home > 通信 > 『アセンション館通信』第414号:あなたの気づきではありません



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2012/3/11(第414号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンが
見ている風景の報告です。(なんちゃって。(*^_^*) )

現象のなかに得るべき何ものもなく、探求するその人もいないこと
が納得されても、まだ惰性で書くことが起こっているので。(^^;)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在 893名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.あなたの気づきではありません

2.写経ニサルガダッタ:【91 快楽と幸福】の1回目

3.編集後記:今日は……ちょっと……始まりが遅かったです
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■ 1.あなたの気づきではありません
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元気な朋あり……遠方より来る……また楽しからずや……。

一年ぶりに……旧友が遠方から訪ねてくれて……昨夜は……歓談し
ました。

お互いに……少しずつ歳を取りながら……同じような話題で……ま
た盛り上がる……。

そういうことがあるのも……いいものですね……。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

今回も……祇園さんからご投稿をいただいています。

「いただいたお手紙から」でご紹介するところかな……とも思った
のですが……でも……祇園さんのご質問……とても面白いんです。

それで今回も……ここで取り上げさせていたくことにしました。

いろんなことが……整理され……単純になっていくプロセスの……
一部かなとも……思います。

では、早速ご紹介します。

【件名】: 私は、本当に「私は在る」ということを知っているのか?
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 パリさんこんにちは
 
 先週は丁寧に質問に答えてくれてありがとうございます<(_ _)>
 
 とてもためになりましたよ。(^^)/
 
 ところで先週の記事を読んで質問が2つ。
 1つ目は上手く纏められていないので、端的にお聞きします。
 
 私は、「私は在る」ということを知っていると言う時、それを
 知っているのは本当でしょうか?
 つまり私自身を振り返ってみて、私は、「私は在る」というこ
 とを知っている、あるいは感じているという時、それはいわゆ
 るマインドが知っているということを発見するのです。
 すると、マインドとは実在しないものであるということですか
 ら、「私は在ると知っている」ということも怪しいのではない
 かとの疑問が浮かんでおります。
 
 私は、マインドを越えて、「私は在る」を知りません。
 ここまでについてのパリさんの意見を聞かせてください。m(_ _)m
 
 もう一つの質問ですが、411号の認めるということの記事
 で、ボブさんが、「私は在る」に対して、十分な時間それとい
 て、それを愛し、暖かくし、それを認めるようにするとおっし
 ゃっておられましたが、これは結局どういうことなんでしょう
 か? 具体的に何をしろということでしょうか?
 
 ではパリさん質問ばかりで申し訳ないですが、宜しくお願いし
 ます<(_ _)>
------------------------------------------------------------

祇園さん……ご質問……ありがとうございました。

いろいろなことが……整理されていって……ありがたいです。

> パリさんこんにちは
> 
> 先週は丁寧に質問に答えてくれてありがとうございます<(_ _)>

読んでいただいて……ありがとうございました。

> とてもためになりましたよ。(^^)/

こちらこそです。

> ところで先週の記事を読んで質問が2つ。
> 1つ目は上手く纏められていないので、端的にお聞きします。

はい。

> 私は、「私は在る」ということを知っていると言う時、それを
> 知っているのは本当でしょうか?

言葉にするのは……本当に難しいですよね。

> つまり私自身を振り返ってみて、私は、「私は在る」というこ
> とを知っている、あるいは感じているという時、それはいわゆ
> るマインドが知っているということを発見するのです。

なるほど。

> すると、マインドとは実在しないものであるということですか
> ら、「私は在ると知っている」ということも怪しいのではない
> かとの疑問が浮かんでおります。

「マインドとは実在しないものである」という言葉を……ドグマの
ように語れば……これまたなかなか……面倒にもなりえます。

すべての霊的伝統は……用語法が異なり……伝えたい実相を……そ
れぞれ固有の言葉で……語ろうともするでしょうから。

例えば……ボブさんは……仏教について……こんなふうに言ってお
られましたね。

------------------------------------------------------------
 質問者 エゴとは並はずれた構築物――一つの概念、想念のよう
     なもの――であるように思えるのですが?
 
