home > 通信 > 『アセンション館通信』第417号:最も小さな子供さえ言っている



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2012/4/1(第417号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンが
見ている風景の報告です。(なんちゃって。(*^_^*) )

現象のなかに得るべき何ものもなく、探求するその人もいないこと
が納得されても、まだ惰性で書くことが起こっているので。(^^;)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在 889名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.最も小さな子供さえ言っている

2.写経ニサルガダッタ:
        【59 欲望と恐れ、自己中心的な状態】の2回目

3.いただいたお手紙から:或る私さん

4.「ご投稿・情報提供」:ハイアーセルフ33さん

5.編集後記:この空間を……満たしているんですね
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■ 1.最も小さな子供さえ言っている
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そぼ降る雨のなかで……遠い南の稜線だけが……明らんでいます。

現象のなかに……何も求めるものがない……。

いいですね……。

この現象がどう変わってくれたら……そのほうが嬉しいと……言え
るのでしょうか。

求めに求めて……その果ての風景を……今見ている……。

その風景がどのようであったとしても……得られるものもなければ
……失うものもない。

求めていると思っていた……その人も……いなかった……。

何の実体もない……ただの記憶のなかの……挿話の数珠つなぎ。

気づきの光を向けると……一瞬……記憶のなかで反射するだけ。

忘れていれば……それは存在しない……。

得るその人が……いなければ……得られるものなど……あるはずも
ありません……。

すべては……ただの……流れゆく夢……。

得られるものもなければ……求めるその人もいない……。

それが……当たり前です。

誤解以前です……。

(-_-)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

さて今回……祇園さんから……投稿フォーム経由で……個人メール
をいただきました。

最後に……今回は掲載しないでほしい……と書かれてありました。

わたしは……読み直し……もう一度だけ……挑戦させてくださいと
……掲載許可をお願いしました。

最初は……少し長すぎるかなと思い……最後の方の一部分だけ……
掲載させていただこうと……思ったのです。

ところが……もう一度よく読み直してみると……祇園さんの真意が
より伝わってきて……別に長くはないように思われてきました。

そして……再度……全文の掲載許可を……求めました。

その許可をいただき……いまこれを書いています。

祇園さんが望まなかったのに……なぜ掲載させてほしいと……思っ
たのでしょうね……。

なぜそういうことが起こるのか……そんなことはわかりません。

ただ……そう起こったから……起こっただけです。

では早速……ご紹介します。

ただ……祇園さんは……個人メールであまり読者の方に迷惑をかけ
たくない……と思われているようです。

ですから……自分には向かないと思う方は……飛ばしてください。

けれども……わたしには……とても真情が伝わりました。

【件名】: こ、これは・・・
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 パリさん、こんにちは(*^_^*)
 
 質問に答えていただきありがとうございました(^^)/
 
 ところで・・・
 一番恐れていたパターンとなりました(-_-)
 パリさんはこうおっしゃいます。
 
 > もし祇園さんにとって……本当に大切なものが……その論理
 > 展開の妥当性なのなら……話はそれで……終わります。
 
 > と主張なさるなら……そして本当にその理解で……満足して
 > いるのなら……それに異論を挟むことは……できません。
 
 > そうか……ということは……もしかしたら……祇園さんは議
 > 論をなさっているのかもしれない……とも思われてきました。
 
 端的に申し上げれば、私が知りたいのは「私は在る」というこ
 とです。
 パリさんがここでおっしゃる「議論」なる言葉が、解釈の正当
 性の披露合戦であると言うことであるならば、それは違うので
 す。
 私は自分の理解に満足はしていませんし、自分の論理の妥当性
 が大切と思っているわけではありません。
 
 沈黙は金と申しますので、このまま退場することが賢明かもし
 れませんが、敬愛するパリさんに誤解されたままでは遺憾です
 ので、少々言い訳を(^^;)
 
 私は「アイアムザット」をよんで、その世界を深く理解体験し
 たいと欲しました。
 しかしどのようにしてその境地にたどり着くかがわかりません。
 そこで必然的に次に注目する箇所は、具体的な方法論や手段が
 書かれている箇所です。
 パリさんもご存知の通り、比較的具体的な方法論は、「私は在
 る」と言う感覚に留まるというものです。
 それゆえ私は「私は在る」と言う感覚にこだわってきたのです。
 
 パリさんはこうおっしゃいます
 
 > まず……ボブさんが『だたそれだけ』のなかで……おっしゃ
 > っていることを……理解することから……始めてはどうでし
 > ょうか。
 
 私はボブさんのお話に整合性を感じており、それなりに納得し
 ています。しかし見解に対しては、必然的に別の見解が立ち上
 がります。
 私にも数々の疑問や別の見解が立ち上がりました。
 そのことはボブさん自身もよくご存知なはずです。
 それゆえ「あなたが唯一確信できること」つまり互いに見解の
 相違が生じない「私は在る」から始めなさいとおっしゃられた
 のだと思います。
 
