home > 通信 > 『アセンション館通信』第412号:自己は非自己を知らない



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2012/2/26(第412号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンが
見ている風景の報告です。(なんちゃって。(*^_^*) )

現象のなかに得るべきものもなく、探求するその人もいないことが
納得されても、まだ惰性で書くことが起こっているので。(^^;)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在 890名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.自己は非自己を知らない

2.写経ニサルガダッタ:【17 常在するもの】

3.いただいたお手紙から: T-rocknさん

4.編集後記:偽りは……いちど偽りだと見破られたら
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■ 1.自己は非自己を知らない
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今日は……久しぶりの雨です。

中景と遠景が……ほとんど霧に隠れているけど……。

これがちょっと間を置くと……変わるんですよね。

霧のなかから風景が現れると……なかなかいいですよ……。(^^;)

お! (@_@)

ほんとに……一瞬で……変わってしまう。

下の方の視界が……すっかり開けて……。

いまは季節柄でしょうか……川合玉堂とか……菱田春草ふうの……
色合いの風景になるんですね……。

あ……今度は……遠景が……いっさい消えてしまった……。(@_@)

くっきりと……切り抜いたような風景が……眼下に広がる。

あ……一段と……明るさが増してきた……。

夢だなぁ……。(-_-;)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

実在の真実に関するかぎり……マインドのなかには何もない……。

現れのなかにも……思いのなかにも……一切の体験のなかには……
何もない……。

そうであることを……ただ自明のこととして知っている……。

「私は在る」……。

それ以外は……すべて夢だと……知っている……。

あらゆる体験は……その「私は在る」の上に現れる……つかの間の
……風景です……。

それ以上でも……それ以下でもない。

端的に言うと……わたしというパターンが……求めていた理解とは
……そういうことだったようです。

現れのなかに……固有の意味は……ありません。

思いが紡ぐ意味が……つかの間の華やぎのなかで……点滅するだけ。

だから……無論……ある意味で……想像され捏造された意味は……
すべてあるとも言えます。

実在するという意味ではなく……つかの間の現れとして……幻想さ
れた個人のなかで……消費されるという意味で。

現れのなかの意味は……文脈のなかでしか……顕現できません。

文脈はすべて……二元性のなかにしか……ありえません。

マインドは……現象世界という……幻想を生み出すための……道具
なのでしょうね。

現象として現れるために……対極間の相互作用としてしか機能しえ
ない……マインドという道具が……用意されている。

マインドという……解釈機能を通せば……そう翻訳される……それ
はことなのかもしれません。

全知……全能……遍在……の実在……つまり……あなたやわたしが
……寂しかったのか……。(-_-)

とにかく……真我以外に……その原因を探すことはできません。

なぜなら……実在するのは……真我だけなのですから。

マハルシも……こう言って……保証してくださっている。

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 この宇宙は何のなかに存在するのだろうか。
 このすべては何なのだろうか。
 それは何から生じたのだろうか。
 何のために、何によって、それは姿を現したのだろうか。
 それは何で構成されているのだろうか。
 ただ真我だけがその原因である。
                     『静寂の瞬間』(p1)
                  http://tinyurl.com/m2wjhu
------------------------------------------------------------

(-||-)

とはいえ……真我は……自ら存在を可能にした……世界のことは…
…あまり知らないようです。(^_-)

いや……もちろん……知らないわけでもないかもしれません。

ただ……そのような……偽りの幻影を生みだす……オモチャのこと
など……覚えている必要も……ないのでしょう。

第一……意識を可能にしたとは言え……実在が意識につきあう必要
など……はじめから……あるはずもないのですから。

何よりも……真我は……非自己を……知らない。

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 太陽が暗闇を知らないように、自己は非自己を知らない。
 他者を知ることで他者に成ってしまうのはマインドなのだ。
 それにもかかわらず、マインドこそがほかでもない自己なのだ。
 自己は他者、非自己になり、しかも自己として残る。
 それ以外のすべては見せかけにすぎない。
                     『私は在る』(p222)
                  http://tinyurl.com/s747u
------------------------------------------------------------

