━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
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☆☆ ☆☆『アセンション館通信』2012/3/11(第415号)
☆☆ ☆ ☆☆
☆☆ ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
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☆☆ ☆☆ https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇
このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンが
見ている風景の報告です。(なんちゃって。(*^_^*) )
現象のなかに得るべき何ものもなく、探求するその人もいないこと
が納得されても、まだ惰性で書くことが起こっているので。(^^;)
内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在 891名
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◇◇ もくじ ◇◇
1.存在の感覚の自覚について
2.写経ニサルガダッタ:【91 快楽と幸福】の2回目
3.編集後記:不満があれば……マインドのなか……
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■ 1.存在の感覚の自覚について
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微かに……雨ですね。
このあたりの雲は……雲だか霧だか……わかりません。
今あった霧が……ふっと滲むように……消えている。
雲の形が変わっていくのと……同じとも言えます。
霧は……寄る辺が……ないんですよね。
ただ……墨絵色の山を背景にして……その前に現れたり……消えた
りしているだけです。
雲も……同じです。
雲も……取り付く島がないのです。
雲は……なにか確固たる実体に……張り付いているわけではない。
だから……絶えず形を変えては……消滅をくりかえしている。
と言っても……以前にあった雲が……また姿を現した……というわ
けでもありません。
そのときどきに……そのときどきの雲が……現れては……また……
消えていっているだけです。
現れは……すべて……そんなようなものですよね。
霧の背景の……山だって……ほぼ百パーセント……真空です。
物理的な表現を……用いれば……ということですけど。
タイムスパンは違っても……ただつかの間……現れているだけ。
見えているもの……聞こえているもの……感じられること……想像
されること……すべては……見かけですよね。
在るのは……息づいている……たったひとつの空間だけです。
実在するのは……ただひとつの生命……真我だけです。
(*^_^*)
さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がまいりました。
『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/
みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?
今回も……祇園さんから……ご質問の投稿をいただきました。
ありがたいことです。(-||-)
ここは序ですから……三連チャンでいきましょう。
今回も……ここで取り上げさせていたくことにします。
よろしければ……祇園さん……何度でも……お願いします。(^人^)
遊びましょう。(^^)/
いろんなことが……整理される……かもしれませんし。
では、早速ご紹介します。
【件名】: 存在の感覚の自覚について
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パリさん質問に答えていただきどうもありがとうございました
<(_ _)>ペコリ
いやあ わかりやすい解説で頭が整理されました。
嬉しいです(^^)
ところで・・・実は・・・ まだ質問があるのです。
3週にもわたって質問するのは少々恐縮ですが(-_-)
まあ乗りかかった船と言うことで気にせずいきましょう(^^)/
> > 私は、マインドを越えて、「私は在る」を知りません。
> という……このご意見は……単に……どなたかの“翻訳”か
> もしれないのです。
パリさんのこの意見は私には理屈としてはよくわかります。
しかし自分にとって(パリさんもそうだと予測しますが)理屈
で理解するのではなく、このような言葉が適当かどうかはわか
りませんが、実体験というか実理解する必要があると思ってい
ます。
前回の質問では私はまだポイントが整理されておらず、曖昧に
なってた点もあったように思えます。
ところがパリさんの回答で1つ自分がわからなかったことに対
してヒントがありました。自分が何がわからなかったのかを端
的に示す言葉です。
それはパリさんの
> この「私は在る」は……ある純然たる存在の感覚の……思考
> による翻訳です。
と言う言葉です。
要するにこういうことです。
私が喉が渇き、水を汲み、それを飲んだとします。その時に私
は「水を汲みそれを飲むこと」と「私が水を汲みそれを飲んで
いると表現すること」が違うことはよくわかっています。
それは私が、水を汲みそれを飲んでいることの自覚があるから
です。
それらの実感や感覚をそれぞれ自覚しているから、「お前は実
は背中を掻いているのだ」とマインドに言われても騙されませ
ん。
そして実際水を飲むこと自体と、「水を飲んでいる」という表
現ないし思考は別物であると明確にわかります。
また私が窓の外から田んぼや畑、道路や山々を見るとき、これ
ら見ているということと、「私が景色を見ている」と言う表現
や思考は別物だとわかります。
それはやはり私が、これら風景を見ていることを自覚している
からです。
少々冗長になってきました。
要するに
> 私は、マインドを越えて、「私は在る」を知りません。
とは、より本質的に言えば
私は、ある純然たる存在の感覚を、自覚できない。
と言う表現になります。
そのような自覚がないために、「私は在る」という存在そのも
のの感覚と、「私は在る」と言う翻訳の区別がつかないので
す。
それゆえにパリさんの
> そして……その根源をなす……原初の思考こそが……「私は
> 在る」です。
この言葉もよく理解できないのです。
これに対しては、自作自演で申し訳ないのですが、このような
反論があるかもしれません。
たしかボブさんの話にも似たような話がありました。
それは、あなたは考えることをやめても見ているではないか、
聞いているではないか、あなたの存在自体は崩壊していないで
はないかというものです。
しかし、ここにきてこのような反論は逆に、それは肉体の作用
ではないかという話になるように思います。
つまり目を閉じれば見えなくなり、耳を閉じれば聞こえなくな
るからです。
覚者方の「アナタは肉体ではない」という表現は、この場合に
おいていかなる根拠で導かれるやとの疑問にも繋がります。
なぜ五感の機能の起こりが、純粋な存在の感覚と同視できるの
かというものです。
まあもちろん五感の機能の起こりが、存在感覚と同じとは限り
ませんが・・・。
純粋な存在感覚って何のことでしょうね???
