home > 通信 > 『アセンション館通信』第419号:ボブさんの方便:「私とは誰か?」



━━━━☆☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━ by paritosho ━
  ☆☆   ☆☆ 
 ☆☆     ☆☆『アセンション館通信』2012/4/15(第419号)
☆☆   ☆   ☆☆
☆☆      ☆★ 【気刊】――「私は在る」に導かれ♪――
-☆☆---------☆☆------------------------------------------
 ☆☆   ☆☆          https://www.ascensionkan.com/
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◇◇ このメルマガの趣旨 ◇◇

このメルマガはアセンション館主人 pari と称するあるパターンが
見ている風景の報告です。(なんちゃって。(*^_^*) )

現象のなかに得るべき何ものもなく、探求するその人もいないこと
が納得されても、まだ惰性で書くことが起こっているので。(^^;)

内容は人畜無害、でも読む人は相当変わっていますね。現在 886名
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◇◇ もくじ ◇◇

1.ボブさんの方便:「私とは誰か?」

2.写経ニサルガダッタ:【22 生命は愛、愛は生命】の2回目

3.編集後記:こういう……表現もあるなぁ
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■ 1.ボブさんの方便:「私とは誰か?」
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雨ですね……。

頼まれて……雨のなかを外に出て……コゴミを取って来ました。

先日……西側の下の“ししどめ”が……破られているのを見つけて
……補修したのですが……北側も破られている……。

今度……補修しなくちゃ。

こうして……情緒のひだひだが……微かに揺らぐのは……何なんで
しょうね。

汚れのようでもあり……悲しみのようでもあり……執着のようでも
あり……単なる言葉のようでもあり。

まあ……いずれにせよ……二元性ですね。

(*^_^*)

さて、またまた一週間が過ぎて、楽しい“アセンション噺”ならぬ
“「私は在る」噺”にお付き合いいただく時間がまいりました。

『アセンション館通信』配達人の pari です。(^^)/

みなさま固有の「私は在る」の中で、いかがお過ごしでしょうか?

二番目のない一なるものからの表現が……いろいろな形を取るのは
……ありがたいことですね……。(-_-)

ありがたいというのも……ひとつの思い……現れては消え去る……
つかの間の表現ですが……。

たとえば……マハラジにはこういう表現があります。

------------------------------------------------------------
 質問者 マインドを放棄することと真我の実現、どちらが先に来
     るのでしょうか?
 
 マハラジ
 真我の実現がかならず先に来る。
 マインドはマインドによってそれ自体を超えることはできないの
 だ。
 それは爆発しなければならない。
                     『私は在る』(p541)
                  http://tinyurl.com/s747u
------------------------------------------------------------

こう聞くと……この言葉がドグマ化されて……そうか……マインド
の爆発が起こらなければならないのか……とも思われます。

でも……努力の無意味さが了解される以前に……マインドの放棄な
どありえないことは……ある意味で……自明とも言えます。

マハラジには……マインドが吹き飛ぶような……体験があったので
しょうね。

それで……この質問者への応答として……そんな言葉が……出てき
たのだと思います。

ところが同じマハラジに……こんな表現もあります。

------------------------------------------------------------
 質問者 どの面から見ても、欲望とその傾向からの自由が真我実
     現の第一条件だというお話ですが、この条件を満たすの
     は不可能に見えます。自己の無知は欲望を起こし、欲望
     が無知を永続させます。本当に悪循環です。
 
 マハラジ
 満たさなければならない条件などない。
 するべきこともなければ、あきらめることもない。
 ただ見て、そして覚えておきなさい。
 何であれあなたが知覚するものは、あなたでも、あなたのもので
 もないのだ。
 それは意識の領域内に在る。
 だが、あなたは領域でも、その内容でも、領域を知る者でさえな
 い。
 何かをしなければならないという観念が、努力の結果のなかへと
 あなたを巻き込むのだ。
 動機、欲望、目標達成の失敗、挫折感……これらすべてがあなた
 を引き止める。
 何が起ころうと、だた見守りなさい。
 そしてあなたはそれを超えて在る、ということを知りなさい。
 