 ホブ
 それは創造されたものではありません。
 それはすべて、「心がつくりあげたもの mind stuff」です。
 そして「心」のすべては、思考です。
 仏教ではそれを、「唯心」と呼んでいます。
 仏教では心(mind と意識/気づき(awareness)を区別していま
 せん。
 仏教的観点から言えば、すべて心――すべて意識です。
 そこに存在するのは、本来的かつ自然な認識作用です。
 それは生まれたものではなく、始まりも終わりもありません。
 それは時間にしばられておらず、どんな観点からもつかまえるこ
 とができません。
 なぜなら、それにはどんな点も中心も周辺もないからです。
 それはただ在る、のです。
                    『ただそれだけ』(p132)
                 http://tinyurl.com/7o89r5x
------------------------------------------------------------

この用語法もまた……それとしてとても筋が通っていますよね。

なので……そこで働いている思考が……問題を創造(想像)しよう
としているのか……解体しようとしているのか……でもあります。

> 私は、マインドを越えて、「私は在る」を知りません。

そうおっしゃれば……それはまさに……そのとおりですものね。

> ここまでについてのパリさんの意見を聞かせてください。m(_ _)m

わかりました。

まず……前半のご質問から……入るとして……。

ここで……祇園さんの疑問の……中核部分を構成しているのは…
…この部分だと思います。

「つまり私自身を振り返ってみて、私は、「私は在る」というこ
 とを知っている、あるいは感じているという時、それはいわゆ
 るマインドが知っているということを発見するのです。」

吟味していただきたいのは……まさにこの部分です。

【「私は在る」ということを知っている、あるいは感じている】
というひとつの叙述があります。

この“知っている”“感じている”の主体を……祇園さんは……
マインドだとおっしゃる。

わたしがボブさんを読んで……教わったのは……それらの想念は
すべて……マインドの“翻訳”だ……ということでした。

ボブさん的表現では……存在するのは「第二のない、一なるもの」
だけです

その実在を指して……古の賢者たちは……「空なる意識(space-
like awareness)」とか……「神」とか言ってきたわけです。

英語表現に表れているように……それを“空間のような気づき”
……“空間にも似た意識”と……賢者たちは指摘しました。

この「空間のような(space-like)」とは……どういうことを意味し
ているのか?

いつかもご紹介したボブさんの応答では……こんな感じです。
(前回の誤訳部分を……少し修正して再掲します。)

------------------------------------------------------------
 見かけ上あなたが体験するその気づきは、その気づきのなかで起
 こります。
 では、その気づき以外に何かが本当にありうるでしょうか?
 それを説明しようとして、古の人たちは「空なる意識(space-
 like awareness)」という比喩を使います。
 それは空間に類似しています。
 空間についてあなたは何が言えますか?
 あなたはそれを定義できますか?
 
 質問者 いいえ。
 
 それには何か外観がありますか?
 
 質問者 いいえ。
 
 何か形状は? 大きさは?
 
 質問者 私がそれに何かを加えないかぎりはありません。
 
 ですからそれには外観も、形状も、寸法もないことがわかります。
 それには中心がありますか?
 
 質問者 いいえ。
 
 もしそれに中心がないのなら、それには周辺もありえません。
 あなたがそれについて本当に言えることは、それが在るというこ
 とだけです。
 それはただ在ります。
 さて「空なる気づき」という喩えを使って、もしあなたがそれを
 詳しく調べるなら、私たちが知っているものすべて、この地球、
 太陽、星やすべての銀河、衛星や流星、ブラックホール、何であ
 れ、あなたが概念化できるものはすべて、その空間のなかになけ
 ればならないことを、あなたは理解します。
 あなたが空間の外側に置くことができるものは何もありません。
 何かありますか?
 
 質問者 いいえ。
 
 もしあなたが空間には終わりがあると言うなら、それは何のなか
 に包含されているのでしょうか?
 空間です!
 すべては空間のなかに現れます。
 そして私たちにとってその空間は物ではありません。
 それは無です。
 さて、無から何かが出てくることができますか?
 
