は在る」という想念として表
 現される存在の感覚に戻ってきます。
 それこそがあなたが否定できないたったひとつの実在です。
 
 充分な時間をそれとともにいて、それに愛を向ければ、その温か
 さに対して現象でも応答があります。
 その温かさは精神的な温かさにすぎないかもしれませんが、その
 温かさに対して現象上の応答があり、その温かさはあなたの存在
 をつうじ、あなたの身体をつうじ、あなたのマインドをつうじて
 コンコンと湧き出てきます。
 それはその存在を満たして、必要な変化をもたらします。
 
 質問者 それは、あたかもそれが認められたようなものですか?
 
 まさにそのとおり。
 それはすばらしい言い方です。
 『聖書』にはつぎのような一節があります。
 「心を尽くして神を認めよ、さらば神も汝に道を示す」と。
 たいていの人はそれを外側にいる誰かの意味に解釈していますが、
 その意味はあなたであるそのエッセンス、その知性を認めること
 なのです。
 それを認めることのなかで、それをつうじて指示が来るのです。

           『What's Wrong with Right Now?』(p93-95)
                 http://tinyurl.com/7d3dnqf
------------------------------------------------------------

うーむ。

認めるということ……か。

ヒントどころではないな。(*-_-*)

すばらしい……。

(-||-)

------------------------------------------------------------
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
                    『あるがままに』(p58)
                 http://tinyurl.com/2aar6zj
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:
        【54 身体とマインドは無知の兆候だ】の3回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

いろんな質問者がいますよね。

頑なに自分の枠組みに固執する質問者には……ときには……覚者の
言葉は……詩的な表現ともなるようです。

> ヴィヤクティ(個人)はかすかにゆらめき、ヴィヤクタ(気づき)
> はすべての時間と空間を内包する。
> アヴィヤクタ(絶対なるもの)は――在るのだ。

「絶対なるものは――在る」……。

これが……自分の存在を否定できない者の……本質なんですね。

では【54 身体とマインドは無知の兆候だ】の3回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解さ
 れることを願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、それを読んでいただければいいです。

------------------------------------------------------------
 質問者 私はまるで、箱のなかの箱のなかの箱のようです。外側
     の箱は身体としてあり、その内側の箱には、内在する魂
     がいるのです。その外側の箱を取り去ると、つぎの箱は
     身体で、そのつぎは魂です。それは無限の連続なのです。
     かぎりなく箱を開けていくと、最後に残るものが究極の
     魂なのでしょうか?
 
 マハラジ
 もしあなたが身体をもつならば、魂ももたねばならないだろう。
 そうだとすれば、あなたの一組の箱の直喩もあてはまるだろう。
 しかし、今ここで、あなたの身体と魂を通して純粋な普遍なる意
 識(チット)の光、覚醒が輝いているのだ。
 それを確固としてつかみなさい。
 覚醒なしには、身体は一秒さえも生きることができない。
 身体のなかには、エネルギー、愛情、知性の流れが存在する。
 それが身体を導き、維持し、活力を与えるのだ。
 その流れを発見し、それとともに在りなさい。
 
 もちろん、これらすべては言葉の例えにすぎない。
 言葉は橋を架けることもできれば、障害にもなりうる。
 あなたの身体の繊維を織り成す生命の気を見いだし、それととも
 に在りなさい。
 それが身体のもつ唯一の本質なのだ。
 
 質問者 死後、生命の気には何が起こるのでしょうか?
 
 マハラジ
 それは時間を超えている。
 誕生と死は時間のなかの点にすぎない。
 生命はその無数の綾を永遠に織り成していく。
 織り込んでいくことは時間のなかにあるが、生命そのものは永遠
 だ。
 あなたがその表現にどんな名前と形を与えようとも、それは大海
 のように、けっして変化せず、つねに変化しつづけていくのだ。
 
 質問者 あなたの言われることはすべて、美しく、得心がいくも
     のです。それでもなお、この奇妙で異質な、しばしば敵
     意に満ちた危険な世界のなかに、個人として在るという
     感覚は消えません。個人として時間と空間のなかに限定
     されながら、どのようにして私はその反対である、何も
     特定化されていない、非個人化され、普遍化された気づ
     きとしての真我を実現できるというのでしょうか?
 
 マハラジ
 あなたはあなたではないものをあなただと主張し、本来のあなた
 であるものを否定している。
 あなたはすべての個人的な歪曲(わいきょく)から自由である気
 づきの純粋な認識の原理を忘れているのだ。
 あなたが普遍なる意識(チット)の実在を認めないかぎり、あな
 た自身を知ることはけっしてないだろう。
 
 質問者 私はどうすればよいのでしょうか? 私にはあなたが見
     ているように、私自身を見ることはできません。おそら
     く、私が間違っていて、あなたが正しいのかもしれませ
     ん。しかし、どのようにして私の感じている私自身とし
     て在ることをやめることができるというのでしょうか?
 