こういう融通無碍の言葉に……悩むのは……マインドです。(^_-)

自己 = 自己 (自同律)

自己 ≠ 非自己(排他率)

マインドは……この合理的論理の……統治下にあります。

二元性の原理に支配される……現象世界を展開するには……それし
か方法がないからです。

いわば現象世界は……定義を担うための仕組み……とも言えます。

そこでは……「A」という定義を担うとは……「B」という定義を
排除する……ということなのです。

「A=A」と同時に……「A=B=C」も……許容したのでは……
現象世界を創造することは……できません。

現象世界を構築するための……この基幹構造に……嫌悪感を表明し
たのが……日本の哲学的文学者……埴谷雄高さんでした。

埴谷さんの≪自同律の不快≫については……書いたことがあります。
http://ohah.net/~pari/mm/vol346.html#1

それは……ある意味で……現象世界ににじみだした……実在からの
メッセージとも……言えるかもしれません。

埴谷さんは……現象世界のなかの誰かであることを……否定したわ
けではありません。

でも……現象世界のどこかに……まるで昆虫標本のように……ピン
で止められることには……嫌悪感を表明したわけです。

「私は私だ」と言いたいけれど……それが同時に「お前はお前以外
ではない」ということになるのは……嫌だと。

これは……自ら現象世界に所属すると……宣言した者の……負わざ
るをえない……十字架です。

しかし……現象世界に所属していることを……はじめから否定して
いるマハラジは……そんなことを気にする必要はありません。

だから……こういうことが……自由にいえる。(^^;)

> 太陽が暗闇を知らないように、自己は非自己を知らない。

ここまでは……とても“論理的”です。

> 他者を知ることで他者に成ってしまうのはマインドなのだ。

なるほど。(@_@)

マインドが……自ら買って出た……不幸でしょうねぇ。

> それにもかかわらず、マインドこそがほかでもない自己なのだ。

うーむ。(-_-;)

> 自己は他者、非自己になり、しかも自己として残る。

これで……論理は……本当にお手上げです。(^^;)

> それ以外のすべては見せかけにすぎない。

ははは。(*^_^*)

まあ……こういうことを自在に言える立場を……獲得したいと思っ
たら……現象世界での既得権益を……すべて捨てるしかない。

そしてここでも……自分以外の誰も……邪魔している者は……いな
いわけです。

自己は非自己を知らない……。

……。(-_-)

若干……脱線しましたが……実在するのは……真我だけです。

でも……真我だけでは……現れることは……できない。

なぜなら真我は……全知……全能……遍在……であり……自分以外
を……知ることはできないからです。

しかし……全知……全能……遍在である……実在が……自分以外を
“知りえない”……というようなことが……あっていいのか?

全知……全能……遍在……とは……すべてを知り……あらゆる能力
をもつ……存在するすべて……という意味ではないのか。

ならば……それが……たかだか……自分以外という幻影程度すら…
…“知りえない”……というのは……いかがなものか? (-_-;)

と……真我が悩んだ……とは……思いませんが。(^_-)

というのも……、


    「すべては何故に始まってしまったのか?」

というような疑問は……単にマインドが発明した疑問にすぎません。

“なぜ(原因)”とか……“何のために(目的)”……とかいうの
は……単なる意識のなかの……調度にすぎない。

実在は……そんなことに……煩わされることはありません。

ただ……単に……大空のなかに……雲があるように……真我のなか
……気づきのなかに……意識(内容)はゆるされてある……。

だから……マハルシも……保証しているわけでしょう。

> この宇宙は何のなかに存在するのだろうか。このすべては何なの
> だろうか。
> それは何から生じたのだろうか。
> 何のために、何によって、それは姿を現したのだろうか。
> それは何で構成されているのだろうか。
> ただ真我だけがその原因である。

