home > 通信 > 『アセンション館通信』第413号:「私は在る」と悟りはどう関わるのか



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2012/3/4(第413号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンが
見ている風景の報告です。(なんちゃって。(*^_^*) )

現象のなかに得るべきものもなく、探求するその人もいないことが
納得されても、まだ惰性で書くことが起こっているので。(^^;)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在 892名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.「私は在る」と悟りはどう関わるのか

2.写経ニサルガダッタ:
 【52 幸せで在ること、幸せになること、これが生のリズムだ】

3.編集後記:短くしなきゃと思いながら……
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■ 1.「私は在る」と悟りはどう関わるのか
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しっとり濡れた山里の風景に……まだチラホラと雪が残っています。

右手の山の襞ひだを縫って……霧がゆっくりと右に流れています。

雪のあと雨模様だったせいか……あれだけ積もったのに……もうほ
とんで残っていません。

普段運動不足の人間が……その雪の翌朝……坂道の雪かきで少し無
理をして……そのあと何年ぶりかの風邪を引きました。

単純に……疲れすぎです。

雪国の方々は……たいへんですねぇ。

今日は様子を見ながら……なるべく早めに……と思っています。

夢でも……身体は風邪を引きますものね。(^_-)

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

今回……祇園さんからご投稿をいただいています。

本来なら「いただいたお手紙から」でご紹介するのですが……なか
にご質問があって……今回はここのほうが……と思いました。

では、早速ご紹介します。

【件名】: What's Wrong with Right Now?
------------------------------------------------------------
 パリさん こんにちは
 ボブさんの本、ほんとうにいいですねぇ
 
 聖人賢者のお言葉は、本質的には同じ事をおっしゃられている
 のでしょうが、私のような凡夫には琴線に触れる言葉と、そう
 でない言葉に分かれます。
 
 自分に合う言葉と言うのでしょうか、何かをハッと感じさせる
 言葉、そのような言葉が凡夫には必要です。
 
 私にはボブさんの言葉の多くが、特に「What's Wrong with
 Right Now?」から引用された言葉の多くに、何かを感じます。
 
 パリさん色々訳してくれてありがとうございました。
 特にここ数回の「私は在る」に関するお話はインスピレーショ
 ンを感じております。
 今後も「私は在る」に関するお話を乗せていただければ、とて
 もとても嬉しいです。
 「私は在る」は、私に関することなので、自分に一番適用でき
 る話だと思うのです。
 しかし、あなたは「私は在る」と言うことを知っていると言わ
 れても、それが悟りとどう関わるのかわからない私です。
 どうか今後もどんどんヒントを乗せてください。
 
 
 ところでパリさん、前々回の記事、つまり411号ですが、そ
 の中でボブさんの言葉で以下のような話が出てきます。
 
 > いったんその機能が起こっているというその一瞥があると、
  > それは静寂の場所と見なされます。
  
  ここでいう「それは」とは何を指していると思われますか?
  大切な話だと思われますが、私にはよくわからないので、パリ
  さんの意見を聞かせてください。
  
  じゃあパリさん 今後もメルマガ期待してますよーん
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> パリさん こんにちは
> ボブさんの本、ほんとうにいいですねぇ

はい……すばらしいですね。

> 聖人賢者のお言葉は、本質的には同じ事をおっしゃられている
> のでしょうが、私のような凡夫には琴線に触れる言葉と、そう
> でない言葉に分かれます。

それはもう……自称凡夫も……聖人賢者も……同じだと思います。

ただ……聖人賢者といわれる方々の言葉が……本質的に同じこと
を語っている……のかどうかはわかりませんが……。

> 自分に合う言葉と言うのでしょうか、何かをハッと感じさせる
> 言葉、そのような言葉が凡夫には必要です。

まったくですよね。

> 私にはボブさんの言葉の多くが、特に「What's Wrong with
> Right Now?」から引用された言葉の多くに、何かを感じます。

そうですか。

『What's Wrong with...』(http://tinyurl.com/7d3dnqf)の方が
……和訳のある『ただそれだけ』(http://tinyurl.com/7o89r5x)
よりも先に編まれているんです。

編集者の立場では……『What's Wrong』の方が選択の自由度が高い
ですから……そういう印象と関係があるかもしれませんね。

> パリさん色々訳してくれてありがとうございました。

こうして……反応をいただけると……嬉しいです。

> 特にここ数回の「私は在る」に関するお話はインスピレーショ
> ンを感じております。

よかったです。(^^)/

> 今後も「私は在る」に関するお話を乗せていただければ、とて
> もとても嬉しいです。

ええ……それはもう……好きでやっているので。

> 「私は在る」は、私に関することなので、自分に一番適用でき
> る話だと思うのです。

はい……まさにおっしゃるとおりです。

> しかし、あなたは「私は在る」と言うことを知っていると言わ
> れても、それが悟りとどう関わるのかわからない私です。

あ……そうでしたか。

それは、祇園さん……声に出して言っていただいて……とてもあり
がたかったです。

というのは……祇園さんがそう思われているなら……きっと他にも
たくさんの方々が……そう思われているはずだからです。

では“「私は在る」と知っていることが悟りとどう関わるのか”を
……いまpariパターンに起こる言葉でご説明しますね。

まず……“「私は在る」と知っている”……とはどういうことなの
か……についてから。

例えば、祇園さんは……「私は在る」ということを知っています。

なんでもない……当たり前のこととして。

でもこれは……ある意味で……途方もないことなんですよ。

プンジャジのお弟子のガンガジは……それを自著のタイトルとして
『ポケットの中のダイアモンド あなたはすべてをもっている』
(http://tinyurl.com/6lku6mp)と表現しているくらいですから。