                     『私は在る』(p165)
------------------------------------------------------------

(-||-)

ここでは……、

> 満たさなければならない条件などない。
> するべきこともなければ、あきらめることもない。

と語られます。

その時々の慈悲の現れでしょうし……質問者のパターン(資質)と
いうこともあると思います。

でも……マインドは“爆発しなければならない”……と聞かされる
よりは……、

> 満たさなければならない条件などない。
> するべきこともなければ、あきらめることもない。

と聞かされる方が……ハードルが消えて……楽なような気もします。

そして……こんな表現になれば……、

------------------------------------------------------------
 条件づけされたマインドには、無条件なるものは完全性として現
 れるか、あるいはすべての不在性として現れるのだ。
 どちらも直接体験はありえない。
 しかし、それが非存在を意味しているわけではないのだ。
 
                     『私は在る』(p194)
------------------------------------------------------------

ここではもう……想像されるような“真我の体験”など……ありえ
ないことが……明言されています。

> どちらも直接体験はありえない。

それは……マインドが体験できるような……ものではない。

> しかし、それが非存在を意味しているわけではないのだ。

マインドが体験できないからといって……それは存在しないという
ことではない。

それこそが……そしてそれだけが……在るのだ……と。

マインドで体験できないとなると……ではいったいどうやって……
その存在を知るのか……という疑問が起こります。

ここで……マハラジは……不思議な言葉を語ります。

------------------------------------------------------------
 あなたはマインドを超えている。
 だが、あなたはマインドで知るのだ。
                     『私は在る』(p330)
------------------------------------------------------------

と。

この「マインドで知る」……ということの手伝いにかけて……およ
そセイラー・ボブさんほどの……名人を知りません。

あまりにもシンプルな表現ですが……しかし聴いた者は……それを
否定することができない。

それくらいに……堅固です。

たとえば……「私とは誰か?」という……大見者ラマナ・マハルシ
の問いに悩む質問者を……ボブさんはこんなふうに導きます。

ちょっと長いですけど……たどってみるだけの価値のある……応答
だと思います。

pariパターンの場合は……この応答で……「私とは誰か?」という
問題は……消失しました。

あまりにも……自明ですから……。(-||-)

------------------------------------------------------------
 質問者 この質問を取り上げていただけるかどうか、不安なので
     すが。
 
 ボブ
 どのような質問ですか?
 
 質問者 「私とは誰か?」です。
 
 ボブ
 ほう。
 あなたはこれまでに自分が誰か、発見したことがありますか?
 
 質問者 ありません。
 
 ボブ
 「私とは誰か?」を尋ねる代わりに、「私とは誰か?」という質
 問をしているのは誰か、「私とは誰か?」を尋ねているこの質問
 者は誰なのか、と自分自身に尋ねてください。
 
 質問者 う―ん。
 
 ボブ
 あなたはそこから何を理解しますか?
 
 質問者 それは心、思考、ということですかね。
 
 ボブ
 なるほど。
 心ないし思考が質問者というわけですね。
 では、心ないし思考が、その質問を尋ねている者は誰か、と尋ね
 ているわけですか?
 心ないし思考が質問者である、と。
 それでいいですか?
 
 質問者 はい。
 
 ボブ
 さて、質問は何でしたっけ?
 
 質問者 「私とは誰か?」です。
 
 ボブ
 それは何ですか?
 
 質問者 一つの思考です。
 
 ボブ
 ええ、それは観念、思考ですね。
 ということは、質問者と質問はともに一つの観念で、質問者イコ
 ール質問そのもの、ということになります。
 それらの間に、何の違いもありません。
 ですから、もし質問者がいなくなれば、質問もありえないのです。
 質問や質問者が存在しなければ、そのときあなたはどうなります
 か?
 
 質問者 もし質問者がいなくなれば質問もありえない?
 
 ボブ
 質問も質問者も存在しないとき、あなたはどうなりますか?
 