と……。

それは……天国の幻影も……地獄の幻影も……投影できる。

好きなだけ……そこで遊ぶことも……許されている。

ただ……何のためにこんなものが……という想念が湧いてきたのな
ら……幻影の賞味期限は……終わりに近いのかもしれない。

自分が見ている幻影を……疑いはじめているのなら……誰がそれを
見ているのかに……フォーカスが帰還しはじめたのでは……。

なぜなら……自己は非自己を知らない……のだから。

そんな時節のマインドの……背後の「私は在る」に……セイラー・
ボブさんは……語りかけます。

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 すべての問題の最重要点は、何が人生に巻き込まれるのかを理解
 することです。
 われわれがここで指摘しているのは、それは存在しないというこ
 とです。
 それはすべて単なる想像、われわれが自分についてもつ概念化さ
 れた想像にすぎません。
 それは自縄自縛です。
 それこそが問題なのです。
 そのすべての原因は自己中心です。
 本当にそれを調べたら、それが実際に存在したことなどけっして
 なかったことがわかるでしょう。
 それはすべてわれわれが自分についてもっているイメージ、過去
 の出来事や体験、自分の両親や社会、学校、国家、そのほか何で
 あれ、そういうものによる条件づけに基づいたイメージでしかあ
 りません。
 そのすべてから、われわれは自己像を形成し、低い自尊心をもち、
 「私は感心しない」とか「つらい思いをしている」とか「自分が
 可哀想だ」などと評価するのです。
 それはすべて自分だと信じているイメージとの関連できまります。
 それ以来ずっと、すべてはその参照点との関係なのです。
 すべてがその参照点から、良いとか悪いとか、つらいとか楽しい
 とか、嬉しいとか悲しいとか判断されます。
 ですから、それこそが調査しなければならないものです。
 問題があると考えるこの「私」とは誰か?
 
 私たちはここで、あなたが絶対の確信をもつ唯一の現実、あなた
 自身の存在という事実から出発します。
 いかなる状況においても、あなたは「私は存在しない」と言うこ
 とはできません。
 あなたは絶えず自分がいることを知っています。
 「私は在る、私は在る」と言って回る必要はありません。
 生まれながらに備わるその「知ること」は、絶えずあなたととも
 にあります。
 しかしその後それは、その「知ること」の上に浮上し出現してく
 る思考や他のすべてによって外見上覆い隠されます。
 その「知ること」を言葉に翻訳するには、あなたは「私は在る」
 と言わなくてはなりません。
 しかしそれについて考えなくても、あなたは自分が存在すること
 を知っています。
 それが「私は在る」という思考が誕生したところです。
 それはその「知ること」あるいは存在の感覚が、マインドを通じ
 て自分を表現しているのです。
 
 マインドがその「私は在る」という想念をそのままで把握するこ
 とは困難です。
 マインドにできることは、条件づけによるほかの思考や観念、ま
 た過去の体験や出来事に執着することだけです。
 それは「私はこれやあれをやった人間だ」というふうに、つまり
 「私はダメだ」、「私は不良だ」、「不幸だ」というふうになる
 のです。
 そういうものはすべて単なるイメージであることを明確に理解し
 てください。
 絶えずそれらを参照することによって、それらは参照点となりま
 す。
 もし自分にその参照点がなかったらどうなるか、ちょっと想像し
 てください。
 何が言えるでしょうか?
 
 質問者 それは単なる存在だと思います。
 
 ええ、それでもあなたは自分の存在を否定できないでしょう。
 しかし参照点がなければ、あなたはそれが良いとか悪いとか、楽
 しいとかつらいとか言うことはできません。
 あなたはそれについて何も言えないでしょう。
 あなたはただ、つねにそうである純粋な存在であるだけでしょう。
 ですから、参照点がけっしていかなる存在も持っていないことを
 吟味することが絶対に必要なのです。
 あなたが「私は在る」と言うとき、それは誰のことですか?
 この「私は在る」はどこにいると思いますか?
 
 質問者 私の気づきです。私の気づきのような感じがします。
 
 あなたが「私の気づき」というとき、誰が気づいているのですか?
 
 質問者 ああ、わかりました。何がそれを私のものにするのか、
     ですね?(間)その体験は存在をとおして来るのですね?
 