 ところがです。わたしには「唯一確信できる」はずの「私はあ
 る」が何のことかわかりません。
 
 マハラジはこうおっしゃいます
 
 > 「私は在る」という感覚の中に深く入っていきなさい。
 > そうすればあなたは見いだすだろう。
 > 忘れ去ってしまったものを見つけだすにはどうするだろう?
 > 思い起こすまでマインドにとどめておくのだ。
 > 「私は在る」という存在の感覚が最初に現れる。
 > それがどこからやってくるのか、自分に尋ねなさい。
 > あるいは、それをただ静かに見守りなさい。
 > 「私は在る」という感覚の中にマインドが動じることなく定
 > まったとき、表現不可能な、しかし体験可能なひとつの境地へ
 > とあなたは入っていく。
 > 何度も何度も試みることだ。
 
 > ただマインドのなかに「私は在る」という感覚を保ち、あな
 > たのマインドとその感覚がひとつになるまで、そのなかに没入
 > しなさい。
 > 繰り返し試みることによって、あなたはそれへの愛情と留意
 > の正しいバランスをつかむだろう。
 
 > ただ、「私は在る」だけが直接の、そして証明を必要としな
 > いものなのだ。
 > それとともにとどまりなさい。
 
 > あなたが確信していることに満足するがいい。
 > そして、あなたが確信をもてるたったひとつのことは、「私
 > は在る」だ。
 > それとともに在りなさい。
 
 直接とおっしゃられるからには、「変化を知覚しているのは、
 不変の背景があるはずだ」というような推測ではないと思うの
 です。
 熱いなべを持ったときの熱いという感覚、冷たい水を浴びた時
 の冷たいという感覚、このような直接の世界の話だと思うので
 す。
 
 しかし私にはそのような感覚もなく、事実としての「私は在る」
 を感覚的にも理屈としても確信できない。
 しかしボブさんほどのお方が「唯一確信できる」とおっしゃら
 れるからには、私は、「私はある」に関して何か基本的・根本
 的な誤解をしているのだろう、それならばパリさんに聞いてみ
 ようと思った次第なのです。
 
 私のこれまでの質問は、決してご自慢の高邁な理論の披露では
 なく、偽りのない心中を、何とか正確に伝わるように表明した
 ものなのです。
 
 それゆえ
 
 > もし祇園さんにとって……本当に大切なものが……その論理
 > 展開の妥当性なのなら……
 
 などと言うことはなく、むしろ「お前さん、ここがまちがっと
 るよ」とその論理展開の不当性を指摘して欲しかったのです。
 そして私は「なるほど、そういうことか、たしかに私はある、
 これは確信できる」となりたかったのです。
 
 なぜならば、「私は在る」から始めれば、そこに粘り強く留ま
 ることにより、お馬鹿で能力に欠ける私にもチャンスはあると
 考えたからです。
 自分が絶対に確信できることならば、留まり続けることは決し
 て困難とはいえないでしょう。
 
 しかし・・・ 私にはわからない。感覚としても理屈としても
 「私は在る」を確信できない。
 入り口にもたどり着けないそんな私はどうすればいいのか(^^;)
 嗚呼 口惜しや(-_-)
 
 パリさん、今回の件はこれ以上言葉を重ねて誤解されても嫌で
 すので、これにてお開きにいたしましょう。
 今後の自分の理解の成熟を待ちたいと思います。
 
 パリさんは大変な時期にもかかわらず、4週にわたって誠実に
 かつ丁寧に答えてくれました。
 本当にありがとうございましたm(_ _)m
 感謝いたします(-||-)
 
 次回のメルマガも楽しみにしています(^^)/
 
 それではパリさん今後とも宜しくお願いします(^^)
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そして最後に……この投稿はメルマガには載せないでほしい……と
いう文面がありました。

長文でもあり……皆さんも辟易しているだろう……と。

祇園さん……お気持ちが……よく伝わりました。

要は……、

> むしろ「お前さん、ここがまちがっとるよ」とその論理展開の
> 不当性を指摘して欲しかったのです。
> そして私は「なるほど、そういうことか、たしかに私はある、
> これは確信できる」となりたかったのです。

そういうことですよね。

確かに「私は在る」ということを……確信したいのですね。

では……祇園さんの勘違いを……端的に指摘させてもらいます。

ただ……祇園さんに……少し……お願いがあります。

それは……もしかしたらpariさんは本当のことを言っているのかも
しれない……という余地を残して聴いて欲しいのです。

自分の見解に……意識を集中するのではなく……心を開いて読んで
いただだければ……ということです。(*^_^*)

まず……以下の祇園さんの解釈は……単純な誤解です。

> 私はボブさんのお話に整合性を感じており、それなりに納得し
> ています。しかし見解に対しては、必然的に別の見解が立ち上
> がります。

祇園さんは……ボブさんの言葉を……論理的な見解と……判断なさ
っているようですが……それは……違います。

現代随一のアドヴァイタンであるボブさんが……確実に知っている
ことを……可能なかぎり論理的に説明しようとしているのです。

それから……祇園さんの……この言葉ですが、

> 直接とおっしゃられるからには、「変化を知覚しているのは、
> 不変の背景があるはずだ」というような推測ではないと思うの
> です。

これは……次の文脈の解釈でしょうね。

------------------------------------------------------------
 変化しないものを意識することはできない。
 意識とはすべて、変化の意識なのだ。
 だが、変化を知覚すること自体が、そこに不変の背景のあること
 を余儀なくしているのではないだろうか?
                     『私は在る』(p535)
                  http://tinyurl.com/s747u
------------------------------------------------------------