パリさんのおかげで疑問はだんだんシンプルに整理されてきた
ように思います。
以上についてパリさんの意見をお願いしますm(_ _)m
------------------------------------------------------------
祇園さん……ご質問……ありがとうございました。
> パリさん質問に答えていただきどうもありがとうございました
> <(_ _)>ペコリ
こちらこそ。
お陰さまで……いろいろなことが……整理されます。
> いやあ わかりやすい解説で頭が整理されました。
> 嬉しいです(^^)
それなら……とても嬉しいです。
> ところで・・・実は・・・ まだ質問があるのです。
はい。
> 3週にもわたって質問するのは少々恐縮ですが(-_-)
> まあ乗りかかった船と言うことで気にせずいきましょう(^^)/
ええ……どんどん……いっちゃってください。(^^)/
> > > 私は、マインドを越えて、「私は在る」を知りません。
>
> > という……このご意見は……単に……どなたかの“翻訳”か
> > もしれないのです。
>
> パリさんのこの意見は私には理屈としてはよくわかります。
“理屈としてよくわかる”ことも……とてもとても……重要だと思
います。
> しかし自分にとって(パリさんもそうだと予測しますが)理屈
> で理解するのではなく、このような言葉が適当かどうかはわか
> りませんが、実体験というか実理解する必要があると思ってい
> ます。
ふーむ……。
> 前回の質問では私はまだポイントが整理されておらず、曖昧に
> なってた点もあったように思えます。
> ところがパリさんの回答で1つ自分がわからなかったことに対
> してヒントがありました。自分が何がわからなかったのかを端
> 的に示す言葉です。
おう……そうでしたか。(?_?)O
> それはパリさんの
>
> > この「私は在る」は……ある純然たる存在の感覚の……思考
> > による翻訳です。
>
> と言う言葉です。
なるほど。
> 要するにこういうことです。
はい。
> 私が喉が渇き、水を汲み、それを飲んだとします。その時に私
> は「水を汲みそれを飲むこと」と「私が水を汲みそれを飲んで
> いると表現すること」が違うことはよくわかっています。
はい。
> それは私が、水を汲みそれを飲んでいることの自覚があるから
> です。
> それらの実感や感覚をそれぞれ自覚しているから、「お前は実
> は背中を掻いているのだ」とマインドに言われても騙されませ
> ん。
そりゃ……そうですね。
> そして実際水を飲むこと自体と、「水を飲んでいる」という表
> 現ないし思考は別物であると明確にわかります。
了解です。
> また私が窓の外から田んぼや畑、道路や山々を見るとき、これ
> ら見ているということと、「私が景色を見ている」と言う表現
> や思考は別物だとわかります。
> それはやはり私が、これら風景を見ていることを自覚している
> からです。
わかります。
> 少々冗長になってきました。
> 要するに
>
> > 私は、マインドを越えて、「私は在る」を知りません。
>
> とは、より本質的に言えば
> 私は、ある純然たる存在の感覚を、自覚できない。
> と言う表現になります。
あーあ……そういうことですね。
> そのような自覚がないために、「私は在る」という存在そのも
> のの感覚と、「私は在る」と言う翻訳の区別がつかないので
> す。
なるほど。
> それゆえにパリさんの
>
> > そして……その根源をなす……原初の思考こそが……「私は
> > 在る」です。
>
> この言葉もよく理解できないのです。
なるほど。
おっしゃる意味がわかりました。
> これに対しては、自作自演で申し訳ないのですが、このような
> 反論があるかもしれません。
はい。
> たしかボブさんの話にも似たような話がありました。
> それは、あなたは考えることをやめても見ているではないか、
> 聞いているではないか、あなたの存在自体は崩壊していないで
> はないかというものです。
うむ。
> しかし、ここにきてこのような反論は逆に、それは肉体の作用
> ではないかという話になるように思います。
ほう……そう思われるんですね。
真我がなくても……肉体の作用はありうる……という観点ですね。
> つまり目を閉じれば見えなくなり、耳を閉じれば聞こえなくな
> るからです。
はは……。(^^;)
> 覚者方の「アナタは肉体ではない」という表現は、この場合に
> おいていかなる根拠で導かれるやとの疑問にも繋がります。
なるほど。
> なぜ五感の機能の起こりが、純粋な存在の感覚と同視できるの
> かというものです。
つまり……“五感の機能”とは……物理身体の固有の機能で……
それは真我がなくてもありうる……という暗黙の理解ですね。
> まあもちろん五感の機能の起こりが、存在感覚と同じとは限り
> ませんが・・・。
うん。
> 純粋な存在感覚って何のことでしょうね???