 見かけ上あなたが体験するその気づきは、その気づきのなかで起
 こります。
 では、その気づき以外に何かが本当にありうるでしょうか?
 それを説明しようとして、古の人たちは「空なる意識(space-
 like awareness)」という比喩を使います。
 それは空間に類似しています。
 空間についてあなたは何が言えますか?
 あなたはそれを定義できますか?
 
 質問者 いいえ。
 
 それには何か外観がありますか?
 
 質問者 いいえ。
 
 何か形状は? 大きさは?
 
 質問者 私がそれに何かを加えないかぎりはありません。
 
 ですからそれには外観も、形状も、寸法もないことがわかります。
 それには中心がありますか?
 
 質問者 いいえ。
 
 もしそれに中心がないのなら、それには周辺もありえません。
 あなたがそれについて本当に言えることは、それが在るというこ
 とだけです。
 それはただ在ります。
 さて「空なる気づき」という喩えを使って、もしあなたがそれを
 詳しく調べるなら、私たちが知っているものすべて、この地球、
 太陽、星やすべての銀河、衛星や流星、ブラックホール、何であ
 れ、あなたが概念化できるものはすべて、その空間のなかになけ
 ればならないことを、あなたは理解します。
 あなたが空間の外側に置くことができるものは何もありません。
 何かありますか?
 
 質問者 いいえ。
 
 もしあなたが空間には終わりがあると言うなら、それは何のなか
 に包含されているのでしょうか?
 空間です!
 すべては空間のなかに現れます。
 そして私たちにとってその空間は物ではありません。
 それは無です。
 さて、無から何かが出てくることができますか?
 
 質問者 分かりません。(間)いいえ。
 
 何も出てきません。
 ですから、このすべての現れは本当は無です。
 それは本当はパターンとなり、姿や形となって波動するその空な
 る気づきでしかありません。
 しかし、その本質はやはりその空間なのです。

          『What's Wrong with Right Now?』(p123-125)
                 http://tinyurl.com/7d3dnqf
------------------------------------------------------------

(-||-)

無から出てきたものは……やっぱり……無でしかない。

これは……論理のようでいて……論理ではないかもしれませんね。

そういう真実を……心から……願う方のものでしょうね。

誰が……それを……見ているのか……。

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 すべてを観照し、
 すべての創造物の内に隠れている絶対なるもの、
 すべてに浸透し、すべての内に宿る真我、
 ただ一つの神だけが存在している。
 
 だとすれば、神とは誰なのか。
 
 心を観照するものだ。
 私の心は私自身によって、
 私の魂によって観照されている。
 
 それゆえ、あなたが神なのである。
                   『静寂の瞬間』(p20-21)
------------------------------------------------------------

(-||-)

そして……そのあなたは……あなた以外を知らない……。

……。

------------------------------------------------------------
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
                    『あるがままに』(p58)
                 http://tinyurl.com/2aar6zj
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.写経ニサルガダッタ:【17 常在するもの】
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

とても……短い章です。

もしかしたら……学者との問答に……あまり意味を感じなかったの
かもしれません。

意味を感じる人は……いないでしょうが……とはいえ……やはり…
…自然現象ですから。

では【17 常在するもの】です。(これは1回で終わりです。)

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解さ
 れることを願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、それを読んでいただければいいです。

------------------------------------------------------------
 質問者 マインドの最高の力は、理解、知性、そして洞察です。
     人は三つの身体をもっています。粗大身、微細身、原因
     身* (プラーナ、マナ、カラナ)です。粗大身は彼の存
     在を反映し、微細身は知識を、原因身は喜びに満ちた創
     造性を反映します。もちろん、これらは意識のなかで形
     成されたものです。しかし、それらは各々の特質をもっ
     て分離しているように見えます。知性(ブッディ)はマ
     インドのなかでの知的能力の反映です。それがマインド
     を知識あるものにするのです。知性がより優れるほど、
     知識はより広く、深く、真正になります。ものごとや人
     を知ること、そして自己を知ることは、すべて知性の機
     能なのです。最後のものがもっとも重要で、前の二つを
     含んでいます。自分自身や世界を誤って理解することは、
     不正な考えや欲望をもたらし、それがまた束縛となりま
     す。自己への正しい理解が、幻想である束縛からの解放
     に欠かせません。これらすべてを理論としては理解でき
     るのですが、実際問題となると、私は状況や人びとへの
     対応に失敗し、私の不適切な反応が束縛をさらに加える
     ばかりなのです。人生は私の鈍く、遅い思考にはあまり
     にも速く進みます。古い習慣がすでに繰り返された後で
     私は理解するのですが、遅すぎるのです。