 質問者 なにもない、でしょうね。
 
 ボブ
 あなたは思考の持ち主、観念の担い手です。
 質問者と質問を削除したとき、そこにあるのは、あるがままの裸
 の意識です。
 あなたは、「私とは誰か?」を発見したのです。
 何年も何年もその質問を心の中で問い続けて行き詰まる代わりに、
 質問者が質問そのものだということを理解してください。
 人々は心以前の存在状態について語り、そこに到達しようとして
 あらゆる種類の奇妙なことをやります。
 質問者は、質問それ自身に他ならないのです。
 それらは互いに相殺し合います。
 つまり、質問がなければ、質問者は存在しません。
 質問や質問者がなくても、私は消えたり、崩壊したりしません。
 その瞬間、あなたは心以前に存在しており、思考を超えているの
 です。
 思考を超えていれば、あなたは思考以前にいるはずです。
 それはそのくらいシンプルです。
                 『ただそれだけ』(p100-p103)
                 http://tinyurl.com/7o89r5x
------------------------------------------------------------

(-||-)

まさに……問答の……絶品ですね。(-_-)

> 質問も質問者も存在しないとき、あなたはどうなりますか?
> 
> 質問者 なにもない、でしょうね。
> 
> ボブ
> あなたは思考の持ち主、観念の担い手です。
> 質問者と質問を削除したとき、そこにあるのは、あるがままの裸
> の意識です。
> あなたは、「私とは誰か?」を発見したのです。
> 何年も何年もその質問を心の中で問い続けて行き詰まる代わりに、
> 質問者が質問そのものだということを理解してください。

このような明快な……言葉がありえたんですね。(-_-)

どこをどう押しても……びくともしない。

「私とは誰か?」という問が消えても……わたしはいつもと同じよ
うに……存在し……気づき……鼓動している。

こんなにも……自明なこと……。

しかし……「私は誰か?」で……引っかかったことのある者にとっ
ては……これは大変な解放です。

> 質問や質問者がなくても、私は消えたり、崩壊したりしません。

これ……真実ですよね……間違いないでしょ。

> その瞬間、あなたは心以前に存在しており、思考を超えているの
> です。

これが……あなたはマインドを超えている……という言葉の意味だ
ったんですね。

(-||-)

今回も……少しボブさんの翻訳をご紹介しますね。

『Living Reality: My Extraordinary Summer With "Sailor" Bob
 Adamson』(http://tinyurl.com/88zpf7p )
(『生きている実在:セイラー・ボブと過ごした途方もない夏』)
からの抽出翻訳です。

著者ジェームズ・ブラーハは……まだボブさんに会っていません。

これは……フロリダから……オーストラリアにかけた……初めての
電話の……会話の一部です。

------------------------------------------------------------
 ジェームズ 分離を感じる瞬間はたいてい自分が他人にたち混ざ
       っているときに起こります。つまり、何かの動揺や
       傷ついた感情が起こるのです。それから、後になっ
       て自分に起こったことはバカげていたと気づきます。
       何しろ傷ついたり動揺したりするジェームズなどい
       ないわけですから。ジェームズとは偽りのアイデン
       ティティ、偽りの参照点です。

 ボブ
 そうですね。
 相互作用は起こります。
 それが宇宙の機能です。
 ものごとは起こるでしょう。
 しかしそこに人びとはいないことをあなたは知っています。
 もし自分のなかに自己中心がないこと、独立した性質のものなど
 何もないことを明確に理解したら、そのときあなたは間違いなく
 他の人にも自立した性質をもつ自己中心などないことを確信する
 に違いありません。
 それはあなたを特等席につかせます、そうですね?

 ですからあなたは、みんなの出身地を知っているわけです。
 世界の99パーセントはこれを理解していません、把握していま
 せん。
 つまり彼らはその偽りの自己中心からやってきています。
 悟りを唱導する多くの人たちでさえ。
 光明とは何らかの未来を暗示していますが、未来の時など存在し
 ないのですから。
 彼らは偽りの自己中心の出身者なのです。

 というわけで、ほかの人びとはあなたについて概念をもちます。
 またあなたも自分について概念をもつでしょう。
 さて、どちらの概念が正しいですか?