 マハラジ
 自分自身を乞食だと信じきっている王子を、決定的に確信させる
 方法はただひとつしかない。
 彼に王子としてふるまうようにさせるのだ。
 そうして何が起こるかを見てみなさい。
 私の言ったことが、あたかも真実であるようにふるまってみなさ
 い。
 そして実際に何が起こるか判断するがいい。
 私が求めるのは、第一歩を踏みだすために必要なわずかな信頼だ
 けだ。
 体験とともに、確信がやってくる。
 そうすれば、あなたは私をもう必要としないだろう。
 私はあなたが何なのか知っている。
 だから、私はあなたに伝えているのだ。
 しばらくの間、私を信頼してほしい。
 
 質問者 今ここに在るため、私には身体とその感覚が必要です。
     理解するためには、マインドが必要なのです。
 
 マハラジ
 身体とマインドは単なる無知、誤解の兆候にすぎないのだ。
 あなたが身体もマインドも超え、時間と空間も超え、「どこで」、
 「いつ」、「どのように」をも超えた、純粋な気づきとしてある
 かのごとくふるまいなさい。
 それに思いをめぐらしなさい。
 その真実性を受け入れることを学びなさい。
 いつまでも反対したり、拒否したりしてはならない。
 少なくとも、心を開きなさい。
 ヨーガ(探求)とは外面が内面に従うことなのだ。
 あなたのマインドと身体に、すべてでありすべてを超えた実在を
 表現させなさい。
 議論することによってではなく、為(な)すことによってあなた
 は達成するのだ。
 
 質問者 どうか私の最初の質問に戻らせてください。個人として
     在るという過ちの原因はどこにあるのでしょうか?
 
 マハラジ
 絶対なるものは時間よりも優位を占める。
 まず、気づきが最初に現れる。
 一組の記憶と精神的習慣が注意を引きつけ、気づきがそこに焦点
 を集中させると、突然個人が出現するのだ。
 気づきの輝きを取り去ってみなさい。
 眠りにつくか、気絶すると、個人は消滅してしまう。
 ヴィヤクティ(個人)はかすかにゆらめき、ヴィヤクタ(気づき)
 はすべての時間と空間を内包する。
 アヴィヤクタ(絶対なるもの)は――在るのだ。
 
                   『私は在る』(p272-274)
                  http://tinyurl.com/s747u
------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 私はまるで、箱のなかの箱のなかの箱のようです。外側
>     の箱は身体としてあり、その内側の箱には、内在する魂
>     がいるのです。その外側の箱を取り去ると、つぎの箱は
>     身体で、そのつぎは魂です。それは無限の連続なのです。
>     かぎりなく箱を開けていくと、最後に残るものが究極の
>     魂なのでしょうか?

うーむ。

> マハラジ
> もしあなたが身体をもつならば、魂ももたねばならないだろう。

なるほど……そういうことか。

> そうだとすれば、あなたの一組の箱の直喩もあてはまるだろう。

はい。

> しかし、今ここで、あなたの身体と魂を通して純粋な普遍なる意
> 識(チット)の光、覚醒が輝いているのだ。
> それを確固としてつかみなさい。

それだけ知っていれば……それでいいんですね。

> 覚醒なしには、身体は一秒さえも生きることができない。

わかります。

> 身体のなかには、エネルギー、愛情、知性の流れが存在する。

ボブさんの言う……「知性エネルギー」ですね。

> それが身体を導き、維持し、活力を与えるのだ。

はい。

> その流れを発見し、それとともに在りなさい。

はい。

> もちろん、これらすべては言葉の例えにすぎない。

わかります。

> 言葉は橋を架けることもできれば、障害にもなりうる。

確かに。

> あなたの身体の繊維を織り成す生命の気を見いだし、それととも
> に在りなさい。
> それが身体のもつ唯一の本質なのだ。

身体を……生かしているもの。

> 質問者 死後、生命の気には何が起こるのでしょうか?

何も起こらないものには……何も起こらないのでは……。

> マハラジ
> それは時間を超えている。

はい。

> 誕生と死は時間のなかの点にすぎない。

はい。

> 生命はその無数の綾を永遠に織り成していく。
> 織り込んでいくことは時間のなかにあるが、生命そのものは永遠
> だ。

了解です。

> あなたがその表現にどんな名前と形を与えようとも、それは大海
> のように、けっして変化せず、つねに変化しつづけていくのだ。

ああ……。

> 質問者 あなたの言われることはすべて、美しく、得心がいくも
>     のです。それでもなお、この奇妙で異質な、しばしば敵
>     意に満ちた危険な世界のなかに、個人として在るという
>     感覚は消えません。個人として時間と空間のなかに限定
>     されながら、どのようにして私はその反対である、何も
>     特定化されていない、非個人化され、普遍化された気づ
>     きとしての真我を実現できるというのでしょうか?