 * 訳注 粗大身、微細身、原因身
 粗大身はストゥーラ・シャリーラと呼ばれ、一番外側の身体、肉
 体を表す。微細身はスークシュマ・シャリーラと呼ばれ、知的な
 働きをする身体を表す。原因身はカーラナ・シャリーラと呼ばれ、
 内面的な身体を表す。ヒンドゥ教の教義においては、これら三つ
 の身体をトリ・シャリーラと呼んでいる。

 マハラジ
 それでは、あなたの問題とは何かね?

 質問者 私には知性だけではなく、人生で起こる出来事に即座に
     対応できる能力が必要なのです。そしてそれが完全に自
     発的でないかぎり、即座とは言えません。どうすれば、
     そのような自発性を達成できるのでしょうか?

 マハラジ
 太陽を引きつけるために鏡にできることは何もない。
 それはただ輝きつづけるだけだ。
 マインドが用意できしだい、太陽はそのなかで輝くのだ。

 質問者 その光は真我のものでしょうか、あるいはマインドのも
     のでしょうか?

 マハラジ
 両方だ。
 光はそれ自身原因をもたず、変化もしない。
 マインドが動き、変化するにしたがって、それは色づけされる。
 それは非常に映画に似ている。
 光はフィルムのなかにはないが、フィルムが光に色づけをし、そ
 れを遮(さえぎ)ることによってあたかも動いているように見せ
 るのだ。

 質問者 あなたは今、完全な状態に在るのでしょうか?

 マハラジ
 完全とはマインドが純粋なときの状態だ。
 状態が純粋であろうと、不純であろうと、何であれ、私はマイン
 ドを超えている。
 気づきが私の本性なのだ。
 究極的には、私は存在も非存在も超えている。

 質問者 あなたの状態に到達するには瞑想が役立つのでしょうか?

 マハラジ
 瞑想はあなたの束縛を見いだし、それらを緩め、解き、自由にす
 る。
 もはや何にも執着しなくなったとき、あなたの分の仕事は終わっ
 たのだ。
 残りはあなたのために自然に為(な)される。

 質問者 誰によってでしょうか?

 マハラジ
 あなたのマインドを探求させ、ハートが真理を求めるよう促す地
 点まであなたを連れてきた、その同じ力によってだ。
 その同じ力があなたを生きさせているのだ。
 それを生命、あるいは至高なるものと呼ぶがいい。

 質問者 同じ力がやがて私を殺すのです。

 マハラジ
 あなたは誕生のとき、存在していなかっただろうか?
 死が訪れるときも、存在しているのではないだろうか?
 つねに存在するその人を見つけだしなさい。
 そうすれば、あなたの自発的で完全な反応に関する問題も解決す
 るだろう。

 質問者 永遠を実現することと、つねに変化しつづける出来事へ
     の努力を要しない適切な反応は、二つの異なった別々の
     問題です。あなたはどうやらその二つをひとつにまとめ
     てしまったようですが、何があなたをそうさせるのです
     か?

 マハラジ
 永遠を実現することは永遠、全体、宇宙、そしてそれらを含むす
 べてになることだ。
 すべての出来事は全体性の作用であり表現だ。
 それは根本的に全体との調和のなかに在る。
 全体性からのすべての反応は正しく、努力なく、即座のものでな
 くてはならない。
 さもなければ、正しくはありえない。
 遅れた反応は誤った反応なのだ。
 思考、感情、そして行為はひとつにならなければならず、また状
 況の求めに応じて、同時でなければならない。

 質問者 どうすればそうなるのでしょうか?

 マハラジ
 もうすでに言ったはずだ。
 あなたの誕生時に存在し、あなたの死を観照するその人を見いだ
 しなさい。

 質問者 私の父と母でしょうか?