煎じ詰めれば……祇園さんの疑問は……ここですね……。
> パリさんのおかげで疑問はだんだんシンプルに整理されてきた
> ように思います。
はい。
> 以上についてパリさんの意見をお願いしますm(_ _)m
祇園さんの……質問が……とてもツボに嵌って……素直に展開され
ているのが……嬉しいです。(^^)/
ありがとうございます。
pariという……つかの間の有機パターンは……こういうことばかり
考えてきたので……まあ……お役に立つかもしれません。(^^;)
今回の祇園さんの質問のなかには……おそらく……複数のポイント
が……混在しているように思います。
複数のポイントというか……複数の前提というか……。
でも……とにかく……今回の主要ポイントは、
> > 私は、マインドを越えて、「私は在る」を知りません。
>
> とは、より本質的に言えば
> 私は、ある純然たる存在の感覚を、自覚できない。
> と言う表現になります。
ここですよね。
ところで……祇園さんは……存在しますか……存在しませんか?
もし祇園さんが……自分が存在しないと思っているなら……何をか
いわんやですが……でもそれなら……この質問もないでしょうね。
おそらく……祇園さんは……自分が存在することを……疑っていら
っしゃらないでしょう。
でも……もしそうだとしたら……その根拠は……何でしょうか?
何を根拠に……自分の存在を……確信しているのでしょうか?
自分の身体が……在るからですか?
身体が……自立的に……自分の存在を……確信できると思いますか?
身体は……単に……有機系の……機械にすぎません。
祇園さんが……抜け出したら……それはただの……屍体です。
祇園さんのなかの……何かが……自分が存在していることを……知
っているのです。
あるいは……自分が存在していることを知っている者のなかに……
祇園さんが……現れている……と言ってもいいです。
祇園さんが……自分の存在を疑わない……その根拠……それが……
思考によって……「私は在る」と……翻訳されているのです。
“純然たる存在の感覚”……こう言われると……自分はそんなもの
はまだ知らない……という気がする。(^^)
わかります。
でも……“純然たる存在の感覚”……なんて言葉を……そんなに気
にしなくていいです。
もし“純然たる存在の感覚”……という言葉が大層な表現だと思わ
れるなら……ただ……“在るという事実”……でもいいのです。
祇園さんは……自分が“在るという事実”を……否定できますか?
否定できませんよね。
存在しない方には……こんな質問も……できないでしょうから。
ラマナ・マハルシも……こう言っています。
------------------------------------------------------------
あなたがそこに存在しないかぎり、質問することもできないだろ
う。
それゆえ、あなたはあなた自身の存在を認めなければならない。
その存在が真我である。
真我はすでに実現されている。
そのため、実現するための努力は、ただあなたが実現していない
という現在の過ちを認識することにある。
新たな実現といったものはない。
ただ真我がその本性を現すだけである。
『あるがままに』(p58)
http://tinyurl.com/2aar6zj
------------------------------------------------------------
(-||-)
じつに……端的な……指摘ですよね。
こうして質問なさっている以上……祇園さんも……「あなた自身の
存在を認めなければならない」でしょうね。(^_-)
> その存在が真我である。
と……マハルシが保証してくれています。
なので……、
> 私は、ある純然たる存在の感覚を、自覚できない。
なんて……別に……気にしなくていいです。
“純然たる存在の感覚”なんてのは……単なる言葉ですから。
------------------------------------------------------------
そこに到達されるような目的地はない。
達成されるようなものもない。
あなたは真我である。
あなたはつねに存在している。
それが存在する、ということ以上に真我を断定できるものは何も
ない。
『あるがままに』(p46)
------------------------------------------------------------
> あなたはつねに存在している。
> それが存在する、ということ以上に真我を断定できるものは何も
> ない。
マハルシが……言っているんですよ。
「それが存在する、ということ以上に真我を断定できるものは何も
ない」
と。
でも……それでもなおかつ……、
> > 私は、マインドを越えて、「私は在る」を知りません。
>
> とは、より本質的に言えば
> 私は、ある純然たる存在の感覚を、自覚できない。
> と言う表現になります。
とおっしゃる……祇園さんのお気持ちも……わかります。