 ジェームズ どちらも間違っています。
 
 ボブ
 その通りです。
 つまり、あなたは自分が自分についてもつ概念を信じることがで
 きません。
 それはガラクタです。
 また他の誰かがあなたについてもつ概念も信じられません。
 それもガラクタです。
 ですからその観点からは、あなたよりも優れた者もいなければ、
 劣った者もいないのです。
 それはすべて等しいのです。
 
 ですから人と交わるなかで、必要なら誰かと議論もするでしょう
 が、あなたはそれをまともには受けとりません。
 根拠のある確固とした自己中心や参照点など存在しないからです。
 確固としているとしても、それは彼らの認識です。
 それが彼らを反対させるかもしれないのです。
 人びとをこの教えに向かわせるのは一般に苦しみです、分かりま
 すか?
 
 ですからすべてはなるべきようになるのです。
 しかし実在はつねにこの瞬間にあります。
 あなたはけっしてこの瞬間を再び生きることはできません。
 もし私たちが昨日のことを気にしたり、明日に期待したりしてい
 たら、私たちは完全に生きてはいません。
 感覚の半分は過去と未来に取られ、私たちはすべてが起こってい
 る現在に完全にいないわけです。
 
 ジェームズ ですから、私が自分の人生を生きるとき……。
 
 ボブ
 あなたが自分の人生を生きているのではありません。
 あなたの人生が生きられているのです。
 
 ジェームズ わかりました。私の人生が生きられているとき、私
       は悟りを得ることについての想念などもっていない
       ほうがかえっていいのですか?
 
 ボブ
 ええ、こんなふうに見てください、ジェームス。
 悟りを得るとは、自分がまだ持っていない何かを暗示しています。
 そしてそれがあなたを現在から連れだし、あなたを遍在から、存
 在するすべてから連れだし、存在しない未来へ、期待され想像さ
 れた未来へと連れていきます。
 そうして、あなたは自ら罠にはまるのです。
 
 ジェームズ それはここ三〇年以上にもわたって私が発達させて
       きた習慣的パターンです。
 
 ボブ
 ええ、しかしもしあなたがそれを習慣的パターンと理解したら、
 それ以上あなたはそれを信じようとするでしょうか?
 それを習慣的パターンと理解した以上、あなたはそれが偽りであ
 ることを理解しているので、それは自然に抜け落ちます。
 
 ジェームズ わかりました。
 
 ボブ
 ですが、あなたはそれを無理に押しのけることはできません。
 なぜならそれを止めようとしている「あなた」というアイディア
 が再び微妙にあなたを掴むからです。
 それは再びあなたを二元性に、偽りの参照点へと引き込みます。
 
 ジェームズ それは本当に根強い習慣なんです。しばしば、自分
       が悟りを求めていないのに気がついたり、自分がそ
       のことを充分に思っていないと感じると、実際私は
       罪の意識を感じるのです。
 
 ボブ
 ジェイムス、あなたはこれまでもつねに在ったし、これからもつ
 ねに在ります。
 あなたが求めているもの、あなたはすでにそれです。
 そこから始めることです。
 
 あなたは何もしようする必要はありません。
 あなたがしなければならないのは、あなたにその理解をやめさせ
 るゴミを掻きだすことだけです。
 それを理解するのをやめさせるガラクタに気づくことです。
 それくらいシンプルなのです。
 あまりにも単純なので私たちはそれを見逃すのです。
 
 ジェームズ 瞑想やヨガやあらゆる技法をしなければならないと
       言うすべての教師たちについてはどうですか? あ
       れはすべて何なのでしょうか? 役に立つのですか?
 