 質問者 分かりません。(間)いいえ。
 
 何も出てきません。
 ですから、このすべての現れは本当は無です。
 それは本当はパターンとなり、姿や形となって波動するその空な
 る気づきでしかありません。
 しかし、その本質はやはりその空間なのです。

          『What's Wrong with Right Now?』(p123-125)
                 http://tinyurl.com/7d3dnqf
------------------------------------------------------------

(-||-)

すべては……この「空なる意識(space-like awareness)」が在るか
らこそ……それを根拠として……存在するのです。

この「空なる意識(space-like awareness)」という言葉は……実在
がいかなる属性も持ちえないことの……喩えだと思います。

実在がすべてを映し出していること……を表現する喩えに……「鏡
のような意識(mirror-like awareness)」という言葉もあります。

「鏡のような意識(mirror-like awareness)」という表現は……実在
がどんな解釈も加えないこと……の喩えでもあります。

すべてを映し出しているとは……すべてに気づいている……すべて
を記録している……ということでしょう。

すべてに“気づいている”のなら……すべてを“知っている”とも
言えるはずですが……。(-_-)

しかし……ここが……難しいところです。

例えば……今わたしの目の前に……山里の光景が広がっています。

すべてが……見えています。

山も……樹々も……川も……庭も……空の雲も……。

すべてが……映しだされています。

では……このことを……すべてを“知っている”と……言い換えて
も……いいものかどうか。

「鏡のような意識(mirror-like awareness)」という意味では……
確かに……すべて見えているのです。

でも現に……言葉で拾い上げようとしたら……上に書いたように…
…山も……樹々も……川も……ということになってしまう。

「鏡の意識」に……映しだされている……あまりにも膨大な情報に
対して……それは……比較を絶して……わずかな情報でしかない。

それは……眼前の光景に対して……マインドが反応し……取りまと
め……翻訳した……言葉でしかない。

「知る」「知っている」という言葉には……どうしても……この反
応し……まとめ……翻訳する……ニュアンスがつきまといます。

なぜなら……「気づいている」ことは意識作用ではありませんが…
…「知っている」ことは……意識作用だからです。

ここでは……ニサルガダッタふうの……用語法を採用しますが……。

「気づいている」ことは……意識作用ではありません。

それは……意識作用の……可能根拠である……実在の一面です。

「知っている」ことは……「知覚」であり……意識作用です。

例えばここに……一歳の赤ん坊を連れてきて……この光景を見せた
ら……その子も……すべてに「気づいている」でしょう。

しかし……「知覚」は……しないでしょう。

記憶との参照が……起こらないわけですから。

だから……その子が……この光景を「知っている」とは……言えな
いだろうと思います。

「感じている」も……「知っている」と同じく……意識作用です。

一歳の赤ん坊は……「感じる」ということの……基盤を形成しつつ
あるかもしれませんが……まだ「感じて」はいないでしょう。

「知っている」……「感じている」という言葉には……そういうニ
ュアンスがあることを……まずお伝えしたいと思いました。

そして……次に調べていただきたいのは……誰が(あるいは何が)
……「気づいている」のか……についてです。

セイラー・ボブさんは……『ただそれだけ』のなかで……次のよう
に言っています。

------------------------------------------------------------
 誰もが今ここで見ています。
 あなたはまつたく努力なく見ています。
 見ることが進行しています。
 また誰もが聞いています。
 見ることが起こっていて、聞くことが起こっています。
 自分自身に尋ねてください。
 「私の目が、私に見るように言っているのだろうか?」と。
 さて、私の目は、「ボブ、ほらこれを見ろ、あれを見ろ」とは言
 っていません。
 目を通じて見ることが起こっているのですが、それが思考によっ
 て、「私は見る」「私はあれを見る」と翻訳されているのです。
 