これはまったく……論理的な“推測”などでは……ありません。

覚者が確実に知っている事実を……このようにでも言えば……理解
してもらえるだろうか……という慈悲の表現です。

それにつづく……この解釈ですが……、

> 熱いなべを持ったときの熱いという感覚、冷たい水を浴びた時
> の冷たいという感覚、このような直接の世界の話だと思うので
> す。

「私は在る」とは……そういう知覚・感覚の話ではない……という
ことは……これまで……再三……申し上げました。

ただ……祇園さんは……そのことを……どうしても……理解しよう
としてくださらないんですよね。(*^_^*)

祇園さんにとっては……ニサルガダッタだけは間違いなく……権威
のようですから……ニサルガダッタの言葉で……伝えますね。

------------------------------------------------------------
 私は意識であり、絶対的に幸福だと見いだしたのだ。
 ただ、私は存在―意識―至福が身体と身体の世界に属すると考え
 ていたのが間違いだったのだ。
                     『私は在る』(p102)
------------------------------------------------------------

“「私は在る」という感覚”とは……“身体と身体の世界に属する”
感覚……のことではありません。

逆に……“身体と身体の世界”が……“「私は在る」という感覚”
を根拠に……存在しているのです。

“「私は在る」という感覚”……という言葉は……とても紛らわし
いとも言えます。

特に……感覚……という言葉が使われると……それは

> 熱いなべを持ったときの熱いという感覚、冷たい水を浴びた時
> の冷たいという感覚、このような直接の世界の話だと思うので
> す。

と……解釈されてしまう。

pariが言ったのでは……無効かもしれませんが……上記の解釈は
……単純に……祇園さんの誤解なんです。(*^_^*)

もうひとり……別の権威も……連れてきましょうね……。

------------------------------------------------------------
 すべてに遍(あまね)く存在している真我を、人びとは知ること
 ができないと言う。
 私に何ができよう?
 最も小さな子供さえ言っている、「私はいる。私はする。これは
 私のものだ」と。
 それゆえ、誰もがこの「私」がつねに存在することを知っている。
 この「私」がそこにあるときだけ、あなたは身体だ、彼はヴェン
 カンナだ、これはラマナだ、といった感覚があるのだ。
 いつも目で見ることのできる自分自身の真我を知るために、ロウ
 ソクをかかげて探す必要があるだろうか?
 自分自身の真我そのものであるアートマ・スワルーパ(真我の本
 性)を知らないと言うことは、「私は私自身を知らない」と言う
 のと同じことである。
                    『あるがままに』(p45)
                 http://tinyurl.com/2aar6zj
------------------------------------------------------------

> 最も小さな子供さえ言っている、「私はいる。私はする。これは
> 私のものだ」と。
> それゆえ、誰もがこの「私」がつねに存在することを知っている。

この言葉の……意味するところが……わかりますか?

> 最も小さな子供さえ言っている、「私はいる。私はする。これは
> 私のものだ」と。

このこと自体を……ラマナ・マハルシは……われわれが真我を知っ
ていることの証明に……挙げているわけです。

ニサルガダッタなら……こうも言うかもしれません。

------------------------------------------------------------
 傷つけられたとき、あなたは泣く。
 どうしてだろう?
 なぜなら、あなたはあなた自身を愛しているからだ。
 
                     『私は在る』(p213)
------------------------------------------------------------

と……。

祇園さんは……自分が存在することさえ……「実は疑っている」と
……おっしゃる……。

もちろん……その時の祇園さんの意図は……真我としての“自分の
存在”を……「実は疑っている」……の意味でした。

でも……おそらく……そう書いたその言葉が……“自分の言葉”で
あることを……疑ってはいないのではないですか。

その“自分のもの”という感覚こそ……意識のなかに現れ……マイ
ンドによって解釈された……「私は在る」という感覚なのです。

マインドのその解釈は……ある意味で……間違っています。

マインドは……その“自分の言葉”自体が……独立して……単独で
……存在できるかのように……想像しているわけですから。

しかし……事実はそうではありません。

自分の存在も「疑っている」という……祇園さんのその想念も……
じつは……気づきが在るからこそ……存在できています。

祇園さんが……気づきだからこそ……存在できているのです。

祇園さんは……自分の存在さえ「疑っている」というその想念のほ
うを……自分だと思っていますが……じつは……逆なのです。

そのような想念は……その気づきに映った……風景にすぎません。

ほんの……つかの間の……モノです。

祇園さんの……身体とか……マインドとか……そういう知覚の対象
になりうるものは……すべて……モノです。

でも……祇園さんは……じつは……モノではありません。

そういうモノが……起こっている……その場なのです。

だから……祇園さんが……自分は真我を知らないと言えば……じつ
はそれは……謙遜ではなく……単なる自惚れです。(*^_^*)

真我なしに……祇園さんの……身体や想念が……存在できるはずも
ないからです。(←これは論理的推論ではありません。)