もともと……わたしが“純然たる存在の感覚”という言葉を使った
のは……参照点の“元種”……の意味を込めたからでした。
だから……何かそこに“モノ的”な……ニュアンスを……こめたか
ったわけです。
現れの世界のなかで……「わたし」という……人造真珠を吸着させ
るための……虚構の“核”の……役割を担わせるために……。
そのために……“存在の感覚”という……一種対象物のような……
言葉を使いました。
すると……この“存在の感覚”という言葉が……対象物として把握
できる“感覚”……のような連想を生むことになりました。
そして祇園さんに……自分はまだそれを知らない……という想念を
生む……結果になった……のだと思います。
でも……この場合の“存在感覚”とは……もともと知覚対象として
……把握可能な“感覚”……の意味ではありませんでした。
それよりは……むしろ……“在るという事実”のことです。
マハルシが言う……「存在するということ以上に、真我を断定でき
るものは何もない」という意味での……“存在感覚”です。
われわれが……自分は真我を知らない……と思ってしまうのは……
“真我を知る”という独自の感覚が……あるのかと思うからです。
でも……真我とは……唯一……真に実在する……究極の主体です。
どうあがこうと……マインドの対象物になど……できません。
マインド自体が……変化の相を表現するために……永遠不動である
……空なる意識……真我のなかに……浮かんでいるのですから。
変化の相が……永遠不動を……捉えることなど……できるはずもな
いのです。
これについては……覚者がたみなさんが……いろいろ言及されてい
ますが……例えば……ラマナ・マハルシはこう言います。
------------------------------------------------------------
真我を知ることは、真我として在ることである。
そして在ることとは存在、自分自身の存在を意味する。
たとえ自分で見ることができなくても、自分に目があることを否
定する者がいないように、誰も自分の存在を否定する人はいない。
問題は、鏡に映る自分の目を対象化してしまうように、あなたが
真我を対象物として見ようとしてしまうところにある。
あなたは今まであまりにも客観化することに慣れてしまったため、
あなた自身の知識を失ってしまったのだ。
なぜなら、真我を客観視することはできないからである。
誰が真我を知るのだろう?
それ自体では生命力をもたない身体がそれを知るのだろうか?
あなたはいつもあなたの「私」について語ったり、考えたりして
いる。
それにもかかわらず、尋ねられるとあなたはその知識を否定する。
あなたが真我なのだ。
『あるがままに』(p49)
------------------------------------------------------------
(-||-)
> 問題は、鏡に映る自分の目を対象化してしまうように、あなたが
> 真我を対象物として見ようとしてしまうところにある。
ここで言われていることは……とても面白いですよね。
例えば……二歳の赤ん坊は……目を開けていれば……周囲の環境を
……見ているでしょう
誰が見ているのかなど……考えもしません。
真我そのものが……見ているわけです。
ところが……そこでお節介な大人が……「ホラ、これがボクよ」と
……鏡を見せたとします。
赤ん坊に……大いなるゲシュタルトの変更が……起こるでしょう。
この奇妙な形のものが……ボクというのかと……。
そして……何度か繰り返して……その鏡を見るうちに……“自分”
が動くとその鏡の像が……動くことを知る。
そうか……これが……ボクなのか……。(@_@)
と……知ることでしょう。
そして……目を閉じると……鏡は見えなくなる。
目を開けると……また……ボクが見える。
何度かいろいろ試してみるうちに……いつか……この丸い二つの球
が……見ているのだと……理解するでしょう。
さてこれは……それ自体が対象物である……身体(という有機体=
モノ)だからこそ……ありうる状況です。
鏡という別の対象物に……映しだして……その「目」を……確認す
ることができる。
では……その確認している当人(主体)自体を……どうやって……
確認できるのか……。
いや……その当人(主体)自体を……いったい誰が……確認すると
いうのか……。
> あなたは今まであまりにも客観化することに慣れてしまったため、
> あなた自身の知識を失ってしまったのだ。
そういうことなんですよね。
> なぜなら、真我を客観視することはできないからである。
それは……できないわけです。
真我自体が……すべての“見かけ”を……自らのなかに浮かべ……
自らそれを……見ているのですから。
> 誰が真我を知るのだろう?
真我を客観視できる……どんな存在がありうるというのか?
> それ自体では生命力をもたない身体がそれを知るのだろうか?
真我なしに……身体の両眼が……真我を見られるとでも……いうの
だろうか?