うう。

> マハラジ
> あなたはあなたではないものをあなただと主張し、本来のあなた
> であるものを否定している。

はい。

> あなたはすべての個人的な歪曲(わいきょく)から自由である気
> づきの純粋な認識の原理を忘れているのだ。

(-_-)

> あなたが普遍なる意識(チット)の実在を認めないかぎり、あな
> た自身を知ることはけっしてないだろう。

わかります。

> 質問者 私はどうすればよいのでしょうか? 私にはあなたが見
>     ているように、私自身を見ることはできません。おそら
>     く、私が間違っていて、あなたが正しいのかもしれませ
>     ん。しかし、どのようにして私の感じている私自身とし
>     て在ることをやめることができるというのでしょうか?

その気持ち……よくわかります。

> マハラジ
> 自分自身を乞食だと信じきっている王子を、決定的に確信させる
> 方法はただひとつしかない。

え。(?_?)O

> 彼に王子としてふるまうようにさせるのだ。

ああ……。

> そうして何が起こるかを見てみなさい。
> 私の言ったことが、あたかも真実であるようにふるまってみなさ
> い。

この道を……たどれる人も……いるかな……。

> そして実際に何が起こるか判断するがいい。

この質問者は……それが可能なタイプだったのかしら。

> 私が求めるのは、第一歩を踏みだすために必要なわずかな信頼だ
> けだ。

はい。

> 体験とともに、確信がやってくる。

確かに。

> そうすれば、あなたは私をもう必要としないだろう。

はい……そのことを……伝えようとなさっているんですよね。

> 私はあなたが何なのか知っている。

百パーセント確実に……知っている。

> だから、私はあなたに伝えているのだ。

はい。

> しばらくの間、私を信頼してほしい。

(;_;)

> 質問者 今ここに在るため、私には身体とその感覚が必要です。
>     理解するためには、マインドが必要なのです。
> 
> マハラジ
> 身体とマインドは単なる無知、誤解の兆候にすぎないのだ。

こういう言葉に……同感できるようになりました。

> あなたが身体もマインドも超え、時間と空間も超え、「どこで」、
> 「いつ」、「どのように」をも超えた、純粋な気づきとしてある
> かのごとくふるまいなさい。

そうか……。

それも……事実だしなぁ……。

> それに思いをめぐらしなさい。

はい。

> その真実性を受け入れることを学びなさい。

はい。

> いつまでも反対したり、拒否したりしてはならない。

(^-^)

> 少なくとも、心を開きなさい。

やっぱり……心を開くことは……最小限必要ですよね。

> ヨーガ(探求)とは外面が内面に従うことなのだ。

そういうことか……。

> あなたのマインドと身体に、すべてでありすべてを超えた実在を
> 表現させなさい。

なるほど。

> 議論することによってではなく、為(な)すことによってあなた
> は達成するのだ。

はい。

> 質問者 どうか私の最初の質問に戻らせてください。個人として
>     在るという過ちの原因はどこにあるのでしょうか?

わたしがここに来たことの……原因はどこにあるのでしょうか……
と訊くとよかったかも……。(^_-)    \←……(\/U)

> マハラジ
> 絶対なるものは時間よりも優位を占める。

あ……はい。(-_-)

> まず、気づきが最初に現れる。

はい。

> 一組の記憶と精神的習慣が注意を引きつけ、気づきがそこに焦点
> を集中させると、突然個人が出現するのだ。

そうか……。

> 気づきの輝きを取り去ってみなさい。

え。(?_?)O

> 眠りにつくか、気絶すると、個人は消滅してしまう。

あ……そういう意味か……。

確かに。

> ヴィヤクティ(個人)はかすかにゆらめき、ヴィヤクタ(気づき)
> はすべての時間と空間を内包する。

なるほど。

> アヴィヤクタ(絶対なるもの)は――在るのだ。

おお……。

(-||-)

……。(-_-)

ありがとうございました……。<(_ _)>

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


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■ 3.編集後記:こんな表現をしてくれる人は……未だかつて
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マハラジの表現が……マハルシの表現と異なるのは……とても……
ありがたいことだと……思っていました。

そしたら……ボブさんの表現が……これまた……マハラジの表現と
は……大いに異なる……。

これがまた……なんとも……ありがたい。(-||-)

何がありがたいといって……、

> 質問者 ということは何も起こらなかったし、何も変化していな
>     い、ということですか?
> 
> ボブ
> はい、何も変化していません。

こんな表現をしてくれる人は……未だかつて……なかった。(-||-)

こういう表現が……どうしても必要なパターンも……あるんですよ。

実際……何も変化なんか……しないわけですから。

これまでいると思っていた求めている者が……ただいなかった……
というだけのことなのだから……。

いつの間にか……昏くなって……急に寒くなって来ました。

風邪など……引かれませぬように。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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