「私は在る」くらい……誰もが言えることのようですが……。

でも……例えば……祇園さんがその自覚を……鉛筆で……紙に書い
たとしましょうか。

「私は在る」……と。

その紙と文字は……「私は在る」という自覚を……表現しているよ
うですよね。

でも……その「紙」は……「私は在る」と知っているでしょうか?

ちょっと胸に落として……考えてみてください。

その「紙」は……「私は在る」ということを知らないのではないで
しょうか?

誰かが……「いや、その紙だって『私は在る』くらい知ってるさ」
……と言ったとしても……別に反対はしませんけどね。(^_-)

わたしは……その紙に「私は在る」という自覚はないと思います。

では……その紙上の「私は在る」という文字には……「私は在る」
という自覚は……あるでしょうか。

わたしは……その文字にも……その自覚はないと思います。

では……その文字を書いた……鉛筆にはその自覚はあるのか?

いいえ……紙や鉛筆は……単なる表現の道具にすぎません。

紙や鉛筆に……「私は在る」という……自覚はないでしょう。

その紙に「私は在る」と書いたのは……祇園さんの腕や手のはずで
すが……その手に……「私は在る」という自覚はあるでしょうか?

いいえ……腕や手は……単なる表現の手段にすぎません。

腕や手に……「私は在る」という……自覚はないでしょう。

端的にいきましょう。

祇園さんは……「私は在る」ということを知っているとして……、
祇園さんの身体は……「私は在る」と知っているでしょうか?

いいえ……祇園さんの身体から……あなたが抜け出したら……その
身体は……単なる屍体にすぎないのではないでしょうか。

祇園さんが……「私は在る」と言葉にだして言ってみたとして……
その音声波動には……「私は在る」という自覚はあるでしょうか。

いいえ……その音声波動は……単に「私は在る」という想念の……
表現媒体であるにすぎません。

そこに……「私は在る」という……自覚はないでしょう。

では……その「私は在る」という想念自体は……「私は在る」とい
ことを知っているのか?

考えてみてください。

わたしは……その「私は在る」という想念は……「私は在る」とい
う自覚を意識として表現するための……微細波動だと思います。

要するに……これも表現媒体であるにすぎません。

「私は在る」という自覚を表現するだけで手一杯の意識波動に……
「私は在る」の自覚まで求めるのは……酷だと思いますよ。(^_-)

で……「私は在る」と書いた紙、その文字、鉛筆、書いた手、総じ
て身体、声、想念自体にも……その自覚がないとしたら……。

では……いったい……誰が……「私は在る」ということを知ってい
るのでしょうか? (?_?)

むろん……祇園さん……あなたが……知っているのです。

ただ……必ずしも……祇園さんという……属性を負う必要はないわ
けですが。

いま……祇園さんや……pariとして現れている……不生不滅の……
これが……「私は在る」と……知っているわけです。

20年ほど前に……こんなことを書いたことがあります。

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 『踊る物理学者たち』の著者ゲイリー・ズーカフ氏の比喩を借り
 れば、十四階建てのビルほどの直径があるサンピエトロ大聖堂の
 ドームの真ん中に塩を一粒置いたような原子核を中心にして、ド
 ームの外周をその原子核の数千分の一の質量であるほこりの粒の
 ような電子が回っている、といったような案配のものであるらし
 い。

 いくら物質が生きていると考えたくても、その広大なサンピエト
 ロ大聖堂のドームの外周を、まさかその在るか無きかのほこりの
 粒が自らの意志で飛び回っていると思う者はいないはずだ。
 しかも、素粒子はほこりの粒というような「もの」ですらなく、
 もともと物体としてイメージすることすらできないものだという。
 それならむしろ、物質を構成している原子とは、「真空」の海の
 中で物理次元というある種の“確かさ”の中に出現しようとする
 「傾向」、一種の「意志」、「兆し」のようなものだ、とでも言
 った方がましではないのか。
 
             『21世紀への指導原理 OSHO』(p249)
      https://www.ascensionkan.com/work/06eien_05dome.html
------------------------------------------------------------

調べてみると……サン・ピエトロ大聖堂の16世紀に完成したドーム
の内径は……42メートルだそうです。

つまり……物理次元の基幹構造の原子を……内径42メートルの球体
と想像すれば……原子核はその中心にある塩粒だというのです。

そして電子とは……直径42メールの球面か球内かを……原子核の数
千分の一の質量のホコリが狂ったように飛び回っているものらしい。

これが……物質です。(-_-)