生きているのは……空なる意識……気づきのエネルギーだけです。

その二番目のない一なるものの上で……例えば最も小さな子供さえ

> 「私はいる。私はする。これは私のものだ」と

言っているだけなのです。

実在するのは……その「認識する空」だけです。

現れはすべて……その「認識する空」が見ている……ただの見かけ
にすぎません。

ここまで……いちおうpariパターンなりの応答が起こりました。

でも……それでもなお……祇園さんは、

> しかし私にはそのような感覚もなく、事実としての「私は在
> る」を感覚的にも理屈としても確信できない。

と……頑なに……理解を拒むかもしれませんね。

そして……、

> しかし・・・ 私にはわからない。感覚としても理屈としても
> 「私は在る」を確信できない。
> 入り口にもたどり着けないそんな私はどうすればいいのか(^^;)
> 嗚呼 口惜しや(-_-)

と……嘆かれるかもしれません。

その時のために……もし祇園さんにその気が起こったらですが……
ひとつの挑戦課題を……差し上げたいと思います。

かなり……難しい課題……かもしれません。(*^_^*)

ですから……けっして……無理にとは言いません。

もしその気になったら……挑戦してみてください。

それは……ここでこれまでの五回にわたって展開された応答を……
読み直してみる……という作業です。

ただし……その時に……ひとつの条件があります。

それは……祇園さんが書いた質問の部分ではなく……pariが書いた
応答の部分を……自分が書いたものとして読むことです。

実際は……pariとか祇園さんと言っているのは……認識する空……
のなかで起こっている……単なる……意識の相にすぎません。

pariにも……祇園さんにも……何の実体もありません。

単なる……記憶のなかの……挿話の数珠つなぎです。

祇園さんが……あるいはpariが……注意を向けたときに……現れる
だけのものです。

でも……もしかしたら……祇園さんは……pariが書いた部分を……
自分の文章として読むことには……抵抗があるかもしれません。

もし……確かな抵抗が感じられたら……それが……祇園さんが、

> しかし私にはそのような感覚もなく、事実としての「私は在
> る」を感覚的にも理屈としても確信できない。

という……その“事実としての「私は在る」を感覚的にも理屈とし
ても確信でき”る……ひとつの方法です。

「私は在る」は……感覚の世界には……エゴとして解釈され……反
映されているからです。

それは……「私は在る」の……遠い反響なので……純粋ではないか
もしれませんが……でもその分……粗い……確かな手応えです。

まずは……自分の存在を……確かな手応えで知ることができます。

あるいは……もしかしたら……祇園さんは……何の抵抗もなく……
pariが書いた部分を……自分の文章として読めるかもしれません。

すると……書かれていることがあまりにも当然で……何がわからな
かったのか……今度はそれがわからないかもしれません。

そうすれば……二度と再び……、

> しかし・・・ 私にはわからない。感覚としても理屈としても
> 「私は在る」を確信できない。
> 入り口にもたどり着けないそんな私はどうすればいいのか(^^;)
> 嗚呼 口惜しや(-_-)

などと嘆くことは……なくなるのではないかと思います。

もし気が向いたら……やってみてください。

……。(-_-)

(^_^)

少し……セイラー・ボブさんの翻訳をご紹介しましょうか。

ちょっと新しい本を……読んでいます。

ジェイムズ・ブラーハというひとが……セイラー・ボブさんの本に
感動して……ボブさんを……アメリカの自宅に呼ぶんです。

その経緯を……最初の電話の応対から……ボブさんとの会話を中心
にして……詳細に記録した本です。

とても……素晴らしい本でした……。

『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
 Adamson』(http://tinyurl.com/88zpf7p )

からの抽出翻訳です。

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 われわれの最初の会話
 
 ジェームズ 私は知性の役割を理解しようとしています。人は知
       性を介して覚醒を得るのでしょうか?
 
 ボブ
 いいえ。
 知性は悟りとは何の関係もありません。
 それは今もあなたとともにあり、いつもあなたとともにある自然
 な存在の気づきです。
 もしあなたが知性つまりマインドを調べたら、マインドがするの
 は翻訳することだけです。
 あなたは今見えていますね?
 
 ジェームズ:はい。
 
 ボブ
 ええ、で、もしあなたが部屋を見回して見えるものにラベルを貼
 ったら、わずかな数のものにしかラベルを貼ること、つまり見分
 けることはできません。
 でも実際は、あなたは部屋のなかのすべてを見ています。
 あなたはマインドでラベルを貼ることができるより、ずっと多く
 のものを見ています。
 あなたがラベルを貼るのは四つか五つのものしかないかもしれま
 せんが、でもあなたはすべてを見たのです。
 
 ジェームズ:そうです。
 
 ボブ
 ですから、それが純粋な知性との違い、つまり働いている純粋な
 気づき[存在の気づき、または自然状態を表す別の言葉]と、考
 えるマインドの違いです。
 マインドは翻訳します。
 マインドがするのはそれだけです。
 それは「私はこう考える」とか「私はあれを感じる」と言います。
 マインドがしているのはそれだけです。
 しかしその見ることと聞くこと、その具体的な働きはラベル貼り
 以前に存在するのです。
 それはつね完全な姿で、この瞬間に起こっています。
 
 ジェームズ:非二元論についてはたくさん読んできました。そし
       て最近私は自分が悟りを物であるかのように、達成
       であるかのように追い求めてきたことに気づきまし
       た。それはばかばかしいことです。
 
 ボブ
 もちろん、そうです。
 
 ジェームズ:知っているのに、「私は人生を浪費したくない。何
       であろうと悟るために可能なものはすべて実現した
       い」という思考が起こりつづけます。私は悟りを起
       こらせることができないことは知っています……。
 
 ボブ
 いいですか、悟りとか解放とか、そういったものはすべて、マイ
 ンドによってでっち上げられたものです。
 そういうものはラベルです、観念です。
 
 ジェームズ:そのとおりですが、でも私は今度は何をするのでし
       ょうか?
 