 マハラジ
 あなたの父、母、あなたの存在の源だ。
 問題を解くには、その源にたどり着かなければならない。
 真我の探求と冷静沈着さという普遍的解決法による問題解決にお
 いてのみ、正しい回答が見いだせるのだ。

                    『私は在る』(p73-74)
                  http://tinyurl.com/s747u
------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 マインドの最高の力は、理解、知性、そして洞察です。
>     人は三つの身体をもっています。粗大身、微細身、原因
>     身* (プラーナ、マナ、カラナ)です。粗大身は彼の存
>     在を反映し、微細身は知識を、原因身は喜びに満ちた創
>     造性を反映します。もちろん、これらは意識のなかで形
>     成されたものです。しかし、それらは各々の特質をもっ
>     て分離しているように見えます。知性(ブッディ)はマ
>     インドのなかでの知的能力の反映です。それがマインド
>     を知識あるものにするのです。知性がより優れるほど、
>     知識はより広く、深く、真正になります。ものごとや人
>     を知ること、そして自己を知ることは、すべて知性の機
>     能なのです。最後のものがもっとも重要で、前の二つを
>     含んでいます。自分自身や世界を誤って理解することは、
>     不正な考えや欲望をもたらし、それがまた束縛となりま
>     す。自己への正しい理解が、幻想である束縛からの解放
>     に欠かせません。これらすべてを理論としては理解でき
>     るのですが、実際問題となると、私は状況や人びとへの
>     対応に失敗し、私の不適切な反応が束縛をさらに加える
>     ばかりなのです。人生は私の鈍く、遅い思考にはあまり
>     にも速く進みます。古い習慣がすでに繰り返された後で
>     私は理解するのですが、遅すぎるのです。

ふふ……。

覚者の前で……こんな演説をして……学者かしら……。

> マハラジ
> それでは、あなたの問題とは何かね?

こう訊かざるをえませんよね。

> 質問者 私には知性だけではなく、人生で起こる出来事に即座に
>     対応できる能力が必要なのです。そしてそれが完全に自
>     発的でないかぎり、即座とは言えません。どうすれば、
>     そのような自発性を達成できるのでしょうか?

ふーん。

> マハラジ
> 太陽を引きつけるために鏡にできることは何もない。

すばらしい比喩……。

> それはただ輝きつづけるだけだ。
> マインドが用意できしだい、太陽はそのなかで輝くのだ。

はい。

> 質問者 その光は真我のものでしょうか、あるいはマインドのも
>     のでしょうか?

お。

> マハラジ
> 両方だ。

へー。

> 光はそれ自身原因をもたず、変化もしない。

はい。

> マインドが動き、変化するにしたがって、それは色づけされる。

なるほど。

> それは非常に映画に似ている。

(-_-)?

> 光はフィルムのなかにはないが、フィルムが光に色づけをし、そ
> れを遮(さえぎ)ることによってあたかも動いているように見せ
> るのだ。

ああ……なるほど。(@_@)

> 質問者 あなたは今、完全な状態に在るのでしょうか?

ふ。

> マハラジ
> 完全とはマインドが純粋なときの状態だ。

はい。

> 状態が純粋であろうと、不純であろうと、何であれ、私はマイン
> ドを超えている。

こいの……好き。(*-_-*)

> 気づきが私の本性なのだ。

はい。

> 究極的には、私は存在も非存在も超えている。

了解です。(意味はわからないけど……。)

意識による……いかなる定義も拒否する……という意志だけは……
伝わります。

> 質問者 あなたの状態に到達するには瞑想が役立つのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> 瞑想はあなたの束縛を見いだし、それらを緩め、解き、自由にす
> る。

はい。

> もはや何にも執着しなくなったとき、あなたの分の仕事は終わっ
> たのだ。

おお……。

> 残りはあなたのために自然に為(な)される。

わかりました。

> 質問者 誰によってでしょうか?