 聞くことが耳を通じて起こっています。
 耳は、私に、「私が聞く」とは言いません。
 再び、それは思考によって「私が聞く」と翻訳されるのです。
 ですから、目は「私は見る」とは言わず、耳は「私が聞く」とは
 言わないのに、思考が湧き起こってそれを翻訳します。
 では次のことを自分に尋ねてください――「私は見る」という思
 考は、実際に見ることができるのか?
 注意して観察してください。
 そうすれば、思考が見ているのではないことを、あなたは理解す
 ることでしょう。
 「私は聞く」という思老が、実際聞くことができるのでしょうか?
 思考が行なうのはただ翻訳することだけです。
 このエゴとは考えられたもので、見たり、聞いたり、気づいたり
 するパワーを持っていないのです。
 「私は選ぶ」という思考は、選ぶことができません。
 「私は気づいている」という思老は、あなたの気づきではありま
 せん。
                 『ただそれだけ』(p129-p130)
                 http://tinyurl.com/7o89r5x
------------------------------------------------------------

(-||-)

> 見ることが起こっていて、聞くことが起こっています。

まさに……誰にも……このことが起こっています。

でも……それは……誰に起こっているのか?

> 目を通じて見ることが起こっているのですが、それが思考によっ
> て、「私は見る」「私はあれを見る」と翻訳されているのです。

思考によって……それはそのように……翻訳されているのです。

> 思考が行なうのはただ翻訳することだけです。

じつに見事な……洞察であり……表現だと思います。

> このエゴとは考えられたもので、見たり、聞いたり、気づいたり
> するパワーを持っていないのです。
> 「私は選ぶ」という思考は、選ぶことができません。
> 「私は気づいている」という思老は、あなたの気づきではありま
> せん。

……。(-_-)

「エゴは作り話である」とタイトルされたこの章の内容は……この
本のなかの……最重要トピックの……ひとつだと思います。

全宇宙は……思考の乱反射……その物質化とも言えるでしょう。

そして……その根源をなす……原初の思考こそが……「私は在る」
です。

この「私は在る」は……ある純然たる存在の感覚の……思考による
翻訳です。

その意味では……意識のなかに滲み出した……実在の香りです。

------------------------------------------------------------
 「私は在る」という感覚は、あなたと自己との間の連結部であり、
 外見の多様性に妨げられないアイデンティティの象徴なのだ。
 「私は在る」を内面と外面の間、実在と現れとの間の愛の象徴と
 して見なさい。
                     『私は在る』(p406)
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

しかしそれは……言語化されているという意味では……偽りです。

------------------------------------------------------------
 「私は在る」は偽りだからこそ、それは存続を願う。
 実在は存続する必要がない――それ自身、破壊不可能なことを知
 っているからだ。
 それは形態とその表現の破壊に無関心なのだ。
 「私は在る」を強調し安定させようと、私たちはありとあらゆる
 ことをするが――すべては無駄に終わってしまう。
 なぜなら、「私は在る」は瞬間から瞬間へと再構築されていくも
 のだからだ。
 それは絶え間ない仕事なのだ。
 そして唯一の革新的な解決法は、「私はあれであり、これである」
 という分離した感覚を永遠に消し去ることだ。
 存在は残る。
 だが、自己存在ではない。
                     『私は在る』(p318)
------------------------------------------------------------

(-||-)

……以上の知見を……再確認した上で……再度……祇園さんの言葉
を確認してみましょう。

「つまり私自身を振り返ってみて、私は、「私は在る」というこ
 とを知っている、あるいは感じているという時、それはいわゆ
 るマインドが知っているということを発見するのです。」

確かに……そうとも言えることが……起こっているのです。

しかし……それがすべての……真実でもない。

ボブさんの用語法では……それは思考によってそのような言葉に…
…“翻訳”されているのです。

「私自身を振り返ってみて、私は、……を発見する」……と。

それが……われわれの用語法の習慣ですし……今のところ……それ
以外の話し方が……ないわけです。

だから……祇園さんの……用語法に……異を唱えている……わけで
はありません。

でもわれわれは……ボブさんから……「私」には……じつは参照点
への参照以外の……どんな実体もないことを教わりました。

これは……単なる……思考の……翻訳語法にすぎないのです。

「私」という……いかなる実体が……あるわけでもない。

というわけで……祇園さん……、

> 私は、マインドを越えて、「私は在る」を知りません。

という……このご意見は……単に……どなたかの“翻訳”かもしれ
ないのです。

祇園さんの……疑念を解くには……足りないかもしれませんが……。

> もう一つの質問ですが、411号の認めるということの記事
> で、ボブさんが、「私は在る」に対して、十分な時間それとい
> て、それを愛し、暖かくし、それを認めるようにするとおっし
> ゃっておられましたが、これは結局どういうことなんでしょう
> か? 具体的に何をしろということでしょうか?