 ボブ
 ある人びとにとっては、それはマインドを少し減速させる役に立
 つかもしれません。
 太陽が全面的に輝くのを見られるように、それは少しばかり雲を
 薄くするかもしれません。
 ある人びとにとっては、瞑想やそのほかのテクニックはただ起こ
 ります。
 しかしもしあなたがこの教えの直接性を理解できるのなら、そう
 いうものはすべて必要ありません。
 どこかへ行ったり何かをしたりする必要はありません。
 存在の気づきがあなたであるものです。
 ただ存在の気づきのなかにくつろいでください。
 
                  『Living Reality』(p12-14)
                 http://tinyurl.com/88zpf7p
------------------------------------------------------------

(-||-)

> あなたは何もしようする必要はありません。
> あなたがしなければならないのは、あなたにその理解をやめさせ
> るゴミを掻きだすことだけです。
> それを理解するのをやめさせるガラクタに気づくことです。
> それくらいシンプルなのです。
> あまりにも単純なので私たちはそれを見逃すのです。

はい。

> あなたが自分の人生を生きているのではありません。
> あなたの人生が生きられているのです。

了解です。(-_-)

> どこかへ行ったり何かをしたりする必要はありません。
> 存在の気づきがあなたであるものです。
> ただ存在の気づきのなかにくつろいでください。

(-||-)

------------------------------------------------------------
 永久的なもの、それはあなた自身の存在である。
 真我として在りなさい。
 それが至福である。
 あなたはいつもそれなのである。
                    『あるがままに』(p58)
                 http://tinyurl.com/2aar6zj
------------------------------------------------------------

……。(-_-)

ありがとうございました。<(_ _)>

(-||-)

今日はこんなところで。

……。

m(_ _)m


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 2.写経ニサルガダッタ:【22 生命は愛、愛は生命】2回目
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

ここでは図らずも……マハラジのいう「実在」というものについて
の……他では見られない……言葉での説明がなされています。

> 空もまた意識にのみ属する。
> 充満と虚空は相対的な言葉だ。
> 実在はまったくの彼方にある。
> 意識との関係のなかでの彼方ではない。
> ……

と。

(-||-)

では【22 生命は愛、愛は生命】の後半2回目です。

(いつものことながら、無断引用というよりは、無料宣伝と理解さ
 れることを願っています。(-||-) )

最初に通しで写経するので、それを読んでいただければいいです。

------------------------------------------------------------
 質問者 ヨーロッパにマントラの伝統はありません。いくらかの
     黙想的な儀式を除いては。現代の若い西洋人にそれが何
     の役に立つというのでしょう? 
 
 マハラジ
 何の役にも立たない。
 彼が非常にそれに引きつけられないかぎりは。
 彼にとってふさわしい道とは、彼がすべての知識の根底であり、
 すべての感覚とマインドに起こる永久不変の気づきであるという
 想いを固守することだ。
 もしそれをつねに覚え、気づき、留意していれば、彼はかならず
 不注意の境界を破り、純粋な生命、光、そして愛へと現れ出る。
 「私は観照者にすぎない」という想いは身体とマインドを浄化し、
 叡知の目を開かせる。
 そのとき彼は幻想を超え、ハートはすべての欲望から自由になる
 のだ。
 氷が溶けて水になり、水が蒸気になり、蒸気が空気に変わって空
 間へと消え去るように、身体は純粋な気づき(チダカーシュ)の
 なかに溶解し、そしてすべての存在と非存在を超えた純粋な存在
 (パラマカーシュ)となるのだ。
 
 質問者 賢者は食べ、飲み、そして眠ります。何が彼をそうさせ
     るのでしょうか?
 
 マハラジ
 宇宙を動かす同じ力が彼をも動かすのだ。
 
 質問者 すべてが同じ力に動かされています。何が違うのでしょ
     うか?
 
 マハラジ
 ほかの者が単に聞くことはあっても体験してはいないことを、賢
 者は知っている。
 ただそれだけだ。
 知的に確信しているようでも、行動のなかで彼らの束縛はあばか
 れてしまう。
 だが、賢者はつねに正しいのだ。
 
 質問者 誰もが「私は在る」と言います。賢者もまた、「私は在
     る」と言います。違いはどこにあるのでしょうか?
 