そうか……これが……マインドの働き方なんだな……。

> マハラジ
> あなたのマインドを探求させ、ハートが真理を求めるよう促す地
> 点まであなたを連れてきた、その同じ力によってだ。

はい。

> その同じ力があなたを生きさせているのだ。

了解です。

> それを生命、あるいは至高なるものと呼ぶがいい。

はい。

> 質問者 同じ力がやがて私を殺すのです。

そうか……昔……誰かさんも……こう思ったかも。

> マハラジ
> あなたは誕生のとき、存在していなかっただろうか?
> 死が訪れるときも、存在しているのではないだろうか?

そうか……。

> つねに存在するその人を見つけだしなさい。

(-_-)

> そうすれば、あなたの自発的で完全な反応に関する問題も解決す
> るだろう。

わかりました。

> 質問者 永遠を実現することと、つねに変化しつづける出来事へ
>     の努力を要しない適切な反応は、二つの異なった別々の
>     問題です。あなたはどうやらその二つをひとつにまとめ
>     てしまったようですが、何があなたをそうさせるのです
>     か?

そうか……。(-_-)

そこに……尋ねている者は……誰もいないんだな。

起こっているだけ……。

> マハラジ
> 永遠を実現することは永遠、全体、宇宙、そしてそれらを含むす
> べてになることだ。

はい。

> すべての出来事は全体性の作用であり表現だ。
> それは根本的に全体との調和のなかに在る。
> 全体性からのすべての反応は正しく、努力なく、即座のものでな
> くてはならない。

そうか。

> さもなければ、正しくはありえない。

なるほど。

> 遅れた反応は誤った反応なのだ。

「遅れた反応は誤った反応」……。

> 思考、感情、そして行為はひとつにならなければならず、また状
> 況の求めに応じて、同時でなければならない。

(-_-)?

> 質問者 どうすればそうなるのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> もうすでに言ったはずだ。
> あなたの誕生時に存在し、あなたの死を観照するその人を見いだ
> しなさい。

あ……そうか。(*-_-*)

> 質問者 私の父と母でしょうか?

急に子供になっちゃって……。(^_-)    \←……

> マハラジ
> あなたの父、母、あなたの存在の源だ。

うまいなぁ……。

> 問題を解くには、その源にたどり着かなければならない。

はい。

> 真我の探求と冷静沈着さという普遍的解決法による問題解決にお
> いてのみ、正しい回答が見いだせるのだ。

あまり……学者との問答を……楽しまなかったみたい。

楽しむ者は……誰も居ないだろうけど。

……。(-_-)

ありがとうございました……。<(_ _)>

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
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       ………○…………○…………○………


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■ 3.いただいたお手紙から:T-rocknさん
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▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


今回……T-rockn さんとおっしゃる方から……はじめてのメールを
いただきました。なんか……質問をくださって……。

早速ご紹介します。

【件名】: 記憶について
------------------------------------------------------------
 毎週楽しみに拝読させていただいております、毎週発行のご努
 力に改めて感謝申し上げます。
 さて私も例に漏れず、自己追求のようなものを長く続けており
 ます、まだこれといったはっきりしたものをつかんだわけでは
 ありませんが、最近ようやく真我は普段考えている自分とは違
 うことが分かりつつあります。
 ここで問題が記憶なのですが、どうも記憶と真我とエゴとの関
 係が分かりません、pariさんに伺うのは筋違いなのかもしれま
 せんが、もしpariさんにこのへんのお考えがありましたらお聞
 かせいただけないでしょうか?
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T-rockn さん……ご投稿ありがとうございます。(^^)/

> 毎週楽しみに拝読させていただいております、毎週発行のご努
> 力に改めて感謝申し上げます。

勝手なことを……書いています。

> さて私も例に漏れず、自己追求のようなものを長く続けており
> ます、まだこれといったはっきりしたものをつかんだわけでは
> ありませんが、最近ようやく真我は普段考えている自分とは違
> うことが分かりつつあります。

はい。

> ここで問題が記憶なのですが、どうも記憶と真我とエゴとの関
> 係が分かりません、pariさんに伺うのは筋違いなのかもしれま
> せんが、もしpariさんにこのへんのお考えがありましたらお聞
> かせいただけないでしょうか?