具体的には……なるべく「私は在る」に踏みとどまって……それ以
上の……物語の創造に……進まないことだと思っています。

マハラジの言い方では……例の、

------------------------------------------------------------
 あれやこれに成ろうとするのではなく、在ることに幸せでありな
 さい。
                     『私は在る』(p233)
------------------------------------------------------------

に……当たるでしょうか。

このことを……思い出すだけでも……それなりの恩恵があった……
という感じを持っています。

でも……ボブさんのやり方は……沈黙をマインドに押しつける……
ということも……あまり勧めないようです。

とすると……起こったことをそのまま認めて……それ以上……あま
り解釈しない……ということかもしれません。

いろんな比較や想像を……追っても……まったくの無意味なので。

pariパターンの場合は……しなければならないことをして……あと
はなるべく……余計なことは考えない……くらいです。(*^_^*)

いずれにしろ……マインドのなかに……このことの解決は……あり
えないわけですから。

ふっと気がついたら……あ……何も考えていなかったな……と思い
だして……喜べるなら……御の字です。(^^;)

> ではパリさん質問ばかりで申し訳ないですが、宜しくお願いし
> ます<(_ _)>

歯切れが悪くて……申し訳ないです。

でも……実力相応……ということで……。

いつの間にか……マハルシのこんな言葉が……とても好きになって
います。

------------------------------------------------------------
 幸福とは真我の本性そのものである。
 幸福と真我は別のものではない。
 世界のいかなるものごとのなかにも幸福はない。
 われわれは無知ゆえに、ものごとから幸福を得るものだと思って
 いる。
 心が外へ出ていくと、不幸を体験する。
 心の願いが満たされたとき、実は、心は自己本来の場所に戻って
 おり、真我である幸福を楽しむのである。
 同じように、眠りの状態、サマーディ、失神状態、あるいは、得
 たいと願っていたものが得られたり、嫌っていたものが消え去っ
 たりしたときには、心は内面に向かい、純粋な真我―幸福を楽し
 むのである。
 このように心は休むことなく動きまわり、真我からさ迷いでては、
 また戻ってくるということを繰り返している。
 木陰は気持ちいいが、外では太陽が焼けつくようだ。
 灼熱の太陽のなかを歩いてきた人が木陰にたどり着けば涼しいと
 感じる。
 木陰からわざわざ出て猛暑のなかを行き、それからまた木陰に戻
 ってくるのは愚かなことである。
 賢い人はずっと木陰にとどまっているだろう。
 同じように、真理を知る人は、ブラフマンを離れることはない。
 その反対に、無知な人の心は、悲惨を味わいながら世界をさ迷い
 歩き、つかの間の幸福を味わうためにブラフマンに戻ってくる。
 実際には、世界と呼ばれているものはただの想念にすぎない。
 世界が消え去ったとき、つまり想念が存在しないとき、心は平和
 を体験する。
 世界が現れると、不幸を味わうのである。
 
                 『あるがままに』(p404-405)
                 http://tinyurl.com/2aar6zj
------------------------------------------------------------

(-||-)

> 世界のいかなるものごとのなかにも幸福はない。

こんなに……はっきり……言っていただいて。(-||-)

> 木陰からわざわざ出て猛暑のなかを行き、それからまた木陰に戻
> ってくるのは愚かなことである。
> 賢い人はずっと木陰にとどまっているだろう。

ふふ……。

こんな言葉が……本当だと思える……ときがくるとは……。

不思議だよなぁ。

------------------------------------------------------------
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
                    『あるがままに』(p58)
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【91 快楽と幸福】の1回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