これが……われわれの全宇宙を……構成している。

簡単にいえば……見かけを表現するためだけの……まあ……無……
に等しいものではないでしょうか。

そして……人間の意識波動が……物体の観測可能性に影響を及ぼす
ことも……わかっているわけです。

ということは……意識波動も同じく……ある種の微細な……物質だ
ということでしょう。

------------------------------------------------------------
 物質とマインドは分離したものではない。
 それらはひとつのエネルギーの二つの相なのだ。
 ……
 物質は形であり、マインドは名前なのだ。
 それらはともに世界をつくる。
 浸透し、超越するのが実在、純粋な存在―意識―至福、あなたの
 本質そのものなのだ。
                     『私は在る』(p423)
                  http://tinyurl.com/s747u
------------------------------------------------------------

……。

先ほどの文章を書いていた頃……それはわたしにとって……ある種
の新鮮な発見でした。

生きている実体は……物質じゃなくて……真空だと。

------------------------------------------------------------
 <意識>が不生不滅そのものの名前であるなら、物質世界でのそ
 の名称をとりあえず私たちはここで「真空」と呼んでみることに
 しよう。

 するとその「真空」という無物質の“不動”の一点こそが、全物
 質界を内に“包含し”、浮かばせ、あらゆる内的および外的諸現
 象を“映し出し(=支え)”てきたともいえるのではないだろう
 か。
             『21世紀への指導原理 OSHO』(p236)
     https://www.ascensionkan.com/work/06eien_03shinku.html
------------------------------------------------------------

それでついつい嬉しくなって……当時勤めていたソフトウェア会社
の同僚に……言ったことがあるんです。

「死郎さん、本当に生きているのは物質じゃなくて真空ですよ。
 死郎さんがボクと言っているのと、わたしがわたしと言っている
 のは同じものなんです」

いやー……むろん……一笑にふされてしまいましたけどね。(*^_^*)

言う方が……バカです。(^_-)

この「真空」という表現の意図は……それは物質ではない……とい
う意味です。

祇園さんの質問が……とてもすばらしいので……勇み足でちょっと
脱線しました……。(^^;)

で結論として……「私は在る」と知っているのは……誰なのか?

それは……顕現として現れることが……できない方だ……というこ
とです。

つまり……永遠の非顕現である……真我だけが……「私は在る」と
……知っているのです。

「私は在る」に関する……あらゆる表現……あらゆるお喋りは……
じつは……「私は在る」という自覚を持ってはいないのです。

それどころか……この大宇宙全体が……見せかけを表現するための
媒体にすぎず……「私は在る」という自覚を持ってはいません。

それらは……ただの……賑やかし……です。

「私は在る」……と知っているのは……じつは……あなただけです。

実在するのは……真我しかありません。

真我こそが……実在……なのです。

でも……真我だって……自分が存在することを……知る手段を……
その可能性を……確保しておきたかった……かもしれません。

いえ……これは……単に……マインドのひとつの解釈にすぎなくて
……真我には……何の関係もないことですが……。

さて……まず……“「私は在る」と知っている”……とはどういう
ことなのかをご説明するといって……だいぶ長くなりました。

それは……「私は在る」という教えの……半分とも言えます。

そして……もう半分、

> しかし、あなたは「私は在る」と言うことを知っていると言わ
> れても、それが悟りとどう関わるのかわからない私です。

とおっしゃる祇園さんに……お伝えしたいことがあります。

それは……「私は在る」だけが……真実だ……ということです。

英語で言うなら……「I am」だけが……真実なのです。

「I am good.」も「I am bad.」も……真実ではありません。

「I am happy.」も「I am unhappy.」も……真実ではありません。

「I am big.」も「I am little.」も……真実ではありません。

それは……想像であり……誤解です。

ニサルガダッタが、

------------------------------------------------------------
 理解しようとしてはならない
 誤解しなければそれで充分だ。
                     『私は在る』(p224)
------------------------------------------------------------

と言うのは……その意味だと思います。

好きなら……いくら想像を逞しくしてもかまわないわけですが……
だからといって……苦しんでまで……ハマることもない。

「私は在る」と知っていれば……もうそれだけで……永遠の存在権
が……すでに無償で……保証されています。

だから……「私は在る」という教えの……99.9999999%は……すで
に完了しているわけです。

(もちろん……数値は……単なるイメージです。(^_-))

「私は在る」という教えの……あと半分は……残りの0.0000001%
に……何の意味もないと……理解することです。

それは……換言すると……「私は在る」に……踏みとどまること。

真実だけで……満足することです。

------------------------------------------------------------
 あれやこれに成ろうとするのではなく、在ることに幸せでありな
 さい。
                     『私は在る』(p233)
------------------------------------------------------------