 ボブ
 あなたは何もしません。
 あなたが分離し実体として何かをしたことはありません。
 
 しかし、することは起こります。
 それはあなたを創った精子と卵子がひとつになったときと同じで
 す。
 そのときあなたはどこにいましたか?
 
 ジェームズ:それはわかります。でも私は何をするのでしょう?
 
 ボブ
 ただ人生が展開するにまかせてください、これまであなたの人生
 が生きられてきたのとまったく同じように。
 自分だと思っていた「私」というマインドが、これまで何ひとつ
 したことがなかったことをあなたは理解するに違いありません。
 それは何かをするどんな力も持っていません。
 それがしているのは、実際に起こり続けていることを翻訳するこ
 とだけです。
 
 ですからその継続していることは、これまでと同じく起こり続け
 ますが、あなたはもはやそれを分離した実体、つまり面倒に巻き
 込まれる個人のせいにすることはありません。
 すべての心理的問題を引き起こすのは、分離したアイデンティテ
 ィ、分離という考えです。
 分離はありません。
 すべては同等です。
 
 自然を見たら、あなたはすべての同等性を理解するでしょう。
 昼のあとに夜がつづき、音のあとに沈黙がつづき、潮が満ちては
 引いていき、季節が来ては過ぎ去ります。
 
 われわれは何にでもこれらのラベルを、何にでもこの区別を貼り
 ます。
 しかし真実は、すべてはひとつです。
 すべては意識です。
 それは水面の波のようなものです。
 波も水にすぎません。
 海に起こる波は、やっぱり海にすぎません。
 マインドのなか、ラベルのなか以外には、何の区別もありません。
 すべてはひとつです。
 すべては意識です。
                  『Living Reality』(p8-10)
                 http://tinyurl.com/88zpf7p
------------------------------------------------------------

> 知性は悟りとは何の関係もありません。

というのは……面白いですね。

知性が獲得できるようなものは……何もない……。

それでも……獲得するその人がいなかったことを……知性が理解す
る……必要があるのでしょうね。

それが単なる……見かけにすぎなかったことを。

在るのは……第二のない一なるものだけ……。

「認識する空」……「不生の仏心」……「知性エネルギー」と……
呼ばれてきたもの……。

------------------------------------------------------------
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
                    『あるがままに』(p58)
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


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■ 2.写経ニサルガダッタ:
        【59 欲望と恐れ、自己中心的な状態】の2回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ここでは……“永久的な完成”の姿が……語られています。

> 質問者 永久的な完成というものはないのでしょうか?
> 
> マハラジ
> ある。
> だが、それはすべての未完成を包括しているのだ。

と……。

> それがすべてを可能にし、知覚可能にし、興味深くする自己の本
> 性の完成なのだ。
> それは苦しみを知らない。
> なぜならそれは好まず嫌わず、受容も拒絶もしないからだ。

(-||-)

では【59 欲望と恐れ、自己中心的な状態】の後半2回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解さ
 れることを願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、それを読んでいただければいいです。

------------------------------------------------------------
 質問者 なぜ苦痛は快楽よりも効力があるのでしょうか?
 
 マハラジ
 快楽はたやすく受け入れられる。
 一方、自我のすべての力が苦痛を拒絶する。
 苦痛の受容が自我の否定であるように、自我は真実の幸福への道
 を妨げる。
 苦痛の心からの受容は幸福の源泉を解放するのだ。
 
 質問者 苦しみの受容も同じように働くのでしょうか?
 
 マハラジ
 苦痛という事実に気づきの焦点を当てるのは容易なことだ。
 苦しみにあっては、ことはそう単純ではない。
 苦しみに焦点を当てるだけでは、充分ではないのだ。
 なぜなら知ってのとおり、精神的な人生とはひとつの絶え間ない
 苦しみの流れだからだ。
 苦しみのより深い層に到達するには、あなたはその根元まで行き、
 そしてそれらの広大なネットワークを露(あら)わにしなければ
 ならない。
 そこには恐れと欲望が緊密に織り込まれ、生命エネルギーの流れ
 は対立して行く手を遮(さえぎ)り、互いに破壊しあっているの
 だ。
 
 質問者 どのようにして私の意識層より完全に下にある混乱を正
     すことができるのでしょうか?
 