> あなたはいつもあなたの「私」について語ったり、考えたりして
> いる。
確かに。
> それにもかかわらず、尋ねられるとあなたはその知識を否定する。
それも……確かです……。
> あなたが真我なのだ。
(-||-)
というわけで……祇園さん……唯一実在する……究極の主体である
真我は……自分を対象物として……確認することはできません。
鏡に映しだして……両眼を確認するようなことはできません。
では……真我の実在は……どうやって……確認できるのか? (-_-)
それが……古来……“神の隠れん坊”と言われてきたゲームです。
つまり……現れの世界があるということは……それを見ている者が
“在ること”を……指し示している……ということです。
そして……見ている者は……そのことを意識しようとしまいと……
自らの存在を……知っているのです。
だからこそ……覚者たちは
「それが存在する、ということ以上に真我を断定できるものは何も
ない」
と言うのです。
ニサルガダッタは……こう言います。
------------------------------------------------------------
それは在る。
それを否定することはできない。
それは深遠な、神秘を超えた神秘なのだ。
だが、それは在る。
それ以外のすべてはただ起こるだけだ。
『私は在る』(p58)
http://tinyurl.com/s747u
------------------------------------------------------------
「在るもの」……それだけが実在する……。
「私は在る」……と断言できる方……その方だけが実在します。
> それ以外のすべてはただ起こるだけだ。
すべての現れは……ただの見かけです。
------------------------------------------------------------
存在に証明は必要ない。
それはそれ以外のすべてを証明するのだ。
『私は在る』(p342)
------------------------------------------------------------
「存在」以外に……確かなものなど……何もないのです。
ボブさんは……実在と……顕現について……次のように語ります。
------------------------------------------------------------
大は銀河から、小は素粒子まで――その見かけはたえず変化して
います。
しかしその本質は、非現象であり、けっして変化したことがない
のです。
それはすべての変化を包合しますが、変化はそれを包合すること
ができません。
私たちが思考によってそれを把握しようとするとき、まさに同じ
ことをやろうとしています。
変化するもので変化しないものをつかまえようとしているわけで
す。
真実在の定義とは、けっして変化しないもの、です。
『ただそれだけ』(p96)
http://tinyurl.com/7o89r5x
------------------------------------------------------------
> それはすべての変化を包合しますが、変化はそれを包合すること
> ができません。
顕現(=変化)は……非顕現を……把握することはできません。
> 私たちが思考によってそれを把握しようとするとき、まさに同じ
> ことをやろうとしています。
マインドが……実在を把握しようとするとき……われわれはまさに
……不可能事に……挑戦しようとしているわけです。
> 変化するもので変化しないものをつかまえようとしているわけで
> す。
……。(-||-)
さて……こんなところで、
> 私は、ある純然たる存在の感覚を、自覚できない。
という……祇園さんのご心配は……払拭されたでしょうか?
要するに……ご自分の存在を否定しないかぎり……祇園さんが……
真我であることは……保証されている……ということです。
とは言っても……自分で認めなければ……そんな宝も……何の役に
立つだろうか……ということにもなりますが。(^_-)
> そのような自覚がないために、「私は在る」という存在そのも
> のの感覚と、「私は在る」と言う翻訳の区別がつかないので
> す。
どうでしょうか……このあたりの疑問は……解体しましたか?
> それゆえにパリさんの
>
> > そして……その根源をなす……原初の思考こそが……「私は
> > 在る」です。
>
> この言葉もよく理解できないのです。
「個人」という人造真珠の“核”が……“存在感覚”であり……
思考によるその翻訳語が……「私は在る」だったわけです。
> これに対しては、自作自演で申し訳ないのですが、このような
> 反論があるかもしれません。
> たしかボブさんの話にも似たような話がありました。
> それは、あなたは考えることをやめても見ているではないか、
> 聞いているではないか、あなたの存在自体は崩壊していないで
> はないかというものです。
> しかし、ここにきてこのような反論は逆に、それは肉体の作用
> ではないかという話になるように思います。
この祇園さんのお考えは……真我がなくても……肉体の作用自体
が存在できる……という想像から生まれています。
つまり……真我の存在は……なかなか信じられないが……肉体の
作用なら……信じられる……と。
まあ……これは……ボブさん流の喩えで表現すると、
大は銀河から、小は素粒子まで……たえず変化するその見かけは
信じられるが……非現象の本質の方は……どうも……。(-_-;)
といような……ことですけど。(^_-)
物理現象の実在を信じるとは……人体や……天体が……それ自体
の自立的能力で……存在していると……想像することです。
この前……サンピエトロ大聖堂のドームの真ん中に……塩を一粒置
いたような原子核のイメージについて……お話ししました。
https://www.ascensionkan.com/work/06eien_05dome.html
その塩粒を中心に……ドームの外周をその原子核の数千分の一の質
量のほこりの粒が飛び回る……それが電子のイメージでした。
その電子が……自らの意図と……自らの意志で……自立的に飛び回
って……人体や……天体を……構成していると……思いますか?
> つまり目を閉じれば見えなくなり、耳を閉じれば聞こえなくな
> るからです。
目を開ければ見えるのは……目があるからでしょうか?
耳栓を外せば聞こえるのは……耳があるからでしょうか?
このあたりについて……「脳と心(マインド)と<意識>と」という文章で
……書いたことがあります。
https://www.ascensionkan.com/work/04comp_14brain.html
よろしければ……参考になさってみてください。
> 覚者方の「アナタは肉体ではない」という表現は、この場合に
> おいていかなる根拠で導かれるやとの疑問にも繋がります。
覚者方は別に……「アナタは肉体ではない」……という議論をして
いるわけではありません。
ただ……「アナタは肉体ではない」……という事実を伝えているだ
けなのです。
> なぜ五感の機能の起こりが、純粋な存在の感覚と同視できるの
> かというものです。
このあたりについても……「物質過程は表現手段にすぎない」……
という文章で書いたことがあります。
https://www.ascensionkan.com/work/04comp_13m-process.html
もしよろしければ……参考になさってみてください。
ピンとこなければ……無視してくださいね。
> まあもちろん五感の機能の起こりが、存在感覚と同じとは限り
> ませんが・・・。
意識は誕生できない……。
そのあたりの内容を……はじめて展開したのが「海辺の家」という
文章でした。
https://www.ascensionkan.com/work/04comp_08umibe.html
もしかしたら……参考になるかもしれません。
もしそうでなければ……無視してください。
> 純粋な存在感覚って何のことでしょうね???