英語で言うなら……「I am」に……踏みとどまることです。

「I am good.」にも……「I am bad.」にも……さまよいません。

「I am happy.」とも「I am unhappy.」とも……想像しません。

「I am big.」も……「I am little.」も……いりません。

解釈や想像は……浮かんではきますが……信じられてはいません。

いずれにしろ……覚者の教えは、

------------------------------------------------------------
 解放を得るためにマインドに頼ってはいけない。
 あなたを束縛へと追いやったのはマインドなのだ。
 それをすべて超えていきなさい。
                     『私は在る』(p224)
------------------------------------------------------------

なのですから……。(-||-)

ニサルガダッタは……「悟り」を“自然状態”(natural state)と
呼んでいたそうですね。

つくづく……じつに……絶妙な表現ですね。

何も余計なものが加わっていない……本来の……裸の状態……。

> どうか今後もどんどんヒントを乗せてください。

はい……どのみち……好きでやっています。(*^_^*)

> ところでパリさん、前々回の記事、つまり411号ですが、そ
> の中でボブさんの言葉で以下のような話が出てきます。

はい。

> > いったんその機能が起こっているというその一瞥があると、
> > それは静寂の場所と見なされます。
>  
> ここでいう「それは」とは何を指していると思われますか?
> 大切な話だと思われますが、私にはよくわからないので、パリ
> さんの意見を聞かせてください。

ああ……ここですね。

まあこういうのは……一種の誤訳とも言えるかも……ですね。

英語は……こうなんですよ。
------------------------------------------------------------
 Once that glimpse is there, that there is functioning 
 happening, it is seen as a place of stillness.
 
             『What's Wrong with Right Now?』(p94)
                 http://tinyurl.com/7d3dnqf
------------------------------------------------------------

ここは配信が済んでから……サイトに掲載するときに……どうも意
味を取りにくいかもしれないと思って……少し修正しました。

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 いったん一瞥があり、その機能が起こっていることがわかると、
 それは沈黙という場所だと理解されます。
------------------------------------------------------------

やっぱり……わかりにくかったですよね。(^^;)

つまり……この「それ」というのは……すべての機能が起こってい
るその場所……すべての源の意味でしょうね。

真我とか……実在とか……ボブさんの言葉で言うなら「知性エネル
ギー」というような言葉が……指しているものです。

確かに……ラマナ・マハルシも……実在を指して……「沈黙(モウ
ナ)」というような言葉を使いますから……。

視覚的イメージで捉えれば……顕現は“汚れ”になって……非顕現
は……“空っぽ”“透明”“空間”“真空”などと表現される。

聴覚的イメージで捉えれば……顕現は“お喋り”になって……非顕
現は……“静寂”“沈黙”などと表現されるわけでしょう。

ただ……ボブさんはご自分で述べている理由によって……それを…
…沈黙とは……したくなかったのでしょうね。

> じゃあパリさん 今後もメルマガ期待してますよーん

ありがとうございます。

最後に……また少しだけ……サービスです。

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 もしそれに中心がないのなら、それには周辺もありえません。
 あなたがそれについて本当に言えることは、それが在るというこ
 とだけです。
 それはただ在ります。
 さて「空なる気づき」という喩えを使って、もしあなたがそれを
 詳しく調べるなら、あなたはすべてがわれわれが知っているこの
 地球、太陽、星とすべての銀河、衛生と流星、ブラックホール、
 何であれあなたが概念化できるものはすべて空間の中になければ
 なりません。
 あなたが空間の外側に置くことができるものは何もありません。
 何かありますか?
 
 質問者 いいえ。
 
 もしあなたが空間には終わりがあると言うなら、その中には何が
 含まれているでしょうか?
 空間です!
 すべては空間の中に現れます。
 そしてわれわれにとってその空間はモノではありません。
 それは無です。
 さて、無から何かが出てくることができますか?

 質問者 わかりません。(間)いいえ。

 何も出てきません。
 ですから、このすべての現れは本当は無です。
 それは本当はパターンとなり、姿や形となって波動するその空な
 る気づきでしかありません。
 しかしその本質はやっぱりその空間です。
 例えば、この身体ですが、もしそれを破壊して粉々にしてしまい、
 風が来てその粉を吹き飛ばしてしまったら、身体はまだ存在しま
 すか?
 
 質問者 いいえ。
 
 あなたはそれを身体に戻せますか?
 
 質問者 おそらく無理です。
 
 あらゆる粒子や素粒子は空間のなかにあったでしょうね。
 それはすべて空間にあったでしょうが、それは今の姿や形をして
 はいなかったでしょう。
 われわれが地球として知っているこの球体も同じです。
 もしこれが明日吹き飛んでも、そのすべての粒子はやはり空間の
 なかにあるでしょう。
 何ひとつそれに付け加えることもできなければ、何ひとつ失われ
 ることもありえません。
 ここに現れているそのパターンや姿や形は崩壊するでしょうが、
 その空なる気づきだけが本当のあなたなのです。
 それは特定の姿や形に限定されるものではありません。
 