 マハラジ
 あなた自身とともに在ること、「私は在る」とともに在ることに
 よって、日々の生活におけるあなた自身を、批判するよりも理解
 しようという意図をもって見守ることによって、何であれ、現れ
 ることを完全に受容することによってだ。
 なぜなら、それはそこにあるのだから。
 あなたは奥深くにあったものが表層に現れることを励まし、その
 捕らわれていたエネルギーによってあなたの人生と意識を豊かに
 するのだ。
 これが気づきの偉大な働きだ。
 それは生命とマインドの本性を理解することによって障害を取り
 除き、エネルギーを解放する。
 知性は自由への扉であり、そして油断のない注意が知性の母なの
 だ。
 
 質問者 もうひとつの質問です。なぜ快楽は苦痛のなかに終わる
     のでしょうか?
 
 マハラジ
 すべてにはじまりがあり、終わりがある。
 快楽もまた同じなのだ。
 期待してはいけない。
 そして後悔してはいけない。
 そうすれば、そこに苦痛はなくなるだろう。
 苦しみの原因は記憶と想像なのだ。
 
 もちろん、快楽の後の苦痛は身体とマインドの誤用によるものだ
 ろう。
 身体はその限度を知っているが、マインドはそれを知らないのだ。
 その渇望は数かぎりなく、限度を知らない。
 マインドを最大の努力とともに見守りなさい。
 なぜなら、そこにあなたの束縛が、そしてまた解放への鍵がある
 からだ。
 
 質問者 私の質問はまだ完全に答えられていません。どうして人
     間の快楽は破壊的なのでしょうか? どうして彼は破壊
     することのなかに、それほど喜びを見いだすのでしょう
     か? 生命はそれ自身の保護、永続、拡張を気にかけて
     いるはずです。このなかで、それは苦痛と快楽に導かれ
     ているのです。いったい、どの時点でそれらは破壊的に
     なるのでしょうか?
 
 マハラジ
 マインドが占拠し、記憶し、期待するとき、それは大げさに見た
 り、ゆがめて見たり、見落としたりする。
 過去は未来へと投影され、未来は期待を裏切るのだ。
 感覚と行動の器官は許容範囲を超えた刺激を受け、必然的に弱っ
 てしまう。
 快楽の対象物は期待されたことを満たすことができず、誤用によ
 って尽き果て、あるいは破壊されてしまう。
 快楽が探し求められるところには、過剰な苦痛が結果として生じ
 るのだ。
 
 質問者 私たちは自分自身だけではなく、他者まで破壊してしま
     うのです!
 
 マハラジ
 当然、自分本位とはつねに破壊的なものだ。
 欲望と恐れは、ともに自己中心的な状態だ。
 欲望と恐れの間に怒りが、怒りとともに憎悪が、憎悪とともに破
 壊への激情が立ち現れる。
 戦争はすべての死の兵器を備え、組織化された憎悪の行為なのだ。
 
 質問者 これらの恐ろしいものごとに終止符を打つ方法はないの
     でしょうか?
 
 マハラジ
 より多くの人びとが彼らの真の本性を知るにつれて、いかに微妙
 なものでも彼らの影響は広まっていき、世界の感情的な空気は和
 らいでいく。
 人びとは彼らの指導者にしたがい、そして指導者たちの間に、何
 人かの偉大なマインドとハートをもち、自己本位から絶対的に自
 由な人が現れたとき、彼らの衝撃はこの時代の未熟さと罪を不可
 能にしてしまうだけの充分な影響力を与えるだろう。
 新たな黄金の時代が現れ、ひとつの時代を築き、それ自身の完成
 のうちに倒れていくかもしれない。
 なぜなら、衰退は機運がその絶頂に達したときにはじまるものだ
 からだ。
 
 質問者 永久的な完成というものはないのでしょうか?
 
 マハラジ
 ある。
 だが、それはすべての未完成を包括しているのだ。
 それがすべてを可能にし、知覚可能にし、興味深くする自己の本
 性の完成なのだ。
 それは苦しみを知らない。
 なぜならそれは好まず嫌わず、受容も拒絶もしないからだ。
 創造と破壊は、それがその間でつねに変化しつづけていく模様を
 織り成す二つの極なのだ。
 好き嫌いやより好みから自由になりなさい。
 そうすれば、マインドとその悲しみの重荷は、もはやなくなるだ
 ろう。
 
 質問者 しかし苦しんでいるのは私ひとりではありません。ほか
     の人たちもいるのです。
 
 マハラジ
 あなたがあなたの欲望や恐れとともに彼らのもとに行くなら、単
 に彼らに不幸を加えるだけだ。
 まず、あなた自身が苦しみから自由になりなさい。
 そのときにのみ、他者を助けられる期待がもてる。
 期待する必要さえない。
 あなたの存在そのものが、ひとりの人間として同胞に与えること
 のできる最大の助けとなるだろう。
 
                   『私は在る』(p297-299)
                  http://tinyurl.com/s747u
------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 なぜ苦痛は快楽よりも効力があるのでしょうか?

うん……確かに。

> マハラジ
> 快楽はたやすく受け入れられる。
> 一方、自我のすべての力が苦痛を拒絶する。

はい。

> 苦痛の受容が自我の否定であるように、自我は真実の幸福への道
> を妨げる。

「苦痛の受容が自我の否定であるように」……、
「自我は真実の幸福への道を妨げる」……。

そうか……。(-_-)

> 苦痛の心からの受容は幸福の源泉を解放するのだ。

なるほど。(-_-)

> 質問者 苦しみの受容も同じように働くのでしょうか?