あまりにも……わがパターンが……ネガティブすぎるかと……思う
こともあります。

だから……こういう言葉を聞くと……落ち着きます。

> しかし、苦しみの普遍性を知覚するためには、人類の顔をよく見
> てみるだけで充分だ。

と……。(-_-)

では【91 快楽と幸福】の1回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解さ
 れることを願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、それを読んでいただければいいです。

------------------------------------------------------------
 質問者 私の友人のひとりである二十五歳の青年は、不治の心臓
     病で苦しんでいます。彼は緩やかな死よりも、自殺を選
     ぶと手紙に書いてきました。私は、西洋医学で治療でき
     ない病気も、何かほかの方法で癒すことができるかもし
     れない、と返事を書きました。人間の身体にほとんど即
     座と言えるほどの変化をもたらすヨーガの力があります。
     繰り返し断食をすることも、奇跡に近い効果を上げるこ
     とができます。私は彼に、死に急ぐよりもほかの方法を
     試みるようにと書きました。
     ボンベイ近郊に、奇跡的な力をもったひとりのヨーギが
     います。私は何人かの彼の弟子と出会い、彼らを通して
     友人の写真と手紙をヨーギに送りました。何が起こるか
     見てみましょう。
 
 マハラジ
 そうだ。
 奇跡はしばしば起こる。
 しかし、そこには生きようとする意志がなければならない。
 それなしには奇跡も起こらないだろう。
 
 質問者 そのような欲望を吹きこむことができるのでしょうか?
 
 マハラジ
 表面的な欲望なら――できる。
 だが、それは尽きてしまうだろう。
 根本的には、誰もほかの人に生きるように強いることはできない
 のだ。
 その上、かつては自殺を承認し、尊重する文化も存在したのだ。
 
 質問者 自然な一生の長さを生きることは、人の義務ではないで
     しょうか?
 
 マハラジ
 自然で、自発的で、たやすい人生なら――そのとおりだ。
 だが、病気をし、苦しむ人生なら自然とは言えない。
 何であれ来るものに揺らぐことなく耐えることは高尚な徳だ。
 しかし、無意味な苦悶や屈辱を拒否する尊厳もまたあるのだ。
 
 質問者 あるシッダ(解脱者)の書いた本を手にしたのですが、
     彼はそこに奇妙な、驚くべき多くの体験を描写していま
     す。彼によると、真のサーダカ(修行者)の道はグルと
     出会い、師に身体、マインド、ハートを明け渡すことで
     終わると言います。それ以降は、弟子の人生のもっとも
     ささいな出来事さえもグルが引き継ぎ、責任を取ります。
     それは自己同一化を通しての真我の実現とも言えるでし
     ょう。弟子は制御することも、抵抗することもできない
     力によって選ばれ、嵐の中の一枚の枯葉のように無力に
     感じるのです。彼を狂気と死から救うのは、グルの愛と
     力への信頼だけなのです。
 
 マハラジ
 すべての師たちは、彼の自己体験にしたがって教えるのだ。
 体験は信念によって形づくられ、信念は体験によって形づくられ
 る。
 グルでさえも弟子の自己イメージによって形づくられてしまう。
 グルを偉大にするのは弟子たちなのだ。
 ひとたびグルが内側と外側から解放される力の媒介として見られ
 れば、全身全霊での明け渡しも自然でたやすいものとなるだろう。
 苦痛に苛まれた人が外科医の手に完全に身をまかせるように、弟
 子もまた自分自身をためらいなくグルに預け渡すのだ。
 激しく必要性が感じられたとき、助けを求めるのはまったく自然
 なことだ。
 だが、いかにグルが強力であろうとも、弟子に彼の意志を押しつ
 けるべきではない。
 その反対に、ためらい、信頼しない弟子は、グルの過ちがなくて
 も満たされないままとどまるのだ。
 
 質問者 それでは、何が起こるのでしょうか?
 