 質問者 つまり気づきはつねに在るとおっしゃっるわけですね。
 
 不生不滅です(Always never)。
 仏教徒はそれを不生と呼びます。
 「不生」とはそれには起源がないという意味です。
 つまり、それには起源がないのです。
 それには始まりがありません。
 それには始まりがなく、終わりがありません。
 それには時間がありません。
 それには空間がありません。
 それには身体がありません。
 それには心がありません。
 それはモノではありません。
 しかもなお、それはすべてがそのなかに現れては消えるエッセン
 スなのです。
 それがあなたの真の姿です。
 
 だから、わかりますね、それはわれわれが自分に加えた制限を取
 り除くのです。
 すると、われわれが自分に付けたラベル、言葉が制限要素である
 ことがわかります。
 あなたは自分を「人間(human being)」と呼び、神を「至高の
 存在(supreme being)」と呼びます。
 このラベルから「至高の」というラベルを取り、「人間」という
 ラベルを取ると、何が残りますか?
 存在(being)です。
 そのラベルがなければ、あなたはその存在性を分離できますか?
 
 質問者 いいえ。
 
 できません。
 あれは椅子である存在です(椅子を指さして)。
 それは絨毯である存在です。
 あれは壁である存在です。
 そのラベルをすべて取り去ったら、それは何ですか?
 
 質問者 ただの存在です。
 
 そのとおり、存在です。
 在るのはそれだけです。
 
 質問者 はい。
 
 フルストップ!
 
 質問者 それだけですか?
 
 いいですか、われわれがすぐに慌てて思考にはいりたがるのは、
 マインドにとって気づきはモノではないからです。
 マインドは感覚や論理的思考、「これ」や「あれ」や「その他」
 でいっぱいです。
 それは思考、フィーリング、感情という素晴らしい展示品です。
 しかしそれをすべて切り取ってください。
 その気づきは、マインドにとって、モノではありません。
 それは把握できないのです。
 しかしそれは明晰で、それは空っぽで、それは透明で、それは今
 この瞬間に生命としてあなたを通じて脈動しています。
 
 質問者 しかしわれわれはみんなその気づきを体験しています。
 
 あなたがその気づきなのです。
 
          『What's Wrong with Right Now?』(p125-127)
                 http://tinyurl.com/7d3dnqf
------------------------------------------------------------

(-||-)

> われわれがすぐに慌てて思考にはいりたがるのは、マインドにと
> って気づきはモノではないからです。

モノ足りないんですね……。(^_-)

いえいえ……ほんと……笑いごとじゃない。(*-_-*)

> あれやこれに成ろうとするのではなく、在ることに幸せでありな
> さい。

自分の権利は……自分でその価値を認めなくてはならない。

その価値を……その存在を……認めることが大切なのでした。

------------------------------------------------------------
 変化するものは変化しつづける。
 その間、不変なるものは待ちつづけているのだ。
 変化するものが不変なるものへとあなたを連れていくと、期待し
 てはならない。
 それはけっして起こらない。
 変化という観念自体が偽りとして見られ、放棄されたときにのみ、
 不変なるものがおのずと現れるのだ。
                     『私は在る』(p541)
------------------------------------------------------------

(-||-)

……。

------------------------------------------------------------
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
                    『あるがままに』(p58)
                 http://tinyurl.com/2aar6zj
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.写経ニサルガダッタ:
 【52 幸せで在ること、幸せになること、これが生のリズムだ】
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今回の章は……きわめて独特な章です。

他の質問者で……この覚者の言葉は……出てこなかったでしょう。

マハラジが……愛のみについて語った……珍しい章とも言えます。

そして……覚者の慈悲が……どのように流れだすかを……つぶさに
眺めることができます。

では【52 幸せで在ること、幸せになること、これが生のリズムだ】
です。(これは少し長目ですが1回で終わりにします。)

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解さ
 れることを願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、それを読んでいただければいいです。

------------------------------------------------------------
 質問者 私は数カ月前にヨーロッパからやってきました。カルカ
     ッタ近郊に住む私のグルを、今まで定期的に訪ねていま
     した。今回の訪問を終え、今帰途に着つこうとするとこ
     ろです。友人に招かれ、あなたのもとにやってきたので
     す。お会いできて嬉しく思っています。
 
 マハラジ
 あなたのグルから何を学び、どのような修練をしてきたのだろう
 か?
 