ああ……苦痛ではなくて……苦しみについて尋ねたのか。

> マハラジ
> 苦痛という事実に気づきの焦点を当てるのは容易なことだ。

はい。

> 苦しみにあっては、ことはそう単純ではない。

ん。(?_?)O

> 苦しみに焦点を当てるだけでは、充分ではないのだ。

ふーん。

> なぜなら知ってのとおり、精神的な人生とはひとつの絶え間ない
> 苦しみの流れだからだ。

なるほど……いや……確かに。

感覚的刺激に応対し……参照点を基準に……比較し……判断しつづ
けるのは……確かに……絶え間ない苦行ですよね。

> 苦しみのより深い層に到達するには、あなたはその根元まで行き、
> そしてそれらの広大なネットワークを露(あら)わにしなければ
> ならない。

そうか……。

> そこには恐れと欲望が緊密に織り込まれ、生命エネルギーの流れ
> は対立して行く手を遮(さえぎ)り、互いに破壊しあっているの
> だ。

ふーん。

> 質問者 どのようにして私の意識層より完全に下にある混乱を正
>     すことができるのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> あなた自身とともに在ること、「私は在る」とともに在ることに
> よって、日々の生活におけるあなた自身を、批判するよりも理解
> しようという意図をもって見守ることによって、何であれ、現れ
> ることを完全に受容することによってだ。

(@_@)

これは……わかりやすい。

> なぜなら、それはそこにあるのだから。

そう。

> あなたは奥深くにあったものが表層に現れることを励まし、その
> 捕らわれていたエネルギーによってあなたの人生と意識を豊かに
> するのだ。

まるでスピリチュアルマスターみたいな表現。(^_-)  \←……

そうか……すべては……ひとつだものなぁ……。

> これが気づきの偉大な働きだ。

要は……気づいていて……何もしない……ということか……。

> それは生命とマインドの本性を理解することによって障害を取り
> 除き、エネルギーを解放する。

ニサルガ師匠の慈悲の現れ自体が……変化するわけだよなぁ。(-_-)

聞き手も……いるし……。

> 知性は自由への扉であり、そして油断のない注意が知性の母なの
> だ。

ここでは……「知性は自由への扉」……と表現されている。

> 質問者 もうひとつの質問です。なぜ快楽は苦痛のなかに終わる
>     のでしょうか?

うん……ちゃんと確認しておいてくれて……。

> マハラジ
> すべてにはじまりがあり、終わりがある。

はい。

> 快楽もまた同じなのだ。

わかります。

> 期待してはいけない。
> そして後悔してはいけない。
> そうすれば、そこに苦痛はなくなるだろう。

はい。

> 苦しみの原因は記憶と想像なのだ。

そうか……。

「苦しみの原因は記憶と想像」……。

(-||-)

> もちろん、快楽の後の苦痛は身体とマインドの誤用によるものだ
> ろう。

はい。

> 身体はその限度を知っているが、マインドはそれを知らないのだ。

確かに。

> その渇望は数かぎりなく、限度を知らない。

はい。

> マインドを最大の努力とともに見守りなさい。

わかりました。

> なぜなら、そこにあなたの束縛が、そしてまた解放への鍵がある
> からだ。

(-||-)

> 質問者 私の質問はまだ完全に答えられていません。どうして人
>     間の快楽は破壊的なのでしょうか? どうして彼は破壊
>     することのなかに、それほど喜びを見いだすのでしょう
>     か? 生命はそれ自身の保護、永続、拡張を気にかけて
>     いるはずです。このなかで、それは苦痛と快楽に導かれ
>     ているのです。いったい、どの時点でそれらは破壊的に
>     なるのでしょうか?

ふーん……いろいろな……物語の作り方がある……。

> マハラジ
> マインドが占拠し、記憶し、期待するとき、それは大げさに見た
> り、ゆがめて見たり、見落としたりする。

はい。

> 過去は未来へと投影され、未来は期待を裏切るのだ。

確かに。

> 感覚と行動の器官は許容範囲を超えた刺激を受け、必然的に弱っ
> てしまう。

ああ……。

> 快楽の対象物は期待されたことを満たすことができず、誤用によ
> って尽き果て、あるいは破壊されてしまう。

なるほど。

> 快楽が探し求められるところには、過剰な苦痛が結果として生じ
> るのだ。

そういうものなんだ……。(-_-)

> 質問者 私たちは自分自身だけではなく、他者まで破壊してしま
>     うのです!

うん。

> マハラジ
> 当然、自分本位とはつねに破壊的なものだ。

(*-_-*)

> 欲望と恐れは、ともに自己中心的な状態だ。

はい。

> 欲望と恐れの間に怒りが、怒りとともに憎悪が、憎悪とともに破
> 壊への激情が立ち現れる。

創造と……維持と……破壊か……。

> 戦争はすべての死の兵器を備え、組織化された憎悪の行為なのだ。

はい。

> 質問者 これらの恐ろしいものごとに終止符を打つ方法はないの
>     でしょうか?