わたしで良ければ……訊いていただければいつでも……何かかにか
……喜んでご返事すると思います。(*^_^*)

“記憶と真我とエゴとの関係”……ですか。

わたしの考えと言うより……まずは覚者が「記憶」についてどうい
うことを言っているか……を確認しましょうか。

そのほうが、T-rockn さんも満足なさるだろうし。

マハラジに……こんな言葉があります。

------------------------------------------------------------
 知覚、想像、期待、不安、幻想はすべて記憶に基づくものだ。
 それらの間にはほとんど境界線さえなく、互いに溶け込んでいる。
 すべては記憶の反応なのだ。
                      『私は在る』(p44)
------------------------------------------------------------

これはもう……メチャクチャわかりやすいですね。

要するに……われわれが棲んでいる世界……あるいは対応している
世界は……すべて「記憶の反応」だというのです。

「想像、期待、不安、幻想」が……記憶と密接に関係しているらし
いことは……なんとなく想像がつきますよね。

しかし……え、「知覚」まで (?_?)……という気もします。

じつは……上の引用部分の前に……こういう応答があります。

------------------------------------------------------------
 質問者 もちろん、知覚は想像ではありません!

 マハラジ
 それ以外の何だというのだろう?
 知覚とは認識ではないだろうか?
 何かまったく知られていないものを感じ取ることはできるだろう、
 だが知覚することはできない。
 知覚は記憶をともなうのだ。
                      『私は在る』(p44)
------------------------------------------------------------

どうやら「知覚」さえもが……「記憶の反応」であるらしい。

われわれはたいてい……あまり幼児のときの記憶は……持っていな
いものです。

それは……まだ記憶が形成されていないために……知覚機能そのも
のが……まだ始まっていないからではないでしょうか。

つまり……セイラー・ボブさんふうに言うなら……まだ「参照点」
が……形成されていないわけです。

------------------------------------------------------------
 私たちの問題は、二歳か二歳半頃に身につけた一個の分離した実
 体、すなわち「自分」という考えから起こります。
 あなたは、「自分」とか「私」という言葉に対して何かできるで
 しょうか?
 それについてできることはあまりありません。
 そこで、私たちは、出来事、経験、条件付け──自分に起こった
 物事──を加えるのです。
 そこに信念のエネルギーが入り込み、それは見かけ上、具体的な
 ものになり、それが現実に存在しているように思えてきます。
 それが、我とかエゴとか呼ばれているものです。
 それは、自分自身はこうだと信じるための参照点となります。

                    『ただそれだけ』(p127)
------------------------------------------------------------

まあ……この「参照点」に……あらゆる体験の記憶を付着させ……
集積していくわけですよね。

そして……記憶のなかのこの「参照点」が……偽りの“自己中心”
……つまりは「エゴ」になるわけです。

これで……T-rockn さんのご質問の“記憶と真我とエゴとの関係”
のうち……“記憶とエゴの関係”は……終わりました。

残ったのは……“記憶とエゴ”と……“真我”の関係ですね。

端的な言い方をすれば……「真我」しか存在しない……ということ
になるのでしょうが……。

それではちょっと……取り付く島がないので……。

この「真我」を指す古来の言い方に……「認識する空」……という
言葉があるそうです。

セイラー・ボブさんは……「知性エネルギー」という言い方を……
しています。

起こっていることは……すべて……この「知性エネルギー」のなか
で……起こっているわけです。

この「知性エネルギー」が……現れを投影して……自分で見ている。

画像のなかに入りこめば……個人が存在する……という幻想の世界
もある……。

その夢に飽きれば……唯一の実在である……自分に戻る……。

まあ……「真我」とは……そういったものではないでしょうか。

お役に立ったかどうか……。

何はともあれ……ありがとうございました。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


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■ 4.編集後記:偽りは……いちど偽りだと見破られたら
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ボブさんが言うように……偽りは……いちど偽りだと見破られたら
……もう……元に戻ることはないようですね。

あまり……心配ということを……しなくなっているような。

書く気がつづく間は……書くかもしれません。

いつの間にか……昏くなって……急に寒くなって来ました。

風邪など……引かれませぬように。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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