 マハラジ
 違いは「私は在る」という言葉に当てられた意味のなかにある。
 賢者にとって、「私は世界であり、世界は私のものだ」という体
 験には至上の正当性がある。
 彼は完全な形で考え、感じ、行為する。
 そして生きるものすべてとの統合のなかにいる。
 彼は真我の実現の理論や修行さえ知らないかもしれず、そして宗
 教や思弁哲学的理念からも自由な家系に生まれるかもしれない。
 しかし、彼の理解と慈悲には、わずかな欠点も見られないだろう。
 
 質問者 私が裸で空腹の乞食に偶然出会い、彼に「あなたは誰か?」
     と問うとします。彼は「私は至高の真我だ」と言うかも
     しれません。私は言うでしょう。「なるほど、あなたが
     至高なるものなら、状況を変えたらどうかね?」と。彼
     は何と答えるでしょうか?
 
 マハラジ
 彼はあなたに尋ねるだろう、「どの現状だろう? 何を変える必
 要があるだろうか? 私の何が間違っているのかね?」と。
 
 質問者 なぜ彼はそう答えるのでしょうか?
 
 マハラジ
 なぜなら、彼はもはや見かけに束縛されてはいないからだ。
 彼は名前と形を自分自身と自己同一視しない。
 彼は記憶を使うだろうが、記憶が彼を使うことはできないのだ。
 
 質問者 すべての知識は記憶を根底においているのではないでし
     ょうか?
 
 マハラジ
 低次の知識はそうだ。
 より高次の知識、実在の知識は、人の心の本性のなかに生来ある
 ものだ。
 
 質問者 「私は私が意識しているものでもなければ、意識そのも
     のでもない」と言うことができるでしょうか?
 
 マハラジ
 あなたがひとりの探求者であるかぎり、あなたは空の、純粋な意
 識だという想いを固守する方が良い。
 意識の彼方に至高の状態があるのだ。
 
 質問者 真我の実現への欲望は、意識のなかに起源があるのでし
     ょうか? あるいはその彼方にあるのでしょうか?
 
 マハラジ
 もちろん、意識のなかにある。
 すべての欲望は記憶から生まれ、意識の範囲内にある。
 それを超えれば、すべての努力は消える。
 意識の彼方に行こうとする欲望そのものが、まだ意識のなかにあ
 るのだ。
 
 質問者 意識の彼方の痕跡(こんせき)や形跡といったものはな
     いのでしょうか?
 
 マハラジ
 いいや。
 それはありえない。
 
 質問者 それでは、何が二つの間をつないでいるのでしょう? 
     何も共通するものがない二つの状態の間に、どうやって
     経路を見いだすのでしょうか?
 
 マハラジ
 純粋な気づきさえ、ひとつの意識の形態だ。
 
 質問者 では、彼方とは何なのでしょうか? 空なのでしょうか?
 
 マハラジ
 空もまた意識にのみ属する。
 充満と虚空は相対的な言葉だ。
 実在はまったくの彼方にある。
 意識との関係のなかでの彼方ではない。
 何であれ、あらゆる類(たぐい)の関係性を超えているのだ。
 「状態」という言葉が難しくしてしまうのだ。
 実在とは何かほかの状態ではない。
 それはマインドや意識や精神の状態ではなく、はじまりと終わり、
 存在と非存在をもった何かでもない。
 実在はすべての対極を含んでいる。
 だがそれは、対極同士の戯(たわむ)れのなかにはない。
 それをひとつの推移の終わりと見なしてはならない。
 意識がもはやなくなったあと、それはそれ自身として在る。
 すると、「私は人だ」、「私は神だ」といった言葉は意味を失う。
 沈黙のなかだけで聞き、暗闇のなかでだけそれを見ることができ
 るのだ。
 
                    『私は在る』(p95-97)
                  http://tinyurl.com/s747u
------------------------------------------------------------

(-||-)

> 質問者 ヨーロッパにマントラの伝統はありません。いくらかの
>     黙想的な儀式を除いては。現代の若い西洋人にそれが何
>     の役に立つというのでしょう? 