 質問者 彼は崇敬すべき、齡(よわい)八十近い老人です。彼の
     教えはヴェーダーンタ哲学に属し、マインドのなかの無
     意識のエネルギーを目覚めさせ、隠れた障害や妨害を意
     識のなかにもたらすことが、彼の指導する修練の主要な
     点です。
     私の個人的なサーダナは、私の幼少期に固有の問題に関
     連しています。私の母親は子供の正常な成長にとっても
     っとも重要な、愛と安全に守られた存在の感覚を与える
     ことができませんでした。不安と神経症に悩まされ、自
     分に自信がもてず、彼女にとって私は、彼女の能力を超
     えた重荷であり、責任であったのです。彼女はけっして
     私に生まれてきてほしいと思ってはいませんでした。私
     に成長しないでほしいと望み、生まれる以前、存在する
     以前の子宮のなかに戻ってほしかったのです。私の人生
     におけるどんな動きも、彼女は拒んできました。彼女の
     習慣的生活の狭い輪を私が超えようと試みるたびに、彼
     女は猛烈に抵抗してきました。私は、繊細で、愛情深い
     子供でした。子供に対する純粋で本能的な母親の愛を拒
     まれてきた私は、ほかの何よりも愛情を切望してきまし
     た。子供にとっての母親の愛を探求することは、私の人
     生における主要な動機となり、成長してそれから抜けだ
     すことはけっしてありませんでした。幸福な子供、幸せ
     な幼少時代は私にとって強迫観念となったのです。
     妊娠、誕生、幼年期は私に熱烈な興味をもたらしました。
     私は著名な産科医となり、無痛分娩法の開発に貢献して
     きました。幸せな母親の幸せな子供――が私の全人生の
     理想なのです。しかし、私の母はいつもそこにいて、彼
     女自身が不幸なため、幸福な私を見ることができないで
     いるのです。それはとても奇妙な形で現れました。いつ
     であれ私に元気がないとき、彼女はより良く感じ、私が
     元気だと、彼女自身も私をも呪って落胆するのです。あ
     たかも、私が生まれてきたという罪をけっして許さず、
     生きていることへの罪悪感を私に抱かせるかのように。
     「あなたが生きているのは私を憎んでいるからでしょう。
     もし私を愛しているならば、死になさい」――これが沈
     黙を通しての彼女の絶え間ないメッセージだったのです。
     それゆえ私は、愛ではなく死を差しだされて生きてきた
     のです。
     母親のなかで永久に幼児として監禁されたため、私は女
     性との意味深い関係を発展させることができませんでし
     た。許すことも、許されることもない母親のイメージが
     間に立ちはだかるのです。私は仕事のなかに多くの慰め
     を見いだしてきましたが、幼児という深い穴から抜けだ
     すことはできませんでした。最終的に、霊的探求に方向
     を変えてからすでに数年間、この路線を着実に進んでい
     ます。しかしある意味では、それは相変わらず母親の愛
     情の探求なのです。それを神と呼ぼうと、アートマ(真
     我)、あるいは至高の実在と呼ぼうとも。基本的に、私
     は愛し、愛されたいのです。
     不運にも、いわゆる宗教的な人びとは生に反対し、まっ
     たくマインドのいいなりです。生の要求と衝動に直面し
     たとき、彼らは分類し、抽象化し、概念化します。そし
     て分類を生自体よりも重要と見なすのです。彼らはひと
     つの概念に集中し、それを人格化するように求めます。
     愛による自発的な統合よりも、ひとつのマントラに、慎
     重に勤勉に集中することを勧めるのです。神、あるいは
     真我、私、あるいはアートマ、それが何であれ同じこと
     です! 愛するための誰かではなく、考えるための何か
     なのです。私に必要なのは、理論やシステムではありま
     せん。同じように魅力的で、もっともらしいものは数多
     くあります。しかし、私に必要なのは、心からの感動、
     生命の再生であり、新たな考え方ではありません。新た
     な考え方というものはありません。しかし、感情はつね
     に新鮮であることができます。私が誰かを愛するとき、
     私は彼に自発的に、強烈な熱意と活気をともなって瞑想
     します。それは私のマインドでは制御できないものです。
     言葉は感情を形づくるのに適しています。感情をともな
     わない冷たく、気の抜けた、身体の入っていない洋服の
     ようなものです。私の母は、私の感情のすべてとその源
     を枯渇させてしまいました。ここで私は、子供としてた
     っぷりと必要だった豊富であり余るほどの感情を見いだ
     すことができるでしょうか?
 
 マハラジ
 あなたの子供時代は今どこにあるのだろうか?
 そしてあなたの未来とは何だろうか?
 
 質問者 私は生まれました。私は成長してきました。そして私は
     死ぬでしょう。
 
 マハラジ
 あなたは、もちろん身体のことを意味しているのだろう。
 そしてあなたのマインドを。
 私はあなたの生理学や心理学について話しているのではない。
 それらは自然の一部であり、自然の法則によって支配されている
 のだ。
 私はあなたの愛の探求について話しているのだ。
 それには始まりがあっただろうか?
 それには終りが来るのだろうか?
 
 質問者 私には、とても言うことができません。それは私の人生
     の最初から最後の瞬間までそこにあるのです。この愛へ
     の切望は何と不変で、何と絶望的なのでしょうか!
 
 マハラジ
 愛の探求のなかで、あなたは正確には何を探しているのだろうか?
 
 質問者 ただ、愛し、愛されることです。
 
 マハラジ
 ある女性を意味しているのだろうか?
 
 質問者 そうである必要はありません。その感覚が輝いて、明ら
     かでありさえすれば、友達でも、師でも、導き手でもい
     いのです。もちろん、女性はお決まりの答えではありま
     す。しかし、それだけである必要はありません。
 
 マハラジ
 あなたは愛することと愛されることの二つのうち、どちらを取る
 だろうか?
 