どうでしょうか……疑問は解体したでしょうか?
“存在感覚”って……“存在の事実”ということです。
だから……自分は存在していない……と言える方がいたら……その
方には……関係ないことなんですけどね。(^_-)
> パリさんのおかげで疑問はだんだんシンプルに整理されてきた
> ように思います。
ありがとうございます。
> 以上についてパリさんの意見をお願いしますm(_ _)m
はい……今回は……こんな感じの反応が……起こりました。
お役に立てば……嬉しいのですが。
実在するのは……永遠の不動です。
つまり……けっして顕現することのないものです。
しかし……すべての顕現を……可能にしているものです。
すべての顕現は……単なる……つかの間の……見かけにすぎません。
ただその……永遠の変化は……その背景にある……永遠の不動……
つまり……真我の存在を……指し示している……。
------------------------------------------------------------
永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
真我として在りなさい。
それが至福である。
あなたはいつもそれなのである。
『あるがままに』(p58)
------------------------------------------------------------
……。(-_-)
ありがとうございました。<(_ _)>
(-||-)
今日はこんなところで。
……。
m(_ _)m
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【91 快楽と幸福】の2回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
この質問者の方は……比較的若いウェスタンの方なんでしょうね。
> 悲しみと恐れには、西洋も東洋もない。
> 苦しみと苦しみの終焉という問題は普遍的なものだ。
> 苦しみの原因は依存にある。
> 独立がその治療法なのだ。
これが……ニサルガヨーガのエッセンスなんでしょうね。
助けが……要らなくなるまで……独立することが……。
では【91 快楽と幸福】の後半2回目です。
(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解さ
れることを願っています。(-||-) )
最初に通しで写経するので、それを読んでいただければいいです。
------------------------------------------------------------
質問者 あなたは自分自身の体験から語っているのでしょうか?
あなたもまた不幸せなのでしょうか?
マハラジ
私にはいかなる個人的な問題もない。
だが、世界は恐れと欲望の間に押しつぶされて生きている人たち
でいっぱいなのだ。
彼らははねまわり、飛びまわり、何の心配もなく幸せそうに屠殺
場に連れていかれる仔牛のようだ。
それにもかかわらず一時間後には殺され、皮を剥(は)がされる
のだ。
あなたは幸せだと言う。
あなたは本当に幸せなのだろうか?
それとも、単に自分を納得させているだけなのだろうか?
恐れなしに、あなた自身を見てみなさい。
そうすれば、あなたの幸せは条件と環境に依存し、それゆえ一時
的で、実在ではないことが即座に理解できるだろう。
真の幸福は内側から現れるのだ。
質問者 あなたの幸福が私にとってどんな意味があるというので
しょうか? それが私を幸せにするわけではありません。
マハラジ
あなたはそのすべて、そしてそれ以上を求めるだけで得ることが
できる。
だが、あなたは求めない。
あなたはそれを欲しくはないようだ。
質問者 なぜそう言われるのでしょうか? 私は幸福になりたい
のです。
マハラジ
あなたはまったく快楽に満足しているのだ。
幸福のための場所は残されていない。
あなたのコップを空っぽにして洗いなさい。
そうしなければ、それを満たすことはできないのだ。
他者はあなたに快楽を与えることができる。
だが、幸福を与えることはできないのだ。
質問者 一連の快い出来事は充分良いものです。
マハラジ
それはすぐに、もし破滅でなければ、苦痛に取って代わる。
結局、ヨーガとは内なる永遠の幸福の探求にほかならないのだ。
質問者 あなたの話されることは東洋のためのものです。西洋で
は条件があまりにも異なり、あなたの言われることはあ
てはまりません。
マハラジ
悲しみと恐れには、西洋も東洋もない。
苦しみと苦しみの終焉という問題は普遍的なものだ。
苦しみの原因は依存にある。
独立がその治療法なのだ。
ヨーガとは自己理解を通しての自己解放の芸術と科学なのだ。
質問者 私がヨーガにふさわしいとは思えません。
マハラジ
ほかの何にふさわしいと思っているのかね?