うん。

> マハラジ
> より多くの人びとが彼らの真の本性を知るにつれて、いかに微妙
> なものでも彼らの影響は広まっていき、世界の感情的な空気は和
> らいでいく。

「世界の感情的な空気は和らいでいく」……。

そういうことか。

> 人びとは彼らの指導者にしたがい、そして指導者たちの間に、何
> 人かの偉大なマインドとハートをもち、自己本位から絶対的に自
> 由な人が現れたとき、彼らの衝撃はこの時代の未熟さと罪を不可
> 能にしてしまうだけの充分な影響力を与えるだろう。

なるほど。

> 新たな黄金の時代が現れ、ひとつの時代を築き、それ自身の完成
> のうちに倒れていくかもしれない。

そうか……。

> なぜなら、衰退は機運がその絶頂に達したときにはじまるものだ
> からだ。

じつに……客観的な……。

> 質問者 永久的な完成というものはないのでしょうか?
> 
> マハラジ
> ある。

(-_-)

> だが、それはすべての未完成を包括しているのだ。

ああ……。(;_;)

今のなかに……。

> それがすべてを可能にし、知覚可能にし、興味深くする自己の本
> 性の完成なのだ。

そうか。

> それは苦しみを知らない。

(-_-)

> なぜならそれは好まず嫌わず、受容も拒絶もしないからだ。

(-||-)

> 創造と破壊は、それがその間でつねに変化しつづけていく模様を
> 織り成す二つの極なのだ。

……。

> 好き嫌いやより好みから自由になりなさい。

(-||-)

> そうすれば、マインドとその悲しみの重荷は、もはやなくなるだ
> ろう。

わかりました。

> 質問者 しかし苦しんでいるのは私ひとりではありません。ほか
>     の人たちもいるのです。

うん。

> マハラジ
> あなたがあなたの欲望や恐れとともに彼らのもとに行くなら、単
> に彼らに不幸を加えるだけだ。

まったく。

> まず、あなた自身が苦しみから自由になりなさい。

はい。

> そのときにのみ、他者を助けられる期待がもてる。

わかります。

> 期待する必要さえない。
> あなたの存在そのものが、ひとりの人間として同胞に与えること
> のできる最大の助けとなるだろう。

(-||-)

……。(-_-)

ありがとうございました……。<(_ _)>

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


『私は在る』の「目次」はここ↓に置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/books/I_AM_THAT-index.html

ときどき「ニサルガ辞書」で遊んでみてください。
https://www.ascensionkan.com/ndic/

新しい「ラマナ・マハルシ辞書」はここです。
https://www.ascensionkan.com/rdic/

おこがましくも『アセ通』既刊号はすべてここに置いてあります。
https://www.ascensionkan.com/mm/


       ………○…………○…………○………


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■ 3.いただいたお手紙から:或る私さん
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▼『アセ通』への「私は在る」関連ご意見投稿フォーム:
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P48750702
というのを作らせていただきました。(^^;)

「私は在る」に関するご意見・ご感想・シェアリング、または単な
るメールなど、ご自由にお書きいただければと思います。


       ………○…………○…………○………


或る私さんから……メールをいただきました。

【件名】: 
------------------------------------------------------------
 なんと、
 お母様がお亡くなりになりましたか・・・
 
 故人の冥福をお祈りします。
 
 身体の不自由が終わったことで、きっとほっとなさっていること
 でしょう。心残りなどありませんように・・・
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或る私さん……お気遣いありがとうございました。

> お母様がお亡くなりになりましたか・・・

はい。

> 身体の不自由が終わったことで、きっとほっとなさっていること
> でしょう。

はい……そう思います。

> 心残りなどありませんように・・・

ええ……まったくありません。

何もかも……すべて自然に……起こったと思っています。

ありがとうございました。

m(_ _)m


       ………○…………○…………○………


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■ 4.「ご投稿・情報提供」:ハイアーセルフ33さん
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

『アセ通』への「ご投稿・情報提供」を歓迎いたします。

▼『アセンション館通信』への情報ご投稿フォーム
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P87119518


       ………○…………○…………○………

久しぶりに、ハイアーセルフ33さんから短い情報投稿をいただき
ました。

早速、ご紹介します。

【件名】: 
------------------------------------------------------------
 今週の週刊文春です。いま売っています。
 
 http://blog.goo.ne.jp/hs33_001/e/5dd17e87d79e34f2c41e0f135e9a71f2
------------------------------------------------------------

はるさん……ありがとうございました。

わが家の母親も……まったく苦痛なく……眠るように逝きました。

こんなふうに……逝けたほうがいいですよね。

ありがとうございました。

m(_ _)m


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■ 5.編集後記:この空間を……満たしているんですね
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

空の雲が……とても黒くておどろおどろしく……南の稜線あたりの
……明かりを際立たせて……素敵です。

この空間を……満たしているんですね。

マインドの反応が……起ころうが……起こるまいが……それでいい
ですよね……。

立派であろうが……なかろうが……コンテンツは……いずれにして
も……動きます。

すべては自分のものだし……自分のものなど……何もないし……。

今日も……書きました。

季節の変わり目です……お風邪など引かれませぬように。

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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  → メール: pariアットマークjk2.so-net.ne.jp
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