 質問者 むしろ、両方を取るでしょう! しかし、愛することの
     方がより偉大で、より高尚で、より深いことは私にも理
     解できます。愛されることが快いのは確かですが、それ
     は人を成長させてはくれません。
 
 マハラジ
 あなたは自らを愛すことができるだろうか?
 あるいは、愛するようにさせられなければならないだろうか?
 
 質問者 もちろん、愛するに足る人に出会わなければなりません。
     私の母は愛情がないばかりでなく、愛すべき人でもなか
     ったのです。
 
 マハラジ
 何が人を愛すべき人にするのだろうか?
 それは愛されることではないだろうか?
 まず、あなたは愛し、それから理由を探すのだ。
 
 質問者 その反対もありえます。あなたはあなたを幸せにするも
     のを愛するのです。
 
 マハラジ
 だが、何があなたを幸せにするのだろうか?
 
 質問者 そこには何の規則もありません。その問題全体が非常に
     個人的な、予期できないものなのです。
 
 マハラジ
 そのとおりだ。
 どのように表現しようとも、あなたが愛するまで幸せはありえな
 いのだ。
 しかし、愛はつねにあなたを幸せにするだろうか?
 愛が幸せと結びついているのは、むしろ初期の、幼稚な段階では
 ないだろうか?
 あなたの愛する人が苦しむとき、あなたも苦しむのではないだろ
 うか?
 そして、あなたが愛するのをやめるのは、あなたも苦しむからで
 はないだろうか?
 愛と幸せはともに来て、ともに去っていくものだろうか?
 愛とは単に快楽への期待なのだろうか?
 
 質問者 もちろん、そうではありません。愛にたいへんな苦しみ
     をともなうことはありえます。
 
 マハラジ
 では、愛とは何だろうか?
 それはマインドの状態というより、むしろ存在の状態ではないだ
 ろうか?
 愛するために、あなたが愛しているということを知らなければな
 らないだろうか?
 あなたは母親を気づかぬうちに愛していたのではないだろうか?
 彼女の愛と彼女を愛する機会を切望することは、愛の行動ではな
 いだろうか?
 愛とは存在の意識としてのあなたの一部分ではないだろうか?
 あなたが母親の愛を求めたのは、あなたが彼女を愛していたから
 だ。
 
 質問者 しかし、彼女は私に愛することを許さなかったのですよ!
 
 マハラジ
 彼女にあなたを止めることはできなかった。
 
 質問者 それでは、なぜ私の人生は不幸せなのでしょうか?
 
 マハラジ
 なぜなら、あなたはあなたの存在の根底まで行きついていないか
 らだ。
 あなた自身についての完全な無知が、愛と幸せを覆(おお)い隠
 し、あなたにけっして失わなかったものを探求するようにさせた
 のだ。
 愛とは意志だ。
 すべてとともにあなたの幸せを分かちあう意志なのだ。
 幸せで在ること、幸せになること――これが愛のリズムだ。
 
                   『私は在る』(p261-264)
                  http://tinyurl.com/s747u
------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 私は数カ月前にヨーロッパからやってきました。カルカ
>     ッタ近郊に住む私のグルを、今まで定期的に訪ねていま
>     した。今回の訪問を終え、今帰途に着つこうとするとこ
>     ろです。友人に招かれ、あなたのもとにやってきたので
>     す。お会いできて嬉しく思っています。

この方が……とても大きなトラウマを……抱えておられるんですね。

> マハラジ
> あなたのグルから何を学び、どのような修練をしてきたのだろう
> か?

マハラジは……いつものとおり尋ねただけかもしれませんが。

蓋をあけると出てきたのは……ひとつの爆発でした。

> 質問者 彼は崇敬すべき、齡(よわい)八十近い老人です。彼の
>     教えはヴェーダーンタ哲学に属し、マインドのなかの無
>     意識のエネルギーを目覚めさせ、隠れた障害や妨害を意
>     識のなかにもたらすことが、彼の指導する修練の主要な
>     点です。……

(ちょっと文字数の制限で質問の全文再掲を省略します。)

インナーチャイルドの……爆発でしょうかねぇ。(;_;)

さて……マハラジは……どんなふうに応対するのでしょう。

> マハラジ
> あなたの子供時代は今どこにあるのだろうか?
> そしてあなたの未来とは何だろうか?

ああ……そうか……。

その悩みが大部分……今は存在しないものへの執着であることへの
……微かなヒント……。

> 質問者 私は生まれました。私は成長してきました。そして私は
>     死ぬでしょう。

うん。

> マハラジ
> あなたは、もちろん身体のことを意味しているのだろう。
> そしてあなたのマインドを。

ですよね。

> 私はあなたの生理学や心理学について話しているのではない。

この方も……そのことをマハラジに訊きに来たのではない。

もっとも……心理学として語ろうとするグルは……ありえますが。

> それらは自然の一部であり、自然の法則によって支配されている
> のだ。

はい。

> 私はあなたの愛の探求について話しているのだ。

はい。

この質問者のお陰で……覚者からのこの応答が聞けるのですね。

> それには始まりがあっただろうか?
> それには終りが来るのだろうか?