快楽を求めて行ったり来たりし、愛したり憎んだりすることは、
あなたが自ら押しつけた、あるいは受け入れた限界に対して闘っ
ていることを示しているのだ。
無知からあなたは過ちを犯し、あなた自身や他者にも苦しみを生
みだしている。
だが、衝動はそこにあり、それは否定されてはならない。
誕生、幸福、死を求める同じ衝動が、理解と開放を求めるのだ。
それは積荷の綿が発火したようなものだ。
あなたはそのことに気づいていないかもしれない。
だが、遅かれ早かれ船は炎に包まれるだろう。
解放は自然な過程だ。
そして、長期にわたって見れば、不可避なものだ。
だが、それを今のなかにもたらす力はあなたの内にあるのだ。
質問者 それでは、なぜ世界中にこれほど解脱した人が少ないの
でしょうか?
マハラジ
森林のなかで完全に開花している樹は、一時にはほんのわずかだ
ろう。
それでも、すべての樹がそれぞれの時期をもっているのだ。
遅かれ早かれ、あなたの身体的、精神的源泉にも終焉(しゅうえ
ん)がやってくる。
そうなったとき、あなたはどうするだろう?
絶望するのかね?
では、絶望するがいい。
あなたは絶望に疲れてくるだろう。
そして、疑問に思いはじめる。
そのときこそ、あなたは意識のヨーガにふさわしくなるのだ。
質問者 私には、この探求や黙想がもっとも不自然に見えます。
マハラジ
あなたにとっては不具として生まれてくることが自然なのだ。
あなたはそれに気づいていないかもしれない。
だが、それがあなたを正常にすることはないのだ。
正常、あるいは自然であることの意味をあなたは知らない。
そして、あなたが知らないということも、あなたは知らないのだ。
現在のあなたは漂っているだけだ。
そして、それゆえ危険なのだ。
なぜなら、漂流者にはいつ、何が起こるかわからないからだ。
目を覚まし、あなたの置かれた状況を見てみる方がいい。
あなたが存在することを、あなたは知っている。
あなたが何なのか、それをあなたは知らないのだ。
あなたが何かを見いだしなさい。
質問者 なぜ、世界にはこれほど多くの苦しみがあるのでしょう
か?
マハラジ
利己主義が苦しみの原因なのだ。
ほかの原因はない。
質問者 苦しみは限界のなかに固有のものだと私は理解していま
す。
マハラジ
相違や区別は苦しみの原因ではない。
多様性のなかの統合は自然であり、良いものだ。
ただ分離と自己本位とともに、本当の苦しみが世界に現れるのだ。
『私は在る』(p491-493)
http://tinyurl.com/s747u
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(-||-)
> 質問者 あなたは自分自身の体験から語っているのでしょうか?
> あなたもまた不幸せなのでしょうか?
ふふ。
> マハラジ
> 私にはいかなる個人的な問題もない。
はい……わかっております。
> だが、世界は恐れと欲望の間に押しつぶされて生きている人たち
> でいっぱいなのだ。
確かに。
> 彼らははねまわり、飛びまわり、何の心配もなく幸せそうに屠殺
> 場に連れていかれる仔牛のようだ。
(>_<)
> それにもかかわらず一時間後には殺され、皮を剥(は)がされる
> のだ。
(-_-)
> あなたは幸せだと言う。
> あなたは本当に幸せなのだろうか?
本当に幸せなのだろうか? (^_-) \←……
> それとも、単に自分を納得させているだけなのだろうか?
単に自分を納得させているだけなのだろうか?
> 恐れなしに、あなた自身を見てみなさい。
はい。
> そうすれば、あなたの幸せは条件と環境に依存し、それゆえ一時
> 的で、実在ではないことが即座に理解できるだろう。
はい。(-_-)
> 真の幸福は内側から現れるのだ。
(-||-)
> 質問者 あなたの幸福が私にとってどんな意味があるというので
> しょうか? それが私を幸せにするわけではありません。
ちょっと……追い詰められたかな。(^_-)
> マハラジ
> あなたはそのすべて、そしてそれ以上を求めるだけで得ることが
> できる。
> だが、あなたは求めない。
> あなたはそれを欲しくはないようだ。
覚者の……自然な方便なのか……。
> 質問者 なぜそう言われるのでしょうか? 私は幸福になりたい
> のです。
あ……ちゃんと食いついてきた。(@_@)
なるほどなぁ……。(-_-;)
> マハラジ
> あなたはまったく快楽に満足しているのだ。
> 幸福のための場所は残されていない。
寄せては返す……波のような……動きだなぁ。
> あなたのコップを空っぽにして洗いなさい。
そして……飛沫(しぶき)が……飛ぶ……。
> そうしなければ、それを満たすことはできないのだ。
そうかぁ……。
> 他者はあなたに快楽を与えることができる。
> だが、幸福を与えることはできないのだ。
はい。
> 質問者 一連の快い出来事は充分良いものです。
うん。
> マハラジ
> それはすぐに、もし破滅でなければ、苦痛に取って代わる。
逆らうなら……必ず……そうなりますよね。
> 結局、ヨーガとは内なる永遠の幸福の探求にほかならないのだ。
はい……現象によらない……永遠の幸福の探求……。
> 質問者 あなたの話されることは東洋のためのものです。西洋で
> は条件があまりにも異なり、あなたの言われることはあ
> てはまりません。
弁解かぁ……。
> マハラジ
> 悲しみと恐れには、西洋も東洋もない。
はい。
> 苦しみと苦しみの終焉という問題は普遍的なものだ。
まったくです。
> 苦しみの原因は依存にある。
そうか……。(-_-)
> 独立がその治療法なのだ。
わかりました。
> ヨーガとは自己理解を通しての自己解放の芸術と科学なのだ。
はい。
> 質問者 私がヨーガにふさわしいとは思えません。
はは。
> マハラジ
> ほかの何にふさわしいと思っているのかね?