うん。

> マハラジ
> 何の役にも立たない。

確かに。(^^;)

> 彼が非常にそれに引きつけられないかぎりは。

ですよね。

> 彼にとってふさわしい道とは、彼がすべての知識の根底であり、
> すべての感覚とマインドに起こる永久不変の気づきであるという
> 想いを固守することだ。

ウェスタンマインドにとっては……それが一番の近道なんだ。

いまでは……日本人にとっても……ということかな。

> もしそれをつねに覚え、気づき、留意していれば、彼はかならず
> 不注意の境界を破り、純粋な生命、光、そして愛へと現れ出る。

はい。

> 「私は観照者にすぎない」という想いは身体とマインドを浄化し、
> 叡知の目を開かせる。

そうか……。(-_-)

「私は観照者にすぎない」……わけだ。

> そのとき彼は幻想を超え、ハートはすべての欲望から自由になる
> のだ。

(-_-)

> 氷が溶けて水になり、水が蒸気になり、蒸気が空気に変わって空
> 間へと消え去るように、身体は純粋な気づき(チダカーシュ)の
> なかに溶解し、そしてすべての存在と非存在を超えた純粋な存在
> (パラマカーシュ)となるのだ。

(-||-)

> 質問者 賢者は食べ、飲み、そして眠ります。何が彼をそうさせ
>     るのでしょうか?

ふ。

> マハラジ
> 宇宙を動かす同じ力が彼をも動かすのだ。

賢者の生も……現れは……ただ生きられていて……。

> 質問者 すべてが同じ力に動かされています。何が違うのでしょ
>     うか?

うん。

> マハラジ
> ほかの者が単に聞くことはあっても体験してはいないことを、賢
> 者は知っている。
> ただそれだけだ。

そうか……。

> 知的に確信しているようでも、行動のなかで彼らの束縛はあばか
> れてしまう。

確かに。(*-_-*)

> だが、賢者はつねに正しいのだ。

わかりました。

> 質問者 誰もが「私は在る」と言います。賢者もまた、「私は在
>     る」と言います。違いはどこにあるのでしょうか?

うん。

> マハラジ
> 違いは「私は在る」という言葉に当てられた意味のなかにある。

はい。

> 賢者にとって、「私は世界であり、世界は私のものだ」という体
> 験には至上の正当性がある。

(-_-)

> 彼は完全な形で考え、感じ、行為する。
> そして生きるものすべてとの統合のなかにいる。

(-_-)

> 彼は真我の実現の理論や修行さえ知らないかもしれず、そして宗
> 教や思弁哲学的理念からも自由な家系に生まれるかもしれない。

なるほど。

> しかし、彼の理解と慈悲には、わずかな欠点も見られないだろう。

うーむ。

> 質問者 私が裸で空腹の乞食に偶然出会い、彼に「あなたは誰か?」
>     と問うとします。彼は「私は至高の真我だ」と言うかも
>     しれません。私は言うでしょう。「なるほど、あなたが
>     至高なるものなら、状況を変えたらどうかね?」と。彼
>     は何と答えるでしょうか?

はは。(^^;)

> マハラジ
> 彼はあなたに尋ねるだろう、「どの現状だろう? 何を変える必
> 要があるだろうか? 私の何が間違っているのかね?」と。

はい。

> 質問者 なぜ彼はそう答えるのでしょうか?
> 
> マハラジ
> なぜなら、彼はもはや見かけに束縛されてはいないからだ。

はい。

> 彼は名前と形を自分自身と自己同一視しない。
> 彼は記憶を使うだろうが、記憶が彼を使うことはできないのだ。

そういうことか。

> 質問者 すべての知識は記憶を根底においているのではないでし
>     ょうか?
> 
> マハラジ
> 低次の知識はそうだ。

はい。

> より高次の知識、実在の知識は、人の心の本性のなかに生来ある
> ものだ。

(-||-)

> 質問者 「私は私が意識しているものでもなければ、意識そのも
>     のでもない」と言うことができるでしょうか?