 マハラジ
 すべてが失敗したとき、人生が教えるのだ。
 だが、人生の教訓は長い時を必要とする。
 信頼し、服従することによって多大な遅延と困難が回避される。
 しかし、そのような信頼も、無関心と落ち着きのなさが明晰性と
 平和に場所を明け渡したときにしか起こらないのだ。
 自分自身を尊重できない人には、自分自身も他者も信頼すること
 ができない。
 それゆえ、師ははじめに弟子の存在の源の高貴さ、高尚な本性、
 そして荘厳な運命を再保証することに最善をつくすのだ。
 師はある聖者や彼自身の体験を語る。
 弟子に自信をもたせ、かぎりない可能性を教えこむ。
 弟子への確信と師への信頼が整ったとき、弟子の人格と人生に、
 急速な、断固とした変化が見られるのだ。
 
 質問者 私は変化を求めていません。私の人生は今のままで充分
     良いものです。
 
 マハラジ
 あなたがそう言うのは、あなたの人生がいかに苦痛に満ちたもの
 かを、まだ見てはいないからだ。
 あなたはキャンディーを口にくわえたまま眠る子供のようなもの
 だ。
 完全に自己中心的で、つかの間の幸せを感じているかもしれない。
 しかし、苦しみの普遍性を知覚するためには、人類の顔をよく見
 てみるだけで充分だ。
 あなた自身の幸福でさえ、銀行の破産、あるいは胃潰瘍によって
 翻弄されるほど壊れやすく、短命なのだ。
 それは単に、二つの苦しみの間の和らいだ瞬間でしかない。
 真の幸福は壊れやすいものではない。
 なぜなら、それは環境に依存しないからだ。
 
                   『私は在る』(p490-491)
                  http://tinyurl.com/s747u
------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 私の友人のひとりである二十五歳の青年は、不治の心臓
>     病で苦しんでいます。彼は緩やかな死よりも、自殺を選
>     ぶと手紙に書いてきました。私は、西洋医学で治療でき
>     ない病気も、何かほかの方法で癒すことができるかもし
>     れない、と返事を書きました。人間の身体にほとんど即
>     座と言えるほどの変化をもたらすヨーガの力があります。
>     繰り返し断食をすることも、奇跡に近い効果を上げるこ
>     とができます。私は彼に、死に急ぐよりもほかの方法を
>     試みるようにと書きました。
>     ボンベイ近郊に、奇跡的な力をもったひとりのヨーギが
>     います。私は何人かの彼の弟子と出会い、彼らを通して
>     友人の写真と手紙をヨーギに送りました。何が起こるか
>     見てみましょう。

うん。

> マハラジ
> そうだ。
> 奇跡はしばしば起こる。

はい。

> しかし、そこには生きようとする意志がなければならない。

なるほど。

> それなしには奇跡も起こらないだろう。

わかりました。

> 質問者 そのような欲望を吹きこむことができるのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> 表面的な欲望なら――できる。
> だが、それは尽きてしまうだろう。

やっぱり。

> 根本的には、誰もほかの人に生きるように強いることはできない
> のだ。

それが……自然な感じがしますよね。

> その上、かつては自殺を承認し、尊重する文化も存在したのだ。

はい。

> 質問者 自然な一生の長さを生きることは、人の義務ではないで
>     しょうか?

うん。

> マハラジ
> 自然で、自発的で、たやすい人生なら――そのとおりだ。

はい。

> だが、病気をし、苦しむ人生なら自然とは言えない。

そう言って……いいんだ。(-||-)

> 何であれ来るものに揺らぐことなく耐えることは高尚な徳だ。

はい。

> しかし、無意味な苦悶や屈辱を拒否する尊厳もまたあるのだ。

(-||-)

> 質問者 あるシッダ(解脱者)の書いた本を手にしたのですが、
>     彼はそこに奇妙な、驚くべき多くの体験を描写していま
>     す。彼によると、真のサーダカ(修行者)の道はグルと
>     出会い、師に身体、マインド、ハートを明け渡すことで
>     終わると言います。それ以降は、弟子の人生のもっとも
>     ささいな出来事さえもグルが引き継ぎ、責任を取ります。
>     それは自己同一化を通しての真我の実現とも言えるでし
>     ょう。弟子は制御することも、抵抗することもできない
>     力によって選ばれ、嵐の中の一枚の枯葉のように無力に
>     感じるのです。彼を狂気と死から救うのは、グルの愛と
>     力への信頼だけなのです。