うむ。
> 快楽を求めて行ったり来たりし、愛したり憎んだりすることは、
> あなたが自ら押しつけた、あるいは受け入れた限界に対して闘っ
> ていることを示しているのだ。
そういうことか。
> 無知からあなたは過ちを犯し、あなた自身や他者にも苦しみを生
> みだしている。
なるほど。
> だが、衝動はそこにあり、それは否定されてはならない。
「衝動はそこにあり、それは否定されてはならない」……。
はい。
> 誕生、幸福、死を求める同じ衝動が、理解と開放を求めるのだ。
そうなんだ……。
> それは積荷の綿が発火したようなものだ。
(?_?)O
> あなたはそのことに気づいていないかもしれない。
> だが、遅かれ早かれ船は炎に包まれるだろう。
なるほど。
> 解放は自然な過程だ。
ああ……。
> そして、長期にわたって見れば、不可避なものだ。
はい。
> だが、それを今のなかにもたらす力はあなたの内にあるのだ。
(-||-)
> 質問者 それでは、なぜ世界中にこれほど解脱した人が少ないの
> でしょうか?
うん。
> マハラジ
> 森林のなかで完全に開花している樹は、一時にはほんのわずかだ
> ろう。
わかります。
> それでも、すべての樹がそれぞれの時期をもっているのだ。
はい。
> 遅かれ早かれ、あなたの身体的、精神的源泉にも終焉(しゅうえ
> ん)がやってくる。
間違いなく。
> そうなったとき、あなたはどうするだろう?
> 絶望するのかね?
ふ。
> では、絶望するがいい。
はい。
> あなたは絶望に疲れてくるだろう。
なるほど。
> そして、疑問に思いはじめる。
「何故に、世界はじまってしまったのか」……とか。
> そのときこそ、あなたは意識のヨーガにふさわしくなるのだ。
そうか。(-_-)
> 質問者 私には、この探求や黙想がもっとも不自然に見えます。
そうなんだ。
> マハラジ
> あなたにとっては不具として生まれてくることが自然なのだ。
ふ。
> あなたはそれに気づいていないかもしれない。
> だが、それがあなたを正常にすることはないのだ。
> 正常、あるいは自然であることの意味をあなたは知らない。
> そして、あなたが知らないということも、あなたは知らないのだ。
挑発してる。(^_-)
> 現在のあなたは漂っているだけだ。
> そして、それゆえ危険なのだ。
> なぜなら、漂流者にはいつ、何が起こるかわからないからだ。
そうか……。
> 目を覚まし、あなたの置かれた状況を見てみる方がいい。
はい。
> あなたが存在することを、あなたは知っている。
そうか……ここでくるか。
> あなたが何なのか、それをあなたは知らないのだ。
> あなたが何かを見いだしなさい。
なるほど。
> 質問者 なぜ、世界にはこれほど多くの苦しみがあるのでしょう
> か?
殊勝……。
> マハラジ
> 利己主義が苦しみの原因なのだ。
やっぱり。
> ほかの原因はない。
はい。
> 質問者 苦しみは限界のなかに固有のものだと私は理解していま
> す。
確かに。
限界のないものが……定義に押し込められたら……。
> マハラジ
> 相違や区別は苦しみの原因ではない。
おお……。(@_@)
> 多様性のなかの統合は自然であり、良いものだ。
なるほど。
> ただ分離と自己本位とともに、本当の苦しみが世界に現れるのだ。
そうか……。
分離した個人という観念のなかに……苦しみの原因がある。
……。(-_-)
ありがとうございました……。<(_ _)>
(-||-)
今日の写経は、ここまでです。
m(_ _)m
………○…………○…………○………
『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html
ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/
新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
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おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/
………○…………○…………○………
▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)
「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。
………○…………○…………○………
『アセ通』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。
▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518
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■ 3.編集後記:不満があれば……マインドのなか……
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まわりの世界は……動いています。
風景も……状況も……動き続けています。
でもその波立ちは……現象のなかにしかない……。
現象のなか何ひとつ……求めるべきものなど……ありません。
波立ちをリアルにするのは……欲望だけです……。
不満があれば……マインドのなか……ということですね……。
だいぶ……昏くなってきました。
風邪など……引かれませぬように。
おやすみなさい。
<(_ _)>
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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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