確かに……マハラジは……そういう言い方をする時があります。

この意識は……純粋な意識……の意味ではないと思うけど。

このあたりは……いわゆる“絶対状態”関連でしょうね。

> マハラジ
> あなたがひとりの探求者であるかぎり、あなたは空の、純粋な意
> 識だという想いを固守する方が良い。

わかりました。

> 意識の彼方に至高の状態があるのだ。

はい。

> 質問者 真我の実現への欲望は、意識のなかに起源があるのでし
>     ょうか? あるいはその彼方にあるのでしょうか?

欲望があったのでは……彼方ではないのでは。

> マハラジ
> もちろん、意識のなかにある。

はい。

> すべての欲望は記憶から生まれ、意識の範囲内にある。

了解です。

> それを超えれば、すべての努力は消える。

それでこそ。

> 意識の彼方に行こうとする欲望そのものが、まだ意識のなかにあ
> るのだ。

わかります。

> 質問者 意識の彼方の痕跡(こんせき)や形跡といったものはな
>     いのでしょうか?

(-_-)?

> マハラジ
> いいや。
> それはありえない。

了解しました。

> 質問者 それでは、何が二つの間をつないでいるのでしょう? 
>     何も共通するものがない二つの状態の間に、どうやって
>     経路を見いだすのでしょうか?

なるほど。

> マハラジ
> 純粋な気づきさえ、ひとつの意識の形態だ。

そうなんだ……。(-_-)

昔……<意識>と表現していたものも……ひとつの意識の形態……
ということだな。

空なる意識……ということか。

> 質問者 では、彼方とは何なのでしょうか? 空なのでしょうか?

(-_-)?

> マハラジ
> 空もまた意識にのみ属する。

ほう……。

> 充満と虚空は相対的な言葉だ。

ああ……そういうことか。

> 実在はまったくの彼方にある。

(@_@)

> 意識との関係のなかでの彼方ではない。

なるほど。

> 何であれ、あらゆる類(たぐい)の関係性を超えているのだ。

好き……。

> 「状態」という言葉が難しくしてしまうのだ。

(@_@)O

> 実在とは何かほかの状態ではない。

はい。(-_-)

> それはマインドや意識や精神の状態ではなく、はじまりと終わり、
> 存在と非存在をもった何かでもない。

はい。

> 実在はすべての対極を含んでいる。

なるほど。

> だがそれは、対極同士の戯(たわむ)れのなかにはない。

おお……。

> それをひとつの推移の終わりと見なしてはならない。

はい。

> 意識がもはやなくなったあと、それはそれ自身として在る。

ああ……。(-_-)

> すると、「私は人だ」、「私は神だ」といった言葉は意味を失う。

はい。

> 沈黙のなかだけで聞き、暗闇のなかでだけそれを見ることができ
> るのだ。

わかりました。

(-||-)

……。(-_-)

ありがとうございました……。<(_ _)>

(-||-)

今日の写経は、ここまでです。

m(_ _)m


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■ 3.編集後記:こういう……表現もあるなぁ。
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マインドは……とどまることができません。

どこまでも……変化を続けるだけです。

マインドは……瞬間瞬間に……その変化を……自分だと思います。

でも……変化に小突き回されることに……くたびれてもいる。

そしてある時……変化はすべて汚れなのだと……教わります。

どうすれば……その汚れを……取り除けるのか……。(-_-)

すると……あるとき……こんな言葉も……聞こえてくる。

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 神は偉大で素晴らしきすべてだ。
 私は無だ。
 何ももたず、何もできない。
 だが、すべては私から立ち現れる。
 その源が私だ。
 その根底と源泉が私なのだ。
               『私は在る』(p207)
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そうか……。(;_;)

> 何ももたず、何もできない。
> だが、すべては私から立ち現れる。

こういう……表現もあるなぁ。

(-||-)

<(_ _)>


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■ 【作者】 『アセンション資料館』主人 pari
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