(-_-)

> 質問者 私には、とても言うことができません。それは私の人生
>     の最初から最後の瞬間までそこにあるのです。この愛へ
>     の切望は何と不変で、何と絶望的なのでしょうか!

うん。

> マハラジ
> 愛の探求のなかで、あなたは正確には何を探しているのだろうか?

(-_-)

> 質問者 ただ、愛し、愛されることです。

ああ……。

> マハラジ
> ある女性を意味しているのだろうか?

質問者は……男性のようですね。

> 質問者 そうである必要はありません。その感覚が輝いて、明ら
>     かでありさえすれば、友達でも、師でも、導き手でもい
>     いのです。もちろん、女性はお決まりの答えではありま
>     す。しかし、それだけである必要はありません。

なるほど。

> マハラジ
> あなたは愛することと愛されることの二つのうち、どちらを取る
> だろうか?

うん。

> 質問者 むしろ、両方を取るでしょう! しかし、愛することの
>     方がより偉大で、より高尚で、より深いことは私にも理
>     解できます。愛されることが快いのは確かですが、それ
>     は人を成長させてはくれません。

確かに。

> マハラジ
> あなたは自らを愛すことができるだろうか?

おお……。

> あるいは、愛するようにさせられなければならないだろうか?

そういう質問が……ありうるのか……。

> 質問者 もちろん、愛するに足る人に出会わなければなりません。
>     私の母は愛情がないばかりでなく、愛すべき人でもなか
>     ったのです。

うん。

> マハラジ
> 何が人を愛すべき人にするのだろうか?

ちょっと気になったので調べてみると……ここは、

 What makes a person lovable?

lovable:【形】かわいい、愛らしい、愛きょうのある

ですね。

> それは愛されることではないだろうか?

なるほど……そうなのか。

> まず、あなたは愛し、それから理由を探すのだ。

ふーん。

> 質問者 その反対もありえます。あなたはあなたを幸せにするも
>     のを愛するのです。

確かに。

> マハラジ
> だが、何があなたを幸せにするのだろうか?

うん。

> 質問者 そこには何の規則もありません。その問題全体が非常に
>     個人的な、予期できないものなのです。

そうなんだ……マハラジは何と言うんだろう?

> マハラジ
> そのとおりだ。

おう。

> どのように表現しようとも、あなたが愛するまで幸せはありえな
> いのだ。

そうか……ここに飛躍するのが……覚者の言葉か……。

> しかし、愛はつねにあなたを幸せにするだろうか?

(-_-)

> 愛が幸せと結びついているのは、むしろ初期の、幼稚な段階では
> ないだろうか?

なるほど……。

> あなたの愛する人が苦しむとき、あなたも苦しむのではないだろ
> うか?

確かに。

> そして、あなたが愛するのをやめるのは、あなたも苦しむからで
> はないだろうか?

おおお……。(;_;)

> 愛と幸せはともに来て、ともに去っていくものだろうか?
> 愛とは単に快楽への期待なのだろうか?

いや……。

> 質問者 もちろん、そうではありません。愛にたいへんな苦しみ
>     をともなうことはありえます。

うん。

> マハラジ
> では、愛とは何だろうか?

「では、愛とは何か?」

> それはマインドの状態というより、むしろ存在の状態ではないだ
> ろうか?

はい。

> 愛するために、あなたが愛しているということを知らなければな
> らないだろうか?

いや……そうとは思えません。

> あなたは母親を気づかぬうちに愛していたのではないだろうか?

確かに。

> 彼女の愛と彼女を愛する機会を切望することは、愛の行動ではな
> いだろうか?

間違いなく。

> 愛とは存在の意識としてのあなたの一部分ではないだろうか?

はい。

> あなたが母親の愛を求めたのは、あなたが彼女を愛していたから
> だ。

(-_-)

> 質問者 しかし、彼女は私に愛することを許さなかったのですよ!
> 
> マハラジ
> 彼女にあなたを止めることはできなかった。

おお……。

> 質問者 それでは、なぜ私の人生は不幸せなのでしょうか?

それだ……。

> マハラジ
> なぜなら、あなたはあなたの存在の根底まで行きついていないか
> らだ。

やっぱり。

> あなた自身についての完全な無知が、愛と幸せを覆(おお)い隠
> し、あなたにけっして失わなかったものを探求するようにさせた
> のだ。

(-||-)

> 愛とは意志だ。

はい。

> すべてとともにあなたの幸せを分かちあう意志なのだ。

そうなのか……。

> 幸せで在ること、幸せになること――これが愛のリズムだ。

「幸せで在ること、幸せになること――これが愛のリズム」……。

どこから……こんな言葉が出てくるのかなぁ……。

……。(-_-)

ありがとうございました……。<(_ _)>

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
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おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


       ………○…………○…………○………


▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


『アセ通』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


       ………○…………○…………○………


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■ 3.編集後記:短くしなきゃと思いながら……
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短くしなきゃと思いながら……しかも忠告する人の視線を感じなが
ら……結構……長く書いてしまいました。^^;;

もう……明らかに……長すぎです。

風邪など……引かれませぬように。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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