こういうお話に……感動するパターンも……あるわけですよね。

> マハラジ
> すべての師たちは、彼の自己体験にしたがって教えるのだ。

わかります。

それが自然なことですし。

> 体験は信念によって形づくられ、信念は体験によって形づくられ
> る。

なるほど。

> グルでさえも弟子の自己イメージによって形づくられてしまう。

(@_@)

そうか……。

和尚も……弟子の自己イメージによって形成された面も……ずいぶ
ん……あるのかも。

> グルを偉大にするのは弟子たちなのだ。

なるほどなぁ。

> ひとたびグルが内側と外側から解放される力の媒介として見られ
> れば、全身全霊での明け渡しも自然でたやすいものとなるだろう。

確かに……そう見られるなら。

> 苦痛に苛まれた人が外科医の手に完全に身をまかせるように、弟
> 子もまた自分自身をためらいなくグルに預け渡すのだ。

そうか……。(-_-)

> 激しく必要性が感じられたとき、助けを求めるのはまったく自然
> なことだ。

はい。

> だが、いかにグルが強力であろうとも、弟子に彼の意志を押しつ
> けるべきではない。

そういうものなんですね。

> その反対に、ためらい、信頼しない弟子は、グルの過ちがなくて
> も満たされないままとどまるのだ。

誰をも……何をも……信頼できない者が……満たされることは……
ないわけだ。

> 質問者 それでは、何が起こるのでしょうか?

うん……いい質問。

> マハラジ
> すべてが失敗したとき、人生が教えるのだ。

なるほど。

> だが、人生の教訓は長い時を必要とする。

なるほど。

> 信頼し、服従することによって多大な遅延と困難が回避される。

わかりました。

> しかし、そのような信頼も、無関心と落ち着きのなさが明晰性と
> 平和に場所を明け渡したときにしか起こらないのだ。

そうか……。

> 自分自身を尊重できない人には、自分自身も他者も信頼すること
> ができない。

うーむ……深い……。

> それゆえ、師ははじめに弟子の存在の源の高貴さ、高尚な本性、
> そして荘厳な運命を再保証することに最善をつくすのだ。

あーあ……なるほど。(@_@)

> 師はある聖者や彼自身の体験を語る。

はい。

> 弟子に自信をもたせ、かぎりない可能性を教えこむ。

はい。

> 弟子への確信と師への信頼が整ったとき、弟子の人格と人生に、
> 急速な、断固とした変化が見られるのだ。

(-||-)

> 質問者 私は変化を求めていません。私の人生は今のままで充分
>     良いものです。

ふふ……。

> マハラジ
> あなたがそう言うのは、あなたの人生がいかに苦痛に満ちたもの
> かを、まだ見てはいないからだ。

(-_-)

> あなたはキャンディーを口にくわえたまま眠る子供のようなもの
> だ。

(-_-)

> 完全に自己中心的で、つかの間の幸せを感じているかもしれない。

はい。

> しかし、苦しみの普遍性を知覚するためには、人類の顔をよく見
> てみるだけで充分だ。

そのとおりです。

> あなた自身の幸福でさえ、銀行の破産、あるいは胃潰瘍によって
> 翻弄されるほど壊れやすく、短命なのだ。

まったく。

> それは単に、二つの苦しみの間の和らいだ瞬間でしかない。

はい。

> 真の幸福は壊れやすいものではない。
> なぜなら、それは環境に依存しないからだ。

ああ……。(-||-)

……。(-_-)

ありがとうございました……。<(_ _)>

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


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■ 3.編集後記:今日は……ちょっと……始まりが遅かったです
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今日は……ちょっと……始まりが遅かったです。

だから……今の時間も……遅いです。

風邪など……引かれませぬように。

おやすみなさい。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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